30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2019年11月

アイデア商品は生きる力を呼び覚ます

若いころから肩こりと腰痛に悩まされ、健康器具についてはかなりの通(つう)を自認している。
最近見つけたこの商品、見た瞬間、アァーッ!と大声を出してしまった。
こんな商品があったらいいな、と妄想していたのが、実現していたからだ。
諸事情あって、自分としては買わないが、目の付け所はおもしろい。

アイデア商品というのは、見ているだけ面白い。
そして、さらに面白いのは、その商品についているキャッチコピーだ。

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背筋と脚がグーンと伸びる。
引っぱりストレッチでスッキリ!

グーン、スッキリ、という擬音、オノマトペが並ぶ。
擬音やオノマトペに頼りすぎな感じもあるけど、訴えていくポイントは外していない。

寝っ転がってレバーをカチャカチャと動かしている自分の姿を想像するだけで、自分自身がなんともけなげで、いとおしい存在であるか、再確認できるような気がする。




次は、履くだけお掃除。
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わたしが十代のころからある商品だから、商品としては異例のロングヒットであります。
昔から、人が考えることは変わらないのだなあ、と思うとともに、これを履いて、あちこちのごみを探してうろうろと歩き回っている姿を想像してみるのが楽しい。ま、実際にはちっともごみは取れないんだけどね。そんな感じがする、というだけで。えッ、これ10枚組なの?・・・。


さて、お次はお風呂。
お湯を自動で沸かしたい。そのために、こんなグッズを。
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あらかじめ、設定しておいた時間に、ボタンを押してくれる。
代わりに押してくれている、と思うと、この小さなプラスチックの塊が、なんともいとおしくなってくる。


最後は、階段。
階段をエスカレーター風にした、というだけのアイデア。
横から見た人には、エスカレーターに見えるんだけどね。実際は歩くんだけど。
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これ、階段を歩いているときに、いろいろ考えちゃうよね。
「最近、おれって歩いてないなー」とか。足の筋肉鍛えなきゃな、とか。おれっていつも、なにかに期待してるんだな、とか・・・。座禅でも組みたくなる。



こういうアイデアが生活にあふれていると、なにかしら、生きていること自体が楽しくなってくる。

わたしは休日の朝、こういうアイデア商品が新聞の広告にまぎれているだけで、一日が楽しく感じられる。ま、結局、諸事情により買わないんだけどね。




【6年社会歴史授業】焼き場に立つ少年 再び

またこの時期がやってきた。
6年生。
社会、歴史の授業。

『太平洋戦争』について。


授業の最初に、この写真を見せました。
しーん。

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日本は、アメリカ・中国などと戦争をしました。
この写真は、その戦争が終わったすぐ後に、長崎で撮影されました。

撮ったのは、アメリカ軍のカメラマンであるオダネルという人です。

この写真に、なにが見えますか?

「男の子」
「男の子が、小さな赤ちゃんをおぶっている」


まだ、なにか分かることや気づいたことはありますか。

「男の子の足は、はだしです」
「背中の赤ちゃんは、寝てる」


なんではだしなんでしょう。

「戦争で、なくなってしまった」
「どこかにいってしまった」
「急いで逃げてきたのかもしれない」


読み取った情報や、自分がそこから考えていけること、類推すること、背景として想像できることなどを、ノートに書かせた。

時間を十分にとったあと、ノートに書かせたものを元に、意見をだしあう。

おうちの人はどうしたのだろう

「お母さんも、長崎だから原子爆弾で被害を受けて亡くなったのかもしれない」
「原子爆弾じゃなくても、戦争中だから、死ぬことがあったかも」


長崎にも、外国人が攻めてきた、ということ?

「元寇のときは、外国人が上陸したけど、長崎にも上陸したのかも。」
「空襲があったのだと思う」


空襲ってなに?

「飛行機から、爆弾がたくさん落とされた」


日本の各地で、どれほどの空襲があったのか、資料集をみて、そこから情報を読み取る。
日本中、あちこちで空襲があり、大きな都市はほとんどが空襲を受けて被害をうけたことがわかる。

「長崎は原爆だけでなく、何度も空襲があった」
「きっと、この子は、アメリカや中国を憎んでいると思う。だから、兵隊になりたかったのかもしれない」
「だから姿勢がいいのかも」


子どもたちは、あれこれと自分自身におきかえながら、この子の心の内にまで想像をふくらませていく。

「歯を食いしばって、立っているようだから、きっとなにかとても我慢をしていると思う」
「お母さんが亡くなったから、我慢をしているのだろうと思う」
「背中の赤ちゃんが元気がないのは、食糧が不足していたのだと思う」
「栄養不足だったのだろう」
「たぶん、お母さんもいなくて、自分が赤ちゃんの世話をしないといけないということは、二人兄弟か」
「お父さんもお母さんもいないということは、学校には行けていないと思う」



あれこれと討論が終わって、この子をとりまく状況が分かってきたような感じのところで、

「この写真につけられたタイトルを教えます」

といって、
「焼き場に立つ少年」

と黒板に書いた。

しばらく、しーん。



背中の赤ちゃんは、もう亡くなっていたそうです。この子は、この赤ちゃんを火葬してもらうために、順番を待っていたのです。これを撮影したカメラマンが、この写真について書いています。この少年は、ずっと順番を待つ間、まっすぐに前を向いて、気を付けの姿勢をくずさなかったそうです
当時は、軍国教育でした。
どんな教育だったのでしょう。なぜ、ずっと気を付けをしていたのでしょうか。

「死んだ人が前にたくさんいるから、気を付けをしていたと思う」
「そうしないと、殴られたりしたのかも」
「気を付けをしていないと、叱られるからか」
「まわりに兵隊さんがたくさんいて、気を付けをしていたから、大人と同じように気を付けをしたのでは」


この赤ちゃんはなぜなくなったのでしょう。食糧が不足していたというけど、なぜそうなってしまったのでしょう。

「戦争で戦っている兵隊さんのために食糧を出していた」
「食べるものはほとんどが、軍隊のためにもっていかれたのでは」
「戦争で空襲があって、つくっているひまがなかったと思う」



用意していた、いちばん大事な発問をした。
少年はなにを見ているのでしょう。

「死んだ人の山を見ていると思う」
「焼けた自分の街をながめているのだと思う」
「なにも見ていない」


なにも見ていない、といった子に、どういうこと?

と尋ねると、

「たぶん、気を付けをしなきゃと思って立っているけど、立っているだけでやっとなんだと思う。だから、そのまま、もう何も心には入っていないと思う。目はあいているけど、なにも見えていないんだと思う」



最後に、この写真を撮ったカメラマンの手紙を読んだ。

長崎では、まだ次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。死体が荷車に無造作に放り上げられ、側面から腕や足がだらりとぶら下がっている光景に、わたしはたびたびぶつかった。人々の表情は暗い。

焼き場となっている川岸には、浅い穴だけが掘られている。水がひたひたと押し寄せていた。灰や木片、石灰が散らばっている。燃え残りの木片が、風をうけると赤く輝いて、熱を感じる。白いマスクをつけた係員がもくもくと、荷車の先から、うでや足の先をつかんで、引きずりおろす。そして、そのままの勢いで、火の中に放り込んだ。死体ははげしく炎をあげて、燃え尽きる。
(中略)

焼き場に、10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせていて、ぼろを着ていた。足は、はだしだった。少年の背中に、2歳にもならないような幼い子がくくりつけられていた。その子は眠っているようだった。体にも、まったく傷がなく、やけどのあとらしいものも、みえなかった。

少年は焼き場のふちに進み、そこで直立不動になった。
わきあがる熱風を感じていたのだろうが、動じず、そのまま動かず立っているままであった。
係員がようやく、その幼子を背中からおろし、足元の燃えさかる火の上に、のせた。

炎が勢いをまし、おさな子の体を燃やし始めた。立ち尽くす少年は、そのままの姿勢で立ち続け、その顔は炎によって赤く染まった。気落ちしたように少年の肩がまるくなり、背が低くなったようだった。しかしまた、すぐに背筋をのばして、まっすぐになった。わたしはずっと、この少年から目をそらすことができなくなっていた。

少年は、まっすぐを見続けた。足元の弟に、目をやることなく。ただひたすらに、まっすぐ前を。
軍人にも、これほどの姿勢を要求することはできまい。

わたしはカメラのファインダー越しに、涙ももう枯れ果てた、深い悲しみに打ちひしがれた顔を見守っていた。わたしは思わず、彼の肩を抱いてやりたくなった。しかし、声をかけることができず、そのままもう一度だけ、シャッターを切った。

すると少年は急に向きをかえ、回れ右をすると、背筋をぴんとはり、まっすぐ前をみて歩み去った。あくまでも、まっすぐ。一度もふりかえることなく。

〇この子はこのあと、どこへ行くだろうか。
〇大人になって、何をしているだろう。

最後に、感想を書かせた。

mite! アレナスの鑑賞授業やってみた その2


さて、前回のつづき。

アレナスのティーチャーズキットを使って、鑑賞の授業をやってみた。
基本方針は、

「討論になりうる要素をできるだけのがさず焦点化し、討論にもちこみ、わかりやすく<一人では鑑賞できなかった要素を感じ、対話しながら鑑賞することの楽しさをしる>ことができるようにする」

である。

題材は、キット1。(小学校3,4年生)を使った。

Lesson1は、あまりよくないことが前回の体験から分かっているので、無難な2から。今年の子は、まだ初めてだし。

1枚目⇒ピエール・ボナール<画家の妹>
2枚目⇒国吉康雄<仔牛は行きたくない>
3枚目⇒ワシリー・カンディンスキー<赤色の前の二人の騎手>

1枚目で、20分使ってしまった。
2枚目をはしょって、10分。
3枚目は、10分。

合計で、40分。
事前の説明と質問に答える時間が5分あって、合計45分。みじかっ!



さて、1枚目を出す。
赤い色のスカート、さまざまな緑の、色合いが豊かな背景。
かわいらしい犬。
つかみはOKだ。

すぐに、下の方の赤やオレンジの花が目にとまったようで、

「ぼくたちが描いた、春の、桜の花びらみたい」

と反応した。

この後、すぐに<討論>っぽくなった。

あれは落ち葉だ。
ということは、この絵の季節は、秋だ。
いやちがう、落ち葉でなくて、下の方から、花が咲いているのだ。
だから、春だ。

秋だと思う人。(挙手をうながす)
春だと思う人。(挙手をうながす)
半々。

ここらですでに、ちがう意見が出てきましたね。

もっとないですか。
(あれこれと意見が続出)


結局、縦に黒い線がスッと入っているように見えるから、あれが茎なのだ。だから、あれはやはり落ち葉やなんかではなく、花が咲いているのだ。

という、「物的証拠」が出てきて、それに落ち着いた。
ただ、そういう意見が連続して出てきただけで、

「じゃあ、このクラスの意見として、この絵は春、ということですね」

・・・というまとめ方はしない。
まとめることが目的なのではなく、異なる意見が場に出てきた、というだけでもう十分だからだ。

また、下の落ち葉(いや、花)に呼応するかのように、上の方から、葉っぱが落ちてきているから、風がふいてきているのだ、というように、<風>のことも話題になった。

「絵のなかに、風がふいている」

そういうことを、何人もの子が発言する。

「枝もそういう方向に、ゆれている気がする。」

なるほど。


次は、女の人に焦点化。

「女の人の表情が、ちょっと悲しそう。」

と出た。

ここで、

「では、女の人にちょっと焦点をあてて、どうですか。女の人、なにをするところなんでしょう」

とふってみると、教室の半数以上が挙手をする。

してみると、やはり、ストーリーのような展開が、子どもには自然なのだろう。すぐに、女の人の物語が、脳裏に浮かぶようである。

これも意見がたくさん出てきそうで、しかたなく、途中で、

「じゃあ、もう少し、今度は隣の人に、自分の考えた物語のつづきを、しばらく話して聞かせてあげてください」

ということにして、そのまま2分ほど放置しておいた。
ずっとお隣さん、子どもどうしで真剣に話し合っている状態が続き、これはこれで、なかなかめずらしい風景が教室に生まれたことになった。

「おとなりさんに、いいお話ありがとう、と言ってください」

「はーい。たのしい話、ありがとー(口々に・・・)」


左手に持っている籠の中身が気になり、犬と遊ぶためのボールだとか、青リンゴだとか、お見舞いの品だとか、地面に置いてあるとか、いや、手に持っているだとか、ともかくも意見が連続して止まらない。

そろそろ、と思って2枚目へ突入。
その直前に、

「これは、絵を描いた画家の、妹さんの肖像ですよ。そして、この絵は、なんと日本の美術館にあります。ずっと飾られていて、本当に多くの人が、この絵を見て、いろんなことを思ったでしょうし、きれいだなと思ったでしょうし、いろんな具合に、楽しんできました。」

とだけ、話しておいた。
このように、作品についての情報を、ほんの2言、3言、追加しておく。
すると、子どもの気持ちに、

「ああ、自分たちが今、言い合ってきたことは、勝手な言い分であり、作者はきっともっとちがうことを意図したいたのにちがいないだろう。さらにいえば、大勢の人が、その大勢の人の分だけ、たくさんの感想をもったのだろう」

というように、「自分の感情の肯定だけで満足する世界」からの脱却を促す。

さて、2枚目。
これが、また暗い絵である。
しかし、できるだけさまざまな絵を見せるのが、美術教育の本道である、と考えて、歯を食いしばって、進んだ。

すると、やはりおそろしい雰囲気がするらしく、

「この男の人は、ヤギが嫌いなのだ。それで、ヤギを殺そうとしている」

という、殺伐とした推測が出てきた。

しかししばらく話をしていると、

「上の方に、煙のようなものが見える。だから、あっちの家が火事になったので、ヤギを救って、こっちの家にはこんできたんだ。だから、あの人は、別にヤギのきらいな人でなく、むしろ、救おうとしているやさしい人だ」

とまったく正反対の意見が出て、

「なんか、さっきとぜんぜんちがうことになった」
「本当はやさしい人」
「え~、みんなそう思うの!」
「いや、ぼくはまだこわい人に見える」

と面白いことになった。

「正反対の意見が出ましたね。大勢で話をしていると、こんなふうに、自分の考えとはまったくちがうような、思いもかけない見方が聞けるんだねえ」

と感にたえたように言うと、教室に

「そうだなあ」

という空気が生まれた。
あとで思うと、これが、クライマックスであったように感じる。
つまりは、このことに結び付けたくて、この題材を選び、この方法でもって、このような鑑賞授業を仕組んだのだ、ということになる。

最後に、また「ちょっとした社会的な意義づけ」を行う。
「実はね、この作品には、題名があります。<仔牛は行きたくない>という題名です。」

すると、すっかりヤギだと思っていた子どもたちから、
「えー!!」



次が3枚目。

カンディンスキーは、抽象画の天才。
そのカンディンスキーの若いころの作品だ。カンディンスキーの後半生に描かれた抽象画と比べると、若いころ初期の作品なだけあって、まだまだふつうの絵画として見られる。馬と分かる絵だし、親しみのある絵だ。

でも、実は不安だったのです。
やはり、どこか抽象的で、絵のようで絵じゃないような・・・。不思議な絵なので。
子どもにとっては、こんな絵を見たことがないだろうから、驚いて、なにも言わずに絶句してしまうんじゃないかな、と思ったところ、杞憂でありました。

なにしろ、この3枚目に突入したときは、はやく3枚目がやりたくてたまらない、という集中状態であったためか、3枚目を約1分、しずかに見た後

「じゃあ、どうぞ」

と言っただけなのに、ほぼ全員がすばらしい(天井に向けて垂直な)挙手をしていた。

この3枚目のカンディンスキーの絵では、赤い背景と、白いまるい模様が何なのか、ということが焦点になった。

舞台が砂漠なのか、海辺なのか、ということも。

丸い模様が、水平線に沈む太陽なのだ、だから夕方で、背景が赤いのだ、という意見が多かったが、なかには、これは巨大な月だ、そして右側の青と緑が地球なのだ。これは空想された世界、SFの世界の絵なのだ、という意見もあった。

しかし、きわめつけに、

「わたしはハワイに言った時、同じような色を見た。まわりが赤で、太陽だけが白いのだ。それは夕陽であった。燃えるような空の色だった。おそらく、この二人の騎手は、海辺を走っているのだ。そして、その海辺の浜の、この向こうには、広く横たわる広大な海が寝そべっていて、そこに真っ白に燃える太陽が、しずんでいく様をみることができるだろう」

という女の子の意見が出て、

「実際にみたのなら、それがいちばん妥当な意見だろう」

ということになった。

みんなが納得した空気が流れて、この時間はおしまいになった。

最後に、

「いやあ、一人だけではぜったいに思わなかったことを思ったね」

というと、

「うんうん」

という。

それで、

「最後に、今日見た3枚の絵のうち、いちばん心に残った絵はどれだったか、その理由も含めて、ちょっと感想を交換してください。はい、おとなりさんと」

といって、2分、もりあがって、終わった。

なかなか、ひさしぶりのアレナス対話式、おもしろかったです。

一番の収穫は、やんちゃのYくんが、真剣に討議に参加したり、他の意見を肯定的に聞いて、

「なるほど」

なんてつぶやいていた、かわいい姿が見られたことですね。
やんちゃくんが真剣になっている姿ほど、かわいいものはないですから。




PB100256

mite! アレナスの鑑賞授業やってみた その1


数年ぶりに、mite! の鑑賞授業をやってみることにした。
行事や勉強に追われて、なかなか時間がとれなかった昨年と一昨年。
でも、6年生の担任となり、2学期の後半、行事が一段落してちょっと余裕が出てきたこの時期だから、思い切ってやってみました。

アレナスの本を引っ張り出して、さらっと読むと、またやりたくなってくる。

ただし、以前からひっかっかっていた、アレナスに対しての批判を、幾分でも昇華してから、やってみたかった。
自分の心のうちでも、いくつかのポイントが未消化で、迷いが生じていたからだ。

<アレナス流対話式美術鑑賞の批判点(これまでに聞かれたもの)>

○会話ばかりでいいのか
○なにが見えますか、だけでいいのか
○最初から最後まで自分の感覚中心に絵画を見ているだけに陥らないか
○ただ自分の感想を友達と交換しあっているだけにならないか
○絵画には、描かれた時代の感性や、その画家の個性や、それが鑑賞されてきた歴史など、様々な文脈があるが、そうしたものを知る、ということがないがしろにされている。
○自分の感想を相対化することができていないのではないか。


とまあ、こうした批判があり、自分でも数年前に奥村さんの講演を聞いた後に授業をやってみたり、研究してみたりしながら、

「うーん、ただ、言い合っているだけなのかもしれないなあ」

と不安を抱いたことが正直、あるのだ。


ただ、今回は、上野先生が書かれた、mite! のまえがきにあった一文が目にとまり、それに励まされてやろう、という気になった。

「子どもを有能な存在として認めること」

「自分とはまったく別の思いもかけない考えを聞いてはオドロキ、自分の考えみんなに受け入れられてはその歓びを知る。そのスリリングな面白さ」



なるほど、シンプルだけど、これは、<自分の感想を相対化する>ができている、ということになるんでないの。

子どもどうしだから、大人の視点は入らないかもしれないが、子どもどうしだって、異なる意見や、まったく別の見方が出てくる。それを、お互いに説明し合い、さらにはそう考えた理由を、題材からさがして理由づけをしたり、討論のようになる場合だってある。

「討論」になりうるのだ。

これは、<自分たちの意見を、ただ肯定的に見て済ましている>、という世界とはまったく別なんじゃないの?

そう思った瞬間、すこしだけ、霧が晴れた気がした。

「よし、討論に近い場が創出されるように、ファシリテートしていこう」

これが、基本方針になった。

(つづく)




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【道徳】「わからなくなる」ための問題とは

対話ができるようになるためには、「わからなくなって頭の中が白くなる」ことが重要です。
その体験を生み出すための、しかけが要ります。

わかりやすい道徳の授業として、下記を紹介します。
道徳の授業プランに、近頃流行しているのが、「どう、解く?」のシリーズである。
ポプラ社から、児童向けの単行本が発刊されている。

良い点は、すべての学習問題を、「比べる」要素で構成しなおすことが可能なことだ。

(※参考:「比べてみよう」の指示の価値)

以下は、比較するために有効な、学習問題の文。

〇ついていい嘘と、ついちゃいけない嘘と、どう違う?
〇人数が多い方が正しいのか、少ない方が正しいのか?
〇殴ってよいのは、正義のヒーローか、悪役か?
〇殺してよいのは、蝶か猫か?

など。
「比較する」作業は、子どもにとっては、とっかかりやすい。
これは授業の仕組みとして、有効な手段だ。

中にはけっこうドギツイ問題もあるから、授業をするのに躊躇するくらいだが・・・。
しかし、子どもは生きている。現代社会に生きている。これからも生きてゆく。
こういう問題を、考えてきた子と考えなかった子では、やはり違いも出てくるだろう。

さて、下記は実際に行った授業展開 ↓ です。
参考になりましたら、これ幸い・・・。

〇発問:嘘をついてもいいかどうか

子「だめ」
子「ときと場合によるんじゃ」
子「やむを得ない場合はOKかも」

〇発問:やむをえない場合とは?

子「誕生日でサプライズのときとか。わたし、知らないよ~ってフリをするでしょう」
子「なにか誘ってもらったとき、その気がなくても、いいよーってついていくときがある」
子「プレゼントもらって、いい色じゃなくても、あ、うれしいー、ありがとうーって言う」

〇発問:ついていい嘘とついちゃだめな嘘とのちがいは?

子「相手のためになる嘘ならOK」
子「相手を傷つける嘘はだめ」
子「周りの人に迷惑をかける嘘はダメ」
子「信頼をうしなっちゃうほどのはだめ」
子「とりかえしのつかない嘘はぜったいダメだと思う」

↑ 上の意見をみていて、ある子が

相手のためになる、と考えている時点で、それはもう、嘘というより本音に近いのでは」
「どういうこと?」
「もう、やさしさが充満しているようだから、相手のことを願ってのことだから、その気持ち自体は、もう嘘とはいえないと思う」
「ふーん」(わかったようなわからんような・・・)


〇発問:では、「相手のためになる嘘は、ついてもいい」の?

子「いいと思う」
子「必要だと思う」
子「でも、本当に相手のためになればいいけど、そうでなかったらイヤだな」
子「あなたのため、と言いながら、逆に迷惑をかけたりして・・・」
子「それは、いやー」
・・・
子「相手のためになる、というの、本当にそうなのかどうか、判断できない」
子「してほしくないことを押し付けられるのもいやだね」
子「相手のためになると思っていても、ちがうかも」


〇発問:相手のためになるかどうか、どうやったらわかるの?

子「聞いてみなくちゃわからない」
子「本人に、確認してみないと」
子「でも、本人も気を使って嘘をいうかもね」
子「お互いに、相手のことを思って、遠慮しあう感じかも」
子「めんどうだなあ」
子「こうしようと思うけど、どう?、と聞いて、本当の気持ちを言ってもらうのがいい」
子「本当の気持ちを言ってくれない場合は、どうなるの?」
子「本当の気持ちを知りたいから、本当の気持ちを言ってね、と最初に言うべき」
子「同じクラスの子なら、本当の気持ちを言えると思うけど。ほかのクラスの男子には言わないかも」
子「日頃のつきあいのレベルによるよねえ」
子「そうそう。日頃のつきあいが大事だ」
子「ふだんから、ちゃんと話したり、会話している子ならOK」
子「初対面の子には、本当の気持ちを言えないと思う」
子「中学で別の学校から来た子には、最初は言えない」
子「お互いにいいな、と思えてから初めて、本当の気持ちを話せる」
子「時間がかかるんだよ。人間関係は・・・(白目)」


結論は、

ふだんからのコミュニケーションが大事

となりました。

授業後、焼き鳥の好きなAくんが、わざわざ私のところへ来て

「先生も、S先生とかといっしょに、飲みに行けば?」

ワタシ、それを聞いて・・・『お、おおう、』と不器用な反応しか返せませんでした。

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【道徳】対話になるかならないかは〇〇にかかっている

対話するためには、何が必要か。
それは、「あれ?本当に、おれ、わかってないな・・・」という体験だ。
「自分はわかっている、知っている」という意識が少しでもあれば、対話にはならない。

文科省は次代の教育の根幹に、「対話」を掲げた。
対話するためには、本当のことを知ろう、という『超絶謙虚』な姿勢が必要条件となる。
つまり、「知っている」という傲慢さを、子どもたちから奪わなければならないのだ。
それが、われわれ教師の使命・・・。

文科省が掲げたテーマは、正しくは
「主体的・対話的で深い学び」
である。

今、必要なのは、主体的に自ら、
「わからない自分」
に飛び込んでいく勇気なのだ。

それを邪魔するのが、
「正しいことを知っている」
というプライド。
子どもにだって、プライドがある。そして、「対話」の邪魔をしている。
だから、授業がつまらなくなる。お互いに発表をするだけになってしまう。
先生たちも、みんなそれで悩んでいる。
「ちっとも対話にならないんですよね」
授業研究会で、真っ先に話題になるのが、このことだ。
意見をすりあわせ、昇華させていくことがないまま終わってしまうという点。
授業では、これを突き崩すための、手練手管が必要となる。

初心者の先生や若い先生がいちばん取り組みやすいのは「道徳」だろう。
成績の優秀な子や、自信を失った子、自己肯定感の低い子ほど、

正しいという価値

にすがろうとする傾向が強いからだ。
したがって、自己肯定感をはぐくむためには、正しさの正体に出会う授業を仕組むしかない。
「道徳的な正しさ」と向き合う授業を、慎重に仕組むことがこれからの教師には求められる。

ところがある意味、この授業は危険である。
教師の方に、〇〇が正しい、という意識が強ければ、授業は不可能だからである。
教師が「超絶謙虚」でなければ、そもそも、子どもとこんな授業をしてはいけない。
ひどい場合には、けっして許されないような「差別」を子どもに教えることになる場合だって起きる。すでに人類は、そのことで手ひどい失敗をしている。
太平洋戦争に突き進む、昭和初期の軍人教育は、道徳的な正しさを突き詰めた先の、「殺人」を教えているからだ。

『鬼畜米英』という言葉。
この言葉を発明し、米国人・アジア人・オーストラリア人他の殺人を遂行したのが先の戦争でありました。

道徳(的な正しさ)をつきつめたら、殺人になっちゃった。

 ↑ これが、対話のない教育の結果、である。
だからこそ、文科省は、『対話』をすすめているのである。
二度と、戦争の惨禍を繰り返さないために。歴史から学んだのである。

鬼畜米英なんて言葉を発明してしまうのは、「正しさ」に依存していたから。
「正しさ依存」というのは、ほとんど逃れようのない、文明の病である。人間は弱いため、すぐに外部評価で自分の価値をはかってしまう。ただの評判(感想)なのに、その評判こそが自分の実体なのだ、とかんちがいしやすい。
自分自身の心に劣等感を抱え、外部評価に飢えた状態であれば、なおさらだ。
周囲から「あなたが正しい(←感想)」と言ってもらえることに依存するようになる。

自分自身に価値がない、と感じている劣等感の強いパーソナリティの保持者であるほど、声高に保証を欲しがる。いわばのどがかわいた砂漠の旅人のようなもので、「自分の価値」を認めてほしいという強烈な欲求をもつ。
自己肯定感の低い子は、麻薬のように、覚せい剤のように、「正しいと言ってもらえる快感」に酔いしれるのだ。
そして、その快感があれば、あたかも自分の自己肯定感が増すかのように錯覚する。
しかし、そこに一歩、つられてしまえば、足を踏み入れてしまえば、底なし沼が待っている。
正しさに溺れ、呼吸困難になり、もう何も考えられない。つまり、「対話の放棄」である。

「対話」は、常に、「正しさ」に寄りかからない、と決める姿勢のことである。
その姿勢でいられるときにはじめて、

「ああ、こうやってみんなで話し合っていくことで、基準を変えながら、判断を変えながら、徐々に徐々に修正しながら、よりよきを願って、進んでいけるんだ」

という実感とともに、自由さの中、ほんのりとした「自己肯定感」が、胸の底からこみ上げ来るのを知るのだろう。それは、「対話」ができるようになった自分、という最強の自分に出会えたことの、よろこびからくる本当の自信なのでありましょう。

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風呂育(ふろいく)がなぜ欠かせないのか

休日の夕方から、ちょっと気になるスーパー銭湯へ行きました。

やすみの日だから、家族連れが多い。

なかに、お父さんといっしょに入りにきた少年がいて、のしのし、と十分に貫禄ある歩き方。
周囲を睥睨(へいげい)しながら、今度はどの風呂へ・・・と思案しつつ、歩いております。

わたしゃ、「お」、と思いましたね。

4、50代のおっさんたちの中に紛れても、まったく違和感のない立居振舞い、目線の置き方、ゆっくりしたテンポ。


少年は、

「ぼくはこういうとこ、慣れてるから」

感を充満させながら、さまざまな風呂を試しておりました。


よく、子どもは自分のテンポで生きておりますから、こういうところに来ると、やたらとはしゃいだり、急いで小走りになったりして、周囲のテンポとずれていることが多いです。

ところがその少年だけは、一歩一歩が、ゆっくりしている。

岩風呂に入るときも、まるで王様のような感じ。

一歩踏み入れて、お湯の温度を確かめつつ、次の一歩をどっしり、と踏みいれる。

背は小さいから、そのたった2歩だけで、身体はほとんど湯にうもれてしまいますが、大事なのはそのテンポです。

周囲のおじさんのテンポをかき乱すようなことなく、目線の配り方も悦に入っていて、きょときょとしない。子どもが不安を目にあらわすことは多いですが、それがなく、目が満悦しきっている。

すでに堂々たる大物ぶりです。

そのからだつきや態度などから感じる人間的重みや風格、身に備わった威厳は、もはや8、9歳のシングルエイジャー、という事実を超えておりました。


「このくらいでないと。」

わたしは、風呂の空間を、彼のためにちょっとだけ心持ち譲り気味になりながら、思いましたね。

こういう風格が身に付くためには、彼のように、ほぼ毎日、この温泉に通わなければならないでしょう。
大事なのは、積み重ねです。
彼の前では、どんな大人だって、新人です。新入り。
彼は、毎日、ここへ通っているのですから。
いわば、ここは、彼の家(うち)です。テリトリーです。

入れ墨をしたおっさんだって、彼の前では、

「や、あっしも経験が浅くて、まだまだ・・・」

と、つい言いそうになるくらいです。


そんな彼を見ながら、あれこれ感じるところがありました。


考えてみれば、風呂というのは公共空間でありまして、人間にとって大事な、人と人との間柄を学ぶのに、うってつけの空間であります。

ここで、彼のような人材を育てるために、できることがあるのではなかろうか、と。

「風呂育」(ふろいく)

と言う言葉が、頭に思い浮かびました。

○○育、ということばがずいぶん前に流行りました。(今はどうか知らんけど)
食育とか木育とか水育とか・・・

今、調べてみると、リンナイ、という会社が、すでに「風呂育」を提唱しておりました。
ただそれは、自宅の風呂をテーマにしているようで、自宅でのマナーを学ぶことに重点を置いているようであります。

わたしの言うのは、公共の風呂での、風呂育です。
○子どもが大人のテンポで風呂に入ることができる。
○となりの人の背中を流してあげることができる。
○風呂桶を元に戻すことができる。
○あわを排水溝へ向けて、流しておくことができる。
○サウナの入り口で、うまくすれちがうことができる。
○ほかの人の体と対面したときの、目線の置き方を心得る。


まァ、さしあたり、この6項目を基本理念として提唱しておきたいですな。

大事なのは、最初の項目です。
○子どもが大人のテンポで風呂に入ることができる。
これは、なかなか難しい。
子どもが、おとなのリズムを理解して、それで立居ふるまうのですから。
それを習得するのは並大抵ではない。2,3年の修行でも足りないかもしれない。5年、10年、と毎日風呂に入っているうちに、本人が40代になってしまうかもしれない。

あとは、目線の置き方でしょうね。

じろじろと、股間を見つめてくる子どもに、動揺したり、狼狽した経験は、大人ならだれしもあるでしょう。

公共空間で、さもめずらしいものをみた!、という感じで、感心しきって股間を見つめてくる子どもには、もう、どうしたらいいか、分からない。

furo

心のエネルギーを育てる水彩画とは

ずっと、谷内六郎さんの絵は、油彩なのだ、と思っていた。
それは、私が子どものころに親が買っていた「週刊新潮」の表紙を見ても、そう思っていたし、その後もどこかで見かけるたびに、油彩だ、と思いながら見ていた。

しかし、それが、水彩だと知って、あらためて衝撃だった。
厚紙に、水彩。
たまにろうけつ染めや、レース布を使ったり、和紙を使う作品もあったようだが、ほとんどは水彩だったそうだ。

谷内六郎
谷内さんの作品集があったので、じっくり見せてもらう機会に恵まれた。

雪。
空。
それも、夜の空。
夕方、夕暮れの空、雨の空。

どれも、油彩のように、厚ぼったく、丁寧に、ていねいに、塗り当てられている。
色が、重ねて、重ねて、置かれている、ように見える。

谷内六郎さんの色づかいは、しんしんと、ふりつもる雪をかくときや、夜の空を描くとき、古い塗り壁の色の変化を描くときなど、とても水彩とは思えない、奥深さや背景を感じさせる。
油彩だろう、と思いこんできたわけだ。


私が、水彩のことを、きちんと知らなかったのだ。
自分の小学生のころからの体験で、水彩というのは薄く、水で溶いて、サーッとうすくぬっていくもんだと思い込んでいた。
NHKの教育テレビで水彩画教室をやっていたが、そこでもまた、絵の先生が山の景色を、木の枝なんかを、淡く淡くサッサッサーと塗っていた。

そういうものだ、と。
水彩は、淡いものだ、油彩のように、あつぼったく、塗りこめていく、色をかさねていくのではない。チューブからひねり出したものを、そのまま塗っていくものでは、決してない、と決めていた。

こうするものだ、と決めていたこと自体が、思い違いだったわけだ。
決めつけられないものを、決めていた。それが、間違いであった。


要するに、私は、こういう絵を、こどもに描かせたい、と思ったのだ。
筆をおくたびに、集中した心が、あらわれてくるような絵。
色が、ガツンと、表示されるような絵。

淡い水彩、ペンキのように、サーッと塗る水彩画は、大人になって趣味でやればよい世界。
この子たちの、心のエネルギーを育てる水彩画は、谷内さんのような、渾身の気持ちが込められるような、絵だ。

まるで油彩のような、絵。
「見つめて描く」絵。

谷内六郎さんは、病気がちで体が弱かった。
呼吸器のことで、何年も、治療に専念したという。

「いつ死ぬかわかりませんでしたから、一枚一枚が遺作になるわけです。ですから、いつ死んでもいいように、遺言みたいなつもりで描いていました」
という意味のことを、あるところでおっしゃったそうである。

一つ一つ、筆をおく。生涯本気で描き続けた渾身の色づくり、である。そのときの、集中度はいかばかりであったことか。

学校でやりたいことは、たくさんある。
図工の授業、じっくりと、やっていきたい。

わが子がモテるようになる秘訣

わが子が進級すると、親としてはいろいろと聞きたくなるものです。どんなクラス?先生はどんな人?友達はできた?

興味や関心を親が示してくれるので、子どもとしては、そういう会話は楽しいようですね。
きっと、次の日も学校から帰宅すると、さっそく報告してくれることでしょう!

おうちの方としては、この報告を、親が今やっていることの手をとめて、うなずきながら、笑いながら聞けたら最高ですよね。子どもはうれしくてならないと思います。
学校からの帰り道、子どもは「今日はこのことをお母さんに言おう」と、なんとなく思い浮かべるようになるかもしれません。

先生がほめてくれたことを子どもが言うことがありますネ。
「今日、わたしが帰りに窓を閉めたら、ありがとうって言ってくれたよ」「先生が、そうじが上手だねって言ってくれたよ」
大いに共感して聞いてあげますが、これはほんの序の口です。

一番、興味を持つのは、子どもが他の子の良さを口にしたときです。
「うちのクラスのTくんは、ぞうきんの絞り方がすごいんだよ。パワーがすごいから、かたーく絞れるんだよ」

「あ、そう」というだけで終わらせず、「今の話、もっと教えて」と、くわしく話してもらいます。
そして、
「みんな誰でも、自分がすごいっていうことを言いたがる人が多いけど、今の話は、友達がすごいっていう話だったよね。Tくんも、きっと嬉しいと思うし、そう思ってくれるあなたのことを好きになってくれるよね」


つまり、子どもがクラスの子と、気持ちの上でつながっていけるように考えるのです。親は、子どもの話をききながら、『人生の何に価値があるのか』を教えています。教えている自覚があるかないかは関係なく実際は教えている。子どもは親の関心そのものから学ぶのです。

常に、子どもが友だちとの関わりを深めていけるように、親友ができますように、と関わるようにしていくと、中学に入る頃、その恩恵が10倍になって戻ってきます。
小学校の6年間で、友達ができるようにと配慮してきた経験がすべて生きてくるので、思春期にある悩みや不安も、きっと仲の良い友達と本人とが励まし合って、勇気をもって解決していきます。
小学校で少々のトラブルがあっても大丈夫。それはすべて「必要な学習」です。

友達のよさを感じ取れる子に育っていれば、1週間のうちの1日がケンカで終わっても、結局は仲直りして、かえって絆を深めることになるのです。小学校で練習していれば、中学高校という難しい時期が、難しくなくなります。必要な学習を、事前にやっている、と考えたらよいのです。

そういう意味で、子どもは周囲の大人から学び続けています。
人間はいいものだ、と心の底で感じている親であるかどうかは大きなことなのです。

「嫌われるかもしれない」と恐れるのではなく、「より良くつながれるかもしれない」と思えるかどうか。人に対しての親の意識のあり様を自問することです。

子どもが、友達への誕生日プレゼントをつくっている現場を見たら、最高のものを見た、というような感動があるでしょう。誰かが喜んだり、助かったり、誰かの役に立つから自ら進んで動いた、という場面こそ、価値を見出しておきたいものです。大切なのは、そうやって動いたときにたとえ失敗しても責めないこと。

給食当番でなにかを運んでいるとき、クラスの仲間のためにしていることなのに、こぼしてしまうことがありますね。それを責められたらどうでしょう。「あら残念!こぼしちゃったね。片づけよう」だけでいいのです。「こぼしたけど、きれいに拭けたねえ」で笑顔になれますね。

(親向けのおたよりに載せたもの)

DSC_1613

5年国語光村図書 『なまえつけてよ』その2

★2020年バージョンの記事を追加しました。こちらです。

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★第三場面★
勇太って、こんなところがあるんだ。

Dくん。「こんなところって、どんなところか」

シャイなだけじゃなくて、人にプレゼントするくらい勇気のあるところ。
春花の気持ちを想像して、なぐさめてくれようとしてくれるところ。
ちょっと面白い行動をするところ。

ついでに、わたしから発問した。
春花は、この紙で折った小さな馬に、なんていう名前をつけるだろうか。

アルプス。
岳。
春馬。
春太。
勇太。

今は、子馬のことよりも、すでに勇太のことの方が、春花にとっての大きな関心事に変わってきている。そんな予感をさせながら、物語は終わっている。

最後に、一番大事だと思われる発問をした。
勇太は、この出来事(紙で折った馬を渡す)のあと、春花への関わり方を変えるだろうか。

どちからというと、この話は春花の視点から、語られているから、子どもたちも自然と春花の心境を想像しながら、読み進めていくだろう。ところが、最後に、勇太視点で、再度考え直すことにする。
勇太の視点で書かれた描写は少ないから、その少ない材料をもとにして、勇太の考えを子どもたちに想像してもらうことにした。

子どもたちは、少ない描写を手掛かりに、理由をつけて意見を出した。

〇やはり恥ずかしい気持ちがあるから、変わっていったとしても微妙だと思う。
〇これをきっかけに、春花に対してやさしいことをしてくれる機会が増えると思う。

どちらにしても、子どもたちはこれまでの叙述をもとにして、考えを出し合っていた。

紙の馬

5年国語光村図書 『なまえつけてよ』その1

★2020年バージョンの記事を追加しました。こちらです。

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★第一場面★
「Aくんが、ちょっと不思議な感じと言ったけど、どこかわかる?」
  最初の場面に限定して、問う。
  おばさんと子馬に手をふると、春花は歩きだした。歩きなれた通学路だ。けれど、まるで知らない道を歩いているような気がしてくる。


ここ、気になるよね。
歩きなれた通学路なのに、はじめての気がしてる。
なんでだろう?

発問。(春花の感じた)知らない気がしてくる、というのはどういう感じか。

人生でも初めてのこと。
これまでやったことがない。
どうしたらいいか、わからない感じ。

★第二場面★
次の日の放課後、牧場のさくのそばへ行くと、前の日と同じところに子馬がいた。春花は、子馬をながめながら待った。もしかして、勇太は来ないかもしれないな。
なめらかなたてがみ。真っ黒な目。時間がいつもよりゆっくりと流れていく。

Bくん。「なんで時間がゆっくりなのか」

時間がゆっくり、と作者が書いているけど、本当はどういうことを読者に伝えたいんだろうね。
主人公春花の心の中は、今、どういう状態なんだろう?

目の前の馬に、夢中な感じ。
馬をずっと見ていたい気持ち。
馬ってなんでこんなに目がきれいなんだろう、って思ってる。
馬の気持ちを想像しているところ。

「いいんですー。それなら、しかたないですね。」
春花は、子馬の鼻にふれたまま、明るい声でそう答えた。勇太と陸は、何も言わない。二人とも、こまったような顔をして、春花の方をじっと見ていた。

Cさん。「春花にとっては、すごくざんねんなことなのに、なんで明るい声で答えたのだろう」

もうつけても仕方がない名前を言いたくなかったから。
明るく言わないとなぐさめられてしまうと思ったから。
迷惑をかけたな悪いな、とおばさんに思ってほしくなかったから。
おばさんを責める感じになっちゃいけないと思ったから。
勇太と陸に、落ち込んでいると思われたくなかったから。


ここは、さすが高学年ならでは、の意見がたくさん出てきた。
本当はショックもあるし、なんだ、残念、という感情もあるだろうに、
せめて明るく振舞う、そう見られるようにふるまう、ということが、
高学年のこの子たちにも、ふだんあるのだろう。
同じような体験を持っていたり、想像できたり、するんだろう。

この発問は、かなり子どもたちの発言があった。
ここに、春花と勇太の関係の移り変わりを予感させるテーマが潜んでいると思う。




【道徳】大好きな人から覚せい剤を勧められたら・・・

田代まさしといえば、わたしは「シャネルズ」を思い出す。
世代が分かるナ。

ともかくデビューが衝撃的だった。
顔を真っ黒に塗って出てきたからだ。
そして、湯川れい子さん作詞の、「ランナウェイ」を歌った。

ボーカル鈴木さんの甘い歌声、そしてメンバーのドゥーワップ。
子どもたちは、すぐにマネをした。5人そろったら、とりあえず

「らんなうぇ~、きみがす、き、さー(らんなうぇーッ、えー!)」

と歌ってみるくらいに。
昭和って、なんでこんなに、すぐになにかが流行したんだろうか。
今、流行のない時代と言われて久しい。あの頃のように、国民みんなが限られたチャンネルで、同じものをみて、同じように反応していた時代は、もう二度とこないでしょう。

田代さんは、抜群の音楽センスがあったから、お笑いのボケやつっこみのタイミングが、どんぴしゃだった。志村けんなどと共にコントもこなしたが、お笑い芸人との絡みが、とても上手かった。
ちょうどいいタイミングでつっこむことができるし、いいフォローを入れたり、タイミングが良かった。

同じタイプにドリフターズの加藤茶がいる。彼の音感、リズム感は抜群で、コントでぼけるタイミングや、くしゃみのタイミング、たらいが当たってよろけるタイミング、すべてが他に抜きんでていた。
いかりや長介が著書の中で、
「ドリフの笑いは、加藤茶のリズム感に支えられていた」
と書いた通りだ。

その田代さんが覚せい剤でつかまった。

ところで、本当に、タイミングが重なったのだが、来週わたしは「薬物濫用防止」について、授業をすることになっている。

そろそろ、その授業の内容を考えなくてはならない、と思っていた矢先に、田代さんがまた、また、逮捕。これで5度目、ということである。


薬物の怖さやおそろしさ、なぜやめられないか、人生が破壊される、ということ。
それを子どもたちに

「おそろしいんだよ、人生が破滅するよ」

と、何度繰り返しても、おそらく効果はない。

なぜなら、問題の本当の難しさは、人間関係のことに起因するからである。



薬物の恐ろしさを、何度聞かされていたって、人間関係のことについて、きちんと考えていなければ、やはり人間は弱いのだ。薬物のこわさよりも、こわいのは、人間の弱さ、人間が人間のことをきちんととらえられないこと、自分と他人との関係をきちんと考えられていないことが、こわいのだ。

ためしに

「大好きな先輩から、これ飲んでみて、と錠剤を渡されたら、断れるか」

ということを子どもに投げかけると、

さんざん時間をかけて、クスリの恐ろしさを学んだ直後であっても、正直に、

「もしかしたら断り切れないかもしれない」

と言う。

正直だ。

これほど、かように、人間というのは小さいのである。弱いのであった。



大切なのは、クスリの恐ろしさ、ではない。
そこを見間違うから、「薬物濫用防止!」と教育しても、ほとんど効果が出ないのである。

〇大好きな人から頼まれて断れるか

それに加えて、

〇怖い先輩から命令されて断れるか

〇一生の大親友と思っている子から一緒にやろうといわれて断れるか

〇お金が本当にたくさんもらえたら、断れるか

〇借金していて返すために、と言われたら断れるか

これが、断れないのである。
だから、けっこうこの問題は、闇が深いのである。


これは、自己形成、についての深い、深いテーマなのである。
自己形成について、十分に考えたり、あるいは人生の意味をとらえなおしたり、いちばん大事なのは、自分自身の人間関係のもちかた、とらえ方を、ちゃんと何度もくりかえし、意味を問い、自分で決定して、つくっていけているか、ということ。

そこにきりこむようなことをしないと、

ただ子どもたちと、人生の表面的な出来事として、「薬物」をテーマに話し合ったり考えたりしているだけでは、

まったく意味はないのでしょう。

シャネルズ


1970年代終わりに心理学者ブルース・アレキサンダーが行った、有名な「ラットパーク実験」だった。それは、一匹ずつスキナーボックスに閉じ込められたネズミと、多数の仲間と一緒に広々として遊具がたくさんある楽園に置かれたネズミとで、どちらの方がよりたくさんのモルヒネを混ぜた水を消費するのか、という実験だった。

 その結果、大量のモルヒネ水を懸命に摂取し消費するのは、檻のなかに閉じ込められた孤独なネズミの方だった。広々とした快適な空間で仲間たちとじゃれ合い、楽しむネズミたち、不思議とモルヒネ水を消費せず、見向きもしなかったのだ。

【6年英語】ハロウィン VS 耳なし芳一

小学校できちんと英語を教えられる外国人の方は、とても貴重な存在だ。
だから、もしそういう人がいたら、みんなでうんと大切にしたい。

教師にとってALTは気になる存在である。
急にプライベートな旅行の話をさせろ、と言って授業をしようとしない人もいたナ。
あなたは先生なのだから、授業に協力をしてほしい、と言っても
「めんどうじゃないすか」
と信じられないことを言うALTもいたし、もともと、カリキュラムも教科書も進度もまったく気にしてないALTは、ざらにいる。

ところが、今年度のA先生は、すっごくがんばる。
授業の打ち合わせにも、ちゃんと出席してくれるし、いやそうなそぶりもない。

ハロウィンの日も、A先生は大活躍だった。
魔女の姿で登校し、魔女を呼び出すところから授業をはじめた。
そして、本場アメリカのハロウィンのあれこれを、教えてくれた。

日本の子どもは、アメリカのお化けの種類は何種類なのかを聞こうとしていた。すると、A先生は
フランケンシュタイン、魔女、ゴースト、ミイラ男、ゴブリン、ドラキュラ伯爵、などを教えてくれた。
A先生が、今度は子どもたちに、
「日本ではどんなお化けいる?」
と聞くと、みんな声をそろえて

「鬼太郎!」

まァ、・・・これは、仕方ない。(でしょう?)

わたしは
「水木しげるもいいけど、日本に古くから伝わっている有名なのもいるでしょう。ほら、耳なし芳一とか、牡丹灯籠とか、番町皿屋敷とか」

とフォローをしたが、子どもたちは誰一人、それらを知らないのだった。

考えてみれば、ヨーロッパの古い民俗の祭り、伝承、フォークロアからハロウィンは生まれてきているから、昭和の「鬼太郎」とか明治時代の「番町皿屋敷」とかなんてのは、まだまだ新しい。ハロウィンが日本に根付かないのは、あまりにもヨーロッパ人種の古くからの民俗風習が、奥の深いものであるからだろうな。

唯一、ハロウィンに対抗できるとすれば、耳なし芳一か。平家物語の凄惨さを知れば、いかにハロウィンが恐ろしいかと言ったって、たいしたことはない。赤子のようなものである。
しばらく考えてみたが、ヨーロッパの古い歴史に対抗できるキャラとしては、芳一くらいしか思い浮かばない。渋谷で有名なハロウィンも、ぜひ『耳なし芳一』コスプレで、1000人くらいが行列をなしてパレードすれば、ちっとは日本の古来からの伝統文化も守られていくのではないだろうか。

耳なし芳一、落ち武者が一族の恨みを哀しんでいるのが怖い。
それも、毎晩のように琵琶の音色で心を慰めるために訪れるなんてのが、震えるくらいに恐ろしい。
あの世から、衣擦れの音をさせながら、あるいは甲冑のカチャカチャいう音をさせながら、霊界から訪れる、落ち武者や平家の落人たち・・・。

それを想像すると、ハロウィンに登場する魔女たちが、なんともかわいく思えてきます。

ハロウィン

【6年歴史】平賀源内(教科書には出ず)

平賀源内は、教科書では掲載されない。
とらえどころのない人物であり、本当に「わかって」いた人なのか、それとも適当なホラを吹くような人物だったのか、どうにも評価が難しい面がある。したがって、教科書向きではない。

子どもが尋ねた時、わたしはこう答えた。

子「先生、平賀源内知ってる?」
「あー、エレキテルの人」
子「この人、教科書に載ってる?」
「あ、いや・・・・どうかな。教科書見てみて。たぶん、載ってないと思うわ」

子どもは、ふうん、と言って席に戻った。
見ると、机の上に、『まんが日本の歴史』があり、彼はそれを読んでるのだった。
まんがの方には、平賀源内は江戸中期の人物として紹介されているのだが、なぜか、教科書には載っていない。

しかし、考えてみると、評価はしづらくても、この人物が各界に与えた影響がはかりしれぬものがある。彼の存在があったからこそ、その後『蘭学』がほとばしるように咲きほこる時代が来た。

江戸時代に日本社会に与えたショックを電力にたとえたら、この人物が強烈なバッテリーとして作用し、どんどんとあふれる活力や刺激を与え続けた。おかげで、蘭学が盛んとなり、医学が進み、天文学が進み、いわゆる合理的な思考や科学的な目線が育った。その【科学の芽】が、この時代に日本社会に根付いたことの大きさは計り知れない。


実際にやるかやらないかはまだ迷っているけど、一応授業案を考えてみる。

【平賀源内・授業案】
※この授業は、人物として
①近松門左衛門(浄瑠璃・歌舞伎)
②安藤広重(浮世絵)
③伊能忠敬(地理・天文学)
④前野良沢(医学・語学)
⑤杉田玄白(医学)


以上を学習したうえで行う。

この5人が深めた世界はそれぞれ違います。
しかし、この5つの世界・すべてと関係の深い人がいました。
それが、平賀源内(ひらが・げんない)です。

<黒板の中央に、平賀源内の写真を印刷した紙を貼り付ける>
学習問題:平賀源内とこの5人とは、どんな結びつきがあるだろうか。

平賀源内は、香川県の足軽の子として生まれました。
若いころ、藩の立派な医者の弟子となり、薬草の研究をしました。
やがて<蘭学>に出会い、長崎の出島で勉強します。さらに、日本中を旅して歩くようになり、各地域で薬草や鉱石を見つけました。
珍しいものを見つけては人々に知らせようと、江戸に行き、今でいう博覧会のようなものを開きました。このような物産展ともいう催しは、今でも国際見本市や万博のようなイベントとして続いていますね。平賀源内が世界で最初に行ったこの物産展は評判を呼び、いつも大入りの人でにぎわったといいます。

さて、その物産展に来て、あれこれと源内に質問するような人がいました。
源内はそういう<科学の目をもった先駆者>ともいうべき人々と、しだいに交流を深めるようになります。その中に、杉田玄白がいました。
そんなわけで、杉田玄白は、オランダの書物を翻訳する前から、平賀源内と懇意でした。
また、玄白とともに「ターヘルアナトミア」の翻訳を行った前野良沢は、玄白の人脈の広さにはほとほと感心していたようです。

つまり、当時、蘭学を知ろうとする知識人たちは、みんなどんなささいな知識でも得ようと、蘭学にくわしい人を訪ね歩くのが、もっぱら時代の雰囲気として、あったのでした。

平賀源内は、前野良沢を知ると、
「こんなに真面目で繊細、ストイックな性格の人物はめずらしい」
と思ったようで、蘭学の本当の探求者というのは、前野良沢のような人物をさすのだろう、と思い、源内のもとを訪れる若い人に、「蘭学の先生として、前野良沢という人がいる」と紹介していたようです。たとえば、画家志望の鈴木春重(春信の弟子)にも、
「これから絵を描く人は、蘭学を学んだ方がいい」
と、前野良沢を紹介しています。
「新しい絵をかきたければ、蘭学を習いなさい。そのために信頼できる、蘭学の先生につきなさい」と。

また、玄白が「解体新書」を出版する際、本の最初の扉絵を描いたのは、平賀源内に蘭画の技法を習った秋田藩士でした。
平賀源内の海外文化の造詣の深さから、他にも多くの人が、彼の家を訪れたようです。
また、玄白より源内が先に亡くなるのですが、その葬式を執り行ったのは、杉田玄白でした。

次は、地理と天文学。伊能忠敬との関係です。
伊能忠敬の仮親にあたる平山季忠という人は、平賀源内の知り合いでした。この人は、源内の物産展に珍しい二枚貝や、鍾乳洞の石を出品しました。若いころの忠敬も、平賀源内の蘭学の博識ぶりに驚き、影響を受けたのです。実際に、忠敬は、平賀源内が発明した万歩計を使っています。

平賀源内を訪れた画家もいました。浮世絵をさらに緻密にした<錦絵(にしきえ)>で有名になった、鈴木晴信です。平賀源内と同じ町内に住んでいました。それまでの浮世絵は、1色刷りかせいぜい2色刷りでしたが、平賀源内が多色刷りのシステムを考案し、晴信に伝えたことがきっかけで、晴信の多色刷りの錦絵が飛ぶように売れたのです。安藤広重は、源内の死後に生まれていますが、当然影響を受けたわけですね。

この5人の中で、ただ一人、近松門左衛門だけは、平賀源内が生まれるよりも前に生きた人です。近松門左衛門が不動のものとした、浄瑠璃と歌舞伎。どちらもまずは大阪や京都で人気になったのですが、そのために役者も「京ことば」「大阪ことば」を使っていました。しかし、平賀源内は、江戸の言葉を使った浄瑠璃に変えて、脚本を書きました。それが大ヒット。江戸で催される歌舞伎は、源内の作品以後、「江戸言葉」を使って役者がしゃべるようになっていきます。
つまり、平賀源内は、

(浄瑠璃・歌舞伎)(浮世絵)(地理・天文学)(医学)どの世界にも大きな影響を及ぼした人なのでした。


以下は、平賀源内が国内ではじめて描いた西洋画。
平賀源内


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