30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2019年05月

大仏の手をつくる

.
歴史の授業は、奈良時代。
ただいま、聖武天皇行基が、大仏をつくったところを学習中。

「どのくらいの大きさ?」

教科書に、おもしろい写真があった。
校庭の地面に、大仏の実際の大きさを描いている。
運動会で使う、ラインカーの石灰で。
奈良の大仏のでかさがよく分かるように!

「いいなあ」
「やってみよう」


ただし、運動場のラインだと、雨が降ったら消えちゃうよ。


よし、だったら教室に貼ろう。
とりあえず、手のひらだ。
新聞紙でつくろう。

目の幅は1.02m、耳は2.54m、口の幅1.33m、手の大きさに至っては2.56mもある。

この授業が、楽しかったみたい。
できあがったら、一番まじめな女の子が、

「先生!校長先生に見せに行きたい!」

校長室へ行くと、校長先生がいっしょに写真を撮ってくださった。

大仏の手実際のもの


満足そうに帰る子どもたち。
教室にもどってきて、教室の壁に貼り付けると、休み時間のかねが鳴った。

「ああー、おもしろかった」


へえ、高学年になっても、やっぱり、面白かった、と言うんだなあ。

大仏づくり

運動会の『放送がかり』で年を感じる件

運動会が春に行われることになった。
わたしは愛知県岡崎市の教員であるが、まあ市内にはいろいろな学校があり、秋開催の学校もまだあるようである。
しかし、赴任している勤務校では、秋の酷暑から逃れるため、6月のはじめに開催されることになった。


しかし、この暑さよ。
今は6月だってのに、十分に暑い。
外気温、今日は32℃だと。夏日じゃないか。
逆に暑さに慣れていない分、子どもたちが熱中症にかかる割合も高くなるのではないか、と懸念される。

わたしは教職員の中の分担で、放送をとりしきることになった。
運動会の放送係であります。
そこで、町内に鳴り響くであろう「〇〇小学校」の運動会の音楽担当者として、気合を入れて仕事にかかりました。

まずは選曲から。

アラフォーどころか、アラフィフに近づいている身として、自制しなければならないのが、この「選曲」でありましょう。

いっしょに係り分担になったS先生は、まだ独身のイケメン男子。
彼は現代の子らしく、もちろん平成生まれです。
しかし、だからといって昭和歌謡など、まったくご存知ないかと思いきや、そうではなかった。

「およげタイヤキくんとか、知ってますよ」

およげタイヤキくん!!!
知ってるんだ~~!!えーーーー(*'▽')
ド直球、ドストライク!!
わいのハートに、ジャストミートやでぇ!

選曲するための打合せをしていると、そんな懐かしいことを言って、おじさんをなぐさめてくれるです。る、涙腺が。なんて心優しい青年だろうか。
ちなみに、かけっこでおよげタイヤキくんがBGMに流れたら、みんなすっごく遅くなりそうだが・・・。

わたしが思わず頬をほころばせたのを見逃さず、彼はすかさず2球目を放り込んできた。

「母は、氷川きよしファンですが、祖母は、さだまさしファン。けっこうフォークも聞きました」

さだまさし!!

フォーク!!

この青年、フォーク、と聞いて、おじさんが勝手に舞い上がっているのを楽しんで、にこにこしながらみている。あなどりがたい教師です。

「じゃあ、1年生のかけっこの曲、なにがいいかな・・・」

わたしがおそるおそる聞くと、彼はiPhoneをちゃっちゃと操作して、

「こんなのどうっすかネ」

と、なにやらテンポの速い、流行曲らしきものを流してきた。
彼が口走ったのが、レモン?オレンジ?かなんか、くだものっぽいようなタイトルだったような・・・

わたしが困惑しているのを見て、

「あらま先生のお好きな曲でいいですよ。なにかありますかね?」

と聞いてくれる。
なんてやさしいんだろう。彼。

私は、そうだなあ、小さくてかわいい1年生だからねえ、と唸りながら、

「学園天国 / フィンガー5とか」

S先生はじっと目をとじて、

「いいっすねえ」

という。

わたしがつづけさまに

「勝手にしやがれ / 沢田 研二は」

「おお、ジュリーっすね」

反応が良い。
これだけスッと反応できる平成生まれも、この世にはいるのだ。

「ジョニィへの伝言 / ペドロ&カプリシャスは」

S先生、笑顔。

「いっそのこと、ウルトラマンタロウで」

S先生、笑顔のまま動かず。

「恋のダイヤル6700 / フィンガー5」

S先生、窓の外を見る。

「ああっ」

S先生「どうしましたか?」

「ペドロアンドカプリシャスだったら、五番街のマリーもあった」

S先生、笑顔のままで

「全部、先生の選んだの最高っすよ。でも、五番街のマリーで、かけっこが走れますかね」

わたしはおでこに手を当てながら、あちゃー、と唸って

「あれはちょっと、テンポがゆるいよね。しまった。歌詞は最高なんだけどなあ」


結局、ほとんどがS先生の選んだ最近の曲になり、わたしの提案で採用されたのは、

ピンクレディーの『UFO』
尾崎紀世彦の『また逢う日まで』
フィンガー5の『学園天国』
の3曲のみ、にとどまった。

玉入れ、大玉ころがし、騎馬戦、それとも、つなひき、PTA向けのパン食い競争か・・・。
なにに使うかはまだ決まっていないが・・・



しかし、この3曲が流れた瞬間!
昭和を知る年代のみなさんが、直立不動で涙を流すであろうことは想像に難くない。
ああ、昭和、さようなら、昭和、である。

ところが、時代はすでに平成の、その次になっておる。
昭和というのは、ふたあつも前、なんである。
なんということであろう。

・・・

令和初の運動会のBGMは、
平成生まれの青年教師
および、
昭和生まれの中年教師が、
2時間にわたる熱烈な熟慮と議論の末に生まれた。

かけっこで、『トランペット吹きの休日』を流すのは、これはふたりとも一致しましたよ。
さすがに、これだけは。

ちなみに。これ。↓
https://youtu.be/CNosN4iZWXA
クシコスポストも。↓
https://youtu.be/WKBX4EiHG7I


【6年歴史】なぜ聖武天皇は頻繁に遷都したか⇒貧窮問答歌にふれて

板書)聖武天皇(しょうむてんのう)
   奈良時代

人物シールを貼る。

聖武天皇


指示)時代背景を整理しよう。

板書)蘇我氏を倒したあとの天皇中心の政治がゆらいできた。
   地震、ききん、反乱がおき、悩んだ。

注釈)当時の人は地震のことをどんなふうにとらえたか。
   ⇒今のような科学的知識がなく、天災は神の仕業と考えた。
   ⇒神が怒っている、天皇は責任を感じていた。

聖武天皇はそんな中、せん都を繰り返した。
指示)資料集や教科書から該当する箇所を探させ、発表。
資料集なら:資)P38 などと板書させ、探せたことをほめる。
「歴史の勉強は、資料を上手に探して考えると力がつく」と話す。

子「恭仁京、難波宮、紫香楽宮、平城京、と次々と都を変えています」

学習問題:なぜ聖武天皇は頻繁に遷都したのだろう

指示)3分間、自分で資料から探して考えましょう。
指示)3分間、班で考えてみましょう。⇒白紙配布で書かせる。

班ごとの発表。

①大仏が関係していると思う。
②政治が乱れていたから、変えようとした。
③反乱軍が出たから?
など


資料をさらに追加します。

山上憶良が詠んだ、『貧窮問答歌、現代語訳つき(かんたんなもの)』を配布する。

「地震、ききん、そして重税。人々のくらしはあまりにも悲惨でした」

発問)責任を感じている天皇。どうしたでしょうか?

子「仏教にすがった」

仏教の教えの中でも一番、とされる盧舎那仏の大仏をつくり、国家を安定させよう、とします。


ところが!

大仏をつくるのには、なにが必要でしょう?

子「材木」「金」「ゴールド」「屋根瓦」「石」・・・など
 「そららを集めてつくる人」

人々は、大仏をつくることができるでしょうか?

子「できない」

なぜ?

子「あまりにも生活が苦しいから」



天皇は仏教にすがりたい。できれば大仏をつくることができたら、と考えている。
ところが、実際には人々に、その力がない。民には、余力がないのです。
天皇も、まだ自分自身、大仏をつくろうというふんぎりはつかなかったかもしれません。
それでも仏教に帰依する、という決意は変わりませんから、人心を一新させるために遷都をします。

最初は恭仁京。
ここで、天平13年(741年)国分寺建立の詔(みことのり)を出します。
日本中に大きなお寺をつくり、国を護っていこう、としたのです。

国分寺は作られますが、国はいっこうに良くなりません。
このころから、聖武天皇の気持ちの中で、国分寺だけでなく、大仏を作ろう、という固い決意ができていたようです。
恭仁京がまだ完成しないうち、まだ6か月しかたたないときから、
「滋賀県の紫香楽に、離宮をつくれ」
と言い、さらには「そこで大仏を作ろう」と言い出しました。
あげくの果てには、「紫香楽宮に遷都する」と言います。

ところが、うまくいきません。
人々に、パワーが残されていないのです。
結局、聖武天皇はその後、難波宮に遷都したり、ふたたび紫香楽にもどってきたり、なんとも定まらない気持ちで、迷いつづけます。大仏をつくるなんて大事業は、この時代の人々にとって、荷が重すぎたのです。


まとめ。


大仏を作って仏教にすがりたいが、大仏をつくるパワーが国に残っておらず、作れない。
遷都は仏教にすがった天皇が、大仏をつくるためにさまよった痕跡なのでした。

次回はこれ。
「それでも大仏がつくれたワケ」

人物は、行基、です。

意見のバランスを取ろうとする子

おもしろい子がいる。
わたしは担任ながら、彼のファンである。

なにがというと、彼はいつも、「反対意見」を言おうとするのである。
このことは、教師をやっていればだれしも思うだろうが、たいへんな幸運とよべる。

自分のクラスの意見がすぐにまとまり、なにも紛糾せずにいたら、どれだけツマラナイか。
あれ?うそ?え?と思わず目がテンになるほど、さまざまな意見が出てくるから面白いのであり、結論がなかなかでないことに価値がある。
また、その「結論までの過程の面倒くささ」に耐えられるような人格をつくりあげるのが、学校教育の使命でありましょう。

実際、少数意見がキラキラと輝いていなければ、この世は良くはならない。
その真理を子ども時代から体得せしめるために、学級ではつねに、「多数が力で押し切る」ことを否定していくのです。



そんな彼が、いちばん力を発揮するのが、授業です。

今の授業って、ほとんどが「覚える(講義型)」ではなく、「考える(思考型)」に重点が置かれています。
だから、国語でも算数でも理科でも社会でも、「〇〇は、△△だろうか?」というように、授業ごとにお題が出されます(学習問題とよばれるもの)。
そこで、彼が真価を発揮するのです。


社会の授業がはじまると、最初は大勢を見極めようとします。
たとえば、
「縄文時代と弥生時代とどちらが幸福か」
というお題。
意見はすぐに決まりかける。
弥生時代こそ、幸福だ。
定住・定量収穫で人口の増えた弥生時代こそ人類の幸福、という方に固まりかけると、やおら頭をもたげて勢いよく挙手し、

「ぼくは縄文派です。そもそも弥生時代は殺戮があった。米に頼って土地を私有化したから土地の奪い合いが起きた。縄文の暮らしは平和でした」

とまるで見てきたようなことを言う。
殺戮があったから不幸、という一点で心を掴もうとするNくんの作戦です。
女子は「またNくんは少数意見だよ」と迷惑顔。

頭の良い女子が軽くつぶしにきます。
「そんなこといっても人口は増えています。これこそ繁栄の証拠です」
やんやと喝采。ほぼ女子は全員が弥生派でした。

これはね。
教科書のイラスト!
このイラストに影響されちゃうの!

縄文時代の女性のイラストは厚ぼったい獣の皮をまとって、おまけに皮膚には刺青まである。
対して弥生時代の女性はどうか。なんと、顔つきまで美人に描かれ、布のワンピースをふんわりと着た女の子がおしゃれな髪飾りまでつけている。これを見た女子は全員、

「弥生時代こそ、幸福」

説を曲げません。

しかし、Nくんが少数意見を主張しているのを感じ取った男子は、徐々にそのNくんに感化されていきます。

ワンイシューというのは、請求感がありますね。
心をつかみます。だって、わかりやすいもん。
また、「闘っている」感じが、きちんと伝わってきます。
「〇〇こそが問題なのだ」
ワンテーマ、一点突破。
内容よりも、その雰囲気が大事なのかもしれません。

ふだんはめったに意見を出さないYくんが加勢。
彼は器用なタイプではないので、なにを言い出すのか味方のはずの男子までもがドキドキして見守ります。

「えっと、弥生時代は米が食えたけど、それだとずっとそこに住まなければいけないし、もし地震とか起きてなにかあったら、縄文時代はすぐに引越しできたけど、弥生時代はなかなか引っ越せないのではないかと思うから、縄文に一票」

男子が拍手。

頭の良い女子が、サッとつぶします。
「当時は大きな建物もないし、大地震があっても引っ越さなくてもいい。田んぼも作り直せば済む」

男子は沈黙。
こんなにあっけなくつぶされるとは。

Nくんが、方向修正をはかります。
やはり、複雑なのはダメ。ワンイシューこそ、万人に訴えかけるのです。

「殺しがあったから不幸です。吉野ヶ里遺跡はほとんど戦時中の城に見えるし、堀や柵にかこまれていたから安全、とはとても思えない。ぼくはそこに住みたいとは思えない。明日にでも戦争が起きそう。見張り台で丸一日、いや1年間ずっと、いや10年も20年も30年も、敵が攻めてくるのを見張りつづけるのは、すごくたいへんです」

これは女子の数人にも影響した。
女子が頭をくっつけて相談しはじめた。

Nくんは、身振り手振りをつけて、声の抑揚をすこしずつつけながら、だんだんと大胆になる。

「縄文の村を見てください。堀も柵も、なにも無い。何も怖くないから、柵がないのです。堀のない縄文の村の方が、安心して住める」

男子がすぐに加勢。
「そうです。安心がいい」
「敵がいないことがいちばん」
「縄文こそ、理想社会と思う・・・」

・・・

いつも社会は時間切れになる。
結論は、各個人がノートにまとめて提出。
女子も半数が縄文派に変わっていた。
Nくん、おそるべし、である。

教科書的には、時代は現代になるほど幸福になっていることになっている。遅れた野蛮な文明である縄文よりも、弥生の方が『進化』したはず、と。

なるほど、確かに戦闘力も上がり米の収入も増えて物欲も満たされた。
だから、幸福、ということになっている。人類が前の時代よりも退化するなんてことは、ない、からでありましょう。

縄文時代

タイヤの交換のお兄さんがプロだった件

タイヤがかなりすり減ってきました。

まだまだ走れると思うが、なんとなくタイヤから
「わたし、疲れましたわ」
という声が聞こえてくる。

5万4000キロ走ったタイヤ、製造日から数えて4年半。
ほんとうに、お世話になりました。
溝を見ると3mmほど。最初が8mmほどの深さでしたから、半分以下です。
まだまだいける!という心の声も聞こえましたが、安全重視で交換することに。まぁ、5万キロ走ればいいじゃないか、ネ。


そこで近所のオートバックスに行くと、

んまー、お高いのね、タイヤって!!


店員さんが近寄ってきてくれて、

「はい、タイヤですかー?」

とのこと。

イケメンで、ちょいと茶髪です。
眼のふちが切れ長で、大阪弁でいうところの、「シュッとしてはる」感じ。
車が似合う、という雰囲気で、エンジン音に耳をすませている真面目な横顔なんぞ、なんだかしびれるほどかっこいいタイプ。


こっちはもうくたびれたおっさんなので、遠慮がちに伏目になり、財布に金が入っていない敗北感と罪悪感にうちのめされながら、

「・・・タ、タイヤです」

と最小限の声のボリュームで喉を詰まらせながら言うと、

「ハイッ!タイヤですね!」

と、鮪(まぐろ)か鰹(かつお)を売る魚屋のような威勢の良さで、言う。

このお兄さんからタイヤを買えば、ピチピチと跳ねる、とびきり生きの良いタイヤが買えそうだ。

「魚を買いにきたわけではない」

と自分に言い聞かせながら、それでもお兄さんがこちらへ、と手招きする方へ、無意識に誘導されて行くと、そこには黒々と輝く新品のタイヤが所せましと並べられていて、タイヤ特有の、オイルのような匂いまで漂っている。


「はァい!ご予算のホウは、どのくらいですかァ!」

とお兄さんは、店内に鳴り響けとばかりに声を出す。

はいッ!ざっとタイヤ4・本・分でこちらになりますが、これに工賃、タイヤ組み換えですね、ホイールから外してつけてそれから廃タイヤ、今までのタイヤの廃棄、そしてエアバ・ル・ブ、・・・の交換とですね、窒素ガスを充填、させていただいてッ!もちろんホイールの調整も含めこのお値段になりまーす!」


声の大きさと文字の大きさをリンクさせてみました。

これを聞くと、この店員さんがこのセリフを声に出すまでにかなりの修練を積んだことがうかがえた。おそらくこのセリフを一日に何度もくりかえしているのだろう。魚屋は知らんが、このように定型的なセリフに、独特の節回しがつくことはよくあることである。

よくあるのは、「わらびもち」そしてご存知の「やきいも」だ。
また、ちり紙交換や廃品回収なども、昭和の時代はまだアナログで、おじさんがちゃんと拡声器を通して、生でしゃべっていたこともあるくらいで、『売り声』として完成されていた。

コンビニでも「おにぎりあたためますか」とか「お会計〇〇〇円です、△△カードはお持ちでしょうか」とか、短いけれども定型的な言葉、というものがありますね。
フランチャイズのファミリーレストランなどへいくと、お席へご案内いたします、おたばこはお吸いになられますか、〇〇御膳が1品でよろしいでしょうか、お飲み物はドリンクバーでご自由にどうぞ、などと一連の定型文が見られる。

しかしこれらの文からは節回しは消滅している。どちらかというと抑揚が抑えられ、平坦なイントネーションになっている。これは一文ずつが客との応対になっているため、誤解がないようにということ、聞き取りやすいということなどがあり、しだいにこうなっていくのだろう。

このタイヤ屋のお兄さんは昔、なにかわらびもち、あるいは焼き芋を売っていたことがあるのだろうか。その抑揚の付け方が独特でもあるがなにか耳に心地よく響き、ある種の芸として成立しかかっていた。

わたしは昭和の古き時代、まだわたし自身が幼少であったころに、田舎の爺さんの家の近所で、「豆や」が「豆」を売り歩くのを見たことがある。

わりと堅く、教科書的に声を出していた。
「あずき、きんとき、うずら豆ッ!」
最後のマメ、というのを、まるで歌舞伎役者が見得を切るときのように『まメッ』と決める。
「そらまめ、えんどう、ひよこ豆ッ!」

わたしはおもしろいおっさんが来たと思って、何度も見に行ったものである。


納豆の売り声は落語でも聞けるが、「なーっとなっとーーーーーーなっと」という。
納豆は糸をひくので、こう間が糸をひくのです。

サツマイモを売る人の売り声は、芸がみえるところで、声だけで「蒸かした芋」か「焼き芋」なのか、客が判別できたそうだ。
蒸かしたいもは、ふわっと言う。「ふぁ~~、さつまいふぉ~」
焼き芋は、
「やーき、いーもーーー、おいもッ。あまくーてー、うま〜い、よォーー・・・あっつあつッ!・・・」
夜の静寂(しじま)をぬって、街のどこからか家々の屋根越しに、おじさんの焼き芋を売る声がきこえてくると、なんだかとてもいいものでありました。



考えてみると、彼も、なにかそういう芸をめざしているようでもあったナ。

彼のスマートな指先が、紙の下の方にある赤い数字を指さしたのを見ると思いのほか安く、どうやら広告の品かなにか、格別に安いものであるらしかった。

わたしは値段よりも、そのお兄さんの売り声について、彼に、二、三、質問をしたかったがぐっとこらえ、ともかくその芸に対して金を払うつもりで、おおようにうなずいた。

求められるままにキーをあずけ、店内に誘導され、座らされ、なにか会員だとかなんとか・・・住所など書かされた気がします。ほとんど覚えていませんが、終わってみるとあのお兄さんが目の前にいて、

「タイヤキできました!」

とびきりの笑顔でわたしを激励してくれました。


今や魚屋の若衆にしか見えない店員の背中を見ながらガレージの方へついて行くと、わたしの愛車が黒々とした新品のタイヤをつけて、わたしを待っておりました。



「・・・が・・・になってまして、・・・となります!・・・これでいいでしょーかー?

お兄さんが何か許可を求めてきたのですが、最後まで売り子の売り声としては完成度が高い物であり、芸を感じさせる領域に達していた。

教師も、かくあるべきであろう。
毎日の起立、礼、着席とか、
朝の挨拶をします、おはようございます!とか、
定型文はたくさんある。

そのうちにうちのクラスでも、
朝の健康観察ぅー、ひいた人はーいまーせんかぁ
などと節をつけて言えるようになるかもしれない。

いやー、新品のタイヤ、いいですわー!
なんか、スーッとすすむ気がする!
ちょっと静かになったー。
いいですね、たまにはタイヤ交換も。

連休中だけど開店しててよかったー。


わたしはこの年になるまで、タイヤ屋さんというのが、こんなに生きの良い生鮮売り場のような雰囲気だとは知らなかったですナ。


たいや
記事検索
メッセージ

名前
本文
月別アーカイブ
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 累計:

プロフィール

あらまそうかい

RSS
  • ライブドアブログ