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「廊下はしずかに歩きましょう」
という指示自体に、良いも悪いもないだろう。
なにも知らない新入学生。
入学式の終わった直後から、すぐに教えるのはこのことである。
「廊下はしずかに歩きましょう」と言われて、子どもたち、けなげに言うことを聞く。
はーい。
ちょっとしゃべってしまう男の子に向かって、目つきのするどい女の子が
「ほら!しゃべっちゃダメ!」
と強くツッコミを入れるシーンは、4月のよくあるシーンであります。
こういうことが重なると、男の子の記憶に刷り込まれるのは、
「なんだかやたらと、学校というのは〇〇しなきゃいけない、というのが多いんだな」
という規則・禁止の思考でありましょう。
こうならないために、ちょっと賢い先生は、つぎのように指導をする。
つまり、ちょっと考えさせるのである。
「はい、今から体育館へみんなで行きましょう」
「わーい」
「はい、その前に、みんなどんなふうに移動したいかな」
「走っていくー」
「歩いていくー」
「?」
最後の「?」の子は、先生がどういう意図でそんなことを口走るのか、
まったく分からない子であります。(←わたし自身はこうでしたナ)
「はい、これから歩く廊下は、いろんな教室の横を通ります。みんな、2年生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちは、今なにをしているかなー?」
「おべんきょうー」
「そうだね。みんな、大事なおべんきょうをしています。もし、みんながこれから、廊下をおしゃべりをしながら歩くと、うるさいなあー、1年生しずかにしてほしいなあー、と思われてしまいます。どうしたらいいと思いますかー?」
「しずかにしていくー」
「そうだねー、おしゃべりをしないで、しずかに、だまって、忍者のように、体育館へ行きますー」
こう丁寧に指導されたら、子どもたちはすんなりと、口を閉じて、だまって移動してくれることでありましょう。
ところが、これはうまくいかない。
なぜなら、毎回、毎回、刷り込むようにして、繰り返して同じことを指導しないと、子どもたちはいつまでたっても、やはり廊下をおしゃべりしながら歩くからです。
わたしは、これが不思議だ。
なんでかなあ。
一度こんな話をしたら、
「あ、廊下を歩くんだ。2年生は勉強をしている。勉強をしているときにうるさくしてはいけないな。静かにだまって歩いていこう」
と、通常なら、考えるようになって当然でありましょう。
なのに、そうはならない。いつまでも、2学期になっても、3学期になっても、廊下をしゃべって歩いてしまう子がいるのです。なんでだろうか?
もしかすると、しゃべってしまう子は、
「周囲に迷惑をかけてはいけない。静かにしなければならない」
とは、思っていないのではないだろうか?
もしくは、他の皆が静かにしているのだから、ここでは常識的に静かにするものだ、というふうには考えないのではないだろうか。
つまり、「〇〇するべきだ」というのでは、動かない。
迷惑をかけるべきではない、ということでは、動かないのだ。
いよいよ、問題は、
迷惑をかける、とはどういうことか
になってきた。
ここが明らかにならなければ、「子ども」の実際の姿には、せまれない。
「廊下はしずかに歩きましょう」
という指示自体に、良いも悪いもないだろう。
なにも知らない新入学生。
入学式の終わった直後から、すぐに教えるのはこのことである。
「廊下はしずかに歩きましょう」と言われて、子どもたち、けなげに言うことを聞く。
はーい。
ちょっとしゃべってしまう男の子に向かって、目つきのするどい女の子が
「ほら!しゃべっちゃダメ!」
と強くツッコミを入れるシーンは、4月のよくあるシーンであります。
こういうことが重なると、男の子の記憶に刷り込まれるのは、
「なんだかやたらと、学校というのは〇〇しなきゃいけない、というのが多いんだな」
という規則・禁止の思考でありましょう。
こうならないために、ちょっと賢い先生は、つぎのように指導をする。
つまり、ちょっと考えさせるのである。
「はい、今から体育館へみんなで行きましょう」
「わーい」
「はい、その前に、みんなどんなふうに移動したいかな」
「走っていくー」
「歩いていくー」
「?」
最後の「?」の子は、先生がどういう意図でそんなことを口走るのか、
まったく分からない子であります。(←わたし自身はこうでしたナ)
「はい、これから歩く廊下は、いろんな教室の横を通ります。みんな、2年生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちは、今なにをしているかなー?」
「おべんきょうー」
「そうだね。みんな、大事なおべんきょうをしています。もし、みんながこれから、廊下をおしゃべりをしながら歩くと、うるさいなあー、1年生しずかにしてほしいなあー、と思われてしまいます。どうしたらいいと思いますかー?」
「しずかにしていくー」
「そうだねー、おしゃべりをしないで、しずかに、だまって、忍者のように、体育館へ行きますー」
こう丁寧に指導されたら、子どもたちはすんなりと、口を閉じて、だまって移動してくれることでありましょう。
ところが、これはうまくいかない。
なぜなら、毎回、毎回、刷り込むようにして、繰り返して同じことを指導しないと、子どもたちはいつまでたっても、やはり廊下をおしゃべりしながら歩くからです。
わたしは、これが不思議だ。
なんでかなあ。
一度こんな話をしたら、
「あ、廊下を歩くんだ。2年生は勉強をしている。勉強をしているときにうるさくしてはいけないな。静かにだまって歩いていこう」
と、通常なら、考えるようになって当然でありましょう。
なのに、そうはならない。いつまでも、2学期になっても、3学期になっても、廊下をしゃべって歩いてしまう子がいるのです。なんでだろうか?
もしかすると、しゃべってしまう子は、
「周囲に迷惑をかけてはいけない。静かにしなければならない」
とは、思っていないのではないだろうか?
もしくは、他の皆が静かにしているのだから、ここでは常識的に静かにするものだ、というふうには考えないのではないだろうか。
つまり、「〇〇するべきだ」というのでは、動かない。
迷惑をかけるべきではない、ということでは、動かないのだ。
いよいよ、問題は、
迷惑をかける、とはどういうことか
になってきた。
ここが明らかにならなければ、「子ども」の実際の姿には、せまれない。