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わたしは、学校がきらいな子どもでした。
なにせ、学校までが遠い!
3キロ半はあったと思います。
1年生の時に、1時間10分かかっていた。
2年生になったら、1時間ジャストで帰ってこれた。
両親が
「歩くのが速くなった」
と、喜んでくれたくらいです。
先生はやさしい女性の先生で、面白い話をしてくれるので大好きでした。それでも学校というもの自体は好きになれず、はやく休みにならないかとばかり思っていました。
勉強も退屈だし、休み時間が終わるのが切なくて仕方がありませんでした。いっしょに鬼ごっこをする友達と、ずっと校庭で遊んでいたいな、と切に願ったものです。
母親があとで笑い話で教えてくれたところによると、
ある月曜日の朝、ふとんの上でわたしが大きなため息をついて、
「ああ、いったい、学校をはじめたのはどこの誰なんだ・・・」
と、恨めしそうに言っていたそうです。
↑
こういうことを、わたしは教室でたまに話します。
教師の子ども時代の話を、実は子どもたちは、とても聞きたがる。
そんなのどうでもいい、という子はめったにいません。
大人の昔話というのを、子どもは本能的に、興味を持って聴くような気がします。
体験談というのが、自分に一番ダイレクトに響くからでしょう。
4月、最初にわたしが話したのは、先生が子どもの頃、という話。
具体的に、どんな遊びをしたのか、話をしました。
〇Sケン
〇かかし
〇ゴムとび
〇くつとりメロン
〇ぐねぐね
〇ろくむし
〇さんパン
・・・
今ではほとんど絶滅した遊びがあるかと思います。
わたしはルールを言うだけでなく、当時の子どもの様子を生々しく、実況風に話します。
落語が好きでよかった、と思うのはこのときですね。
Sケンで、クラスのRさんが、女の子なのにぎゅっと手をにぎってくれて、助けようとしてくれたこととか・・・。
高学年だと、こういう話で盛り上がります。
男同士の友情、という話もします。けんかして仲直りした直後のSケンで、本気になって助けてくれたOくんの話とか。
クラスのまとまりを伝えるのには、「ろくむし」を半年間ずっと続けたクラスの話をします。
2時間目の休みには、ほぼ全員が結集して、男子も女子も「ろくむし」をする。
苦手な女子も、男子の陰にかくれて、うまく島にたどりつけるようになる。
狙われた子たちをかくまって、かばおうと必死になる男子たち、というあたりを、劇的に語ります。
「くつとりメロン」で、くつを取り返してくれた6年生、という話もします。
登校班のみんなで遊んでいて、6年生がすっごくかっこよかった、ということとか。
くつとりメロンでは、腕のリーチの長い6年生が、どれほど尊敬できたか。
するとネ。
みんな、やりたがるんですよ。
そりゃ、そうです。
当時の子どもたちの様子の中に、
ああ、いいなあ、そんなの
と思えるような要素を、これでもかと詰め込んで話をしているのですから。
つまり、理想の学級、理想の人間関係を、イメージさせていくのが、目的なのです。
「せんせい、そのろくむし、というの、やろうよ!」
「ポコペンやろう!」
「Sケン、やろう!」
平成の今日、こんな声が教室に響くのを聞いていると・・・
る、涙腺が・・・
昭和の時代に戻ったようで、わたしの目がしらが熱くなったのも、お分かりいただけますでしょうか。
※注
ポコペン、かかし、ろくむし、靴とりメロン
昭和40~50年代にかけて、東海地方に分布していた独自の遊びです。
なかでも『靴とりメロン』は、わたしの姉の仲間が発明した遊びで、当時学校中で一世風靡しましたが、おそらくルールの改訂に次ぐ改訂で、今は原型はなくなっているかと思われます。
また、お互いの靴を、遊びの道具にして取り合う、という感覚やセンスは、現代では敬遠される風潮もあるでしょうから、絶滅危惧の遊び、あるいはすでに絶滅した、と認定してもよいでしょう。これらはすべて、レッドブックデータに掲載されてしかるべき遊戯でしょうナ。
この図は、「かかし」という遊びのデザイン。
わたしの地方では、このかかしに、首の部分がありました。
この首に、石を落とすのが、いかにむずかしかったか・・・。
わたしは、学校がきらいな子どもでした。
なにせ、学校までが遠い!
3キロ半はあったと思います。
1年生の時に、1時間10分かかっていた。
2年生になったら、1時間ジャストで帰ってこれた。
両親が
「歩くのが速くなった」
と、喜んでくれたくらいです。
先生はやさしい女性の先生で、面白い話をしてくれるので大好きでした。それでも学校というもの自体は好きになれず、はやく休みにならないかとばかり思っていました。
勉強も退屈だし、休み時間が終わるのが切なくて仕方がありませんでした。いっしょに鬼ごっこをする友達と、ずっと校庭で遊んでいたいな、と切に願ったものです。
母親があとで笑い話で教えてくれたところによると、
ある月曜日の朝、ふとんの上でわたしが大きなため息をついて、
「ああ、いったい、学校をはじめたのはどこの誰なんだ・・・」
と、恨めしそうに言っていたそうです。
↑
こういうことを、わたしは教室でたまに話します。
教師の子ども時代の話を、実は子どもたちは、とても聞きたがる。
そんなのどうでもいい、という子はめったにいません。
大人の昔話というのを、子どもは本能的に、興味を持って聴くような気がします。
体験談というのが、自分に一番ダイレクトに響くからでしょう。
4月、最初にわたしが話したのは、先生が子どもの頃、という話。
具体的に、どんな遊びをしたのか、話をしました。
〇Sケン
〇かかし
〇ゴムとび
〇くつとりメロン
〇ぐねぐね
〇ろくむし
〇さんパン
・・・
今ではほとんど絶滅した遊びがあるかと思います。
わたしはルールを言うだけでなく、当時の子どもの様子を生々しく、実況風に話します。
落語が好きでよかった、と思うのはこのときですね。
Sケンで、クラスのRさんが、女の子なのにぎゅっと手をにぎってくれて、助けようとしてくれたこととか・・・。
高学年だと、こういう話で盛り上がります。
男同士の友情、という話もします。けんかして仲直りした直後のSケンで、本気になって助けてくれたOくんの話とか。
クラスのまとまりを伝えるのには、「ろくむし」を半年間ずっと続けたクラスの話をします。
2時間目の休みには、ほぼ全員が結集して、男子も女子も「ろくむし」をする。
苦手な女子も、男子の陰にかくれて、うまく島にたどりつけるようになる。
狙われた子たちをかくまって、かばおうと必死になる男子たち、というあたりを、劇的に語ります。
「くつとりメロン」で、くつを取り返してくれた6年生、という話もします。
登校班のみんなで遊んでいて、6年生がすっごくかっこよかった、ということとか。
くつとりメロンでは、腕のリーチの長い6年生が、どれほど尊敬できたか。
するとネ。
みんな、やりたがるんですよ。
そりゃ、そうです。
当時の子どもたちの様子の中に、
ああ、いいなあ、そんなの
と思えるような要素を、これでもかと詰め込んで話をしているのですから。
つまり、理想の学級、理想の人間関係を、イメージさせていくのが、目的なのです。
「せんせい、そのろくむし、というの、やろうよ!」
「ポコペンやろう!」
「Sケン、やろう!」
平成の今日、こんな声が教室に響くのを聞いていると・・・
る、涙腺が・・・
昭和の時代に戻ったようで、わたしの目がしらが熱くなったのも、お分かりいただけますでしょうか。
※注
ポコペン、かかし、ろくむし、靴とりメロン
昭和40~50年代にかけて、東海地方に分布していた独自の遊びです。
なかでも『靴とりメロン』は、わたしの姉の仲間が発明した遊びで、当時学校中で一世風靡しましたが、おそらくルールの改訂に次ぐ改訂で、今は原型はなくなっているかと思われます。
また、お互いの靴を、遊びの道具にして取り合う、という感覚やセンスは、現代では敬遠される風潮もあるでしょうから、絶滅危惧の遊び、あるいはすでに絶滅した、と認定してもよいでしょう。これらはすべて、レッドブックデータに掲載されてしかるべき遊戯でしょうナ。
この図は、「かかし」という遊びのデザイン。
わたしの地方では、このかかしに、首の部分がありました。
この首に、石を落とすのが、いかにむずかしかったか・・・。