たしか私は小学生の2年生ころだったかな・・・昭和のこと。
もう本当におぼろな記憶。
先生たちにうながされて、体育館に入っていくと、見知らぬ人たちがいる。
彼らは演劇をしてくれるお兄さんやお姉さんたちだった。みんなで迎えてくれた。
一人のお兄さんはなんだかジャンプして両足の先に手でタッチをするという曲芸らしきことをし、ぼくらは歓声をあげた。それだけで、ぼくたちはうれしくなった。
このあと、この人たちがぼくたちのために、とんでもなく楽しいことをして見せてくれるんだ、という気がしたからだ。
それが、劇団なんとか(覚えてません)の人形劇「龍の子太郎」でした。
大きい龍も小さい龍も出てきて、幻燈のような仕掛けをつかったりと工夫されている舞台で、悲しいけど見た後には元気が出てくるような、子どもの心をわしづかみにするのに十分な劇でした。酔いしれましたね。見終わった後、泣いてる子もいたし、劇団員の方たちが体育館から出る際には握手をしてくれたのは今でも覚えている。
その方たち、当時はまだ20代、30代の方たちだったろうから、今はもう70代から80代になっているだろうか・・・。
わたしのこの頭の中の、記憶の映像に映っているこのお兄さん、お姉さんたちは、今はどうされているのだろう。
ところで、どうしてこれを思い出したかと言うと、教室で子どもが読んでいたからですな。
それも、松谷みよ子さんの、ハードカバーを。
昭和のにおいがぷんぷんするような、挿し絵の芸術的な本を。
お、と思って少し借りて読んでみたら、思い出してきて・・・
思わず教室で「龍の子太郎」の話をしてしまいました。
ちなみに母龍が自分の目玉を太郎にしゃぶらせて育てたエピソードはずいぶんと面白い。
わたしは、目というのはさまざまなものを見ているから、知恵の意味があるのではないか?と考えています。龍になったお母さんは、自分の知恵を太郎に授けたいと願って目玉をしゃぶらせた、ということになるんじゃないかと。
このあたりは、なんだかゲゲゲの鬼太郎にも通じていくような気がします。
鬼太郎の父親も、実はかなりの知恵者です。わたしが以前見た回では、お父さんは閻魔様とタメで話をしていた。地獄の閻魔様と「やあ」「ひさしぶり」的な会話ができるあの人、霊界ではなかなかのポジションを占めて居るんじゃないか。
ともあれなぜ5年生でこの物語が重要になってくるかというと、5年生は社会で日本の国土を学ぶからですね。火山とか湖とか川とか平野とか山地とか。そうした土地の様子を学ぶ際に、古くから伝わる伝承はそのイメージを大いにふくらませてくれます。
太郎の話も、古くから伝わる民話伝承が元になっています。実際に信州の松本・安曇平はいまは田園風景が広がっていますが、かつてはそうではなく、ただの荒れ地だったらしい。そこに治水を施して水を得て、いくつもの水の流れをつくったことが、こうした物語の背景にあったのではないかと言われています。
物語の最後に、母親龍が見えない目でもって太郎を背中にのせ、大きな岩に何度も体当たりするシーンは涙をさそう。傷ついたからだでも惜しまず体当たりを続けていると、ついに岩がうごき、たまった川の水がついに村の方へと流れていく。龍は傷ついたまま倒れ、ついに動かなくなるのですが、太郎の涙がふれるとあらまあ。最後はハッピーエンドです。
文科省は、なぜこれを教科書に載せんのだ!!怒!!

もう本当におぼろな記憶。
先生たちにうながされて、体育館に入っていくと、見知らぬ人たちがいる。
彼らは演劇をしてくれるお兄さんやお姉さんたちだった。みんなで迎えてくれた。
一人のお兄さんはなんだかジャンプして両足の先に手でタッチをするという曲芸らしきことをし、ぼくらは歓声をあげた。それだけで、ぼくたちはうれしくなった。
このあと、この人たちがぼくたちのために、とんでもなく楽しいことをして見せてくれるんだ、という気がしたからだ。
それが、劇団なんとか(覚えてません)の人形劇「龍の子太郎」でした。
大きい龍も小さい龍も出てきて、幻燈のような仕掛けをつかったりと工夫されている舞台で、悲しいけど見た後には元気が出てくるような、子どもの心をわしづかみにするのに十分な劇でした。酔いしれましたね。見終わった後、泣いてる子もいたし、劇団員の方たちが体育館から出る際には握手をしてくれたのは今でも覚えている。
その方たち、当時はまだ20代、30代の方たちだったろうから、今はもう70代から80代になっているだろうか・・・。
わたしのこの頭の中の、記憶の映像に映っているこのお兄さん、お姉さんたちは、今はどうされているのだろう。
ところで、どうしてこれを思い出したかと言うと、教室で子どもが読んでいたからですな。
それも、松谷みよ子さんの、ハードカバーを。
昭和のにおいがぷんぷんするような、挿し絵の芸術的な本を。
お、と思って少し借りて読んでみたら、思い出してきて・・・
思わず教室で「龍の子太郎」の話をしてしまいました。
ちなみに母龍が自分の目玉を太郎にしゃぶらせて育てたエピソードはずいぶんと面白い。
わたしは、目というのはさまざまなものを見ているから、知恵の意味があるのではないか?と考えています。龍になったお母さんは、自分の知恵を太郎に授けたいと願って目玉をしゃぶらせた、ということになるんじゃないかと。
このあたりは、なんだかゲゲゲの鬼太郎にも通じていくような気がします。
鬼太郎の父親も、実はかなりの知恵者です。わたしが以前見た回では、お父さんは閻魔様とタメで話をしていた。地獄の閻魔様と「やあ」「ひさしぶり」的な会話ができるあの人、霊界ではなかなかのポジションを占めて居るんじゃないか。
ともあれなぜ5年生でこの物語が重要になってくるかというと、5年生は社会で日本の国土を学ぶからですね。火山とか湖とか川とか平野とか山地とか。そうした土地の様子を学ぶ際に、古くから伝わる伝承はそのイメージを大いにふくらませてくれます。
太郎の話も、古くから伝わる民話伝承が元になっています。実際に信州の松本・安曇平はいまは田園風景が広がっていますが、かつてはそうではなく、ただの荒れ地だったらしい。そこに治水を施して水を得て、いくつもの水の流れをつくったことが、こうした物語の背景にあったのではないかと言われています。
物語の最後に、母親龍が見えない目でもって太郎を背中にのせ、大きな岩に何度も体当たりするシーンは涙をさそう。傷ついたからだでも惜しまず体当たりを続けていると、ついに岩がうごき、たまった川の水がついに村の方へと流れていく。龍は傷ついたまま倒れ、ついに動かなくなるのですが、太郎の涙がふれるとあらまあ。最後はハッピーエンドです。
文科省は、なぜこれを教科書に載せんのだ!!怒!!
