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お母さんたちも、なんだか
「子どものことで困る」
ことを、母親の責務であるかのように、考えているのではないか、と思います。
わたしが過去、かつて思っていたのと、同じように。
わたしも、教員というのは、
「子どものことで困ったり、心配してあげるのが仕事」だと、思い込んでいました。
あるお母さんですが、ご子息が、3年生の11月ごろ、剣道をやめてしまったのが、気に喰わないんだそうで。
「3年生の終わりまで頑張ると思っていたのに。途中でやめてしまって・・・」
それも、本当にすごく中途半端な、11月にやめてしまったのが、気に喰わないそうです。
これ、わかる気がする。
わたしもかつて、親や担任の先生や、周囲の大人たちから、
「きちんとキリの良いところまでやりとげてから、やめなさい」
と言われ続けてきた気がする。
まあ、昔からの知恵なんでしょうか。
ひとつやり遂げたという自信をつけるためにも、区切りの良いところまでやらせたかったみたい。
ところが当人が、どうにもやめる、と言ってきかず、11月の中途半端な時期にやめてしまった。
お母さんは、今でもそれを悔しがっていて、この4月になるまでずっと悔恨の念にかられているわけであります。
わたしは家庭訪問でそのことを聞き、印象に強く残りまして、次の日にさっそく話しかけてみました。
「11月まで剣道をやっていたんだって?」
「うん」
「3年生の終わりまでやるっていうんじゃなくて、11月に辞めたのは、なんでなの?」
すると、子どもは、
「うーん、わかんない。やめようと思ったから」
だって。
あまり、理由はないようで・・・。
しかし、納得できるような理由がないと、親はなんだか、居心地が悪いんでしょうナ。
もっともな理由が聞ければ、まだしも親も、納得しやすいのでしょうけど。
で、驚きましたのは、その後のひとこと。
「でも、また、やるよ」
と言うのです。
お母さんは、もうこの子は剣道を棄てた、というような印象で話していたので、わたしはそのセリフを聞いて、とても意外な感じがしました。
お爺ちゃんが剣道の先生をしていたほどの方なので、お母様としては、孫のこの子にも、ずっと剣道をつづけてほしかったのでしょう。
それを中途半端に辞めてしまったものだから、落胆が激しかったのです。
さらに、落胆のあまり、息子を責めていました。
せめて、ひと区切りつけるまで頑張らなかったことを責めていたのです。
でも、まさか、まだ子どもが剣道を棄てていなかったなんて。
「へえ、またやるんだ。じゃあ、いやになってやめたのじゃ、なかったんだね」
「うん」
「いつくらいにやるの?」
「うーん、高校くらいかな」
「あ、そう。お母さんに、それ言った?」
「ううん」
なんで、お母さんには、それを言わないのでしょう。
たぶん、聞かれなかったからでしょうね。
あるいは、ずっと続けるのが当然、続けるのが良い、とお母さんに言われてきたから、途中で休憩をはさむことの理由を言うのが、めんどうだったのかもしれません。
あ、それだ。
たぶん、理由をいうのが、面倒なんでしょうね。
それにしても、なんで、新しいことを始めたり、やめたりするのに、理由をいろいろと聞かれるのでしょうか。
子どもからすると、
「理由なんて、ないよ」
と言いたいかもしれませんナ。
お母さんたちも、なんだか
「子どものことで困る」
ことを、母親の責務であるかのように、考えているのではないか、と思います。
わたしが過去、かつて思っていたのと、同じように。
わたしも、教員というのは、
「子どものことで困ったり、心配してあげるのが仕事」だと、思い込んでいました。
あるお母さんですが、ご子息が、3年生の11月ごろ、剣道をやめてしまったのが、気に喰わないんだそうで。
「3年生の終わりまで頑張ると思っていたのに。途中でやめてしまって・・・」
それも、本当にすごく中途半端な、11月にやめてしまったのが、気に喰わないそうです。
これ、わかる気がする。
わたしもかつて、親や担任の先生や、周囲の大人たちから、
「きちんとキリの良いところまでやりとげてから、やめなさい」
と言われ続けてきた気がする。
まあ、昔からの知恵なんでしょうか。
ひとつやり遂げたという自信をつけるためにも、区切りの良いところまでやらせたかったみたい。
ところが当人が、どうにもやめる、と言ってきかず、11月の中途半端な時期にやめてしまった。
お母さんは、今でもそれを悔しがっていて、この4月になるまでずっと悔恨の念にかられているわけであります。
わたしは家庭訪問でそのことを聞き、印象に強く残りまして、次の日にさっそく話しかけてみました。
「11月まで剣道をやっていたんだって?」
「うん」
「3年生の終わりまでやるっていうんじゃなくて、11月に辞めたのは、なんでなの?」
すると、子どもは、
「うーん、わかんない。やめようと思ったから」
だって。
あまり、理由はないようで・・・。
しかし、納得できるような理由がないと、親はなんだか、居心地が悪いんでしょうナ。
もっともな理由が聞ければ、まだしも親も、納得しやすいのでしょうけど。
で、驚きましたのは、その後のひとこと。
「でも、また、やるよ」
と言うのです。
お母さんは、もうこの子は剣道を棄てた、というような印象で話していたので、わたしはそのセリフを聞いて、とても意外な感じがしました。
お爺ちゃんが剣道の先生をしていたほどの方なので、お母様としては、孫のこの子にも、ずっと剣道をつづけてほしかったのでしょう。
それを中途半端に辞めてしまったものだから、落胆が激しかったのです。
さらに、落胆のあまり、息子を責めていました。
せめて、ひと区切りつけるまで頑張らなかったことを責めていたのです。
でも、まさか、まだ子どもが剣道を棄てていなかったなんて。
「へえ、またやるんだ。じゃあ、いやになってやめたのじゃ、なかったんだね」
「うん」
「いつくらいにやるの?」
「うーん、高校くらいかな」
「あ、そう。お母さんに、それ言った?」
「ううん」
なんで、お母さんには、それを言わないのでしょう。
たぶん、聞かれなかったからでしょうね。
あるいは、ずっと続けるのが当然、続けるのが良い、とお母さんに言われてきたから、途中で休憩をはさむことの理由を言うのが、めんどうだったのかもしれません。
あ、それだ。
たぶん、理由をいうのが、面倒なんでしょうね。
それにしても、なんで、新しいことを始めたり、やめたりするのに、理由をいろいろと聞かれるのでしょうか。
子どもからすると、
「理由なんて、ないよ」
と言いたいかもしれませんナ。