30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2018年10月

猫が毛だらけな理由

くたくたになって帰宅したとき、ふわふわの毛布にたおれるように横になることがある。
そうすると、そこにふわふわな毛布の触感を得て、なんとなく、心が軽くなる。

これはまったく理屈に合わないことだ。
脳内の思考や苦労ごとや心配がなくなったわけではないのにも関わらず、なぜだか心が軽くなるのだから。

なぜか理由ははっきりしないけれども、癒される。
これは、ホントにわけがわからないが、たしかに実感としてある。
実に、不思議なことだと思う。

幼い頃、父が勤務先から、小さなトロフィーを抱えて帰ってきたことがあった。
父はそのころ、なかなかの熾烈な業界で営業をしていた。その月はどうやら父の販売成績が良かったらしく、職場の大会で表彰されたらしい。
母はうんと喜んでいたが、なんだか子どもには分からない大人の事情もあったようだ。つまり、懐(ふところ)の具合が、多少なりともあたたまったのであろう。母は常には見せないほど嬉しそうにしていた。

母はトロフィーを小さな箪笥の上に飾り、幼い私たち兄弟に、

「これは本当に大切なものなんだから、触ってはいけません」

と教えた。

ピカピカと金色に光るトロフィーは、実際にはただのプラスチックであっただろうが、わたしたちはそれを本当の「金」で出来ているのだと思い込み、父親を
「実はすごい男なのではないか」
と危うく思い込ませるほどであった。

ところで、一度、わたしはそのトロフィーを触りたくて仕方がなくなって、親の留守中にひとつ年上の姉と共謀し、箪笥の上のガラスの扉を開けて、持ち上げてみたことがある。

そのときの、重さには、実際感動した。
本当に重かったのだ。
わたしは、その金のトロフィーを何度も持ち上げて、やはり姉とふたりで

「うちのおとうさんって、すごい人かも」

と、束の間の勘違いにひたることができたのである。

ところが、その化けの皮が剥がれるときがきた。
今度は3つ年上の、ちょっと利口な姉が、わたしたちに真実をばらしたのであった。

「あんなの、ただのプラスチックだよ」

わたしとすぐ上の姉は反論した。

「ほんものだよ。だってあんなに重いんだよ」

それを聞き、すでに中学生だった一番上の姉は鼻であしらうように笑い、そのトロフィーの底の蓋をはずしたのであった。

そこから出てきたのは、小さな、コンクリートのかけらのような四角い石で、その石を取り去ったトロフィーは、とんでもなく軽かったのでありました。

トロフィーが軽くなった途端、ものすごい勢いで、わたしたちの幻想はガラガラと崩れてしまった。トロフィーの価値が、またたくまに消え去った。

「えー・・・」

小さい方の姉とわたしは、二人であまりのことに驚き、愕然とした。



ふわふわの毛布と同じく、重たいトロフィーには「価値」を感じる。
これは、理屈ではなく、身体的なメッセージが心に大きく作用した、ということであろう。
人間の脳は、理で悟るというよりも、身体で感じるメッセージの方を、かなり重要なものとして把握するらしい。
だから、わたしたちは手にずっしりと感じ取った「重さ」に感動し、
ふわふわの毛布の「やわらかさ」にホッと安心を感じるのでしょう。
これは、人間が「理」よりも「感覚」で生きているってことの、証明になりますね。
(だから「感覚」ばかりで話をするし、それで混乱して不幸になっている)


心が本当に痛んだようなときは、周囲がおせっかいに発する理性の言葉なんかより、人肌の温もりの方がどれほど恋しいことか。

猫が毛だらけな理由も、そこにある。

理屈ではない。
毛だらけで、もふもふで、やわらかくて、あたたかくて、なでるとつやつやで、すべすべで、押すとやわらかい。

猫がどんなにナマケモノで役立たずであっても、うるさく鳴いても、お菓子の箱をふんづけて歩いても、許されてしまうのは、毛だらけだから、でありましょうナ。

教訓:子どもには、ふわふわの布団を用意すべし。

ねこ



【5年・国語】大造じいさんで、女子が変わる話

ともかく討論にしたい。
脳が活性化するからだ。
それも、「AかBか」くらいの簡単な。
簡単にするワケは、だれもが議論に参加できるから。

ラーメンかうどんか、どっちが好き?

こういう類の質問になると、子どもたちはどうにも止まらないほど、意見を言おうとする。
「聞いて!聞いて!」という感じ。
これを、授業中にやりたい、と、こういうワケ。


①学習課題はシンプルに
②登場人物と自分との比較をしながら「課題」を見つける

とくに②が大事で、自分たちが考えたくなった問題であればあるほど、意欲が増す。
先生が「考えてみよう」と投げかけたものでも大丈夫だけど、自分たちで
「なんでだ?」となった問題は、とことん考えようとする。


〇ランキングを考える方法

6年生の歴史の授業で、
縄文から弥生への変化ランキングを考える
という授業
をしたことがある。

縄文から弥生への、一番大きな変化といえば、多くの子からは「稲作」が最初に出てくる。
ところがあれこれ討論するうち、一番大きな変化、というところにこだわると、
「うーん、渡来人が来た事、そのこと自体が大きいんじゃないの?」
という子も出てくる。

結局、
・金属器の伝来
・縄文式土器から弥生土器になったこと
・新しいタイプの墓
・集落の設計

たーくさん、意見が出て来て、決めきれない。

しかし、決めきれなくても、その過程の討論がすこぶる面白くて、ためになる。
子どもが「あーあ、おもしろかった」と言う授業になるのでありました。


「大造じいさん」でも、ランキングを決められないかな・・・。
うん、できますね。みなさんご想像の通りです。
「作戦のランキング」が思い浮かびました。
例の作戦について、です。

①ウナギつりばり作戦
②タニシばらまき作戦
③おとり作戦
これで、
「準備がたいへんだった作戦のランキング」を考えましょう。

やってみました。

第一位は、これもまあ大半の子が手を挙げたのですが、やはりタニシばらまき、これでしょう。
なにせ、タニシをどっさりと、つかまえなければならない。
つかまえた大量のタニシを、蓆を編んだ米俵とか何かにぶちこんで保管しておくだけでもそうとう大変だろう、と。
そしてそれを、沼地に運び込んで、どっさりとばらまいておかねばならない。それも数か所に。

第二位は、ウナギつりばり、でした。これも、タニシの中に、ごく少数の罠をしかけるのが、大変そうであります。それも、「釣り針」を仕掛けるのですから。うっかり手に刺してしまいそうです。
おとり作戦は、それほどでもなかろう、と。第三位です。

クラスの38人のネームプレートを黒板にびっしりと貼り付けて、
だれが、どのランキングを支持しているか、明確にします。
これは、明確にすべきです。

「わたしはぜったいに、こう思う!」

と言い切ることに、人間はどうやら興奮を覚えるようであります。
だから、幾種類かのランキングのタイプを黒板に明示して、子どもの名前を全員、貼ります。
すると、がぜん、教室の空気が、いっきに活性化してきます。
おどろくほどの変化です。ふだん仲の良い女の子どうしも、ここはゆずれませんで!という感じで、AちゃんもBちゃんも、同じ意見になりません。

「ええ??Bさん、Aさんと、意見が違うじゃん?」

だって、BさんとAさんは、いつだっていっしょ、トイレもいっしょ、服もおそろい、音楽会で選んだ楽器もいっしょ、ダンス教室もいっしょ、英会話教室もいっしょ、なんでもいっしょなのに。

わたしが心配して聞きますと、

「はい。ちがってもいいでしょう」

と涼しい顔。

「Aさんとわたしは、別の人間ですから。意見がちがって当然です」



こうなってくると、教室のみんながびびるほどの迫力が出てきます。

「わたしは、おとり作戦が1位です。だって、ピューッと口笛ふいたら、大造じいさんの肩に、とまるんですよっ!!あの重そうなガンが、肩にとまるんです。それほどに手なずけるまでに、どれだけのじいさんの涙ぐましい努力があったか・・・」

Bさんの声が、心なしか、ふるえています。

「だから、わたしは、おとりが1位です!鳥さんを手なずけるまでの苦労、これが一番!じいさん、めっちゃ大変だったと思う。なにか文句あります?」

ふだんはBさんとAさんのコンビぶりをからかっている男子たちも、この剣幕の前に、ホワイトのうさぎのようにぷるぷる震えて小さくなっています。

キーン、コーン、カーン、コーン・・・

男子がうさぎになったところで、授業が終わりです。
さあ、明日が楽しみです!

kamo

食べごと

人間の生活にとって、食生活が重要であることは言うまでもない。
また、食事は生理的条件(生命保持や成長)だけを満たせば済むものでは決してなく、美味しさ、楽しさ、満足を求める行動でもある。そして、食事の楽しさ・魅力・満足が人間生活の豊かさにとって基本的な条件の一つとなっているともいえる。

食生活を満喫謳歌する、というのはどういうことだろうか。
わたしたちは時折、「安全かどうか」とか、「栄養があるものかどうか」ということを考えすぎることがある。そのため、食事そのものを心から味わうことができない。
「安全面」と「栄養面」が自分の頭で判断した基準に達しているから、ようやくほっと安心し胸を撫で下ろして食事をいただく、というだけだと、何か心寂しい。
食事を心で味わう、心底美味しくいただく。そのためには、何をどう食べていくのか、食卓の上だけの話ではなく、食べ物を通してつながる社会の背景全体をも視野に入れた考え方が必要になってくるように思われる。

「食べごと」という言葉がある。
いわゆる食卓の上の物をたべる、食事風景のことだけをさすのでなく、食材を畑に収穫しにいくところから、それを運ぶこと、洗ったり皮をむいたり等調理すること、食器の用意、食べること、そしてその後の片付けや家族の団欒までをすべて含んだ意味をもっている。最近では、畑に収穫しに出かける、といったことは少なくなっても、食品の購入を前提にしながら店に出かけて行き、あれこれ物色しながら食物を手に入れ、家に持ち帰るという主婦の日常生活が「食べごと」だといえるかもしれない。

都市化と職業の専門化が進むにつれて、これらのプロセスが分断され、今日では都市の消費者はこれらの生産にかかわる社会的意味をすっかり失ってしまった。都市では食物がますます商品化され、すべて店で買って食べるようになった。その食物が存在した自然環境や季節、これを手に入れる時の細やかな知識や感性というものはもはや縁のないものとなっている。食事を、体内にエネルギーを取り込むための入力(インプット)方法だとわりきって、効率だけを考えた食生活をおくる人もいるようだ。「食べるだけ時間の無駄」と思っている、という話もある。「食べる=消費する」という考え方が、こういう考えへと発展していくのだろうか。

「食べごと」という観念は、「=(イコール)消費する」とはならない。それは人間の暮らしをつくる重要な要素の一つであり、人間生活そのものである。人と人とが共につくりあげていくもの。社会を支える根底である。

「消費」ではなく、「食べごと」、あるいは「食べごと」を通しての社会参加。人生を満喫謳歌するための大きな分かれ目が、ここにある。

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【5年算数】分数が分からない

算数の分数計算、いよいよ通分に入った。
これが難しい。
多くの子が、?という顔。

たしかに、分数は割合を示す記号のようなものだから、通常の整数とは世界が違う。
これを今までの、整数の感覚をもったまま、勉強しているのだから難しい。

3分の1が、1÷3、であることを、なかなかうまく説明できない。
ついぞ、整数の感覚で考えるために混乱してしまうようである。

4/2=2/1=2=6/3。
これを、図で書いたり、絵で描いたりすれば、

「ははあ。なるほど。わかった!!」

ところが、次の日にもう一度これを確認すると・・・。

え?なんでこうなるんだっけ・・・?

という子が、必ず2,3人は、いる。



分数の引き算で、通分が必要になる。

少しずつ、ゆっくりと、進めていく。
ここで焦ってはいけない。

進度が遅れた分は、次の「面積」の単元で取り返す。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた、新学習指導要領の『算数』。
ここを乗り切るには、柔軟な思考と、健全な進度変更、ハンドルの遊びが要る!

進度から遅れてはいけない!と、なんでもかんでも白黒をハッキリさせるのはよくない。
人間、なにごとも、そうであろう。

きちんと、絵を描いて、分数を面積で体感しながら、ゆっくりとやっていこう。
これが、りんご畑の堆肥のように、徐々に効いてくるはずだ。
6年生になっても、中学生になっても、分数の理解に、このときの体験が、

かならず生きてくるはず!!

堆肥のように、効いてくるはず!

あきおさん


りんご畑の12か月。
お勧めです。

りんご農家で実際に働いている、絵描きの中武ひでみつさんが、絵を描きました。
小学生の子が、手紙を書いている風に、物語が進みます。
いい本ですよ~。
(そろそろ、りんごがお店に並び始めましたね)







わたしはネアンデルタール人

ネアンデルタール人について、先ごろ、NHKスペシャルで放映されていたのをご存知だろうか。

わたしはそれまで、ネアンデルタール人というのは、われわれホモサピエンスよりも大柄で野蛮であり、ちっとばかし頭脳がゆるくて、そのため滅んでしまった、というイメージを持っていた。
そこで、学校でも歴史の授業の最初の最初、そういった話をしてしまったこともある。
ところが、それはまったくの誤解であったようである。

詳しいことは知らないが、どうやらネアンデルタール人のおかげで、現生人類のわれわれは、生きていられるようなのでありました。
その謎を紐解いていくと、なんだかネアンデルタール人に申し訳なくて、素直に謝りたい気持ちになる。

なんでこんなに、誤解してきたのだろう。
人類は、誤解がやけに多すぎる。
つまり、人類が普遍的に持っている欠陥回路なのでしょう。
だれも、完璧な知能を持ちえないためか、あるいは知能というものがもともと『マチガイを当然』とするものであるためか、人間は全員、当然のように誤解をするのです。

それにしては、わたしを含めてお互いに、みなさんも「いや、わたしは事実を知ってる」と言い張りますナ。
そして、そういう態度についてはだれも不思議に思わない。ここがまた、人類の悪い癖なのありましょう。


どういう背景があったのでしょうか。
ここからはNHK番組を見た、かすかな記憶を頼りに書いております。
(まちがっていたら訂正してください)

解説しますと、
ええ、ネアンデルタール人は・・・。

実は、ホモサピエンスよりもかなり先にアフリカを出ております。アフリカより北方向と東方向にむけて進んだのですね。時代的には、かなり古い時代です。
その間、気候の変動などがあり、アフリカ大陸が住みにくい土地になったとき、ホモサピエンスは絶滅寸前にまで追い込まれるのですが、ネアンデルタール人は幸運にも北方の土地およびアジアの各地域に進出済みであったため、生き残ることができました。

ホモサピエンスは弱くて集団の力を磨き、コミュニケーションの高度化によって生き延びていくのですが、ネアンデルタール人は個人の能力が高く、獲物をしとめる能力があったため、人数の少ない、ゆるやかなグループで生きてました。

で、時代的には後からになるのですが、ホモサピエンスがようやくアフリカを出まして、各地に散らばり始めます。当然、そこでネアンデルタール人と顔を合わせます。

これまでは、そこでホモサピエンスがネアンデルタール人と対決して、勝ったのだ、ということが言われておりました。(勝った負けた、という思考パターンが頭の中にあり過ぎなのでしょう)
ところが現実は、仲良く混血しておりまして、お互いを配偶者としていたのですね。どんどん混血が進み、今の現代人には、わずかでありますが、どの人も数パーセントはネアンデルタール人の血が流れているそうです。(つまり遺伝子)

これが明らかになると、どうにも顔が赤らんで、恥じる気持ちがたくさん出てきます。

たった今まで、口汚く「乱暴者!」とか「脳タリン!」とか、「図体がでかいだけの穢れた肉食野郎!」とネアンデルタール人のことをののしっていたのに、手のひらを返したように、全人類が

「すみません。わたしがネアンデルタール人の子孫です」

と言わねばならないのですから。


ヒトラーもアンネフランクも、トランプも安倍総理も、ミッテランもシラクも、ホメイニ師もサダト大統領も、死んでもラッパを離さなかった木口小平も、インパール作戦を進めた牟田口将校も、あなたもわたしも、みんなネアンデルタール人の子孫だということです。

で、アフリカを遅れて出てきたホモサピエンスは、どうやら一部は死に絶えたようです。病原菌に冒されましてね。ヨーロッパやアジアに存在していたウイルスに勝てなかったのです。
ところが、ネアンデルタール人は、そのウイルスの耐性を持っていたのですね。なんとなれば、彼らネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスより数十万年も先に、アフリカを出てヨーロッパやアジアに広まっていたのです。その間に、ウィルスへの耐性を獲得していったわけ。

ホモサピエンスは、弱かったし、ウイルスへの耐性を持っていなかったので、これはもう、自らのぞんでネアンデルタール人と混血するしか、生き延びる術がなかったのです。

ケロポンズと福田りゅうぞうさんの『ねあんでるたーる人』で火を起こしたり獲物をとったりしているネアンデールたちも私たちの祖先だ、と考えるとなおさらのこと、親近感がわいてきます。そしてまた、

同じ人として、人類として、

「誤解しててすまん」

と叫ばなければならないみたいですネ。

ネアンデル
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