30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2020年03月

「まさか!」志村けんさんの訃報

「まさか」
口をついて、出た。

嫁様も何度も「まさか」とつぶやいている。
志村けんさんが亡くなった。
昭和の小学生は8時になるとわくわくして、テレビの前に座ったね。
一家だんらんが、そこから生まれた。

まさか、まさか。
人生は、まさかの連続だ。
今、世界が騒然としている様子も、毎日ながれてくるコロナのニュースも、
4月に学校が順当に始まるのかどうか危ぶんでいる今の学校の様子も、
みんな、「まさか」だ。
まさか、こんなになるとは、思わなかった。
「まるで、映画を見ているようだ」はテレビのコメンテーターの言葉だか、本当にそう。

人生の3つの坂のスピーチは有名だけれど、上り坂、下り坂、3つめの『まさか』がこんなに毎日のようにつぶやかれている時代は、人生でも初めてだと感じる。

2年前に父が亡くなったときも、
「まさか」
という感じがした。
早すぎる、と思った。もう少し、生きていてもらうつもりだったから。

父の死の後だろうか、「まさか」を身近に感じるようになった。

まさか、こんなに雪が降るとは。
まさか、こんなところに芽が出るとは。
まさか、母がまだ喫茶店をつづけるとは。
まさか、猫を2匹も飼うとは、なぁ。
まさか、自分が小学校の教員になるとは。


考えてみれば、ぜんぶ、『まさか』でできている。
ここにこうして暮らしていること、生きていること。
朝食でホウレン草のサラダを食ったが、それが食べられていることも「まさか」だ。

スーパーの棚に、物がなくなった映像をみたら、
本当の当たり前は、なにも並んでいない、「空の棚」の方が当たり前だったことに気づく。

そこに、物を運ばなければ、運ぶものを用意しなければ、
運ぼうとする人のはたらきがなければ、手が動かなければ、
なにも、並ばないで当たり前。「無い」がふつう。
いつの間にか、そこに「なにかが並んでいることの方」を当たり前にしているけれど。

こうやって毎日、なにかを食べていかれていること自体が、もはや「まさか」なんだろう。

今、こうやってキーボードをたたいて、ブログを書いていることも、
実は、「まさか」の連続で成り立っている事象。
もし、電気がこなければ。もし、指が動かなければ。もし、〇〇がなければ・・・。


まさか、で、当たり前。
その「まさか」を、
ひとの力と意志で、どんどんと爆発的に生み出している
のが、この世の中。
『「まさか」人類がこんなに地球上に繁栄するようになるとは』ということなんだろう。

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【※毒舌注意】社会の力をなめるな

「トイレットペーパーを買わなくては」
これは自衛の心理である。

政府があてにならない以上、自分の身は自分で守るしかない。
そう思うのも、無理はない。
自分のことは自分で、と思うからこそ、自衛しようとするのだ。

社会は見ず知らずの人も含めて、多数の人間が持ちつ持たれつ、生活していく場のこと。
損得だけではなく、公平さや公正さをどこかで考えていくからこそ、社会はまわっていく。
1%のお金持ちだけが幸せになる社会は、結局のところうまくいかない。
1%は、周囲その他の99%が健康でなければ成り立たないからだ。

春になり、家の周囲の田んぼは、荒起こしをはじめた。
冬の間、乾ききって固まっていた土が、掘り起こされ、湿った土の色をみせる。
すると、そこに小さな緑の雑草の芽があるのが見える。
土の表面についたこの種は、掘り返されたこの数日の間に、もうすでに新しく芽吹こうとしている。

同じく、学校は新学期の準備をはじめた。
駅に行くと、街もスタートしようとしている。
商店が春のセールの垂れ幕を出し、パン屋は「春の味」を考え、オフィスは新入社員を受け入れ、工場も動き始めようとしている。

一方、新聞報道では、官邸の記者会見や都知事の見解を流しているし、ワイドショーでは政治とコロナの話をしている。この国は、いや世界はどうなってしまうのか、とハラハラする。
ところが、一歩町へ出ると、どっこい社会はしたたかに生きていて、みんな春の準備をしているわけだ。

隣の田んぼの持ち主は、もう90を越えるおじいさんなので、仕事を頼まれた若者が手際よく耕運機をかけている。若者に向かって、たとえ、コロナが、政府が、という話をそこでしたとしても、

「いや、コロナも知ってるけど、春の準備をしなきゃ」

と彼は冷静に言うだろう。
そこに、『政府に頼ろうとする、政府の指示を待つ若者』の姿は、ない。
季節がめぐってくること、秋の収穫に向けて、春の準備をするという真理については、今の政権はなにも抵抗できないのである。

植物が春に芽吹くことについて、「自粛を要請します」と閣議決定はできない。
それは、地球の自然の真理であり、人々のくらしの真理であるからだ。
一政権がいかに力をもとうと、その真理にあらがうことはできない。

政府が禁止するから〇〇をやめる、のではない。
社会にとってどうか、と個人がお互いのことを考えてそうするのである。
社会が混乱すればその混乱は自分や家族に直結してくる。それが分かるから、そうするのである。
逆に、政府が禁止しないからする、のでもない。
わたしたちは、自分の意見も考えも魂もすべて、政府にゆずりわたしているわけではない。

われわれは、政府がうまくいきますように、とねがって行動しているわけでなく、
実は、社会がうまくいきますように、とねがって行動していたのだ。

そのことに気づくと、買い占めも転売も、
いずれはわが身に返ってくる社会全体のこと、
滑稽で恥ずかしくて、しようとしてもできなくなる。

同じく、テレビに映る閣僚の方たちに対しては、
「せめて、わたしたちと同じ目線に」
と願わずにいられない。

「わたしたちは、社会に目線を合わせています。閣僚のみなさんも、われわれと同じように、社会に目線を合わせませんか」

社会はずっと続いている。
政権は、そのときだけのものである。
政府こそ、社会に目線を合わせてもらいたい。


社会の力をなめるな1

おじさんだもの

今までさほど気にしていなかったが、コレステロール値が高くなっていた。

大きな病院での人間ドックを受けた。
さすが大病院で、廊下が長い。
待つ時間も長い。
説明も長い。

「〇〇の窓口でこれこれをし、次の曲がり角をまがってこのファイルを出し、その後ここへ戻ってきて〇〇をし、声がかかるまで〇〇をしてください」

これを超忙しそうな看護師さんから、たった一息で言われると、体が凍りそうになる。
もう一度聞きなおすのは、とても気の毒でできない。
看護師さんの目をみると、マスクの上で気の毒にもせつない大きな二重瞼が。
その下に、
「これ、一回で覚えてね。わたしとんでもなく忙しいので、一回で覚えてね」
という瞳がうるうるしている。

しかしやはりわからないので、大変失礼ですが、と前置きしてこちらも恐縮して尋ねる。

「えっと、これをしたあとにかどを曲がってこれを受けて?・・・」
「いえ、ファイルを出したら戻ってきて〇〇、です」

もうそれ以上聞くのは、かわいそうで無理だ。
お互いに絶望に近い表情になりつつ、お互いの安否を気遣いつつ、そこで別れることになる。

長い廊下を、必死で歩く。
行き交う白衣の方たち。
病院というのはなんでこんなに、『必死な空気』が充満しているのだろう。
ひとの命がかかっている、という感じがする。

長い廊下を歩いてたどり着くと、A棟ではなく、そこがB棟であったことに気づき、戻る。
行き過ぎたのだ。

肺活量を調べるところで、すんでのところで倒れそうになった。
死ぬほど吐いてください、とおっしゃった看護師さんが、わたしのすぐ横で、力士のようにふんばった格好で、

「はい!!そこで、フーーーーーーーッッツツっと!!!!」

とおっしゃる。
わたし以上の、必死の形相だ。

「はい、吐く! 吐く!! 吐き切る!!!」

病院のフロアの隅にまで、彼女の大音声が響いていく。

「もっともっと!!!吐けるだけ、いっきに吐くぅぅぅッ!!

わたしの横で励ましてくれるのは、中腰姿の看護師さん。
白鳳が四股(しこ)を踏むところかな、と一瞬、思う形だ。
土俵入りを思わせる。
わたしも思わず、看護師さんと同じような、土俵に入る格好をとってしまう。
そして、思い切り水色の筒を咥えて、首をふりながら息を吐く。

肺の空気がすべて、この水色の筒に吸引されたかと思ったとき、目の前がくらくらした。

すると看護師さんがパソコンの画面をチャッチャと操作して、急に事務的な声になり、

「はい。今の調子で。つぎ、本番です」

と言った。

こんなに頑張ったのだから、なにか欲しかった。
音楽が鳴り響いて、くす玉が割れてほしい、とまでは言わないが。
少なくとも、抱擁して「がんばったね!」くらいは、言ってほしかった。

こんな活動が、胃カメラ、エコー、眼底検査、聴力検査、さらにあれこれ。

ぜんぶ回ったところで、確信したのは、「病院は元気でないと来てはいけない」ということだ。

最後に医者が出てきて、総合的な診察をしてくださる。
わたしより若い医者で、ちょっと複雑な気持ちになる。
いや、若くてもいいんですけど、予想とちがったから・・・。

予想していたのは、白髪交じりのおじいさん。
ひげを生やした、ご年配の先生が貫禄たっぷりに、

「はい、あらまさん。えっと、コレステロールが高い、と。はい、これ。不摂生ですね。夜中になんか食べちゃう?はい、はい、そうですね、ま、ま、加齢もあるのでね。ちょっと我慢してもらって」(森繁久彌の声)

というのなら、わかる。
素直な気持ちで、「気を付けます」と言いたい。

ところが、出てきた医者が、まだ20代か30そこそこの若い彼。

めっちゃ、年下やん!
すげー違和感あるー、と思っていたら、やはり

「50代なのでね。これからが大事で、いろんな病気にもつながりますからねー」

とかなんとかいう。
いやあ、若い人に言われると、余計になんか、ちょっとがっくりくるものが・・・。

おじさんなんだからね。
夜中、食べたいからって食べてちゃ、いかんのよね。
我慢しなきゃネ。おじさんは、ガマン!

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ねむの木学園・宮城まり子さんの思い出

宮城まり子さんといえば、映画が思い出される。

私は、まだ小学校の1年生くらいだったかな。
母が兄弟全員を映画に連れて行ってくれた。
タイトル、思い出せない。
今調べてみて「ねむの木の詩がきこえる」だったか・・・。

上記映画の解説には、
『宮城まり子が主宰している、体の不自由な児童のための施設“ねむの木学園”。学園の子供たちと宮城をはじめとする指導員たちの心あたたまる交流を描くセミ・ドキュメンタリー』
とある。
おそらく、この映画だろう。セミ・ドキュメンタリー。
実際の学園の様子が映し出されていた。
まり子さんと子どもとのやりとりは、演技というよりも、実際の『素』の姿だった。

6歳だったから、ほとんど覚えていないが、断片的に今でも覚えているのだから、よほど強く印象に残ったものらしい。

1つめ。

言葉をもたないやすひこくんが、広い部屋の隅でねそべっている。
まり子さんが歩いていき、同じようにねそべって、顔と顔がくっつくくらい近づいた。
まり子さんは、ふと思いついて、自分の口をすぼめ、人差し指をくわえた。
やすひこくんは、何をするんだろうと見ている。

まり子さんは、その咥えた指を、勢いよく口から外へ抜いてみせた。
そのときに、甲高い声で、
「ポーッ!」
と言った。
指が外へ出る瞬間に、ポーッ!と言いながら、指を口からひっこぬく感じ。
何度もおちゃめな顔をして、にこにこしながら、その『ポーッ!』をしてみせた。
するとやすひこくんも面白がって、自分の指をくわえて、まり子さんの真似をして
「ポーッ!」

6歳のわたしは、この意味が分からなかった。
で、帰り道に母に

「なんであんなふうなことをしたの?」
と聞くと、母は
「ああいう具合に訓練をすると、しゃべれるようになる」
と言った。
わたしはあんな「ぽー」くらいでしゃべれるようにはなりそうもない、と考え、
「あの子は、ぽー、は言えても、ふつうの言葉はしゃべれるようにはならないでしょ」
と言うと、母は確信めいた雰囲気で、
「いや、あれが重要なのだ」
というようなことを言った。
わたしは「そうかなあ」と疑問に思った。

↑ こんなことを、あれから40数年以上たつのに、まだ覚えている。
映画に詳しい方、実際にこの場面って、映画に出てきますか?
それと、タイトル、「ねむの木の詩がきこえる」で合ってますか?
もしこれを見てご存じの方いたら、ぜひコメントくださいませ。

もうひとつ、夕暮れ。
橋の近く。
まり子さん(と思われる人)が、地団駄踏んで泣くシーンがあった。

当時の私は、大人というものは、あんなふうに地団駄踏んで、腕を振って泣く、ということはしないと思い込んでいたので、衝撃を受けた。
なんでそんなに泣いたのか、というのがよくわからないが、そのシーンだけを覚えている。

まり子さん(と思われる人)は、足でどんどんと地面を蹴り、そして腕に持っていたカバンやバッグをすべてぶん投げて、大声で嗚咽しながら泣きわめく、のである。

私(6歳)は、そのシーンを見て、

「大人になっても、こんなに泣かねばならないというのは、よほどの思いがあるのだろう。事情は分からぬが、大人というのも、ずいぶんと大変なものなのだろうか」

と考えた。
私は子ども時代は宿題などでえらく苦労をしなければならないが、この世は大人になってしまえば楽ができる、とそれまで思い込んでいたので、ショックだったらしい。

ねむの木

立派に見えると泣けてくる

「大の男が泣くものか」

大人の男は泣かないのが当然。
男はだまって、サッポロビール。
・・・昭和生まれなので、そういう雰囲気は知っている。
わたしの父も、まあわたしの目の前では一切泣かなかった。
泣いたところはチラリとも見せないままだった。

わたしもふだんは、そうだ。
じっと目を伏せるくらいで、涙はこぼさない。
今日も、そのはずだった。


ところが泣ける。
涙腺がゆるんできているのか?
涙腺を、ぐっと抑える、というのが、できない。
年齢(とし)をとったのだ。
くやしいけれど、堪(こら)えるのができなくなってきた。
ドッとこみ上げてくると、そのままこみ上げてしまう。
ふたが閉まらないのですね。抑えが、効かない。
あーっと思ったときには、もうすでに声が出るくらい泣いてしまう。


まず、教室に入ってみたら、見事にみんな制服姿。
制服というの、なんでこんなに立派に見えるんだろう。
6年間ずっと半ズボンだった子が、学生服を立派に着こなしている。
「おおお、長ズボン履いてる!履いてるんだね!」
「うん。でも先生、これ、暑いんだけど」
ぴらぴら、と上着をゆすって見せた。
卒業式の15分前なのに、学ランの上着を脱いでしまい、腕まくりもしている。
ちょっと待って。脱ぐのが早すぎだ。せめて終わってからにしてくれ。

先生が来た、というので、みんな席についてこっちを見た。
全員が、ワッとわたしに目線を向けると、これは迫力がある。
おまけに、みんな、小学生っぽくない。もう確実に中学生の雰囲気。
「うわー、大人だ・・」

わたしの涙腺はもう60%くらい、開いてしまっている。

前のクラスに続いて階下に降りた。
今回はコロナウイルスの騒ぎで、ひとクラスずつ。
体育館の手前で待ち、前のクラスが終わって退場するときに、別の入り口から入った。
すると、ここでやばいことに、前のクラスの退場に合わせて音楽が流れ、それが耳に聞こえてきてしまった。10月、6年生が全員で歌った、あの合唱曲だ。
「♬ 生きていることの意味 問いかけるそのたびに胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさこの星の片隅で めぐり会えた奇跡はどんな宝石よりも たいせつな宝物・・・」

あかん。
これで、涙腺が90%、と思ったらもうあっけなく泣けてきた。
残り10%を歯をくいしばって泣くものか、とこらえようとしたが、年齢に負けた。
「♪ ねーんー、れいにー、負けたー ・・・いいえ、なみだに、負けたー・・・」
必死になって、頭の中で『昭和枯れすすき(さくらと一郎)』をリフレインしようとしたがダメだ。
「♬ 泣きたい日もある 絶望に嘆く日もそんな時そばにいて 寄り添うあなたの影二人で歌えば 懐かしくよみがえる・・・」

あの、透き通るような歌声までもが、思い出されてくる。
これはもう・・・

保護者席に向かって一礼するが、

「ああ、泣いているのがばれるな」

と思う。
しかし、もうそのへんも、この年齢になってくると、まあいいや、と思ってしまう。

そのまま涙をこらえながら入場し、一人ずつ名前を呼んだ。
苗字と名前の間が、無意識のうちに、少し空いてしまう。
一気に呼んでしまうと、もったいない、という気がして・・・。

ゆっくり、ゆっくり、一人ずつを呼ぶ。

子どもは、「ハイ」と言って、校長から証書を受け取ってゆく。

練習が一切無かったのに、上手だ。
子どもたちはたぶん、これまでに在校生として何度か見てきた先輩たちの姿を、なんとなしに思い浮かべて受け取っているのだろう。きちんと両手で受け取って、しっかり返事もして、お辞儀もして、堂々と歩いている。ドキドキしているのは担任だけ。子どもたちは、ちゃんとわけがわかっている。一番大事なのは、堂々と受け取り、堂々と歩き、堂々と卒業することだ。それを、みんなやっている。

証書の授与が終わると、すぐに教室に戻って、すぐに解散・・・。
コロナ情勢を鑑みて、ということだが、あっけない。

その代わり、子どもと一緒に外に出てみると、いつもの卒業式後の風景になった。
カーネーションを一輪ずつ、子どもたちが手にしていて、

「先生、ハイ」
「先生、これあげる」

一人ひとりが近づいてくるだけで、もうこれでまた泣ける。
いろんなことを話しかけたくなる。が、もう時間がない。
ああ、もう話せないんだ、と思うとまた泣ける。

たちまち花束ができあがり、全員分を手にしたところで写真を撮った。
ありがとう、ありがとう、とばかり言って写真を撮り、お別れをする。
校庭に「最後のチャイム」が流れ、またとめどなく涙が出る。

「先生、ずっと泣いてるなー」
と、やんちゃ坊主が少し怒ったように言うと、また別のやんちゃくんが
「まあまあ、しょうがない。先生は今日は、しょうがない」
と、とりなそうとする。
そのセリフを聞くと、また泣けてくる。
「今のFくんので、また泣けた」とわたしが言うと、周りの保護者がどっと笑った。

泣きながら笑いながら、だんだんに潮が引くように、さざなみが消えるように、人が去っていく。

泣くのは似合わない、と自分では思う。
どちらかというとにやにやしながら、くだらない冗談を言っていたい。

ところが6年生をもつと、ちょっと年に一度くらい、そういうことが起こる。
みんなが立派に見えると、泣けてくる。

飛び出せ青春

センバツ中止でショックを受ける小学生

春のセンバツ高校野球が中止となった。
選手のことを思ったら、ぜひ開催してほしかったが仕方がない。

高野連は、「もしも開催するのなら」というシナリオを考えていた。
無観客だ。
もし大会中、観客の中に陽性の人がいた、ということが報道されたら、選手は集中して試合にのぞめないだろう。また、選手の中に陽性が出たとしても、同様だ。陽性になってしまった高校生は周囲から責められ、自分でも自分を責めるだろう。その子のせいではないのに・・・。
だから、無観客は当然のことだ。わたしは理解できる。

同様に、オリンピックをもし開催したとしても、それぞれの競技の会場は基本的には無観客であるべきだ。わたしは水泳が好きで、できたら見に行く予定にしていたが、仕方がないからあきらめなければならない。

学校の校庭に遊びに来ていたクラスの男児は、リトルリーグで活躍する猛者だが、
「先生、センバツ中止だって」
と話していた。残念なのだ。テレビで観戦するのを楽しみにしていた。
彼はリトルで活躍するピッチャーで、体は小柄だが、頭を使って投球するため、勝率は良い。
図工でも作文でも、題材はほとんど野球のことだった。
その彼が、センバツ中止を嘆いている。
日本全国で、こういう小学生がたくさんいるのだろうと思う。

さて、高野連はなかなか偉い。
ギリギリまで開催の可能性を探っていたらしい。
具体策として、次のことを考えていた。
・試合と直接関係ない人の来場をできるだけ避けるため、出場校の応援団を含めてすべての観客を入れない無観客での開催
・出場校の派遣人数を1校27人に。メディアを含む大会関係者も最小限。
・ロッカールームや廊下など、濃厚接触となる可能性がある密閉空間で多人数が密集する機会を避ける
・大会関係者全員のうがい、手洗い、マスク着用、せきエチケットの徹底
・開幕前日から大会終了まで、医師2人1組が24時間臨戦態勢で選手の体調や予防などに関する電話相談を受け付ける。
・日本高野連、毎日新聞社、阪神甲子園球場の3者で緊急対策本部を設置し、緊急時の対応に当たる

【球場内】
・球場出入り口で全入場者に検温と手のアルコール消毒を実施。マスク未着用者、37・5度以上の発熱者は入場禁止
・ベンチやベンチ裏、審判控室などにも消毒液を設置し、試合終了ごとに各所を消毒。ドアノブやエレベーターなども定期的に消毒
・除菌効果のあるオゾン脱臭機をベンチ裏や控室などに計17台設置
・試合中は円陣を禁止。マウンドに集まるときなどはグラブで口を覆う
・インタビューなどの取材は受けない。ただし、試合終了後に限り、密集を避けるために戸外であるスタンド内の風通しの良いところで短時間で実施可。
・救護所に医師、看護師を常駐させる

【選手の移動、宿舎】
・宿舎から球場までの移動は大会本部が用意した各チーム専用バスを使用。車内に消毒液を設置
・要請があれば大会本部から1人あたり1日3枚のマスクを配布
・宿舎にも消毒液を設置。食事は個別または一般客と時間や場所を分けての提供にしてもらう。大浴場などの利用は控える
・選手らは朝晩2回の検温、呼吸器症状の有無をチェックシートに基づいて確認し、大会本部に毎朝報告
・責任教師や監督が認めない宿舎からの外出を禁止
などである。

ここまで考えていたのに、結局中止になった。
残念でならない。

五輪でもおそらく、同じようなことを検討しているはずだ。

たぶん五輪はこうなる。

1)無観客
2)マスコミの報道は無し。インタビューも無し。選手も大会中、一切無言。
3)競技場内で選手同士の接触をできるだけ避けるため、レース形式でないもの、個別のタイムを競うような種目については、時間差で一人ずつプレイする。選手同士はちがう入り口から入り、ちがう出口から出る。
4)陸上は8レーンに2人ずつの競技とする。選手間に2m以上の空間をもうける。
5)水泳も8レーンに2人ずつ。塩素濃度は通常の2倍濃度に。
6)柔道は寝技禁止。組み合う時間も5秒以内。どちらが先に相手を一本背負いできるかで決める。
7)フェンシングは剣の長さを2mに延長。
8)試合会場は2日前から除菌し、除菌後は一切の人の出入りを禁止する。
9)選手は除菌されたユニフォームを身に着ける。
10)審判は全員防護服を着用。
11)サッカーやバスケットのボールはハーフタイムで洗浄、除菌。バレーボールはサーブ毎の除菌。
12)試合中の円陣や味方の選手同士が口を開けて話をすることは控える。もしどうしても意思疎通をしたい場合は2m離れて行う。
13)夜間に選手村から町へ出るなどの出入りはすべて禁止。空港から競技場までも送迎専用の高度除菌車で直接送迎。
14)選手は毎日2時間ごとに検温し、医師2人1組の診察を受ける。
15)検温を拒否する選手の出場権を、はく奪。
16)できるだけ人が集まる時間を短くするため、表彰などのセレモニーはカット。国歌もなし。
17)ロッカールームは使用しない。選手村の自分の部屋からユニフォームで直接会場へ。
18)選手村の選手の個別の部屋は2時間ごとに消毒。部屋と部屋との間は無人の空間を5m確保。
19)マスコミが競技場の検問を突破してインタビューをするため、もしも選手に2m以内にまで近づいた場合は国家反逆罪として逮捕。5m以内でも報道権をはく奪。10m以内でも以後の出入りを一切禁止。
20)期間中、選手一人につき1日7枚のマスクを供与。
21)大浴場などの風呂は禁止。レストランも廃止。(各自の部屋へ幕の内弁当を供与)


このくらいやったとしても、五輪はやるべきである。
何よりも、わたしは水泳が見たいのだ。
男子100メートル平泳ぎは個人メドレーで東京五輪出場が内定している瀬戸大也(ANA)が59秒93で優勝した。
この泳ぎが見たい。
だから、このくらいやったとしても、ぜったいに五輪は行うべきだ。

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おそらく教科書に載る~トイレットペーパーの買い占め転売~

このたびのトイレットペーパー騒動、すごかったです。
おそらく将来、このことが、教科書に載るでしょう。

そう考えるのは、すでにそういう事例があったからです。
実は、1970年代にオイルショックがありました。当時の騒動の様子が今の教科書に載せられていて、なぜそのような集団行動が起きたのか、考えることになっています。当時も紙が不足したわけではなく、国内の生産量はオイルショックとは無関係でかえって増産されていた、というのも、今日の騒ぎとまったく同じであります。
「集団心理」という言葉、教科書には載っていないけれど、授業をしていたらふつうに教室の中で話し合われるキーワードです。つまり、ふつうの小学生が、『集団心理』について、学習をするのが、今の日本の教育です。

買い占め

今の大人、ほとんどの方は知っているわけです。
1970年代のオイルショック、そしてペーパー買い占め騒動について。頭の中に知識としては「ある」でしょう。ところが、それが「学んだこと」になっていない。だから、教訓が生かされないのです。

これが、「死んだ学び」というものでしょう。

この反対は、「生きた学び」です。

学ぶのは楽しいはず。
もっともっと、掘り下げて、なぜか、なぜか、と考える教室にしていかないと、いつまでも日本人は死んだ学びから脱却できないのではないかと思います。

さて、
なぜ集団心理が起きるかというと、人は不安を持つ動物だからでしょうか。
不安を避けようとする、というのは、人が生きていく際の基本的な戦略です。
そうしないと、危険を回避できない可能性(率)が高くなるから。
安全確保のために、不安を避けようとするのは人にそなわった基本的な知恵のようです。

ところが、その「不安」には度合いがあり、人によって異なる。

「なあに、大丈夫」(なんとなく気分で豪語)

という人もいれば、

「トイレットペーパーは国内生産が90%だし資源も国産。だとしたら中国からの輸入がとだえて買えなくなる、というのはデマだろう」(おそらく)

と、合理的に分析する人もいます。

もともと不安をあまり抱えることのない人で、

「まあ、なくてもそう困らん」

という人もいます。

「むかしは、新聞紙を手でもんで(しわくちゃにして)な、それでケツをふいとったぞなもし」(自慢)

だそうです。(実話)
不安な人は、そこまで考えることはないでしょうが、この方のように、不安をもたなければ、泰然自若としてスーパーのがらんとしたペーパーのコーナーを素通りできますね。

わたしの実家には、オイルショックのあと、かなり長い間、サランラップがありました。
幼いわたしが
「なんでこんなに、サランラップばっかり、うちにはあるんだろう?」
と疑問を抱いたところ、母がため息をつきながら、
これは、長身だった父が腕(リーチ)の長さを生かし、懸命に腕を伸ばしてつかみとり、スーパーでの争奪戦をしのいで買って帰ったサランラップなのだ。
と解説してくれました。

母は、山のように積まれたサランラップを返品する勇気もなく、10年以上の間、親戚に配っても減らず、見るたびに買ったことを後悔したそうであります。(実家の母の談話より)

たしかに、わたしも、かつての台所の戸棚が大量のサランラップで占拠されていたのを、記憶のかなたにおぼろげに覚えております。(そのころのサランラップは、黄色に赤と緑のデザインだったナ)

こう考えると、小学校で習うべきなのは、

国語、算数、理科、社会、道徳、家庭科、体育、音楽、図工 の9教科ではなく、

不安心理、集団心理、国語、算数、料理、遊び、合理的な思考 の8教科にすべきではないでしょうか。

そして、そんなに急いで中学へ行かず、小学校を10年間に延ばすというのはどうでしょう。
中学校で部活・スポーツに血道をあげるのも、もちろん楽しいことには違いないのですが、小学校時代にもっと遊ばねばなりません。多くの子どもは歓声をあげて、この意見に賛同してくれると思います。

わたしは栄えある日本国民の一人として、光彩輝く未来の教育を思い描きながら、上記のように、さよう、進言します。

桜前線という言葉

うんと小さな子どものころ、等圧線のぐにゃぐにゃした線が面白い、と思っていた。
保育園くらいのころだったろうか。

父が熱心にひろげたりめくったりする、大きな紙があった。
父は毎日のようにそれをバサバサと広げたりたたんだりして、でかい食卓テーブルを占領するのである。そして読みながら、上機嫌で声を出したり、あるいは会話を母と交わしたりする。

わたしも、父のまねをして、その広い紙をしばしば眺めていた。
新聞のむずかしい漢字の羅列は読めない。
だから、「字」以外を探した。

左上の漫画と、あとは気象衛星ひまわりの例の天気図が、まあ『字以外のもの』であった。
そこには毎日のように奇妙なぐにゃぐにゃした線が現れたり、まあるいたくさんの種類の記号に、ヘンな羽のようなものが書かれたりして(今考えると風速の表示だったろう)、なかなかに興味をひくしろものであった。

ある日、それと似たようなぐにゃぐにゃした線がテレビにもしばしば表示されることを知った。
その線の奥には、細長いバナナのような形がある。
「これは日本なのよ」
と母は言い、
「地面がこんな形をしている」
という説明をした。

そして、あら、明日は雨がふるかもね、と驚いて見せた。

その画面をみると、明日が雨なのかどうか、わかるというのである。
わたしは衝撃を受けた。
たしかにテレビには、たくさんの傘マークが表れ、おじさんが
「明日は雨になるでしょう」
とちょっと気の毒そうに言うのだった。

わたしは大人がこうして明日の天気を把握している、という事実にも衝撃を受け、
「なぜ子どもにだまってこんな大事なことを大人たちだけで独占しているのか」
と憤り、叫びたいような衝動にかられた。

しかし、これは姉によると学校へ通えばわたしにも教えてもらえることだったらしい。
人類平等に、誰でもかならず教えてもらえるのだ、と姉からそれを聞いてわたしは安心した。



ところで、その後しばらくたったあと、
母が、
「あら、来週は桜が咲くわ」
と言った。
それも、例の、日本地図を見て・・・。


えっ?
わたしは驚いた。
そんなの、わかるの?

そうなのだ。
なんと、太陽と雨のことだけではなかったのだ。
その地図表示をみていれば、

桜が咲くことがわかる、というのである!


夕方、テレビ画面で天気予報を見た。
母の解説がはじまった。

すると、たしかに日本の南の方から、徐々に、徐々に、桜がやってくることが示唆されている。
気象予報士のおじさんが
「3月25日には、さくら前線が東海地方を通過するでしょう」
と満悦しきった表情をうかべた。

母が
「ほら、ここに線があるでしょう。この線が家まで来ると、桜が咲くのよ」
とこれも自慢げに言った。
わたしは巨大な風のカーテンのようなものが、青い空をひらひらと勇壮に舞う様子や、それが遠くの空にまでつづいていて、サーっと移動していく様を思い浮かべた。

その風のカーテンは、うっすらと桃色をしていて、カーテンが地面をなでるようにそよぐ。すると、そこらにある桜の木が、パっとその瞬間、開花するのである。

おそらく、そのときである。母に

「かいか」

という言葉を習ったのも。

「さくらのかいか」

というワードは、透き通るようなスカイブルーの下地に、淡いピンク色がじわじわーっと沁みてくるようなイメージを浮かばせる。

3月に入った。
あれこれと不安になるニュースばかり流れてくる。
なにか、気の晴れるようなことがないかしら、と朝から考えていたら、幼いときの思い出がよみがえってきた。

こんな日は、空をみあげるに限る。


sakura
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