30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2015年01月

クラスメートと喧嘩する口実10の法則

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教室で派手にけんかする子がいると、これを見せる。

ベルギーの大学教授(アンヌモレリ)が書いた、
戦争プロパガンダ 10の法則
アンヌ・モレリ
草思社
2002-03

「戦争プロパガンダ10の法則」  ・・・の・・・



・・・パロディ。

題して、「クラスメートと喧嘩する口実」だ。

1 ぼくは、喧嘩をしたくない

2 しかしあいつが、一方的に喧嘩を望んだ

3 あいつは、ひどい性格の人間だ

4 ぼくは自分のためではなく、正義のために戦う

5 ぼくも、はずみでうっかり叩いちゃったかもしれない。
  でもあいつはわざと何度も力いっぱい叩いている。

6 あいつは、やり方が卑怯。

7 ところで、ぼくは強いから負けていないよ。

8 クラスのみんなも、僕がやり返したのを支持しているし。

9 ぼくの言い分は、校長先生だって正しいって言うくらいだ。

10ぼくの正義に疑問を投げかける者は裏切り者だ!


1からゆっくり、見せていく。

1は、大体の子が、「そう。ぼくもそう」と言う。
2も、半数以上の子が、「そのとおりだ」となる。
3,4,5,6と、このくらいまで、「そうだ」と言う子が多い。

7 も、こういうことを言いたくなる男子、いる。
8 は、女子のグループ同士の喧嘩で、出てくる言い訳だ。

ま、さすがに9や10は異常だが、大人の中には、こういうこと言う人もいますな。



これらを見せて、

あなたたちは、まだこれを言い続けますか?


喧嘩をしていた二人とも、「だって・・・」



次に、これをクラス全体に見せて、問いかける。
1 ぼくは、喧嘩をしたくない。

喧嘩をしている二人とも、こう思っているそうですが、どうですか?

クラスメート「じゃ、やめれば」

二人「・・・」


意気消沈して、さっきの勢いはどこへやら。


なぜ自分は喧嘩をするのか、という理由が、実はそんなに大した理由じゃないことが、静かに感ぜられるから、矛先がにぶってしまうのだろうか。

「正義!」

と頑張ってみている自分を客観視すると、なんとなく、だれもがみんな、感じることがあるんだろう。

「オレ、ただあいつが気に食わないんだ・・・」

「いっしょにやる」ということ

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教育に携わるようになるずっと以前から、私には追い続けているテーマがあります。それが、「いっしょにやる」ということ。
「いっしょにやる」は、子どもが生まれながらにして、心から望んでいることなのだと思います。

一人で遊ぶ、あるいは親子二人で遊ぶという場合もあるでしょうが、子どもは友達同士、ということになると俄然、意欲を増して遊ぶものです。

私は子どもの頃、野球が好きで、よくプロ野球を見に行きました。父親と二人で見に行ったこともあったのですが、近所の友達もいっしょに連れて行ってもらったこともありました。このときの楽しさといったら、比べ物になりません。友達といっしょになって好きなチームを応援するときは、大声で何度も応援し、歌まで歌うのに、父親と二人で行くときは、そんな気分にならず、父親の横で静かに応援していました。

子どもは、やはり、友達の存在が限りなく大きいものなのだと思います。家庭用のゲーム機で遊ぶときだって、一人で遊ぶのと友達と遊ぶのとでは、まるで意味がちがってきます。子どもは心から、友の存在を希求しているのです。


ところが、小学校の学級での子どもたちを見ていると、「いっしょにやる」が、なにかズレてしまってうまくいかず、友達との関係に満足できていない子がいるのです。

いっしょにやる、ということを欲してはいるのだろうけれど、そのことの楽しさをあまり知らないのではないかな、と思うような子もいます。人といっしょに活動した体験が少ないのか、ペースを合わせることが苦手です。

何でも自分で決めてやろう、という意欲はとても大切なものです。成長に欠かせないもの、自他を区別する大事なもの。しかしいつも自分の思いが通るわけではありません。

ふつうはそれを、時間をかけて理解し、やわらかく相手の存在を受け入れていくようになるものです。



ところが、「すべてのことの決定権」が自分にはあるのだと誤解したまま過ごしてきて、小学校高学年になって、その<修正作業>を四苦八苦しながらこなそうとしている子もいます。


以前、低学年のクラスを受け持った時のことです。
クラスの子どもたち全員で、いっしょに学校内を散歩しようと歩き出すと、見たいものを見つけてピューッと歩いて行ってしまう子がいました。

「いっしょに歩きますよ」と言っても、5秒ともたず、またどこかに走っていく。
あるいは、こちらが進んでいるのに、じっとして立ち止まり、「ぼくはこれ見るから」と、みんなと一緒に歩こうとしない子。

こんなとき、個性があって良い、という観方だけでみることはしません。実は、この子は「いっしょにやる」ことの心構えや、楽しさを知らないのではないか、というようにも、一応とらえておくのです。

あまりに気になった子がいたので、後日、

「今日は先生と話をしながら、いっしょに歩くんだよ」

と言って、歌を歌ったり、しりとりをしたりしながら歩いていきました。楽しそうにしていて、雰囲気はよかったのですが、しばらくするとやはり、急にピューッと走り出そうとしました。すかさず手をつなぎ、ぎゅっと握って

「今日は、いっしょにだよ」

と、とめました。

この子にはそれ以後も同じように「相手にもペースがある」ということを伝え、気を付けて接するようにしていきました。次第に、クラスの仲間にも打ち解け、順番ぬかしのもめごとや、友達の発言の最中に話し出すといったことも少なくなっていきました。

この子は、「いっしょにやる、ということに意味を感じ取っていけた」のだと思います。いっしょにやる、ということが苦痛とセットになっていれば誰だって「いっしょにやろう」とは思わないでしょう。

ピューッと走りたかったのに手を握られとめられた。だけどその後、本当に楽しく、友達としりとりをしながら、笑って歩いていけた、というような、ヨロコビの体験がうんと大事なのだと思います。

自分がすべてを決定しなくても、誰かにゆだねたり、任せたりしていても、その相手とやわらかく気持ちを通じ合わせながら、ともに楽しめている、という状況。その状況づくりがポイントです。
だからこそ、自分の「決定権」にこだわらなくなっていけたのだと思います。

「決定権」が誰でも自分にある、というのは、本来自明なことですが、そのことにこだわらなくてもよくなることができると、子どもは、生きるのが本当に楽になっていくようです。

(教育機関誌への投稿より、抜粋)

空にぼんやりとネ!

阪神大震災のことを教室で話す

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「みんなの生まれる前に、こんな震災がありました。」
(スライド1枚。高速道路が倒壊)

「知ってる。阪神大震災、でしょう。」

大きな高速道路が倒壊している写真を見せると、何人かが言った。
この子たちは、おそらく先日放映されていた、テレビの20周年ニュース映像で、当時の様子をいくつか見ているのでしょう。

「震災」というと、この子たちにとっては、いくつも思い当たるものがあるんだな・・・。

とちょっと不思議な感じ。

私にとっては子どもの頃から社会人として働くようになるまでの長い間、ずっと「震災」というと、それこそ関東大震災が連想の最初に浮かんでくるくらいで、いかにも歴史的な言語のようであったものだ。しかし、今となってはたいへんに身近で、新しい言葉になってしまった。


阪神大震災の当時、関西のある町で勤務していた私ですが、兵庫県からはかなり遠く離れた土地であったにも関わらず、朝、職場の駐車場を歩いていると、地鳴りのようなものが響き、地面が揺れ、すぐに朝もやの風景の遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきたのを覚えている。

なんだか、とてつもない、胸騒ぎがした。


わたしは、その朝の様子から、語り始めた。


地震の3,4日後、次第に事情が明らかになるにつれて、何かしなければ、というようなつかれるような思いが湧いてきた私たちは、仲間と一緒に2トンのトラックにサツマイモをしこたま載せて、高速道路を走って神戸の街に向かいました。

するとですね、当時はまだETCなどなかった時代ですから、料金所でおじさんが待っている。もちろんそこで、お金を徴収するわけですが、私たちが芋を載せていることが分かったのか、

「あんたたち、どこへ行くですか?」

と聞かれた。

正直に、ともかく震災の街へ行ってこのサツマイモを配ってくるのだ、というと、おじさんは手真似で、行け、と言ってくれた。私たちの2トントラックは、無料でそこを通過した。

・・・

このくだりを子どもたちは、なんとも真剣に聞く。

3.11の震災でもそうだけど、人の命がこれだけ無残に、信じられない規模で亡くなっていった災害の話をしていると、子どもたちにもちょっと、とらえどころのないくらいに大きな話だと感じられるようで、どの子も<しんとした目>で、時折、ちょっと心境的にきついような話がでて目を伏せがちになっても、くらいついて聞いている。

私たちはもちろん、若かったものだから、冬の寒さが厳しい中であったが寝袋持参で、数日の間、出来る限りのことをするつもりであった。

被害の大きかった長田という地区の小学校に行くと、すでにてんやわんや。大勢の被災した人たちが暮らし始めていた。

ボランティア募集、というマジックの殴り書きをみて、その部屋へ、のこのこと入っていくと、若いスタッフが、

「このおじいさんについていってください」

と言う。

見るとそこには、すでに茫々とした表情で、やつれきった老人がいて、

「俺の部屋から財布の入ったカバンを取ってきてほしい」

かすれたような声で頼んでき、私はそれを了承してその老人の家へ行った。
やがて老人が指をさしたマンションを見ると、なんと1階部分がつぶれている。
2階の床面がそのまま地面につきささっていた。つまり、半分倒壊しかかった5階建てのマンションが、爺さんの住居だったのだ。マンションの入り口には、もちろん立ち入り禁止のロープ。

私は余震が怖かったけれど、仲間と相談して、「10分だけ、無事に賭けよう」と言い、じいさんの部屋は5階だというので、慎重に階段を歩いて部屋まで上がって行った。階段は見たこともないような角度でナナメっており、半分崩れていたし、とても歩きづらかった。
私の他に、やはり他に人の姿は見えず、ここは来てはいけない場所だったのだ、という気がした。

爺さんは下で待っていると言ったので、言われたとおりに玄関から入ろうとするが、もう一歩も入れない。壁はなんとかもっていても、部屋中のありとあらゆる棚、置物、そうしたものがぜんぶ洗濯機でかき回されたように、ぐちゃぐちゃになっていた。何分も揺れた、と爺さんが言っていたが、その揺れがこの部屋を、こんなふうにめちゃくちゃにしてしまったのだ。

途方に暮れたが、タンスや戸棚を乗り越え、言われたとおりに奥の部屋まで行ってみると、暗がりの中にそれと分かる木の書棚があり、隣の衣装ダンスにカバンがいくつもかかっていた。

私は「それだけ」と言われた、黒い肩掛け鞄だけを手に取り、ふたたびぐちゃぐちゃの荷物の山を乗り越えて、玄関に向かった。

すると、玄関のところに来ないはずの老人が来ていて、

「おうい、カバン、あったか」

と聞く。

そこで、「ありました。これですか」と見せると、これだこれだ、と喜んで、何度も頭を下げて感謝された。
ついでに、玄関にあったハンチング帽を手に取って、

「これ、あんたにあげる!」

とくれようとする。
ハンチングなど被ったことがなかったから断ると、

「じゃ、これをあげる!」

と、老人のツイードのジャケットをくれようとする。

それも断って、ともかく僕たちは芋を配らなければならんから、とそこを引き上げた。



芋を配りに近くの公園へ出向こうとするが、ところどころに崩壊した木造の住宅があり、ひっきりなしにその前をいろんな人が往来するから、妙な景色である。
実際にはそこで亡くなった方もいたであろう証拠に、家族と思しき人が数人で肩を寄せ合っている姿も見えた。その中を歩いていると、知らず知らずのうちに、自分の鼓動の音が聞こえてくるくらいで、なにか乾いたような苦しさが、常時つきまとっている。

公園に着くと、自衛隊のテントが張られていた。
そこには数家族が入っていた。ただやることもなく、ぼうっと身体を休めている様子。
私は声をかけにいき、芋を見せると、そのテント内の住人の方はもう私などを相手にするだけのエネルギーも残っていないような様子であったにもかかわらず、とても大きな声で喜んでくれた。

2トンのトラックにはドラム缶の輪切りが積んであり、それを荷台からおろして、もってきた木炭で火を起こし、焼き芋を焼いた。

テントの方が声をかけて、たくさん人が集まってきた。
芋は、人から人へ、手を渡って、配られていった。
私たちは時間のある限りもってきた芋をやき、夕方暗くなると、芋がなくなった。

私たちはそのまま、そのドラム缶を頼まれてその方に譲り、すべての荷物を置いて、その日はトラックの荷台に寝た。芋の入っていた段ボールを身体に巻きつけて寝ると、戸外であっても寝ることができた。

次の日、私たちは海岸に近い場所で、洗濯を請け負った。
洗濯をしたいができない人がほとんどで、なぜかというとインフラ、主に水道管が破裂して機能していなかったからである。マンションの住人は懸命に水を汲んで、2階、3階と持ってあがり、その水で洗濯をしていた。
近所の方の分まで、みんな頼まれて、ともかく一日中、水を汲んで洗濯をしている、という方もいた。

水は、海岸で自衛隊に配ってもらった。
自衛隊は、潜水艦から大きな管をのばし、水をひいて、陸のコンクリートの上に簡易的な水道場をつくって、住民に配っていた。

私は潜水艦というものを初めて見たが、さほど大きくは見えないタンクの中に、大量の水が搭載されているらしく、配給している自衛隊員によると、水がストップすることはないので、どんどん水を取りに来てください、ということだった。

私はそこから、いろんなマンションの、いろんな階の住人に、水の入ったポリタンクやバケツを届けたが、どのマンションの住人も、

「このマンション、亀裂が入ったから、取り壊すのよ」

というようなことを、サラリ、と話していた。

私の頭の中は、相当にぐらぐらした。
今まで財産と思ってきたものが、あっという間に、目の前で価値がなくなってしまったわけだ。
ローンの残ったマンションが、取り壊されてしまう、今後どうなるかわからない、という状況。
にもかかわらず、その人は
「今はともかく、近所の人たちの洗濯をしなければならないから、それをやる」
と言って、もくもくと活きて動いていた。
私が出会った神戸の人たちは、それはもう、いろいろな思いもあったろうが、私のようなボランティアの前では、ちっともへこたれていなく、むしろ私の体調を気遣ってくれながら、感謝したり、ものをくれようとしたりして、私は世話をするつもりでいながら、まったく実は、世話をかなりの程度してもらいつつ、そこで数日を過ごした。

実際、私の昼食や夕食を心配してくれて、近所の人たちが私の分まで食べ物を運んできてくれたり、どこぞのだれか、ちっとも分からない人が、仲間に連絡をしてその家のトイレを貸してくれたり、寒くないか、と羽織っているものを一枚くれたり、私は自分は「与えている」つもりであっても、実際は「与えられて」過ごしていたのだ。

ここまでの経験を、一気にわたしは子どもたちに話をした。

そして、3.11の震災に触れた。


今、2011年のことが、もうすでに薄く、遠い、なにかとても過去の、過ぎ去ったことのように、なってきてはいないか。自分たちは、どれだけのことを、2011年のことで、思うことができているだろうか。


2011年以後、現在の東北は、東日本は、どうなっているだろうか。
復興というけれども、そこに生きる一人ひとりは、どんなふうに、静かに歩き出しているだろうか。

派手な報道は目立つし、世の関心を呼ぶけれども、静かな物語は、個人的な物語は、決して大々的に報道されることなどないから、まるでなかったことのように、世の中では扱われてしまう。
マスコミが報道しないから、そんなものはないんだ、という感性に多くの人が陥ってしまうのであれば、おそらく我々は、震災や復興の、本当の実情に触れることなどできないままなのでありましょう。

人が歴史から学ぶ、というのは、いったいどういうことなんでしょう。

マンションの爺さんは、奥さんが小学校の体育館に寝ている、と言ってましたが、それは腰の悪い奥さんを置いて、外の様子を見に行ったときに、奥さんが怖くなって外へ出ようとして転んでしまい、怪我をしてしまったからだ、と言っていました。

「あんとき、だれかに頼んでおけばよかったが、おれが行けばいいと思ってしまったのが失敗だった」

おじいさんは、それが私のような他人にまで、つい口をついて話したくなるくらい、大きなことだったようでした。
心の中が、それでバラバラになってしまうくらい、後悔したのでしょう。奥さんは体育館のトイレに行くのも大変なのだそうでした。

「あいつが歩けんようなったら、もう俺らはダメだ」

と、もう聞いている私がどうも、どんな表情をしたらいいのだか、分からなくなるくらいのことをしゃべっていました。



震災を、ひとくくりに、ビッグデータで語ろうとするのではなく、

人の目線で、一人ひとりの物語として、語ることを通してしか、

人間が「歴史から学ぶ」ということはできない、という想像が、

私にはずっとついてまわっています。



そんなわけで、私の考える<防災教育>は、個人的な物語を、静かに語ることから始めているわけなのです。




阪神

フランスのデモと子どもの喧嘩

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宗教について。

おそらく、神様には、だれがなってもよい、というのが、日本人の感性なのでしょう。
地域の神社の神様がいったい誰なのか、本当は知らないのに、お参りしている。

天照大御神
菅原道真公
宇迦之御魂神
建御名方神
素戔嗚尊命
・・・


日本の神の一覧を見ると、すさまじい数の神様が、日本中のいたるところで祀られている。

おそらく、大部分の日本人にとって、本音の部分では、神様は誰でもいいのでしょう。

すると、いつかイスラム教が人口を増やしたとき、どうなるか。
日本にも、イスラムの方たちが移民となってたくさん信者が住むようになると、どうなるか。

おそらく、アラーの神も、日本には柔らかく迎え入れられるだろうネ。
これまでの、長い歴史の通りに。
そして、たちまちにして、日本流のアラーの神様に変貌をとげる、と。

モスクには、神社風の注連縄。
正月にはモスクで鐘をつき、そばが振舞われる。

最初のうちは、アラーの神を偶像化しないために、ゆるキャラ化しないための、ありとあらゆる工夫がなされるだろう。しかし次第に、アラーのゆるキャラが、ゴマンと出てくるにちがいない。

考えてみれば、結婚式の誓いは、日本人の多くが、イエスキリストの前で誓っている。
しかし、死ぬときは仏式だ。
クリスマスが盛況になっても、数日後、やはり正月、元旦となれば日本風に切り替わる。
いつの間にやら、すべてのものが、日本風になってしまうのが、この国のやり方なのです。

お米一粒に一つずつ、神様がいるという雰囲気が、まだ日本には残っている。
パンの給食だって、戦後の一時期、ものすごい勢いで広がったけれど、平成になって、給食もいつの間にかパン食が減り、ご飯の給食に戻ってしまった。

いつの間にか、日本風に、もどるのです。なにもかもが・・・。

さて、日本に入ってきたイスラムの教えは、どんなふうに日本風の味付けに変わっていくのか、それを原理主義者はどうみるのか。

ああ、どうか・・・、すべてのイスラム教徒が、日本風の味付けに対して、寛容であってほしいと願う。




なぜこんなことを考えていたかというと、今世間を騒がせている、フランスのデモを見たからで。
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とても、きなクサイ。臭い。
デモを喜んでいる人は、いったい何を喜んでいるのか?

世の中には、いろんなものをとことんネタにしたがる人がいる。
ある種の人たちにとっては、タブーというものがあること自体が、タブーと思えるのだろう。

ところが、タブーをうまく料理するのは、幼稚な反発心だけではダメなのだ。

お互いに死を覚悟してまで、頑迷に相手をからかう、という態度は、せいぜい、中世か近代まで。現代では、そのような【幼稚さ】は、時代に合わない。

自分がなぜそれをタブーと思うのか、タブーとみるのか、という哲学。
これって、とことん人間が、苦手とするもの、なのだろうネ。

「なんで、嫌いなのか」

<なにを>、きらいか、ではなくて、<なぜ>、きらいか。
そこを考えることが、人間は、とても、苦手なのだ。
これを考えるのは、すごくエネルギーが要る。
なかなか考えようとするスタート地点にすら、立てない。

考えることができるようになるために、なにか、【必要な条件】があるのだろう・・・。

今、教室で、そこが何か、見つけようと取り組んでいる。

いちばん見えやすいのは、子ども時代の、大好きな友達とのケンカなんじゃないか、と思うから。

大好きな友達の喧嘩を、とことん、見つめてみよう、という学級。

そこから、人間の心理、対相手心理、社会の人々の心理にまで、学びを広げていきたいね。

でないと、なんで人は戦争をするのか、という一番基本的な子どもの問いが、放置されてしまうのは忍びないことだから・・・。

世界で戦争や紛争が起きると、子どもたちから、かならず質問が出る。
多くの先生が、それを聞いて、なにか答えようとして、答えていない質問が、これ。
「先生、なんで戦争してるの?」
世界中の先生たちが、この質問に、どう答えているのだろう?
それを10000人の先生から聞いて、すべての答えを集めて、出版してほしい。
出版社の方、どうかお願いします。

児童会選挙に立候補する!!

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年末に国の選挙があったばかりというのに、今度は児童会の選挙で頭を悩ませなければならない。

で、実に、「選挙」というものに、子どもは人生のうちで初めて!!出会うわけで。

「どうする?立候補する?」

と聞くだけで、テンションがMAX。

え、え、どーいうこと??おれが立候補??

子どもの目つきが、変わってくるのであります。

たしかに、興奮するイベントにちがいない。

「きよき一票を、よろしくお願いしまーす」


と叫ぶこと自体が、とてもとても、コーフンやまない、アドレナリン大解放、という出来事だ。


おそらく、日本の政治家の、どぶ板的運動、あいさつ、握手、という基本的な活動・方法は、小学校時代の、こうした児童会選挙のやり方からスタートしているのだろう。


最近、ネット選挙が始まったから、雰囲気も変わっていくかもしれない。
政策の比較サイトなどができて、自分の主義や思いを打ち込んだり、矢印を選んだりしていくと、
顔写真がバーンと表示されて、

「あなたの主張にもっとも近い候補者は、この方です!」

というふうに紹介される。

そんなサイトが近くできると思われるが、浮動票とよばれる一定の層が、そういったサイトを積極的に利用するようになると、国会や地方議会の選挙も、こうした小学校的などぶ板選挙の雰囲気から、ちょっとずつ変化していくのかもしれない。

ところが、そういう具合に、画面を見ながら、ボタンをポチポチ選んでいくと、まるでインターネットで買い物をしているのと、そう変わらない感覚に陥ることでありましょう。

「どっちのデザインがいいかしら」

と選ぶ感覚になるね。

これは、ぶっちゃけ、

「どーでもいいな、どっちでもな」

という感覚に近くなって、次第にマヒしてくるでありましょうな。

そこには対話の実感がないから、結局のところ、あまり、「我々のような立場の者たちが、投票したくなる人」を選んだ、という実感は、薄いままなのでしょう。

この感覚の薄さがある限り、必ずしも、インターネット活用で、民主化が進んだ、とは言えない。
どぶ板選挙の方がむしろ、民主化に近いかもしれないね。

「ルンペンの話も、老婆の話も、子どもの話も、みんな聴く政治家」が、生まれてくることが最も民主的な出来事なのであって、

おそらく、これだけみても、戦後、新しい日本国憲法ができたころからしたら、それほど政治的な意味合いで、民主化が進んだわけでもないのだろうなあ・・・。

小学校で、どんな<選挙>をやり、どんな<活動>をさせ、どんな<投票>を、どんな<票の集計>を、させるか。

これは、けっこう、大事なことだと思うんだけどね。

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【5年社会・くらしと情報】コメンテーターを演ずる

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常識から外れている、というので、小学校の先生なんかは特に非難される側に立つ。

「世間知らずだからね」

というのは、やはり教員がよくさらされてしまう非難の言葉であります。

私なども、どちらかというとそう言われてしまい、なるほど、世間を勉強しなければならん、というふうに反省しながら聞いております。

幸い、まだ教員になって「新米」の方でありますし、転職組だということから、保護者の方に言われるのは、

「先生のように、世間を見てきた方に担任してもらえる方が安心」

という感じでお話され、これは恐ろしくて、とても受け入れにくい言葉ですね。

なぜなら、とても、「世間を見てきた」などと、胸を張って言えるようなことがないからで・・。


うちのおやじは住宅会社のサラリーマンでしたが、自分のことをよく、「世間知らず」と言っていましたなァ・・・。

「お父さんも長く勤めてきて、少なくとも不動産の世界は地獄だということが分かったが、それ以外は分からんなあ」

と、言ってましたっけ・・・。

そして、今は何故だか喫茶店のオーナーをしているのですが、常連のお客さんたちが語る話を聞きながら、

「世間は広いなあ~」


と思うのが常だそうで。




さて、総理大臣をしている方が、世間を知っているかと言うと、どうもそうでないらしいことから、政治家が世間を知らないのは、もうほぼ、確定的といってよいでしょう。

では、お医者さんはどうでしょう。
私の知人のお医者様は、

「医者の世界はずいぶん偏っていますから、私も本当に世間知らずで」

と、ついこの間、しゃべっていました。

さて、世の中の多くの人は、「世間知らずはよくない」という意識でいますが、本当に世間を知っている人は、一体、どこにいるのでしょう。

おそらく、テレビでコメントをする人たちなんじゃないか、と思います。
自信満々でコメントを出せるという態度そのものが、

「わたしは少なくとも、世間を知ってるんで」

という感じですからね。




5年生の社会科、「わたしたちのくらしと情報」という単元を進めています。

テレビ局や新聞社の仕事が、どう進められていくのかを勉強しています。

そこで、テレビ番組のよくある形として、
ニュース(事件)⇒番組制作側のコメント(送り手)⇒視聴者(受け手)

の流れを図解し、この情報の送り手が何をどんな調子で言うかで、視聴者はいろんな感想を持つ、という普遍的な情報の流れを学びました。

コメンテーターが、

「どうも、分かんないですね」

と首をかしげたら、受け手はどう思うか。

コメンテーターが、

「正論ですね」

と深くうなづいたら、どうか。

こういった関係、制作する側、送り手の意図によって、視聴者はコントロールされていく、という普遍的なことを学んでから、さらに突っ込んで、番組内のコメンテーター役を体験してもらいました。



この、コメンテーターの役を、班ごとにやってもらったのですが、うちのクラス、班が6班あります。
最近ちょうど複数あったので、お題は、今話題になってる、これ。

マクドナルドの「歯」事件。
ペヤングの昆虫事件。
たこやきの、輪ゴム事件。
離乳食のコオロギ事件。
不二家のカビ事件。
冷凍ギョーザ事件。


コメンテーターも、会社を擁護する立場の発言と、会社を攻撃する立場の発言と、二通りありますので、両方やってもらいました。

1班。
「歯とか、ぜったいにあり得ませんよね」
「さし歯って、取れやすいんですよ。おそらく、歯、かぶせてた工場の人も今頃必死になって探しているでしょう。全部人間がつくってるんで、ありえます」

2班。
「輪ゴムとか、許せない。噛めないし、呑み込んだら、赤ちゃんとかおなかこわしますよ」
「ピンク色で、紅ショウガに見えたと思うんですよね。アルバイトの人も、完全に紅ショウガだと思っていますよ、これは。わざとじゃないですね」

3班。
「昆虫なんて気持ち悪くて、最悪の事件ですね」
「いや、そもそもコオロギってふつうに食べれます。ザザ虫だって食えるし、セミのカラアゲも、食えますよ」

コメンテーターの表情や身振り手振り、口調、言い方、すべてひっくるめて、
それらがとてつもなく大きな印象を、視聴者(受け手)に与えていくのだなあ、ということを学びました。



で、多くの子どもたちにコメンテーターの役をやってもらってから、


「世間のことをよく知っている人の役目だったけど、どうだった?」

と感想を聞いたら、

「こんなの世間知ってるとか関係ない。誰でも、何とでも言えるじゃん」


と子どもは恐ろしいことを言っておりましたな。
チャンチャン。


テレビ局

合成人間にはない 「自己の発展」

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エーリッヒ・ケストナーは、ドイツの作家。

皆さんご存じ、「飛ぶ教室」は映画にもなった。名作だ。

「ふたりのロッテ」は、劇団四季がミュージカルやってる。

「エーミールと探偵たち」とか、「動物会議」とか、おもしれ~。

tobukyoshitsu


ところで。

以下の詩、とても気になるので、ケストナーの詩集より抜粋して載せますね。

合成人間

ブムケ教授は最近人間を発明した。
カタログによるとかなり高価だが
わずか7時間で製造ができるという
おまけにその人間は完成品として生まれるのだ!
このような長所は過小評価してはなりません
ブムケ教授はわたしにすっかり説明してくれた
わたしは最初の言葉と文句を聴いただけで
ブムケの人間は いくら高くとも それだけの値打ちはあるなと思った。

彼らは 性別にしたがって 髭かあるいは乳房というふうに
付属品を全部つけて生れる
ブムケ教授は 赤ん坊時代や青年時代を経るのは
時間の空費にすぎないという
なるほど それにちがいない

彼がいうには 弁護士の息子がほしい者は
ただ注文さえすればよい
法律上の難問題に通暁した 大学出の息子を
工場から 配達無料で オヤジさんの官庁に納めるという
そうすれば 寝不足な一夜の製品が
揺りかごと幼稚園の廻り路をして
卒業試験やその他をパスするまで
二十年も待つことは もういらない

こんな場合も考えられませんか 子供が馬鹿か病身かで
世間にも 両親にも 使い途がないという
さもなきア 音楽好きかなんかで!
両親に音楽の理解がなかったら
喧嘩の種になるばかりです

最初のかわいい赤ちゃんが 後日どうなるか
本当に判る者はいますまい ねえ そうでしょう
ブムケのいうには 娘でも 父親でも ご註文次第
彼の製法はいちども失敗したことがないのだと

最近彼はその人間工場を拡張しようとしている
今でもすでに219種類納めているという
不良品はむろん返品に応ずるそうだ
それらはもういちどいろんな蒸留器にぶちこまねばならぬのだと

わたしはいった。 その完成品には
ブムケの産院で生れた それらの人間には
たった一つキズがありますね
彼らは一定で 自己の発展がないでしょう
するとブムケはいった 「それこそまさに合成人間の長所です」と

君はしんじつ自己の発展ということを そんなに重要だと考えますか?
ブムケ教授は厳粛な調子でいった
彼の額には一本の深いしわが現れた・・・
そこでわたしは四十歳の息子を一人註文した





「君はしんじつ自己の発展ということを そんなに重要だと考えますか?」


最後のところ、心臓がドキン、とする。

ある人は、民衆の自己発展なんぞ、ない方がよいと思ってる。
ところが逆に、自己発展こそ生きる目的なのだとする人もいる。

エーリッヒ・ケストナーの話

.
wikipediaによると、こうである。
エーリッヒ・ケストナーは、自由主義・民主主義を擁護し、ファシズムを非難していたため、ナチスが政権を取ると、政府によって詩・小説、ついで児童文学の執筆を禁じられた。
父方を通じてユダヤ人の血を引いていたが、「自分はドイツ人である」という誇りから、亡命を拒み続けて偽名で脚本などを書き続け、スイスの出版社から出版した。
ナチス政権によって自分の著作が焚書の対象となった際にはわざわざ自分の著書が焼かれるところを見物しにいったという大胆なエピソードがある。
ケストナー

今のように、日本も「集団的自衛権」を認めたり、ついには殺人兵器輸出による商売を認めたりする国になってきて、火薬の香りがしてくる時代は、ケストナーからまなぶことが多いだろう。

さて、ケストナーは小説や随筆を書いているが、詩集も書いている。

人生処方詩集 (岩波文庫)
エーリヒ・ケストナー
岩波書店
2014-11-15


ケストナーは、この本の前書きで、
〇自分の悩みを他人にいわせるのはいい気持ちのものである。
〇悩みを言葉に表すということは衛生的である。
〇たまには、自分の感じるのと、まったく反対の(他人の)気持ちを理解するのもなぐさめになる。
〇明確化、一般化、対照、こっけいな模倣、その他いろいろな尺度とヴァリエーション、これらはすべて試験済みの治療法である。
と、書いている。
こういう言い回しも、ケストナーの個性がとてもよく出てるよね。

------------

ところで、この詩集は、内容が濃い。
目次だけを見ても、この通り。

********************

年齢が悲しくなったら

貧乏にであったら

知ったかぶりをするやつがいたら

人生をながめたら

結婚が破綻したら

孤独にたえられなくなったら

教育が必要になったら

なまけたくなったら

進歩が話題になったら

他郷にこしかけていたら

春が近づいたら

感情が貧血したら

ふところがさびしかったら

幸福があまりにおそくきたら

大都会がたまらなくいやになったら

ホームシックにかかったら

秋になったら

青春時代を考えたら

子供を見たら

病気で苦しんだら

芸術に理解がたりなかったら

生きるのがいやになったら

恋愛が決裂したら

もしも若い娘だったら

母親を思いだしたら

白然を忘れたら

問題がおこったら

旅に出たら

自信がぐらついたら

睡眠によって慰められたかったら

夢を見たら

不正をおこなうか、こうむるかしたら

天気が悪かったら

冬が近づいたら

慈善が利子をもたらすと思ったら

同時代の人間に腹がたったら

********************

詩集には、これらの目次ごとに、数篇の詩が並んで掲載されていく。

ケストナーの詩は、ふとした時に手に取ると、ちょっとした気分転換になる。

【無分別知から見出す世界】~NHK「100分 de 名著」より~

.
正月、ゆるゆるとNHKばかり見ていたら、
「100分 de 名著」という番組の正月特番をやっていた。

MCがタレントの伊集院光さん
なかなか分かりやすく、論点を整理してくれるので、頭が疲れた夜でも見られる。

話題は、「日本人とは何か」
どんな名著が紹介されたかというと、
松岡正剛(編集工学研究所所長):
「いき」とは「生き方」九鬼周造『「いき」の構造』
赤坂真理(作家):
モノを恋う感受性とは?折口信夫『死者の書』
斎藤環(精神科医):
日本の中心は「空っぽ」河合隼雄『中空構造日本の深層』
中沢新一(人類学者):
「無分別智」こそ日本の強み」鈴木大拙『日本的霊性』

ざっと、以上のような感じ。

番組の趣旨は、さまざまな視点から名著を読み解くことで、「日本人」について多角的に考察する、というもの。

①九鬼周造「『いき』の構造」からは、日本人の美学を。
②折口信夫「死者の書」からは、日本人の感受性を。
③河合隼雄「中空構造日本の深層」からは、日本人の心のかたちを。
④鈴木大拙「日本的霊性」からは、日本人の根源にあるものを。

名著を手掛かりに、各分野の一線で活躍する論者の視点から読み解いていった。



どれも興味深かったが、とりわけ、③河合隼雄「中空構造日本の深層」が面白かった。

河合曰く、

日本人は、思考の中心に頑固な柱を持たないことで、「柔軟対応ができる」良さを持つ。
ところが、悪い点としては、柔軟に対応しようとする姿勢ゆえに、「どんな内容でも、まずは受け入れていこうとするので、強い断定口調の場合は、とことん染まり切ってしまう時がある」のだそうだ。
先の太平洋戦争で軍部プロパガンダに世間の空気が靡いていったのは、この「悪い点」が出てしまったのだ、という。

断言口調に要注意だね。
つまり、単細胞の思考はダメだ、と。
A、だからBだ、というキメツケ思考で一度になびいてしまうところがある、ということか。

次に面白かったのは、④鈴木大拙「日本的霊性」
ここに出てくる、「霊性」という言葉は、とある解説によると、

二元的思考様式を超越するための戦略的な概念

だそうだ。
となると、これは③河合隼雄「中空構造日本の深層」にも関連する。
河合は、日本人の心の深層は、よく例に出されるところの、正←→反 および 合(昇華) という二元論発展系ではなく、最初から最後まで、ずっと常に、3つの連携(関係性)が保たれたまま、変化し続けるのだ、という。
そして同様に、鈴木の「霊性」という言葉もまた、このAかBか、という二元的思考を超越するための手掛かりとしての言葉だそうだ。

いずれも、AかBかという単細胞発想ではダメ、というところから出てきたものだ。
鈴木は、「宗教」、というのでなく、「霊性」という言葉を使ったところが面白い。
鈴木は宗教家だから、これもまた宗教を扱った宗教の本かと思ったら、案外と逆で、「霊性」は「盲信」を排除したもののことで、哲学の世界にまで意味を押し広げている。
宗教家なのに、なぜなんだろう、と思ったら、大拙によると「禅」は生き方であり、どうやらいわゆるところの「宗教」ではないようなのだ。今の現代人が使う「宗教」という言葉は、もはや、大拙の「禅」には大部分、当てはまらない。

大拙はこのような「霊性」が日常生活においていかに生きられるかという問題について、浄土宗の在家信者である妙好人(みょうこうにん)を例にひきながら論じている。
ここに登場する、妙好人・浅原才市(1850-1932)の詩が興味深い。(「口あい(くちあい)」と称せられる、信仰を詠んだ自作詩のこと)

才市の言葉の世界は、たいへんに豊かで広く、量も多い。
面白いのは、なむあみだぶつの世界が、わかる、わからない、という二元論で論じられることがないことだ。
仏の世界は、見えたらただそれだけ、というものであり、見えても見えなくても、真理に包まれているのが正体で、まるでなんということもない、というのである。
まるで特別なことはなにも無く、分かった、特別だ、と思っているのであればそれは思い上がりだとした。

ある人が才市さんの肖像画を描いたところ、才市は一つお願いしたい、と言って、

「決してきれいごとに見えてはいけないから、おれの頭に角を生やしておくれ」

自分は何かができるようになったわけでもなく、わかるようになったわけでもないのであり、ただひたすらそのままの人間なのだから、見た目をきれいにしてくれるな、というのであった。

出来上がった肖像画は、才市の人柄を映し出したように、柔和で日々を喜び生きるそのままを現したようであったが、やさしい顔に、小さくユーモラスな角(つの)が生えている。

石見の才市さん


中沢新一は、こうした鈴木大拙が見出した「禅」の世界観、日本的霊性の世界観を手掛かりに、おそらく次に我々日本人がバージョンアップすべき心性、世界観が見えるはずだ、という。

番組では、これらの話の流れから、総じて日本人が見出した世界はどんなものか、これからの時代に見出していける世界はどんなものか、と発展していくのだが、

精神科医の斎藤環さんが、鈴木大拙の言う<無分別知>について語ったのが、

「今の現代人が、たとえば、自分のやりたいこと、というものを見つけられないのは、分別知で考えることが多いからかもしれない。やりたい、というときに、分別知だと往々にして、義務感から発想していることが多いから」

ということを言っていた。

たしかに、実は人と人とのつながりにおいて、なにかすべきことを見つけたとしても、せいぜい義務観念か、自分よがりの衝動感覚的なとらえだけでしか見られない。何をやるにしても、〇〇のためにやるんだ、というものが必要になっているし、声高に、「おれはぶっちゃけ、ずっと前からこれがやりたかったのだ」と叫ぶ行為で意味づけしようとすることがある。

番組の後半は、中沢さんががんばってしゃべっていて、大拙の<無分別知>がとても大きなキーワードになっていた。

曰く、
日本人は、古来からの精神の<中空構造>の良さを生かしつつ、種々諸々の素材を受け入れながら、この<無分別知>を活用することによって少しずつ進んでいくのがいいのではないか。
このやり様は日本人が用いてきたものであったが、これまで長い間、ずっとあまりにも無意識だったので、世界中の国に対しても、自分たちのスタイルとしてそれを説明することができてこなかった。

これからはそれを意識してやっていくことで、これが日本の「国づくりのスタイル」なんだ、と堂々と伝えていくべきなんじゃないか。それが、今の日本人がやるべき、

日本人の心性の「バージョンアップ」

なのではないか

ということであった。




おまけ。
単一頑固狭量思考と複層的思考のちがい。
例題)「手を挙げたから先生に当てられた」は単一頑固狭量的か複層的か。

↑ 中学生くらいになれば、こういう授業ができそうだなあ~。

NHK タモリの新・資本主義?

.
正月はもっぱら休養。
子どもをあやしながらテレビを見ていた。

NHKスペシャルで新春特別番組をやっており、タモリが出てた。
戦後70年と言う長い期間を順々に振り返る流れがなかなか分かりやすいし、複眼的になる。

ともかく、日本人が陥りがちな、決めつけ的、「一つ断言的」な思考は新しいものを生み出さない。スティーブ・ジョブス的発想にならない。
「〇〇〇〇、この道しかない!」などと、言い切るのは、エネルギッシュで勇ましいけど、悪く言えば頑固狭量的、これからの日本がめざすべき、複層的複眼的・ジョブス的発想、にはとうてい成り得ない。

今回の「NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像」で

「新たな資本主義を作るのは日本人ではないか」

と語るタモリの発言がユニークに感じた。そのヒントになり得るのが、ボランティア、というキーワードで語られたことについても、人間社会をまったく新しい観点から発想しようとしているのが伝わってきて、面白かった。

今回のタモリ発言についてはネットでもいろいろと話題になっているようで、まとめると2つのタイプに分かれるようだ。
1つは、当り前だろ、なに普通のこと言ってんだ、レベル低い!という反応。
もう一つは、そんな茫漠とした話より目の前の赤字国債なんとかしなきゃだろ、現実味がない!という反応。

どちらにしても、タモリ発言を叩いているわけだが、ここはひとつ、日本人の悪い癖、

単一頑固狭量的思考

から抜け出て、ジョブス的複層思考で、タモリ発言をとらえてみようではないの。

ちなみに、スティーブ・ジョブスは、自身にもっとも影響を与えた人物として日本の鈴木大拙をあげていて、鈴木の著した、この本 ↓
日本的霊性 (岩波文庫)
鈴木 大拙
岩波書店
1972-10-16

の中に出てくる「無分別知」を人間の重要な要素だと考え【頑固狭量・分別思考】の弊害を感じ取っていたわけね。

タモリ発言の真価は、

新しい発想でつくる社会って、どんな社会なんだろう?

というのを、実際にちゃんと考えてこそ、あるいは小さな規模であっても実現してこそ、見えてくる話なんだろう。

それまでは、あれこれと、批判のできる種類の話ではない。

だって、やってみてないもの。想像もしないうちに・・・だーれも、批判する資格なしだよ、ねえ。

人類の、だれもが、よ。

(やってもみてないのに、人類のうちのだれも、それを批判できるほどの発言力を持たないってことね。たとえ政治家でも法律家でも学者でも、だれも、ね。)

こんな社会かな?
こんな学校かな?

と、あれこれと(ある程度はっきりと)みんなが、イメージできるように・・・。
 ↑
こういうことこそ、学校で、授業で扱う。
未来を担う、子どもたちといっしょに、やっていくことが大事だよね。

鈴木大拙角川

【6年生社会】歴史をどう教えるか

.
もうすぐ3学期だ。

いつも6年生の担任になる時に考えるのは、歴史をどう教えるかってこと。

歴史、人気がないんだよね。
一部、戦国時代の好きな、戦国武将の好きな子たちはいるのだけど。
歴史の好きな子って、それほど、多くない。

で、動機が薄いわけ。

「なんでこんなこと、勉強するの?昔のことって、なんかどうでもいいよね、正直・・・」

古墳とか古い田んぼの跡とか、写真見てもそんなに・・・。
土偶で少し、ワハハ、Fくんに似てる~とか、・・・ちょっと受ける程度で・・・。

そこで、裏ワザを使う。
別に裏ワザでもないか。けっこう普通かもしれないけど。

それは、こんな方法。
通常の教科書のように、
弥生時代⇒古墳時代⇒飛鳥時代⇒奈良時代⇒平安時代、
と教えるのでなしに、

逆に巻き戻していく。
平成⇒昭和⇒太平洋戦争⇒戦前の日本と諸外国、
というところあたりまで逆にやっておいて、子どもたちの興味関心が高まったところで、おもむろに、弥生時代から、じゃあ、振り返ってみましょう、とやる方法であります。

5月末くらいまでに、現代史の重要部分をやっておく。
すると、かなり、歴史への興味と、

「お、これって、大事な勉強なのかもしれん!」

ということが意識づけされます。
この意識がすごく大事でして、かったるい、なんでこんなことやるの~、という雰囲気では、大事な時間もエネルギーも(税金も)みんな無駄になってしまいますから・・・。


つまり、子どもたちにとって現代史は、歴史学習への大事な大事な『はじめの一歩』なのでありましょう。


そこで、来年はこんな授業に。

まずは、憲法のうち、自民党草案で削除が予定されている第97条を読み取る。


「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

キーワードがある。
なんだろうか。みんなで調べる。

『幾多の試練』
『人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果』


これは、一体、なんだろうか。

【基本的人権が認められなかった時代
と、
認められるようになった時代との間には、何があるのか?

どうやらそこの間に、
試練 や 努力

があったようだ。

サザンの2015年の新曲が資料になる。
教室で「平和の鐘が鳴る」を聴き、歌詞をみんなで読み込む。

過ちは二度と繰り返さんと堅く誓ったあの夏の日
未だ癒えない傷を抱えて長い道を共に歩こう

喪(うしな)ったものを希望に替えて 再び歩き始めた国(日本)

過ちとは何か。
未だ癒えない傷とは何のことか。
うしなったものとは何か。

これはみんな分かる。
戦争だ。

うしなったものを想像するのは、子どもにはかなり手ごわいかもしれない。
でも、3.11の大震災がある。
日本人が夢をうしない、職場を、生きがいを、家族をうしなってきた、ということが、想像できる。
太平洋戦争でも、まったく同じ。生存権すら、うしなってきたのが、日本のつい最近の歴史。


しかし、戦争という試練を乗り越えて、人として当然の生存権を獲得しよう、うしなったものを正常に戻し、希望に変えよう、と努力してきた過程があったのだ、ということが分かってくる。


つまり、太平洋戦争は、大きなターニングポイントだったのだ。

このターニングポイントで、

人々の日々の様子や考え、体制も、社会に漂う空気すらもがらりと変わった。

この、ターニングポイントをおさえる、理由や事象の説明も含めて、意味をはっきり知ることが、大事な歴史の勉強になるわけだ。


ここで、以後1年間の歴史授業のやり方、進め方を、一気にクラス中に周知してしまう。
歴史学習は、世の中の空気が【がらりと変わる】、ターニングポイントの前後をしっかりと理解することだ。これをやっていくのが、歴史学習なんだな、となる。

これが、ターニングポイントを踏み台にした歴史学習の基本形。
1学期に、子どもたちに学習スタイルの基本形を押さえておくことで、後の授業は、1年間ずっと、展開がすべてスムーズになる。

サザン・オールスターズ NHK放送90周年イメージソングを発表!

サザン

ウォッカの国からやってくる人たち

.
駅のキオスクで、2mくらいの白人男がしゃべってた。
レジのおばちゃんに、外国語で質問。
「Вы продаете водку? 」
おばちゃん「(?)なんでしょう?」
「Или это - только пиво?」
おばちゃん「(?)ごめん、わからんよ」

男が、ビールなど酒類の棚を指していろいろ語るので、おばちゃん、
「ああ、ウォッカね、ありませんね。この店はビールだけ。ごめんよー。」
といって、困惑した表情になる。
「ビール、ぜんぶ、ビール。麒麟、アサヒ、ね。みんなビールよ」

おばちゃん、ウォッカ、という単語だけ、ちゃんと聞き取った。次の番に並んでた私は、ちっとも分からんかった。おばちゃん、偉いね~(感心)。


彼がロシア人かどうかはともかく、日本へロシアの人の観光が増えているらしい。
近いからね。無理もない。来たくなるよ。円安だし。
これからの時代、日本のキオスクにも、どんどんウォッカを置くようになるな、たぶん・・・。



以前、ロシア人との混血、4世代目の子(4th. generation)がクラスに居た。
クラスに居るということはかなり大きなことで、
クラス全員が、ロシアに親しみを感じるようになった。
低学年だったから、みんな反応が素のままで、

「わー、ロシアと日本、近いねえ。よかった~」

という感じ。
その子のお母さんが、ロシアのいろいろな情報を、折々に教えてくれたおかげでもある。
ロシアの食べ物を、クラスに紹介してくれたしネ。

わたしは当時、クラスの子どもたちと共に、ロシアの国について学習した。
日本が逆さに見える地図をつかった。
ロシアという大国からみるとこう見える、という授業だ。
すると、ロシアが太平洋を見るときに、日本が見える。
手前の方にちょっと、弓なりに見える。
この、小さな細い島が日本だ、ということが分かる。

ロシアは、日本と本当にご近所だ。
お隣の国、ということが、地図を逆さにしただけで、妙に実感をともなって、感じられてくる。

アメリカから日本を見たらどうか。
北極を中心にみると、アメリカからだと、日本はロシアの向こう側にへばりついた国だ。国連の旗をみると、よく分かる。
赤色の〇⇒ニューヨーク
青色の〇⇒日本
オレンジ⇒ロシア
この、国連の旗地図を見るだけでも、イメージが随分、違ってくる。

TPPについて調べた時も、これを使った。【環太平洋】というのが、とてつもない遠距離恋愛だということを感じるね。
アメリカから日本を見ると

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