30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2015年12月

「テレビが見られんけど、別にいい」

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給食のときには、リラックスモード。
ふだん見ているテレビ番組のことや、ゲームのことなどが話題になります。

男子の声は・・・大きいなぁ。
ゲラゲラ笑ってる。
芸能人のことを、いろいろと批評している。
お笑いの人について、あれこれと。

女子は・・・

6年生だからか?
なんと、痩せる話をしている。
「正月は太るよ」
「いやだー」
「わたし、9月から太った~」



そんなこんなで、なかなか盛り上がる給食時間でありますが・・・

ふだん、なかなか元気が良くて人気もあるFくんが、テレビの話題になるとあまり話さなくなる。

気になってたんだけど・・・



そのFくんが、ある日、日記に書いてきた。

「今、たくさん読書をしています。ハリーポッターを最初の『賢者の石』からもう一度、ぜんぶ読み始めました。学校の図書館だけじゃなくて、土曜日に〇〇公民館で借りることが多いです」

わたしはその返信で、『読書の秋。今の時期は、テレビをちょっと我慢して本を読むのもいいね』、などと書いた。

すると、その、さらなる返信が書いてあり、

「今、お父さんが仕事から早く帰ってきて寝るので、テレビを見ていません」

と書いてあった。

そういえば。

Fくんのお父さんは、今までしていた仕事をやめて、しばらく家におられるということを以前、聞いたことがあった。仕事、というからには、新しい仕事を見つけられたのだろう。







先日、なにかのときに話すことがあって、

「お父さん、一生懸命に働いてらっしゃるんだね」

と話すと、

「夜帰ってきて、すぐに寝るから、居間でテレビを見ないようになった」

「そう。お父さん、お疲れなんだねえ」

と私が言うと、Fくんはちょっとまじめな顔になって、

「けっこう体力使う仕事だから」

と、つぶやくように言った。

わたしは冗談めかして

「先生も年齢(とし)かなー、腰痛いのがずっと続いてるけど・・・」

とか、ちょっとふざけてひとりごちていたら、

「ちょっと寝るのが早すぎるけどネ」

と、Fくん。


「でも、お母さんがテレビ見ないで、いっしょに本を読んでるから。テレビが見られんでも、別にいい」

Fくんの顔を見たら、とても大人の目をしてる。


わたしは、
子どもってのは、親の心を感じようとするんだなあ、

と思ったのでした。

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子どもにとっての、ホームとアウェイ

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保護者懇談会で、親が嘆くのは当然でありましょう。

「うちの子、家では本当にグダグダしてるんです。ボーッとしてるし、勝手なことばかりするし・・・。学校じゃ、ちゃんとやってるのか、心配!」

がっくりと肩を落として下を向いている。

これをきいて、私はうれしくなる。

それで、力をこめて、お母様に伝える。

「いやあ、学校じゃ、思い切りちゃんとやってます。しっかり者、というのは〇〇くんのことを言うんだな、と思ってます」

おうちの方は、わたしのセリフがリップサービスだと思うらしく、上目づかいに

「本当ですか?うちじゃあ、兄弟げんかもするし、親の前ではわがまま言ってばかり。ちょっと子育て失敗したかなあ(笑)って、いつも主人と嘆いているんですが」




冷静に考えれば、子どもがわがままを言うのは、当然でしょうな。

家で、わがままを言わない子どもは、おそらく親に気をつかっているのでしょう。

親に気を遣う。

親の機嫌をとろうとする。

親に嫌われまいと努力する。

これがどんなに不健全なことか・・・、少し考えれば、誰でも分かりますよね。



わたしは、そんなふうに下を向いて嘆くお母さんに、

「きっと、〇〇くんにとっては、おうちがホームなんでしょう」

と、語りかける。

「学校はアウェイだから、いろいろと気をつけて、自分のことはしっかりやらなきゃ、と思って張り切って頑張っているんだと思いますよ。その分、おうちで十分に英気を養っているのじゃないですか」

お母さんには、このホームとアウェイ、という言葉がしっくりくるようだ。
「あ、だからワガママ言ってるんでしょうかね」

お母さんは、ちょっと考えて、そう言う。




わたしは、話の締めくくりで、

「もしホームとアウェイが逆転してたら、おうちでは相当に気を遣っていい子をやるでしょうけど、ふだん緊張している分、学校がホームになっちゃって、担任のわたしは大変でしょうね。だけど、実際は、まったく楽をしてますから。〇〇くんのことで、苦労したことないですよ。・・・わたしが苦労する分、お母様に苦労していただいていて、本当に感謝です(笑)」

と言って、頭を下げると、たいていのお母さんは、ウフフフと笑って下さいます。

トマトの絵




テニスをやめる、という子にどう言うか?

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先生、うちの子、なにも長続きしないんです。
せっかくテニスの教室に入ったんだけど、半年したらもうやめたいって。

保護者懇談会で、相談です。

親がテニスが好きなので、子どもにテニスを習わせたそうです。
けれど、その子にやる気が見られず、やめたい、と言っている。
親としては地道に練習を続けられる子に育ってほしい。また、それ以上に、子どもに「すぐにやめた」と言われるのがイヤ、ということだった。なぜやめた、と言われるといやかと言うと、世間体もある、「あそこの子は何でもすぐにやめてしまう、と言われるので・・・。

お母さんは、けっこうソフトに

「せっかく、ここまで続けてきたから、あと少しで上の級にも行けるだろうし、もう少しやってみたら」

と話しかけているのだそうですが、その子は、もうやめたい、と。

コーチがきらいな訳でもなく、なにか友達関係で悩む感じもなく、テニスがとことん苦手なわけでもない。

親としては、なんでやめるのか、確実な理由が見当たらない。
だから悩んでいるのでしょう。
理由が分からないから。

理由が分からないと、親の納得がいかない。
親は、「理由」をきいて、それで「納得」がほしいわけ。
あくまでも、自分が納得できそうな「理由」ね。
実際には、子どもの心は、親にツタワラナイ。

お家の人は、「この子の心が分からん」と思ってる。
お家の人は、「理由」が分かれば、この子の心のうちが分かる、と思っている。
けど、たぶん、何を聞いても納得できないでしょう。
最初から、納得する気が無いもの。
「なんでやめるなんていうのか。やめるなんて言ってほしくない」
と思っているお家の人に、子どもの心が伝わるわけがない。
納得のいく理由なんて、100年経っても見つからない。

お家の人は、ぐるぐると悩む。どうしてこの子は「やめる」というのだろうか・・・。
頭を抱えて、なぜ、なぜ、と悩んでいるうちに、ふと、
「本当にどうしてだろう・・・」

と、考える瞬間が訪れる。
子どものことを、責める気無しで。
本当に、『純粋に』知りたくなる瞬間が出てくる。

すると、するすると紐が解けるようにして、見えてくる。
難しいのは自分の心の中であって、とても簡単な話だったのだ。
先生なんかに相談する話じゃなかった。
とーっても、かんたんでシンプルな話だった。

要するにね、別のことがやりたいんだよね。

ちょっと、休みたいだけかもしれない。横になりたかったり、ボーッと漫画を読みたかったり、空を見上げたかったり、あるいは電車に乗りたかったりと、子どもによって様々だけど、ちょっとちがうことをしたいのだろうね。

で、そのうちに、別のことをやりたくなる。

テニスをやめて、習字をやる、というかもしれない。

そしたら、テニスで上半身を鍛えていたから、習字でも背筋がピッと伸びてて、いいね、と。

テニスだって雨の日でも通ってたから、習字も休まないで行くのが苦にならないんだね、と。

これまでやってきたことが、こんなふうに生きてきているね、と。

そう思ってもらえる周囲の環境があれば、どんなことでも、経験として生かせていけるんだな、と学習できる。

親から、そんなふうに思ってもらえているのだったら、次はもっと意欲的になれる。

子どもはすべての経験を財産にしていこう、と思える。




それにしても、「やめたい」と聞くと、責めたくなるのは、どうしてなんだろう?

たぶん、親もかつて、責められたことがあるからちゃうかな。






責めることで、相手の行動を変えさせる、というのが、ふつうだと思ってるからか。

相手を変えられる、という思い方があるからかな。




なんで相手を変えたい、と願うのかね。

そう、そこ。

何度も考える。

なんで、相手を変えたいと願うのか。

自由って、なんだ?

こういうこと、話したい。

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通知表の意味について

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子どもたちが楽しみにしていることがあります。

それは、渡す時の先生のコメントです。

「通知表には書いていないんだけど、本当は先生が一番すごいと思ってること」

というコーナーがあり、

「通知表には残念だけど書くところがなくてネ。どこに書いていいのか分からないから、書いてないのだけど」

ともったいをつけて、私は通知表を渡す前に、話をする。
そうじのときのワンシーン
給食のときのワンシーン
運動会のワンシーン
学級会での発言について
国語の批評文の中のアイデアについて
図工の絵の色づかいについて
・・・
で、『通知表が1だとしたら、今の話が99くらい』の価値があるんだ、という話をする。

すると、子どもたちの中で、通知表の価値が下がるかもしれないが、そうは言わない。

「これはこれで、みんなを見ていて分かったことを書いているから、大事だし、おうちの人にもちゃんと見せて、話もしてね」

と伝えている。

だけど、子どもたちは、自分には通知表には書けない(書いていない)価値があるんだ、という解釈をしてくれる。これがいいなあ、と思って、続けている。



2年生の担任をしたとき、大根収穫をした。
みんなで大根の絵を描いた。
すると、一人の子は、大根をオレンジ色に塗った。
みんなで収穫した大根は、たしかに白かったのに。

まわりの子が笑い出したが、その子は平気。
自分で、「よくできた」と言った。
この瞬間、図工は◎である。

オレンジでも、◎である。
白い大根でもいいけど、オレンジ色もいい。
口の悪い子が、

「これじゃにんじんじゃん」

と言ったからみんな笑ったけど、その子は

「にんじんじゃないよ。オレンジ色の大根だよ」

と言っていた。
だから、◎です。

そして、にんじんだ、と言われても、いや、ちがう、と言い切ったあたりが、成長なのだ。
また、オレンジ色でも、最後まで描ききって、やり直したり、訂正したりしないで、そのままエネルギーを持続するあたり、なんとも自立しているでないか。

教室の後ろや廊下にみんなの作品を貼りだしたら、オレンジ色の大根はやけに目立つ。
他のクラスの子にも評判になる。

「あれ、ハハハ、にんじんじゃん。Uくんの絵、巨大にんじんだよ」

みんな、同じような感想を言う。

しかし、その子は一緒に「うへへ」と笑うだけで、「大根だってば」と言い切る。

Uくんは職員室でも話題になる。

「あれ、なんでオレンジ色にしたんですかねえ」



わたしは、あえて、なんでオレンジ色なのか、ということを質問しなかった。
子どもは本心じゃないことを、教師の前で「大人の納得するように」変換して話してしまうことがあるからです。

それで、時間をかけて、たまーにふと、他の子、まわりの子に、それとなく聞く。

「オレンジ色だねえ」
「そうだね」
「なんでかねえ」
「夕日の色じゃない?」
「ははー、なるほど!」

なかには詩的な子もいるのである。
髪の長い、なかなかしっかりときれいなノートを書く女の子が、いかにも、という説明をしてくれる。

「夕方だから、太陽の色をつけたんだよ、きっと」

・・・

わたしはしばらくしてから、はじめてそれを話題にして、

「Uくんの大根の絵は、すごかったね。夕日に照らされた大根だからかな、と先生は思いました」

するとUくんは、首を振って、

「いや、夕日は関係ないよ」

と言ったのです。



そして、ぼくは大根が好きだから、オレンジ色にしたのだ、と胸を張ってわたしに告げた。

「野菜の中でいちばん大根が好き。色の中ではオレンジ色が一番好き。だから、一番好きなものどうしをくっつけてあげた」

わたしはこの時の衝撃がでかすぎるので、通知表には書けませんでしたね。

要するに、子どもの生の姿や実際のその子については、通知表の面積は小さすぎるので、とても書けやしないってことです。だれだって、そんなことには気づいているはず。言われてみたら、そんなことは当たり前で・・・。


だっから、通知表がどうのこうの、というようなことを話題にしている子がいると、

「うちのクラスは、通知表は1000分の1くらいの情報しかないから」

ということを言い続けております。

もちろん、そのUくんにも、通知表を渡す時に、オレンジ色の大根の話をしましたよ。

「Uくんの楽しい話を通知表に書きたかったけど、場所が狭すぎるから書いてないよ。でも、先生はあのときのUくんの話がいちばんすごい、と思ったよ。あれを本当はいちばん書きたかったな」

するとUくんは

「ああ、わかる。通知表が小さすぎるんだよねえ」

と、教師の私に、ちょっぴり同情してくれてましたナ。

yuyake

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