30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2019年10月

【6年社会・歴史】本居宣長でどう授業するか

長年の問題が解決していない。
本居宣長をどう扱うか、という課題である。

6年生の担任をこれまでも経験してきたが、歴史の授業の中でもっとも難しい一つである。
もっとも難しいのが、昭和初期の戦争に突入する時代。
子どもたちがどうしても納得しないから、「戦争をする理由」で毎回、つまづく。
日清日露戦争からの流れでどうしようもなく、借金を返すために気が狂った、という解釈で、どうにか切り抜けている。

つぎに難しいのが縄文と弥生。
なぜ、豊かで平和だった縄文が、短期間に崩れていったか、が納得できない。
これも新しいデータで、気候の変動でクリなどの植生に大変化が起きたのだろう、という見方で切り抜けている。

そのつぎが、人物・本居宣長、だ。
得体のしれぬ人物である。
土台、国学、というのが難しい。
蘭学、中国大陸からの儒学などと比較しての、「国学」という位置づけなのだろうが、結局、この宣長さん、最後は源氏物語を礼賛して終わる。日本とは何か、と大上段に構えてなにかしらカチッとした体系を工作したのかと思うと、そうではない。だからワケがわからない。

そもそも、古事記のさらに前、奈良朝や大和王権のさらに前、卑弥呼さんのさらに前、そこまでたどらないと、やはり本当の「日本国家のなりたち」は見えてこないはず。
大陸から渡来人によって伝わったとされる、稲作文化。この文化が伝わる前の、1万年続いた縄文を調べ切っていかないと、本当の意味の「国学」は、成就しないと思う。われわれは、なんだかんだといって、まだ縄文の1万年には程遠い時間しか経験していないのである。卑弥呼さんが3世紀。現代人は、たった2000年にも満たぬ歴史しか解明できぬくせに、どちらがどう、などと利いた風な口は利けないのだ。

本居宣長も、古事記伝でなにかが得られた、というわけではなく、結局は「国家のあり方」などを説くかわりに、源氏物語の「めめしさ」をさかんに紹介して、
「やっぱり人間臭いのがイイヨネ」
と開き直ったような晩年を送った。
これが「国学」というたった2文字で、くくれる人物だろうか、と不思議に思う。

こうしてみると、教科書で示すところの
本居宣長→国学の代表
というだけの観方は、かなり偏ったものだと思われる。

こんなことばかり考えているから、ちっとも授業ができぬのだ。ああ。

本居宣長

なにを食うか、ということ。

給食がおいしい、ということ。
それが、もっとも基本かと思う。

「おいしかった」

という感覚が、子どもたちの脳裏の奥底、心の深奥に残っていくかどうか。

人生を肯定的に見るかどうか、
人生観の大事な部分を、教育することはできない。
教えて、なんとかなるものではない。
人生のことを、こう考えなさい、というので、子どもたちがみんな

「はい、わかりました」

といって、そうなるものではないからネ。


となると、もはや残された道は、「愛された実感と記憶」しか、たよるところがない。
いちばんは、メシだろうか、なあ・・・。

いつも腹いっぱい、うまい飯を食えたという実感。
手が込んでいてもいなくても、それはともかく、大人が忙しい中でも、食事だけはあたたかいものをと用意してくれたよなあ、とか。
たくさんよそってくれて、「おなかいっぱいになった?」と聞いてくれたっけ・・・とか。
これ、腹の底から実感があるのであれば、人生を肯定的にみなさい、とらえなさい、と100万回言われるより固い幸福が手に入るだろうと思う。


給食費がコストととらえられて、「削らなきゃ」と判断されることほど、つらいことはない。
たしかに民間企業であれば、もうけがなければならない。
しかし、コストを削ることに夢中になるあまり、子どもの大切な自尊感情を削っていいわけではない。給食を提供する民間企業は、多くが子どもたちへの愛情を元に、仕事を進めていらっしゃることだろう。しかし、それも「経営」が成り立っての話だ。厳しい経営事情のもとで、コストダウンを考えない経営者はいない。野菜の品質を落とし、コメの品質を落とし、コストの高い果物は減らし、量を減らし、冷蔵のコストを減らそうとするのが、当たり前だ。それが、常識なのだ。


子どもを育てる、ということに、コスト意識で向かわねばならないのが、つらい。
子どもに、食を用意する、食べさせる、ということについて、できるだけコストよりも先に、子どもたちの心からの満足を先に考えていきたいものだ。経営の厳しい今の時代、なによりもそれが難しいのだけれど・・・。

それにしても、なにを食べるかというのが、人生のなかでも、ひときわ大きな「こと」のように思える。あと一生のうちに、何度食事をするか分からない。
自分が自分に対して、

「なにをどれだけたべるか」

ということを、真剣に考えたくなる。
要らないものは、要らない。
自分にとって、「これを食べていたい」というものを、大事に、大事に、ひと口、ひと口、味わっていきたい。そして、その「食」に、できるかぎり、かかわっていたいと思う。

こういうことを考えるようになったのも、年をとった、ということだろうなあ。

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「比べてみよう」の指示

地域の小さな歴史郷土博物館から、明治・大正・昭和初期に使われたさまざまな生活の道具をお借りしたときのこと。
大切な道具であるにもかかわらず、わざわざ学校まで持ってきてくださった。
糸車、鍬、籾摺りの道具、ソバの収穫で使う道具・・・トラックにいっぱい。

子どもたちは大きなホールに集まって、それを見学した。
にわかに博物館の展示室のようになっていたので、みんな嬉しがったり、驚いたり、楽しんでいた。

本来ならば、係の方が「少しお話をしてくださる」という手はずになっていた。
30分ほどの予定で、歴史に関すること、地域に関すること、民俗に関することなどのお話を伺うことになっていた。

ところが、何かの手違いでその担当の方が、来られなかった。
代理で運んできた、まったく別の課だ、という職員の方がいらしたが、「話はできないです。よくわからないんで」ということであったから、同じ学年の先生で相談し、今回はただ物をよくみるだけの時間、ということにしてしまった。


わたしが事前に調べておいて、授業ができたらよかったとは思う。
なんとなく知っていることでも、言えばよかったかも。
だが、わたしも、正直、わからない。うまく説明することはできない。

だから、今回の場合は
〇事実を正確に知る
ことをねらう場にすることはできなかっただろう。



しかし、考えてみれば、授業はそればかりではない。

〇疑問点を列挙して、今後しらべていくための視点をもつ

ということであってもよい。
あるいは、

〇なぜそうなっているか

をその場にいる子どもたちどうしで考えあう

ということでもよかった。

だから、今考えると、いくつかのアイデアがうかぶ。
くやしいので、いかに列挙してみる。


1 ちがいを探そう~付箋を使う~

よくやる手だ。
ふせんを子どもたちに一人5枚ずつ配る。ふせんには名前を書かせる。
そして、びっくりしたところ、なんだろうと疑問に思ったところ、おもしろい、と思ったところをみつけたら、そこへ貼り付けるのである。
すると、たとえば鍬の先が3つに割れているものと、長方形で1本のままのもの、それが小さくなったような超小型のもの、など鍬だけでもいろんなものがあるから、子どもたちは思い思いに自分が興味を持ったところにふせんを貼るであろう。
そして、順に、①自分がどこにふせんをはったか②なぜそこに貼ったか を話していくのである。
みんながいっせいに同じような場所に興味を持ったなら、一か所にたくさんふせんが貼られるであろうし、意外にも一人しかそこへ興味を持たなかった子もいるだろうから、たくさん貼られた箇所と、たった一人しか貼らなかった箇所の、両方をみんなで確認していくだけでも面白い。

2 比べてみよう

鍬ならクワで、何本かを並べてみて、「比べてみて、なにがちがうかを見つけよう」でもいい。
比べる、という作業は面白い。子どもが知的になる。授業では重宝する思考ツールの一つである。
どことどこがちがう、と言い合っていた子どもたちは、次第に、「なぜちがうのか」「どうしてこうなっているのか、たぶんこうだろう」というように、予想をしていく。「比べる」が、「予想する」へと進化しやすい。

3 順番をつけてみよう

鍬ならクワで、何本かを並べてみて、「いちばん使いやすそうな鍬はどれだろう」とする。
順番を付ける、ランキングをつける、そしてそれに理由をつけて発表する。
これはいつでもどんな授業でも使える『超・お得』な思考ツールである。
歴史の授業で、縄文時代と弥生時代を比べて、もしもどちらかにタイムマシンで行って体験できるとしたらどっちがいい?というのも、ものすごーく盛り上がった。
好きな方を選ぶ、という行為そのものが、人間を知的にする行為なのだろうし、そもそも人間は、選ぶことが好きらしい。(ただ、すべて似たようなものだなと認知した場合は、そう判断した時点でダメ。選ぶのが面倒になる。明らかに違いのがあるものの中から選ぶのが良い)

4 色を塗って考えよう

これも、「ちがいをさがす」「比較する」「順番を付ける」の変化バージョンだ。
パーツのあるもので、全体が構築されているもの、である場合に使える。
全体像を印刷し、パーツを色別に塗っていく。ただし、同じパーツは同じ色で塗る。同じではないが、似てるようなパーツは、原色と似たような色で塗る。そうやって脳内で、『色』に変換させながらパーツの再現をしていくのだ。パーツをすべて塗り終わると、しだいに全体の構造がみえてくる。
そこで、「気が付いたこと」を出し合う。似てるもの、ちがうもの。高学年ならたくさん意見が出てくる。
農家の家の中の様子を白黒で印刷し、子どもたちに色を塗らせれば、部屋ごとに特徴があることや、土間、板の間、床の間などの特徴も考えるし、馬のいるエリア、水を使うエリア、火を使うエリアなど、考えて色を塗り分けることになる。


5 立場を入れ替えてみる

ストーリーがある場合。桃太郎の犬とキジを入れ替えてみる。犬が偵察に行くことにしてみる。
本来なら、それはキジの役目だ。キジなら空高くとびあがり、谷を越えて鬼ヶ島の全体像をすばやくみることができるし、距離も測定できた。
ところが犬は谷を飛び越えられないし、川の急流も越えられず、全体像が見えないので遠回りになる。ようやく鬼の本拠地を探し当て、その情報を持って帰るころには、桃太郎たちはベースキャンプでくたびれ果てているだろう。すなわち、どうしても「空中」を飛ぶキャラクターが必要だったのだ。犬役とキジ役の、それぞれの任務を入れ替えて考えただけでも、気が付くことがたくさんでてくる。
今の暮らしに慣れた自分たちが、昔の住宅に住み、昔の道具を使って暮らすとしたら、どんな感想が出てきそうか。それだけでなく、当時の子どもが今の暮らしを1日だけ体験したとしたら、どんな感想が出てくるだろうか。両方を考えてみると、広がりが増す。

知識をネットワーク化していく。新旧の知識を結び付けなおす。教科を超えた知識に統合していく。
これからの学校は、「知的活動を体験できる空間」をめざすはず。

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ハビビ元大統領と東ティモールのこと

今年9月、インドネシアの元大統領が死去した。

ハビビ元大統領だ。
その大統領が病床に臥せっているとき、お見舞いに来たのが、東ティモールの大統領。
つまり、宿敵が来た。
敵がきたから、緊張して迎えるのかと思ったら、なんと抱擁した。
ふたりとも、お互い両者とも、人間として大きかったのだ、というしかない。

いのちをわずかに残した宿敵に、いったいなんと言葉をかけたのか。
東ティモールはもともと、インドネシア領ではなかった。ポルトガル領だった。
スハルト大統領の独裁政権にむりやりに併合された歴史を持つ。
だから、市民からすると、独立は悲願だった。

大きな人間、というのは、何だろう。
「人の生きる道を、示してくれる存在」だろうか。
ひたむきな情熱を、もやしつづける人間は、すぐ近くにいる人たちの心をつかむ。そして、火を灯す。
東ティモール大統領のグスマン氏も、ハビビ大統領も、おたがいにそういう人間だったにちがいない。

まさに東ティモールが独立せんとする2000年ごろ、わたしは友人のTから手紙をもらった。Tは国連職員で、東ティモールにいたのだった。手紙には独立のための住民投票がいかに困難を極める作業だったかが書かれていた。

「投票」というものを、強権的な独裁しか知らぬ人々に、いかに伝えるか。
Tは、苦心しつつも、それを伝え、普及していく地道な広報活動に、たずさわっていた。
ところが、悲しいことに、人々にはなかなか伝わらなかったそうだ。
多くの人が投票に行く、と約束してくれたが、その練習となる模擬投票に、ほとんどの人間が来ない。あるいは、金をもらうために並ぼうとする。
せっかく並んでくれたのに、邪魔する人々もいる。
大切な働き手が、のんびりと行列に並ぶのをよしとしない家族たちが、腕をひっぱって、連れ帰ろうとするのだった。

つまり、強権的、強圧的に、飼いならされていきてきた人たち、
小さなころから武力や脅しを受けて生きてきた人たちが、

「自分たちで、自分たちの生活を、ルールを、法律を、人生を、自分たちのアイデアと文化、知恵でつくりあげていく」

ということが実感できるようになるためには、相当の話し合い、教育、考える時間、身につける時間、思考してみる時間が必要なのだった。

わたしはその手紙を受け取って、そこに書いてある内容の大変さに驚いて、とても一度では読み切れず、なんどもその便箋を開いてみては、読み返したと思う。

主体的に考える人材を生み出すためには、時間がかかる。
ほかのことをやっている暇があったら、もっともっと、主体的になれるための時間を、つくりだした方がいい。

とくに学校は。
われわれは、強権、強圧、圧政、といわれるような文化とは、まったく別の文化、というのを、具体的に伝えていかねばならないのだから。


神戸の教師が、おかしくなったあまり、同僚をいじめた、という動画がニュースになった。強圧的に、強権的に、激辛カレーを食べさせようとして、羽交い絞めにしたのである。
もう、教師自身が、「強権、強圧、圧政」の文化に、どっぷり漬かっているわけだ。だから、同僚にも武力、強制、強引、独裁、というような精神文化で、つきあおうとしていく。当然、子どもにも・・・。

教師が、「強権」しか、知らないのだ。
そういう精神文化しか、習得してこなかった。

おかしくなっているのである。おかしくさせられている。
教員がおかしくなっていく原因が、あるように思う。人間らしさを失っていく文化が、あるいは失わせるようないわば、『強権的な文化』が、学校にじわじわと迫ってきている。

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国家とはなにか 6年社会・歴史

『朝廷って、なんだったっけ?』

・・・やっぱり、そうなんだよね。
歴史の授業が江戸時代まで進むと、この質問が出てくる。
征夷大将軍が幕府を開く、という話ばかりつづいたから、急に「朝廷」という言葉が教科書にでてきたとき、「それ、なんだっけ?」とわからなくなるのだ。
このところずっと、徳川幕府についていろいろ調べてきて、歴代の将軍ばかり話題にのぼっているからかナ?
京都には朝廷があって、天皇がいて、公家たちがいて・・・というの、忘れてる子が多い。

ひどい子になると、
「え?天皇って、江戸時代もいたの?」
と言って、驚いている。
「えええっ?ずっといるよ。今でもいるんだから」と返すと、
「あ、そう。とちゅうでいなくなっていたかと思った」
・・・それが教室に多数。

明治維新がとくにわかりにくい。
急に天皇が出てくる。
それに、国家、という考えが、ここで初めて出てくる感じがある。
小学生にとって、歴史が複雑になってくる境目が、明治維新だ。

国家とはなにか。
その根源的な問いを、ひそかに心中にしのばせて、学習をつづけている感じがある。
6年生なりに、「国家?・・・なんだろう?」と思っているところがある。

今の時代、国家、という言葉や概念が、かなり揺らいでいる、のではあるまいか。
「国民」とはだれのことをさすか、という問いが、改めて問われる時代になってきた。
新聞やニュースで今、さかんに報道されている。
たとえば香港の市民は、中国政府を信用していない。さらにいえば、香港政府のことも、信用していない。もはや、だれも信頼できず、国家自体に不信感を抱き始めているようだ。国家が自分とは切り離されて感じられるものに変質してしまっている。
どうやら、香港市民にとって、国家、という概念そのものが、だんだんと意味を失い始めている感じ。

韓国もそうだ。国民の声を代表するのが政府であるはずで、国民の総意で「国家」が成り立っているはず。ところが、どうもそうは見えてこない。おそらく、韓国の国民も、香港と同じだ。「自分が所属しているはずの国家そのものを、信頼できない」という苦しみを抱えている。

日本はどうか。
6年生に、わたしはこう教える。
「日本は国民主権の国。国民が一票を投じて国の政治を動かしていくことになっています」

ところが、現実はほとんど半数近くが投票をしない。
つまり、日本人も、すでに「国家」という言葉の意味、概念そのものに、むなしさを感じているらしい。自分が意見を出し、考えを伝え、ともに国家のありようを探ろうとする意欲を失っているのだ。その結果が、投票行動に証拠として現れている。

国家、国民、政府・・・分断された意識と意味、もはやうつろにしか響かなくなった概念。

今の私たちがほんとうに願っている、「国家」とは別の概念をつくった方がいいのかナ・・・。
実際、自分たちが「地球」というこの星に住みながら、必要としている概念って、なんだろうか。
「わずかな境界線をまもるために どれだけの人間が死んだことだろう」
 ↑ これって、水木しげるさんの言葉だったっけ・・・。

国家、国民、政府、これらに代わる、新しい言葉を発明しなきゃいけないのかもね。

朝廷

研究主任の秋

研究主任となり、秋はもうブログを書く力が残されていませんでした。
ようやく大きな仕事が終わり、ほっとしています。

それにしても先生たちの、真摯な姿勢、学ぼうとする姿勢、本当に頭が下がる。

わたしが研究主任としてずっと口にしてきたのは、次の3つ。
◎具体的に
◎なんのために
◎バイアスをかけて見ていないか


子どもたちに、どんな指導をしたいのか、
具体的に、どんな方法で進めるのか、
「子ども」と簡単に言うけれど、その「子ども」とは具体的にどのような子か・・・
というような感じで、若い先生が、〇〇したい、というと、その都度、「それは、具体的にどういうことか」を探ろうとしてきた。

そこで感じたことがある。
人間は、具体的に話す、ということをしようとすると、ようやく事実に照らして話すようになる、ということだ。

事実に照らしていない話は、ほとんど意味がない。観念だけで話していることになる。
観念論では、教育はできない。なぜなら、相手の存在は事実であり、相手の存在は具体的であるからだ。
観念論とは、〇〇であるべき、〇〇というあり方であるべき、という教義(ドグマ)をもって論じること。
一見、これはふつうのことのように聞こえる。しかし、子どもが〇〇であるべきだから、子どもを〇〇とみなし、〇〇させる、ということは「教育」ではない。それは、〇(マル)を〇(マル)とみる科学的な合理的思考とはちがっている。実際には〇(マル)なのに、本来△(サンカク)であるべきなのだから・・・と言って、これは△(サンカク)なのだ、と言い切ってしまうような、いわば非合理的な態度である。「教育」ではなく「洗脳」であり、子どもを育てることにはならない。


授業を考えていくのは、楽しい。
そして、教員が子どもたちに対して、真摯に向き合い、相手の状態を見逃さず、子どもの様子をどう受け取っていくか、そのつど、思考していくことがエキサイティングだと感じる。

授業者の先生が最後に、「いやあ、本当に研究なんだなと・・・、勉強になりました」
と言ってくれた。

研究ってのが、イイよね。
どこまでも、夏休みの自由研究のようなもの。
ずっと、ずっと、はたしてどうか、と考え続けていくことができる。これは、やめられない。

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