30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2014年12月

【夢】心頭滅却すれば

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護摩壇の炉の中に、炎が勢いよく燃えている。

「はよう、滅却(めきゃ)れ!」

にらみつけているのは、背の高い、いかにも力の強そうな僧だ。

足元が冷たく、じんじんとする。地底から雪氷がかみついてくるよう。
ところが顔は、噴き上がる炎に照らされて、熱くてたまらない。

このアンバランスな身体の状態で、追いつめられた精神状態が、さらに緊迫していく。


僧が、鬼とブルドッグを足して二で割ったような顔をこちらに向けた。

夜空を、怒号が響きわたる。

「これ!はよう、滅却(めきゃ)らんかッ!!」


それを合図にしたかのように、金堂の方から荒行に向かう者たちの、読経する声が重く聞こえてきた。

「心頭滅却すれば火もまた涼し、心頭滅却すれば火もまた涼し・・・」

伽藍の方を見ると、それぞれに松明を手にした苦行者たちが、俯きながら滝の方へ歩いていく。これからみぞれの降る中を、霊山へ滝修行に出るのだ。
あまりの寒さに、顔が緑色になってしまった者もいる。
それでも、すでに表情を無くした苦行者たちは、歩みをとめることなく、躊躇なく進んでいく。


あの者たちは、すでにこの炎の苦行を終えているのだ。
私も彼らに続かねば・・・。

歯を食いしばって意を決し、威勢よく燃え盛る焚火の上を、まさに渡ろうとしたときだった。

「もう、メキャはりました~?」

妙に甲高い声が聞こえた。
振り向くと、きっちり丸く剃り上げたイケメンの美坊主がいた。

美坊主は、少し腰をかがめ、横顔でこちらを覗き見するような格好になりながら雪駄の音を弾ませ、軽やかな足取りと共に、火の方へ向かってきた。

その美坊主を見ると、さきほどまでえらく濁った太い声で私を叱りつけていた僧が、頬をゆるませて声まで柔らかくし、

「いやあ、コイツ、ちっとも滅却(めきゃ)らんので困っとりますわい」

「あら、そう」


切れ長の目で、睫毛を瞬かせながら、ちらっと流し目をくれると、美坊主が私に向かって言った。

「早い所メキャってもらわないと、お話もできないでしょう?よろしくネ」



私は、もう何がなんだか分からないが、ともかくこの場から逃れなければならない思いに必死になり、自分に向かって、

「早く、滅却(めきゃ)らないと、メキャらないと!」

とつぶやいている。



再度、決心して、燃え盛る炎の中へ飛び込もうとした。

腹に力を蓄え、息を思い切り吸い込んで、

「滅却(めきゃ)りましたァーッ」

自分でも信じられなく程の大声を出しながら、まさに焔の中に飛び込む寸前、ブルドッグ僧が巨大な手のひらで、私の顔面を押し戻した。
おかげで顔面を殴られたほどの痛みでめまいがし、その場に倒れこんでしまった。

ブルドッグは、言った。

「滅却(めきゃ)れますか?」

くらくらした頭で、ぼうっと眺めていると、ブルドッグはやれやれ、といった表情で再度、

「もう一度、聞きます。・・・あなたは、滅却(めきゃ)れますか?」

事務的な声で、二度、繰り返した。


私はなぜか、突如としてこみ上げてきた口惜しさと共に、

「なんで、おれは、滅却(めきゃ)ろうなんて、思っちまったんだろう」

と後悔しはじめていた。



・・・と、これ、先日、見た夢です。
なかなかのインパクト。

・・・たぶん、疲れているんだと思います。


心頭滅却なんて要らない。

炎

【社会科5年】China の国との結びつき

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次の資料は、中国と日本の結びつきを示すもの。
「中国から日本に輸入されてくる食品の量について。平成18年の調理冷凍食品輸入高に占める中国からの輸入の割合は、金額ベースで約58.0%(812億1千万円)、数量ベースで約63.6%(20万634トン)だそうです。数量ベースで2位のタイは約27.9%、中国からの輸入は、タイの約2.3倍でダントツです。」


さらに、中国からの輸入高は、数量、金額ともに年々増加の一途をたどっている。
えびフライ、いかフライ、いかリングフライ、かきフライ、あじフライ、白身魚フライ、トンカツ、チキンカツ、棒ヒレカツ、鶏唐揚、いか唐揚、かれい唐揚、かき揚、れんこん挟み揚、ハンバーグ、春巻、たこ焼、お好み焼、練製品、焼鳥、北京ダック、カップ惣菜、魚加工品、飲茶、ロールキャベツ、角煮、大肉包、小松菜炒め煮、いんげん肉巻、きんちゃく、湯葉、中華丼の具、さば塩焼、さば照焼、中華串、豚ごぼう焼、豚すき丼の具、飲茶類、タルト、まんじゅう・・・。


これを読み上げるだけで、教室中が静まり返る。


「全部ではありませんが、みんなが食べているもののうち、こういうものの多くが、中国産だということがあります。これを輸入しないで、全部、国産にきりかえることが可能だろうか」


男子の何人かが、

「やればできる!」

という。

そこで、

「実は、日本人は中国の食品をかなり食べているので、それをすべてやめるとなると、大変です。ついでに外国産はすべてやめて、全部国産にするとなると、日本人の食べるものがかなり少なくなります。どのくらいになるかというと、今食べているようなものの、ほとんどが、食べられなくなります。

農水省の資料に、食糧を輸入しなくなった場合の日本の状況(予想)が掲載されている。それを見ながら、子どもたちと話し合う。


そうねえ、朝食は、ご飯一杯、焼き芋小2本、糠漬け。くらいかな。

昼食は、焼き芋2本、じゃがいも(粉ふきいも)芋1個、りんご四分の一。

夕食は、ご飯一杯、じゃがいも(粉ふきいも)芋2個、焼き魚一切れ。

このくらいになるけど、やればできるかなあ」



子どもたち、

うーん・・・。



たった一人、おじいさんが畜産もやっているという大きな農家の息子、Aくんだけが、

「おれ、やれるよ。だってオレ、ほとんど、うちのもんばっか食ってるから」

全員、

「えー、Aくんいいなー」


今のところ、サバイバルに最も強いのは、Aくんということに。



写真は、週末の子どもキャンプで焼かれた、手製のバウムクーヘン。

バームクーヘンが焼かれた

【社会科5年】新聞の見出しで印象操作されちゃうね

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教科書に、ある新聞記事の見出しが載っている。

「中国産ギョーザで10人 食中毒」

2008年の2月に起きた事件の新聞が、小さく載っている。

5年生の社会科の教科書。
「食の安全を考える」というページだ。


これみて、どう?

ときくと、

「もう、中国の食品は食べたくない」

と言う。

追い打ちをかけるつもりで、もう一つ、これに付随した資料を見せる。

新聞社が独自に行ったアンケート調査で、この毒入り餃子事件以後、中国製の食品についてどう思うようになったかを消費者に尋ねたというもの。

結果は、75%の人が、「中国産の食品は、もう買いたくなくなった」

と答えたらしい。

新聞記事と、このアンケート調査の資料を二つ並べると、

子どもたちは、完全に、

「もう、買わない。お母さんにも言う。中国産、やめた」

だって。




ここで、こう問いかける。

「中華人民共和国で生産されている食品は、ぜんぶ、怖い、悪い、と言えますか」

子どもたちは、黙る・・・。




中国製、という言葉に対して、もう少し範囲を限定する。
事件が起きたのは、天洋食品という会社だから、


新聞記事の見出しを、こう変えると、どうですか?
印象が変わりますか?

「天洋食品のギョーザで10人 食中毒」

と問う。


「あっ。」



最後、決めの発問。

「なにが問題なのですか?」


〇見出しの字を見ただけで判断したこと
〇情報を受け取る時に、実際はどうかな?と思っていないこと
〇中国、という国の名前をみて、印象を決めていたこと



その後、新聞社やテレビ局は、個性があること、
主義や主張、言いたいことがあって、編集をすること、
情報を送る側には、意図があること、などをまとめる授業プラン。

情報をどう受け取り、どう発信するか、という3学期の単元に入っていく導入になりました。


今日もいい日だ!雪だるまが叫ぶ

【社会科5年】食糧自給率のこと

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カロリーベース 39%
マネー(生産額)ベース 65%
これが、自給率の平成25年データ。

子どもたちと、資料をみながら、意見を出し合う。

わたしは、へえ、よく知ってるねえ、という気分でもって、

「なになに?へえ、なるほど」

と言っていることが多い。


使ったのは農林水産省のデータ。
分かりやすいデータが出ていて、5年生でも十分使える。
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/pdf/h26_fact_book.pdf


5年生の子どもたちに意外だったのは、味噌汁のこと。
原料となる大豆が、ほとんどアメリカ産だから。

「要するに、このおみそ汁、日本の味だけど、日本産じゃあないんだね」

この一言に、なにかものすごく感心する子どもたち・・・。

資料に使ったのは、アメリカ大豆輸出協会のWEB。
http://americansoybean.jp/whats-us-soy/

「日本で使用される大豆は年間約300万トンです。
その約2/3がサラダ油、1/3が食品用です。日本は国内生産量が大豆全体需要の6%しかなく、その多くを輸入に頼っています。
普段何気なく食べているお味噌汁の「味噌」や「豆腐」、調味料のお醤油、納豆など、日本人の食生活に欠かせない食品大豆の半分以上はアメリカ大豆が使用されています。」


↑ ここね。



あとは、トウモロコシをものすごい量、大量に輸入している件。

「そんなに俺たち、トウモロコシ、食ってるか?」

「なんでこんなに日本は、トウモロコシたくさん、輸入しているの?」



これは面白いから、

「なんでか分かったら教えて」


と、こっちが教えを乞う。

すると、あれやこれやと資料を探して、結局、

「わかった、牛のエサか」

と、判明する。



わたしは黒板に牛乳ビンのイラストを描いて、

「これ、牛乳だと思っているけど、もとは、何か。もとをたどると・・・」

「うーん、トウモロコシ」


これも、ずいぶんと意外に思うようだ。



(つづく)

ぐみの冬

【メールへの返事】子どもが嫌いな母親 さんへ

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メールを下さった、お母様。
虐待を悔やんでいる、子どもが嫌い、というお母様へ。

いつも読んで下さっているとのこと、ありがとうございます。

いま、子どもが嫌いでも、ずっと、あなたは、息子さんが赤ちゃんの頃から、お風呂に入れたり、風邪をひかないか心配したり、という愛情があってこれまで来たわけですね。
愛情は、なかったのではなくて、あったのです。

ところが、いま自分の中にある、気に食わない、嫌い、という感情に気付き、混乱されているのですね。

愛そう、愛さなければ、と努力をする世界は、かえって進むのが難しいのでしょう。
うまく言えませんが、【嫌い】の奥には、とんでもなく広大な、【好き】の世界がひろがっているようにおもいます。
その証拠に、誰だって、【嫌い】だと思うと、テンションが下がるでしょう!

子どもを嫌いになって、楽しく、快活になり、機嫌がよくなる、体調までよくなる、という人、いません。嫌いは、好きの入り口です。

【嫌い】は、万人が持っている、当たり前の心理です。心配いりません。
しらべていくうちに、それに苦しんだり、振り回されることが、無くなっていきますから、大丈夫!!
誰だって、嫌い、の正体が分かると、「素の自分」になれる。
「嫌い」は、ちっとも、変なことじゃないし、いやなことでもなく、唾棄すべきものでは、ないので。
ただ、「嫌い」から、メッセージを受け取れば、いいだけ・・・。


まとめると、

〇「嫌い」を持ったまま、「好き」をめざすのは、無理がある。
〇確実なのは、「嫌い」をとことん、しらべつくす方法。
〇しらべつくして、腑に落ちることがあり、解消される。



しらべつくしていくと、
エネルギーをかけてみていくと、
自分の《素の》願いも見えてくる。


「わたしは子どもが嫌いになってしまう」で、悩まれている方。
こんな私の小さな個人ブログに関心を寄せていただいたこと、それからこちらは何もできないこと申し訳なく思います。
文中に書かれた、夜中にひとりで泣かれている場面を想像すると、とても誠実な方なのだと印象を持ちました。
また、本当に正直に自分を変えていこうとされていることに敬意を表します。「もしかしたらまた同じように、虐待のようなことをしてしまうのではないか」、と恐れていらっしゃるようですが、気づいたことのできた時点から、必ず道は開けていきます!ネバー、ギブアップ!!です。


※お母さんたちの「困り感」を支援する団体も、あちこちにあるそうです。
一応、首都圏にはこんなセンターがあります。
ご参考まで。


◆社会福祉法人子どもの虐待防止センター
ホームページ
http://www.ccap.or.jp/
電話
03-5374-2990

52
行く末に、かならず万人にひろがっている、曇りなき空。

「素」でいることのメンタルパワー

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今年一年の振り返り、その1。


久しぶり、高学年の担任となって、まずは授業が面白かった。

あれやこれや、けっこう難しいことをやっても、話し合える楽しさ。

もうすっかり、クラスを良くしよう、というの、無くなったなあ。

何もしなくても、十分に、いいクラスになるね。

子どもは、もう、集まっているだけで、たのしい。

( ↑これには、賛同する先生、多いと思う。)

鍛える、という発想も、なくなっちゃった。

課題を示して、どう?というだけで。

みんな、やりたがるし、やれるようになる。

だって、心では、みんな、やれるようになりたいもの。

今年も、うんと楽しかった。

クラスのすべてが、微笑ましく思える。

結局は、このことに尽きるね。



【嫌う・否定】の正体が明らかになれば。

親でも誰でも、子どもの【好き】のパワー、

混じりっ気のない、素の気持ちと同じになって、

子どもの世界に浸ることができる。


曇り、なし。

無理、なし。

これが一番、メンタルパワーにつながるな。

縄文時代22

【小学生の心理学】なぜテンション下がるの?


ある女の子が、実に不思議そうに、

「なんで、だれかを【嫌い】になると、テンション下がるのかねぇ?」

と言ったことがある。

これまで、好き、嫌い、怒り、腹立ち、など、何だろう、どうしてだろう、考えてきた経緯があるからか。

実際、ここまで考えているのは、クラスでもほんの一部。半分以上の子は、

そんなの、当たり前じゃん・・・

で、済ませている。


この子、よくそこまで、考えるなー、と思うね。
怒る、腹を立てる、寂しくなる、嫌う、考えてみれば、どれも、なぜか、テンションが下がることばかりだ。

何故、テンションは下がるのか!?


この、テンションが下がる、ということが、万人に共通に現れる心理現象なのであれば、これこそが

人間らしさ

の原点なんじゃないか、と思う。

だけど、今の学校では、そうした人間らしさについての共通理解がないまま、「人間とは何か」の教育を、しているつもりになってる。
それでいて、良き人間関係を構築しよう、と力んでいるのだから、何か、ずいぶん遠回りしているような気がする。

幸福?

【小学生の心理学】嫌いと好き

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「クラスに、嫌いな子がいる」・・・という子、いるよね。

何かにつけて、その 「嫌いなあの子」 が気になっている。

どうして、嫌いな人のことを、ずっと、頭の中で考えるようになるのか?

嫌いなのに、どうして脳内を、その人の姿が、何度もくりかえし、再生されるのか?



いやだ、いやだ、きらい、きらい、と思うほどに、
強烈に思うほどに、
その人に、心が引き寄せられていくのは、なんでだ?

どうしても、心は、「嫌い」とか「憎しみ」とかを、手放さないのだ。

きりきりと、ちくちくと、一筋の稲妻に刺しぬかれたような痛みが、
きらい、いやだ、と思うほどに、自分自身の心をはげしく貫こうとする。

なんで?

ときくと、

子どもは、素直に、なんでだろう?と考え始める。

大人は、

「そんなの、当り前じゃないか。嫌いだから、心が荒れるんだ。当たり前だろう」

と、頭の悪い返答をする。

それが、なんでか?と、聞いているのに。


Heel3

【小学生の心理学】カエルが気になる

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好きな人のことを考えると、夜も眠れない。
憎っくき仇(かたき)のことを考えると、夜も眠れない。
好きも憎いも、眠れないという点で、同質である。



ところで。
急に、カエルの話でごめんなさい。

私はカエル、大好き。
雨の日は、葉っぱの裏を、探したくなる。
カエルは、なんだかとても、ユーモラスでかわいい、と思う。
雨水に濡れた、土の上、岩の陰、建物の柱の蔭を、あちこち探していることがある。

そして、案の定、飴色に光った石の翳に、冷たい色をした薄いグリーンのアマガエルが見つかると、

「かわいいの、みっけた!」

と心を躍らせる。



一方、嫁様は、カエルが嫌いである。

で、行動パターンは、ほぼ同じだ。

カエルがいないかと思って、彼女もまた、

雨の日は、葉っぱの裏を、探している。
土の上、岩の陰、建物の柱の蔭を、こわごわと探している。

そして案の定、飴色に光った石の翳に、冷たい色をした薄いグリーンの身体が見つかると、

「あっ!!こんなとこにいた!!きもちわるっ!」

と大声をあげる。


ことほどかように、好きと嫌いは、同質である。

どうも、心の作用としては、かなり、かなり、同じ道のものだという気がする。


Heel4

【小学生の心理学】なんで嫌いな子のことが気になるのか

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嫌いな子のことが、気になって、気になって、仕方がない。

喧嘩した時のことが、心の重荷になって、仕方がない。

どうやら、そうしたものらしい。
無理もない。
それが、人間なのだ。

だから、この「人間らしさ」を知ることで、本当に人間らしい、とはどういうことか、分かっていくと思う。
分かっていけば、人間らしい暮らし、人間らしい生活、人間にとって無理のない社会を考えていけるはず。

道徳とは、つまりはそういう教科なんだろうと思う。
だれにとっても、どの人にとっても、無理のない社会を考えるための教科が、道徳である。
子どもたちにとって、その「無理を押し付け合わない」お互いになることが大事。
そうしたお互いに育ちあうための授業が必要なのだろう。



嫌いな子が気になるのは、どうしてだろう。
これも、「気になってはいけない」というものではないし、反省を求めているのでもない。
純粋に、心の泉を、しーんとして、しずかに観察してみることが何よりも大切なこと。
揺れ動いているとしたら、どんなふうに。
なにが動いているのか、何によっての作用なのか、波はどこからくるのか。

波立っていけない、というふうにするから、道徳が窮屈になる。
これまでの「道徳風授業」からは、脱しなければならない。


Heel2

【小学生の心理学】見たい、知りたい、心の動き

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「道徳」が教科になるという。

道徳で、どうしてもやりたいことがある。
それは、小学生の心理学、である。

子どもは、大人と違って、それほど混乱していないために、心を見ることができるように思う。
透きとおった泉の水を、ちょんとつついた波紋のように、心が動く。

どんな動きなのか。

息をとめ、耳を澄まして、観察する。





早い方がいい。
大人に近づくにつれて、難しくなっていく。
なぜ大人が考えることができないかというと、すでに頭の中が、かなりの程度、いっぱいで飽和しているからだろう。
そしてまた、人間とはこういうもの、思考とは、感情とは、という凝り固まったものが多いし、もう何十年もそうやって考えてきたんだから、それが当たり前だ、というふうにしか、考えることができないからだと思う。


2,3年生くらいが、ちょうどいい。
仲間と喧嘩したときや、お母さんと喧嘩したときのことについて話し合ったとき。

大好きなお母さんと喧嘩した時のことを話しだすと、これはもう、止まらないくらいに出てくる、出てくる!

なぜお母さんがひどいといえるのか、わたしの腹が立つのは、どうしてなのか、本当に顔を赤くして、語りだす。

内面を知ることが、すべての道徳学習の下地になるんだろう。



道徳も細分化されている。

「愛国心」とか「良きふるさと」とか「郷土愛」とか、「礼儀」とか「勤勉」、「勇気」とか。
「友情」「信頼」「感謝」「自然愛」、「公徳心」「家庭愛」「公共の精神」「自己責任」・・・。


細分化されていることが重要なのではない。
道徳の目的は、こういったものの、すべてのもとになる、「内面の資質」を育てる、とされている。

内面、ということであるから、外付け、ではだめなんだろう。
これはこういうこと、こう考えなさい、というふうに、教えるようでは、だめなんだろう。


一つのことでいいから、本当の本当に、自分の心を、きちんと、しっかりと観察すること。
これしかない、と思う。



そこで、

「なんで、きらいなのか」

を、シッカリみること。
これが突破口になる。

Heel1

【算数】色鉛筆を使うとクラスが変わる!

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算数の勉強。
5年生で、三角形の面積をやります。

三角形の面積⇒ 底辺×高さ÷2


底辺が1cmずつ増えていくたびに、三角形の面積は、高さ÷2 ずつ増えていく。

これを、図にしまして、増えた面積分だけ、クーピーで色を塗らせました。

最初の三角形、好きな色で塗っていい。

底辺が1cm増えた、面積も増えた、増えた分だけ、またちがう色で塗ってみよう。

どんどん、順に1センチずつ、三角形をふくらませていきました。
・・・

見事なグラデーションの、三角形が出来上がった。

するとね。


よーく、分かるの。

算数のかけ算も間違えちゃうような重い子が、なんだか、面積が分かってくる。
そして、この時間中に、

「先生、面積、おもしろくなってきた」

という。
Mちゃん、その日の日記にも、同じ三角形のグラデーション書いてきた。
これが、よほど、気に入ったらしい。


かんたんね。
きれいな色が、好きなのね。
それが、グラデーションのように、移り変わっていく、増えていく、変わっていく。
そういうの、みんな、好きなんだね。

で、気づくよね。


元々の、子どもの好きな要素を、ふんだんに取り入れて、学習すればいいじゃん、ってね。

子どもの、もともとの持ち味、好み、くせ、理解の仕方、認知、把握の方向・・・


教師は、子どもに甘えちゃだめだ。
子どもに、「理解しろよ、おれのやり方で!」と言い過ぎ。
子どものもっている、

芸術的な、
理知的な、
感性的な、

そういう好みを、うんと大事にしろ、ということだね。
そういうことだよね、Mちゃん?!


縄文時代25

【昔話】三年寝太郎の「素」の力とは

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「素」である、ということを考えると、私がすぐに思い浮かぶのは、「三年寝太郎」の物語である。

彼は、通りにねそべって、ただひたすら、茫洋として過ごす。

心配のあまり、通りかかる村人が、彼の身体の上に、むしろをかけてくれる。雨よけだ。

彼は竹を4本つきさし、そのむしろを屋根のように広げて、その下で、寝転んで生きる。



彼の心は、ちゃんと、生きている。
それも、彼の、「素」のままに、生きている。
彼は、彼のやるべきことを、なそうとするのだ。

寝太郎は、三年の眠りの後、立ち上がる。
そして、用水路を引く仕事に着手する。

最初、子どもたちが彼の仕事を手伝い始めた。
どうして大人ではなく、子どもが最初に手伝い始めたのだろうか。

大人は、寝太郎を馬鹿にした。

そんなこと、できない。
実現不可能だ。
採算が合わない。
やるだけムダだ。
まともな経営感覚なら、やらないよ。


後に子どもたちの働きを見て、大人たちも仕事に加わる。
子どもに教わったのだ。


しかし、寝太郎や子どもに教わって、そこに突き動かされていく大人たちの心もまた、実はまだ、生きていたのだろう。本当に「素」を見失っていれば、目の前に何が現れたって、それがいったい何なのか、見えてもこないし、響いてもこないだろうから。

どの大人もみな、寝太郎や子どもの声に響くことのできる「素」を、自分の中に生かしておいたからこそ、輪に加わり、巨大な用水路づくりを実行したのだ。


寝太郎、びっくりしたろうね。
みんながやりだしたから。

縄文時代21-4

素の人って、いいな。

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もう2学期も終わりそうだ、というので、学級で、お楽しみ会をやりたい、ということが出た。

じゃ、計画してごらん、というので、帰りの会でみんなガヤガヤやっている。

校庭で遊びたい、と言う子、教室で遊びたい、という子、みんなそれぞれ。

「せんせー、意見が真っ二つに割れました」

「まっぷたつ・・・、そりゃ、おもしろいッ!!

「面白がってないで、どうしたらいいですかー」

「どっちでもいい」

「えー」

「先生というより、みんながやりたいんでしょう?みんなで考えなよ」

「えー」



あれこれ、とやっている。



要するに、お楽しみ会ってのは、2学期の終わりに、たった一回しかできない、と思っている。

男子が口をとがらして、

「先生、ドッジボールが10人で、バスケが10人で、教室の中の室内レクが9人だって」

「女子はみんな、室内レクなんだよ、先生」

「よし、じゃんけんだ!!」

「えー、男子勝手に決めないでよ!」

「女子だって勝手に決めようとしてたじゃん!」



そこで、みんなを座らせて、話す。

「いいか、多数決はいかんぞ」

「なんでですか。今までずっと多数決だったけど」

「いや、一番野蛮な決め方だから、それはダメだ」


「多数決じゃなかったら、決めらんないよ」

「話すんだ。全員が話しているか?」

「えー」



また喧々囂々と男子と女子がやっている。

帰りの会の時間が、タイムアップ!
下校の音楽が鳴るぞ。



「先生、決められないけど、どうする?」

「よし、よくやった。みんな」

「えっ!!決まってないんですけど!!(全員)」



安倍総理に、こういう状況でどうするのが一番国益にかなっているのか、教えてもらいたい。




「これ男子、女子の言う室内レクは、あかんのか?」


「いやー、だって男子はほとんどみんな外がいいって言ってるし、女子だってMちゃんとかCちゃんとかは男子と同じで外でキックベースって言ってるんだから、クラスの半分以上は外希望なんだよ」

「いやいや、もう一度言うぞ。こりゃ、男子。女子の言う、室内レクは、あかんのか?」

「だって、教室半分に分けるのダメだって、先生言ったじゃん。全員でやらなきゃ意味ないって言ったから、一つに決めようとしてるんだし」

「いやいや、室内レクは、ぜったいにやらないのか?って」

「いやー、いいんだけど、時間がないから。みんなで校庭行って、キックベースしてまたすぐ帰ってくるの、移動だけでも時間かかるし」

「じゃ、ちがう日にやれば?」



(顔を見合わせる男子たち)


「え、いいんですか?」

「集中して算数やれば、あまった時間できるぞ!」



キャッホーィ!!


縄文時代19

【怒りを科学する】道徳授業で怒りを調べる その2

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さっきまで仲の良かった友だちと喧嘩して、今はもう、憎さでいっぱいになっている。

大好きなはずのお母さんが、夜寝る頃になると、宿題のことやなんかを、グチグチ言うから、憎くてたまらなくなる。

不思議だねえ、憎くなるなんて。

仲の良い、大好きな友だちなのに。
大好きな、お母さんなのに。


こういうと、やはり、先生から責められてるんだ、と思う子も、中にはやはり居て、

「だって、仕方ない、お母さんがうるさいから・・・」

いや、べつに憎くなることが悪いとかじゃないから、安心して、とこっちは何度も言う。


責めているのではない。
純粋に不思議なの。

なんで、人間は、仲の良い、大好きな人に向けて、腹立ちの感情をもつのだろう!


子どもはやはり、お母さんが一番大きいようで。

お母さんが心の底から嫌い、という子はいない。

お母さんのことが心の底から好きなのに、お母さんが憎くてたまらなくなるのは、何故だ?



・・・

ここで、授業は、進まなくなってしまう。

子どもたち、完全に、思考が停止する。

ただ、ひたすら、静かに押し黙ったような時間になる。



たまに、数日後、ポツポツと、日記に、書かれていることがある。


「あれからずっと考えていて、途中だけど、こう思います・・・。」


私は、それを、

「みんな、どう思う?」


と、クラスに紹介する。



高学年だと、このくらい。




縄文時代17

【集団づくりスキル】哲学する子を育てる方法

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学校では、子どもたちが、掃除をきちんとやっている、ということになっている。

うちのクラスでも、一応、一生懸命やっているようだ。
わたしが毎日、仕事ぶりを確認して回るからかもしれないが。

ところで、そんなふうに、一見、なにも事件が起きていなくても、それで完璧・終わり、ということはない。
一見、子どもたちが落ち着いてやることをやっているように見えていても、だから良い、という単純な考えにはならない。形を見ていくら美しく整えていたとしても、「どの子も心底納得しながら、安心している中で、思い切りやれている」、とは限らないからだ。

子どもってのは、なにをしていても、どんな状況でも、やはり自分の立ち位置を確認をしたいものらしい。
それでいいよ、と言いながら見ている人がほしい、と思っているものだ。
信頼のできる大人からの注目が欲しいのだし、安心をしっかりと感じ取りたいものなのでありましょう。


それで、なにも問題が起きていないときにかぎって、こういうことを聞く。
「掃除のことで、時間をとって話をしたいと思います。
掃除のことで、今、課題、問題だと思っていることはないですか?」


こうきくと、子どもたちは、あれこれと言い出す。


・掃除時間に間に合わないで、走っていくときがある。
・委員会の仕事が中途半端なのに、掃除時間になってしまって、片付けがいい加減になってしまう。
・道具を忘れて、取りに行ったりしていて、時間が余分にかかってしまっている。
・隅がよごれていても、だれもやらないから、最近すごく汚れてきている。
などなど・・・。

こういうことを、わたしはだまって聞いている。



これは、「ふりかえること、振り返る行為、その行為自体」に価値があるので、内容がどうだからどう、ということはない。


あまり問題のない、という時期にやるから、子どもたちも、ただの反省モードで言うことがない。

「自分たちのそうじって、どうなんだろう。」


と客観的にふりかえられるように、と考えて、進めていく。


この、客観的な振り返りをしていて、わたしは時折、

「〇〇〇・・・って言っている人がいますが、どう思いますか?」


と、まぜっかえすのが役割である。



なべの中の具が、煮えて、だし汁のなかをゆったり漂うのを、わたしがおたまでちょっと、かき混ぜているような感じ。



子どもたちの加減が落ち着いた頃、わたしは、最後の決め台詞を放つ。


「では、今出てきたこと、さまざまな意見がありました。すべて、大事な意見だったと思います。これらの意見を、自分たちの財産と考えて、大切にしていきましょう」



つまり、教師は、まったく意見らしいことを言わないのであります。

それに、子どもたちも、掃除のことで叱られるような覚えもないし、責められているとも思わない。
だから、冷静に、自分たちの姿を見ようとすることができるのだろう。


こうした日常の繰り返しから、子どもたちは、なんだか哲学する人になっていくようである。

縄文時代18

【怒りを科学する】道徳授業で「怒り」を科学する

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道徳の授業で、「怒り」を科学していこうとしている。

すると、なんで腹が立つのか、と考えることになる。


子どもたちは、

「そんなの、あいつのせいだし・・・」、という。

〇〇くんのせいで、ぼくは腹が立った、という。

だいたい、みんなこの程度。

ここから先を考えたことある?ときくと、きょとん、としている。

先生、いったいどうしろっていうの?、となる。

わたしは、黒板に、

「怒りを科学する」

と書く。

すごいねえ、この展開。


私は、子どもたちに、「科学的探究の態度で、調べていくぞ」、とか言う。


腹が立った事例をまずは集める。

紙に書かせると、自分は悪くなくて、相手が悪い、ということが、これでもか、と書かれる。

どうして腹が立つんだ、と聞くと、みんな、


「いや、自分は悪くない。相手が悪いんだ」

と言う。

それは理由じゃないだろ、と言うと、きょとん、としている。

「でも、私は悪くなくて、相手が悪いんだから」

というから、悪いとか悪くないって知りたいんじゃないよ、先生はあなたが悪いなんて、一言も言ってないし、責める気もないよ、というと、やはり、きょとん。


腹が立ったらいけないと思います・・・、と最初から反省モードの子もいる。

「いや、反省しましょう、という時間でもないんだよ。もっと、ちゃんと、じっくり調べてみたいだけ」

というと、本当に心底、訳が分からない、という感じで、きょとん。

クラス中、全員が、きょとん状態。

口を半開きにして、ボーッとして、わたしの顔を見ている。

全員が。





これくらいが、今の状況。

要するに、怒りのことなんか、幼い頃から、まるで真正面からとらえたり、考えたりしたことが無いんだ。

縄文時代15

銃の身にも、なってみろってんだ。

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人を脅す道具を持っている人がいるから、その人を脅し返すための道具が要る、と思っている。





米国で、警官が黒人の少年を打ち殺してしまったが、無罪になったとかで、今度は黒人たちが暴動を起こして騒ぎになった。

脅すための道具を、なぜか警察が持っているのだが、脅す道具で、脅すを通り越して、射殺してしまった。

銃の気持ちになれば、ほとほと、もう、疲れているだろう。

「脅す」なんて、できっこないことを、無理やりさせている。

「脅す」が効かない人ばかりになったら、
実は意味ない、ということが分かっちゃったら、
みんなが気づいちゃったら、
「銃」はやれやれ、と思うだろうね。

こんな中途半端なものを、人間が扱えるわけがない。そんな、わかりにくいもの。

銃の身にも、なってみろってんだ。

「脅すのに、疲れました。」

縄文時代14
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