松本大洋が、ここまでビッグネームになるとは思っていなかった。
同じ職場の仲間に教えてもらったのが、12年前。
ポッと出てきただけか?と当時は思っていたが、この12年ほどの間に、「漫画界のカリスマ」と呼ばれるほどになっていた。(ブック朝日コム)
新作。
「Sunny」。
「はっきりと書かれてはいないが、時代は1970年代後半だろう。様々な事情から親と暮らせない子どもたちが集まる「星の子学園」という関西の施設が舞台となっている。」(前掲・ブック朝日コムより)
この学園のリアリティが話題になっているそうだ。
なんで松本大洋は、こんな風景を、まるで見てきたかのように書けるのだろう。不思議だ。
さて、ここに、小学校3年生の子どもたちが登場する。
施設に暮らすのではあるが、きちんと、地元の小学校には通っているのだ。そこでは、他の子どもたちと同じように、小学生として学校生活を楽しく送っている。
ただ、帰る場所がちがう。
他のみんなと同じような、「家族」のいる場所ではない。
施設、なのである。
親代わりの人はいる。
面倒を見てくれる大人はいる。
たまに施設の中に、子どもの心をすっかり見通したように、子どものハートにずしんとくる言動を、ストロークを与えてくれる大人もいる。
そうした大人を見つつ、学校の先生にも、彼らなりの独自の見方でもって、相対している。
物語に登場する子供たちは、なんだか、すっかり、人間と言うものを、表層ではなく、深層でみよう、というような、ひときわするどい視線をもった子供たちだ。
朝日コムが、
「いつも裸の太郎は、朗々と『ヨット』を歌う。暗い曲調と明るく力強い歌詞が同居する印象的な歌であり、この物語のテーマソングのように感じられる」
と書いている。
これはするどい。
暗い曲になってしまうのは、今の世の常識と、やはり自分自身の実の親と限られた接点しかもてないようになっている、「大人の都合」に対するくやしさ、つらさ、かなしさ、さびしさだ。
しかし、一方で、枠から解放されているという明るさもある。
常識を外れていられる、と言う自由さ。それは、とても明るいもの。
また、常識をずれている、というところからする、「表層や外面、事柄」へのこだわりの馬鹿らしさ、一時的なもののつまらなさを知っている、という優越感か。
表層がどんなであっても、現実がどんなであっても、その底に、やはり確たる「生きていることの喜び、人として人とともに生きていくことの楽しみ」があることを知っている、感じている、という強さか。
強い。
この子たちは、強い。
いや、この松本大洋の描く子どもたちだけが強いのではない。
すべての子が、強いのだ。
本当は、どんな子も、強い。(大人が、その本来の強さを引き出すのに邪魔をしないことだろうな)
2011年08月
30年前の8月22日、向田邦子さんが亡くなった。
向田さんの作品に出会ったのは、「あ・うん」が最初。
20代。もう最初の就職をしていた。
「こんな感じで就職してもいいの?」
というような、あっけない、簡単な就職をしてしまい、それでもその仕事が楽しくて、充実感を味わいながらの日常生活。
ひまな時間にゆっくりと読書するくらいが趣味といえばそうか、というくらい、シンプルな暮らしをしていた。
当時は、土日なし。
ほとんどの人は信じてもらえない。
でも、ほとんど10年間近く、土日はなかった。
土曜も日曜も、働きづめに働いて、ほんの少しの余暇時間に、しずかに読書する。
そんな毎日だった。
そのころ、向田邦子さんの作品にあって、しびれた。
なにしろ、文体を真似たくて、ノートにびっしりと書き写しをしたくらいだ。
一番好きだったのは、「父のわび状」。
これは、一つ一つの短いエッセイを、内容とキーワードを抜き出し、分析した。構成の妙の「ワザ」を知ろうと取り組んだのだ。
向田邦子は、キーワードを大事にする。
キーワードを中心に、いろいろな連想が自由に働く。それをまるで連想ゲームのように展開し、最後に落語の落ちのように、ストンと読者を日常とは少しちがった世界に落としていく。
日常の、傍らに、まるでポケットのようにあいた空間に、ストン、と落としてくれる。そんな空間、あったの?というような不思議な世界に、さそいこんでくる。
遠い異空間なのではない。あくまでも日常、日常からほんの数センチずれたような意識の世界なのだ。
この文章の巧みさ、構成の面白みがこたえられない味となって、骨にしみこむほど読みこんだ。何度読んでも、ふるえる感動があった。
その向田さんを、評価する人は多い。
爆笑問題の太田光さんが、向田さんは最高、と言いきっている。
なんだか、その入れ込み具合が自分とダブるんだよなあ・・・。
本当はテレビで「寺内貫太郎一家」なども見ていたらしい。幼なすぎて、その本当の面白さは理解していなかったろう。小林亜星さんがねじりはちまきでなんだかわめいている構図は覚えているから、わが家でもやはり寺内一家を見ていたんだろうな。
さて、夏から秋へ。
このところ、また、向田邦子を読み返している。
40歳になって、また20代のころとはまたちがった意味の、味わいがある。
1学期、話の型を決めた。
ふつうパターン
①昨日、ぼくはこんなことをしました。見ました。やってみました。(本を)読みました。
②ぼくは○○だなと思いました。
わけ理由パターン
①昨日、ぼくはびっくりしました。うれしいことがありました。楽しかったことがありました。
②なぜかというと、○○だったからです。わけは、○○があったからです。理由は○○だからです。
③ぼくはそれを見て、それを知って、それをやって、そう聞いて、□□だと思いました。
これでしばらくやっていて、それなりに先行集団(うまい)も出てきたし、手ごたえもあったが、2学期もまったく同じではワンパターンでマンネリ化してくる。
それで、デジカメパターンを導入する。
写真パターン<その1>
①わたしがとった写真は、○○の写真です。
②なぜこの写真を撮ったかというと、○○だからです。
③ぼくはこれを見て、○○と思いました。
写真パターン<その2>
①これは、○○をしている写真です。
②よく見ると、○○が△△だということがこの写真で分かると思います。
③ぼくはこれを見て、○○と思ってうれしくなりました。悲しくなりました。やったと思いました。新発見でした。
写真パターン<その3>
①これはなんでしょう。なんだと思いますか。なにがうつっていますか。
②実は、これは○○なのです。
③なぜこの写真をとったかというと、○○だからです。めずらしいと思ったからです。おもしろいと思いました。
写真を撮ってもらうのに、すっごく安いデジカメを最安値で購入しました。(なんと4800円。画素数も多く、トイカメラとはちがう品質のよう・・・。なんとまあ安くなったものか)
これなら、まあこわされても文句ない。
(でも、デジカメを大切に扱うことをさまざまな手段でインプットしていこうとは思う)
クラスの人間関係が固定しがち。
保育園からほとんど一緒の関係が続いている。
このクラスは、なんと3年生まで、同じ学級であることが予定されている。
前の校長先生の主義だったらしく、できるだけ同じ担任がもつ方がいい、ということで、1~3年、4年~6年。小学校生活6年間の中で、2人しか先生がいないことになる。
それはそれでいい面もあるようなので、それでいくわけなのですが、これだけ同じメンバー固定なわけで、何かの手を打っておいた方がいい。
でないと、徐々に徐々に、○○くんはできる、△△さんは苦手なことがおおい、というふうに、わりとはっきりと人間観が固定してしまうから。
良い面、伸びている面が学級の中で目立ってきている分はいい。
○○くんって、足が速いんだよ、というのはいい。
それだけならいいのだが、なんとなく人間の全体が評価されてしまっていくのはいけない。
足の速さだけで、人間の序列らしきものができていくのはいくない。
いろいろな指標があるべきだ。その子を理解するには、さまざまな面を引き出してやってこそ、理解が深まる。
多面性が尊重されていく、もっと知らない○○くんのよさ、がある、資質がある、というふうに見ていくためにも。
そこで、しかけていく。
持ち出したのは、どうぶつしょうぎ。
知らなかったけど、数年前からすでに大ブームだったらしい?
夏休みに息子にせがまれて入ったトイザラスの店舗で見つけて、衝動買いしてみました。
これが、イラストもかっこいいし、きれいだし、COOL!
いっぺんに息子も理解し、1年生の息子と何度もやってもりあがることができました。
かんたんで、5分以内に終わることが多い。
これがいい。何度もやり直せるしね。
クラスに、2学期、持ち込む予定。
当然、廊下を走らないだとか、宿題をしっかりやるだとか、姿勢がいい子だけが、さわれる、というふうにしておく。
「昨日、廊下を走ったことで一度も注意されていない子だけが、遊べます。」
最初から宣言するから、次の時間に
「ぼくちゃんと歩いてるもんね」
とやんちゃくんも参加しているのが目に浮かぶ。
「ぜんぜんおもしろくもなんともないわ!」
と吐き捨てるように言う子もいるだろうが、否定系アクションで注意を惹きたがっているのだから、そっとしておく。
ああそう、かわいそうに。と、瞬間に思う程度。0.5秒しか注意関心を向けない。とりあわないし、注意も向けない。視線も向けない。
「否定系アクションは意味ないよ」と言外にメッセージを送る。
ストロークは肯定系のみ。
そのかわり、しょうぎをむっちゃ楽しくやる。
ほめる。
妙な動きをしている子にも、ダメ、とか言わない。
○○ちゃんのおかげで、見ている子もすごく勉強になったよ。強くなれるよ。
一度動かしてみて、だんだんわかっていくんだよ。
くやしい思いをするから、強くなるんだよ。
思わない人は、あまり強くなれないかもしれないけど、負けたからじゃあどうしたらよかったのか、って、考える力がつくんだよ。
負けても、終わったら、ちゃんとありがとうございました、と言える姿を見たら、100倍ほめる。
クラスを大切にする姿だ、と大いに感動する。
強い子にストロークをかけるのは当然だが、そういう姿にこそ、反応していく。
盆がすぎ、2学期の構想をはっきりさせようと、朝から裏庭のベンチにすわって・・・
子どもがアニメのペンギンズだとかを見ている間に、ひとりで思索タイム突入。
この裏庭からの景色がいいんよね。
家が一軒もない。
ずっと向こうの山が見える。
住宅地の端っこだから、あとは畑がずっと広がってる。
さて、この1年間のラストを思い浮かべると、キーワードが浮かび上がってきた。
人を大切にする学級。
この、学級の仕組み、学級の空気、学級そのものを形成していく。
そこに担任として全力を注ぐ。
とはいっても、やはり掃除をさぼるのいるだろなぁ~
プリントの字がきたないのとか、手抜くのとか、
当番活動もやったりやらんだりとか・・・
でも、それを見越して、個々人のせいにできるだけしないような仕組み、できないかな。
個々が、やろうと、やるまいと、「学級が人を大切にする」「学級が人を尊重する」。
そういう学級になることに、全力を注ぐ。
その根本は、学級のそれぞれの持ち味を、最大に役立たすこと。
これをうまくコントロールしたり、演出したり、差配するのは担任の腕。決定権は教師。
そのためにも・・・
持ち味、という言葉を忘れたらあかんな~
文部科学大臣賞を受賞した小学4年生の自由研究が公開されています。
その題名がいい。
「アサリが あっさり 死んだわけ」
http://www.toshokan.or.jp/shirabe-sp/14sakuhin/2asari/HTML/
なぜ死んじゃったの?
というフレーズが印象的。
50ページの大作が、スライドショーで公開されてる。
ここまでの作品を書くために、かなりの素地が必要だ。
本人の、がんばろうとする気力がまずすごいし、ご両親がアサリの飼育に必要な道具として、塩分濃度の計測器を用意してくれているのもすごい。
また、目次を見たら圧巻。
なぜ、という疑問と、仮説をいくつも立てて、それを順番に検証していってる。
結論と、自分の考えを述べているまとめ部分もいい。
いやあ、これを子どもたちに見せるべきですな。
こんなふうにまとめたらいいのか!!!
となるにちがいない。
いい見本を見せる。
これもまた、大事なこと。
8年目のある日、ひょっとしたときに、ふと思いついた。
怒りの思いが出てくるとき、いやな気持ち(感情)になるな。
なんでだろう。
怒りの思いが出てくるとき、すてきな気分(感情)にはならない。
なんでだろう。
相手に対して、怒っているとき、つまらないような、いやな、なんとかしたい、早く気分を変えたいような、つまるところ、「いやな」気分が湧いてくる。
怒りの思いを、自分がもし肯定するならば、怒る時に心の中にすてきな気分が湧いてきたっていいはずだ。
なのに、怒るとき、やはり自分の中に、「いやな」気分が蔓延する。
あ、なるほど、と思った。
はっ、とした。
あれあれ?
どういうことだ?
人間に生まれて、怒る時に、すばらしい気分が湧きおこってきて、また怒りたい、という欲求が湧いてくる人なんているのだろうか。
あっ、人間は、怒りを肯定しないようになっているのか。
(ここ、なんですけど、どうでしょうかね。ここらを語っている人って、いるんでしょうか。いたらおしえてください!)
いや、まてよ。
怒りのときに、きちんと教えてくれている「いやな」気分は、愛の作用だな。
怒りがマイナス感情であるのは、怒りそのものが、愛の作用の発露であるからだな。
ということは、怒りもすべて、愛、ということか。
なんだ、結局、克服すべきものでもない。
怒りは、愛の作用か。
ぜんぶひっくるめて、宇宙自然界に、愛の作用の及んでいないものが無いということ。(怒りですら・・・この怒りですら、愛が真であることの証明になっていた、ということが、わたしには衝撃だったのですが・・・)
すべて、そうかぁー・・・。
これが、これまでにも何度か書いた、28歳で気づいたシンプルなたった一つの原則、ということ。
困ったことなんてないな。困っているのは、溶けていないからだ。それを自然界が教えてくれている。
すべて、愛に包まれているではないの。
これが、28歳の時。
2,3日、このことがいつになっても頭から離れない。
衝撃過ぎて、だれにも語れない。
友達に、熱を入れて何度かしゃべったが、
「そうかー、なるほど」
程度で、わたしが感じているような衝撃を受けてくれない。
これは意外であった。
なんで?すごいことじゃん・・・。
おれがヘンなのかなぁ。
その後、さらに細かく分析すると、
自分の心の中で、人や物、出来事に対して、否定NOの意思が出る。
相手と一つに溶け合えないものを感じると、その意思そのものに、理(ことわり)が作用する。
理が作用し、溶けあえない、ということに対して、いやな気持ち、感情を出す。(自然界からのサインか)
その後・・・
いやな気持ち、感情が、否定の意思と混在して混線・混乱しつつ、「怒り」として表出される。(こういうパターンが多いかな。表出しないで済む人もいるが)
○○という対象がいやなのではなくて、
自分が溶けあえない事自体がいやなのだ。
それがどうにもできないから、混乱する。
そして、混乱が、怒りとして、表出される。
「そんなの、ふざけんな!」
これで、決闘が始まるという寸法。
でも、そうは通常、思っているひとはいない。
わたしは正しく、相手が間違っている。
正義はつらぬくもの。
それが世の常識だ。
こんなことをブログに書くと、よほど妙な変人だと思われるし、案外危険なことだ。
誤解される。
正義は世にあふれているのに、その「正義」の根底を、足元をすくうような発言だととらえる人もいるだろうし。
気の早い人は、
「キリスト教と同じか。右のほおをぶたれたら、左ほおを出せ、というんだろう」
というかもしれない。
近いけど(近くもないか・・・)、もはや手あかにまみれたこのフレーズを今更持ち出しても、解釈が百万通りはあるから、話が進まない。大体、なにかに対応するための「方法」とかいうことではないのだ。左ほおを出すのは勝手・自由だが、別に出す必要もない。右のほおをぶたれたら、ぶたれた、というだけのこと。
なに?じゃあ、敵に一方的に攻められたら、指をくわえて待ってるのか!自分の子どもが殺されても文句はないってか!
と言われたこともある。
大体、この話をすると、20代か30代の男性がこういう反応をするが、まあゆっくり考えてよ、と言うことにしている。別に、ところかまわず、ぶちきれてもいいんだし・・・。なにがよくて、なにがわるい、という話ではない。
自分で考えないと、意味が無い。
私の意見を聞いたところで、何にも面白くもなんともないでしょう、と。自分の意見をぜひ、聞かせてほしい、と言う。
それでも私の考えを聞かせてほしい、という人もいたが、わたしの考えは深くもなんともなく、ただ、「なんで腹が立つのか」をつめているだけ。
それをやっているだけで、現在は
この世は愛ばっかり。愛で100%、と考えられるようになった。
怒りは正しい!
という姿勢もある。
そうした姿勢も否定できない。
怒りそのものも、愛の発露だから。
怒りながら怒りながら、水のように、器に添っていく。
怒って、その怒りの愛をくりかえし反芻しながら、相手と溶けていく。
正義の御旗をふりかざし、怒りを叫びながら、その意味するところの愛を感じて嬉し涙にくれながら、一つになろうとしていく。
こういう行き方が、そのうちに流行しだすのではないだろうか。
あるいはもうあるのかな。知らんけど。
なりたくないのに、なってしまう気持ちや感情、というものがあることに気づく。
これかな。
いやあ、なんだか夏休みボケもあるのか、筆が思わぬ方向へ進み始めて・・・
わたしの特異な体験を書いているが、はたして読もうとする人があるのか・・・。
教員採用試験の2次試験を目前にして、対策を考えている人たちにはまったく関係のないことを書いている。申し訳ない。
でも、ちょっと筆がのってきちゃったから、書きます。
ニーチェがすごいな、と思うのは、ルサンチマンを最初にもってきたこと。
これは、分かりやすい。
嫉妬の感情はだれしも覚えがあるはずで、またそのいやらしさを感じてもいる。
うらやましい、ねたみ、嫉妬、だれでもある。
わかりやすい。実感しやすい。しらべやすい。
だけど、「ツァラトゥストラはかく語りき」の中でも、それは克服すべき課題となっていて、そもそもなぜ嫉妬する感情が出てくるか、嫉妬とはどういう感情か、ということを、おのれの心にてらして調べているわけではない。
わたしがしていたのは、
ただ、自分の感情をしずかに見て、ゆっくりとプロセスを感じ取りながら、感情をまきもどしたり、スローで再生したり、ということを何度もやりながら、
「なんで腹が立つのか」
と考える。
すると、あるとき、「腹が立つのはよくないこと」という常識のような、道徳観念のようなものから離れて、
あれ?
なんで、腹が立っていくのかな・・・
というように、非常にスローなテンポで、自分の怒りの感情をみることができた。
そこでぶっちゃけると、
本当はその人ともいっしょに幸福になっていきたいのに・・・
という思いが、やはりある。
憎んで憎んで、相当に憎んでいるはずの相手に対しても、申し訳ないが、こういう感情が自分にあることが分かった。
これを認めると、敗北感がかぶさってくるような気がして、これも認めたくないことであったが、やはり自分の中に、
「ともに仲良く幸せになりたい」
というような感情がある。
認めてしまうと、いや、ちがう。逆に、「なんであいつなんかに!」と、まるきり反対の感情もある。だから、これを否定してかかる。
でも、どうやら、そういうお人よしの感情もある・・・。抵抗しても抵抗しても、やはりあることを認めないわけにいかない。これを認めるのに、相当な時間がかかる。
まるで、お人よしの、ただのバカみたいに自分が思える。
だから、これを認めるのに5年くらいかかる。
抜きがたい、お人よしの感情があるのを認めざるを得なくなり、やがて、それがあるのになぜ、また腹が立つのか、と堂々巡りのような自問を繰り返すプロセス。
いやあ、これがまた、エネルギーの要ることなんですわ。
あれは20代だから元気があったのかなと思います。
いっしょに考えている仲間の中には、こういう感情を認めたことがうれしくて高揚し、
「わたしはもう、人を愛せる!」
とばかりにうれし泣きをする大人の人もいたが、わたしは「まだ先があるじゃんか。そもそもの問いに答えてないじゃないか」と思って、白けた気分でそういう人たちを見ていた。
まあ、20代の若造だったので、大の大人の人たちがうれしそうに高揚しているのに水をさすつもりはなく、ほほえんでみていたが、心の中では、
「こんなのは一時的な高揚感だな。麻薬みたいなものだ。すぐに現実の世界の出来事に引き戻されて、あっと言う間だろう」
と冷めていた。
さて、8年目のあるとき。
(つづく)
NHKで、今、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」という番組を連続シリーズでやっている。
それを見ていると、人と人とが、組織や肩書や立場や派閥、人事、そうしたものにからみとられて、本当に心の欲するように行動しているわけではないんだな、というのがよくわかる。
また、そのことが不思議にも思えてくる。
もう、21世紀なのに。
まだ、そうした、本当の自由さを感じることができないでいる。
NHKがアンケートをとった。
「まわりの人や組織が自分の意見とは反対のことを進めようとしているときに、自由に自分の意見を言うことができますか」
というようなもの。
で、49%を超える人が、「言えない」と答えた。
これは、自由そうで、自由でない、今の多くの人の心のありようを示している。
さて、わたしはカミングアウトすると、20代は非常に「みょうちきりん」な体験をしていて、実は、山の中で修業をしていた。
こんなふうに書くと、信じてもらえないが、これが本当のことだから、笑える。
今からふりかえると私自身も、
「なんで自分の人生はこんなことになっちゃったのか」
と不思議に感じるくらい。
で、その修業の間、ずっとあることを考えていた。
それが、
「なぜ腹が立つのか」
であります。
ことあるごとに、それが修業のテーマになっていて、考えざるを得ない。
5,6年くらいの間は、
「腹が立つのはよくないこと」
というような考えにしばられていたから、純粋に
「なんで腹が立つのか」
と考えることはできなかった。
医者だとか、教師だとか、牧師さんだとか、仏教界の僧侶の方とか、会社員とか主婦とか、その時々によって、一人でなく大勢の人といっしょに考えることがあったが、たいていの人は、
怒りとは何か
という分析にはじまり、分析に終わる。
それではらちがあかないな、と思いだしたのが、8年目くらい。
ちょうど、27,28歳くらいか。
インドで修業した人の本ばかり読んでいる、50代の大人の人(有名紡績企業の重役らしい)がいて、怒りを一生懸命に解読しようとしていたが、会うたびに、
「釈迦はこう言った」
みたいなことばかり話しかけてくる。
そんなこと勉強しようと思っているわけでないから、まあ聞いてあげられるときは聞いていたが、心の中では、
「そんなこと詰めていっても、自分の心のからくりが見えないと、たんなる道徳やスローガンにしかならないでないの」
と不思議に思っていた。
当時の私はあまりにも純粋で、人生も50年も生きれば、そうとうの真理にたどりつくだろうと思っていたところがあり、有名企業の重役である白髪の60歳近いおじさんが、ご自分が解読したところである釈迦の解説をするのを聞くと、
「なにか意味があるかも」
と思っていた。
でも、やはりその人も、何も見えないままにあがいていたのかな、と今では思う。
その人のセリフで今でも覚えているのは
「慈悲を生きる」
「怒りを完全に克服する」
というようなことで、それを守っていくことがどうやら人間として生きるマナーのようなものらしい。そういうことを言って、いかにも悟ったような顔をしている。
怒りを克服する、というのが分からない。
そんなこと、できるわけがない、と思えてならなかった。
今でもそう思う。
そのへんがひっかかり、
「克服せよ」なんて大上段にかまえているけど、それが仏道だとしたら、仏道なんて意味ないな・・・
と思っていた。
克服、という言葉の意味が分からない人は救われないじゃないか。
そんなの、インキチだな。
そう思った。
(つづく・・・ちょっと引いてますか?)
戦争、とふりかぶらなくても、人と人とがうまくいかなくなる、なんだかしっくりこなくなる、距離が生じてしまう、ということについて書く。
「戦争なんて大きく出て、いったいなんだ。たかだか、小さな個人と個人の人間関係の話じゃないか」
そう。
小さな、人と人との関係について。
これは20代の後半に、とあるふとした思いつきから、
「こういうことをみんなで確認し合っておれば、いさかいや、人と人との隔て、というものは解消するんでないの」
と思った。
「もしかしたら、人と人とを、隔てる心が解消すれば、戦争なんてのもぜったい起きないんでないの」
とも思った。
ただし、このことは非常にわかりにくい。
説明しても、たいていの人は「・・・」とか、「へえ」とか、ちょっとましな反応でも「そんなふうに思う人は少ないんでない?」
というくらいで、すでに説明するのに私はくたびれている。
そもそも、近しく親しい知人の数人や妻に話したくらいで、その後はほとんど話したこともない。
でもなんであえて、ブログなんぞに書こうと思ったかと言うと、先日、NHKで二―チェのことをやっていたからだ。
ニーチェは、聖書中心の道徳観念や社会常識、判断基準で生きていくことにマッチングしない心の動きがあることから、
「神は死んだ」
と言い、ツァラトゥストラという人物に語らせることを通して、新しい「聖書に代わる、人間のもつべき基本理念」を世に示そうとした。
世の人はニーチェを評価せず、晩年ニーチェはさみしく死んでいく。
理解されずとも、世に出すことは意味があるな。
だって、後世の人が、二―チェを学ぼうとするんだもの。
そう考えた。
ようするに、だれかに言いたくなった。
さて、今からここに示すことはあまりにも単純で、ほとんどの人は
「え、それだけ。だからなんなの」
と思う。
ところが、当時、28歳だった私は、このことを思いついたときに、あまりにも衝撃が強く走り、笑いがとまらなかった。
2日くらい、にっこにこしながら過ごしたと思う。
その後、何度も自分の心に去来する、あらゆる事象を、その原則にあてはめては考え直し、そのつど感動する、ということを繰り返した。
ただ、そのことがあったので、人間関係が劇的に変化したかというとそうでもなく、人生の展開が魔法のように変わったかと言うと、そうでもない。
劇的には変化しないが、こんなふうになった。
○人のことがきらいでなくなる。
○きらいな人がいなくなる。
○すぐに仲良くなれる。
○初対面の人でも、とても親しい気がするようになる。
○表面的なもので、反応しないようになる。
結果、あまり疲れない。
人とけんかするなどして、自分の心を波立たせている場合に、それを落ち着かせるのには非常にエネルギーが要ると思う。
わたしの母親は非常に血の気の多い人で、なにかにつけ癇癪を起していたから、クールダウンする大変さと苦労を、はたで見ていてよく知っているつもりだ。
その、クールダウンをわざわざと、無理とする必要が無い。
これは楽だ。
わたしは28歳のころは営業の仕事をしていて、初対面の人にも話しかけなくてはならない仕事だったが、とても楽しかった。(会社は斜陽化していて、やめなくてはならなかったが)
会社をやめなくてはならない、となったときも、ほとんど落ち込まず、自分を不幸とも感じなかった。
そのシンプルな原則を感じるたびに、これ以上ないくらいのゆったり感というか、地面の一番底の固い地盤に足をつけている感じがあったから、不安が生じない。
こういう話をすると、いわゆる「引く」人もいる。
「宗教ですか」
と感じる人もいるし、マーフィーの法則のような、ちまたに流行する現代版心理操作のようなものだと感じる人もいる。
でも、あまりにも単純で、かんたんなことなので、そういったものともちがうと思う。なにしろ、この私が考えることができたのだから。
40歳になる、愛知県の片田舎に住む、ただの小学校教師。
その私が、考えていることで、本当にたいしたことがない。
それで、たいしたことがないので、他にも同じ考えをしている人っていないかな、と思って探し続けている。
ところが、まったく同じことを言っている人が、見つからない。
いやいや、自分が知らないだけで、同じことを言っている人がかならずいるにちがいない。と、ずっと思い続けてきた。
実際に、そういう人もいるにちがいない。
それか、あまりにも当たり前のことすぎて、わたしが彼らから抽出できていないだけかもしれない。
斎藤一人さんが近いかな、と思った時もある。
一人さんは、困らないんだ、となにかの著書に書かれていたので、
「そうだ!同じだ!」
と思ったことがあった。
でも、一人さんのメッセージはそれこそ多岐にわたり、何百何千というメッセージを出している方なので、私と同一、というわけでもないだろう。
また、わたしの言いたいことを、ずばりと書いているわけではない。
もう一人別の人で、小林正観さんという方がいる。
知人がたまたま
「あなたに見せたいから」
と持ってきて、貸してくれた本だったが、この方の本の題名に、
「宇宙が味方の見方道」という本があり、
宇宙が味方、というのは同じだな、と思って読んでみた。
宇宙、なんていうと、ちょっとオカルトチックだし、なにか妙な雰囲気も感じるが、まあ、言ってみればそうか、そういう言い方にもなるかなと思った。
小林さんもやはり斎藤一人さんと同じで、世の中の経済から教育から医療から、さまざまなメッセージを出されている。また、ずばり、わたしの言いたいことを書いているわけではない。だから私とはちがう。
わたしは、一つだけだ。
それを、あまりにもおこがましいからこんなふうには書いてこなかったが、盆だし、昭和の戦争の記憶がテレビで語られている時期だし、わたしも夏休みになって時間が余っているので、書いてみている。
なぜ、人と人とは、隔てがあるのだろう。なぜ、分かち合えないのか。なぜ、対立するのだろう。なぜ、一つに溶けあえないのだろうか。
(つづきはまた)
ひさしぶりに映画を見てきた。
宮崎駿さんプロデュースの「コクリコ坂から」だ。
映画館はわりと空いていた。
他のお客さんはみんな、ハリーポッターとか、他の映画に流れていたよう。
でも、コクリコ坂のシアターも、開演時刻にはいっぱいになった。
この中で、主人公の海さんが出生のひみつを知り、つらさに耐えるシーンが出てくる。
海さんは、朝、ふとんから起きてくる。
前の晩からずっと泣いていたのだから、起きてこられないのかと思った。
でも、海は起きる。
そして、身体がうごくとおりに、しっかりとふだんどおりの生活をする。
これが、海の強さだろう、と思った。
心がどんな状況でも、
朝、やることがある。
朝、行動できる自分がいる。
頭の中はかき乱されていても、手と足と身体は、きちんと毎日の落ちついた、自分自身のくらしを、営みを、つくろうとしている。支えようとしている。
これを、強さといわずしてなんといおうか。
うつ病で苦しむひとも多い。
不登校で昼夜が逆転する子もいる。
なにかと生きにくい現代社会。
その中には、毎朝、起きるのが当たり前だ、ということを、なんとかやりこなそうとしている人もいる。
精神が追い込まれたとき、立ちあがれなくなることだってある。
朝、起きてくることができないこともある。
ただひたすら横になって、頭の中に去来する様々な印象とたたかっているだけで、せいいっぱいの人もいる。
海は、起きる。
そして、台所に行く。
お釜をのぞく。
米が前の晩から、水にひたしてある。
それを確認し、火をつける。
すぐにコップに水を汲む。
父の写真の前に、それを置く。
花に、水をやる。
そして・・・
大切な、幼いころから続けてきた、かけがえのない儀式、国際信号旗を揚げる。
このとき、海の心は落ち着きをとりもどしているかのよう。
表情は、かすかに、晴れかけている。
海はつよい。
海は、いつもどおり身体をうごかすことで、自らの心を、「いつもどおり」に、起動していく。
この朝のシーンが、もっとも印象に残った。
なんともすがすがしい、そして力強い、日本人の強さを見る思いがした。
朝日新聞の天声人語で、こう書かれていたのが目にとまった。
「国会で説明した児玉龍彦・東大教授によれば、福島からは広島原爆20個分(ウラン換算)の放射性物質が飛散した。残存量もはるかに多く、影響の広さ、長さは知れない」
え、そんなに、と驚く。
広島の被爆者を調べてみると、被ばく量が少なかったのにも関わらず、明らかに被ばくと関連性のある被害が認められた。
これも、広島原爆が教えてくれたこと。
無念ではあるが、広島原爆から学ぶことは多い。
チェルノブイリからも学ぶことがある。
放射能の測定値が少ない土地であるにも関わらず、立ち入り禁止区域になっている場所で、生物の研究をしている研究者がいる。
彼によると、あれから何十代も経ているにも関わらず、やはり他の地域とはまったくちがう奇形が、燕の身体に認められるそうな。
こういう話を聞くと、放射能の恐ろしさが真に迫ってくる。
しかし、逆の見方もある。
先日、フジテレビの何の番組だったか、イタリアのある国では石畳でできた町のメインストリートで放射能を測定すると、日本よりもはるかに高い数値が出た。
そのことを通りかかりの町の人に問うと、
「だいたい、石からは普通に放射能は出ているもの。自然界にはたくさんの自然の放射能がある。そんなの、いちいち気にしていられない」
と語っていた。
ひな段に座った芸人やタレントが、
「放射能って、それほど恐ろしいものだと思わなくなった」
としゃべっていた。
さて、子どもたちの感想はどうなんだろう。
もうすぐ、夏休みの自由研究をまとめる時期に入る。
いったいどんな、研究が届くのか。
夏休み明け、2学期の最初の日。
自由研究をひとつずつ、読んでいくのが楽しみでならない。
細いストローが、わたしの鼻の穴に、吸い込まれていく。
目の前のテレビ画面には、ふしぎな世界が展開する。
鼻毛の森を抜け、妙な鍾乳洞の道を抜けると、わりとすぐに胃だった。
もっとつるっとしたイメージであったが、実は胃は、かなり複雑な構成になっているようであった。
小さな部屋を、何度も言ったり来たりしたような気がする。
「わたし、牛じゃないのに、なんでこんなに部屋がいくつもあるんですか?」
「そういうふうに、見えるんですよね」
医者は、わりとスッと答えて、自分の興味あるところへどんどんとカメラをうごかしているようである。
口からでなく、鼻の穴からチューブ(カメラ)を入れるので、医者と会話することができる。これはすごい。
しかし、医者の態度はそっけないもの。
患者の質問など、たいしたことではなく、今自分が潜入している、あたらしい洞窟の中の方にこそ、興味があるのだ、という感じか。
さて、結論を言うと、妙な潰瘍などはないとのことで、安堵した。
最後に、麻酔が効き過ぎて、領収書の文字が見えないほどまで混沌としたので、しばらく待合室で横になった。
(ちょっと、麻酔が効き過ぎたのじゃないの!!?)
胃カメラ初体験 こんなに複雑な壁なの?
ストレスか。
6月ごろから、腹部が痛むことが多くなった。
食べた後にも、すぐに食べたものが胃からなくならないことがあった。
夜中、胃がいたくなって、ふとんの中でもだえ苦しむことも。
こんなに痛む体験はこれまでない。
さっそく受診した。
まず、腸が痛むのか、胃が痛むのかを切り分けた。
障害の場所を特定する。
おそらく、胃だろう、ということになった。
「胃カメラ、のみますか?」
こんなチャンスはめったにない、と思い、興味もあったので
「おねがいします!」
と即答しておいた。
さて、医者からもらった薬をのみながら、胃カメラの日まですごしていると、案外と落ち着いてきて、薬が効いたのかな、と思う。
周囲の近所のおじさんや、友達や家族はみんな、
「ストレスじゃないの」
と言う。
しかし、ストレスは感じていないような・・・。
近所のおじさんが、
「いやあ、自分ではもう麻痺してて、わからんのよ。そのくらいストレスが長い間、あんたをむしばんどったってこと」
と断言して、気の毒そうな顔で私を見る。
「先生って職業も、たいへんですわなあ・・・」
同情してもらってる??
ストレスを言うのなら、転職する前の、SE(システムエンジニア)をやってたころに、ネットワークが断続的に切れてしまう障害の対応に追われていたころの方が、MAXだったように思う。
また、教師になってからの最初の一年目、なにがなにやらさっぱり分からず、学校の仕組みを理解しないまま、教室での授業に突入していっていた、あの日々の方がもっとたいへんだった。
ストレスじゃないんじゃないか・・・と思っている。
「学年主任が初めてだからじゃないの」
隣の席の、5年生の先生がそうやって話しかけてくる。
職員室でも、わたしの胃カメラが話のネタになってしまっていて、いじられまくっている。
夏休みの職員室で、ちょっとほっとした空気が流れているので、この程度のことがみんなの話題になるのである。休みならでは、という感じ。
さて、胃カメラを飲みました。
最初、鼻の通りを良くする薬を入れて、しばらく待つ。
その間に、担当の美人看護婦さんが、てきぱきといろいろな検査内容を教えてくださるが、なんとも手際がよく、かつ失礼がない。上品で品格があり、すべての動きに無駄がない感じがした。
さて、その後、さらに鼻と喉の麻酔薬をたらしこみ、これが激痛であった。
ウォッカをそのまま流しこんだようなヒリヒリ感が、鼻の奥全体にひろがり、ちょっと目を「パチパチ」させないと我慢できぬ。
その後、ようやく先生が現れました。
先生が細長い透明な管を鼻にさしこみ、
「うん、右の方が入りやすいな」
とひとりごとを言って、
「右にします。通りが良さそうだから」
と、やわらかいストローのような管を、私の鼻に入れてしまった。
それは薬がぬってあるらしく、表面がべとべとになっているそのストローが、仰向けに寝ている私の鼻から天井に向かってのびているのを見ていると、自分がピノキオになったような心持ちがした。
さて、カメラのスイッチが入り、いざ潜入。
先生が、
「どうします?中、見ますか?」
と尋ねてくれる。
半分くらいの人は、自分の体の内部を見たがらないそうだ。
しかし、私は速攻で返事。
「ぜったい見ます」
先生が笑いながら、スイッチをONにすると、横になった私の顔面の前にあった小モニターに、なにかが映った。
黒い林。
これは、鼻毛である。
「おお、ここからスタートか!!」
小さなストローが、徐々にわたしの身体の中に入っていく。
(後半に続く)
周囲の先生方の指導を、食い入るように見る。
それは、大きな学びのチャンスだから。
他の先生が、子どもたちに指導している場面を見ながら、
「おお!このフレーズは、うちのクラスの子たちにもぜひ言って聞かせたい!」
と思うフレーズがある。
それを、週の指導簿(週案簿)にちょこまかと記入しているが、
夏休みなので一度、自分なりにまとめてみたい。
事例 その1
アスペルガーの子である。
プライドが高く、自分が失敗したりうまくいかなかったりするとすぐに取り組みをやめてしまい、パニックを起こす子。
あるいは、パニックまでいかずとも、物に八つ当たりする子がいる。
ある日は、傘がうまく一度で開かなかったことに腹を立て、傘にブチ切れていた。
「この傘、クソだ!!」
そして、傘を壁に何度もバシバシと当てて、骨をずたずたに折ってしまう。
母親は、常に困った顔になってしまった気の毒な(それでも非常に整った顔立ちの)方だが、もはやパニックになってしまった子に何も言えなくなってしまっている。
さて、この自閉症スペクトラム症候群の男子児童に、やさしく接することのできる、凄腕の特別支援担当の女性教師がいる。
その方が、算数のドリルをひろげて、男子にやらせている。
(その、ドリルをすわってやれる、というだけでもすごいことなのだが)
そこで、ふと聞いていると、
「おしい!」
とか、
「あとちょっとだったのに!」
とか、
非常にナイスなタイミングで、声をかけている。
男の子の表情が曇る、わずか0,1秒前に、こういう明るい声かけをされている。
すると、男の子が、曇る表情にならずに、すぐ晴れた表情にもどってくるのである。
ここまでの名人芸の域に達するまでに、どのような努力をされたのだろうかと頭の下がる思いがする。
さて、この先生が、キメ台詞のように使ったフレーズが、これだ。
3,2,1
どうぞ!
フレーズ その1
「前、こうしたらうまくいったよね~」
うまくいったときのことは、なかなか覚えていないアスぺの子たちに、おそらく非常に顕著に有効であろうフレーズ。
これ聞いたら、ちょっとやってみよっかな~、という気分になるだろうと想像する。
逆に、うまくいかなかったことばかり覚えている自閉症児もたくさんいるから、うまくいったことを、ぜひ思い出させてあげたい。そのためにも、いつも頭において、何度もくりかえして言ってあげたいと思う。