30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2012年02月

「叱る・怒る」をしない・・・幸運な一年間


一年間を振り返ってみる。


今、担任している学級。
ありがたいことに、前任者の先生の指導の賜物。
本当に叱ることが、ない。
しっかり、何をどういつまでに行動すればいいのか、分かっている。
2年生なのに、教室や学校での立ち居振る舞いが、分かっている。

きっと、おうちでの親とのコミュニケーションも行き届いているのだ。
連絡帳や服装、もちもの、宿題の中身、ありとあらゆることに、そういう恩恵を感じ取れる。

さて、1年間、気がつけば、一度も声を荒げることなく、ここまでこれてしまった。
1年の最初。担任してすぐの時。一日が終わるたびに、

「ああ、今日も声を荒げずに、一日を終えることができた」

とホッとしていた。

いつしかそれが当たり前のようになり、

「先生は怒らないヨ」

と子どもが言うようにまでなった。

子どもは、きちんと教えた通りにするのである。だから、こちらは褒めるしかない。

たまに、

「あの先生は、怒らないらしいゾ」

ということを聞きつけた1年生が、教室までわたしの顔を見に来たことがある。
廊下側のドアからこちらをのぞきこんで、

「○○先生って、怒らないの?」

「わかりません。怒る時もあるかもしれないヨ」

そう言うと、不思議そうな顔をして、

「でもさっき、○○ちゃんが怒らないって、言ってたー」

いったい誰が、怒らないと言ったのか。
そういうウワサまでが、出るようなことになった。



さて、怒るときもある。
でも、怒鳴りはしない。
怒るというよりは、きっちり注意をする、という感じか。

上述の1年生が廊下を走る。
わたしが目の前に立ちふさがっている。
ぶつかりそうになって、止まる。
そのまますりぬけようとする。

わたしは、すりぬけようとする子に、

「止まりなさい」

と、静かめ・ゆっくりめ・低めの声で言う。
すると、あれ、という顔をして止まる。

廊下に響く声で、

「あぶないです。ぶつかったら怪我をします。ろうかは歩きます」

と言って、

「1組の前まで、もどりなさい」

「そこからやりなおし」

しずかな声で、指示を出す。

廊下を歩くことの、やりなおしがあるなんて、おにごっこの最中で廊下を走っていた1年生にとっては衝撃的なことだ。
やりなおして歩きはじめたら、

「ああ、いいですねえ。そんなふうに歩きましょう」

とうれしそうにする。

でも、「なあんだ、○○先生だって、怒るんじゃないか」と、1年生は思っているかもしれない。



でも、2年生は、

「先生は怒らない」

と思っている。
実際、教室で怒鳴ったり、叱りつけたりすることがないからだ。

かなり、優秀なクラスである。
もしかすると、人生で、こんな調子のクラスを受け持つのは、もうこれきり、になるかもしれない。
そのくらい、優秀なクラスだ。


怒鳴らずにやり通す。
それが可能になったのは、わたしが主任だからである。
学年主任なので、どこにも遠慮することが無い。

立場が、主任じゃないと、ちょっと変わってくる。
ひどく怒鳴りつける学年主任とコンパを組むと、むずかしい事情が出てくる。
なんだが人間関係がぎくしゃくする。

なぜか。


学年主任が怒鳴ってばかり。
となると、
隣の若い先生は、怒鳴らずに指導する・・・わけには、ちょっといかない。


子どもが予測通りに動いていないと、年配の学年主任の先生から、

「はやく怒鳴って注意して叱ってください!」

というような、目線、シグナル、ビーム光線が担任に飛んでくるのである。
これだと、やはりちょっと若手としては、焦って叱る場面も多くなろうと言うものだ。


今年は、わたしが主任。
コンパを組んでいるのは、わたしよりもよほどベテランの先生だ。しかし、主任のわたしが、「怒鳴らずにいる」状態なのについて、一定の理解を示してくれている。

そして、その先生も、ほとんど、怒鳴る姿勢のない先生なのだ。
これは、とてもありがたい。
こんな状況で一年間やってこれたのは、幸運が幾重にもかさなって表出してきた、という感じ。なぜ今年は、こんなふうな巡り合わせで、ここまでこれたんだろうかなあ・・・。(知り合いにもらった、玄関先に置いてある蛙の置物、幸運を呼ぶと言っていたが、あれが原因か・・・)




昨年やその前の年を考えると、今の状況からはほど遠かった。わたしも、焦って叱りつけていた。
そして、声を出せば出すほど、荒げれば荒げるほど、学級は落ち着かなくなっていくのであった。
なぜか。

発達障害の子がいたからだ。

この子たちは、担任の心境を、そのままコピーする。
だから、落ち着かなく焦っている大人がいれば、それをコピーする。
「なにしてるの!!」
と強い調子で大人が言うと、
「なにしてるの!!」
とその語調まで真似しちゃう子がいる。自閉症の傾向がある子。
彼女の頭の中には、「なにしてるの!!」の声が、何回も再生されて、しばらくくっついたまま、取れないらしい。
何度も、
「なにしてるの!」
とループし、それを強く声に出している。

知らない人が見たら、まったく大人を小馬鹿にした態度に見えるだろう。でも、これは、障害の特性なんだから、それを知ってさえいれば、反省するのは子どもではなく、大人の方だ、となる。
落ち着かないのは、大人が落ち着かないせいもあるわけだ。
怒鳴っていると、子どもも怒鳴り始める・・・。
ふしぎだねえ~。


こういう話をしても尚、保護者の懇談会では、

「でも先生!うちの子は、叱らないとなめられるから!」

という親御さんが多い。
私は、ふだんは冗談ばかり言うが、このときばかりは

「いや、叱るんでなく、ゆっくり落ち着いて、教え直してあげてください」

とお願いする。

「穏やかに、指摘する、くらいでいいです。それでも分かっていないようでしたら、やっぱりちゃんと分かっていないのです。もう一度、めんどうですが、きちんと分かるように教えてあげるのです。そして、その通りにやろうとしたら、ニコッとうれしそうにしてあげるだけでいいです」

保護者の方は、

「えー、そんなこといったって・・・」

という顔をしている。




まあ、それもそうで、仕方がないのかも。

だって、教育現場である小学校のベテランの先生から、

「○○ちゃんは、先生に叱ってほしいのよ」
とか、
「叱ることで、先生の真剣さがはじめて伝わる」
だの、
「ダメなものはダメ、と言わないと!」

という感じで、やはり頑迷な、「叱るのはよいこと」という思い込みが伝わってくることが多いからだ。相当根深い、つよい、思いこみなのだろう。これを、剥がしとるのは、容易なことではない。(ちなみに、ここらあたりで言っている「叱る」は、ほとんど「怒る」と同義である。そのニュアンスに注目。中学年くらいだと、悪いことを実験的にしてみよう、なんていう態度の子もいるから、それははっきりと、善悪を教える、悪いことは悪い、やってはいけないことはやってはいけない、と強くハッキリと教える必要があるかと)


まー、こんな調子なのも、仕方がないヨ。
だって、県の教育委員会のつくる資料にも、

「効果的に叱る」

なんて、言葉があるくらいだからナァー。

(これを、穏やかに指摘、あるいは教え直す、と思う人は皆無だと思うナ。厳しく怒鳴りつける、と思う人がほとんどだろう)

これをいいことに、「叱る」=いいこと、と思いこむ人が減らないわけだ。

ネット上にも、「体罰復活!」なんていう勇ましい意見が掲示板に書かれてもいるようだ。現場の苦しさが、もうMAXになってしまっているから、大人も保護者も教員も、悲鳴をあげている状況なのかも。とくに、保護者の苦しみは、教員をやっているとよくわかる。もう、子育てがどうしたらいいか、親としてどうふるまえばいいのか、混乱して分からなくなってしまっている。教員も、そうだ。

そうまで思い詰めるほどまで、子どもを律しきれないのだ。
本来はそうでないはずの特別支援級に、発達障害の児童が押し掛けてくる状況や、その児童に対応する教師の数が絶対的に足りないことや、学校の仕組みがそうなっていないこと、いろいろなひずみが、きしんで、ぶつかりあって、学校中が悲鳴をあげている。

わたしも、これまで学年主任をしたこともなかったし、見よう見まねでやってきただけだったから、「叱る」もきっと必要なんだろうな、と思ってやってきた。しかし、この1年間が、

「叱らずに(怒らず)すんでしまった」

ので、おそらくこれがターニングポイントになり、

本当は「叱らない(怒らない)」でやっていけるのだ、

と思って、これからやっていくことになりそうだ。




学年末 一年間の締めくくり 何をどう授業するか その1


今年出会った、クラスの子どもたち。
もうすぐ、一年間が終わろうとしている。

もしかしたら、また持ち上がるかもしれない。
でも、持ち上がらないかもしれない。

別れを意識した、のこり一か月がはじまる。


さて、算数以外の教科では、学習のほとんどの単元が消化された。
のこりは、まとめ、という時間である。
国語はスーホの白い馬。
すでにはじまっているが、これももう、見通しがついている。

算数は、どの学年も、新CS、新学習指導要領によって、苦しくなった。単元が、年度内にこなせる、ぎりぎりの量に増えている。
だから、まだ残り単元が2つくらい、ある。
ともかくも、油断することなく、確実に進めていかねばならない。算数だけは、一日2時間という日も、つくることになっていくだろう。


さあて、生活科もめどがついた。国語もめどがついた。行事の練習時間はあらかじめ、計算に入れておくとしても・・・。

子どもたちに、この1年間のしめくくりとしてふさわしい、何かの授業をやっておきたい。

漢字文化、もう少しやりたかった。
作文、もう少し、こまかく指導したかった。
いろいろと、やりたいことは、盛りだくさん。


でも、今日一日考えて、やはり、これをやろうと思う。

「東日本大震災とは、何だったのか」


2年生。8歳だ。
新聞報道も、大人の会話などから、いろいろと聞きかじってはいる。
でも、どこか遠い話でしかない。
近所のふるいお宮の瓦が落ちたとか、石灯籠がこわれた、という話は知っているし、すごく揺れたところもあったから、これまで以上に身近な災害であった。それでも、日々は変わらないし、もうすでに1年も前のことになろうとしている。忘却していきつつある。


しかし、この大変な災害の起きた年に、やはりふりかえって、いったいなんだったのか、8歳なら8歳なりに、自分のこととしてひきつけて、どこまでか分からないが、考えてみる必要はあると思う。
そして、自分なりのアクションにむすびつけて考える。
これでないと、この日本史を揺るがす大事件を、スーッと、音もなく、わすれていきそうな感じがあるのです・・・。(分からないですが。目の前の子どもを見ての、教師の直感にすぎません)


そこで、東日本大震災のことを、授業しながら、自分たちの学級づくりの一年間をふりかえる、ということを、からめて進めていきたい。

じゃどうするか。(つづく)




長男長女をひいきせよ~保護者会での語り~


学年最後の、授業参観と保護者懇談会がありました。
そこで、父兄を前に、こんな話をしておきました。

年下は、ただでさえ、注目を得ます。
年上は、不利です。
最初から、勝負に負けています。
それも、かなりの点数差で、途方に暮れるほど負けています。

だから、年上を、はっきりと理屈をつけて、えこひいきしてください。
兄弟の中で、年上に、待遇を良くしておいてください。

「なんで兄ちゃんだけ、ケーキが大きいのか」

と年下が文句を言ったら、

「兄ちゃんだから、大きいのだよ」

と、理屈にならない屁理屈で、対応してください。

下手に

「身体が大きいから」

などというと、

「弟でも、身長が兄を抜かせばいいのか」

などと、余計な詮索をさせてしまいます。

それよりも、

「いつも、兄ちゃんは、お前の心配をしてくれているのだ」
「だから、感謝していくのだ」
「兄ちゃんは大事だ」

と、刷りこむようにおっしゃってくださいな。

そうやっておいて、ようやく、兄や姉も、

「ああ、自分は親に大切にされている」

と思うことができる。

子どもが、いちばん心からほしいとねがう、親からの注目度については、年下が分良く、多くを得ているのです。
だから、そのくらい、やらねばつり合いがとれない。
トントン、にするためにも、

「兄は大事だ!」
「姉は大事だ!」

ということを、ことさらに、あからさまに、これみよがしに、やるべきです。




これは、児童福祉施設の大御所、館長さんがおっしゃっていたことで、わたしが教員になる前、ずっと前に聞いて、心に残っていたこと。

その当時は、

「は?なんで?」

と思っていました。

でも、今年70歳になる館長さんが、わたしとの別れ際に、じっくりと私の目を見て、おっしゃってくださったことであり、なにか、この若者に、プレゼントしておく言葉をかけておこう、という遺志のようなものを感じ取りましたので、当時、メモにとっておきました。


それが、今回の保護者会で役に立ったわけです。

なぜかというと、今の私の担任している子ども、かなりの割合で、長男長女である。
そして、保育園や幼稚園の弟や妹がいる。
来年、1年生として入学してくる弟や妹もいる。

今、2月。
おそらく、今頃、真新しいランドセルか何か、家でぴかぴか光ったりしているんでしょう。
そして、それを見て、家族で話題にしちゃったり、しているんじゃないでしょうか・・・。
あるいは、弟には、新しい靴を買っちゃったり、ネームランドかテプラでもって、弟君のなまえを、何十枚も印字して、テープをやたらと持ち物に貼りつけたり、なんだかんだと、物理的な時間を、弟君のためにかなり費やしているような状況が生まれているんではないかと・・・。



そういう状況で、なんとはなしに、


お母さんが、最近、弟ばかり見ていて、弟のことばっかり考えているようで、わたしはさびしい!!



という態度が、散見されるからであります。

そうしたら、保護者の方も、なんだか、納得されているようでありました。首をひねって、「は?」という顔をされている方も数人おられましたが・・・。


ま、いずれにしても、こういうことも、話題になっていく保護者会というのが、わたしは好きですねえ・・・。




会社員から教員へ ~職場のリセット力(りょく)~


会社員から教員へ、という転職ストーリー。
同じような境遇の方は、たくさんいるらしい。
検索しても、わりとたくさんヒットする。

しかし、教員になってから、つづけてブログなどに書き連ねている方はどれくらいいるのかな、とふと気になった。

もしたくさんいらっしゃるのなら、聞いてみたい。

会社員だったときと、今の教員の日常生活。
どんなところが同じで、どんなところがちがいますか、と。


わたしは、いわゆる世間的にまともな就職活動をしたことがなく、てんでばらばらな仕事をして生きてきた。そのためか、教員のように、一年に一度、大きなリセットがかかる、という状況がわりとしっくりとくる。

教育現場には、すべて、「一時的なこと」である、という雰囲気がある。
そのことは、私の人生においてとても「正しい」ことであったので、それが合っているのである。

同じことがずっと続く、というのではなく、子どもは変わるし、学校も変わるし、年度が変われば職員の半数くらいが変わってしまう、という今の教育現場の仕事のあり様が、非常にフィットする。

最近、仕事を辞めた、という方とじっくり話をする機会があった。
友人を介して、わたしを訪ねてこられた。
こういうこと、よくある。(以前も、ブログに書いたことあったっけ・・・)

辞めた、ということが、人生の中において、とても大きな出来事であったようだ。
ふつうは、そうだろう。

わたしは、長く続いたためしがなく、仕事も多種多様なことをしてきたので、仕事を辞める、ということがなんだか
「またか」
という感じだ、と言ったら、とても驚いておられた。

「平気なんですか」

というから、

「のぞんでそうなったのは、一回しかなく、あとは流れで仕方が無く・・・ということが、何度もありました。なので、あなたのように、変わる、ということに大きなエネルギーが要る、ということの方が、ふつうだと思います。」

と話しておいた。

人生、いろいろだ。

会社員から、教員をめざす方も、多い。
会社員から教員への道は、広がっている。

教員は、年度が変わると、かなりのことが変わります。
だから、救われることも多い。
リセットがかかる。
これは、考えたら、とても幸せなこと。

わたしは、会社員と(それにもいろいろあろうけど、それはそれで)教員とのちがいは、この

リセット力(りょく)

が職場に仕組みとして備わっていることだろうと思う。
教育現場に、この力は、かなり強く、息づいている。




しゃべっている人が2人います! という指導の失敗


「まだ、しゃべっている人が、2人います!」

こういうセリフ、教師なら何度も口にしたことがあるだろう。
集会のときなどに、静かにならない場合に、よく言う。
しかし、今回、これが危険だということがわかりました。


ぶちきれたのは、アスペルガーの診断がある、Tくん。

「おれ、しゃべってねえし!!!」


集会の際に、中央に立って、進行していたG先生。

「まだ、しゃべっている人が、2人います!」

の際に、頭をふらふらと動かしていたTくんを、ちらりと見てしまった。これがつまづきの第一歩。
Tくんが、

「見られた」

と感じたのは、確実だ。
そのときに、冒頭のセリフがかぶさって聞こえたのだ。
完全に、Tくん、彼の頭の中には、

G先生が、おれのことを叱った!

と合致して脳内処理されてしまったのだろう。


おれ、だまっとったし!!!!



このセリフをおさえきれないのが、Tくんです。
だんだん声が大きくなって、集会はおもわぬ展開を見せ始めました。

あとで、このときのことをふりかえって、G先生が、

「馬鹿のひとつ覚えみたいに、いつも使ってたのがダメだったのかな」

とおっしゃっていたのですが、ちがうでしょう。
馬鹿のひとつ覚え、は、秀才の常とう手段です。
本当の馬鹿は、覚えきれない数のことを覚えようとして自滅するのですから。秀才は、応用の効く基本ルールを最低数だけ覚えて、うまく活用していくのです。G先生のやり方は、覚えるべき内容が、まだ本当に応用のきくレベルに達していなかったのです。


「まだ、しゃべっている人が・・・・」


これでは、客観的に正しいことを言っているとは限りません。
また、アスペルガーの子にとっては、自分はだまっていたのに、叱られた、と言うような、今回のような事件が起こりえます。

なので、これは、セリフをこう改善すべき。


「まだ、不合格が、2人、います」

これならば、Tくんは、おれは合格なんだ、と思って静かにしてくれているはずです。
合格不合格の基準は教師側にあるのが明白ですから、そのことについては突っ込まれる気配はなくなります。


そういうことをG先生と話をしていたら、横から、M先生が、


「そんなことないな!まだ甘い!」


と突っ込んでくれました。


仮に、

「不合格が3人います」

とか言ったとする。

すると、

「なんで不合格をお前が決めるんや!」

とぶちきれる子がいる、というのです。


これには、M先生も、ぽかーん。


これは、瞬間的に斬らねばならないこと。
それを、一瞬でも、ぽかーんとして、隙をみせてはいけない。

「それを決めるのが先生の仕事です!」
でも、なんでもいい。
すぐに、間髪をいれず、すぐさま、直に、返さなければいけない。

そうしないと、こういう勘違いをする子は、

自分の意見が認められた

という、第二ステージの勘違いに、勝手に進行していくのです。


ぽかーん、と隙を見せてしまったM先生。
どうなったかというと、
たてつづけに、

「なんで、いつもお前が合格不合格をきめとんや」
「勝手に決めんなや」
「なんでお前の言うことをきかないかんのや」

と、どんどんとミサイルを撃ち込まれて、たじたじとなりかけたそうです。


M先生、なんといったか。

「教育をつかさどるのが教師です!先生はこれがお仕事です!先生は家族をこの仕事でやしなっている!きみたちの合格不合格を決めることで、お給料をもらっている!きみのお父さんと同じだ!」

と、懸命に叫んだそうで・・・。



叫んじゃないけないとは思いますが、たじたじとなった状況はこれで回避できたそうです。
このあたりのセリフは、さすがはベテランの味。
ともかくも回避できた、という点で、M先生は合格ラインでしょう。

わたしだったら、なんと言ったかなあ。

わからないが、合格できなかったかも知れない・・・。



まことに、修業は大事です。




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