30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2017年03月

「うちの子、野菜を食べないんですけど、大丈夫でしょうか」

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家庭訪問 ちぐはぐな会話・その1


「うちの子、野菜を食べないんですけど、大丈夫でしょうか」

「あ、そうですか。正直、あまり気にしていませんでしたが、なにか気になりますか?」

「給食の野菜を食べないので、前の先生から、よく叱られたそうで」

「ふーむ。叱られた・・・わたしも、叱った方がいいですか?」

「あ、いえ・・・食べなくてもいいんですか?」

「どうでしょう・・・。本人は、どんな感じですかね。なにか困ってる様子があります?」

「・・・体の方は大丈夫かな、と」

「健康面は・・・まあ、学校は一度も欠席なく、体育の授業でも思い切りやれているみたいですけどね」

「ははあ・・・あんまり野菜を食べないので・・・野菜は食べなくても大丈夫ですかね?」

「ははあ・・・大丈夫だと思いますけどネ・・・。どうでしょうネ」


このあと、わたしは、保護者の方の片方の目を、かぎりなくじっと見つめます。


すると、おうちの方は、少し動揺したような表情で、

「ははあ・・・大丈夫でしょうか、ねェ・・・」


と、たいてい、繰り返し、腕を組んで、おっしゃいますナ。


わたしも、同じ回数だけ、

「ううん・・・大丈夫だと、思うんですけド、ねェ・・・」

と、腕を組んで、言います。


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子どもにとっての『適温』

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幼い頃、おじいさん、おばあさんを観察していると、

ぬるい感じ

がしていた。

シュッとして、チャンとして、カチっとしているのが、自分のママなのだとしたら、

祖父や祖母の家にいくと、なんとなく感じる、「ぬるさ」。


そうじ機も、自分の住む家の掃除機は、シュッとして、かっこいい。

デザインが、いい。

しかし、ばあちゃんが使う掃除機は、なんとなくもっさりとしてぬるく、

爺さまがわかす風呂は、ぬるかった、のであります。

まあ、わたしが幼かった、というせいも、ありましょう。

そりゃそうで、熱過ぎる風呂に、孫をいれようとは思わない。




いや、わたしがここで言ってるぬるさは、温度のことじゃない。

そうじ機にしても、母親なら、パッと手に取って、シュッと電源コードを差し込み、たちまちにして、サーッ、サーッ、と掃除をはじめる。

ところが、おばあちゃんはですね。

もっと、動作がのろいんです。はっきり言えば、遅い。

まず、コードが掃除機にまきつけてある。

それを、ぐーるぐる、ぐーるぐる、と・・・。

次に、ようやく掃除機をもちますが、一回で、スイッチが入らない。

何度か、指の先をすべらせて、ようやくパッチン、と入れる。

そこでサーッと始まるかと思ったら、そうじゃない。

そうじ機の吸い口が、やたらとつっかかる。なにかにぶつかるわけでもないのに、スーッといかない。

重そうに掃除機の本体を引っ張り、コードがひっかかり、ガタガタ音がして・・・音まで、ぬるい。

しかしそれでもばあちゃんは、丁寧に掃除機をかけて、ああきれいになった、とわたしにむかって、にっこりとして見せる。



今思うと、子どもを育てるのは、この「ぬるい」感じが似合うと思うねえ。

「遅い」とか、「のろい」とかだと、非難されて責められそう。

しかし、「ぬるい教育」だと、なんだか許される気がする。

とくに漢字で書くと、「ぬるい=温い」。


わたしは母親の掃除するところは、なにやら追い立てられる感じがして、見ていられなかったけど、

ばあちゃんが掃除しているところは好きで、ずーっと、飽きないで見ていられたもんネ。

子どもには、適温がある、ということか。

ぬるい

私の住む、愛知県岡崎市のこと

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たまには、わたしの地元、岡崎のことを話そう。

わたしは岡崎で生まれ、ずっと地元で過ごしてきた。

(ま、ほんのちょっと、転職であちこち移動があったけど・・・)

ともかく今は、岡崎市の教員である。

岡崎の良い所は、なんだかいろんなものが、

ちょうどよい

ところだ。



特に都心というわけでもなく、

かといって

すごく田舎、ということもない。このくらいが、

ちょうど、よい。



おしゃれな店が立ち並ぶ、というわけではないが、
近隣にもちょいと足をのばせばよいだけで、
名古屋にも簡単に行けるし、
ちょっとしたドライブなら本当に見どころも多いし、退屈しない。

わたしは東岡崎駅から、乙川をわたり、岡崎城へ向かうルートは本当に好き。

食べるお店も、たっくさん、ある。

人気のあるところもあれば、人気(ひとけ)のない、幽玄な森の中、

平家の時代の八面石塔など、これまたわくわくするようなスポットもある。

まこと、岡崎はおすすめの『ふるさと』なんであります。
2
岡崎市民で、良かった!!

【学級経営】経営者は、困らない。

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学級経営でも、会社経営でも、

困らない

というのが、経営する人の大事な資質だと思う。

子どものことで、困らない。
社員のことで、困らない。
いつも、不安のない世界で生きている。

子どもにエネルギーをとられるような感覚があれば、それはオカシイ。
社員にエネルギーをとられるような感覚があれば、それはオカシイ。


「あれ、先生、困ってるんじゃないかなあ~」
と思わせるとネ。
子どもはやさしいから、気を遣うんだよナ。

そして、

子どもが、先生に、気を遣うようになる。
社員が、社長に、気を遣うようになる。

子どもが、親に、気を遣うようになる。
部下が、上司に、気を遣うようになる。




ほら、サカサマ、でしょう。

どう考えても。

いかがですかネ。




本当は、逆でしょう。

先生が、子どもに気を遣うのでしょう。

大丈夫かな、これでいいかな、元気かな、食べてるかな、友達とうまくいっているかな、風邪ひいてないかな、体調はどうかな、気分はいいかな、冗談が言えてるかな、なにか心配してないかな、不安なことはないかな。



親や先生が困る人だったら、

「困らせちゃいけないな」

と思うよね。子どもは。

で、

子どもが、親を心配するわけ。

「大丈夫かな、これでいいかな、元気かな、困ってないかな、お母さん、ぼくのことで、困っていないかな、先生は、不安じゃないかな、ぼくのことで」



学校も、学級も、クラス経営も、会社経営も、みんな同じ。


困らない人のみが、人の集団を経営できる。


経営者

「責められないために、一生を費やす」の件

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人は、責められないために、一生を費やして、終わる。

親に責められないように、〇〇しよう。
兄弟に責められないように、〇〇しよう。
友人に責められないように、〇〇しよう。
恋人に責められないように、〇〇しよう。
パートナーに責められないように、〇〇しよう。

上司に責められないように、〇〇しよう。
部下に責められないように、〇〇しよう。
客に責められないように、〇〇しよう。

それで、終わる。

たった、一度しかない、人生が。



おまけに、責められないようにしよう、とものすごく努力しても、
結果として、責められることがよくあるもので・・・

なぜ、なんでしょうね?

むしろ、「責められないように」と頑張っている人ほど
責められて困惑していることが多いようにさえ、思う。


不思議だねえ。




ところが、

責められようが、ぜーんぜん気にしない。

と、いうことになると、

保護者が電話をかけてきて、

「先生、〇〇(子どもの名前)の母です。先生、来年度は何年生の担任をされるのですか?ぜひ、弟の◇◇の担任になってほしいです」

だって。




さかさまなんだよナ・・・


なんでだろう?


こっちは保護者など眼中にないんだけど。


実は、これ、からくりがありまして・・・


説明されると、みんな分かる。

なーるほど・・・てなもので・・・



このからくりを、みんなで考えていきたいですネ。



男なんて眼中にない、という女の子がモテるし、

女なんて眼中にない、という男の子がモテるし、

売ろう売ろう、と値段を安くしても売れないし、

あげない、といえば、「ほしい!!くれくれ!!」・・・となる。


なんでだろう?

からくり

【学級崩壊】なぜしないのか その4

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わたしが受け持ったクラスは、前年度、学級崩壊してる、と言われていた。

だから、4月の最初に校長から、

「うまくいってないクラスだけど、あらま先生、なんとか頼むよ」

と言われた。

周囲の事情を知る先生たちも、

「たいへんなクラスみたいよ。あらま先生、頑張って」

と声をかけてくれていた。




ところが、学級崩壊しない。

みんな良い子ばかりで、「最高のクラス」だ、と自負するクラスになる。

この1年は、本当に楽しかったと、わたしとの別れを惜しんで泣いてくれる。




わたしには、理由が分かる。

これを書いても、誰も理解できないと思うのだが、今回は、勇気を振り絞って書いてみる。

わたしが受け持つクラスが崩壊しない理由とは・・・



わたしが、学級崩壊してもよい、と思っているから。





・・・は???




ほら、分からないでしょう?

これが通じる人、少ないと思う。

とくに、現役の先生たちがきくと、本当に馬鹿で間抜けでとんでもない暴言に思えるらしく、

「冗談ばっかり」

と笑うか、

「いや、そりゃ暴言だろ」

と指摘するか、

「?」

困惑するか、

一笑に付す、という感じ。



学級崩壊してよいわけがないだろ!!

ちょっとまじめな先生は、怒りだす。

何を言ってんだ、と。




ところが、わたしのクラスは崩壊せず、

当の、崩壊してしまったクラスの先生は、

「ぜったいに崩壊してもらっては困る!」

と頑張っていたのだ。



世の中が、さかさまである、というわけが、これでも分かる。


問題は、

なぜ、この世はサカサマなのか

ということを、だれも考えようとしないこと。


教師 「崩壊したら困る!」


ま、こーゆーとこが、サカサマなんだろうネ ↑ ↑ ↑

わかりますよね?

教師が困る、というのが、すでにおかしい。

すでに、正規のルートを外れているのです。

目的地には、たどり着けない。

子どものことで、困らないのが、最低限あるべき、教師の資質だ。




さらに、教師が困るのを、子どものせいにしていたら、目も当てられない。


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【学級崩壊】なぜしないのか その3

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日本昔話には、おむすびころりん、というまことにSFチックな怪異譚がある。

ある爺さまが、偶然におむすびを穴に落としてしまい、追っかけているうちに地中のねずみの館につき、あれやこれやとしているうちに最後には大判小判を手に入れる。
ところが、その話をきいて、
「じゃ、おれも」
と思うのが、隣人の爺さまだ。

しかし、隣の爺さまは、同じようにおむすびを穴に落とし、同じように追っかけて、同じように地中のねずみの館につき、同じようなことをしているのにも関わらず、うまくいかない。

このようなことが、世の中にはまことに多い。
なぜそうなるのか、しばらく考えていればまことに理にかなったことだと分かってくるだろう。
昔から伝わるこの話が、人生の妙味をまことに如実に示していると思わずにいられない。

おむすび


問題

A先生は、授業が始まる時間に子どもたちが席につかないので、いつも時間を守って始めようと子どもたちに話をしていました。すると、だんだんと子どもたちは、自分から時間になると席に着くようになりました。

隣のクラスのB先生が、その話を聞いていました。
B先生は、ようし、おれもそうしてやろう、と思いました。

そして、授業が始まる時間になって子どもたちが席に着かないので、いつも時間を守って始めるべきだと子どもたちに話をしました。しかし、子どもたちはまったく席に着かないどころか、クラスは崩壊してしまいました。




なぜ、そうなるのか。

隣のクラスを見てたからだ、ね。

ずっとゴールを見つづけたのろまな亀がゴールイン(成功)し、となりの亀の姿ばかり見ているうさぎは失敗する、というのが世の習い。

教師は、目の前の、子どもを観なきゃ、ね。

隣のクラスをみて、いいな、なんて、思う。

その、「いいな」が、すでにオカシイ。

何を見て?

何が 「良い」の?

見ているもの、判断しているのは、外見の形だけ?




席につきたいと思う子になり、席につこう、と思う子になれば、解決する。

そうならないのに、

なんで、うちのクラスは、席につかんのだ!

と怒る。


まさに、隣の爺さま、というわけ。

目的から、目をそらすな!

【学級崩壊】なぜしないのか その2

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飲み会の席で、若い先生に

「どうしたら学級崩壊しないのでしょうか」

と尋ねられて、

「そんなもの、空想のお化けや!」

と言った。


若い先生はおどろいて、いや、でも本当に言うことを聞かなくて、困るんです、と。


言うことを聞かないってどういうこと?

席につけ、といっても、つかないんです。

で、なんで困るの?

いやあ、困るんですけど・・・

なんで?

いやあ・・・



そんなの、ちっとも困んないやん。



それでも、彼は困る、困る、と言い続けるので、しまいに

本当は、そのことで困ってるのじゃないよ。

困るのは、実は、

親や保護者やまわりの先生から

責められるのが怖くて、困る、ということだ!


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・・・へへへ、そんなの、大丈夫。

保護者が責める?
まわりの先生が責める?

そんなの、全然、平気。

・・・となれば、まったく困らないでしょ?

困らないから、子どもを急いでどうしようこうしよう、と形を整えることに必死にならない。

だから、子どもの本当の姿を見られるし、どうしていこうか、と考えられるよ。

今、保護者から責められたらどうしよう~、なーんて、

そんなことが頭にあるうちは、正常に脳が活動していないってことや!

だから、子どもが見えなくなるんや!!

【学級崩壊】なぜしないのか その1

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昨夜は、留別会。

「みなさん、かんぱーい!!」

この1年、すべてを分かち合ってきた職員室のみんなで、おおいに飲み、歓談した。



わたしの受け持ったクラスを、5年生のときに担任していた彼が、声をかけに来てくれた。

「あらま先生、本当にお世話になりました」

「いやあ、いい卒業式だったよね」

「あの子たちも、無事に卒業出来て、ぼかぁ、ホッとして・・・」

彼は、少し、罪の意識があったようだ。

〇ふつう、5,6年生と連続で担任して、卒業まで送りだそう、というのが定番なのに。
〇5年だけで、降りてしまった。
〇それも、学級崩壊に近い状態で、降りてしまった。

・・・なんも問題ないのに、ひとりで苦しんでた。
(ということみたい)

だから、最後の飲み会で、ひと言、わたしに礼を言わないではいられなかったようだ。



わたしは

「いやあ、無事にみんな、いい顔で卒業していったよ~」

と、ニコニコしてた。



彼は、わたしのそばの席にすわり、しゃべりだした。

「あらま先生は、そのう~、どうやって、ですね、どうやって学級をうまく・・・経営と言うか・・・どのへんがコツなんでしょうかね。なんでそんなに、うまいこと、クラスがまとまっていくんですか?」

彼は、ビールでいいっすか、と注いでくれながら、

「ぼくはもう、学級崩壊が怖くて怖くて・・・」

と言った。

そうねえ。

まず、学級崩壊させない、というのが、なんつーか・・・

学級崩壊ってなに?どんなことなの?という感じかねえ・・・

何を見て、

「あ、学級崩壊だ!」

となるのか?

そんなの、空想の化け物なんじゃない?

たこ

【卒業前日】子どもたちに囲まれる

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卒業式の前日。

急に配らなければならなくなった学校からのプリントがあるとかで、急いで職員室に取りに行ったり、熱が出て大事をとって休んだ子の親から連絡があったり、とても慌ただしい。

「先生、ちょっと10分だけ、時間をください」

終業式が終わり、このあと、明日の卒業式に向けての全校練習もある。
いそがしいな、と思っていた矢先。
とつぜん、ある子が10分だけ時間をください、と言いに来た。

「え?時間がほしい?」

「はい。10分だけ。わたしたちに時間をください」

「あ、そう・・・」




なんだろう?と思う。

みんなで、最後の歌の練習がしたいのかなあ。

じゃ、10分は長いから5分だけね。

「やった」



リーダーが、大きな声を出した。

「みんな、集まって!」

子どもたちがわたしの周りを取り囲んだ。

なにかのゲーム?
なんか、おもしろいこと考えたの?


すると、どうやら用意していたらしい音楽が、CDから流れる。
みると、CDデッキの前にはWくんがいて、リーダーから指示を受けてスイッチを押したと見える。

なんだ、なんだ?

なんだか懐かしいような曲が流れ始めて、よびかけが始まった。

至近距離で、子どもたちがわたしの目を見て、話しかけるように語り始めた。



「先生へ」

「1年間、あらま先生に、本当にお世話になりました」

「新間先生は、とくいなことがたくさんあります」

「いそがしいときでも、生活日記に書いてくれます」

「まじめだけど面白くて、教科書にはないことを教えてくれます」

「とても生徒思いの、やさしい先生です」


紙をもっていたらしく、めいめいがメモのような紙を見ている。

つぎは誰々だよ、と小声で指示している子もいる。

「ひとりもひいきしたりすることもないし」

「みんなが考えるように、といつも私たちに考えさせてくれました」


「みんなのことがよく分かっていて、いつも話をきいてくれました」

このあたりから、不思議なことに目頭が熱くなり、熱い液体が目から気持ちよく流れ始めた。

ハンカチはどこだ、とポケットを探していると、その様子がおかしかったようで、なんとなく笑い声が起きる。



「先生の授業は、いつもとても面白かったです」

「ぼくは、苦手だったけど、算数が好きになりました」

「全員を大切にしてくれました」





このあたりから、なにを言ってくれたのか、よく覚えていない。

感じていたのは、涙というのは、勝手に出てくるものだ、ということ。

それから、涙は熱い、ということ。

熱い涙は、流しているのがとても心地が良い、ということ。

わたしはずっと目を押さえて、立っていた。



ハンカチを外してみると、わたしをぐるりと取り囲んでいる子どもたち。

なんだかとても不思議な光景だった。


「先生へ」

当番のような子が出て来て、ふくろをくれた。

「ありがとう」

かねてから用意していたような、メッセージカード集。
そして、ティッシュボックス。

「先生のティッシュをみんなでけっこう使っちゃったから、これはお返しです。ありがとうございました」

「あ、そう」

言葉が、ちっとも出てこない。泣けてきて、困る。



泣きながら、なんでこんなに泣けてきたんだろう、と思う。

たぶん、教員は、孤独だからだ。

わたしには、こんなブログで日々の思いをつぶやくくらいしか、自分を出せる手段がない。

職員室には、本当に語り合える相手はいない。

本当に思っていることは、ぼほ確実に誤解をまねくので、声に出して言うことはできないと思う。

この世でも、限られたほんの何人かにしか、わたしが本当に思っていることを言うことはない。

幾重にも囲まれた城壁を超えようとするようなもので、とうてい理解もしてもらえない。通じない。


そう思ってきた。


しかし、子どもたちはどうか!



大人には通じなくても。

子どもたちには、ほんのちょびっとでも、通じていたと言えるんじゃない?

甘いことは分かっているけど、少しそう思ってもいいんじゃないか、と思ったので。

だから、涙が出たんだと思う。



「あらま先生は最高の先生です!!ありがとうございました」



叱らないでも、いいですか。
そろそろ、次のステージへ、行ってもいいですか?

はな

毛バリ山人(さんじん)こそ、教師が目指すべき姿

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今の若い先生たちは、漫画 『釣りキチ三平』 を知っているでしょうか。

この中に、有名な脇役として、

「毛鈎(ばり)山人(さんじん)」

という方が、出てきます。

毛鈎(疑似餌)を使って、魚を釣るのですが、毛鈎山人は毛バリづくりの名人。


この方、すごい術を使います。

見ててくださいね!

石化けの術

石破家の術2


ほうら。

徐々に、周囲の石と同化していくでしょう。

山人は、魚に一切、気配を感づかれることなく、この石化けによって大自然と一体となり、外敵の動きや影に敏感なヤマメをがんがんと釣り上げる。

これが、山人の究極の釣り技「石化け」です!!



実は、わたしが高校生の頃のこと。

このような術を使う生徒が幾人か、存在しました。

そして、授業中にぜったい、教師に当てられまい、とする。

呼吸を止めるなどして「気配を消す術」を身につけた生徒は、教師から当てられることがない!



気配を消す、というのは実は意外と難しく、わたしが思うに、幼少の頃から修行をしなければ、身につける事は困難だと言えます。

習得には、英才教育、もしくは、生まれ持った資質が必要です。

わたしは、20代のころ、特殊な英才教育によってこの特技を習得しました。

鶏小屋に入り、そーっと鶏をつかまえるとき。

豚をつかまえるとき。

牛をつかまえるとき。

人生の中で、生きた鶏や豚や牛をつかまえなければならない、という場面は、そうそう、めったにあるものではございません。

しかし、どうしてもあと残り30分で、100羽近くの鶏を、籠につめなければならない、という場面も、長い人生、一度くらいあるものです。

わたしはそのような英才教育と自己鍛錬によって、「気配を消す術」を身につけました。

気配を消す、または気配を断つとも言えますが、これを覚えると30分でも1時間でも動かずに、じっとしていられる事が分かりました。


わたしは、30分間、じっとして気配を消すことができます。

教室の中で、

「あれ?先生、いたの?」

と、子どもたちを驚かせるくらいのことは、朝飯前です。

じっとしてみると良く分かりますが、動けない5分は永遠とも思える長さです。それなのに、30分以上も動かないようにするには、何かしらの技が必要となります。


ポイントは、ずばり、呼吸です。腹式呼吸です。

できるだけ静かに呼吸をします。止められるなら息を止めます。そして周囲に気を配ります。

肉体から精神を外していきます。


いいですか。大事なところなので、もう一度。

肉体から精神を、徐々に外していきます。


すると、周囲をしっかり見つつ、抜け殻となったような自分になれます。

これが気配を消す第一歩です。

毛バリ山人のように、石となり、木となり、草となるのです。

大自然と一体化したとき、教室の中でじっと呼吸を殺し、

教師にぜったいに当てられないように気配を消す生徒の、

その小さな、微細な動きまで、見逃さないことができるようになります。

岩場(教室)の陰にひそみ、釣り人(教師)から身を守るヤマメのような生徒と対抗するには、教師自身が、毛バリ山人(さんじん)となるしか、道はないのです。


教師が術を身につければ、ヤマメの動きが分かるようになります。

ハイッ!!Mさん!!!


Mさんが、たとえ渓流の岩陰にひそむヤマメのように、算数の時間に息をころしていたとしても、教師はそれを上回る、「石化けの術」でもって、ヤマメ(生徒)を油断させるとともに、意表をついて指名してしまう、というわけです。

差し入れのケーキが届いた!【なぜ腹が立つか】

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教室に、差し入れが届いた。

手術を終えたJくん。

入院中に届けた手紙のお礼にと、おうちの方が、お菓子を持ってきてくださった。

Jくんも、にこにこ。


「よおっしー!みんなで食べようぜ!!」

ここまでは、盛り上がる。




ところが、具合に悪いことに、お菓子が4種類もある。

すると、みんなの目の色が変わる。

「え、なにとなにがあんの!」

「抹茶と桃と、イチゴと、ふつうのチョコ?あ、これバナナだ」



「えー、おれ、バナナいやだ」

「おれ、イチゴはいいわ。抹茶がいい」

なにがよくて、なにがダメか、好みを発表するみんな。


その後、だれから先にとるか、ということになる。


すると、みんないっせいに

「じゃんけん!」



窓側の席の子と、廊下側の席の子が、こぶしを握り締めて戦います。

「さいしょはグーッ!!じゃんけん・・・」



窓側の子が、チョキを出して、負けました。

すると・・・・



チョキを出した子が、責められます!!!


「なんでチョキ出すんだよ!抹茶が無くなるだろ!!」


案の定、抹茶がなくなり、その子は、桃を取らざるを得ない。


文句が倍増します。

「なんだ、桃かよッ!」


目つきが悪くなり、腹を立てます。


わたしは、おかしくてならず、ついに声を出して、笑ってしまう。

わたしが

ウワッハッハー、と身をよじるようにして笑うので、教室の空気は【確変】します。


女子の数人は、わたしと同じ心境となるようで、笑えてきたみたい。

キャハハハ、と同じようにして笑います。


すると、文句を言っていたMくん、なんだかバツが悪そう。


わたしはあわてて、

「いや、Mくん、Mくんどうぞ!ごめんね、腹立ててもいいから!Mくんを責めてるわけじゃないからね!」

と、フォローをしておきます。

「いい、いい、つづけて・・・!」

わたしはまだ、笑いながら、とにかく必死でフォローします。

これはネ。

腹を立てる、という、とっても面白い状況だよね。


わたしは思わず、近くに居た子たちに、

「なんで腹立ててるか、わかる?」

と聞きます。

すると、

「さー? 抹茶がほしかったから?」

「そう、そうだよね。たぶん」

「抹茶がほしいって、言えばいいのにねえ」

抹茶


ある女の子が、こう、つぶやきました。笑いをこらえながら。

「お菓子貰って、不幸になってる」

これを聞いて、全員が爆笑。

Mくんも、すっかりにやにや。

【新語】ヘイト脳とは

いま、教室で、子どもたちとまったりと、卒業前の、なんともいえない幸福なひと時を過ごしている。

「なんで、けんかするのだろうか、なんで、つらくなるんだろうか、なんで不幸になるんだろうか」

この1年を振り返りながら、何度も何度も、こういったことを子どもたちと考えている。

すると、人を憎む、とか、嫌う、とか、攻撃するとかの、【自分以外のどこかへ不安をぶつけようとする心理】が、どうにも不思議に思えてくることがある。

最近。
それは、もしかしたら、特別な心理状態によるもの、というよりも、ある種の「脳の働き」というべき、ごくふつうの、だれにでもある、普遍的なもののような気がしてきていた。


そして、本日未明。

まだほの暗い、強風のふきすさぶ夜明けの淡い光の中で、わたしの脳は、新しい言葉を生み出した。

それが、

「ヘイト脳(強迫ヘイト症候群)」

という言葉だ!!




「ヘイト脳」

これは、自分の身に感じられる『つらさ』を持った瞬間、つらさから逃れようとして慌てて、ラグビーのように他者へ向けて『つらさ』をパスしようとする脳の働き。別名、「保身脳」とも。

自身の持つ不安が高じ、自身の中で強迫的に他者をヘイトせずにいられなくなる心理。

これ、だれにでもある。

ヘイトするのは、仕方がない。
子どもが泣くのと同じだ。
大人だって、泣きたくなることがある。

大人は、ワンワンなくことができない。
だから、ヘイトしようとする。

だれだって、そうなる。


それを、

「ヘイト」は禁止!

なんていうから、おかしくなる。



そうではない。

ヘイトとは、泣きながら、苦しみながら、するものだ。
狂おしいほどの自閉的、孤独感、閉塞感があるからこそ、ヘイトを叫ぶのだ。

ヘイトするものの、心中の苦しみを、

「助けて!」という、慈悲を求めて止まない心を、

われわれは、

ヘイトの姿勢の中に、打ち震える声の響きに、見つけようとしなければ。



幸福になることは単純だ。
みんなで、ヘイトのからくりを理解することだ。

人間は、理解すれば、ヘイトから「さよなら」するよ。
大丈夫。案外、賢いもの。

オオカミの牙

卒業前に、おもしろ理科実験【ホントはどうかな?】

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100V電源につないだ、テスターを用意する。
回路には、40Wの電球、および 5Wの電球がつながれている。
電気が通じれば、電球が光る仕組みだ。


回路の途中に、さまざまなものを挟んでみる。


①金属スプーン

「スプーンを、回路の途中に挟みます。電球は光るでしょうか?」

予想をノートに書かせる。
となりの友達にも、書いた予想を見せて、お互いに確認させる。

「では、やってみます」

電気がつうじて、電球が光る。

「光りました。ノートに、金属スプーンは電気を通す、と書きなさい」

②10円玉

「10円玉を、回路の途中に挟みます。電球は光るでしょうか?」

これも予想を立てさせる。
ほとんどの子が、光る、と書く。
やってみると光る。結果を書かせる。

③1円玉

これは、意見が分かれる。
同じようにさせる。
光る。
ノートには、『1円玉は電気を通す』と書かれることになる。

④5円玉
⑤100円玉
⑥1000円札

「紙は電気を通さない」
「お金のインクも電気を通さない」

⑦アルミホイル
⑧銀の折り紙
⑨金の折り紙

「金色の折り紙は、やすりでけずって銀色にすると、電気を通す」

⑩お菓子の材料の【アラザン】

「これは砂糖の粒の表面に、銀が塗られています」

⑪銀色のマーカーで書いた線

ここまでで、まとめを書かせる。
ひと言で、【結局、どんなものが電気を通すと言えるか】を書く。

金属は電気を通す。銀色のものが多い。金属では自由電子が動くので、電気を通すことになる。銀色の顔料マーカーは、アルコールが主成分の顔料だから、電気を通さない。


⑫えんぴつの芯

鉛筆をどろぼう削り(両端を両方とも削る)にして、両極から電気を通してみる。

「金属は電気を通しますが、グラファイトとよばれるものも、電気を通します」

ちなみに、鉛筆で回路を描くと、その芯の線上には微量だが電気が流れる。
このことから、鉛筆で書いた安価な電気回路もできると思う(思うだけ)。

⑬カレー(麻布十番ビーフカレー、というやつ)

麻布十番ビーフカレー、というカレーが売られている。
買い物中、なんだかピカピカ光る箱があるので、よく見てみると、カレーの箱だ。
ロゴの部分が、ピカピカしてる。
「通電するんやないやろか」と怪しみ、買ってみた。
その箱のロゴの部分、けっこうメタルな色である。これに、電気が通るか?

麻布十番カレー

これ、見事に電球が光る!(ちょっと、オドロキ!)


⑭レモン

「カレーのついでに、果物を買ってきました。果物には、電気が通じるでしょうか」

これは、なんだかみんな通る、と確信している。
なんで?と聞くと、
「すっぱいから。すっぱいものは、電気を通す。だって、ポカリスエットは電解うんたらって言うし」

結果、見事に通電!

⑮グレープフルーツ
⑯バナナ
⑰きゅうり

「野菜はどうでしょうか」

⑱ナス
⑲じゃがいも

ここまでで、さらに突き詰めて書かせる。

ひと言で、【結局、どんなものが電気を通すと言えるか】を書く。

金属とグラファイト、そして野菜や果物は電気を通す。


教師「金属は、もともとどこにありましたか?」

子「地面の下。土のなか」

教師「そうですね。グラファイトも、山の中の天然の鉱物から採れるものです」
では、じゃがいもはどうですか?」


子「土の中です」

教師「果物も、土の中から栄養分を取り入れて、実がなったものですね。
では、再度、さらに突き詰めて、書いてみてください」


金属とグラファイトはどちらも地面の下や土の中からとれるもので、電気を通す。また、野菜や果物も、土の中から栄養を取り入れていて、電気を通す。


教師「では、野菜を食べている人間は、電気を通すでしょうか」

子「通す。だって感電する」

教師「そうだね。実験したいけど危険だからやりません。その代わり、肉に通してみよう」

⑳肉(魚)

イワシをまるごと一匹買い、アタマと背中に電極をさした。
・・・通電。(無事に光る)

教師「海や土で出来た物を食べているから、動物も魚も人間もみんな電気を通すのでしょうかね?」


「では、土って、電気を通すでしょうか?」

⑳土を溶かしたどろ水

「では、ただの水は、電気を通すでしょうか?」

㉑水道水

最終的な結論と、明らかになったこと、自分自身でこれはそうだ、と
言えることを考えて、最終的な自分の結論を書かせる。

【結局、どんなものが電気を通すと言えるのですか?】

「地球の自然界、土や海で自然に出来るほとんどの生もの(ちょっと水分のある感じのもの)、そして金属やグラファイト、が電気を通す」

最後に感想を書かせて、終わり。

ジェットストリーム

同じ服装になる高学年女子のこと

.
気の合う友達と、「みんなで同じ服装にしよう」ということになったようだ。

コートを同じような色とデザインのものにして、お揃いのようにして着ている。

コートだけでなく、中に着る服装も、なんだか同じようなデザインのもの。
当人たちは、ニッコニコ、である。


まあ、ものの一週間もすると、そんなことに急に醒めてしまうらしく、普段通りにもどっていきますよ。大抵は、ね。

こっちは気にも留めないが、頭の片隅の1%だけ、気にする。
そのことが、当人たちを苦しめていないか、という一点について、心配をする。



ところが。
もし、同じ服装、というのが1週間つづき、さらにつづくようだと、心配レベルを少し、上げないといけません。
また、万が一、さらに翌々週も同じ服装ゲームがつづくようだと、ちょっとひとつ、アクションを考えなければならないでしょうな。


わたしは、

「ともだちは、契約してできるものじゃない」


という話をする。

友だちとは、どんな関係のことをいうのだろうか。


たぶん、そのままでいいよ、という関係のことだ。

〇〇してくれないとダメ、とか、契約条件を結んでる?
そういうのが、無いのが、友だち。

〇〇してくれなかったら、にらむ、とか。
〇〇してくれないなら、話をしない、とか。

そういうのは、友達じゃなくて、契約者。
本当に仲が良かったら、契約は要らないもの。




もし、あなたを責める人がいたら、責める方の心に、なにか寂しさや、苦しさがある。
人を責めたくなるのは、自分が寂しかったり、苦しかったりするとき。

寂しくなくて、苦しくなくて、ごはんがきちんと食べられていて、あったかい布団でしっかり寝ているときは、だれかほかの人を、苦しめようとは思わないし、責めようとはしない。

だから、あなたを責める人がもしどこかにいたら、その人は、なにか心が苦しい人かも。

あなたがどれだけ楽しそうにしていても、友達なら、文句を言わない。
あなたがどれだけ嬉しそうにだれかと喋っていても、友達なら文句は言わない。

もし、文句を言いたくなる人がいたら、その人の心が、なにかで重くなっているかもしれない。
だから、その人のことを、心配したくなる。それが友達。



こういうことみんなで考えて、あーだこうだ、と学級で話をしていると。

同じ服装ゲームは、いつの間にか、無くなります。

ひと言も、たったの一度も、「服装」の話なんか、していないのに。

「責めるとは何か」ということを考えていくと、個性が出てくるんです。
不思議です。なんの脈絡もなさそうなのに。

shichaku_woman

【驚愕】いまどきの献血はリクライニングで音楽を聴きながら

ふと思いついて献血をしてきました。

駅ビルの献血ステーション。


なんと、リクライニングシート!

とっても楽な姿勢で献血ができます。

おまけに目の前に専用の小型テレビがついていて、
番組をみて笑っているうちに終わる、という仕組みです。

kenketsu2

耳もとの、枕(まくら)のところからステレオで聞こえてきて、すこぶる快適!


ところが、400CCを取り終わるころ、看護婦さんがひょいと
足元からビニール袋をもちあげたのです。

同時に、真っ赤な液のたっぷり入った袋が目に映りました。

たっぷりの、血液。

あれ、本当はみんな、わたしの血液だったんだ・・・。

(ゲゲ・・・、ウチの血が、あんなにも・・・)

と思った瞬間。

急に頭の芯がスーと涼しくなってきて、めまいに襲われました。

あーーー・・・

声にならない声がのどからしぼりだされ、
顔色が、ゲソッと変わってくるのが自分でも分かりました。

medical_yuketsu_ketsueki_pack

看護婦さん・・・。

「だいじょうぶですかッ!!」

隣のおばちゃんから、悲鳴に近い声があがる。

美人の看護婦さんが、驚いて駆け寄ってきた。


所内がざわついて、3人の看護婦が私を取り囲みました。

それまでわりと事務的な雰囲気だった献血ステーションの空気が、急変。


ひとりが血圧をはかり、もうひとりが脈をはかる。
そして、先ほどの美人看護婦が、なにを思ったのか、
私が座ってたシートをガクーーンと、さらに深く倒しました。


そのときの心境は、

「・・・ウチは、もう・・・、あかん・・・(死ぬ)」


そのまま水平になって寝ていると、美人看護婦さんが

「アクエリアスを飲めますかッ?」

ひどくあせったような声できいてきたので、
こっちも焦ってしまい、
途切れ途切れに、

「・・・あ・・・は、・・はい」

というと、すぐに奥の部屋からブルーのやつをもってきました。

しかし、冷蔵庫かなにかに入っていたのが、
急にあったかい空気にふれたからでしょうか。

そのアクエリアス(袋状)のキャップがあかない、開かない・・・。


力が入らないのです。手から握力が、消えてる。

手が動かん・・・。(*_*;


すると、それを見て、すでに悲痛な顔もちになっている美人看護婦が
私の手からアクエリアス(ふくろ状)を奪うようにしてとりました。

そして、キャップを開け、わたしの手に握らせてくれました。

そのときにかすかにふれた彼女の手の肌のきめのこまかいこと。
(どうでもいいが。)


目の前が暗くなっていたが、それを飲んでたら
そのうちしだいに落ち着いてきた。

眉間にしわを寄せて、沈痛な面持ちの美人看護婦が目の前でしきりとしゃべってる。

帰り道で、気分が悪くなったら
すぐに横になるか、もしくは、しゃがんでください、
とのこと。


え?ということは、そういう可能性があるってこと?

「いいですか、電車のホームのぎりぎりのところは絶対に!歩かないでください」

ホームから落ちるかも、ということか?

これをきいて、まためまいがしてきた。

もう帰れるかと思っていたが、そこから開放されるのに、
まだ時間がかかった。

それからさらに医者に厳重な注意をうけ、受付の人にも、すっげえ真剣な顔で、

「気分が悪くなったら!!すぐに!!すぐに、しゃがんでくださいよッ!!」

といわれて、

さっきも同じこと聞いたよ!と思いながら・・・

最後には受付が、ごていねいに

「気分の悪くなられた方へ」という印刷した分厚いカラーのパンフレットを手渡しながら、
(そんなものまで用意しとる!)

「無事にご自宅に帰られるかどうか確認が必要なので。
いいですか、必ず、かならずですよ。折り返しの電話をしてくださいねッ!」


だと。

(帰ってから、電話しといたよ・・もう二度と献血はしまい)

感情の名前を、教えない

.
わたしは、感情の名前を、教えない。

学習指導要領に、すべての感情の正しい名称を教える、というのがあれば、教えるだろうが・・・。


体験したことも無い感情の名前を、

「悲しみ」

と教えるのではなく、

「なんか不思議な感じ方」

としか、言わない。



あなたなら、どうつける?

と言うと、

「え、つけてもいいの?」

と聞いてくる。


そんなもの、自由に決まっておろうが!



こんなふうに、感情の名前を正しく言わねばならない、というのは、

日本人が全体に、緊張しすぎているからではないだろうかと、ふと思う。

なぜ、日本人はこうも、

頑張り屋で、スポ根大好きで、緊張しているのだろう・・・。




「世間では『悲しみ』と呼んでるけど、あなたの好きなように呼んでいいし、ペットみたいにかわいがってもいいんだよ。棘針があるから触らない方がいいけどネ」

「わかりました」



その子はそっと心の奥の方に、その感情をくるくると押し戻して、

「見なかったことにします」

と言った。

6

ジェットストリームの思い出

.
中学生の頃、TOSHIBAのSUGARというラジカセを買ってもらい、毎晩聞いた。

チューナーをFMに合わせると、深夜近くになって、ジェットストリームが始まる。

勉強しながら、という名目で聴くのだが、ジェットストリームの頃になると

だんだん瞼が重くなってくる。

最初のナレーションをきいて、しばらくするうちに、そのまま我慢できなくなって睡眠、ということが多かった。

城達也さんのマネをして、ゆっくりと、

「今宵、皆さまの夜間飛行のお供をいたしますパイロットは、わたくし、城達也です」

と話すの、何度も何度も、やってたなー。

plane3



ジェット・ストリーム……

遠い地平線が消えて

深々とした夜の闇(やみ)に 心をやすめるとき、

遙(はる)か雲海のうえを

音もなく流れ去る気流は

限りない 宇宙の営みを告げています。

満天の星をいただく 果てしない光の海を

豊かに流れゆく風に心をひらけば

きらめく星座の物語も 聞こえてきます

夜のしじまのなんと饒舌(じょうぜつ)なことでしょうか。

光と影の境に消えていった

遙かな地平線も 瞼(まぶた)に浮かんで まいります。

日本航空があなたにお送りする 音楽の定期便、ジェット・ストリーム。

今宵、皆さまの夜間飛行のお供をいたしますパイロットは、わたくし、城達也です。


===============

城達也さん。
ご冥福をお祈りいたします。

日本人は緊張している

.
わたしは、虫の名前を、教えない。

学習指導要領に、すべての昆虫の正しい名称を教える、というのがあれば、教えるだろうが・・・。


見たことも無い毛虫の名前を、

「タケカレハ」

と教えるのではなく、

「ナンジャコレハ」

としか、言わない。



あなたなら、どうつける?

と言うと、

「え、つけてもいいの?」

と聞いてくる。


そんなもの、自由に決まっておろうが!



こんなふうに、虫の名前を正しく言わねばならない、というのは、

日本人が全体に、緊張しすぎているからではないだろうかと、ふと思う。

なぜ、日本人はこうも、

頑張り屋で、スポ根大好きで、緊張しているのだろう・・・。




「本当はタケカレハだけど、あなたの好きなように呼んでいいし、ペットみたいにかわいがってもいいんだよ。棘針があるから触らない方がいいけどネ」

「わかりました」



その子はそっと竹藪の奥の方に、その虫を葉っぱごと押し戻して、

「見なかったことにします」

と言った。

タケカレハ

血液型占いのこと

.
そういえば、血液型占いが、まだまだ人気だそうだ。

血液型占いは、本屋でも鉄板のベターセラーで、常に売れ続けている由。


うんうん、たしかに。
日本人は血液大好きだね。


「身体の中身のことだから当たる。体質って、あるでしょ」

だから当たるのだと、自信たっぷりに言い切る人も、たくさんいる。

また、一方で、

「人間がたった4つの型だけに分類されるなんて、あほらし」

という人がいて、血液型はたったの4種類だから無理があるけれども、

「星座は12種類だから、信頼できる」

という。

「血液型と星座がそれぞれバラバラだと信用できないが、合わせるとこれは凄い」

という人もいて、

「さそり座のA型は、こわい」

らしい。

「おひつじ座のO型は、おとなしい」

だとも・・・。

さそりがこわくて、ひつじは、おとなしい。

たまたま偶然なのだろうが、この占いは、覚えやすくて良い。



しかし、上には上があり、そこにさらに干支占いをも合わせる人がいて、

「わたしはおうし座で丑年よ。おまけにО型。モーーーーーッ!!(鼻息)」

この人は、どう考えても、将来は牛飼いになるべきだろう、という気がする。



結論:

1) 〇〇すべきだ、という言説は、【知識】ではなく、ただの【意見】である。

2) 干支占いは、その学年全員がそうだということになるから、なんだか妙に気になる。

ぼうず

「知識」と「意見」を分ける その2

.
人生をうまく生きるため、知識を得ようと本を読むのは、ムダなこと、なのかもしれない。

そこに潜んでいるのは、すばらしい知識、ではなく、ただの「意見」にすぎない。

半世紀ほど前、母乳かミルクか、どちらが正しいか、という議論があったそうな。

また、3歳児までは母親が育てるべきだ、という意見と、こだわらなくてもいい、という論争があったそうだ。

現在では、どちらが正しい、ということもない、という結論に落ち着いている。


考えてみれば当たり前のはなしで、人生の何が正しいのか、賢いのかなど、いったい誰が決めるのだ。

パン食が正しい、とか、米を食うと馬鹿になる、という意見もあったそうだ。

スポック博士の育児書、という本がベストセラーになり、抱っこはやめるべきだ、と書かれた。

赤子をうつぶせで寝させると、頭の形がよくなる、という言説も登場した。

現在では、どちらが正しい、ということもない、という結論に落ち着いている。


考えてみれば当たり前の話しである。

本人がやりたいようにやればよい。

どちらが賢いかなど、判断基準が異なればまったく逆の答えになる。

そもそも、賢く生きようとすること自体が間違っている(不幸を招く)可能性だってあるんだし・・・。


賢く生きようと意識するか意識しないか、ということ自体も含め、人生の岐路に立つ人も、生涯の伴侶を選ぶ人も、目前の就職先を選ぶ人も、ほとんどの人が、耳に入った情報の偏り加減や、量の多さで、なんとなく右か左かを選んでいるだけ、なんじゃないかという気がするネ。

そんなものに振り回されず、本人のカンで生きた方が、よほどスッキリしている。

本人が第六感で選ぶのであれば、間違っても、他人のせいにすることもないだろうし・・・。

しかし、現状では、テレビでどこかの教授や人気タレント、その道の専門家が言った意見だから、ということで、〇〇した方がいい、と判断することは多いだろう、と思われる。

「〇〇すると、いいんだって」
「へーーー!!」

このような歴史が繰り返されている現状を知ると、これはおそらく、人間の思考の癖なのだろう、と思うネ。

人間は、不安なのだろう。

だれかが強い調子で、断定的、確信的に何か言っているのを聞くと、あたかも、

「そうしないやつは、アホ!」

と言われている気がするのだろう。

その不安から逃れるためには、だまされているかもしれないが、ともかくやってみる、食べてみる、ということになるのではないか?

そして、やればやるほど、「いい」ことをしよう、「かしこく」やろう、という気持ちが、これでもか、というくらいに肥大化する。

ハカセの

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