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ブラタモリ(NHK)が面白いので、録画で見ています。
リアルタイムでは無理なので、土日と休み限定です。
年末、たてつづけに何本かを見て、途中からある疑問が湧いてきました。
「ブラタモリの最初のお題には、子どもが食いつくだろうか」
たとえば、先日放送されていた、東京吉祥寺・編。
このお題は、
「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」
でした。
吉祥寺は長年、「いちばん住んでみたい町」のナンバー1になっています。
それはなぜか、というお題でした。
これ、実は教師がもっとも出しやすいお題なのです。
「なぜか」
と問うパターンは・・・。
なぜ、太一はクエをねらうのか。(小6・国語)
なぜ、ひし形の面積は対角線×対角線÷2なのか(小5・算数)
なぜ、スチールウールを燃やしたら重くなるのか。(小6・理科)
など。
いちばん子どもに覚えさせたいことと直結した発問になるので、
教師はこれを連発しやすいです。
ところが、こればかりやっていると、子どもによっては
反応を示さない場合がある。
「え、べつに興味ないし」
という感じ。
なぜか、と問われても、そんなの知らん、とでも思うのでしょうナ・・・。
学習問題が、面白いかどうか、で、子どもたちの集中がちがうのです。
それが分かるから、学習問題をどうするか、どのように問いかけるかを、日々、気を付けております。
ブラタモリでも、この「なぜ、〇〇なのか」とか、「どうして〇〇するのか」という、
なぜなに発問
というのが、とても多い。たぶん、大人が相手だからだ。大人は、予備知識も多いし、興味ももってくれるから、
☆なにを問われたか
☆どのように答えたらよいか
について、迷うことがないと思われる。
しかし、子ども相手だと、そこが授業の明暗を分ける。
何を問われたのか、どのように答えることを期待されているか、子どもが迷うようではいけない。
今回のブラタモリのお題、「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」も、子どもが食いつくようなお題に変換してみることはできないだろうか・・・。これが、番組の途中から、どうしても気になってしまって、とうとうテレビを消して、自分で腕組みをして考え始めた。
まず、分かり切った発問は、しらけるからダメ。
子どもだって、そんなの分かってる、と思うような問題は、やる気がおきない。
また、考えようにも考える手がかりや足がかりがない発問は、山カンで答えるほかなくなる。焦点が絞れず、意識がふわふわしてしまう。
そうではなくて、
〇か×か
AするかBするかどちらだろうか
上から数えて何番目になるか
というような、確実にすっきりと答える問題こそ、子どもが集中して取り組む発問だと考えられる。
すると、さきの問題、「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」を子ども向けに変換すると、どうなるか。
「江戸時代初期、吉祥寺周辺に人は住んでいたか住んでいないか」
住んでいた、と考えるなら、そこに水が豊富にあったからだ、という意見も出るだろう。
クラスの大半は、井の頭公園の豊富な湧き水をみれば、「昔から多くの人が恩恵を受けて住んだだろう」と考える。
ところが、答えは、×。
吉祥寺周辺は、とても人が住みにくく、住んでいなかったことが分かる。
たしかに、水は豊富です。しかし、下の方にある水を上に運ぶのは、とても大変な訳です。壺のように落ち込んだ土地の湧き水は、扱いにくい。水は重いですからね。桶に入れて運ぶにしても、毎日坂道を大変な思いをして運ぼう、とは思わないのです。
一方、上から下へ水を運ぶのはかんたんだ。ジャーッと流せばいい。いくら湧き水が豊富だからといっても、水を運ぶ有効な手段がなければ、人がたくさん住むようにはならなかったのです。
ところが、今、多くの人が住むようになった。
次は、それはなぜなのか、というふうに、興味が湧いてきますね。
興味というのは、ちょっとずつ、わいてくるのであります。
いきなり
なぜか
というよりも、
〇か×か
AかBか
という発問で、意外に思う側面をあぶりだしておいてからだ。
知的好奇心を揺らしておいて、刺激しておいてから、
ようやく、
「ではそれはなぜか」
と聞いていくようにしたいもの。

ブラタモリ(NHK)が面白いので、録画で見ています。
リアルタイムでは無理なので、土日と休み限定です。
年末、たてつづけに何本かを見て、途中からある疑問が湧いてきました。
「ブラタモリの最初のお題には、子どもが食いつくだろうか」
たとえば、先日放送されていた、東京吉祥寺・編。
このお題は、
「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」
でした。
吉祥寺は長年、「いちばん住んでみたい町」のナンバー1になっています。
それはなぜか、というお題でした。
これ、実は教師がもっとも出しやすいお題なのです。
「なぜか」
と問うパターンは・・・。
なぜ、太一はクエをねらうのか。(小6・国語)
なぜ、ひし形の面積は対角線×対角線÷2なのか(小5・算数)
なぜ、スチールウールを燃やしたら重くなるのか。(小6・理科)
など。
いちばん子どもに覚えさせたいことと直結した発問になるので、
教師はこれを連発しやすいです。
ところが、こればかりやっていると、子どもによっては
反応を示さない場合がある。
「え、べつに興味ないし」
という感じ。
なぜか、と問われても、そんなの知らん、とでも思うのでしょうナ・・・。
学習問題が、面白いかどうか、で、子どもたちの集中がちがうのです。
それが分かるから、学習問題をどうするか、どのように問いかけるかを、日々、気を付けております。
ブラタモリでも、この「なぜ、〇〇なのか」とか、「どうして〇〇するのか」という、
なぜなに発問
というのが、とても多い。たぶん、大人が相手だからだ。大人は、予備知識も多いし、興味ももってくれるから、
☆なにを問われたか
☆どのように答えたらよいか
について、迷うことがないと思われる。
しかし、子ども相手だと、そこが授業の明暗を分ける。
何を問われたのか、どのように答えることを期待されているか、子どもが迷うようではいけない。
今回のブラタモリのお題、「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」も、子どもが食いつくようなお題に変換してみることはできないだろうか・・・。これが、番組の途中から、どうしても気になってしまって、とうとうテレビを消して、自分で腕組みをして考え始めた。
まず、分かり切った発問は、しらけるからダメ。
子どもだって、そんなの分かってる、と思うような問題は、やる気がおきない。
また、考えようにも考える手がかりや足がかりがない発問は、山カンで答えるほかなくなる。焦点が絞れず、意識がふわふわしてしまう。
そうではなくて、
〇か×か
AするかBするかどちらだろうか
上から数えて何番目になるか
というような、確実にすっきりと答える問題こそ、子どもが集中して取り組む発問だと考えられる。
すると、さきの問題、「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」を子ども向けに変換すると、どうなるか。
「江戸時代初期、吉祥寺周辺に人は住んでいたか住んでいないか」
住んでいた、と考えるなら、そこに水が豊富にあったからだ、という意見も出るだろう。
クラスの大半は、井の頭公園の豊富な湧き水をみれば、「昔から多くの人が恩恵を受けて住んだだろう」と考える。
ところが、答えは、×。
吉祥寺周辺は、とても人が住みにくく、住んでいなかったことが分かる。
たしかに、水は豊富です。しかし、下の方にある水を上に運ぶのは、とても大変な訳です。壺のように落ち込んだ土地の湧き水は、扱いにくい。水は重いですからね。桶に入れて運ぶにしても、毎日坂道を大変な思いをして運ぼう、とは思わないのです。
一方、上から下へ水を運ぶのはかんたんだ。ジャーッと流せばいい。いくら湧き水が豊富だからといっても、水を運ぶ有効な手段がなければ、人がたくさん住むようにはならなかったのです。
ところが、今、多くの人が住むようになった。
次は、それはなぜなのか、というふうに、興味が湧いてきますね。
興味というのは、ちょっとずつ、わいてくるのであります。
いきなり
なぜか
というよりも、
〇か×か
AかBか
という発問で、意外に思う側面をあぶりだしておいてからだ。
知的好奇心を揺らしておいて、刺激しておいてから、
ようやく、
「ではそれはなぜか」
と聞いていくようにしたいもの。
