こんなブログを長いこと、やっておりますので、世間の方からいろいろなメールをいただくこともございます。(アドレスはプロフィール参照)
ちょっと懐かしんでみますと、2006年1月15日がスタート。
途中、書いていない時期もあったものの、これで7年ほど経つことになる。
この間に採用試験に合格。自治体としては2つめの採用試験にも合格し、現在に至るわけ。(ふりかえるとなんだかもう7年も経つのか・・・と夢中で過ぎてきてしまったことが惜しまれる。)
さて。
教員になったばかりの方が、最近はメールをくれる。
なんだかんだと、相談のようです。
まるでYAHOO!の知恵袋みたい。
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2012年12月
下記の記事は、かなり、極論です。
偏っています。
心してお読みくださいね。
今、どの学校も、「職員室が弱い」。
職員室が兼ね備えているはずの、能力や自信やきめ細やかさが、どんどんと失われていっている。
子どもに向き合う時間がないことを、どの先生も心の中では実感している。
そして、実は、
子どものことに、本当の本当は、自信がない。
(そんな中でも、持ち前の明るさや慧眼でもって心から子どもを思って行動していらっしゃる先生たちもたくさん、たくさんいらっしゃいますが!)
どんなベテランの先生も、学級崩壊を恐れている。
発達障害の児童の理解に、自信を失っている。
正解が見つからないまま、○○流、○○法、○○プログラム、というマニュアルやプログラムを信じて頼っている。
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学期末の大掃除。
「3年生、みんなでそうじ、がんばるぞ!」
下準備は整っております。
・4月から、そうじの学習を何度かしてきた。
・学年集会のたびに、そうじのことを取り上げて、ほめてきた。
・また、そうじの仕方をていねいに復習した。続きを読む
このクリスマス。
イオングループの、とあるお店に行った。
すると、どうにも気になる光景があり、書くことにした。
それは、「泣き叫ぶ子と、イラつく親」という構図です。
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仰天ニュース。
米コネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件を受け、全米ライフル協会(NRA)は21日、記者会見し、「すべての学校に、武装した警察官を配置すべきだ」と訴えた。(朝日新聞デジタル 12月22日(土)11時35分配信)
これが本当のことになった時、ぜったいに世の中が変わってしまいますね。
つまり、そのうちに、(半年後くらい?)
誤射によって、子どもが死んでしまい、
おそらく、防弾チョッキのメーカーが
「子どもは学校に登校したらすぐに防弾チョッキを身に着けるべきだ」
と言い出します。
ちょっとくらいはこの提案は物議をかもしますが
そのうちに誤射の2件目が発生し、
あるいは、武装警官のライフル銃をうばって発射してしまう狂人の事件が起きて、
防弾チョッキ提案が通ってしまうと。
すると、今度は、
一人ではなく、数人の狂人が小学校で発砲する事件があり、
これまた数人の武装警官が死傷してしまって「実は武装警官なんてちっとも役に立たない」ことがわかり、(←どうしてこんなかんたんなことに気が付かないのでしょう。あるいは気が付かないふりをしているのか?)
勢い余って各校になんと十数人の武装警官を配備しようとするが予算の関係からそれは無理だ、という世論が大勢を占めたあと、
いよいよ、満を持して、
ライフル銃の販売会社が言い出します。
「すべての子どもは学校に登校後、自分用の自動小銃を身に着けるべきだ」
この流れ、わりとたやすく、想像できるんですけど。
極端ですよね。
でも、世の中って、本当に稀な、ほとんど例のない、少数の事例がニュースになったあと、
だんだんとそれがじわじわと広がって
いつの間にか、
「けっこう、それってもう、ふつうじゃんかよ」
というふうに、普遍化してしまうことがあるので、
今回の、「学校に銃を持ち込む」というきっかけが通ってしまうと、
おそらく本当に、どんどんと、
「学校と銃」
が、ちかーい関係に
なってしまうんじゃないか。
(ごっつい不安がこみあげてきますけど。。。だから対処療法じゃダメだと。そもそも狂人が銃を持てない工夫をしないと。。。というか、すべての人間が。)
イブの日まで、あと1週間足らず。
息子に「早くしないと」と急がされて、昨日、ようやく飛ばしました。手紙をつけて。
「はやく出さないと、フィンランドに着かない!」
空にとばした風船は、その後、どうなるのでしょうか。
一応、フィンランド?とか、北欧の国の、サンタクロースのいる事務所まで、届けられる、ということで、話をしました。
ただ、愛知県から飛ばしましたが、北からの風が吹いていたらしく、南東の方向へ、飛んで行っちまいやがった。
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福島の小学校に電話した。
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5歳児クラスを中心に少なくとも20名の児童と6名の成人が死亡するという大惨事が発生しました。
事件の場所は、コネチカット州のニュータウン町、ニューヨークから車で1時間半、コネチカット州のビジネスの中心・スタンフォードに至近という、郊外の閑静な住宅地。
サンディ・フック小学校という小学校に、狂った銃乱射男が殴り込んできて、子どもたちを殺害した、という事件です。
狙撃犯(現場で死亡)は24歳の男。
犯人は母親を殺害してから、学校での乱射に及んでいるということです。
被害にあった「5歳児クラス」は、「キンダーガーデン」と呼ばれています。
教育内容は、幼稚園と小学校の中間。アメリカでは、無償義務教育の最初の段階として位置づけられています。
多くのアメリカの親は、子どもが5歳になるとこのキンダーに入学させるわけです。
日本の保育園・幼稚園もそうですが、子どもを預けるのは不安が付きもの。
今日は元気で過ごしてきたかな
怪我なく、無事でいてくれるだろうか
帰ってきたら、どんな顔で、お話をしてくれるかな
親にとっては、それが楽しみ(かつ不安)なのでして、遠くの幼稚園に通わせているのであれば猶更、スクールバスに乗せるたびに、胸の中の小さな不安とたたかっているのが、親というもの。
そんなキンダーガーデンで、大変な事件、大惨事が起きてしまったのです。
このことで、意見がまっぷたつに分かれる可能性がある。
A:学校に重火器を持った警官をパトロールさせていれば悲劇は防止できた。
と思う人と、
B:銃や兵器(核兵器も含めて)の要らない世の中を構築しよう。
と思う人で、大きく分かれると思います。
つまり、Aの意見は、
5歳児の通う学校も、自動小銃に火力で対抗できるように機関銃か何かでの防衛をすべきだ
ということですね。
想像してみましょう。
小高い丘にある、○○市立△△保育園。
県道沿いの道を一本、路地の方へ入って、広がる園庭が目に入る。
パステルカラーにきれいに塗られた、すべり台と砂場、ピンク色のうさぎさんの看板が見える。
パンジーのきれいに植わった花壇を進み、PTAの作った、アンパンマンのイラスト入りの、
「来週は、卒園生の親によるバザーです。みなさんお楽しみに!」
と書いてある立て看板を横目にしながら行くと赤いお屋根の教室があり、中からは元気な「クマの子見ていたかくれんぼ!」の歌が聞こえてくる。
中に入ってみよう。
きりんやぞうの絵が、元気よく貼り付けてある、子どもたちの部屋。
廊下から部屋の中を見ると、園のかわいい服に身を包んだ子どもたちがいました。
子どもたちが、元気におイスから立ち上がり、朝の挨拶をしているようです。
ふと見ると、「おはようございます」とあいさつをしている相手は、大柄な軍人のような人。SECURITY と白文字で大きく書かれた防弾チョッキに身を包んだSPで、実弾を込めた自動小銃を肩から下げているわけです。
その銃口から2mと離れていないところに、子どもは座るのです。
はい。
この状況が、クレージーだと思う人と、
いや、これが本当のあるべき姿なのだ、と思う人とで、おそらく・・・
意見がまっぷたつ!!
おそらく国を分けた方がいいでしょうね。
もうこの際ですから、日本の国を道州制とかいってないで、思い切って、まっぷたつに分けましょう。
そして、東日本と西日本、箱根の山のラインあたりでぶちわって、どちらかをどちらかの国にしましょう。自分が好んだ国へ、移住するのです。
「銃には銃を」というチームと。(石原さんと石破さんはこっち)
「銃や暴力やいじめの要らない社会」を、模索しようとするチームと。
もう、世の中がここまできたら、・・・それに合わせて、ここまでやるしかないかも。
「○○くん、おうちではいかがですか?」続きを読む
だんだんとタイトルが派手になってきてしまっていますが 。
お気になさらぬよう・・・。
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とことん子どもを信頼できるか。
そこに、すべてがかかっている。
「最後まで子どもを信じてあげられる親」だけが、子どもに信頼される・・・。
わたしがエンジニアを辞めて、小学校教師になったころのこと。
不登校の子がいました。
今でも思い出すと、スッと顔が浮かんできます。
いい子でした~。
なにかわからないが、朝になると、学校へ行けなくなる。
わたしが担任するようになって、少し元気になって、去年よりはずいぶん学校へ来れるようになった、と喜んだ。
1学期はまあまあ。
ところが、2学期になると、これない日が増えた。
「行事が重なって、疲れてしまったのでしょうかね」
校内の支援コーディネーターの先生に相談すると、なんとなくそんな雰囲気。
こっちは初任の1年目で、ちっともわからない・・・。
そんなものか、と思うくらいで・・・。
朝、お母さんが、下の子を保育園へ送った後、校門のところへ連れてくる。
校門のところで、お母さんの自転車にしがみついたまま、離れない彼。
泣き顔で、行きたくない、と繰り返す。
困惑する母親。
そこへ私が駆けつけ、なんとかなだめすかして、教室へ連れてくる。
しかしそのうち、教室に来れなくなり、保健室登校になった。
さらに、それもできなくなり、やがて、お母さんも彼を連れてこないようになった。
彼の欄にだけ、欠席のしるしがずらーっと並ぶようになった。
これはきつかったですね。
不登校は、担任の精神力をかなり減らします。
こたえますね・・・。
多くの担任がそうするでしょうが、わたしも例にもれず、みなさんと同じように、自分を責めました。
責めて責めて、土日も、ずっと彼に申し訳なくて、なにがいけないんだろう、と考え続ける日。
咳が止まらなくなり、耳鼻咽喉科に通って咳止めの薬をずっと飲み続けていたのもこのころです。
しかし、ある時から医者が、
「精神的なものも大きいからね。年度末で軽くなるよ」
という。
そして、・・・その通りになりました。
ベテランのお医者先生はすっかりお見通しだったわけ。
3月になって、彼の母親と次年度のことを見越して、かなり長めの懇談をしました。
そのときのこと。
教室に来ていただき、二人でお話しました。
お茶を用意すると、それだけでもうハンカチを用意されて、
最初から涙を拭かれていたのを、今でも思い出します。
少し暖かくなってきていて、春を感じる季節です。
静かな、午後でした。
秋の学習発表会の話が出ました。
実は彼、9月の運動会には来ることができたのです。
でも、11月にあった学習発表会へは、参加できなかった。
9月に運動会に来れたので、次は学習発表会だ、というので、しかるべき対応を取ろうとしていました。コーディネーターの先生も支援級の先生も私も、みんなで学習発表会に来てもらおうと、かなり念入りな作戦を立てていました。
彼にはずっと前からそのための予告をし、クラスの中で彼の持ち場をつくり、すこうしだけ、目立つ場面に出てもらう作戦です。
セリフがあり、学習内容を読み上げて、同じ班のみんなと模造紙の順番を入れ替えると、学習結果がきれいに見ええてくるのです。会場からは、その瞬間、オーッ、とため息がもれるはず。
クラスの中でも、班の中でも、見栄えのする役、けっこうおいしい、と思う役をまかされて、当初は彼も、
「これならやれそう。行きたい」
とお母さんにもらしていたといいます。
それを聞いたお母さんはさっそく、うれしい報告、ということで担任にも連絡帳で知らせてくれました。わたしもそれを見て、夕方すぐにお返事の電話をして、あまりプレッシャーを与えないで淡々とその日までの準備を少しずつやりましょう、とお母さんに話しました。
お母さんも、うれしそうな声で
「今回は出てほしいと思います」
と期待していたようでした。
私もドキドキしながら、「ああ、来てもらえそうだ」との予感を強くしたのです。
しかし。
いよいよ、という時になって。
予想通りの展開になってきます。
前日の夜、彼は「ちょっとおなかがいたい」といい始めました。
お母さんはそんなこともあろうか、と予測をしていたので、落ち着いて対応をしました。
朝になってみたらどうなるか様子をみましょう。ともかく、今日は寝ましょう、と・・・。
すると、彼も、「そうだね」と落ち着いて、にこにこしながら横になり、やっぱり明日は楽しみだ、と言って寝たそうです。
ここでお母さんもうれしくなって、ご主人にも
「明日、いけそうよ」
とうれしい報告をしています。
ところが、朝になって、起き抜けに、不機嫌な声で、靴下がない、と騒いだのです。
これはお母さんも必死になって靴下を探し(というか目の前にあったのですが)、できるだけ静かな感じで、ここにあるから大丈夫、といって落ち着かせようとします。
むくれて靴下をはく彼。
お母さん、一瞬、何か言いたくなったそうですが、ぐっとこらえて、そのまま機嫌よく(と冷静さを保ちながら)朝食へ。
すると、朝食の場面で、彼の中でなにか、歯車が狂い始める。
ちょっとした弟の行動に腹を立てて文句を言い始めます。
お母さん、ぐっとこらえて、できるだけ早く朝食を済ませて、なんとか学校へ行かそうともくろみます。
だって、年に一度の学習発表会ですからね。本番なんです。
弟との口げんか、弟の方がひどく泣きましたが、もはやお母さんにも意地がありますから、軽くスルーしていつものように片付け、ランドセルを確認し、トイレ、ハンカチ、ティッシュ・・・と・・・。
ところがです。
ダイニングにある椅子から、いっかな、降りようとしない。
どうしたのでしょうか。
お母さん、ここで、すっかりわからなくなります。
昨日まで、あんなに楽しみにしてくれていたのに・・・。
どうして息子は、行ってくれないのか。
もしかしたら、このまま今日は、いけないのかも・・・。
こう思うと、本当につらくなって、
せっかく!!
という気持ちがぐぐっと頭をもたげてきて、
「なんのために練習もしてきたの、今日はぜったいに行きなさい! 行くって自分で言ってたでしょう!!」
と大声を出してしまう。
ここで、お母さん、一瞬しまった、と思ったようです。
でも、仕方がありません。
彼はもちろん、ふてくされてちっとも動かない。
「今日は行かない。行けない。行きたくない」
と言い続け、さらには、ぼろぼろと泣き始めます。
ここで「つなひき」をしても、仕方がない。
お母さんは、コーディネーターの先生と、「綱引きの土俵からは降りる」という約束をしていました。そこで、今、息子と綱引きが始まりそうだった、というのがわかって、ちょっと冷静さを取り戻します。
そこで、
「行きたくないんだね。そうか、エネルギーがまだ貯まらないんだね」
と言い、お皿を洗い出します。
「まあ、いいよ。・・・そこで座ってて、エネルギーが貯まるの?・・・どうせなら、時間かかってもいいから、自分の心にエネルギーが貯まることやりなさい」
彼の状況をと受け入れて、心のエネルギーをためるところに照準を合わせて話します。
すると、これもまあ、よくある筋書き通りですが、
「発表会に、ぼくは出ないけど、みんなのを見に行く」
と言い出すのです。
お母さんは表情を変えず、そう、それならそうしましょう、ということで、ゆっくり支度をして、学校へ行くことができました。
そこでもお母さんは、もし出られなくてもしょうがない、と思う気持ちとともに、もしかしたら学校へついたら、友達がさそってくれないかしら、顔をみて、○○くんって誘ってくれて、すんなり息子も舞台に出て発表してくれないかしら、と半々の気持ちになります。あきらめと期待が、入り混じったような感じでしょうか。
すると、これも筋書き通りで、彼に話をしたわけではないのに、
「お母さん!!学校に行くだけ・だよ!見に行くだけ! ぼく、ぜったい舞台には出ないよ!!!!」
と強い調子で言うのです。
まるで超能力。お母さんの気持ちを、すっかり感じ取って見通しているわけ。
お母さんはそれを聞いて、まあ9割方あきらめ顔になり、それで教室へ行きました。
すると、息子は舞台になっていた視聴覚室の小さな舞台、机の並んだ場所にはいかず、そこから少し離れた廊下にいて、そこから部屋に入ろうとしません。
カーテンがひいてあるのをいいことに、そのカーテンのかげにかくれて、みんなのことをじっと見ている。
お母さんもそこに付き添って、まあ部屋に入るんだか入らないんだか、という妙な場所に突っ立って、それでも内部の様子が見えるから、そこからクラスのみんなの舞台発表を見ていたのだそうです。
もうそこまできたらあきらめの心境が優っているから、
「○○くん、今、上手にセリフ言えたわね」
とか、
「○○さんが言っている暗唱文って、この間、Jくんが言っていたやつ?」
とか、普段通りの会話でもって、息子としゃべっていた。
ところが最後、クラスのほぼ全員がそろってリコーダー演奏をしたり、社会見学のときの小さな劇をしている姿を見たり、本当は息子が出るはずだった、いうはずだったセリフを、まったく初めてとは思えないほどの上手さで、別の子が巧みにしゃべって発表したのを見た時から、
「ああ、うちの子は本当は、先生にも友達にも、信用されていなんだ」
と思ってしまい、さらには、あそこの舞台の上に、なぜ息子が立っていることができなかったんだろう、なぜ、うちの子はあんなふうに、ほかの子と同じように笑ったり、発表したりができないんだろう、と考え出すと、つらくて涙が頬を伝ってきて、もう声が出そうになって、必死になって立っていたのだそうでした。
そうすると、これも案の定ですが、
「お母さん、もうやだ、帰りたい」
と言って、息子が手を引っ張るので、私に向かって目礼をして、すぐに帰宅したのだ、ということでした。
ここまで話を聞いて、私も、しばらく何も言えずに、シーンとしていました。
今、こうやって振り返って整理してみると、
すべてお母さんの心境に合わせて、
子どもが動いていることがわかる。
しかし、この話を目の前で聞かされているときは、自分が責められているような気持ちで聞いていましたので、教師ってつらいなあ、ということを思ったことを覚えています。
とくに、代役の子を立てて、(ひそかに、でもないつもりでしたが)練習をさせていた、ということを責められた、と思ったのです。
私は、お母さんに謝りました。
しかし、お母さんは、まったくそんな必要はない、ということをおっしゃってくださいました。
そして、
「わたしがこうやって、息子と、ぐるぐる・ぐるぐると、なにか迷路のようなところを回っているのには、きっとなにか意味があることと、思うようにしています」
とおっしゃったのです。
いま、こうやってブログに書いてみていると、本当にそうだなあ、と思います。
お母さんが、子どもにテストされているみたいなものですものね。
お母さんが子どもを受け入れた時は、子どもも母を受け入れるし、
お母さんが子どもを受け入れられないときは、子どもも母を受け入れないのです。
ここまで見事に一致していると、すごいと思うけど・・・。
彼から、今でも、年賀状が届きます。
去年の年賀状には、中学校に入学するので、新しい制服を着ている姿が、写真に写っていました。
あのときと同じような、素直そうな、いい笑顔がありました。
そして、横で、お母様も、笑っていらっしゃいました。
発達障害を思わせる子がいる。
(発達障害、という言葉に否定的なイメージを思い浮かべる方がいるようなので、発達課題と呼ぶべきではないか、と思い始めています。発達課題というと、すべての人には成長過程においては特に、課題があるわけですから、万人向けのユニバーサルな言葉になるし、課題、に対応できるスキルや方法を探るのは健全な営みなので、具合がいいしおさまる言葉なのではないか、と思います)
仕切りなおして・・・
発達課題を抱える子がいる。(クラス全員課題がある・・・と言い換えられるため、ほぼ当然のことでありますが)
どんな課題かというと、言葉のコミュニケーションです。
1)○○ちゃん、キライ。と平気で言ってしまいます。
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こんな文章を見つけました。
「級友などからの〈いじめ〉、親権者からの〈児童虐待〉と比べると、教師による〈精神的虐待〉は、あきらかにその考察はまだ緒に就いたばかりである。引き続き、その“見えにくい虐待”への積極的な議論が望まれる。」
どこに書いてあったかというと、JANJAN-BLOG というブログの中の、<人権><教育>に関する記事の中です。
http://www.janjanblog.com/archives/86380
学校内“虐待”について考える ~教師による〈いじめ〉考~
というタイトルがついていました。
書かれたのは、三上英次さんという方です。
どんなお立場の方かわかりませんでしたが、書いてあることにとても共感を覚えました。
わたしが常日頃、感じていたのは、このことだったのか。
つまり、教師による児童の虐待を感じ取って、恐れていたのでは、と思うようになりました。
「指導」「懲戒」「叱責」の3つを、適宜、ふさわしいTPOで使い分けるべし、というのが書かれている骨子なのですが、一歩間違えると、これらが、
教師による、児童の虐待
というものにつながってしまうのではないか、という懸念を書いていらっしゃるようでした。
私自身の子ども時代を振り返ると、あまり強く叱責されたこともなく、わりかし学校が好きな小学生だったと思いますが、それでも、
「なんでわかってくれないのかなあ」
と思っていたこともあり、その中身をしらべてみると、
「最後の最後まで、しっかりと自分の気持ちを言うことができなかったくやしい場面」
というものがいくつか思い起こされてくるのです。
本当は、○○だったのに、
本当は、○○したいといいたかったのに
という、どうにも癒えない、残念な気持ち、無念な気持ちが、あるのです。
学校の先生から強い叱責を受け続けている子にとってみると、そんな気持ちばかりなのではないかと思います。
それが、指導としてはいかがなものか、ということですよね。
説諭、というように、納得のいくように教えて諭す、ということがもっとできないものか、と。
なるほど、こうやって整理すると、わたしの心中のもやもやが、なんだかすっきりとした形で見えてきましたぞな。
つまるところ、私自身は、教師の強い叱責の怒鳴り声が、
「教師による、児童の虐待」
というレベルに聞こえるのでしょう。
だから、ブログにこんなこと、書いているのでしょうね。毎日のように。。。
そして、教師が、強い叱責によって短時間で目の前のごたごたを済ます
という世界から、
時間がかかるように見えても、本人の気持ちや残念さを主張させて、吐き出させてから、道理を受け入れるようにもっていく方法
が、これからは求められてくるのではないか、と思ったのでした。
そのために必要となってくる重要技術が、わたしの開発した(←うそ)、
○フェイススケールによる<心境満足度把握法>
○バケツの水理論による<人間関係づくり法>
○自分の気持ちを3段階かけて整理調整していく<3段階自己主張法>
の3つです。(つづく)
まあ、いいも悪いもないのか。
実際は、いい子ばかり。
反抗してくれている、と思ったり。
今、せいぜい小学生で、うん、よく、反抗してくれているの。
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