30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2013年06月

半分の声で話してごらん~調整力をつける~

声のたいへんに大きなAちゃん。

ようい、ドン、を言う場面では、大活躍をする。

わざわざAちゃんを指名して、やってもらった。

50m離れた場所にも、ようく聞こえる声で、

「ようい、ドン!」


おかげで、50m走のタイム取り、はかどりました。


ただ、気になるところもあります。

つまり、声がいつもいつも大きい、というのは、逆に言うと、調整がむずかしい、という面をもっている子なのではないか、ということ。

大きくしたり、小さくしたり、が自由自在、というのが、もっとも楽。

それが、そうではなくて、何らかの理由でもって、常に常に大きい、というのであれば、それはなにかあるな、とアンテナをはりたくなる。自由ではない、つまり、苦しんだり、困ったりしているかもしれない、のだ。

1年生なので、声の大きい子の、粗雑さがよく見える。

体育着に着替えるとき。

Aちゃんは、床の上に、びろーん、と全部、出してしまう。

上着も、ズボンも、赤白帽子も、すべて。

畳2畳分くらいのスペースに、自分のものを適当に並べた感じで、そこからようやく、着替え始める。

こういう所作を見ていくうちに、この子には、「適度感覚」や、「細かに注意深く動いていく」感覚なども、身につけさせてあげたい、と思うようになる。

どんな指導をするのか。

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苦手な担任の先生との距離を縮めるとっておきの方法!

おうちの方から、連絡帳にあれこれと書いてもらうのが好きだ。

なぜかというと、子どもの家での様子が、よく分かるから。

学校での様子は、一時的なもの。

学校にいるくらいの短い時間なら、「何でも我慢できちゃう子」だっている。

学校の先生の目をごまかすこともできる。

そんなの、かんたん!



でも、家では、その子の「地」が出ている。

だから、その「地」を知りたい。

そのための有力ツールが、「連絡帳に記載された、土日の姿、様子」であるわけです。


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NAT=「怒らない」 ・・・ではない。

NATは、Non-anger teacher ノンアンガーティーチャーの略であります。

ノンアンガーですから、「怒り」がない。

しかし、怒らない、ではない。


いったい、どうちがうの、と。



「怒りは不要かもしれないけれど、それでも、人間だもの、怒らないのは難しい。」

現時点では、こういう人が多いと思う。

すなわち、ノンアンガーを、「怒らない」、ということだととらえている。


そういえばずっと怒ってないなあ。
 ↑
NATは、こういうこと。

つまり・・・




怒らない、と努力したわけでもなく、反省努力をしたわけでもなく、

気が付いたら、半年以上、怒ってないなあ、という感じ。


別に、怒ってはいかん!と自分を追い込んだり、がんばっている感は、まったくない。

気が付いたら、というレベル。


ふと気づいてみたら、そういや、うん、怒り、なくなっちゃったのよね。

そんな感じ。


そういうのが、楽でいいなあ。

NATは、緘黙児に対してどうアプローチできるか

NATとは、怒りで脅迫しない先生、つまり、ノンアンガーティーチャー(Non Anger Teacher)のことであります。

ノンアンガーは、緘黙児にむかって、どうするか。

ふつうの先生と同じように、無理に圧迫してしゃべらせようとすることもないし、

通常の先生と同じく、そのことを負担に思ったり、欠点だと決めつけるような考えも、もちろんありません。

ただ一つ、なにが違うのかというと・・・



それは、やはり、

「目」

でしょうか。


目つき、というのがいいのか。


緘黙児は、担任の表情を、ものすごく凝視します。

言葉には、時に、うその含まれることがある、と分かっているのかもしれない。

この人間が、どんな内面をもった人なのか、ということを、突き通すような目つきで、見ます。

そして、徐々に徐々に、間合いを測ってくる。

長い時間をかけて、この担任が、傷つかない人間であることがわかると、ようやく安心してくる。
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NAT(ノンアンガー・ティーチャー)って、知ってる?

NAT(Non-anger teacher ⇒ノン:アンガー:ティーチャー)とは、
子どもを脅迫しない先生のことです。
たとえば、怒りをぶちまけ、大声で叱責する、などということがない。

すでに、全国にたくさんいらっしゃると思います。

こうした先生を育てる教育プログラムに、
「NATプログラム」がある。
目的は、「怒声や罵声はもちろんのこと、怒りから派生するすべての教育的行為の見直しをすすめ、大人と子どもがともに安心できる日常を取り戻す」こと。



Q&A



【質問】子どもは叱ってこそ言うことを聞くのであって、叱らない、ってのはまずいのでは・・・?

【回答】叱る、という言葉には解釈がいくつもあり、親や大人の願いを静かに諭すように言って聞かせる、ということを「叱る」と解釈する方もいらっしゃるようです。NATプログラムでは、「叱るのは間違い」だとか、「叱らないことが正しい」などというように、決めることはしません。



【質問】脅迫したくらいの方が、いうことを聞きませんか?

【回答】脅迫は副作用があります。よく効く薬は副作用があるかもしれない、ということに似ています。一見、一時的に効いたように見えても、しこりがのこるものです。その<しこり>が、思わぬ形で、また、予想もできないくらいに長期にわたって残っていたという残念な事例もあることから、副作用のない教育をめざし、「脅迫」という手段をとらないのです。(そもそも言うことを聞かせるために子どもを育てているわけでもないですしね)



【質問】しかし、思わずカッとなるような言動を、子どもが目の前でした場合は・・・?

【回答】それこそ、NATプログラムで考えたい事例です。ぐっと押さえつけて、怒りを出さずに我慢する、という方が多いかもしれません。しかし、本来の大人と子どもとの人間関係に立ち戻ることができれば、双方に「我慢」が不要になります。



【質問】あまりにも浮き世めいた話で、眉唾な気がします。カッとなり腹を立てることは人間の自然本来の心の動きですから、それを抑えるなんてのは、逆に不健康ではないでしょうか。

【回答】NATプログラムは、カッとなるからダメ人間だとか、カッとなることは人間の自然のことではない、という考えに基づいたものではありません。そもそもダメ人間はいないし、怒りは人間の感情に、ありますから。自分の胸に手をあてて、振り返ってみれば、「怒り」が自分にあることを知ることができます。少なくとも、わたしはそうです。ただし、それを抑えようと努力するのではなく、「怒り」のメカニズムを解明したり、自分の「ねがい」を感じとることを通じて、結果として、「腹の立たない」人間になることは可能です。



【質問】それでも、クラスに手に負えないやんちゃ坊主がいて、うちの子に暴力をふるうなどの場合は、先生が怒って厳しく指導していただかないと困るんですけど・・・?

【回答】怒って厳しく指導すると、その時間中は一応おとなしくしますが、一時的な様子見、という場合が多いです。長期的にみると、かえって逆効果、という場合もあります。なかには、「オレにケチをつけた」という印象だけを強く受け、恨みの感情を長く持ち続ける子もいます(副作用)。教師の怒声罵声がきっかけとなってクラスが学級崩壊に進むケースもあり、ここは「ばかやろう!」と怒鳴ったらいいじゃないか、というのは一番まずい手だと認識してください。もちろん陰湿ないじめであっても、暴力であっても、多くの先生が即刻、止めに入るでしょうが、必ずしも「怒り」が解決の手段になるとは考えない方がよさそうです。
先生が怒りの感情を丸出しにし、怒声罵声で子どもを傷つけることで、無理やりにも「反省」させよう、というのは、おそらくもくろみ通りにはなりません。目的は、本当に子どもの中に、「しまった、もうやるまい」という決意を生むことです。それには「怒声」が必要、という旧態依然とした意見も一部にまだ残っているようですが、声がらは静かでも毅然とした、誇りある指導、というものもあり、そうした指導がもっとも効果的なのです。
強い印象を残せばよい、というのが目的になってしまいがちですが、印象を残せばよい、ということでないのです。脅せばよい、ということを言う人もいますが、脅したから、かえって、その子に本当に伝えたかったことが伝えられていない、ということが多いです。肝心なのは、伝わる、ということです。怒声と勢いと迫力、というのは、余計な情報、過多な情報となるだけで、かえって真に伝えたいことの邪魔をし、「わけの分からなさ」を感じ取る子どもたちも多いのです。(とくに刺激に弱いタイプの子たちには・・・)




【質問】なぜ、NATプログラムははじまったのでしょうか。

【回答】「脅迫」は人間の文化から、なくなってもかまわない、と思うからです。



【質問】怒りをぶちまける、大声での叱責が、「脅迫」に当たるのでしょうか。

【回答】病的な気がします。健康な子を育む小学校教育にはふさわしくないと思います。体の大きな大人から、小さな子どもに向けてぶちまける怒りと叱責は、「脅迫」に当たると考えます。



【質問】NATプログラムでは、「怒り」にどのようにアプローチするのでしょうか。

【回答】「怒り」を見つめていくことで、「心」をみつめます。「心」にあるものを静かに見つめていくことで、自分の中にあったたしかな「願い」に気付くことができます。カンタンなことですが、一人で徹底することが難しいと思われますから、サポートさせていただきます。



【質問】子どもを大声で叱責すると、罪悪感におそわれます。

【回答】大人が子どもを叱責すると、その行為を正当化する理屈付けをし、身の潔白を周囲にアピールする方もいれば、おっしゃるように罪悪感に襲われる、という方もいます。多くの方が、叱責⇒反省⇒また叱責⇒また反省⇒それでも叱責⇒ひたすら反省、という回路を進まれていらっしゃいます。NATプログラムでは、怒って叱責する行為への「反省」を求めません。「怒り」を見極めることで、本当に子どもに伝えたかったことが感じ取れるようになり、自分の心の理解が進んでいくので、「反省」の必要がなくなります。



【質問】NATプログラム・インストラクターになるにはどうしたらよいでしょうか。

【回答】この夏に開催される、第一回目の会合にご参加ください。

「怒り」は、「反省」しても「我慢」しても消えず。

職員室で、

「仏(ほとけ)の新間(あらま)先生」

と言われています。

「怒ったところ、見たことないよね~」

と、今年度から赴任した、N先生が言うと、

それを聞いた養護教諭の先生が、

「そうそう。ほとけのARAMAだから」

と、にやり。

私から見たら、そんなことどうでもいい、というのと、怒らないっての、そんなに珍しいんかいな、と、ちら、と思うのだけどネ・・・。




学校で一番たいへんなクラス、と、ベテランあすなろ学級担任が言いました。
そんなクラスを受け持っていますが、どんどんと子どものよいところばかり見えてきて、楽しくて仕方がない。
子どもも、ますます、聞き分けの良い子になってきてる。

「ずいぶん、落ち着いてきたようで、嬉しいです」

と、授業参観後の保護者から、感謝のメッセージが届く。




たぶん、想像できないでしょう。

私からしたら、これがわたしの普通で、そのまんま、です。

なにも特別なことをしない。

努力もしない。




さて、これを聞くと、多くの先生が気を悪くされると思うから、言うのを遠慮してきましたが、私からしたら、

「学級がうまくいかなくなる」

のは、おそらく、この一点が問題なんだと思う。

これを言うと、あまりにも今の教育の逆をいくことになるので、批判と風当りが強いけど・・・。


それは、


大声での叱責!



これが、一番の、教師の問題行動だ!!

で、これを努力しても、心から反省しても、やめることができない。ふつうは。


カッとしてしまう。


条件反射みたいに。

なにか、予想以上のことが起きると、カッとしてしまう。

「カッとなってしまうといけないから、反省に反省をかさねて猛省し、怒りから脱却しよう」

と思っても、しょせん、ムダだよね。


そんな、反省する世界とちがうよネ!!


「怒りは良くないものだから、反省して出さないようにしよう」

なんて、噴飯もの、そんなくたびれること、無理じゃ。。。;



なかには、なにか読書で心をきれいにしているのかしらんけど、

「私の心の内側に、感情をコントロールしているところがある。そこをコントロールすることが大事だ。相手のせい、と考えるのはマチガイだ」

とか、

「すべては私の観方に因るのだ。観方を変えれば、怒ることはなくなるのだ」

なんて、分かった風に言う人がいるけど、

そんなの、頭で理解したかのような錯覚だけネ!!!

化けの皮、すぐ、はがれてしまうアルね!!

真逆で、ますます遠ざかってる!

富士山に登るのに、深海にもぐっているじゃんか!

逆だよ、逆!!



そこで、子育て中の親と、学校の教師のための、

「カッとならない(親と)先生になろうプロジェクト」


を開始。

募集要項を、作成中です。

7月下旬から8月上旬にかけて、長野県で開催!!

1泊2日で、まったりと、やりますよ~。(あくまでも予定)

中学校の先生で、つい部活中に怒鳴ってしまう先生にも、効果てきめん!(のはず)


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ご興味のある方、メールをください。案内を送ります。

「あの子は、叱ってもよい子」だって

廊下で激しく、叱責の声。

大音声で

「いい加減にしなさい!」

「あなたは何をしようとしているのですかっ!」






あとで、職員室で、下のような会話がありました。

「あの子は、叱ってもよい子だから・・・」


これを小耳にはさんで、どうにもそのフレーズが耳になじまず、変な感じが消えませんでした。




さて、叱ってもよい子、というのがあるのでしょうか。

もちろん、叱るのが子育ての当然の行為だと世間一般では考えていますから、

「子どもはすべからく、叱ってもよい」


ということが主流の考えでありましょう。



ところが、当ブログでは、「叱るのが当然」とは考えていない。
まったく叱らず、そのままを受け入れるだけで、子どもがますます素直に、聞き分けの良い子に育つ、ということを実証しつつありますから、

「叱ってもよい子」

という表現が、

???

と妙に聞こえて仕方がない。


図解すると、こんな感じか。

つまり、最初は叱らない、叱られなくともよい存在、であるのだが、悪事を溜めていくことにより、いつしかレッドカード状態になり、

「叱られてもよい子」

に昇格する。




えっと、にわかに理解しがたいですが、どんなことなんだろう??

頭を整理してみると・・・

叱ってもよい子認定レベル
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事件簿ファイルNo.8 「木の実を奪った事件」TくんAくん

Tくんが、Aくんの持っていた、ムラサキ色の木の実を、ぶんどりました。

ひったくった感じ、だそうです。

近くにたまたま居た、支援員の先生が、それを見ていたとのこと。
すぐに対応してくださっていました。


「なんで、とったの?」

「・・・」

「Aくんはとられてどんな気持ち?」

「いやだった」

「ほら、Tくん。いやだったって言ってるでしょう。何とも思わないの?」

・・・・・・

私が到着したときは、上記のような感じの対応でした。


Tくんが終始無言なのが、気になる。


私なら、どうするか、と考えた。

さて・・・・・・
ぶどう取り合いsc
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Tくんの石拾い

Tくんが校庭で石を拾う話。



はあ。(ため息)

好かんなあ。

・・・と思ってしまいます。

「全校で、石を拾いましょう!」だって。

職員会議で、校庭の石が問題になった。

秋の運動会に向けて、今から石を拾うんだって。

「夏の酷暑、猛暑、それを避けまして、すずしい今の時期に、石を拾うことにしましょう」


わたしは石を拾うのは厭わないんだけど、すぐに脳裏に浮かんだのが、Tくん。

彼が、この計画に「きちんと」関われるかどうか・・・。



「Tくん、石を投げないで、ちゃんとやれますかね」

となりの先生に思わずつぶやくと、

「・・・(笑)」


苦笑い。


そりゃ、保証できんぞな、ということ。

つまり、「投げるんじゃないの」

ということであります。

わたしは、それがSちゃんや、R太くんの頭に当たりやしないかと思うと、気が気でない。


Sちゃんのお母さんと、R太くんのお母さんの顔が思い浮かんで、思わず、アッと叫んで、顔を伏せてしまいたくなる。




Tくん、ああ、Tくん・・・。



さ、どうなったでしょうか。ハッピーエンドですから、安心してお読みください。

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「正しい会話ができる」 ~リンゴスターのYくんの話~

月曜日は、とくべつな日です。

月曜日の朝、子どもたちの様子をみると、その子の土日の過ごし方が、なんとなしに伝わってきます。

最初から、わたしに何かを言いたくて、にこにこしながら、近づいてくる子がいます。

また、そうでなくとも、満足げな子もいます。

なんとなく、眠そうにして、ボーッとしている子を見ると、昨日はいつ寝たのかな~と心配になる。


印象に残る子がいます。

友達とおしゃべりしている子でも、目が生き生きとして、たいへんに友達に丁寧に接している子です。

友達の話を聞いて、目をまるくして、

「○○くん、すごいね」

と話をしている子は、本人の満足度が高いのでしょう。

他の子の話を、聞いてあげられる余裕があるのです。

聞いてもらった子も、うれしかったようで、そこにあっという間に、イキイキとして、明るい楽しげな空間が生まれてきます。

そういう雰囲気をサッとつくってしまう子が、Yくんです。

Yくんは、なかなか利発そうな子で、いつも大きい目をくりくりさせている子です。髪の毛が、ビートルズのリンゴ・スターみたいで、ちょっとかっこいい。続きを読む

大きな石が どっすんこ(童話)

あるところに、黄色い小さな家がありました。
そこにひとりの若い男が住んでいました。
ある朝、男が起きてのびをしていると、
飼っている ねこも つられてのびをしました。

のびをしているねこをみながら、男が口笛を吹いて、
朝のお茶を飲んでいますと、
窓の外がなにやらぴかっと光りました。

どっすんころころ、どっすんこ!!

思わず腰がぬけそうになりました。
家の前をみると、大きないん石が落ちていました。
まだところどころが赤くなっていたり、黒くなっていたり、
こげくさいようで、しゅー、という音もしていました。


困ったぞ、あんなものが家の前に・・・


男は腕組みをしながら、ねこをみました。
ねこも、困ったような顔で、男をみました。

そのうちに、どこかへ行ってしまうのだといいがな。
どこかへころがっていくような様子はないかな?

男はまどのそとをこわごわのぞきました。


石はうごきません。


男はけいさつに電話をかけましたが、石をうごかすのはけいさつの仕事ではないと断られました。

次に、しょうぼうしょに電話をかけましたが、石をうごかすのはしょうぼうしょの仕事ではないと断られました。



男は腹を立てました。
そして、けいさつとしょうぼうしょの悪口を言いました。

でも、石はちっともうごかないようです。

つぎに、男は表に出ていって、石を何度か靴の裏で蹴りました。
何度か蹴っていると、だんだんにくらしくなってきました。



コンニャロ!
こら!
こんなところに落ちてくるな!




そうやって言いながら、男はたくさん汗をかきました。
石が熱かったので、靴の裏がこげました。

それでも、石はまだ動きません。


男は腹を立てて、ねこをみました。
ねこも、毛を逆立てて、男をみました。




男はつかれて、腰をおろしました。

靴が熱くなっていたので、はいていたくつを脱いでしまいました。
草の上に座って、石をみていると、男はだんだんと
かなしくなってきました。
それにしたって、すこしは動いてくれてもいいでしょうにね。

男は、だまって、いく粒かの涙をこぼしました。
ねこも、目をふせて、しっぽをゆらせてすわりこみました。

男は、石に目をやって、

「おれは、こんなに悲しんでるんだぞ」

とポツリと言いました。
はなをすすりながら、そう言ったのです。


それでも、石は動かないまま、じっとしていました。

男はてこの原理で石を動かせないかなと、長い棒でも
やってみましたが、やはりだめでした。石はびくとも
動かないのでした。

そのうちに、男はだんだんくたびれてきました。
家の前にあるいん石を眺めているうちに、
こう思うようになりました。


「家の真ん前にあるからといって、邪魔だということもあるまい。
この大きな石をよけて、道をつくればいいのだ」



そう考えると、すこし男の顔に、笑みがもどってきました。
ねこも、しっぽをふって、満足そうにミョオウ、となきました。

これはごきげんなときの声なのです。


しばらくしてから、
ふと思いついて、いん石に水をかけてみました。
熱を冷ますためです。
いん石は、ジューと白い湯気をたくさん出しました。

湯気がたくさん出てくるので、
まだまだいん石は熱いのだな、とわかりました。

それから、何杯も何杯も、バケツで水をやりました。
湯気があたりをつつみました。

すると、その様子をみていた通り掛かりの人が、
これはいん石ですか?と声をかけてきました。

そのとおりです、と男が答えると、
めずらしいな、博物館には届けないのですか?と聞かれました。


「私が博物館へ送ることもできますよ。だって私は、博物館につとめているんですからね。」



もうこのときこそは、男は冷静になっていました。
すばやくお願いをすると、手際よくトラックがやってきて、いん石は運ばれていきました。

いん石が見えなくなってしまうと、
ねこはしっぽを曲げて、鳴きました。

男は、ねこを抱き上げると、肩車をして家に入りました。
そして、ひとりごとを言いました。

「いやあ、おまえ、けっこう重くなったなあ!」

ねこは、それを聞いて、



みゃおみゃお



と言いました。

ねこ2

「ないしょ話禁止法案」はクラス内に悲劇を生む!

1年生だから、なにをやっても楽しいですが、

最近は、

「ひそひそ話」

が楽しいです。


「ひそひそ話で教えて!」

といって、黒板の前に出てこさせ、

かがんだ私の耳をみせると、

みんな、得意がって、わたしの耳に口を近づけて、

「あのね、ごにょごにょごにょ・・・」




のこった子は、ほぼ全員、黙ります。

これが面白くて。

どうして、人間は、こういう発表の仕方をしている人をみると、

黙って、しげしげと、見るのだろう。

みんな黙って、見ているのです。

前に出ていった子が、言い終わって満足し、

私から離れて、自分の席にもどるまで、見届けるのです。



おそらく、人間の心理というのは、かなり単純なのでしょう。

隠すと、「見せて!」というのです。

そして、

「ほら、見てみて!これ、すごいんだから!」

と言うと、

「怪しいな」


と用心されてしまうのです。


これは、人間の心理の、おもしろい法則のように思います。




ところで、こういった場合に、気を付けなければならないのは・・・続きを読む

「怒るのと、叱るのと、しっかり区別をしてください」

「怒るのと、叱るのと、しっかり区別をしてください」

こういうのを、教員の研修でも聞く。

なんとなれば、近年、教員の虐待なんてのが話題になるくらいで、

教員の研修時においても、

「いらいらしたり、カッとなって、体罰に結びつくような言動は、厳に慎んでくださいよ」

ということを、指導せずにおれない社会情勢があるからであります。

そこで、

「叱る」

のはいいけれど、

「怒る」

のはいけない。

という論理でもって、指導に当たるわけです。


微妙な話になってきますが、

おそらく、教職員の指導に当たって、こんなふうな共通認識が要るのでしょう。


○叱る ⇒ 冷静な判断で注意を促すこと。だから、体罰に結びつきにくい

○怒る ⇒ 感情にまかせての行為。だから、体罰に結びつきやすい。




教員の側から子どもへの体罰を基軸にして、叱ると怒るを、区別したわけです。

ところが続きを読む

トイレの前で嘆く父親のトラウマとは(目撃談)

次男を連れて、スーパーに行きました。
小さな子が懸命に歩いているので、ちょうど入り口ですれちがったおばちゃんが、ドアをあけて待っていてくれた。
よちよち歩きの次男君を見て、おばちゃんの顔がとろけそうになります。

次男くんは、おばちゃんの顔を不思議そうに見上げてから、また地面をみて、がんばって歩き始める。



ところで、その後、スーパーのトイレで用を足そうと思って。

大型スーパーの店舗の入り口付近にある、わりと清潔で大きめのトイレ。


ふと見ると、扉のところに、大きな体をした男性がうずくまっているのです。

わたしゃ、その姿を見た瞬間、完全に、

「おっ!泥酔者だっ」

と思いました。

だって、日曜日の昼間ですよ。

まるで崩れ落ちるように、壁にお尻と背中をつけてうずくまり、腕を空中に投げ出すようにして、今にも、何かを吐かんとしているかのような、苦しそうな表情。なにしろ、たいへんな様相を呈しているわけですから。

ちらっと、

「あ、救急車か警察を呼んだ方がいいのかな」

と思っちゃいました。

ともかく、次男の手を引きながら、わたしはあわてて、用を足すために、男性トイレに入った。



そして、用を足していると、突然!!

その男性が、男性トイレの扉越しに、まるで地の底から響いてくるような大声で、こう言ったのです。

「そんなに、叱らんでもいいやろがっ!!」


わたし、思わず、びっくりして、とびあがりそうになりました。(笑)

自分の書いているブログのタイトルが、日常の生活空間から、聞こえてくるなんて!!

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褒めも叱りもせず、何をするかと言うと・・・

子どもを褒めも叱りもしない、というので、

世間的には

「なにもしていないのね」

という感じ。

じゃ、そういう先生は、いったい何をしているのか。続きを読む

先生が出張だって!(居ない日に態度の変わる子)

研修その他で、出張する日もあります。

教員の研修は昔と比べて、比較にならないくらいに多くなりました。

教員が研修を受けている、と聞くと、多くの人は

「そりゃ、いいこったね」

と思うでしょう。

教員の不祥事がマスコミをにぎわせている昨今、

「ちっとは、先生たちにも、勉強してもらわんと」


という世論が、後押ししているのでしょう。研修機会がぐん、と増えました。




ところが、わたしが出張すると・・・・・・

「新間先生、出張多くない?」

「やめてもらいたいよね、なんで1年生の先生が出張ばかりなの。子どもをほっとかないでほしい」

という声も、ちらほら。

そうですよねえ、出張で補てんの先生が入る、という状況が、常にあればいいですが、現場は慢性的な人手不足。別の職員が補てんに入ることのできる大きな学校(職員数がもとより多い学校とか、都心部で非常勤の先生をたくさん抱えている少数の学校など)もありますが、日本全国を俯瞰してみれば、そうした恵まれた学校はごくごく一部。実際は、補てんに入ることのできない学校が、ふつうです。

私が出張すると、代わりに入った非常勤の先生が「ねんどあそび」をさせている、という程度のことになる場合もある。

したがって、保護者の間では、

「先生の研修も結構だけど、ともかくもうちの子だけは、しっかりとみてほしい」


と思うのも無理はない。

「先生、勉強熱心なのは分かるけど、出張は最低限にしてくださいよ」

ということを、目の前で直(じか)におっしゃる方も、いらっしゃいます。



さ、わたしが教室にいないので、非常勤の先生が、代わりにクラスに来てくださいます。

そのとき、子どもの様子はどうでしょうか。

そこに、なにが見えてくるかと言うと・・・。続きを読む
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