30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2016年03月

【クラス編成】善良な子を集めるクラスは、なぜかうまくいかない件

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新学期からは、新しいクラス。
先生たちにとって、【クラス編成】はとても大きな仕事だ。

子どもたちの人間関係や成績、あらゆることを考慮に入れて、クラス分けをする。

ここに、面白い現象がある。

「ひとつのクラスに良い子ばかり集めると、なぜかうまくいかない」

いわゆる、いい子ばかり集めて学級をつくると、どうにもしっくりとしたいいクラスにならないらしい。
ベテランの先生ほど、このことを感じ取っているようだ。

最初はうまくいく気がする。
親切で、善良なクラスになる予感がある。
しかし、途中からなにか歯車がうまくいかなくなり、立て直すことに必死になる。
3学期が終わってみて、なんでもくろみ通りにならなかったのか、といぶかしく思う。

「こういうこと、わりと多いのよね」

ベテランの先生からそんな話を聞いて、不思議に思った。

ふーん・・・。
なんでだろうなぁ。




教師が「良い子」を選ぶようになると、地獄が始まる。

なぜでしょうねえ。
昔は分からんかった。
今は、少し、分かる気がする。




つまり、これはね、考える最初の点から、間違っているのだろうネ。
「いい子」を集めよう、というスタート地点が、地獄の思想なんじゃないかナ。

教師自ら、親切で善良でかしこい人間になりたいと思い、そういう人間が良いのだ、と思い、善良なクラスをめざしてしまう、そのこと自体に、間違いがあるのかも・・・。

実は、人間は、善良であってもよいが、善良でなくてもよいのでしょう。
善良であらんとする人が、善良でない(ということにされた人)を排除しようとしたところから、ボタンのかけちがいが始まる。

ラーメン好きは、ラーメン嫌いをけなしたい。
ラーメン嫌いは、ラーメン好きをけなしたい。
けなしてもいいけど、けなしている間は不幸がつきまとう、ということなんだろう。

そして、人は誰でも「けなし、けなされる」恐怖を欲してもいいのだけれど、その恐怖はいつか終わりの来るものなのだ。「やーめた」と言えば、すぐにでもやめられる。・・・映画と同じ、で。
↑実は、みーんな、このことを知ってる、と。



映画の『暗殺教室』が流行るのも、
遊園地では恐怖のジェットコースターが流行るのも、
世間で人をけなすのが流行るのも、
元はみんな、同じなんだろう。

みんな、後から、
「なーんちゃって」
といって、大安心したいのだ。

きっと、ネ。



写真は、ひよこが煉獄の窯で焼かれる恐怖の映像。

ひよこ焼き

ひよこ焼き2


あんまり、うまく、いかなかったネ・・・。(美味かったけど・・・)

【暗殺教室】人はなぜ、恐怖映画が好きなのか

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「暗殺教室」という映画がある。
ちょっと話題になったらしい。
先日、テレビの録画を、ほんの少しだけ見た。

「暗殺教室」は、高校生が先生を殺す話である。
この先生が、ふつうではない。
黄色いタコ型怪人であって、超能力を持つ。
恐ろしい超人なのだ!
その怪人に向かって、高校生たちは銃を撃ったり、ナイフを振りかざしたりしながら、なんとか殺そうと頑張る。

なんだ、これは・・・。



5分間見た後、わたしは、考え込んでしまった。

なんで、人間と言うのは、恐怖映画が好きなんだろう?
人がなにかを殺す、というような、刺激的なものを、欲しがる。
なぜか?


最初に思いついたのは、
「現実にもどったときの安心感を得たいから」
ではないか、ということ。

つまり・・・。
人はたまに、現実離れしたフィクションのもたらす『恐怖』を味わいたくなる。
映画が終わった瞬間、だれもが
「いや、これはフィクションだ。現実世界ではこんな恐怖は起こりっこないのだ。良かった~」

と安心する。

この、最後に感じる、強い安心感が欲しいのではないか?

考えてみると、世の中で起きていること、現実世界には、恐怖が蔓延している。
交通事故、病気、競争、受験、怪我・・・。
これらの恐怖から逃れて、だれしも安心を得たいと願って生きている。

しかし、小さな安心感は得られても、強い安心感、というものは日常、なかなか得られない。
ひとは、たまーに、強めの安心感が欲しくなる。

そこで!!

あえて、強い恐怖を感じることで、その反動としての安心、つまり

恐怖から解放された瞬間の
「ちょっとコクのある、強めの安心感」
を感じてみたい、という気持ちが働くのではないだろうか。

空

卒業アルバム

卒業式のあと、もう死にもの狂いで事務を片付ける日々が続く。

おそらく、教員の血圧がもっとも上がるのが、この時期だ。

児童に関わるありとあらゆる記録を正確に残すために、獅子奮迅の働きをする。
誤字がないかどうか、4人がかりで、目を皿のようにしながらしらみつぶしにチェックすると、目がどんどんと充血するのが分かる。

たまにいくトイレだけが休息だ。
トイレに行くと、そこに出会わせた先生が、みんな一言もしゃべらず、深いため息だけをついている。
お互いに、目の下のクマを見せ合いながら、

「もうひと踏ん張りだ、なあ・・・」

と言い合っている。


そのさなかに、異動される先生が一人ずつ、片付けを終えて去っていかれる。
挨拶をしながら、なんだかその先生たちと、もう少し、あと一言、と会話したくなる。
忙しいけど、話しかけに行く。

なんだかんだで、夜になると、グッタリ、である。




さて、気になるのは、卒業アルバムだ。
勤務校でもすばらしいアルバムを作成したが、保護者からの問い合わせには本当に気を遣った。
要するに、このアルバムというやつ、プライバシーのかたまりなのである。

分かりやすい例でいえば、この中から有名人が出てくると、世間の注目はこのアルバムに集まる、ということ。

イチローや松井などの有名選手。
彼らの卒業文集は、すでに公開されてしまっている。
小学校6年生の時の作文は、そのまま画像で広まり、ネット上でいくらでも検索できてしまう。

字がきれいかどうかまで、世の中の興味の対象にされたら・・・、いやあ、本当にたまったもんではないですよね。

報道と称して、有名人の文集、アルバムをマスコミが買いあさる構図が出来上がって久しいが、これらは本来売り物ではなく記念品。
ある人の子ども時代の様子を、他人が確かめるために配布しているのではない。
今や、ありとあらゆる情報が、ネット上に消せない情報として流れる以上、うかうかとは扱えない代物なのである。


おそらく、「卒業アルバム」というものは今後、鉄の鎖でぐるぐる巻きにされた上で・・・、大きな南京錠をつけて渡されるようになるのではないだろうか。

そんな想像をしていると、なんだかさみしくなってくる。




世の中は、ますますギスギスしてくるみたいだけど・・・。

これを打開するのは、そんなことに踊らされない人になりあうことで、それ以外にない。

そして、そんな人になるのも、実は存外、簡単なことのようである。

クロッカス2G

給食とともに・・・

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Aさんのネタ、続き。

Aさんについてはいろいろと思い出すことがありますね。
ちょっと不思議な雰囲気の子だったので・・・
どんな不思議さかと言うと、こんな感じ。
以下、その会話をいくつか、覚えているところだけでも、書いてみます。






A 「あっ、国語のプリント、後半やってなかったっ」

隣の男子 「おれの、見せてやろうか」

A 「親切は嬉しいんだけど・・・、今日のデザートは渡せないよ!(にらむ)」







友だち 「えー、4時間目、鎌倉時代のテストだって。1学期の授業のところだから、もう全部忘れた」

A 「ちょうどよかった!」

友だち 「なんで?」

A 「わたしも覚えてないから、寝るしかないなと。いっしょに寝よう!」

友だち 「わたしの隣でよかったネ・・・寝るのが一人じゃなくて」

A 「ほんとう。隣でよかった~。給食になったら起こして~







友だち 「持久走の途中に、めまいがしたよ」

A 「え?朝ごはん、食べてないの?」

友だち 「食べたけど、足りなかったのかなあ。エネルギーになってないぞ」

A 「がんばれ朝食!・・・で、今朝、なに食べてきたの?」

友だち 「うーん、ふつうの白ごはんに、卵焼きとお味噌汁」

A 「あー、卵がまだ小腸に届かなかったんだねー。腸がぐるぐるしてるし、途中でどっか行っちゃったんじゃないの」

友だち 「アハハ」

A 「卵が、ここどこ?小腸なの? うそっ、ここ暗いしー、ぐるぐるしてるしー、・・・いやだ、向うが見えない~、キャー、わたし、栄養になりたくない~って」







隣の男子 「おれ、最近、鮭の皮まで食べるようになった」

A 「えー、今まで食べられなかったのが信じられない~。すっごいおいしいし、栄養もあるんだよ。皮だけ残してたなんて、信じられないー。じゃ、これまでの罪滅ぼしで、わたしのも・・・。ハイッ」(と、自分の分を男子の皿に) ←実はキライ。








友だち 「Aちゃん、アボガド好き?」

A 「うん、好きだよ~!  ・・・(ちょっと考えて) あ、わたし、アボガドも好きだし、アボガドの色に似てるぶどうも好き~!それと、ぶどうゼリーはもっと好き~!」









(なんでも食品にたとえる悪い癖)

A 「これって、鶏のササミに似てない?」

筆みたい

給食に命をかける女子

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クラスには個性があふれている。

一人の女子。
2時間目の休み時間になると、だれもがみんな、その子に声をかける。

「ねえねえ、Aちゃん、・・・」
「Aちゃん、わたしにも・・・」



男子までが声をかける。

「なあ、A、たのむよ・・・」
「Aが言ってたの聞いた?」
「ほんと?Aさん・・・」



かように、Aさんは、このクラスでの重要人物である。
なぜ、Aさんはこのような地位を築くことができたか。




答えは、給食であります。

Aさんは、ぜったいに毎朝、その日のメニューを覚えてくる。

で、特殊能力のようだが、その覚えたメニューを、空んじることができた。

「Aちゃん、今日のメニューなに?」
「今日は~、ひなまつり給食だから、ちらしずしでしょ、それから、さけのしおやき、なのはなびたしに、すましじるー、それから、三色ぜりー。たぶん。そんな感じ」




それをあてにして、多くの仲間がAさんに、給食のメニューを尋ねるのです。

Aさんも、はじめはそうでもなかったろうが、だんだんと自分がクラスの仲間からあてにされていることを知り、丁寧に伝えるように変化しているようでした。



ある日、男子のGくんにメニューをしゃべっていたAさんでありましたが、Gくんから

「いそべあげ?なにそれ?肉?」

と訊かれておりました。

私はその場面に遭遇し、どんなやりとりになるか、興味津々で聞いていた。


スポーツ少年のGくん。
彼は、いそべあげを知らない風であった。

「磯部揚げって、ちくわとかを揚げてあるやつ。ちょっと海苔がついてる感じの。知らないのー?」

Aさんは、男子がちっとも分からない様子なので、あれこれと説明をしている。

Aさんはどんな女の子か。

Aさんは、家で、かなり料理を手伝っているらしい。
日記を見ていると、その様子が分かる。
小麦粉をボウルに入れる時に、バフッとなってキッチンに粉が舞ってしまうことを、日記に書いていた。





ところで普段、Aさんは、わりと少食でありました。
おかずの一部を隣の男子にあげることもあったようで・・・。


ある日、男子が調子よく、

「Aちゃん、ゼリーくれない?」

と頼んだところ、鬼の形相で

「いつもおかずをあげてるでしょ!」

と、怒鳴り返し、目をまるくしている男子に向かって、

「今日は恩返ししてよネ!!」

と、男子からゼリーを取り上げていた。

男子 「A、こえぇー(震え声)」



次の日、

「わたし、ゼリーは大好きなんで♡」

と、日記に書いてありました。


ゼリー

「子ども、親、教師」の卒業式

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卒業式の日。
わたしは6年生、卒業生の担任として、子どもたちと共に、体育館前の通路に並んだ。
入場の曲が流れ始め、係りの先生から、合図があった。

「卒業生が入場します!」
マイクの進行とともに、先頭の列が動き始める。


わたしも、ゆっくりと歩き出した。
少し振り返ると、先頭の子2人が神妙な顔つきで、背後からついてくるのが見えた。

体育館の中に入ると、拍手の渦に巻き込まれた感じ。
小さな1年生の子たちまでが、懸命に拍手してくれているのが分かる。
その中を、ゆっくりと進む。

卒業式が始まった。
しばらくは座った子どもたちの後ろ姿ばかり見ている。
(まだ涙腺は大丈夫だ)。

いよいよ証書授与。
壇上にあがる、一人ひとり、卒業生の名前を読み上げた。
緊張したけど、制服姿の子どもたちの堂々とした姿に、どちらかというと
「かっこいいなあ・・・昨日までの印象とまるで違うわ」
みたいなことを考えているから、・・・まだ涙腺は大丈夫。

子どもたちの顔を見る瞬間がありました。
体育館のステージ、舞台にあがって、全員に顔を見せながら歌ったときです。

はじめてとびばこがとべた日のこと
雪の日 まっ白にそまった校庭
ささいなことでけんかして
体育館のかげで泣いたこと
今 卒業のとき
胸にこみあげるものがあるけれど
まっすぐ顔をあげて
さよならの向こうには何かがきっと待っている


一人ひとりの顔が、こちらを向いている。
口が動いている、歌っている。
あの顔も、この顔も。


湧いてくる感情は、ありがとう、と言うこと。
自分はこの子たちと共に過ごせたことがなんという幸運だったろう、と思う。
教師はやはり、最高の仕事だ。


教室に戻ってきて、別れまでの時間は30分あった。

この30分で、何を話そうか。
一人ひとりについて語りたい。
実はこの日の、このタイミングのために、1年半前に書いていた作文を使った。
子どもたちが、おうちの人にどんな感謝をしているか、書いたものだ。

「Aさん。覚えていますか。Aさんが、おうちの人についてこんなふうに書いていたことがあります。」

「Bさん、Bさんはこんなことがあって、その時、・・・と思ったって書いてくれてます。」


一人ひとりに向かって、クラス全員分を読み上げた。

子どもは、親の姿をこんなふうに見ているのだ、と
この作文を読んだ時に、じわぁーっと感じるものがあった。
ただし、これを、発表する機会がなかった。
作文用紙を子どもに返すだけでは、もったいないと思い、ずっとしまってあった。
最後の最後に、発表できた。


〇お母さんは帰ってくると、椅子に座る。本当に疲れているように見える。わたしにできることと思って、お風呂のお湯を入れている。お母さんは、夏休みになると、わたしといっしょにすごす時間をたくさんつくろうとしてくれた。

〇お母さんは何でもしてくれる。いつも朝早くに起きてご飯をつくってくれる。サッカーの試合があると、会場まで送ってくれる。遠征するときはお金がかかるけど、一度も今回はやめようと言わないで、出たらいいよ、と言ってくれる。

〇夏休みにすごく熱が出たことがあった。夜中に苦しくて何度も目が覚めたけど、お母さんは寝ないで起きていて、様子を見てくれていることが分かった。

〇一度発作があって倒れた時、病院で点滴をうった。その間、お母さんはずっと手をにぎってくれていた。

〇洗濯物を干す手伝いをしたけど、洗濯ものをあげたりおろしたりするだけでもすごい腕が疲れた。お母さんはいつもこれをやってくれているんだと思った。

〇お母さんは仕事から帰ってきても仕事があって、それは家じゅうの部屋を掃除してくれていることだ。自分は妹の保育園の送り迎えをたまあにやることがあるけど、それくらいしかしていない。

〇水泳で平泳ぎが25m初めて泳げた日に、そのことを言うと、家族がみんな喜んでくれた。お父さんやお母さんだけでなくて、お兄さんまでがそのことを喜んでくれた。海に行ったときに背泳ぎに挑戦していたら、家族が全員でがんばれ、と応援してくれた。

〇ブラスバンドのコンクールで演奏したあと、お母さんがいろんな感想を言ってほめてくれた。その感想も、いいことも言ってもらったし、もっとこうするといいよ、ということも言ってくれた。そんなふうに教えてくれたのが嬉しかった。

〇私は弟と喧嘩するときがある。家族がみんなで、なんとかしてとりなしてくれようとする。わたしはそこが分かるから、余計に意地悪なことを言う時だってある。でも、心の中ではいつも、うまくとりなしてくれることがありがたいと思っている。

〇好きな野球をとことんやらせてもらっているから、お母さんに感謝したいと思うけど、買い物のときに重いかごを持ってあげることくらいしか思い浮かばないので、それをやっている。

〇サッカーで靴下がすごく汚れているけど、いつの間にかきれいにしてくれている。言わないけど感謝している。

〇私は車酔いをするので、車に乗って遠出をする時などは、よくお父さんが心配してジュースを買ってくれたり、いろいろと気を配ってくれるのがうれしい。



卒業式で、一番伝えたいのは、こんなにもお母さん、お父さんが大好きな子たちだった、ということ。
そして、その両親に、感謝しているけど、なかなか伝えられていないということ。
教師は、その間にあって・・・

卒業する子どもたち。
その子どもたちを支えてくれていたご両親、ご家族の方たち。
教師は最後に、その両者にメッセージをおくる立場だろうと思う。


芽吹き2

【実体験】愛知に来たら花粉症が治った!

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愛知に引っ越して来てから、花粉症が治ってしまった。

どちらかというと、山や森が近くにあるから、不思議な気がしていた。
もちろん、杉やヒノキの木もある。

だから、もしかすると、引っ越したらもっと悪くなるかもな、という不安があった。
咳、鼻水、鼻づまり。
引越しする前は、飲み薬に点鼻薬、夜寝る時には鼻に貼るテープまで使っていた。

ところが、こっちに来たら、ほとんど苦しいことがない。
症状らしいものが出ることもあったが、それほどひどくならないうちに、終わっていく。

なぜかというのが、だんだんと整理できてきたので、今夜はそれを公開する。

1) 以前は大都会に住んでいた。
   交通量の多い国道が近く、おそらく花粉だけでない、PM2.5のような粉塵があった。
   それが私の呼吸器に影響していたのだろう。
   田舎に越してきたため、細かな微粒子、アスファルトの削れた粉塵などが舞ってないのではないか。

2) ビタミンDを摂取するようになった。
   これは、もう10年ほど前、職場で一緒だった年配の方が、
   「おれ、自分の体で実験してんだ」
   と言いながら、粘膜を強化するためにビタミンDを飲んでいたところ、
   花粉症の症状が軽くなった、と言ってたので、わたしもそれ以来、2月~4月に飲んでいる。

3) 同じく、5年ほど前からか、ヨーグルトが流行したため、花粉症の時期になるとせっせと食べる。
   自分に一番合っているのは何か、と人体実験を繰り返すこと5年間。
   ついに、「ガゼリ菌」というのが、おそらく自分には合っているらしい、と分かってきた。
   さまざまなヨーグルトの種類があるけど、高確率で、すばらしい結果が出る。(ホントによく出る)

4) 日光を浴びる。
   これは、無料でビタミンDを体内に生成するため。
   ビタミン剤を買うお金が節約できる。

5) いわしのみりん干しを食べる。
   これは鮭でもよい。卵黄にもある。
   理由は4)と同じで、ビタミンDを摂取するため。
  
6) 花粉防止メガネをかける。
   4月だけ、私はメガネをかける。
   名古屋眼鏡【http://花粉メガネ.com/variation/smart2.html】

7) 車の中に、ウェットティッシュを用意しておいて、ドアを開け閉めするたびに、指先を拭く。
   指についた花粉は意識しないと、無意識に目をこするときがあるからナ・・・。


まあ、こんな感じです。
さらに、ここには書いていないものもありますが、・・・ま、こんな感じ?


引っ越して来て、一番いいのは、実は「咳」がとまったことです。

毎月、呼吸器科で、恐ろしいほどの薬をもらって飲んでいたことを思い出すと、
本当に、愛知県に引っ越して来て、良かったなあ、と思うのです。



念のため、実体験だから、万人に効果がある!ということはないと思います。
いろいろ、自分の身体に聞くのが、大事。
わが身にきいて、合っていることを探すのが、一番の処方。

馬酔木

もうすぐ、卒業、という『新鮮な感情』について

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卒業ということが、こんなに自分の心を揺り動かすとは思ってもみなかった。

今のわたしは、自分でも驚くような「惜別の情」に悩まされている。

自分は、もっとあっさりしたタイプだと思っていたがなあ・・・。



正直、子どもたちが、かわいくて仕方がない。

男子が6年生らしからぬほどのやんちゃを振りまきながら、真剣に鬼ごっこをしてから教室に戻ってくる姿さえ、なにか本当にかわいくてならぬ。

この子たちと、ほんのあと何日かでさよならすることを思うと、なんだか、ちょっと目にゴミが入ったかのようで、涙腺が・・・という感じ。

一人ひとりが、今までよりも、すごく大きく見える。

ちょっとした休み時間。

目の前に入れ替わり立ち替わり、教卓の前へ、ほんのちょっとあらわれては、

「先生、寒いからストーブの温度あげようよ」

とか、

「わたし、花粉症すごいんだよね」

とか、

「先生も鬼ごっこやろうよ」

とか、

「春休みの宿題って、中学に出すの?」

とか、

「教室、あんまり早く片付けちゃうから、なんだか寂しい」

とか、

いろいろと子どもたちが話しかけてくるのが、もうあと、ちょっとで尾張。

芽吹き1

ふと、やってみたくなるもの

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老人が消えた、というミステリー騒ぎがあった。(前回参照)
子どもというのは、毎日何かしらの新鮮な話題に興味を持つ。
だから、同じ話題が何日も続くということが少ない。

このミステリー話も、その時だけの盛り上がりで、それ以外はさしたることもない。すぐに消えていった。

その後、私が何回か、このことについて聞きただしていたためか、Fくんが自らの考察を教えてくれた。
それは、何日後かにFくんがまた見かけたのだが、その日、オジサンは電信柱のところにもたれかかるようにして立っていたそうだ。ところが驚くことに、その姿はまったく灰色の電信柱に溶け込むようだったので、周囲から気づかれないほどだったらしい。

「たぶん、電柱でオジサンの姿が見えなくなってたと思う」


矢追純一が作り出した、UFOに連れ去られる人間のような、ワクワクドキドキするミステリーがひそんでいるかと思ったら、そんな結末で、なんとも残念だった。




ところで、人間、ワクワクドキドキだけがもっとも大事かと言うと、そうでもない。
ワクワクドキドキが生まれてくるためのベースとなる部分で、世間のモノサシや人間本来でないモノに毒されている場合もある。
人を騙すことにドキドキ感が湧くようになっても、仕方ない。
自分自身の、今の心の状態を、どんなものかといつもいつも、注意を払いながら、居たいものだ。



死ぬときに、一番後悔するのは、

なぜ、自分自身で居なかったのか

だそうだから。

ワクワクドキドキもいいし、
それが無くてもいい。

ふと、やってみよう、という、静かな感じも、いいかもネ。

福寿草4G

写真は、福と長寿を約束する、『福寿草』。

平成の子も、ミステリーで盛り上がる!?

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UFOといえば、矢追純一。
ミステリーサークルやCIAにつかまった宇宙人の写真など、思えば昭和の子どもたちは、それがどうにも嘘くさいと分かっていながら、きちんとその、「大人の遊び」に付き合ったものだった。


水曜スペシャルの「探検隊」シリーズ。
あきらかに嘘くさい演出が、かえって「遊び」を盛り上げていた。

「恐怖の首狩り族はまだ生きていた!」

みたいな放映があったような気がするけど、ありゃ、本当に怖かったヨ・・・。


そういえば・・・思い出したことが・・・。

金色に輝くキングコブラを見ると寿命が100歳までのびると言われている、という報道で、探検隊メンバーが目を見開いてその映像を見ているシーンがあった。
そのギンギンに見開いた目で、ジャングルの木をバックに映し出された探検隊員の顔と、金色に塗られたキングコブラの映像が、同じ一度のアングルに収まらないまま、たがいにアップで映されるばかりでCMになった。
なんか雰囲気がおかしいな、と思ったら、一緒に見ていた父が

「これ、別撮りだ」

と言った。

分かってはいたけど、なんだか淡く、寂しい気持ちが湧いてきたのを覚えている。



テレビ製作会社に向けて、わたしは呪うように

「チッ!もうちょっと、上手にやれよ!!」

と、その時、言ったような気もする。





ま、そんな経験をふまえたうえで・・・

私は、平成の子は進んでいるし、今はそんなふうに大人も遊んでいる暇がないため、もうUFOだのミステリーだのには、目もくれないのかと思っていた。
ところが、ひょんなことから、うちのクラスに、小さなミステリー騒動が持ち上がりまして・・・。


うちのクラスの子が住んでいる団地の近くに、整骨院があります。
個人経営の小さなもので、ズッコケ3人組のモーちゃんのような雰囲気の、Fくんのうちの近所だ。

Fくんが、その人を見た。

その人は、灰色のジャンパーを着ていて、古風な帽子をかぶっている。
杖をついて歩いていたが、角を曲がると、突然、消えた、という。

すでにその場所は、整骨院の入り口を過ぎていたから、整骨院に入った訳ではない。
また、その角(かど)に人家の入り口のようなものはなく、ずっと角を取り巻くように高い塀が続いているから、どこかの家に入った、というわけでもないのだ、という。

「とつぜん、消えたんだよね。で、まわりをずっと探したんだけど、本当に居なくなってた」

あまり嘘を言うタイプではないモーちゃん。
静かに、自分の見た、驚きの体験を語ってくれた。


次の週、土曜日に野球のクラブに行こうとしていたTくんが、また、その人を見たらしい。

「おれも見た!」

月曜日の朝、興奮交じりにTくんが語るのを聞くと、その灰色のジャンパーの人は、おそろしく歩くのが遅く、ゆっくり半歩くらいずつしか、進んでいかないらしい。
Tくんは、その人を自転車で追い抜かしつつ、あ、そう言えば、と思い出した。

「あー、このあたりのことだよな、人が消えた場所って、Fくんの言ってたところ。まさか、この人がそうじゃないだろうな。もしかしたら、そうかな?」


そして、振りむいて灰色のジャンパーの人を見ると、その人はおじいさんかおじさんか区別つかない人で、白髪のようで白髪ではなく、Tくんと目を合わせることなく、ただまっすぐ歩いていたらしい。

Tくんは道路を横断するため左右を確認し、車が来ないので道路を渡ろうと思った。


再度、おじさんが気になってみてみると、

驚くべし!


おじさんは、またしても、そこから居なくなっていたのだった!!


(つづく)

P2112069

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