おそらく、
「ぼくはダメな子、できない子!悪い子!!」
という言葉が子どもから出てきたら、お母さん、どう反応するだろうか。
子どもは、その
ママの反応
を、凝視、している。
この凝視の目は、真剣そのもの、だ。
自分の、期待どおりの反応なのか、どうなのか。
希望する、願っている、期待している「反応」が、得られるかどうか・・・。
お母さんの表情、言葉、態度、顔つき、目の動き、視線の動き方、ニュアンス、身振り手振り・・・
先日、職員室の玄関に忘れ物を取りに来た、親子。
わたしのクラスではなく、低学年の、あるクラスの子どもだった。
お母さんと一緒に、忘れた宿題プリントを、取りに来た。
机の中に、わすれて、ランドセルにしまわなかったのだ。
お母さんに、宿題どこ?と促されて、急いで取りに来たんだろう。
夕方、オレンジ色のたそがれに照らされて、お母さんの軽自動車が、玄関前に横付けになってる。
すでに担任が退勤していたので、残っていた私が応対。
目の前で、
「もう、忘れものばっかりで!幼稚園にもどったらいい!」
と強めの口調でママが言うと、すかさず、背の低い、小さな男の子が、
「いいよ、もどる。だってぼく、馬鹿だもん。ダメな子。できない子」
と言う。
そして、ぎろり、と強い目をして、ママの反応を見たんであります。
ワタシ、その目をみて、
まるで、鷹のような目だなあ
と、関係ないことを考えておりました。
そのくらい強い関心をもって、さあ、お母さんがどう出るのか、どう答えるのか、確認しようとしています。
ママは、どうしたか。
うろたえました。
手がだらり、と下がり、力が抜けたようになったあと、鬼の形相になって、
「なんで、そんなこと言うんだ!バカッ!ホントに幼稚園に戻すよッ!」
と、期待通りの反応です。
それをみて、その子は、「ああ、やっぱり」という表情を浮かべて、さらにまた、口元をきゅっと、するわけね。
自傷行為ってありますね。
痛い場所をわざとつくり、その痛みを、確認するために、さらに傷つける。
痛みを確認することで、なにかを解消しようとしているかのよう。
痛みにこらえている自分に陶酔している。
痛みをつつきなおすのって、なんだろう、と思う。
絶望感や空虚感から心が押しつぶされそうになったり、また、やり場のない怒りが湧き起こってきた時、自分を傷つけるような行為をしてしまう。
実は、自傷行為は自分を救う手段、と言われています。
自分の中では消化できないような気分に浸ってしまったとき、大人なら、いろいろと手段を講じますね。
ショッピングで気持ちを発散させたり、酒を普段以上に飲んだり。
やけ食いしてしまう人もいるでしょう。中には、衝動的に壁を殴ったり、額を机にぶつけてしまう人もいる。
自分を傷つける事によって、怒りを鎮め、押し潰されそうな気分を放出するのだ。
気分の放出。
なんで、それが怒りを鎮める『感覚』になるか、というと、どうやら、脳内で操作が行われるらしい。
痛みを感じると同時に、人間は脳内で鎮痛作用のある、モルヒネ様の物質が分泌される、という学説もある。
(たしか女性の出産時には、同様のバランス操作が働いて、あの痛みに耐えることができるのだ、と聞いたことがあるな)
身体の痛みと、心の痛みと、ちがうような気がするが、心の痛みを救うために、身体の痛みを利用している、という言い方ができるかもしれない。
心の痛みこそが問題で、そこにメスを入れないと、対応策は見えてこないだろう。
元のところに生じているのは、「怒り」の感情に近いものか、と思う。
自分に対する不遇の念、不運であるという認識の仕方、正当に扱われていないという感覚、なんで自分だけが、という不公平感、怒り、やるせない気持ち・・・。
わざと叱られるような口答えをする子、親や教師の激しい怒りを買いたい、とでもいうような態度の子は、自傷行為に近いような感覚で、自分を救おうとしているのではあるまいか。
だから、子どもの内部に潜む、怒りの感情に、大人の「怒り」で向き合っても、うまくいかない。傷口が広がるばかりであります。自傷行為によって、つかの間の「気分の放出」を感じさせるだけで終わります。さらに、これを繰り返すことしか、子どもの中には、対応策が見つからない。子どもも、本当は別の対応をしたいかもしれないが、今のところ、気分を落ち着かせ、解消するのに、自傷行為しか思いつかないので、本人も苦しんでいる。
しかし、大人のまずい対応が、その闇の内部に、子どもをどんどんと追い込んでしまう。大人はこのことを自覚しないで、態度を改めないのはその子の「道徳意識」が薄いせいだ、としか、考えない。
どうしたら、いいんだろうか。
こういう子には、母性が効きますね。何しても、受け入れます。
「きみは、本当はすてきな子だから・・・。先生、わかってるよ・・・」
これを、雨だれが石をうがつように、6年間、言い続けることですな。
自分や相手、人間関係の認知の仕方が、少しずつ、音を立てて、変わっていきます。
でも、ざんねんなことに、
ほとんどの教師が、激烈な大声で叱っております。
こういう子には、父性はまだ早い。
時期としては、まだまだ、たーーーーくさん、母性が必要な時期であります。
母性よりも早く、父性ばっかり登場するから、子どもはもう、へとへと、でありましょう。
わたしの感覚では、父性は中学校くらいから本格的になればいいのであって、小学校高学年ではまだ序章、低学年や中学年では、もう、母性満喫、でいいんじゃないか、と思うのです。
「ぼくはダメな子、できない子!悪い子!!」
という言葉が子どもから出てきたら、お母さん、どう反応するだろうか。
子どもは、その
ママの反応
を、凝視、している。
この凝視の目は、真剣そのもの、だ。
自分の、期待どおりの反応なのか、どうなのか。
希望する、願っている、期待している「反応」が、得られるかどうか・・・。
お母さんの表情、言葉、態度、顔つき、目の動き、視線の動き方、ニュアンス、身振り手振り・・・
先日、職員室の玄関に忘れ物を取りに来た、親子。
わたしのクラスではなく、低学年の、あるクラスの子どもだった。
お母さんと一緒に、忘れた宿題プリントを、取りに来た。
机の中に、わすれて、ランドセルにしまわなかったのだ。
お母さんに、宿題どこ?と促されて、急いで取りに来たんだろう。
夕方、オレンジ色のたそがれに照らされて、お母さんの軽自動車が、玄関前に横付けになってる。
すでに担任が退勤していたので、残っていた私が応対。
目の前で、
「もう、忘れものばっかりで!幼稚園にもどったらいい!」
と強めの口調でママが言うと、すかさず、背の低い、小さな男の子が、
「いいよ、もどる。だってぼく、馬鹿だもん。ダメな子。できない子」
と言う。
そして、ぎろり、と強い目をして、ママの反応を見たんであります。
ワタシ、その目をみて、
まるで、鷹のような目だなあ
と、関係ないことを考えておりました。
そのくらい強い関心をもって、さあ、お母さんがどう出るのか、どう答えるのか、確認しようとしています。
ママは、どうしたか。
うろたえました。
手がだらり、と下がり、力が抜けたようになったあと、鬼の形相になって、
「なんで、そんなこと言うんだ!バカッ!ホントに幼稚園に戻すよッ!」
と、期待通りの反応です。
それをみて、その子は、「ああ、やっぱり」という表情を浮かべて、さらにまた、口元をきゅっと、するわけね。
自傷行為ってありますね。
痛い場所をわざとつくり、その痛みを、確認するために、さらに傷つける。
痛みを確認することで、なにかを解消しようとしているかのよう。
痛みにこらえている自分に陶酔している。
痛みをつつきなおすのって、なんだろう、と思う。
絶望感や空虚感から心が押しつぶされそうになったり、また、やり場のない怒りが湧き起こってきた時、自分を傷つけるような行為をしてしまう。
実は、自傷行為は自分を救う手段、と言われています。
自分の中では消化できないような気分に浸ってしまったとき、大人なら、いろいろと手段を講じますね。
ショッピングで気持ちを発散させたり、酒を普段以上に飲んだり。
やけ食いしてしまう人もいるでしょう。中には、衝動的に壁を殴ったり、額を机にぶつけてしまう人もいる。
自分を傷つける事によって、怒りを鎮め、押し潰されそうな気分を放出するのだ。
気分の放出。
なんで、それが怒りを鎮める『感覚』になるか、というと、どうやら、脳内で操作が行われるらしい。
痛みを感じると同時に、人間は脳内で鎮痛作用のある、モルヒネ様の物質が分泌される、という学説もある。
(たしか女性の出産時には、同様のバランス操作が働いて、あの痛みに耐えることができるのだ、と聞いたことがあるな)
身体の痛みと、心の痛みと、ちがうような気がするが、心の痛みを救うために、身体の痛みを利用している、という言い方ができるかもしれない。
心の痛みこそが問題で、そこにメスを入れないと、対応策は見えてこないだろう。
元のところに生じているのは、「怒り」の感情に近いものか、と思う。
自分に対する不遇の念、不運であるという認識の仕方、正当に扱われていないという感覚、なんで自分だけが、という不公平感、怒り、やるせない気持ち・・・。
わざと叱られるような口答えをする子、親や教師の激しい怒りを買いたい、とでもいうような態度の子は、自傷行為に近いような感覚で、自分を救おうとしているのではあるまいか。
だから、子どもの内部に潜む、怒りの感情に、大人の「怒り」で向き合っても、うまくいかない。傷口が広がるばかりであります。自傷行為によって、つかの間の「気分の放出」を感じさせるだけで終わります。さらに、これを繰り返すことしか、子どもの中には、対応策が見つからない。子どもも、本当は別の対応をしたいかもしれないが、今のところ、気分を落ち着かせ、解消するのに、自傷行為しか思いつかないので、本人も苦しんでいる。
しかし、大人のまずい対応が、その闇の内部に、子どもをどんどんと追い込んでしまう。大人はこのことを自覚しないで、態度を改めないのはその子の「道徳意識」が薄いせいだ、としか、考えない。
どうしたら、いいんだろうか。
こういう子には、母性が効きますね。何しても、受け入れます。
「きみは、本当はすてきな子だから・・・。先生、わかってるよ・・・」
これを、雨だれが石をうがつように、6年間、言い続けることですな。
自分や相手、人間関係の認知の仕方が、少しずつ、音を立てて、変わっていきます。
でも、ざんねんなことに、
ほとんどの教師が、激烈な大声で叱っております。
こういう子には、父性はまだ早い。
時期としては、まだまだ、たーーーーくさん、母性が必要な時期であります。
母性よりも早く、父性ばっかり登場するから、子どもはもう、へとへと、でありましょう。
わたしの感覚では、父性は中学校くらいから本格的になればいいのであって、小学校高学年ではまだ序章、低学年や中学年では、もう、母性満喫、でいいんじゃないか、と思うのです。