2013年02月
今年の思い出、その1。
秋、10月1日に、映画「はやぶさ」が公開されました。
JAXAに関わって勤務していた自分には、とても縁の深いお話。
そこで、「はやぶさ」のポスターがほしい、と思って、映画会社にむしのよいお願いをしてみました。
その時の記録です。今年の9月中旬でしょうか。
はじめまして。
わたしはJAXAに富士通のエンジニアとして常駐勤務した経験があります。はやぶさの打ち上げの年にも勤務していたことから、教室で宇宙の話や「はやぶさ」の話をしています。とても盛り上がります。
今は、担任している小学校2年生の子どもたち(打ち上げの年に生まれた子供たちです)と、運動会で披露する「はやぶさ」のダンスを練習したり、「はやぶさ」の勉強をしたりしています。
子どもが家で両親にはやぶさのことを尋ね、保護者の間でもはやぶさに関心が高まっています。
9月の下旬には運動会ではやぶさのダンスをします。またその直後にはやぶさの映画が封切られるということで、とても楽しみにしております。そこで、映画会社の方に、ぜひお願いがあるのです。
はやぶさのことをさらに学校でも話題にしたく、教室や廊下にはやぶさの映画の展示をしたいのです。
わたしが転職して教師になる前にどのようにJAXAに関わっていたかも子供たちの関心になっているようで、大きな写真のある、はやぶさの映画のポスターがあればぜひ学校にかざらしていただけないかと思っています。
そのようなお願いなのですが、ポスターを数枚、ゆずっていただくというのが可能かどうかを教えていただけないでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。
20世紀FOXに直接交渉してみるが、はたしてどうだろうか、とハラハラしていた。
「はやぶさ」のダンスを踊るのだ。
教室や学校に、映画のポスター、貼りたいなあ。JAXAが協力している、というので、JAXAって大きな文字で書いてあるしね・・・。
なによりも、子どもたちが、
「自分たちが踊ろうとしている<はやぶさ>」
のこと(世間的な意味合い)を、肌で感じるのではないだろうか。
映画(のポスター)にもなっているのだから。
そう思って、依頼したのだ。
このくらい、担任ががんばってもいいでしょう、という気持ちで。
さて、そしたらどうだったでしょう。(つづく)
でも、自分で見た実感を書いておこう。
結論からいえば、子どもも見て良し、でありました。
うちの子、1年生ですが、耐えられました。
2年生も、耐えられるでしょう。
3年生なら、なんとはなしに、大人の世界のドラマチックな部分をそれとなく感じることができるのではないでしょうか。
高学年なら、意味がわかると思います。人が、あきらめない境地に立とうとしている、そのことの意味が、感じられると思います。
行ってまいりました!!
東映の映画館へ!
さあ、どうだったでしょうか。東映、渡辺謙さんの「はやぶさ」は!
20世紀FOXの「はやぶさ/HAYABUSA」は、コピー。
完全コピーとコミカル演技。
的川先生役の西田敏行さんがその象徴で、なんだか、夏休み家族向けムービー、という感じでした。
その内情は、相模原でのロケがたくさんあり、わたしも半分だまされたように、本物そっくり。
管制室のSUNのマシンや、「飛行安泰」の神社札のシール、ソラリスのキーボードの紫色カバー、その他、多くの画(え)が、とてもよくできていた。
宇宙研(ISAS)のメールマガジンにも、「20世紀FOX社のは、オタク心を刺激する仕上がり」と山本さんが書いていらっしゃいます。
さて、東映の方はどうだったでしょうか。
渡辺謙さんが、東日本大震災を気持ちの上で抱え込んでのロケだった、というのが分かりました。
なんだか、とても、見ていて、苦しくなる。
でも、それは進めなくてはいけない歩みである。
一歩一歩が、託された、思いの込められた歩みである。
そして、自分たちには、それをやれる、という自信がある。
まあ、本当に男っぽいというか、クサイというか、そんな世界でした。
でも、実際の職場って、どこもそうですよね。フル回転の心地よさ、いさぎよさ、疲れるけど、気持ちは晴れている。
そんな、日本人の勤務する姿、働く風景が、画面の中にこめられていました。
今回は、完全コピーでもないので、前回のようなつっこみは、しないで見ることができました。
前に一度、20世紀FOXを見ているからか、また別の作品として、ふつうの映画として見ていることができました。
(前回は、川口先生が最後、B棟3Fの廊下を出て左にまがったところで、涙がひっこんだ。おい、そっちはトイレだろ!)
今回のセットの方が、なんだかキレイすぎたかな。
おそらく世の中の多くの人の期待やイメージが、
「はやぶさの管制室はこんなふうにキレイにちがいない」
と思っているからだろう。
実際は、・・・それほどでもないぞなもし。
ブロックのようになった絨毯が、あちらこちら、めくれていたのを覚えています。
また、管制室と廊下、建物内描写の異なっている部分があり、先生とNEC社員が言い争った後にNECさんが出て行く場面は、いったいどこの場所なのか?と疑問。
どう見てもC棟。
管制室はB棟の3Fだから、なぜ管制室からかばんをもって出て行くとC棟の1階に出るのか、ちょっと混乱しました。
また、管制室の入口と廊下につづくレイアウトが実際と異なります。これは、最後に川口先生が
「できれば彼(はやぶさ)に、地球を見せてあげたい」
とつぶやくシーン。ここを、背景の管制室とかぶさるように画をとりたくて、レイアウトの変更をしたにちがいありません。
宇宙研がバッと画面に出てきたときや、例の生協の食堂が映しだされると、
いやー、なつかし~!!
おばちゃーん、いつもおかずの盛り、多くしてくれて、ありがとー!!
と叫びたくなります。
今回、おばちゃんは画に映りませんでした。残念。
(20世紀FOXではぼやけたけど、出ていたのに)
あと、宇宙研(うちゅうけん)の発音は、最後が、下がります。
うちゅう→けん↓
と発音してください。
盲導犬(もうどう→けん→)、に似た発音となると、本場風でなくなります。何人かの役者がそう言ってました。
なんと特大ポスターが学校に届いた。
映画「はやぶさ」の20世紀FOX社からである。
朝、事務の先生が
「あ、先生! 先生宛てに、なんだかとても細長い箱が届きましたけど」
と言ってくれていたので、さっそく荷物受けの場所を見に行くと、きちんとした箱に、ポスターが入っていました。
見たとたん、うれしくなって、さっそく教室へ運んで行きました。
「みんな!はやぶさのポスターが来たぞ!」
集まってきた子どもたちを座らせて、箱を開けてみると・・・
すばらしく大きなポスターが出現!
それも、なぜか両面に印刷されている。
裏側から見ると、字が反対に映っている。
ガラスに掲示することを考えて、こういうふうにしたんだろうか。
ともかくも、とても大きくて目立つポスターが届いてしまった。
さっそく廊下に掲示した。
なんでかしらないが、こんなにでかいポスターがあるので、他の学年の子供たちもみんな驚いている。
それにしても、元宇宙研システムエンジニア、という背景に興味を持ってもらえたのか、映画会社の方がこんなふうにサービスをしてくださるとは思っても見なかった。
おまけに、映画プロデューサーの井上潔氏からの手紙がついている・・・。
なんとも、たのしいことになってきた。
これが、秋のこと。
さて、2月には、東映の映画、「はやぶさ 遥かなる帰還」が公開される。
はやぶさを主題にした映画は、これで2本目。
子どもたちも、楽しみにしている。
「先生、またはやぶさの映画がやるって、お母さんが言ってたよ」
保護者の方も、情報をつかんでいる。
東映にもお願いをしてみようかな・・・。
封切り直後とあって、なかなかの人出。
雰囲気を味わいながら、ひさしぶりの映画館です。
さて、感想。
「よくつくられている」・・・。
はやぶさのほとんどの有名なエピソードが、うまく盛り込まれています。映画の2時間ちょっとで、どれだけ詰め込めるのかねぇ、と心配していたが、さすがは井上潔さん(脚本)。
(井上先生、わざわざお手紙を下さり、ありがとうございます。
教室で読み、さらに学級通信で子どもたちにも、親御さんたちにも、みんなに文面を紹介させていただきました。サイン入りのお手紙は廊下に掲示させていただいたので、給食を取りに来る子どもたち、みんな見ています)
とりわけ、中和神社の神主さんが、桂ざこば師匠だったのは、最高でした。それにしても、なかなかの名演技でした。ざこば師匠。
舞台となる相模原キャンパスの映像が出てくると、なつかしい、という感情がブウァー!と出てきました。
いやあ、本当に、あの大画面で見てみると、ひさしぶりに相模原にもどった感じがする。
おまけに、あの、食堂、玄関、エントランス、図書館、B棟、A棟・・・。
雰囲気、空気、張り詰めた仕事場の緊張感も・・・。
なつかしーーーーっ!!
こみあげてくるものがあったなあーっ!
あーーーーーーー!!
と、ひとりで映画館で叫びたい衝動も。
いちばん衝動が強まったのが、生協の食堂のシーンですね。
お世話になったあのおばちゃんが出てくるかと思ったけど、さすがにカメラの焦点に合わず、主人公の背景にほんの少し映ってただけで、ぼやけてました。残念。
富士通社員には、特別に大盛りにしてくださっていた、あの方!あのおばさま!なつかしや・・・。
だって、あの時代、苦労したんですもの。
小学校教員資格認定試験に向けて勉強しながら、cisco(CCNA)とかベンダーの資格をとるための勉強やら、会社の上司と約束した初級シスアドとか、本当に苦労してたんですよね・・・。
(ちなみに両方合格しました・・・。今何も役に立ちませんが)
だから、主人公の水沢さんが、ノート片手に必死に勉強している姿と、じゃっかん、あの時代の自分がかさなるものがありました。
夜中、間に合わない通信大学の拙いレポートを書いて、朝郵便ポストに投函するときなど、竹内結子さん演ずる水沢さんのように、パンパン、と柏手を打つ気分でした・・・。
もちろん、宇宙研のネットワークの仕組み自体も勉強しなければなりませんでした。内之浦→相模原→三陸→臼田間の次期導入のVPNの詳細だとか・・・。
必死でしたねえ・・・。
研究者の方たちの勉強量とは比較になりませんでしたが、システムエンジニアとして、自分なりにがんばっていた時代を思い出すと、そういう郷愁でもって涙腺が。
ストーリーとは別のところで、やけにいろいろなことを思ってしまって、なかなか純粋には見られませんでしたが、こんなふうに見る映画もなかなかあるもんじゃない。
他にも・・・
あっ、あっ、内之浦!
なっつかしー。
漁協との交渉、的川先生、こんなふうだったんだ・・・
苦労されてたんだなあ・・・
もしかしたら、的川(的場)先生役の西田敏行さんが講演しているホールって、あじさいホール?(相模原の方なら、お分かりの方もいらっしゃるでしょう)
さて、実際はどれだけセットを使い、どれだけが本当の宇宙研をつかったロケだったんでしょう。
B棟3Fの管制室なんて、そっくりでしたが・・・。
あと、管制室前の廊下をはさんだ部屋も。
管制室の前のガラス面のところに、リポビタンDがたくさん置いてあるのも、なんだか本当っぽい。
SE時代によく見た、ソラリスのマシン、共通QLのPCに貼りつけてある「飛行安泰」のお札も、あれはたぶん本物じゃないか、と思うくらいそっくりでした。(本当はどうなんでしょう)
え、ちがうんじゃないの、と思ったのは、最後の最後。
もちろん見ていた私も感極まって、涙腺がゆるみかけていたのですが、ひっこんでしまいました。
最後、はやぶさが大気圏突入し、燃え尽きる頃。
それまでB棟3Fの管制室にいた、プロマネの川渕先生(川口先生役)の佐野史郎さんが、室内にいた人たちをかきわけて、廊下に出ます。そして、A棟のご自分の研究室にもどられるところ。ひとりでAPPLEのノートパソコンで、はやぶさの映像を見ながら、涙をこらえておられます。
それはいいのですが、その直前。
B棟3Fの廊下、ICカードを通して、セキュリティのガラス扉を通られて、すぐに左へ歩いて行かれます・・・
(そっちは、トイレでっせ・・・)
セキュリティのガラス扉を出たら、右に行かないと、階段を下りることができません。
そういうどうでもいいことが、気になってしまう!!
これだから、事実を追った、半ノンフィクション半フィクションの映画は、むずかしいねえ。
この段階で、ああ、これは全部セットなんだな、とわかりました。
それにしても、管制室にしろ、CGにしろ、本当によくできていました・・・。
さて、明日さっそく。
学級の子どもたちに、映画の報告をしよう。
たのしみだな~。
あの映画に、実際の宇宙研の先生たちで、画面に出られた先生はどのくらい、いらっしゃるのでしょう。
見知った顔を一生懸命にさがしたのですが、なかなか出てこない。
おそらく、本当に、ほとんどが役者さんなのでしょう。
ただ、最後の帰還するとき、管制室のガラス窓越しに、本物の橋本先生が見えました。これは本物だあ。
他は、矢野先生とか、國中先生とか、西山先生とか、映ったのかなあ。先生役の役者さんはもちろんいたけど、本物の先生たちは・・・。
ちっともわかりませんでした。映らなかったのかも。
NECのオペレータの方も、臼田の方も、内之浦の打ち上げ時の周囲の作業員の方たちも、みんな役者さんだった。
橋本先生以外は、画面に映った方、すべて役者さんだったと思います。
(子どもや主婦など、相模原・鹿児島の市民エキストラ以外は・・・)
・・・本当のところはどうなんでしょう(#^.^#)?
それが私にとっても大きなイベント。
教師になる前、ほんの少し、関わっていた。
内之浦でのM-5の打ち上げも、成功の瞬間を相模原のキャンパスで喜んだ。
打ち上げ前に、一業者の一人として、プロジェクトのネットワーク機器設定に関わった。
発射台の近くの、蜂の巣のようなふしぎな形の指令棟。
懐かしい思いと共に、滑稽な記憶もよみがえる。
司令棟の地下にもぐって機器の設定をしていたら、知らぬ間に閉じ込められてしまって狭い通路を青くなってウロウロしたことを覚えている。
間近に見た、組み立て前のロケットは、本当に大きかった。
これがとぶのだ、と思うと、ヘルメット姿のたくさんの関係者の人たちといっしょに、胸が高鳴ったのを思い出す。
はやぶさ。
絶対に、もどってきてほしい。
人生には、何度か本当にわくわくすることがある。
今回も、そのうちの、一つだ。
自分はほんのささいな面でしか関わらなかったけれど、それでも実際に間近で見て、現場の雰囲気を多少なりとも知る人間として、湧きあがってくる思いがある。
キャンパスのみなさんも、院生の方たちも、研究者の方たちも、富士通の人もNECの人も、みんな、はやぶさの帰還を、心から祈っているのだと思う。
成功を祈っています。
そして、ぜひとも、イトカワの実物が、入っていますように・・・!!
なつかしい先生方の顔。
そして、新しく設置された MUSES-C ロケットの模型。
管制室やB棟が画面に映るたびに、「ああ!」と大声を出すので、嫁が文句を言う。
はやぶさからの信号が途絶えたときのくだりになると、思わず涙腺が・・・
イラストを担当された 池下章裕氏 が、
「なんだか現場のスタッフの皆さんは、なんとかなる、という感じのことを言っていたので、なんとかなるだろうと思っていたところはありました」
と語っているが、現場にいたF社の関連社員たちも、そんな雰囲気だった。
「のぞみ、望み薄」 という記事が掲載されたときはなんとなくISAS自体が暗くなっていた気もするが、今回のはやぶさでは、たとえ衛星からの信号がキャッチできない時でも希望はあったようだ。
しかし、こんなふうに人生の中で多少なりとも関わった経験のあるプロジェクトが、DVDになって、なつかしい場面がたくさん放映されているのを見ると、「感傷」というのか、なんだかとてもせつないような気分が心に充ちてくる。
はやぶさが最期、空中に燃え尽きていく場面では、思わずこみあげてくるものがあった。
お部屋にもうかがったことのある川口先生のお顔が、涙でくもってしまいました。
こんな話を教室ですると、素直に
「はやぶさ、すごかったんだね」
と反応してくれる子がいる。
小学校の学習指導要領には、宇宙の授業についてはほとんど触れられていないけれど、実はもっとやった方がいい授業だと思う。
小学校で、宇宙のことに興味を持たなければ、その先もないよ。
理科の教科書にも、「はやぶさ」のことで、ページを割いてほしい。
何度も、こういう話がしたい。
自分が小学生のころ。
なにかの拍子に、ガキ大将が音頭をとって、みんなで「ドッジ」コールをすることがあった。
体罰問題の話題でもちきりだ。
各自治体でも、「体罰」の実態を調査する、アンケートを緊急に配布したところがあるようだ。
家庭や子どもたちにそのアンケートを書かせ、学校へ提出させたという。
どんなアンケート調査だったのだろう。
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ふつうは、正常に発育して、当り前。
ふつうは、ひととひととが、協力して暮らしているのが当たり前。
ふつうは、えらい人と下々の者、と分かれていないのが当たり前。
ふつうは、素直に、そのままの気持ちで、暮らせるのが当たり前。
ふつうは、人をこわがらない。
用心したり汲々として遠慮したり、どう思われるかとびくびくしたりしないで、過ごせるのが当たり前。
そんな、ふつうの学級にしたい。
ところが、どっこい。
それが、なぜ~か、
むずかしーい!!
(ということに、なっている)。
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事件勃発!
机の中から、
「しね」
と書いた紙が。
出てきた紙を見た女の子。
泣き出してしまう。
そりゃそうだ、自分がそう言われている、と思うもの。
図書室に行く時間になっていた。
でも、その紙が出てきた。
見せてもらうと、よく見知ったS子の字だった。
S子だな、と思ったものの、証拠はない。
まず、S子にアプローチする前に、泣いている子のフォローをする。
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子どもを叱れば叱るほど、叱ることが増えていく。
これが、わたしが最初にぶちあたった、逆説のひとつめです。
あれ? じゃあ、なんで・・・、ワタシ、叱ってるんだ??
そこから始まり、じゃあ、叱声のないクラスって、実現するのかな、と・・・。
で・・・、
新学期だ、いっちょ、やってみようか。
一日目、いけた。
二日目、おお、まだいける。
三日目。いけました。
あれあれ、一週間、叱声なしでいけた。
面白くなって、一か月、気が付くとそれが当たり前になって、「叱らないで子どもに伝える、通じ合うクラス」が2年間つづきました。
今の私のむねの中では、これは打ち消しようのない確信になっています。
逆また真実なり。
逆こそ真実なり。
その伝で、いろいろと教育における逆説を考えてみると、根本的なことが思い浮かび始めました。
○独りで立つように、と願って、支えてやる
(独りで立つように、と願って、突き放すのではない)
○自分で生み出すように、と願って、与えてやる
(自分で生み出すように、と願って、突き放すのではない)
これが教育の真髄だと思いますが、なんだか、字面だけみていると、なんとはなしに、逆説っぽい。
で、ふと、思った。
やっぱり、教育っていうのは、もともと、逆説っぽいもの、なのではないか。
そうなると、なんだか、妙に納得できるのです。
○威圧すればするほど、威圧に慣れてきてしまうので、威圧を繰り返す必要が出てくる。
(威圧するということを聞く。しかし威圧すると、言うことを聞かなくなる)
○おだてればおだてるほど、その手にはのるか、と思うようになるので、さらに巧妙におだてなければならない。
(おだてると、言うことを聞く。しかしおだてると、言うことを聞かなくなる)
○操作すればするほど、心が硬くなるので、操作しづらくなる。
(操作すると言うことを聞く。しかし、操作すると、言うことを聞かなくなる)
○非難すればするほど、開き直るので、なびかなくなる。
○体罰すればするほど、体罰がなければ動けない子が育つ。
○立腹すればするほど、「立腹姿」を滑稽だと感じさせるようになる。
○命令すればするほど、子どもから、「もう十分に言うことをきいてあげたから、はい、あなたからの注文はこれで終わりね」と言われてしまう、いわゆる「命令の有効期限」が迫ってくる。
○大人が子どもに対して遠慮することで、子どもがのびのびと育つかと思いきや、こちらの願いが届きにくくなって、逆に子どもが安心できなくなり、のびのびした積極さがなくなる。
○刷り込めば、プログラミングした通りに考えて動いてくれるかと思いきや、思考が硬くなり、前のタグの修正を受け付けないし、消去できずに古いプログラムが残ることが多く、意図したプログラム通りに動かなくなる。
○叱れば叱るほど、叱る必要が増える。
叱らないで願いを伝えていると、願いを聞こうとする子が育つ。
これ、今朝、気が付いたことなんですが、
なにか、生まれたばかりの赤ん坊が寝てる部屋に、
そっと、足を踏み入れて、
様子を見てみよう、っていうときみたい。
朝、教室に入るときの心境って、
こんな感じだなあーって、自分で、ふと思ったのです。
続きを読む
この2年間、いろいろと考えながらやってきたことを、まとめたいと思うようになった。
これまでもズバリと書いてみたかったが、遠慮してきた。
その理由は、わたしの「考え」は、まるで常識と異なっているし、多くのベテランの先生たちにも理解してもらえないだろう、ということ。
それから、100冊以上の教育書を購入して読んでみても、ズバリと書いてある本がなかったこと。ところどころ、共感できるところはあっても、回りくどいものや、テクニック・トレーニング法に偏ったもの、不親切なものばかりで、こうなったら自分で書くしかない、と思うようになったことが大きい。(誤解のないように追記しますが、世の中の教育書はすべて私の実践なんかよりもすごい高いレベルのすばらしい実践をたくさん紹介されていますし、すべて非の打ちどころのないものばかりです。ただ、私と「同じ考え」のものは無いというだけで)
本ブログでは書いてこなかったのかというと、そんなこともないのですが、かなりオブラートに包んだようにして書いてきたので、誤解をたくさんうんでいると思うのです。
書いてきたのは、日々のうちに実験しながら、これは何だと迷いながら、試行錯誤しつつ、取り組んできたこと。だから、ブログにも毎日のようにつづってきているものの、今となってはこれまでの表現やニュアンスに、未熟なものがあると思うようになった。もっとふさわしい表現や言葉があると思う。
今は、過去のブログにもとらわれず、書けるだけのことを書いておきたい、と思うようになった。
今後のスケジュール。
1)こうして本ブログで公開した後、賛同者を募る。
2)その中で、共同研究者、というような人が出てくることを期待する。
3)定期的に、自主的な勉強会を開く。
4)勉強会を通しての成果を出版する。
以下、しらべたいこと。
うちのクラスがなぜ、こうなったのか。
○「逆説」的教育
○「通じ合う」教育⇒さらにいいネーミングを考えたい
○叱る要なし
○きちんと聞ける、きちんと伝えられる
○「通じ合う」教育の新しい評価基準とは
○ユニバーサルデザインの心
○頑張らない子育て
○「仲良く」しない学級の仲良し
○「人権!」を叫ばない学級の心地よさ
○子どもとの信頼関係が決して崩れない理由
○もめごとがあればあるほど心地よい
○「人が好き」と言える子が育つ
○大人との「心理的な取り引き」を必要としない子が育つ
○子ども同士でガンガン交渉する子
○大人の意見をよろこんできく子が育つ
○日記になんでも書きたくなる
○日記が長文になり、コメントを心待ちにする
○儀礼やルールがなくても気働きのできる子
○「○○やって」というと「はい」とやる子
○嫉妬しない子
○よくしゃべるがピタリとやむ学級
○叱声を2年間必要としないクラス
○あまりほめないでも済むクラス
○「ほめられる」があまり必要のないクラス
○よく質問するクラス
○できない、わからない、が大事なクラス
○同じ学校のよく怒る先生には、心憎い気配りさえできるクラス
○反発のないクラス
○「反発」がみんなの願いへと昇華し叶うクラス
○一見、わがままなクラス
○言いたい放題のクラス
○担任の声が静かでも聞ける
○いじめの苦しさに向き合い続けるクラス
○よく泣くクラス
○ずっと泣いていてよいクラス
○給食の間も泣くことを尊重されるクラス
○問題行動があればあるほど幸せになるクラス
○通じ合うから「叱られた」と思わない子ばかり
○ないしょばなしのないクラス
○友達への悪口と年間通じて向き合う
○3年生で「嫉妬」を哲学する
○掃除が無言になってしまう(結果として)
○先生の話を聞きたがる
○先生の話を家庭でたくさんする
○家庭の話を先生にたくさんする
・・・
これがうちのクラスの「評価」です。
子どもが自分で書いたもの、私の実感、そして保護者からの声をまとめてみました。
すでに2月になっていますが、保護者から、
「来年も先生に担任していただくにはどうしたらいいのですか。校長先生に言えばよいですよね」
と言われています。
子どもも、年賀状に「来年もぜったいお願いします」と書きます。
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おそらく「体罰の会」にわが子を託したい、とねがう親は、子育てに絶望した方ではないか、と思う。
世の親が、一人でもその、「子育てへの絶望」を持ってしまう前に、地域コミュニティがやらなければならないことが無数にある。
「子育てへの絶望」を、その方の心に持たせてしまったのは、まったくもって地域コミュニティの責任であるし、その人をそうした親に育ててしまった、これまでの「教育」の責任でもある。「体罰の会」に託したい、という「親」に育ててしまった、これまでの「教育システム」全般が、猛烈な反省をしなければならない。
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