30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2019年04月

「主体的な」論考 その2

自分の人生を主体的に生きている。
そう、自覚している人は多いのではないか、と思う。

もちろん、わたしは自分の人生を主体的に生きている、と。

たしかに鎖でつながれているわけでもなく、自分で日々の計画をたて、好きなスーパーで買い物したり、今日は大根を買おう、というように買うものを選んでいられるのは、われわれ大人がだれかの奴隷ではないからであります。

ところが、

「心理的な背景をもとに、無自覚に、隠された動機で人間は活動してしまう」

ということが、ありますね。

言い換えると、

「ひとは誰でも、隠された、というか、無自覚的に、無意識的に、『意図しない動機』を持ってしまう

ということです。

背後から、支配する心理がある。

これは、『主体的』の、正反対に位置するもの。
もっとも、ひとを『主体的な生き方』から遠ざけるものでしょう。



本当に、そうしたくて、そうしている場合と、
そうでない場合がある。

われわれ教師は、そこに敏感でなくてはならない。

がんばって勉強している。
そのこと自体はとても素晴らしい。
しかし、「人から認められなければ」「良い評価を得なくては」というくらい、苦しくなるほどの動機で勉強しているとしたら、どこかに不健康さがあるのでしょう。

もっとひどくなると、「他人を見返してやらねば」という動機で、がんばることだってある。
子どもがそこまで思うだろうか、とひとは思うだろうが、それが実際、あるのである。

そして、他の子よりも自分の点数や成績が良かったことが分かると、だんだんに他の子を見下すような言動が出てくる。
わたしがそういうとき、まっさきに感じるのは、

「子どもらしさの欠如」

である。

その子らしさの欠如、と言い換えてもいい。

だれかを見下さないと生きていかれない。逆に言えば、ありのままの自分ではいられない、ということだろう。これは苦しい。どこかでツケがまわってくることになる。

「がんばっている」の背後にかくされた、自分をありのままではいられなくしている動機。
これが顕在化していればまだしも、隠されているところに、問題の難しさがある。
総じてこれが、『主体的』をむずかしくさせる原因であろう。

また、逆に言えば、

これほど「主体的」がむずかしいからこそ、文科省は何度も何度も、繰り返し繰り返し、そのことを実現したくて、実現したくて、実現したくてたまらないのである。

そして、まだ叫び続けていても、どれだけ叫んでも、なかなか実現できていかないのだ。

(本当は主体的な子が多く、どの子も素直に伸びているのが現実なんだが、社会の仕組みや常識がマッチしていないために、主体的であることを抑えられているか、もしくはすでに主体性があるのにも関わらず、それが認められていないのかもしれないーだって内面が大事、主体性が大事、と一方で言いながら、外見だけを評価してずいぶんほめそやす文化が学校教育にはいまだあるのだから)

BlogPaint

主体的な・・・


大きなゴールは、いったいどこにあるのか。
学校の中に、それがあるのか?それとも無い、のか?


わたしは、人生が幸福になるためには、

「自分自身が自分の人生の主人になること」

が必要だと考える。

文科省がそう教えているから、そうだと思う。
文科省は、ことごとく、「主体的な」という言葉でもって、
自分自身を主体的に行動させること、自分が自分の主人になること、を強調する。

わたしは、文科省の言うことが、すべてゼッタイに正しいといいきる判断力を持っていないが、しかしながら、他者がわたしの人生を操作する、というよりかは、はるかに
自分が自分自身を主体的に運営していく
、という考えの方が、幸福に近いように思う。


そうなるために、必要なものはなにか?

・そうなるように考えていく、そのためのきっかけになる視点。
・考えていこうとする意欲。
・自分とは何か、に向き合うための筋道。

結局は、自分とは何かを知る、という体験か。
それが学校にあるかないか、でしょうか。

・・・ところが、自分とは何か。これにどう向き合えばいいか、どう考えたらいいか、それが分からない。分かるのは、

「なにかきっかけがあればすぐに腹をたて、いろんなことが不満で、劣等感や恨みから派生する様々な悩みに苛まされ、自分の人生なのにも関わらず、まったく主体的にはなれそうもない自分」

である。

文科省は、すべての根幹に位置する理念として「主体的な個の確立」を謳っているんだけど・・・なかなか。

主体的に、というの、どういう意味か、まだ判然としない。

IMG_3693

幼児を育てながらの先生

頭が下がる。

「家に帰るとお母ちゃん」
という先生に対して。

わたしの隣の机の先生は、若い女性の先生だ。3歳と6歳の子がいる。
夕方の職員室にいるまでは、シュッとした顔つき。
「ワタシこそ、小学校の先生です」と言う顔だ。

ところが、いざかばんを持って、家に帰る頃から、顔つきが変わる。
今から西友によって牛乳と〇〇を買って、などと言っている。
ママの顔になる。
家には、お母ちゃんを心待ちにしている子がいる、ということ。

家に帰ったら、「先生」の肩書は外さないと。
教育者のような気持ちのまま、家に帰ってほしいとは、子どもは思っていないだろう。
先生のままで帰宅せず、母親になって帰ることが必要。

われわれは、同僚は、そのお母ちゃんの負担をできるだけ減らせるように。
子どもが望むのは、保護者であり、先生ではない。
といっても、現状はかなり難しい。ほとんどの先生が家で明日の授業の準備をしているはず。

(・・・といって、わたしも父親なので、早めに帰ろうっと・・・)

母

切り替え、ということ

嫁様が保育施設で勤務し始めたため、いろんな考察をしている。

たとえば、朝、母親からさっと離れる子どもと、なかなか離れない子。
逆に、夕方、保育園へ母親が迎えに来た時、すぐに飛んでいくかどうか・・・。子どもの中には、何か玩具などで遊んでいて、すぐに帰る気分にならない子もいるようだ。

嫁様からすると、
「本当にいろんな子がいて、飽きない」
らしい。
そうでしょうねえ。
どの子もさまざま。これが子どもだとは、一概には言えない。


嫁様が観察するには、「よくあるのは、次の2つ」だ、という。
まずは、サッと親から離れて、夕方もサッと帰る子。
このタイプは、とても多い。

つぎに、お母ちゃんべったりで、朝はなかなかお母ちゃんと離れないから、保育園がきらいかというとそうではなく、帰宅する段になるといつまでも保育園に残りたいようで、お母ちゃんを玄関で待たせるタイプ。
だいたい、この2つのパターンが多いようだ。


一番、多いタイプ。
朝、保育園の玄関のところでお母さんとあいさつするやいなや、すぐにサッと自分の組の部屋に行ってしまって親を振り返らない。だからといって親との関係が希薄かというと、そうでもない。そういう子ほど帰る時は親を心待ちにしていて、親の姿を見つけるなりすぐにサッと帰るらしい。面白いねえ。

逆に朝、離れる時になかなか親から離れたくない子もいる。それは親が大好きで、離れたくないからだろう。しかし、そういう子ほど帰宅時にはサッと親のところへとんでいくかというと、そうではない。ぐずぐずと親を待たせる。これは、何なのだろう。興味が湧く。




小学校ではどうだろうか。

朝の登校時。
1年生だろうか。低学年の校舎の前で、ちらほら、子どもを直接送り届けに来ている母親がいる。昇降口で泣いている子。お母さんは時計を見ながら、なだめている。

担任の先生に聞いてみると、その子は帰宅する際、今度はなかなか教室から出ず、母親を待たせておいたうえで、先生とひとしきりしゃべったり遊んでから出るそうである。
だから、学校が嫌いだとか、先生に対して、とか、そういうことでもないらしい。


切り替え、ということなのか・・・?

切り替えのスムーズな子は、なにがその子をそうさせているのだろう。
逆に、切り替えのスムーズでない子は、いったい何がその子の心にあるのだろうか。
この話は、どちらが良いとかというのではない。
子育ての正解を決めたいわけでもない。

われわれ大人が、そこにどんなまなざしを向けるか、という話である。
どんな状態の子、どんな表現をする子でも、いい。
われわれは、一人ひとりちがう、その子の内面に生き生きと反応できる大人であろう、とすることだ。

pose_anshin_girl

世界一の長寿国である日本で生きて・・・

引っ越してくる日系ブラジル人の父親と面談した。
学校のことをあれこれと説明し、校舎内を案内して回った。

子どもが学校へ登校するようになるのはまだ先だが、父親が先に家族の居住環境を整えるため、こうやって家族より先に越して来て、あれこれと準備をしている。

父親との会話の途中で、

「日本は世界一、寿命が長いから」

という話題が出た。

だから、人間にとって良い環境だ、というのである。



案内が終わってから、そのセリフが妙に心に残って、何度もわたしはそれを反芻した。

「長いから、良い環境か」

たしかに、人間の生物学的な環境という意味で、長寿と言う実態があるのだから、よい環境ではあるのだろう。しかし、なぜかしっくりこない。どこか、「でもなあ・・・」という思いがある。

人間にとって、良い環境とは何だろうか。
世界一の長寿国に住む私たち日本人は、・・・それにしてはあまり、幸福そうではない。
そこが、ひっかかる。

よい自然があり、水がきれいで空気もおいしくて、野菜もさまざまにとれて果樹にはくだものがなり、季節ごとに目に入る景色は飽きないし、吹いてくる風が気持ちよく、土にはミミズがいて微生物が活躍し、たしかにこの世界は、この国は、たいへんに豊かな環境にあるのだろう。

しかし、多くの人が「それほどでもない」感じで生きているのではないか。

これは、もしかすると、「手段と目的のとりちがえ状態」に近いことが起きているのかも。
長寿をめざす、という【ものさし】がある。そのための、取り組みもあったとする。
しかし、それだけでは実は人間の、目的そのものにはたどり着かない。

人生の目的は何か。
となると、これは主観的な問題だ。
「しあわせ」の基準が異なるからね。各自で。

中には、麻薬の心地良い痺れた感じを味わえたらそれが自分にとっての幸福だ、という人もいる。
個人の主観だ。
ところが、本当にそれを願っているかとなると、
「クスリはやめよう、やめよう、とずっと思い続けていた(ピエール瀧)」
と本音が出る。
いくら個人の主観だといっても、本当の本心、本音の奥、そんなに簡単には見えていないのではなかろうか。

その日の気分でころころ、というように、気分を晴らせば幸福かというと、そういうものとも違う。

「しあわせ」になるために、なるために、そうなるために、と努力しても、なかなかゴールに近づく感じが無いのは、ゴールが見えていないからか、そもそもアフブローチの仕方に【勘違い】があるのだろう。

もしそのゴールが見えてないのであれば、学校教育が全国民の莫大なエネルギーを使って行われたとしても、おそらくゴールにはたどり着かない。これは、間違いない。
学校教育のゴールは、子どもの幸福の実現なのだとしたら、その「幸福」とは、何だろうか。

教員になって10年以上経つが、「子どもの幸福とはなにか」は、直接、あまり話題にならない。
「わかってるでしょ」という前提で、その他の事ばかりやっている気がする。本当は分かってないかもしれないが。

所詮、幸福など分からないさ、それが人生だよ、そんなものサ、というのもなにかつまらない。

magari_michi

【教員採用試験】ピアノと水泳を廃止!

BIGニュースが流れてきた。
なんと、教員採用試験からピアノと水泳が廃止されるという。
『教員採用試験、水泳とピアノ廃止 負担減で受験者増狙う』(朝日新聞デジタル)


わたしはいくつかの県の採用試験を受けたが、もう他の若い子に比べて、ほぼ中年の域であったし、試験会場では最初から周囲の『若さ』に圧倒されて、気を呑まれていた。

おまけに、ピアノを演奏するのはひとりずつ、ではないのである。
時間短縮のためか、同じ受験生が10人ほど、広い音楽室に同時に入るのである。
だから、よけいに緊張した。

そのため、ピアノはもう、心臓がばくばくして、汗もひどい。手のひらがじっとりとして、頭はぼうっと熱くなり、半分失神したまま演奏をした。
途中で、ちょっと難しい箇所があったのだが、案の定間違えた。すると、同じ部屋で受験している若い他の子たちが、「ハッ」と息をのむのが、分かるのである。

教室中の空気が、動くのだ。

「あの人、まちがえちゃった」

ということのオドロキと衝撃、「かわいそうに」という思いに「これで一人減った!やったぜ」という思いがいっきに交錯し、みんなが一斉に、同じタイミングで息をのむのである。
そして息をとめる。(声を出さぬように、という配慮)

だから、わたしは鍵盤を弾きながら、
「おいおい、きみらが緊張してどうする!こっちにその緊張が伝わるだろうが!」
とますます緊張して思い、あとはもう、何をどう弾いたのか覚えていない。

ただし、その後に「とんび」の歌唱テストもあるのだが、こちらはまったく緊張しなかった。もう落ちたな、と思ったからだ。だから、10人の若者がおっさんのわたしを凝視する中でも、わりと平気で、そうであるばかりか逆に、かなり朗々と、のびのびと、われながらうまい、と思えるほどの「とんび」を歌うことができた。こぶしで唸り、しゃくりでアレンジし、思い切りビブラートを効かせる。すべてを駆使した、大人版の「とんび」。なかなか歌えるものではない。

このときは、とんびを練習するためにカラオケボックスに通い、「とんび」をリクエストして、なんども歌ったものだ。

試験官の前で、

とーべ、とーべー、とーんび。
そーら、たーかーくー♪

ピーンヨロー♪、と鳴くところがたいへんに気持ちよく、思わず身体の上半身が左右に揺れてしまう。ところが、歌う際にはあまり身体を動かさないように、というふうに言われていたことを急に思い出し、ぎこちなくロボットのような揺れ方になった。

水泳は、テストのときに雷が鳴った。

プールサイドに整列し、受験の仕方、採点の方法など、事前注意を受けていたときだ。
空は晴れていたのに、急にゴロゴロと音がした。
悪い予感がしたが、一応そのまま試験は続行された。
シャワーをあびて、

「身体をならすために、アップしてください」

というアナウンスがあったので、受験番号順に軽く50mを泳ぐ。
わたしはクロールでかなりゆっくりと泳ぎ、最後はプール内を歩いた。
もうすでにプール内が渋滞していたのだ。100人近くがいっせいに入ろうとするプールは水面が異常に波打ち、そのため荒波による水を飲んでおぼれそうになりながら必死になって進もうする同じ受験生が多くいたため、そうとしか動けなかったからだ。

その時だ。
山の遠くの方に、ぽつッと黒い点のような雲が現れたかと思うと、空一面にそれがみるみる広がってきて、そのうちにザザーッ!と車軸を流すような雨が降ってきた。

わたしたちはいったん、理科室だかに急きょ避難することになり、なんだか冷たく暗い実験室の中でバスタオルにくるまりながら震え、

「これで確実に風邪をひくぞ」

と青ざめた唇をかみしめながら思ったものでした。
日本全国、はるか遠方からも受験者が集ってきたこともあり、試験を中止するわけにもいかぬ。それから40分ほどして、雨が小降りになったところで、つづきの平泳ぎをして、プールサイドであいさつをしてから終わりになった。

採用試験は4日間つづく。
次の日は器械体操と球技。
バスケットボールは制限時間内に10回程度のゴールを、コートのさまざまな場所から決める、という課題だったが、わたしは果敢にせめたにもかかわらず、すべてゴールを外した。
10回とも、である。くりかえすが、嘘ではなく、10回とも、すべて外した。
最後の3回は、もう本当にゴールの真下から、ほぼノードリブルで、真剣にねらったにもかかわらず、外した。

悪夢か、悪魔の計らいか。
わたしは呆然とし、またもや

「あの人、全部はずしちゃったよ」

という、「みんなが息をのむ」感じを味わった。

わたしはとびきりの笑顔で列にもどり、ボールを次の方へ気持ちよく渡した。次の方は、わたしのそのふるまいに恐れおののいたようになり、目を最大に見開いたまま、ぎこちなく手を出した。そして、わたしに対して憐憫(れんびん)の情が浮かんだ複雑な目を向けながら、その縁起の悪いボールをもらい受けた。
わたしはなにか悪いことをしたのだろうか。
その方もなぜだかしらぬが、次々とゴールを外した。不運なことに。



ところで、4日間のうちに、戦友、という気持ちが芽生えるものだ。
最終日、すべての試験課題を終え、最終の案内と説明を聞くために席についたわたしを見舞うために、トイレ休憩中、何人かの若者がわたしのところへ来てくれた。

「あらまさん、いつかきっと、現場で会いましょう」
「あらまさんのおかげで、勇気をもらいました」
「あらまさん、ぼくら一足先に行って、待っていますね」

まだ結果も出ていないのに、すでにそんな会話を交わしたことを覚えている。

ともあれ、ピアノと水泳が廃止になって、まあよかった。
ついでにペーパー試験も無くして、教員の仕事はすべてボランティアでまかなうことにしたらよいのではないだろうか。日本は確実に変わると思う。

プール

手段と目的を取り違える件

手段と目的を取り違える、という人間の病気は、やはりなかなか治りにくいもののようだ。
この人類が共通して罹る病(やまい)については、心理学的な探求もされていて、
「なんでこうも、みんなが陥るのか」
「世の中でも認識されているのに、なぜ未だに広く行われるのか」
ということが、心理学の世界でもアカデミックに解明されようとしている。
それにも関わらず、やはり全人類が共通して落ち込んでしまうのが、この心理的な「罠」であります。

勤務校では、保護者とのつながりを大事にするために、
「学級通信」
をたくさん出すように、という指令が校長から出ている。


号令がかかると、どうなるか。
すごいです。ボクシングのリングで、ゴングが鳴ったような雰囲気。
真面目に子ども時代を過ごし、そのまま真面目に大学まで進み、けっこうな成績で単位をきちんと取得して採用試験にまで合格するような先生たちでありますから、これはもう、『一斉に』取り組み始めます。元来、先生たちは、「まっすぐ」なのです。やれ、と言われたら、やる。とくに、【保護者との繋がりを持つため】などと、その「意義」を説明されようものなら、ますます鼻息荒く取り組みます。

いや、わたしは学級通信は出すと良いと思いますよ。反対しているわけではない。
ただ、こうした姿を、客観的にいろいろと見ておいた方がよいと思うので。

で、夕方の職員室には、カタカタとキーボードを打つ姿がずらりと並び、壮観ですね。
校長教頭など管理職の目の前には、さまざまな学級通信の原稿が積まれてゆく。
管理職が目を通して許可が出ると、今度はいっせいに印刷に走る。
印刷機の前には列ができます。

やりはじめるとすごいですから。
で、文章が苦手で、なかなか筆の進まない先生など、写真で紙面をうめるためにカメラで児童の作品をパシャパシャ撮っている。いいアイデアですね。子どものノートをスキャンする先生もいて、ノートの指導などを紙面で行っている。みなさん、頭がいいんです。

ところがそういう、忙しい雰囲気のときに、保護者から電話がかかってくると、みなさんだいたいは、

あーー

という困った顔をされて、面倒だな、という雰囲気で、電話に出ることになる。
だって、今、印刷機まわしている最中ですもの。印刷、終わらせたいんですね。

で、結局、早めに電話の要件を終わらせて、印刷機にもどってくる。
電話で話す時間を極力減らし、保護者とは話さずに印刷に精を出すわけで。
つまりは、保護者の言いたいことを聞くのではなく、自分が出したい学級通信を出すことに集中していくようになる。

これは、ある種の「集団ヒステリック」のような状態ではないか、と思う。

売り上げを上げたい営業マンがいて、売り上げを上げるために訪問件数を増やせ、と上司に命令される。すると、その営業マンは訪問して会う顧客にかける時間を減らし、件数だけを増やすようになる。さらにますます件数を増やそうとし、スマホを見、電車の乗り継ぎをスムーズにさせるためのナビソフトを駆使していかに短時間で都内の顧客の会社をまわるかに血道をあげるようになる。

結果として、一日あたりの訪問件数は増える。しかし、短時間で切り上げてしまうために顧客の要望をきちんと汲み取ることができずに売り上げも伸びないということだってあり得るわけで。契約件数が以前より下がる可能性も・・・。まさに本末転倒ですね。

自分は学校にいる教職員であるが、この『本末転倒』をやっていないかが、すごく気になる。
学校には「学力調査」というものさしがあるので、これを上げることにまずは血道をあげたらよいのだろう。しかし、なにか手段と目的を取り違えている・・・ということになりはしないか、一抹の不安が・・・。

学校にある、行動の基準となる『ものさし』。
価値基準。
これがなんであるかが、大事だろう。

いったん、その「ものさし」が決まると、成績を上げるためにありとあらゆる努力をするのが教師という生き物。まじめな先生方は全員、スクラムを組んで全エネルギーを注ぐ。

では、いったい、なにが目的なのか。これが大事。

「価値」に重きを置くのは、どうやら『ちがう』ようだ。
「価値」というのは、ひとが今思っているほどには、重要ではない。
価値がある、とか、価値が無い、という言い回しそのものが、すでに勘違いなのだろう。

価値、からの、脱却。

これが、21世紀、その先のステージだ。

スクラム

ブログのタイトルを変えました【ご報告】

とつぜんですが、ブログのタイトルを変えました。

これまでの「困らないけど、いいですか」
というタイトルから、変えました。


春なので、ちょっとあれこれと新調したくなって。(言い訳)



このところ、本当に仕事が忙しくなり、ブログの更新頻度が遅くなっていました。
春という季節は、教師はみんな忙しくなるのですが、40代、それもアラヒフに近づいているわたしには、なんだかいろんな役回りがまわってきていて、こなすだけでも精いっぱい。
本当は毎日のように夕方5時には帰宅し、定年退職後に始める予定の「放課後デイサービス」に関する勉強をはじめようと思っているのですが、なかなかそうはいきません。

ふだん、教師をしながら自己反省をするための当ブログも、なかなか更新することができず、ただ日常に忙殺されるだけになってきており、

これでは、いかん

という思いが日々、つのってきておりました。

そこで、こうやって文章を書くことで自分の立ち位置を微調整するのが癖になっている自分をさらに奮い立たすために、ブログのタイトルを変えることにしました。

長年、このブログの読者になってくれていた古き良き友人のアドバイスもあり・・・
あれこれとブログの内容をふりかえっていたのですが、そんな中、ふと

「タイトル、変えてみよっかなー」

という気分になってきたので。





で、これまでのブログのタイトルを振り返って見ますと。

初記事が、2006年01月31日<教育技術・授業あれこれ>の、『先生、○○くんが・・・』
からスタートしているのでした。

2006年からかよ!

えっ、もう13年間もこんなの書いてたの・・・!

自分でもびっくり。
このブログに懸けた時間を、英語の習得にあてていたら、もう今頃はペラペラだっただろうな、と。

ちょっとむなしくなりました。



で、その後の変遷をちょっと整理すると。

①30代転職組の新米教師日記
というタイトルでスタート。(このときはまだ30代)
②叱らないでも、いいですか
このタイトルが一番長かったね。
③困らないけど、いいですか
「叱らないでも、いいですか」を見た読者から、わたしのことを「叱らない」子育てメソッドを教える人だと思って複数のメッセージが届き始めたため、急きょ、変更。

さて、つぎはどうしようか、と。


ちょっと迷って、みなさん、ブログのタイトルをどうやってつけてるのだろうか、と検索した結果、こんなページがヒットしました。

ヒット作になりえる作品タイトルのつけかた(1)


その内容によると、

タイトルには、「の」を入れると良いそうです。

たとえば、「カールじいさんと空飛ぶ家」、「カールじいさんの空飛ぶ家」では、どちらが良いでしょうか。

これは、空飛ぶ家、というキャッチ―で興味をそそる言葉に対して、
「その家にはだれが住んでいるか」
ということの答えを、

「の」
がついているタイトルが示しています。
だから、「の」の方が、良いのだそうです。

「と」
のタイトルだと、その家の持ち主や住んでいる人物が分かりません。

読者には、その興味の答えまでが明快に示されている方が良いのだそうです。



ううむ。タイトルに「の」をつけたらいいのか。
わかったぞ。



そこで、最終的に出てきたのが、

超絶困らない!あらまそうかいの40代転職組高卒教師日記


です。

タイトルには強めの言葉を使うと良い、というのも書いてあったので、それじゃあ、と

「超絶!」

という言葉を使用。




・・・あかん、よく分からないことになってきた・・・。



もう少しかんがえて、わたしが尊敬してやまぬ「赤塚不二夫先生」的なスタイルの、いいタイトルを考えたいと思います。
(いま考えると、『天才バカボン』というタイトルは、やっぱすごいわ)

ばかぼん

家庭訪問で繰り広げられる恒例の・・・

4月になり、慌ただしい新学期。
子どもはうれそうです。
新しい教室と先生になり、持ち物や上履きまで新しくしたりして、なんだかウキウキですものね。校庭はあたたかくなり、水にさわっても気持ちよく、まったく良い季節である。

ところで親や先生は大変だ。
連絡網を確認したり、メールを登録したり、子どもの知らないさまざまな業務をお互いにこなさなければならない。

おまけに、そろそろ家庭訪問がある。

都会ではほとんどこの風習は消滅しているらしく、先日久しぶりにのぞいた教員どうしのメーリングリストでは、

「いや、もう家庭訪問なんて久しくしてないです」
「10年以上前から、そんな行事は無いですよ」

と東京や神奈川在住の先生が言っていた。
逆に、東京の先生は、

「え?まだそんな行事、やってるんですか?だって、保護者だって都合をつけるのが大変じゃないですか」

と驚愕していて、まだ田舎ではそんな戦前からの行事が続いていたんだァ・・・と珍しがられた。

「いや、こっちの先生は庭から縁側へまわってご両親や祖父母とあいさつしますし、その後、お茶とお漬物をいただいて、子どもの話もするけど庭に咲いた梅や桃の花の話もきちんとしますよ」

と書き込んでおいたが、東京の先生からすると開いた口がふさがらないというか、

いつの時代?

・・・てな具合で、理解不能、という感じの反応であった。


家庭訪問では、わたしが「恒例の」と名付けている会話がほとんど見られまして、どんなのかというと、

「学校では気もきいてお友達を助けるとてもやさしい子です。本当にありがとうございます」

とまず、教員が言う。

すると必ず保護者が目を丸くして驚き、驚愕して顎をふるわせながら

「いえ!あの子は家じゃ、ごろごろとねっころがってばかりでろくに家の手伝いもせず、兄や姉とけんかばかりで口ばかりの役立たずです」

と、わが子なのに悪罵讒謗である。

そこにわたしがかぶせるようにして、

「いえいえ、学校では本当に学習もがんばっていて理科では・・・国語でも・・・とか・・・というように・・・みんなのお手本で・・・さらには・・・ということもあって・・・など、活躍していますよ。また、全校の集会では年下の子といっしょになって遊んでいて、怪我をした子を親切に保健室まで連れて行ってあげてました」

などと弁護すると、ますます親は呆然としながら

「あらまあ、・・・そんな・・・わが子じゃないみたいですねえ・・・。えー、うそでしょう、そんなの先生ったら。どうしましょうね。にわかには信じがたいわね。へえ、あのぐうたら息子がねえ、そんな・・・本当ですの?」

と目を丸くする、という、ここまでの定番の流れのことである。

教師は、これを35人学級ならほぼ、35人分しなければならず、こころのうちでは

「またこの『パターン』か、やれやれ」

と思っているのだが、これまた毎年、毎年、かならず家庭訪問で行われるわけで・・・。


ところがたった一度だけ、

「そうでしょう。うちの子、学校じゃあ、がんばってると思いますわ。・・・家じゃ、ずっとわがまま言いたい放題ですもん」

と、言った親がいた。


こうくると、

「ううむ」

わたしは心の中で何度もつぶやくのであります。

uguisu



京都歴史旅4 桃太郎伝説の背後にあるもの

歴史研究家でもあり、英語とロシア語の観光ガイドでもあり、クイズ王でもある加藤さんは、
「おう、いたいた!」と声をあげて、屋根を見上げた。

なんとそこには、猿がいた、じゃないの・・・えー・・・。

IMG_3780

なんでも、顔を長い御幣という神祭の道具で隠しているらしい。猿の顔は、残念だけど見えにくかった。

烏帽子(えぼし=帽子)をかぶり横向きに座った猿が、御幣(ごへい=神事で使う道具)を持っている。この方角を護っているわけは、北東の反対側(南西)が、丑寅の逆で未申=ひつじさるだから。方位の考えでいけば、猿は、鬼に対して、強いのだ。

ここで、さきほどの屋根の上の桃を思い出していただきたい。

鬼、猿、桃・・・とくれば、

「桃太郎」ではないですか。

「あのう、桃太郎に、猿が出てくるのは、鬼に対して強い、というイメージだからでしょうか?」

遠慮がちにクイズ王に向かって質問を繰り出すわたし。

ハンチング帽をかぶったクイズ王は遠い眼をしながら、

「まさに、まさに」

と、うなずく。

「そうでしょう、そうでしょう。出てくるでしょう!鶏も犬もいっしょに、ね」

ははあ。

「え、じゃあ、鶏も犬も、あれは干支の・・・」

わたしがようやく合点した顔を見せると、加藤さんは目を細めて

「点と点が、つながったでしょう」


そうだったのか。

鬼を退治したい、という人々の願いは、古来より長い年月をかけてこんなにまで精神の奥深くまで浸透した結果、子どもの寝物語に話す『昔話』にまで発展していったのか。

なによりも北東、という方向が、鬼の居場所であるらしい。
すべての災いが、こちらの方角だ、ということだったようだ。
ことさらに、「北東」を怖れる古代人。

京からみると、北東とは、ずばり比叡山の向こう側、琵琶湖、そして、今の長野県を通って東北地方へと続いていく。都の人々は、潜在意識の中で、この方角に住む得体のしれない者たちへの、不安を蓄積していたのだろうか。

坂上田村麻呂が天皇の命令を受けて、活躍したころのこと。
田村麻呂が若年の頃から陸奥国では蝦夷との戦争が激化しており(蝦夷征討)、延暦8年(789年)には紀古佐美の率いる官軍が阿弖流為の率いる蝦夷軍に大敗した。

このころから、北東は「鬼がいる方角」になったのであろう。
そして、北東は牛と寅。牛の角をはやし、寅皮のふんどしをはかせ、北東には怖ろしい者が住む、というイメージが流行した。

5e66ca80

そこで、

「鬼を退治するには、北東とは真逆の、南西の方位にいる奴が、いちばんいいだろう」

昔のストーリーテラーが、こう考えたのもうなづける。

「ええと、南西というと、・・・猿と羊か・・・。うーん、ひつじが鬼に勝つかなあ」

作家の脳裏では、ひつじのショーンが必死の形相で、懸命になって鬼にかみつくシーンが何度も脳内で再生されたにちがいない。

「やっぱ、だめ!ひつじじゃ!」

そこで、ひつじ(未)ではなく、逆側に座っていた鶏に目を向ける。

「鶏なら、鬼に勝つのでは?」
「ばか、鶏なんかすぐ焼かれて食われちまうぜw」

編集会議でも、反対意見はあっただろう。
ところが、

「猿、単独では物語に深みが出ない。この際、ニワトリというより、大きな鳥(酉=とり)というくくりでもって、雉(きじ)に登場してもらったら」
「そうだなあ。キジならある程度、飛行能力もあるし、鬼ヶ島の様子を偵察しにいく、という役がまわせる」

ということになり、猿と雉(きじ)が登場人物に確定した。

編集会議の終わり際に、

「でもさあ、雉が偵察に出たとしてもだよ」
作家たちの間でも、偏屈者として有名だった巖谷小波が、パイプの煙をくゆらせながら、言う。
「その2匹だけじゃあ、鬼には勝てんだろう」

腕組みをして考え込む、若手作家たち。

巖谷小波は、力強く、こぶしを振り上げて言う。
「鬼ののどぶえを食い破るくらいの、凄惨な致命傷を負わせるくらいでないと、これからの日本は強くならんだろう」
「たしかに!」

こうした流れで、登場人物のさらなるインフレが起こっていったのは間違いない。
猿の隣の『トリ』、そしてさらにその隣より『犬』が選ばれて、家来に確定したのだろう。

もしも逆方向に目を向けていたなら、今頃、桃太郎の家来は、馬とへびだったはず。

おお、馬とへびの方がむしろ・・・。



わたしは、ここまで夢想してみて、最初の疑問に舞い戻った。

「なぜ、そもそも桃なのでしょう?」

加藤さんに率直にぶつけてみると、

「ああ、そりゃ。桃には不思議な力が宿ると言われていたからね」

とあっさり回答。

あとで調べてみたら、なるほど、もともと桃は、仙人の食い物であった。

こんなふうに、猿を見上げながらしゃべっていたら、さきほどの同志社大学の女子学生たちが、興味をもって近寄ってきてた。桃太郎だの、犬だの猿だのと、われわれが大声でしゃべっていたのに注意を惹かれたらしい。

加藤さんが気が付いて、

「ほら、あの屋根のところ。猿がいるでしょう」
「え?猿・・・?おさるさんがいるんですか?」

女子学生たちは、地元っ子ではないのだろうか。
だれも知らなかった様子で、わいわいしゃべっている。

わたしは、桃太郎の家来の中で、もっとも最後に加わったのが犬っこキャラであったことを思うとせつないのであったが、加藤さんが女学生たちに一生懸命にガイドしている姿を写真撮影するのであった。

御所の猿の説明

↑ クイズ王が、女学生に猿を教えている図。

さて、こんなふうに珍妙な「学習」をしながら、わたしはプロのガイドと共に、よい時間を過ごした。
南禅寺の門にのぼって石川五右衛門の真似をしたり、大文字の山をみつけて京都の地形を考えたり、『仮名手本忠臣蔵』七段目で大星由良助(史実の大石内蔵助)が遊んでいる祇園の一力茶屋のモデルになったとされる万亭を見たり、あれこれと充実した午後であった。
中でも琵琶湖疎水をふんだんにひいて池泉回遊式の庭園をつくった山方有朋の「無鄰菴」では、他にお客のいない、めずらしい10分間を、しずかにゆったりとくつろいで過ごすことができ、われながらなかなか上出来な旅(プロガイド付き)であった。めでたし、めでたし。

(本当はもっとこの日の夜が面白かったのだが、これ以上書くと終わりそうもない。また、旅の思い出は思い出した時に記そうと思います)

京都歴史旅3 なぜ桃太郎は伝説化したのか

御所の北東を歩いていると、同志社大学の運動部の女子学生がいた。
どうやらこれから陸上?か何か、トレーニングを始めるところらしい。
同志社大学は御所のすぐ隣だから、この広い御苑の敷地が、格好の運動の場になっているのらしかった。

女学生たちは、走り出すタイミングを待っていたようで、だれもが真剣になって、アキレス腱をのばしたり、腕を振ったり、どうやら身体機能を極限まで高めるための準備に余念がない。

加藤さんはその女子学生の脇を通って、わたしにある場所を指さした。

IMG_3776


ここは、広大な京都御所からすると、ちょうど北東にあたる場所。
外側からみてみると、角が、ぼこっとへこんだような形になっている。
なにか変である。
こんな形になっていることなんて、ちっとも知らなかった。


わたしが不思議そうな顔をしているのをみて愉快そうに、

「どう?変でしょう?」

と、加藤さんはわたしを煽った。

こんなふうに、土地をへこませるのには、わけがあるようだ。
わたしは想像をして、

「わかりました。ここに、見張り番がずっといたのではないですか。角っこに2人とか3人とか、立っていて、見張っている係りの人が・・・」

加藤さんは、にこにこして私を見ている。
わたしは続けた。

「で、このスペースに、椅子か何か置いて、ちょっと水でも飲んだり、お弁当を食べたりしながら、見張ったのでは」

クイズ王はいたずらっぽく、「ちがいますねえ」と涼しい顔だ。

「ヒントは、方位です。北東です」

北東、と聞いてぴん、ときた。
古代より、方位、それも北東となれば、重要だ。ここは、鬼門なのか。なるほど。

「御所からすると、ここは鬼門ですね」
「その通り」

古代の人は、ようするに、鬼門をつくりたくなかったのだ。
北東の角を、きちんとつくってしまうと、そこから魔が入る。
だから、あえて、「北東の角」を「ぼかした(カドを取った=角ツノを取った)」。

それが、このみょうちきりんな、角の形状になったわけである。

加藤さんはその後、そこから屋根の上を見上げて、「おう、いたいた!」と歓声をあげた。

プロのガイドが見上げる、その先には・・・。(つづく)

京都で歴史を学ぶ旅 その2

御所を歩きながら、「ここはかつての公家がいた団地みたいなとこで・・・」と加藤さんが言う。
古来より、天皇家を支える公家の集団がいた。大中小の公家族が、御所のまわりをとりまくように住んでいたらしい。長屋や団地のように、ずらりと並んだ公家の屋敷が並ぶ様を想像しながら、わたしは歩いた。

京都の御所


「蛤御門」に着いた。
「鉄砲玉の痕跡だと言う説もあるし、そうではなく、なにかのキズだろう、という説もあって、断定できないけれど、ありゃあ鉄砲の弾のようだけどねえ」
加藤さんは鉄砲玉説をとりたい、という。

IMG_3710


IMG_3709


「ところで、なんでハマグリの門なのか、分かりますか?」

加藤さんの顔がにやっと笑う。
なにしろこの加藤さん、クイズ王としてアタック25で優勝したことがあるのだ。優勝の景品としてテレビ局が招く海外旅行の経験もあるという加藤さんが、雑学を披露してくれるのは、ちょっと愉快であった。

「江戸時代に大きな火事がありましてね。市中がほとんど燃えたのですよ。ところが御所は大きな門で閉ざされている。ふつうは門が閉まっているから逃げられないんだけど、火事が起きたときはここからの通行が許されたのですね。それで『焼けて口あく蛤』ということで、ハマグリ御門とよばれることになったらしいのですねえ」

加藤さんは御年69歳、まもなく古希を迎えられる年。
ざっくりと教えてくださる雑学が、わたしの中のさまざまな歴史学習のデータと次第に結びついてくる。ちょっとした質問やわたしの反応に、敏感に反応してくださるのがありがたい。さすがはクイズ王、という感じ。

次に、加藤さんがちょっとこれ見てみてください、と示したのが、これ。

屋根の瓦の先っちょについている、紋様(モンヨウ)だ。

IMG_3716


菊の紋章


「ああ、あの先のマークは、菊ですよね?」

天皇家のいた場所なのだから、その家柄を表すための紋様として、菊のデザインが使われたのだろう。そう思った。ところが加藤さんは、ちがう見解を述べた。

「わたしは、これは、魔除けの意味だろうと思う」

なんと、呪術的な意味のある、文化人類学的な視点での、紋様だという。

菊は、除虫菊なんてのもあるとおり、昔から匂いの強い特別な植物だ。動物や虫が嫌うような、強い芳香をもつ。それをデザインにあしらっているのは、他から悪いモノをよせつけない、という意味が一番強いのじゃないか、と加藤さんは持論を述べた。

なるほど。
菊は独特の芳香がありますね。昔からお便所で蛆の発生を防ぐのに使われたり、台所の食品保存で使われたりするなど、殺菌のために用いられる植物であった。大事なものを護ろうとするとき、まっさきに古代の人が頭にイメージしたのが、身近な植物、「菊」だったのではないか。
そう考えると、今の天皇家が用いる菊のデザインも、古代の人の知恵がリンクしていると思えてくる。

わたしはそれから、建物を見る際にはよくよく、その屋根にあしらわれた紋章を見るようにこころがけることにした。

御所の瓦には、ほとんど菊マークが使われている。
ところが一歩御所を離れ、同志社大学の構内を歩いていると、それが違ってくる。
でんでん太鼓に描いてあるぐるぐるとしたマークになっているのだ。

でんでん太鼓マーク


「加藤さん、あの、ぐるぐるっとしたマークは、何なのですか?」

クイズ王の加藤さんが即答する。
コインを投げ込むとすぐに反応してポチャンと水音をたてる、湧き出る泉のような脳をしているのだろう。加藤さんによると、あれは、もともとは無限・永遠をあらわす意匠。始まりと終わりが境無くつづいている。とめどなく流れる水の動きにも通じていて、建物にはよく使われるらしい。

なるほど。でんでん太鼓のマークとばかり思っていたが、あの模様にも、かなり深い意味がこめられていたようだ。

ところで、見ていくと、さまざまなものが、屋根の突端に、くっついているのである。

IMG_3783


IMG_3786


IMG_3784


IMG_3789


「ふひえー」

わたしは一つ一つをみるたびに、

「ああっ、ここは鳥だ!」

とか、

「あーッ、ここはなんか変な動物がッ!」

とか、

「ふひゃあ、ここは桃がくっついている!」

とか、そのたびに驚いて立ち止まるので、通行人と何度かぶつかりそうになった。

クイズ雑学王の加藤さんは、そのたびに、ああ、あれはですネ・・・と語ってくれるのだ。

京都を旅する際は、雑学王でクイズ番組に出て優勝したくらいの方をガイドに依頼した方がよいことがこのことだけでも分かろうというものだ。

この中で、一番分からないのは、桃、であった。(つづく)
記事検索
メッセージ

名前
本文
月別アーカイブ
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 累計:

プロフィール

あらまそうかい

RSS
  • ライブドアブログ