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Fさん、いつもお読みくださりありがとうございます。
そして、記事へのリクエストをいただきましたね。
薬を飲むのが良い、とする学校側の「お願い」に対して、父母の方がどのようにこれを考えていけばいいのか、みなさんお悩みなのでしょうね。きっと、たくさんの方が、このことに直面して、どうとらえていけばいいか、考えておられるのだと思います。
学校の現状、率直な意見を、というリクエストなので、わたしの少ない体験を通して、という限定された情報ではありますが、感想をちょっと書いてみます。
まず、学校の教員にも、「薬(くすり)」についての見解は、かなり意見の分かれるところだ、ということがあります。
先生たちも、一人ひとり、実は意見がちがいますよね。
大きいのは、特別支援コーディネーターの方の考え、そして校長先生のご判断でしょうね。担任の先生の力は弱いです。
ずいぶん前で、今はもう処方はされないと思いますけど、初期の頃、教員の世界に「ADHD」とか「発達障害」という言葉が知識として入ってきたちょうど10年ほど前でしょうか。「リタリン」という薬が出ていました。これ、もう、保険適応されていません。理由は副作用等です。
当時から、先生によって、「リタリン、大丈夫?」という方は多かったですよ。わたしはまったく薬について知らなかったので、先輩の先生がリタリンについて話しているのをきいて、これは難しい問題だな、と感じたことを覚えています。
わたしの勤務校で、リタリンを服用していた子もいます。副作用をみながらの慎重な投与だったと思いますが、親御さんもとても苦しまれたことだろうと思います。でも、学校側の説明や、家庭での「子育てのしやすさ」などを考慮されて、親御さん自身が決断されたのだろうと思います。親御さんがサインしなければ、服用は許可されません。
これは、親御さんが、家庭でも、その子の「育児」にへとへとに疲れていた、という現状があるでしょうね。その子の場合は、道路に飛び出していく、衝動的にガラスにぶつかる、わが子を見ていて、いつか大怪我するんじゃないか、それだけのことであっても、服用したらいいのかもしれない、という気持ちもあっただろうと思います。
ただ、これは、学校側が命令するものではないですよね。お子さんは、誰の子でしょうか。親御さんが愛する子ですよね。学校がたとえよかれと思ったからといって、親に学校が「命令」することは許されません。「命令」とまで言わずとも、圧力をかけている、と親御さんに思われた時点で、学校と親御さんの間の信頼関係は崩れています。けっして崩してはいけないのが、この両者の関係なのですから・・・。でなければ、子どもが一番被害を受けます。
わたしは、服用に関して、圧迫的に、学校がご両親に対して指導したり、指示をしたり、ということはあってはならないと考えます。
ただし、学校の先生がへとへとになっている場合があります。(これが現状では多いのかもしれません)
学校が、「頼むから服用を」と思っている場合だってあるのかも・・・。
でも、それは、親御さんが、たとえば、ですが
「学校では、支援級ではなくて通常級でお願いします。きちんと椅子に座って45分間まじめに算数を解かせてください、ぜったいにけがをさせないでください、集会にも静かに参加させてください」というような「注文」をした場合に、先生の方がテンパってしまって、そんなミラクルな指導を要求されるくらいなら、それなら「服用」させてくださいよ、ということなのではないかと思います。
これは語弊があるかもしれません。
なぜなら、お子さんによって、本当に表れてくるものがちがうので、ADHDはこう対処すればいい、というようなものではないからです。
構造化し、表示し、見える化し、関わりを工夫し、身体感覚を鍛え、気持ちを汲み、方法を規定し、変化させず、同じことを同じリズムで繰り返してあげて、ほめてあげて、にっこり笑ってあげて・・・
↑このくらいのことは、学校は取り組むだろうと思います。
そのうえで、厳しい成果を要求されたら、(たとえば組体操でまわりの子たちと同じように、怪我のないように演技指導してくれ、とか)、先生たちも、「服用はいかがですか」と持ち出してくると思います。
親御さんが、↑こうやって言って下さることを、先生たちは待っているかもしれません。
しかし、先生にもいろいろな考えの人がいるので、せっかく親御さんがそう言っても「いや、服用しなければだめですよ」とおっしゃるかもしれません。そこまでして先生がこだわるようであれば、「なぜ服用しなければならないのか」を尋ねてみてください。親御さんの知らない苦労が、先生の方にはあるかもしれません。
「服用しないとこの子はどんな状態になっているのでしょう。もし他の子に迷惑をかけるようであれば、静かに一人で過ごせる空間を用意していただけませんか」
とおっしゃってみてはいかがでしょうね。
先生の方で勝手に、なにかとても窮屈な指導を親御さんに要求されている、と勘違いしているかもしれませんし、あるいは学校に、何か、とても強い刺激になるものがあって、お子さんにはとても過ごしにくい状況があるかもしれません。
大事なのは、先生も、親御さんも、どちらも気づいていない「何か」があるかもしれない、ということです。環境の工夫や指示の工夫、課題・内容の工夫などで、大きく改善できるものが、まだあるかもしれない。
その期待と希望をもって、両者がかならず心の手をむすびあって、協力していくことしかありません。
この両者の心が、すれ違っていては、うまくいかないのは明白なのです。
すみません、いろいろと思いつくことだけで・・・。
また、ご意見を、お寄せくださいね。
Fさん、いつもお読みくださりありがとうございます。
そして、記事へのリクエストをいただきましたね。
薬を飲むのが良い、とする学校側の「お願い」に対して、父母の方がどのようにこれを考えていけばいいのか、みなさんお悩みなのでしょうね。きっと、たくさんの方が、このことに直面して、どうとらえていけばいいか、考えておられるのだと思います。
学校の現状、率直な意見を、というリクエストなので、わたしの少ない体験を通して、という限定された情報ではありますが、感想をちょっと書いてみます。
まず、学校の教員にも、「薬(くすり)」についての見解は、かなり意見の分かれるところだ、ということがあります。
先生たちも、一人ひとり、実は意見がちがいますよね。
大きいのは、特別支援コーディネーターの方の考え、そして校長先生のご判断でしょうね。担任の先生の力は弱いです。
ずいぶん前で、今はもう処方はされないと思いますけど、初期の頃、教員の世界に「ADHD」とか「発達障害」という言葉が知識として入ってきたちょうど10年ほど前でしょうか。「リタリン」という薬が出ていました。これ、もう、保険適応されていません。理由は副作用等です。
当時から、先生によって、「リタリン、大丈夫?」という方は多かったですよ。わたしはまったく薬について知らなかったので、先輩の先生がリタリンについて話しているのをきいて、これは難しい問題だな、と感じたことを覚えています。
わたしの勤務校で、リタリンを服用していた子もいます。副作用をみながらの慎重な投与だったと思いますが、親御さんもとても苦しまれたことだろうと思います。でも、学校側の説明や、家庭での「子育てのしやすさ」などを考慮されて、親御さん自身が決断されたのだろうと思います。親御さんがサインしなければ、服用は許可されません。
これは、親御さんが、家庭でも、その子の「育児」にへとへとに疲れていた、という現状があるでしょうね。その子の場合は、道路に飛び出していく、衝動的にガラスにぶつかる、わが子を見ていて、いつか大怪我するんじゃないか、それだけのことであっても、服用したらいいのかもしれない、という気持ちもあっただろうと思います。
ただ、これは、学校側が命令するものではないですよね。お子さんは、誰の子でしょうか。親御さんが愛する子ですよね。学校がたとえよかれと思ったからといって、親に学校が「命令」することは許されません。「命令」とまで言わずとも、圧力をかけている、と親御さんに思われた時点で、学校と親御さんの間の信頼関係は崩れています。けっして崩してはいけないのが、この両者の関係なのですから・・・。でなければ、子どもが一番被害を受けます。
わたしは、服用に関して、圧迫的に、学校がご両親に対して指導したり、指示をしたり、ということはあってはならないと考えます。
ただし、学校の先生がへとへとになっている場合があります。(これが現状では多いのかもしれません)
学校が、「頼むから服用を」と思っている場合だってあるのかも・・・。
でも、それは、親御さんが、たとえば、ですが
「学校では、支援級ではなくて通常級でお願いします。きちんと椅子に座って45分間まじめに算数を解かせてください、ぜったいにけがをさせないでください、集会にも静かに参加させてください」というような「注文」をした場合に、先生の方がテンパってしまって、そんなミラクルな指導を要求されるくらいなら、それなら「服用」させてくださいよ、ということなのではないかと思います。
これは語弊があるかもしれません。
なぜなら、お子さんによって、本当に表れてくるものがちがうので、ADHDはこう対処すればいい、というようなものではないからです。
構造化し、表示し、見える化し、関わりを工夫し、身体感覚を鍛え、気持ちを汲み、方法を規定し、変化させず、同じことを同じリズムで繰り返してあげて、ほめてあげて、にっこり笑ってあげて・・・
↑このくらいのことは、学校は取り組むだろうと思います。
そのうえで、厳しい成果を要求されたら、(たとえば組体操でまわりの子たちと同じように、怪我のないように演技指導してくれ、とか)、先生たちも、「服用はいかがですか」と持ち出してくると思います。
「服用なし、という条件で、学校側ではどんなことができそうですか」
親御さんが、↑こうやって言って下さることを、先生たちは待っているかもしれません。
しかし、先生にもいろいろな考えの人がいるので、せっかく親御さんがそう言っても「いや、服用しなければだめですよ」とおっしゃるかもしれません。そこまでして先生がこだわるようであれば、「なぜ服用しなければならないのか」を尋ねてみてください。親御さんの知らない苦労が、先生の方にはあるかもしれません。
「服用しないとこの子はどんな状態になっているのでしょう。もし他の子に迷惑をかけるようであれば、静かに一人で過ごせる空間を用意していただけませんか」
とおっしゃってみてはいかがでしょうね。
先生の方で勝手に、なにかとても窮屈な指導を親御さんに要求されている、と勘違いしているかもしれませんし、あるいは学校に、何か、とても強い刺激になるものがあって、お子さんにはとても過ごしにくい状況があるかもしれません。
大事なのは、先生も、親御さんも、どちらも気づいていない「何か」があるかもしれない、ということです。環境の工夫や指示の工夫、課題・内容の工夫などで、大きく改善できるものが、まだあるかもしれない。
その期待と希望をもって、両者がかならず心の手をむすびあって、協力していくことしかありません。
この両者の心が、すれ違っていては、うまくいかないのは明白なのです。
すみません、いろいろと思いつくことだけで・・・。
また、ご意見を、お寄せくださいね。