読み聞かせをした。
光村の教科書(2年生)に、三まいのおふだ、が出てくる。
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2012年01月
朝、雪が降り、廊下に雪だるまをころがしてもってきたJくん。
「なんでこんなもの、もってきたんだ!」
と怒声が廊下に響きました。
高学年の先生です。
それはそうですね、こんなもの、廊下にもってきてもらったら困りますよ。ぬれるし、だれかが掃除しないといけないし、他の子がすべってころぶかもしれないし・・・。
でも、相手はJくんです。
アスペルガーの診断を受けています。
さあ、どうなるか。
「なんでだ!!!」
と叱る。すると、
「だって、ぼくがつくったから」
ぼくがつくったら、なんで廊下に持ってくることになるのか、そのあたりの論理は、なんだか飛躍している感がありますね。
そこで、担任の先生が、さらに激怒します。
「なんでお前がつくったら、もってくることになるんだ!ここは廊下だぞ!そんなもの持ってくるな!」
たまたま朝の出勤時、職員室までの通路でしたので、通りすがりに、
「これは、混乱するなあ」と思いながら聞いていました。
「なんでだ!?」
と聞くこと自体から、すでに迷路に迷い込んでいるようです。正しい対応は、どのようにしたらいいのでしょう。
Jくんは、なんでだ?と聞かれたので、自分なりの理由をがんばって言ったのに、そのあとで、さらに激怒されて、もう途方もなく混乱しています。顔全体が暗くなり、目つきがあやしくなり、どうしていいか、わからないからパニックになるのを精いっぱい抑えている。
さて、同じような場面で、同じ日に起きたこと。
これは、ベテランの、特別支援の先生の姿です。
これも、偶然、廊下で見かけました。
さすが、特別支援の先生ですね。
特別支援の先生は、叱らないのです。
それで、子どもは、先生に信頼感を持つし、言うことを聞くようになっていくのです。自分を理解してくれる先生だ、と思うから。
さて、年配のO先生です。
女性の、なんだかすてきな田舎の母ちゃん、という感じの先生。
廊下に現れたのは、1年生の、ADHDの子です。
高学年のJくんと同じように、雪の塊を廊下に持ち込み、ツルーッとすべらせて持ってこよう、というつもりのようでした。
いい笑顔で、わらいながらすべらせています。
1年生の他の男子も何人か、それを見て楽しそうにしています。
女の子たちの中には、先生に叱られるのではないか、と不安げに見守っている子もいました
「あれれれ?雪のかたまりかな。雪がすべってきたぞー」
にこにこしながら、1年生に話しかけて行きます。
それから、
「いやあ、これ、つるつるすべって、ぬれちゃったなあ。見て御覧。廊下がべたべたにぬれてしまったぞー。」
1年生の子が、うしろを向きました。顔はまだ笑っていました。
たぶん、ぬれてしまったことがどうして話題になるのか、分かっていません。
「これは、だれか、ここですべるかもしれないな。すってーん!!って、○○先生がころんで頭売っちゃうかもしれないよー。心配だなあ・・・」
○○先生、という担任の先生の名前が出たせいか、ちょっと、あれ、という表情になってきました。
「ねえ、□□くん!どうしたら、この廊下、べたべたにぬらさないようにできた?」
ここで、1年生の□□くん、完全に足が止まり、うしろを向いて、考えていました。顔も、もう、笑っていません。なにか、状況をかえなければいけないんだ、ということが、理解できているようです。
「□□くん。どうしたら、廊下をぬらさないで来れたのかなあ」
すると、すぐ脇にいた女の子が、
「雪を、バケツに入れる」
と言いました。
それを聞いて、□□くんも、
「バケツに入れる」
と言いました。
「おおー、そうだねえ。バケツにいれていけば、ぬらさなかったねえ。よく考えたなあ。えらいなあ。さすがだなあ。□□くんはちゃんと考えているねえ」
O先生は、叱っていない。
どうすればいいのか、□□くんに気付かせている。
そして、ほめている。
ほめながら、
「じゃあ、ここをぞうきんでふいておくと、もっとエライ。」
といって、先生が雑巾で廊下をふく姿を見せている。
楽しそうに拭きながら、目をまるくして、
「いやあ、きれいになったなあ!!」
と、□□くんの顔を見て、おどろいてみせている。
(□□くんは、ただだまってニコニコ見ているだけでしたが・・・)
わたしも手伝った。
そして、支援学級の子たちが、O先生の言うことを聞くようになる、という秘密が、わかったように思った。
林光さんが、亡くなった。
日本語の創作オペラや合唱曲「原爆小景」などで知られる作曲家の林光氏(写真=06年)が5日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。80歳だった。
(※時事ドットコム:ニュースより)
この林さんの曲で、3年生が小さなお芝居をしたり、「今日がきた」をうたったり、なつかしい思い出が残る。
子どもたちは、「今日がきた」をなんとすがすがしく、歌ったことだろう。
また、「おみじか」は、なんとまあ、雪の日の風景に、とけこんで歌いやすいのだろう。
物語に付された曲である、というだけで、歌っている人の心が、すっと入っていきやすい。感情移入がしやすいのだ。
子どもたちは、「森は生きている」も戯曲もオペラも歌も、すべて知らなかったが、歌を習ったとたん、どんなお話か、知りたがった。
まあ、長い話だし、登場人物も多岐にわたるので、「本を読んでね」でごまかしたのでありますが、ちょっと話をすると、くいつく子もいましたね。
なつかしい思い出と共に。
林光さん、安らかにお休みください。
作詞は、谷川俊太郎さんです。
※今日が来た。今日が来た。
とっても大事な今日が来た。
(※くりかえし)
昨日は知らないことだって、
今日はきっとよくわかる。
風の子、竹の子、地球の子。
根をはれ、胸はれ、目をみはれ。
※あすよ、来い。あすよ、来い。
誰も知らないあすよ、来い
(※くりかえし)
今日は喧嘩をしてたって
あすはきっとなかなおり
風の子 竹の子 宇宙の子
すくすく まっすぐ のびてゆけ
「代理ミュンヒハウゼン症候群」がテレビなどで話題になって、もうずいぶん経つ。
ほらふき男爵の実名が付されたこの病気を、以前聞いてから、なんとはなしに気になっていた。
「病児の母親を演じること」・・・これが目的化している親がいる。
にわかには信じがたい症例だが、れっきとした病気である。
福岡「殺人教師」事件の真相 でっちあげ 福田ますみ・著
この本を以前読んだ時も、あまりにおかしな事件の顛末を聞いて、本当に驚いたことを思い出す。
常識を飛び越えてしまったこの事件に、福岡市も教育委員会も校長も教頭も、まわりの親やPTAさえもまきこまれてしまった。本当に背筋の凍る思いがする。
こわいのは、「演じる」、ということ。
そして、その仮面を正当化するために、どんどんと虚偽を重ね、塗り重ねて行く。
こういうことに、まとも(だった)校長が、まきこまれてしまう。
事件の後、あまりに常識を外れたこの事件について、どの立場の人も、安易に巻き込まれてしまった自分自身を
「勉強不足」
と責めているにちがいない。
さて、代理ミュンヒハウゼン症候群から少し話がずれてしまった。
なぜ急に、こんな症例の話を思い出したかと言うと、実はご近所さん宅によく来るヘルパーさんの口から、この名前を聞いたからだ。
ヘルパーさんは庭によく出られる。お手伝いに来られたのだ。ご近所さん宅のおばあちゃんが、身体の調子が良いと、いっしょに庭先に出てこられて、少しだけ、土いじりもされる。
その時に、ちょこっと話をすることがある。
ヘルパーさん自身もご近所の方なので、お互いに顔見知りなのだ。
さて、そのヘルパーさんが言うのには、うそばかりを言うおばあちゃんがいるので、
「ほとんど嘘だから、気にしないで、そうかそうか、と聞いてあげてください」
と仲間やご家族の方と話をされて、一致して支援体制を組んでいる、とのことである。
おばあちゃんなので、少々呆けがあってのことなのですか、と聞くと、そうではない、という。
そもそも、若いころから、虚言があったのだが、それがこの齢になって顕著になってきた、というのだ。
65歳くらいから虚言が日常的になり、75歳の今ではほとんどが虚言。
この間はお嫁さんとヘルパーさんが連携してお世話をしていて、今日はこんなことを言っていたが、とお互いに確認しているらしい。
嘘を言っていても、そうですか、と聞く。
すると、ご機嫌がよろしいそうである。
おばあちゃんが、よく、「飼い猫が病気でたいへんだから、動物病院へ連れて行ってくれ」と何度も頼む。
でも、実際の猫ちゃんはとても元気で、まるきり病気でもなんでもなく、元気に何年もの間、病院知らずで過ごしている。
この話のときに、
「代理ミュンヒハウゼン症候群」
という言葉が、ヘルパーさんから出てきたのだ。
そのおばあちゃんがそうだ、というのではない。
ただ、そういう症候群もあるんだってね、というくらい。
でも、そんな言葉がヘルパーさんの口から聞けたので、
「おお、なんとなつかしい。そう言えば」
と思ったのだ。
保護者や児童にも、もしかしたら、ということがある。
福岡の「殺人教師」事件のときは、そうであった。
冤罪というやりきれない重い物を背負ってしまった教師。
そして、教育委員会や校長。
いつも、「嘘」という言葉を聞くたびに、この事件を思い出す。
すでに風化しそうになっているこの事件については、新潮社のWEBサイトにくわしい。
『でっちあげ』事件その後、として、1~4まで、著者の福田ますみさんが報告をしてくれている。