30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2016年01月

6年間で一番面白かった授業は~アンケート~

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自分たちでこんなアンケートを取っていた。
班の学級新聞に載せるためである。

そんなのきいたって、どうせ低学年や中学年のころの授業なんて覚えていないでしょう、と言ったら、

「そんなことないよ」

だって。


理科好きのNくんは、3年生の時の乾電池学習、4年生の時のソーラーカー学習、5年生の時の電磁石など、理科の単元を軒並み並べて、

「ひとつくらい載せてよ」

とみんなにお願いしていた。




さて、今回の話はここから。

話し合っている中、一人の子が、

「先生、こないだのあの授業って、国語なの?道徳なの?教科は何?」

と聞いてきたのでありました。

みんなが興味を持って、

「ああ、あれか!あれって国語でしょう?でもちがうか?」

などと口々に言っている。



子どもたちが話題にしたのは、現6年生の、ある授業のこと。

「あの授業、面白かった?」
「うん。ああいうの、またやりたい」


それは、国語の授業です。
説明文を読んだ後に、それについての批評文を書く勉強。

教科書の「手引き」の中に、

事実と意見を分けて考える

という項目が、あるのです。




思わず、二度見しました。
たしかに教科書の中に、

「事実と意見を分けて考える」

と、厳然と書かれている。

これはすごい、と思わず腕組みをして唸りました。

筆者の意見は、数々の事例や実践例、事実を列挙した後に、
以上のことから、こう考えられるのだ
というふうに解説される。

事実のあとに意見が書かれるから、説得力が増す、というわけ。
単に、考えだけを述べたのではなく、そこにはレッキとした、事実データがありますよ、ってこと。
だから、この話は、『確実』ですよ、『絶対』ですよ・・・、ということだ。



わたしはこれをみて、授業構想を練る。
ひとまず、事実とは何か、をみんなで考えるか、と思った。

・・・

結果として、子どもたちが
6年間でいちばん面白かった!
と断言する授業に展開されて行った。

やはり、子どもの脳はやわらかいし、あきらかなことを見通すのだね、と思いましたナ。
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なぜナマケモノが絶滅しないのか

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ここでいうナマケモノとは、動物の、なまけものです。
南米の方に住んでる?(うろおぼえ)
その、ナマケモノ。

今、卒業文集をつくっている。
クラスのページがあって、文集について話し合っていくうちに、

6の1 みんなにアンケート!

というコーナーをやることになった。

お気に入りのユーチューバーは誰か、とか
学校で習った一番好きな歌、とか
低学年のころ一番好きだった遊びは?など、

まあ、よくあるコーナーです。

ところがそこに、

「好きな動物」

というのがあって、Yちゃんが、なまけもの、と書いた。
意外なことに、動物のナマケモノを知らない子がいて、

その子が

「え?Yちゃん、これ、好きな動物を書くんだよ」
的なことを指摘したら、Yちゃんが意外に思って、
「知らないの?ナマケモノってぜんぜん動かない珍しい動物じゃん?」

そこでクラス全員に訊くとさすがにみんな知っていたけど、やはり本当の本当に知らなかった子が、まだ2人ほどいた。

その中のUくんが主張するには、
〇名前がおかしすぎる。
〇動かない動物なんていない。いたら、すぐ敵に殺される。
〇第一、繁殖できない。
〇木から降りないなら、えさがとれないから、じきに死んでしまう。
〇結局、そんなものは眉唾だ。
それを聞くと、本当に不思議な気がしてくる。

Uくんは、力を込めて、
「雪男とおなじで、ただの伝説なんでしょ?」
・・・というようなことを、言う。


(おもしろい・・・)←わたしの心の中の声。

先生、いるの?いないの?と訊いてきたから、わたしも便乗して、

「先生は、Uくんの考えた意見の方が筋が通っているから、Uくんを支持します!」

と、でかい声で断言した。
クラスで悲鳴に近い声があがり、絶対いるって、図鑑に載ってる!と絶叫する男子と、
そういやホンモノは見たことない、というまじめな女子と、
国立博物館で剥製を見たことがあるような気がする、という気弱な女子と
未開の地にいるやつで、希少な類のヤツだから、怠けている動物だという誤解を受けているが、真実は超スピードで移動できる、けっこう敏捷なケモノ(獣)のたぐいなのでは、という新説やら、いろいろ出た。

これが、カオス(混沌)という状況であろう。
まったくもって、教師が用意しなければならないのは、このような状況である。
子どもたちは、このカオス状態から、真実を見つけ出していくのだ。

みんな、あーだ、こーだ・・・。おしゃべり好きだねえ。理屈も好きだし・・・。


しばらくして、
わたしはもうすっかりナマケモノというケモノについて興味を無くし、はやく国語の授業をしよう、とみんなを促した。



ところで、なぜナマケモノは、絶滅しないのか、というUくんの意見について、何人かの理屈好きな子どもたちが、よき論争相手ができた、とばかりにその後、各自の日記にそれぞれの調べてきたことを書いてきた。

〇ナマケモノは、木の陰に隠れてじっと動かず、消費カロリーがとてつもなく少ないので、ほとんど飲まず食わずで何日も過ごせるそうです。
〇ナマケモノはワシに狙われるそうです。
〇ナマケモノは、実はけっこう泳げるそうです。
〇ナマケモノは世界一動きの遅い哺乳類で、あまりにも動かないため、毛にコケが生えてしまうほどだそうです。
〇フタユビナマケモノはたくさんいて、それより一見、見た目が強いジャガーの方が実はホントは弱くて絶滅危惧種です。



翌日、Uくんの発言に触発されたKくんは、ちゃんとくわしい雑誌を持ってきて、写真をみんなに見せてくれました。

クラス一同、とりあえず、「こいつがナマケモノか・・・」と、納得。
だってナショジオの写真、すっごく雰囲気あるからねえ。

みんな、ああ、面白かった、ということで、この話は終わりです。


しかし、なんで、ナマケモノって、絶滅していないのでしょうかね・・・。

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真冬の2月にコンポストで堆肥をつくりたい!

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コンポストで悩んでいる。
極寒のこの時期に、なかなか温度が上がらない。
そりゃそうだ、とみんな言うけど、なんとかしてホクホクの湯気が出るくらい、コンポストが温かくならないものだろうか。

真冬のコンポストに、もし対策ができたとしたら、これはもうみんな助かっちゃう。
知恵を集めたい。みんなの知恵が集合したら、なんとかなるのではないかなあ・・・。。

そこで、わたくし新間が実験台として、いくつか試してみることにしました。


我が家のコンポストは、昨年の4月ごろよりほぼ毎日のように稼働していて、まあ愛知・岡崎の温暖な気候であれば、真冬でないかぎり大丈夫なのでしょう。春からクリスマス前くらいまでの間は、かなり活躍してくれていました。
ところが、年末くらいから調子が悪くなり、野菜がそのまま残っていることが多くなってきた。



「あちゃー、野菜の皮がそのままだなあ」

知り合いの農家、T氏に尋ねてみると、

「真冬はほとんど無理じゃない?」

とのこと。
畜産経験豊富で堆肥熱育雛など農業の先端を極めたT氏でさえ、無理だという。

「いや、そこをなんとか、微生物を励ましてやりたいンですヨ・・・」

ちょっと、あれこれと教えてもらいます。

〇堆肥は好気性の発酵と嫌気性の発酵とのブレンド。
〇しかし特に中期において発酵を進めるためには、やはり酸素が必要。
〇酸素を送り込んでやるといいかも。
〇とくに冬場は、南に面した日当たりの良い所にコンポストを置いたらよい。
〇コンポストの表面は透明なプラスチックかトタンで日光を通す。



T氏によれば、酸素を送り込む、というのがどうやらポイントであるようだ。

ならば、コンポストの入れ物の内部に、空気を通してやればいいのでは?

そこで、この図のような計画書をつくった。


コンポスト



Aは、コンポストの内側だ。空気の取入れ口が、内部の堆肥の中(下部)にある。
そのままでは、堆肥や中の土で穴が塞がってしまって空気が通らないだろうから、ここは金網をかぶせるとともに、小さな枝やバークなどで覆い、空気が通るようにしてやろう。

Bは、コンポストの横の地面の上である。
地面の上にあるから、空気が出入りするだろう。
これもネズミが忍び込んだりするとアレだから、金網かぶせたうえ、さらにT字管などで空気が通りやすいようにしてやりたい。

また、これは別の人から聞いたのだが、土と微生物を元気づけるために、湯たんぽを入れたらどうか、という。

なるほど、ということで、中の堆肥にステンレス管をさして、60度のお湯を入れたペットボトルを入れてみた。
ステンレス管はホームセンターで、直径10センチのものが入手できる。(600円くらい)
1.5Lのペットボトル(スプライトとかファンタとか)が、ちょうど入る。
塩ビの配管もあったけど、熱が伝わらないとダメだから、ステンレス管にした。
これがあると、土を掘ったりかぶせたり、という手間がかからない。
ペットボトルもほとんど汚れないままだから、台所でお湯をサッと入れやすい。
ま、別にそのまま土にさして、土を洗い流せばいいだけなんで、こんなのどうでもいいけどネ。


もう一つは、米ぬかである。
米ぬかは油分があり、微生物にとっては大きな援軍になる。
土の間に、サンドイッチ(ミルフィーユ?)のようにして差し込んで混ぜ、元気になれ、と励ましてみた。


さて、ホームセンターから買い込んだ温度計が、どのように変化するだろうか。

これで、温度が安定して上がっていれば、作戦成功だ。
真冬、零下になる戸外で、山からの冷風にさらされたコンポストが、きちんと発酵を続けていたなら、これはもう日本全国のコンポストファンに知らせてあげたいくらいの快挙だと思う。

結果は・・・


乞う、ご期待!!!(来週には情報をアップできるかな・・・)

【小6歴史】もしアメリカと戦争をしたどうなるだろうか?

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歴史の授業がつづく。

教科書にも資料集にも、資源獲得が目的で戦争をした、というふうに説明がある。
しかし、うちのクラスはそれで納得しない。

資源が不足していたら、不足しているなりにふさわしい生活をすればよい、というのである。

「え?でも、みんなガソリンつかった車で遠くに出かけたいでしょう?トラックだって走らなきゃいけないし。工場でも燃料がなきゃ」

と説明するが、要するにそれだからといって人を殺すリスクはとらない、という。


しかし、教科書や資料集のどこをどうひっくり返しても、小学校の歴史の学習レベルでは、

「満州国建国も、日中戦争も太平洋戦争も、資源獲得のため」

というふうにしか、書かれていない。

子どもたちは、不満顔であります。




石炭欲しさに人を殺すのはリスクが高すぎる、というふうに説明する女子がいて、さかんに自説を論ずる。

「戦争で国がボロボロになるのは分かってる。それでも、なんで軍部が大陸に進出しようとしたのか?資源が欲しければ、普通に買えばいい」



男子が、おもしろいことを言った。

「勝ちすぎたからじゃない?」


これは面白かった。

つまり、日清・日露、と勝ってしまったので、国民全体で、「勝つ日本、強い日本」というイメージで、気持ちよくなってしまったのではないか、という。

「勝つのがいい、というふうになっていたから、気持ちが良くなって、次も勝てるんじゃないか、と思ったと思う」

なるほどー、という空気が流れた。



わたしは個人的に、

「平和になると、軍人が、職を失うことになるので、なかには戦争があった方がいいな、と思ったひともいたかもしれない」

と感想を言っておいたが、人殺しのリスクを説いていた女子がそれを聞いて、さかんに頷いていた。


ま、ともかく主に資源獲得を理由とした日中戦争がはじまり、時代はいよいよ太平洋戦争へなだれこむ。

さて、以下が本日の学習問題だ。

もし、アメリカと戦争をしたら、どうなるのだろうか。

わたしはいつも、学習問題を黒板にデカデカと書く。

ノートに意見を各自が書いてから、いつものように班で相談。
その後、教室全体での討論に持ち込んだ。


もし、戦争をしたら

〇勝てば主権を取り戻せる
〇勝てば中国に領土を広げて石炭が掘れる
〇勝てば領土が広がって、もう一度ロシアと戦うことになったかもしれない
〇勝てば資源が手に入りやすくなり、さらに強くなれる
〇勝てばアメリカに言うことを聞かせられる
〇でも負けると思う。資源の量が違うから
〇負けたら賠償額が高くてさらなる不景気になる

もし、戦争をしなかったら

〇資源が無いままなので、生活を変えないといけなくなる
〇植民地支配をせっかく始めたとところなのに、支配できなくなるかもしれない
〇日本がねらわれて、植民地にされてしまうということかもしれない
〇平和だけど、生活は貧しくなるかもしれない

戦争をした場合としなかった場合で、あれこれと出し合った。


教科書には、やはり、「資源の無い国」という書き方が一貫していて、日本人は「資源が無いから、他を侵略する傾向にある」というように、言外に子どもたちに教えているような気がした。

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【小6歴史】日清・日露戦争は、やって良かったか、悪かったか。

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いよいよ、日中戦争。
これまでに、いくつかのポイントを理解してきている。
〇不平等条約とは何か
〇列強とは何か
〇植民地とは何か
〇主権とは何か
〇朝鮮の人がなぜ日本に来るように(連れてこられたのを含む)なったか

日清・日露の戦争のあと、日本は専守防衛になったかというとそうではなく、むしろ軍隊を大陸におくり、国民の大多数が苦難の道を選びました。
時代的には資本主義が壊れかけ(世界大恐慌)、いろいろと反省してもよかった時代のようですが、国民は戦争に突き進んでいく。

前時は、以下の発問で1時間討論。

日清・日露戦争は、やって良かったか、悪かったか。

これは発問としては幅が広くて収拾がつかない。もっと良い発問があるかもしれない。
しかし、子どもたちが繰り出す、さまざまな視点が出そろう。多くの見方で考えていくことにつながる。

・不平等条約が改正できたから、良かった。
・国民は戦争のために生活を犠牲にしたから良くなかった。
・植民地がゲットできたらから、良かった。
・朝鮮の人たちの土地を取り上げたことになったから良くなかった。
・資源がゲットできたから、良かった。(満州の鉄鉱石や石炭など)
・土地を手に入れたということになっただけで、一般の国民からは死者が出ただけ。
・ロシアの侵略が食い止められた。
・韓国の土地を手に入れたけど、国民は戦争を続けるために重税を払うことになった。
・戦争のために人やものが浪費されて無駄になった。


賛成側の意見には、不平等条約の改正があっぱれだ、という意見が多く、
マイナス側は、戦争の後遺症が大きすぎた、という反応が多かった。



資源が手に入らない、ということについては、一部の子から、

「買えばいい」

という意見が出て、それが他の国から買うのでは高くて仕方がない、という説明をしたところ、

「節約するか、他のアイデアで乗りきる」

という意見が大半を占め、

資源が高い⇒戦争に勝って植民地を得て、日本国民が安く使えるようにする

というところがどうもスムーズに進まなかった。



まあ、小学校の社会科では、さまざまな角度から戦争をみることで、各自の考えが深まればいいという程度に考えている。

ところで、教科書に以下のような記述があり、授業の最後にここを読んでいくうちに、子どもたちがひっかかりを覚えた。

「・・・戦争や恐慌の結果、生活の苦しくなった庶民の中からは、国際的に強い国となり、中国に勢力を伸ばすことで不景気を乗り越えようという声が出始めました。」

時代の流れでは、こうした日本の多くの世論に押されて『満州国』が建国されていく。

ところが、一人の女子が、次の時間の学習問題を考える場面で、

「生活の苦しくなった庶民が、強い国になることで苦難を乗り越えていこうとした、というふうに書いてあるけど、どういう意味か調べたい」

と言ったのです。

つまり、ふつうは

生活が苦しい ⇒ 戦争なんて無駄なことをやめる


という発想になるのではないか、と。

しかし、この時代の人たちは、

生活が苦しい ⇒ 戦争して支配地を拡げよう


という発想だった。

そこをどうしてなのか、知りたい、というのである。



なるほど、そうやってみれば、この一文がなんとも納得しがたい感じがしてくる。
その後、他の子からも、同じような気持ち、意見がたくさん出た。

支配地を拡げれば、石炭が安く手に入る、というふうには、子どもたちは納得していない。
それだけ(資源問題だけ)で、戦争はしないだろう、というのである。

難しくなってきた。


次は、
アメリカと戦争をするのは得策か
という学習問題をしようと予定していたけど、まだそこまでいかないかもしれない。
(つづく)


写真は、地元愛知、岡崎市内の左義長(さぎちょう・どんど焼き)。
だるま4

微生物教育のすすめ

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微生物教育の最大のメリットは、子どもが「科学の目」を養うことにある。
とくに、目に見えない世界を感じ、想像し、その世話を通して体験的に学ぶ価値は、他のどの教育とも比較して遜色がない。

これからの時代、21世紀の将来的な日本の戦略にも合致している。
微生物は日本人が古くから大事に付き合ってきた世界だ。
漬物、発酵、加工。
みそやしょうゆに限らず、日本酒の世界でも、職人たちが酵母を人の赤子のようにかけがえのないものとして大切に育んできた。これは、日本人のきめ細やかな精神が可能にしてきたものだ。

日本の料理店が食通のフランス人をうならせ、ミシュランで星を獲得するのも、日本酒のように素材を生き物として扱うかのような、繊細な「和食」の世界をみれば、だれもがうなずけるからだろう。

さて、授業で扱うとすれば、みそやしょうゆ。
これは地元のみそメーカーや、醤油の製作会社に総合的な学習の一環として協力をお願いし、子どもたちが見学に行くこともできる。自分たちで酵母を育て、「発酵」という世界を知ることもできる。

愛知はとくに八丁味噌、豆を発酵させることを知る土地柄である。
いろいろなメーカーに協力をお願いすれば、子どもたちが「微生物、酵母、菌」というものを身近に感じられて生活に役立てることができる知識や技量を習得することができるだろう。すでに、多くの学校が、このような微生物教育を実践し、子どもたちは微生物の世界を学習している。
〇愛知県の味噌メーカー

マルサンアイ(愛知県岡崎市)
まるや八丁味噌(愛知県岡崎市)
カクキュー(合資会社八丁味噌)(愛知県岡崎市)
イチビキ(愛知県名古屋市熱田区)
キッコーナ(愛知県名古屋市北区)
盛田(愛知県名古屋市中区)
ナカモ(愛知県清須市)

〇愛知県の醤油メーカー

キッコーナ(愛知県名古屋市)
日東醸造(愛知県碧南市)
七福醸造(愛知県碧南市)
ユタカフーズ(愛知県知多郡武豊町)


これらのメーカーと協力して教材を開発し、人材を育て、将来にわたり、日本は世界に冠たる「微生物国家」としてそのけん引役を買って出るべきである。

まずは小学校で、堆肥をつくるところから。
あるいは、家庭でコンポストをつくるところから。
児童会活動とのリンクも当然、考えられる。

このような子どもたちの生活学習が行われて行けば、大人の世界も変化していく。
生ごみ、という言い方が、これからは消滅していくであろう。
「微生物のごちそう」という言い方に変わっていく。
そして、生き生きとした土をつかって、家庭菜園。
もちろん、家計の節約にもなるが、そこはメインではない。
目的は、微生物、目に見えない世界を感じることの豊かさを、人間が知っていく、という点にある。

これから、微生物教育のためのテキスト開発を行い、日本中の教師が「微生物教育」を学校で実践していけるようなシステムづくりを進めたい。その端緒を開くことが、微生物と共に生きる日本人の、古代縄文より連綿と打ち続く豊かさを、日本人にふたたび思い出させることになろう。

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・・・と、まあ、↑ 以上が前フリで、以下が本文デス。

みなさん、冬場のコンポスト、いかがです?
うちは、なかなか温度が上がっていかないので生ごみの分解が遅れがちなのですが、なにか良いアイデアはありますでしょうか?みなさん、どんな実践をされているでしょうか?

温度を上げたいコンポスト
子ども/子供/微生物/微生物学/臨床的/実験/科学/科学の目/科学の心/科学する心/東京/東大/東京大学/小学校/小学校教師/小学校の実践/学習/学習指導/指導案/授業/授業案/テキスト/教科書/理科/生物/生物分野/コンポスト/堆肥/たい肥/堆肥化/堆肥づくり/堆肥作り/発酵/酵母/酵母菌/菌/白かび/白黴/黴/

【NHKスペシャル】新・映像の世紀を見て その2

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さて、前項の続きで、人間が、まともな歩き方を忘れてしまう、ということについて、個人的な体験を書く。


わたしの通った「いとう幼稚園」は、「赤組、青組、黄色組、緑組」というように分かれていた。
幼児にとって、色のイメージは強烈だ。

当時わたしは、叔母にもらった「ももたろう」の絵本を愛読していた。
間の悪いことに、その絵本に登場してくる鬼のカラーが、
「赤鬼、青鬼、黄色鬼、緑鬼」であった。

どうです。

なんとなく、良くない予感がするでしょう?




不幸なことに、赤組の先生は、パーマをかけていらした。
そして、運の悪いことに、「ももたろう」のさし絵の赤鬼も、パーマ風に描かれてあったのである。


パーマの先生は、赤組。
パーマのさし絵は赤鬼。



幼くて、馬鹿で、まだ考える力の足りなかった私が当時どう思ったのか、みなさん具体的に想像できますよね。


そうです。


鬼ヶ島から派遣されてきたのだ!と、思ってしまった。

なんとなれば、当時の先生たちは大変に明るいキャラであったが、一方で、これまた、たいへんに怒りっぽかったからなのです。(私から見ると)


とくに、仲の良かった「だいすけ」くんが、あまりにも言うことを聞かないで騒いでいるため、赤組の先生がだいすけくんを抱え上げて、幼稚園の入り口にあった『蓮の池』に放り込むアクションを魅せたときには、心臓が凍りつきそうになった。




まちがいない。

先生たちは、鬼ヶ島からやってくるのだ。
あの先生たちは、ふだんはやさしいが、一皮むくと、その正体は鬼なのだ!


たぶん、人間がまともに歩けなくなる理由は、以上のようなことでしょう。
つまり、恐怖体験なのではないでしょうか。


3歳までは「この世は天国。助け合い、認め合って生きていくのだ」と思っている。
しかし、恐怖体験があると、天地がひっくり返るほどの衝撃でもって、
「この世は地獄。腕力の強いものが意図したようにふるまわなければ、殺されるのだ」
と思ってしまいます。


わたしは、自身をとりまく全世界が薔薇色に思えた3歳までの記憶を懐かしむようになりました。


ところで、中学生くらいになってから、なにかのタイミングでこういう話を姉にしたところ、姉は覚めた目をして、冷たくこう、言い放ちましたね。

「よかったねー。そこで現実に出会えて」




つまり、現実は厳しく、腕力に支配されており、個人の意思を曲げて権力に従順にふるまわなければ殺される、ということなのでしょう。
当時受験を控えていた姉にとっては、まさにそれが現実だったのかもしれません。
わたしもまた、
「現実が地獄であり、地獄が現実なのだ」
と自分を言い聞かせるようにして、ガラスの十代を生き抜いてきたような気がします。



ところが、叱らないクラスをやっていると、毎日げらげらわらっているうちに過ぎていく。
楽しくて仕方がない。
子どもがなんとも頼もしく思えてくる。
自分からどんどんやるようになる。
自分からどんどん、聞いてくるようになる。
そして、仲間を助けるようになる。


で、やっぱり現実が地獄、というふうには、もうなかなか、思えないのであります。
やっぱり、3歳までの、あの風景が、真実だったのではないか、とさえ思う。

3歳のときまでに見ていた、バラ色の風景。
だれも責められない世界。
だれも、他を責める気が、起こらない世界。

それが、やっぱ、『現実』なんじゃないだろうか・・・。



叱らないクラスで、たった一つ気を付けてきたことは、「他を責める」ということの、からくりを解き明かそう、としたこと。
友達のことを悪く言おうと思ったときに、なぜそう考えるようになったのか、なぜそういう思考をたどるようになったのか、善悪感で道徳的に躾的に解決しようとしたのではなく、からくりをひもとこう、という意識で子どもたちと考え合ったことでしょうか。

われにかえる1

【NHKスペシャル】新・映像の世紀を見て その1

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正月に、見たかった録画をじっくり見た。
年末に放映していた、「NHKスペシャル 新・映像の世紀」である。
NHKスペシャル「新・映像の世紀」の放送スケジュールは以下のとおり。

第1集 第一次世界大戦 百年の悲劇はここから始まった(2015/10/25放送)
第2集 グレートファミリー 企業帝国の出現(2015/11/29放送)
第3集 第二次世界大戦 時代は独裁者を求めた(2015/12/20放送)
第4集 冷戦 世界は嘘と秘密に覆われた
第5集 若者たちの反乱 NOの嵐が吹き荒れる
第6集 21世紀の潮流 あなたのワンカットが世界を変える

ワタシ、正月に、この第1集から第3集までを一度に見たです。

その後、ぼうっとして1日過ごした。
人間は何をシャカリキにやってきたのか、と思う。
幸福である、ということの意味を、人間はほぼ忘れかけているのかもしれない。
感想→ 「人間はなんでこんなにアホなのか」。


・・・小学校教師としては、ここから何かを学ぶことが期待されているのだろう。
まさかナチスに学べ、と代議士が言うとは思わなんだが、おそらくその意味は「人間らしさの崩壊につながったナチス政権の狂気を繰り返すな」という意味だと思いたい。

さて、番組を見れば見るほど、最初の最初から、人類は歩き方を間違えているとしか思えない。
根本が間違っているので、歩き方を新しく習ったり、どんどん開発して歩き方そのものを変えようとしているが、歩けば歩くほど間違った方向に足が向く。
そこで、こりゃいかん、ますます歩き方のノウハウを学ばなければ、と一生懸命になっているのが現代人なのではなかろうか。

ところが「どうやって歩けばいいんか」と悩むのは、きまって頭の中が混乱している人だけであり、混乱していない人はとっても楽に、スッスと歩く(のだろうと思う。たぶん)

小学校の教室がなぜ居心地が良く、平和であり、お互いがお互いを認め合っていられるのか。
それは、そこに「どうやって歩けばいいんだ」と悩む、生きるのに厄介さを抱えた大人がいないせいでありましょう。


「歩き方なんぞ、分かっておる!」

と、第2集の 『グレートファミリー 企業帝国の出現』の時代に、巨大財閥や銀行家たちも言っていたのかもしれないけど、ちっとも歩いてなかった、ということだなー。
幸福の方へは進まなかった。
モルガンもロックフェラーも、おそらく本気で世界を平和にしようと考えていたらしいから、めざしてはいたんだろう。しかし、間違っているから、なにか手段と方法にすがる羽目になったのだろう。結局、自分なりの「資本主義」にすがったのだ。


いやあ、NHKスペシャルの迫力ある映像をこれでもか、これでもか、と連続して視聴していくとさすがに・・・。

とくに、第3集あたりでヒトラー政権が支持されて、ユダヤ人が惨殺されたり、おまけにドイツのことだけでなくてアジアやアメリカ自体にも人間性を無視した野獣のような凶暴さが荒れ狂っている場面を繰り返し見ていると、正直、

ああ、もう人間はダメなのかも

と思いたくなるね。


やってみてください。
第一集から第三集まで、途中でトイレ休憩だけをはさんで、連続してみてください。見られる人はぜひ。






・・・やってみました?

おお、すごい。見てみましたか。
録画してた番組、見てみて、いかがでしたか?





・・・正直、精神状態、いかがです?


かなり、鬱でしょう?

まあ、人間が殺意に狂っていく筋書きを、これでもか、とくりかえし見るのですから、これはもう、だれもが鬱になりますよ。仕方ない。


なぜ、人は、まともな歩き方を忘れてしまうのか?
人と人とが、なぜこうも、最初から「親しみのない」前提で生きているのだろうか?
(その2へつづく)
映像の世紀1

日の出を見に行く

.
車をとばして、日の出を見に行った。

その瞬間、目の前に
一本の、光の道ができた。

太陽の光は、1億5000万キロの彼方から、
あっという間に、そこら中に届く。

世界は、すべて、
そうなるように、なるように、と
人が生きるように、幸せであるように、と
不思議なことに出来上がっていて、

なるほど、古代の人が太陽を神と思うのもわかる気がするし、海もまた、神であるに違いない。

太陽が完全な円なのは面白味に欠けるから、
いっそのこと、五角形か何かならいいのに、と言ったら
妻は
「赤ちゃんでもだれでも、簡単に書けて、わかりやすいのがいいでしょ?だからよ」
と神以上の洞察力で、ことも無げにぼくをあしらった。

帰り道の高速道路で見ていると、空の色はだんだんと青くなっていった。


サービスエリアに、黄色いゆずを売っていたので、妻が買った。

「ゆずも円(まる)いな。風呂に浮かべりゃ、波の向こうから昇る、今朝の日の出の再現ができるぜ」

妻はあきれて返事もない。

太陽の役は、ゆずより蜜柑がいいかもな。
朝見た太陽の色を思い出して、ぼくは思った。

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