前回の記事、「給食残飯グランプリ」につづく、
自己成果中毒
のお話。
教室で生きるのには、何が必要か、ということを考えている。
何をするにしても、そのことを通して、「何を得て、何を失っているか」、ということに着眼する。
すると、たとえば、毎日そうじをしていますが、この場合はどうだろう?
清掃をすることで、1年生の子どもは、いったい何を得ているのか、何を失っているのか???
1年生の子は、ぞうきんをもって、なんだかいろいろ拭きたがります。
「先生!ここ、拭いていい?」
拭いていること自体がおもしろいのか、友達がどこかを拭き始めると、いっしょになってやりはじめる。
そんな清掃の時間に、これまた<体育会系>の指導が入ります。
「清掃選手権をやりましょう!」
これは、無言で清掃をしましょう、という運動です。
だまって掃除をするので、集中してきれいにすることができる、というワケ。
「だまって、掃除をすることで、余計な雑念が消え、集中してごみを見ることができます」
そうそう、それで、いいのだ。
そこまでで、いいのだ。
そこから、何か、<魔が差したようなこと>を言わなきゃいい。
ところが、どっこい、魔がさすのです。
清掃委員会とか、美化委員会とかいう児童会の子どもたちが、無言の清掃選手権を盛り上げるために、こんなアイデアを出していた。
以下につづく↓↓↓
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自己成果中毒
のお話。
教室で生きるのには、何が必要か、ということを考えている。
何をするにしても、そのことを通して、「何を得て、何を失っているか」、ということに着眼する。
すると、たとえば、毎日そうじをしていますが、この場合はどうだろう?
清掃をすることで、1年生の子どもは、いったい何を得ているのか、何を失っているのか???
1年生の子は、ぞうきんをもって、なんだかいろいろ拭きたがります。
「先生!ここ、拭いていい?」
拭いていること自体がおもしろいのか、友達がどこかを拭き始めると、いっしょになってやりはじめる。
そんな清掃の時間に、これまた<体育会系>の指導が入ります。
「清掃選手権をやりましょう!」
これは、無言で清掃をしましょう、という運動です。
だまって掃除をするので、集中してきれいにすることができる、というワケ。
「だまって、掃除をすることで、余計な雑念が消え、集中してごみを見ることができます」
そうそう、それで、いいのだ。
そこまでで、いいのだ。
そこから、何か、<魔が差したようなこと>を言わなきゃいい。
ところが、どっこい、魔がさすのです。
清掃委員会とか、美化委員会とかいう児童会の子どもたちが、無言の清掃選手権を盛り上げるために、こんなアイデアを出していた。
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