30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2018年09月

自分に対する不足感

自信がない、自己肯定感が薄い、というけど、
自分に対する不足感のようなものかな。
その「不足」とは何か?

もともと、「不足」はない、はず。
赤ちゃんで生まれたとき、どんな顔つきだって、どんな泣き声だって、愛された。
「わあ、かわいい!」と祝福された。

いつから「不足」が始まったのか?

高学年になると、もうしっかりと、
「ぼくはどうせ」「わたしはどうせ」となっている。

他の子の成績に劣等感を感じ、
他の子の着ている服に嫉妬し、

他の子どうしが楽しそうにおしゃべりしていると、

「仲間外れにされた」

と思う。


この疎外感は、いったいなんなのか、と思うネ。
さびしさ、孤独感・・・


本当には、仲が好いわけではない。
本当には、自分が好きなわけではない。
本当には、・・・認めていない。
本当には、・・・大事にしてない。


どこか、自分を大事にしないで生きている、ということかネ。
子どもに、「自分を大事にするって。どういうこと?」と聞いてみたい。


「え?そんなこと、考えてる暇、ないよ」
「習い事行かないと」
「勉強しないと」
「成長しないと」

と言って、返事がもらえないかもネ。


すべての行事を、いったん止めにして、
すべての教師が、考え始めたらどうなるだろうか。

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腰痛に、紅茶キノコが効く!?

〇〇が効く!というのには、論理的な破たんがありますな。
ところが、紅茶キノコが効く!と断言されると、ちょっと面白そうだと思うネ。
UFOとか雪男、と同じ雰囲気で、楽しくなってくるような・・・。
え?こない?


さて、2学期も始まって1か月が経ち、そろそろ腰痛で悩まされる頃。
全国の小学校教師のみなさん、いかがお過ごしでしょうか。

職員室に、トクホンの香りがそこはかとなく香り、職員室や更衣室のごみ箱に、はがした白い湿布薬(のび~るタイプ)が捨てられているのを見るのも、ほぼ日課となりました。

腰痛をかかえる教師にとっては、教室の中に落ちているモノを拾うのが、きつくなりますわナ。
すると、

「先生ってすっごく面倒くさがりだよ。だって、消しゴムが落ちたのに、すぐ拾わないんだもの」

なんて、子どもたちが噂しますよ。
あなたのことを、なにも知らない子どもたちが。

消しゴムを拾うのに、冷や汗が出るくらいに腰が痛い、ということを、どうやってまだ10歳前後の子どもたちに、説明したらいいのだろうか。


久しぶりに思い出したので、貼っておきます。
(湿布じゃなくて『月刊腰痛』を・・・!)


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なぜ「きのこ」に執着するのか

雨が数日降り続いた後、近所の裏山(岡崎市内)に分け入っていく。
朝、こころの落ち着く、しずかな時間だ。
ひとりだけの、自分と向き合う、大切な時間。

すると、粘菌たちが、話しかけてくる。
「そろそろ」
「そろそろ、いいか」
「わたしはここに」
「おれはここにしようっと」

目に見えない、菌たちの世界が、豊かに展開している。
人間たちの喧騒をよそに、着実に、菌の世界を広げている。

わたしは、きのこが好きだ。
自分の小腸の中にも、菌はたくさん住んでいるが、森の中にも菌は住んでいる。
森は、菌たちの合唱会だ。森にこだまする、菌たちのコーラスを聞くがいい。

そして、その菌を人間は食べる。
菌は、小腸の中の菌たちと、呼応し、響き合い、人間の身体の中で、すてきな音楽を奏でようとする。

バターで炒めるのもいい。
オリーブオイルも合う。
軽く炒めてから、味噌汁へぶちこんでもかまわない。

いちばんいいのは、紅茶きのこ、だ。ご存知ですか、紅茶キノコ。
1970年代に大ブームとなりました。ご記憶のある方も多いでしょう。
当時は、芸能人ならほぼ全員が『紅茶キノコ』を飲んでいました。
テレビのワイドショーはもちろん、新聞雑誌の特集も、みんな『紅茶キノコ』でしたね。

しかし、時代はそこから3周くらい回りました。
1980年代には、「あの紅茶キノコブームはどうなった!?」と特集されていましたし、
1990年代には、「おっとどっこい、生きていた紅茶きのこ」と報道されていました。
2000年代と2010年代で、もう一度ブームになりかけていましたが、今ではほとんどの人が紅茶キノコなんて知りませんし、話題にしません。

わたしは両親が第一次『紅茶きのこブーム』の世代で、当時子どもでしたが両親のおこぼれにあずかって、飲んでいました。もう一度、あの紅茶きのこを、飲んでみたいものです。

ところが、そのきのこを探すのが至難のワザ。
今年も山に分け入ってみましたが、見つかりません。
紅茶キノコは、一体どこに生えているのでしょう。(注:紅茶キノコはキノコではありません |д゚))

(※白いキノコは猛毒注意)
食べてはいけない


【体育】走り幅跳びの指導・まとめ

スモールステップで楽しくやっているうちに、実は上達している、というのがスマートだ。
いつの間にか、夢中で跳んでいるうちに、以前よりもものすごく遠くまで跳べるようになった。
「練習すると、すごく伸びました」
「わたしって、すごいかも」

となることを願う。

1)【教室の黒板を使って】助走・踏切り・空中姿勢の3つを工夫する、と伝える。

2)助走は、速い方が良い。(子どもに考えさせ、予想させる)
  踏切りは、勢いの良い方が良い。(同)
  空中姿勢は、よくわからん??(この時点ではたいてい、分からない)

3)【体育館で】
  ①1歩でふみきる ここで、右足がよいか、左足がよいか、自分で判断する。
  ②3歩でふみきる 勢いよく、思い切り遠くへ跳ぼうとして踏み切ること。
  ③5歩でふみきる 3歩のときと同じ足から走り始める。
  ④7歩でふみきる 3歩のときと同じ足から。
  タ、タ、タ、タ、タ、タターン(最後は歩幅がせまくなる)
  全力で走ってきて、ふみきることができたか。

4)【体育館で】
  空中姿勢を工夫することができたか。
  ①跳び箱6段からエバーマットに向けて、とびおりる(以下同じ条件)
  ②空中でひざをかかえ(体育座り)そのままおしりからマットに着地
  ③空中でえびぞりをしてから、ひざをかかえておしりから着地
  ※えびぞりは、足がそっていること  

  ステージ下にエバーマットを設置
  ④ステージから1歩踏み切り(タターンのリズム)で、マットに着地
  ⑤1歩踏み切り⇒空中ひざかかえ⇒おしりマット着地
  ⑥1歩踏み切り⇒えびぞり⇒空中ひざかかえ⇒おしりマット着地
  ⑦3歩踏み切り⇒えびぞり⇒空中ひざかかえ⇒おしりマット着地
  ⑧5歩踏み切り⇒えびぞり⇒空中ひざかかえ⇒おしりマット着地

5)【校庭の砂場で】
  班のお互いで見あいながら、空中姿勢を研究する。
  とびだす角度もお互いに知らせ合う。(腰・ベルトの位置でみる)
  ※角度は段ボール紙を15度の角度にしたものを使う。

6)記録会

夏木立

【待つスキル】社会科のすごろくで実践

衝動的にしゃべる、という子。
わたしもかつてそうであったなあ。自分の子どもの頃を思い出すよ。
今でも嫁様に「ようしゃべる口だねえ」と呆れられているし、どうにもとまらないのだからね。

〇順番が待てずに順番を抜かす子。
これは、ちゃんと待っていれば、やがて自分の番がめぐってくる、と安心させることが要る。

〇説明を聞かずにやりはじめて失敗する子。
最後まで聞くと、成功しやすい、ということを『成功体験』で理解させる。

このあたりをゲームで身に着けていくやり方はいろいろと考案されているが、先日やったのは、高学年にしては初歩的なもの。順番待ちゲームだ。しかし、単純で理解しやすく、短時間でやれるものの方が、実は高学年向きだ、という気もした。


【順番待ちゲーム】
社会科で米作りを学んだ。
種もみから苗づくりをするところから始まり、育苗、代かき、雑草とり、中干しなど、行程を確認できる資料をみながら、「社会科米作り・すごろく」をつくる。
このすごろくが、実に、『順番待ち』に最適なのだ。
1)社会科ですごろくをノート見開き2ページ分につくらせる。
2)絶対にいれるべきマスとして、『一回休み』をつくる。
  たとえば、日照りが続いた1回休み、など。
3)しかし、その1回やすみのマスに止まった場合は、一回休んだ次の回に、2度サイコロをふれるようにする。つまり、休んでもリカバリーがきく。(このことでキレなくてもいい、と考える)
4)途中で、『質問カードに答える』というマスもつくっておく。
5)たとえば、「もし授業中に消しゴムを忘れたことに気づいたらどうする?」とか、「音楽室からもどってくるとき、忘れ物をした。友達が気づいて持ってきてくれたとき、友だちになんと言う?」など、生活に関わるルールの札。また、「九九の8の段を高速で言おう」や「四字熟語を2つ言う」とかの教科に関わるものなど。
6)終わった時に、「1番で勝った人?」と聞かず、「順番を守れた人!」と聞く。

順番ひとつで、喧嘩も起きれば、殴り合いも起きる。
常日頃から、『待つこと』を意識する生活にしていく。

そのうち、だいぶ衝動性も少なくなってくると、本人が過ごしやすさを実感するようになる。

「だいぶ、落ち着いて楽しんですごすようになってきたね」
「じっくり考えて行動できるようになってきた」
高学年だから、だんだんとその気にさせていくのもいい。
「落ち着いてきたので、判断を間違えないようになった、自分が本当に選びたいものを選べるようになってきた」
これ、本人が実感しているときに周囲もそれを認めていくといいよね。
少しずつ、自己肯定が進むと感じています。

しかし、一番大事なのは、ともかくもクラスの人間関係。
大好きな友達が相手なら、待てる、待てる。
なんにも問題ないんだもの。

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久しぶりのクラス会議を・・・

クラス会議を復活させました。
何年ぶりだろうか・・・。

今のクラスの実態に、合うかもな、と思ったのがきっかけです。
担任としては、いろいろと試してみるべきですし。

〇一周めに、ありがとうを言う

これが、GOODです。
ほとんど日常、ありがとう、を言ったことのない子が、小さな声でも、それを言います。
そのときの、彼の態度が、ちょっと面白い。
キザな感じになる。だけど、それをみんな、受け入れている。暖かい!!

〇二周めに、「困ったこと」を言う

2学期になって急にはじめたから、どんどん出てくる。
だけど、まるきり出ないってのよりも、すごくイイ!

「先生、すぐに解決できやんのちゃうの?」

と子どもたちから出てくるけど、それもいい。

「できそうなのを、とりあえず考えて見ようか」

「ふーん」



先週もやったけど、今日もふと時間ができたから、やってみました。
すると、前回のことが生きてくる。

子ども「前回も出たけど、また今回も出た」
わたし「どうする?」
子ども「ちょっとアプローチを変えてみたら?」

困った、と言い出した子に、聞いてみる、ということも自然発生した。

だれか「〇〇ちゃんに、どうか聞いてみて」
司会「〇〇ちゃん、どう?」
〇〇ちゃん「-うーん、まだ試してないから、A案を一週間、やってみる」
みんな「じゃ、それで」


このサイクルが回りだすと、なにか、落ち着く。

クラスが、落ち着く。

やっぱ、かっちりしたことの好きな子が多いんなら、やってみる価値あるなあ。
今のクラスなら、会議形式も、自然に進む気がする。何よりも、ルールでカッチリ進んだ方が、安心する、という感じがある。子どもによりけりだが、やんわりと、フィットするかな。


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父のスペック(一周忌に思う)

先日父の一周忌があり、親戚一同で、昨年9月に亡くなった父のことを回顧していた。
ところが、不思議なのは、当人のことを語ろうとすると、うまくいかないのだ。
当人を語ろう、と肩に力を入れれば入れるほど、当人そのものを語ることができない、というジレンマに、その場にいた全員が陥った。

父自身のことを、言おう、言おう、としても、どうしてもそうならない。父自身ではなく、なぜだか、父の『スペック』、の話しになってしまう。
ところが、父自身は、父の『スペックそのもの』とは異なる。
父の学歴、父の職業、父の給与、父の持ち物、車、ネクタイ、カバン、時計・・・それらは、父が持っていたものだが、父がそれらを所有していた、ということがすなわち、父自身を表すわけではない。
〇〇が得意な人だった。
〇〇ができた。
〇〇を持っていた。
あいにく、そういう話題ですらも、『父自身、父そのもの』を語ることはできないのでありました。

なぜなら、みんな私が知らなかった話しでしたよ。
それは、父を表現してはいませんでした。
わたしにとっては、父が高校生だった時、弁論大会で優勝しようがしまいが、それらは「わたしにとっての父」とはなんら無関係なのです。現に、この年になるまで、そんなこと知らんかったからね。それでも、わたしの父でしたから。かけがえのない、ね。

わたしの父は、わたしの父、であり、弁論大会で優勝しようがしまいが、まったく関係がない。
わたしのなかで、父は、独立した存在なのです。

親戚一同で、なんとか父のことを語ろうとし、一同で
(スペックの話しって、こういうとき、つまんないんだなー)
と思ったのは、とても印象的なことでした。


ところが。
「父そのものを語ろう」とすることを諦めて、それぞれが当人にとっての父を語りだすと、がぜん、雰囲気が変わりました。

「これはわたしと兄さんしかおらんときの話しやで、みんな知らんと思うけど・・・」

とか、こういう前置きがつくと、これがむちゃくちゃ、面白い。
親戚一同、こういう話になったとたん、みんなの目が生き生きしだしました。
つまり、「父そのもの」を語ることをアキラメて、「わたしにとっての父」を語りだしたのです。

叔父が語りだしたのは、彼にとっての印象深いシーンで、父が夏休みにアイスキャンデー屋をはじめたときのこと。
「アイスキャンデーを売ろうとして、自転車の荷台に箱をつけて氷をいれてキャンデーを売り始めたのは良かったが、どうも恥ずかしくて『アイス~』とか『キャンデー~』とか叫ぶのができず、次第に街をはずれて山道を行くようになった。一緒に手伝っていた俺が心配になって「もうちょっと人のおるところへ行った方がいいんちゃうか」と進言したら道を変えたが、やはり草野球のグランドに立ち寄っても『アイス~』の声が出ず、最終的にアイスはみんな溶け、キャンデーは棒だけになってしまった。
兄貴といっしょにアイス屋をやったのは大損だった。金は損を出し、兄貴もくやしそうにしていたが、兄貴はのちのち何年もこの話を笑いながらしていて、自分でも面白かったのではないかな。弁論大会では大きな声でしゃべったが、アイスキャンデー!だけは、よう言えんかったんやわ、ハハハ」

これは、父そのものを語る話ではない。
叔父の『目線』がどこにあったかの話である。
叔父の網膜に父がどう映ったか、それを叔父がどう思ったのか、という話である。叔父にとって、この出来事は印象深く、面白かったのであろう。
つまりこれは、こういう話を面白がる、という、叔父のきわめて個人的な趣味を示しているわけ。

叔父は、「おれは本当にそのときの悔しそうな兄貴の姿がよく思い出されるよ」と言った。なんでそのことが叔父にとって印象的なのか、というと、叔父自身が、そのことが楽しかったからだろう。これは、父を語った話なのではなく、叔父の陽気な性格を語る話、なのである。父ではなく、叔父という人物を説明する話なのだ。


こう考えると、人間は、人間の価値を断定することは所詮できないのだ、と分かります。だって、だれも、父そのもの、を語ることすら、できないのですから。せいぜい、当人にとっての・・・、を語るだけで。

「父の話をしよう」ということをあきらめて、自分の話をしますが、ということに開き直った瞬間から、がぜん、話ができるようになっていったのは、つまりはそういうからくり、があったからなのですね。
親父のスペック云々なんざぁちっとも知らないが、俺にとっての父はまったく、ああいう父で変わらんってのが、面白い事象だなぁ、と不思議な安堵に包まれて、帰宅しました。



帰りの高速を走らせていると、どこかの花火が見えました。
それまで寝ていた嫁様が急に起きて、
「なんの音?」

夜空に、花火が上がりました。
一滴一滴が、息のを呑むほど煌めいて、見惚れているうちに、大輪の雫はたちまち消えてしまいます。
親父は昭和十年生まれの、180センチです。
当時はさぞ、大きく見えただろうな、とふと父を思いました。

よおし

脱獄、という生き方

みなさんは、北海道を観光したことがありますか?
いいところがたくさんありますが、では「網走」はどうでしょう?
行かれて、観光された方はいらっしゃいますか?

網走、というと、「網走刑務所」が有名ですね。
ある囚人は、国内の監獄を何度も脱走したあげく、とうとう2度目の脱走の後、北海道へ連れてこられ、「網走刑務所」に収容された。
ここなら、脱獄はできないだろう、と思われた。
現に、だれもここで脱獄を試みた者はいなかった。
ところが、この囚人は、心理学、化学、物理学、医学をすべて駆使して、とうとう脱獄してしまう。

たとえば、食事のみそ汁を、ほんのちょっぴり、口の中に含んで残しておくんだそうです。そして、看守が食事を下げて居なくなると、口中のみそ汁を湯呑みに移して残し、手錠に吹き付けたり、鉄格子にも塗りつけたりして、わざと錆びさせていたんだそうで。(こうすると、人工的に錆びることになる)

また、脱獄経験者である、ということから、この囚人の記録はとくに念入りにとられていて、たとえば部屋の中の、天井を見上げている回数は何回、とか、きちんと報告されるのです。ところがそれを逆手にとって、何度も天井を気にするふりをし、看守が天井を直したり、チェックしたりする隙に、いつの間にか地面に穴を掘っていて、逃げてしまう。

雑技団のような人です。なんてったって、頭が通る穴があると、肩の関節を外して、蛇のように這って逃げてしまうのですから。

こういう話を聞くと、興味出てきませんか。



この脱獄囚は、なぜ脱走したか、という刑務官の問いに、

「人間扱いをしてもらえなかったからだ」

と答えたとか。

ある所長はそれを聞いて、彼に対する考えを改めます。それからは特に面倒を良くみて声をかけ、あたたかく接した。
すると、彼はその間に模範囚となり、最後は仮釈放まで許されるのですね。

それにしても、所長が立派ですな。
相手は、人を殺めた上に脱獄を繰り返し、無期懲役の刑に服しているのですよ。そういう彼にも、「わたしとあなたはお互いに人間である」ということを出発点にして、接しているのですから。
この所長、のちに退官するわけですが、退官の際、最後に刑務官の任とは何かを聞かれ、「人間とは何かを常に考えること」と答えた。なんと哲学的なコトでありましょう。


「お前は人生を、脱獄する、ということに費やしてしまった。知恵のあるお前なら、きっと、もっと人の役に立つことができただろうに・・・。つくづく惜しいことだ。でも、それは世の中の人間がまだ、本当に人間にはなりきれていないからだろう。なにかが逆さまなのだ。人間とは何かを本当に分かっているのは、お前の方かもしれないのに・・・。お前のような人間が、世の中には星の数ほどいるのだろうな。」

所長が別の部署へ移動になり、急きょ、やってきたお別れの日。

頭を下げる囚人の彼。
雪の降りしきる中、厚手のコートに身をつつみ、去ろうとする所長。

雪はまだ、しんしんと降り積もります。
入り口の扉がしまっていくのを背景に、元・所長は再び、厳しい顔つきで、歩き始めるのでした。

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