転職の相談を受ける。
わたしが複数回、転職をしているためだろう。
福島原発の放射能が心配で、移住を考えている人がいる。
うちの家内の古い友人。
現住所は、千葉だ。
「フクシマが今、たいへんですが、静岡県の浜岡原発も心配ですよ」
と言ってみたが、考えは変わらないようである。
家族で少々ツテのある、愛知県へ引っ越そうともくろんでいるのだとか。
一番の動機は何ですか、と尋ねると、
「子どもです。放射能がこわいので」
とのこと。
何でも地元の水道水から、基準値を超えた放射性ヨウ素が検出されたらしい。
「もう、千葉には住みたくない」
とは、奥さんの意見。
へええ、と驚いた。
こういう人も、いるのだなあ。
気持ちの元にあるのは、わが子への愛情、である。
同じように、フクシマ、東北、関東圏、首都圏からの疎開をもくろむ人がけっこういる。
問題は、家族内の意見調整だ。
旦那さんと奥さんと、それぞれの意見があり、合わない事だってある。
旦那さんとは当初、意見が合わなかった。が、最終的には奥さんの気持ちを受けた、という人もいる。
近所に越してこられた家族がいて、今回の震災が大きなきっかけになったとか。
ご主人は転職を視野に入れ、いろいろと悩まれたが、これからの人生航路、舵を切るタイミングと判断されたのだとか。
この方に、
「最初の会社に、何年お勤めでいらしたのですか」
と訊かれた。
「十年です」
というと、驚いている。
十年勤めた会社を辞めて、転職することそのものに、相当な勇気が要るものらしい。
もう、過ぎ去ってしまった身であるから忘れてしまったが、当時の自分自身も相当、自分を鼓舞していたと思うし、気合を入れて計画を立てていたと思う。
だれしも、「転職する」ことに自信はない。
途中で嫌になってしまったらどうしよう、という不安だってある。
思えば、転職は不安だらけである。
1)離職する不安。家計の不安。(子育て中ならなお)
2)無事に就職できるか不安。失業の不安。
3)本当に新しい職業にマッチできるか不安。
4)続けられるかどうか、の不安。
どれも不安だらけ。
まともに考えたら、転職などリスクの高い賭けのようなもの。
周囲の人で、それを勧める人はめったに居ないだろう。
だから、転職の相談でわたしのところを訪れよう、というのだ。
(転職しようという人の背中を押せる人が少ないものね)
「それで、転職して先生になったのですか」
「すぐにはできなかったですね。その前に、教師になるためにやらなきゃいけないことがあったので・・・。免許がなかったもので」
まず最初の転職で、免許取得の勉強ができるようにと思って自宅から近くの勤務先を探して勤めたこと。
通勤が自転車こいで10分、だったこと。
その時間を勉強時間にあてたこと、などを話した。
その後、再度転職をして、教師になったことを話すと、
「なるほど、用意周到ですねえ」
と感心された。
用意周到というよりも、他に打つ手がなかったのだ。
追い詰められていた、という感じもあったから、むしろ背水の陣であった。
私のように、学生時代にこれといった世界が見えず、とりあえず就職した先でいろいろと人生経験を積み、そこから改めて道を定めた、という人も数多くいるだろう。
10年くらい経ってから、
「このまま行ってもいいけど・・・。もしかすると、○○がオレの本当の道かも」
と思うことだってあるのじゃないか。
とくに、これからの時代、キャリアはこれまでのような終身一企業就職、というような一階建てではなく、20代、30代、40代とそれぞれのステージでの就職を考えるようになっていくかもしれない。そうなると、就職イメージは、これまでの一階建てでなく、二階建て、三階建て、というものになっていくだろう。
震災で、奥さんが引越しを希望する。
旦那さんも、結局はそれに同意して、引越しを前提に生涯設計をやりなおす。
奥さんは、家計のためにはともかくも働いて、給料を稼いでほしい、と思っている。
片や、旦那さんの方には、これを機会に、と考えてみると、実は前からやりたかった職業がある。
どうせ転職するのなら、思い切って自営の道に、と考えることだってできる。
私自身は、10年勤めた牧場で働くうちに、「教師」という方向が見定められてきて、
「教師になります!」
と言って行動したのだから、転職と言っても、なんだか夢を追っているようで楽しかった。
20代では、自分の就く職業を定めるときの、確固たる発想も勇気もなかった。
実社会で10年やってきて、ようやくそういう境地に立てたのである。そこから現在の職業に就いたのだから、回り道をずいぶんした。
でも、私には必要な回り道だった。
大学を卒業して、ふつうに就職活動をして企業に入社する人の中には、10年くらいするとなんだか違うセンサーが自分の中に育ってきて、「転職」を考える人も多いと思う。
結構、いいですよ。そういうの。
転職を、自信をもって勧めたい、です。
2011年05月
【絵てがみ】をかいた。
名前は本当は朱印をつくってやるのがいい。
魚などを置いて売る発泡スチロールのトレイの切れ端が要る。
サインペンで、写し取り紙に自分の名前を書く。
裏側から見ると、左右反対に見える。
それをスチロールトレイに貼りつける。
上から、字の形を確認しながら、えんぴつの先でぷすぷすと穴をあけていく。
スチロールがやわらかいので、ちょうど字の形に、えんぴつで穴をあけることができる。
それを朱肉に押してから、はがきにペタン。
これで立派な印鑑になる。
赤鉛筆でそれらしく書かせたこともある。今回は思いつきの空き時間で作成したので、ともかくも名前を端に書かせただけでした。子どもたちは文句も言わずにやってましたが、内心「ごめんね」と言いたくなります。
<ほめことば>
うまくボケたね。
にじみがいいね。
大胆な構図だ!
ほんものみたい。
生きた感じがする!
味がある。
色が重なったね。
余白が生きてる。
おいしそう!
など。
とにかく感心しまくる。
ほめる、というより、
感心する、と思った方が、図工の授業では「ほめ言葉」がスッと出てくる気がする。
うさぎの世話にかかわることで、どんな力をのばしてほしいか。
1→「加減」「やわらかさ」「ていねいさ」「そっと」というニュアンスを知ってほしい。
つい乱暴に手を動かしてしまう子、ていねいにやる、ということよりも、すばやくやる、という意識が強いのか、ノートを扱うのもえんぴつを扱うのも、雑になってしまう子がいる。宿題にも根気が続かず、途中でいい加減な答えを書いて間に合わせようとしてしまう。根気がないのが問題なのか、それとも・・・。
自分の身体をコントロールしようとする意志を高めたい。
うさぎは、乱暴には扱えない。うさぎは生き物。雑に扱うことはできない。
「そっと」ということ、大事に、ということ。ていねいに扱う、ということを覚えてほしい。
まずは「そっと」ができるようになり、やがて・・・。
「ふわっと」
「ゆっくり」
「やさしく」
「しずかに」
2→「大事」「ひとつしかないいのち」を感じてほしい。
手を抜けない。ほうっておけない。他のことをおいてでも、大事にしなければならないもの。
それがいのち。
そのいのちの貴重さ、大事さ、ひとつしかない、というかけがえのなさを感じてほしい。
うさぎの気持ちを想像する、基礎となる認識。
「いま」、「ここ」で、「この」うさぎの命を感じて、なにができるか。
うさぎのいのちに向けて、自分の気持ちを焦点化させる心の動き。その先に、自分中心をのりこえた、相手の気持ちをくみとる心の芽を・・・。
3→「いっしょに」やることが楽しい、と味わってほしい。
うさぎを媒介にして、ひとりだけでなく、友達と関わることの楽しみを知ってほしい。うさぎの世話を共にやり、いっしょにやる友達と会話し、うさぎのことで話をしてほしい。
道具を貸し借りする場面や、えさをどちらがどれだけやるか、の相談をしながら、順番をゆずりあったり、方法を工夫する知恵を出し合ったり、道具を交代で使ったりする体験を積んでほしい。
4→世話をする者は、抱くことができる。
世話をするときには相手まかせ。遊んだり抱いたりするときやつかまえるときなど、自分がおもしろい、と感じるときにだけしゃしゃり出てくる。
自分がやりたいことはやるが、きらいなことはやらない。さぼろうとする。
その癖をできるだけ軽減させていくために、世話をする、責任を果たす者だけが、うさぎを抱くことができる、という社会の掟を(きびしいかもしれないが)知ってほしい。
5→「貸して」が魔法の言葉ではないことに気づく。
自分がもってきたキャベツ。いつも○○くんに「貸して」と言われて半分(ときにはそれ以上)とられてしまう。
自分がうさぎにあげたいのなら、きちんと用意をして来ればいい。
○○くんは、自分では用意をしないのに、「貸して」といいながら、もう手がのびて、キャベツをとりはじめている。
貸す、貸さない、あげる、あげないの決定権は、もらう側にあるのではなく、相手にある。もしくは「話し合い」の中で決まる。貸す立場、相手にも、意思がある、ということに気づいてほしい。
「貸して」「ちょうだい」は、命令ではない。
6→うさぎの行動を決めるのは、うさぎ。
あるうさぎに、別のうさぎがかまれたから、といって、噛んだうさぎをこらしめようとする。
うさぎが病気になると、「なんで病気になったんだ!」とわめく。
うさぎが小屋から出ない。あるいは、思いもかけない場所から逃げた。
うさぎは、思い通りにはならない。
うさぎの行動は、うさぎが決める。
うさぎの行動の決定権は自分にあると思っている?
「あのうさぎ、ウザい!」
だから、思い通りに動かないと怒る。
うさぎからしたら、きみの声がウザいだろうね。
そのことに、気付く。
7→ずっとうさぎ小屋の前にいたい。でも授業が始まるよ。
学校は、スケジュールがある。
ずっとうさぎを見ていたいけれど、そうとばかりもいかない。
ざんねん。仕方がない。
心をすっきりと切り替えて、次の授業や、掃除のしたくにとりかかろう。
切り替えること、あきらめることを覚えてほしい。
こんどね。またね。次の当番の日が、また楽しみだよね。
8→自分がそう考えた、行動した理由(わけ)を話せるように。
友達といっしょに仕事をしていて感じたこと。
おしえてほしい、と思ったこと。
どうして?と問われたときに、~だから、こう考えた、と言えるように。
理由を話せるようになると、一気に話し合いのレベルが進む。
9→うさぎに名前を付けることを通して、「名前」の大切さを知ってほしい。
友達にも名前がある。学級にも名前がある。
だれにだって名前があり、名前を呼んでほしい、知ってほしいと願っている。
さみしさは、「名前」を呼んでくれる人がいれば、こらえられる。
その人に近づく、いちばん大事な手立てが、名前。
うさぎにも。
10→おどろかさない。その空間に入っていくときの・・・「おはようございます」
あいさつ。
教室に入る時、おはようございます。
なぜか?
「今から入りますよ。あやしいものではないですよ。仲間ですよ。仲良くしたいと思っていますよ」
集団に、スムーズに入っていくためのあいさつ。
おはようございます。
うさぎ小屋でも。
11→感謝の言葉。ありがとう。
こころをこめて、言えるか。
言ったことがあるか。
どうだろうか。もしかしたら、大人に言われたから言っているだけかも。
心から、ありがとう、といえる場面がもしうさぎの世話を通して、提供できれば。
そっと、という言葉を、子どもたちはどうとらえているのだろう。
そっと、と声をかけても、まったく変わらず乱暴に道具を使う子もいる。
また逆に、「そっと」を意識しすぎるのか、急に活動が慎重になる子もいる。
ほとんど活動がストップしてしまう。
これがなかなかむずかしい。
適度感覚というのはもっとも高度といわれるが、「そっと」という加減はなかなか子どもたちの身につきにくいものかもしれない。
先日、うさぎ小屋で事件が起きた。
名付けて、「扉でけが!」事件。
鉄扉をひらくときに、いきおいよく開けたもので、飼育当番の子が足にけがをした。
これをきっかけに、扉の開け方をみんなで相談することになった。
足にけがをした子は、みんなに足の痣を見せている。
そこから導き出されたのは、
1「もう怪我はしないようにする」
2「うさぎにも怪我をさせない」
ということ。
それを可能にするために、自分たちがやれることとして、
「そっと扉をあけしめする」
と言う言葉であった。
そっと、というキーワードが出てきた時点で、
「そっと」
をやれるようになろう、という目標が出てきた。
みんなの「そっと」と、自分の「そっと」とは、どうちがうのか。
それも興味がある。
ともかくも、
「そっと」
という言葉を学級でまともに扱うのがやりたい。
そこに焦点をあてて、
「そっと」をたっぷりと味わってみたい。
教員採用試験の日程・しめきりが迫ってきました。
いよいよ、明日が締め切りです。
愛知県 7月21日(木) 募集期間5月11日(水)~24日(火)消印有効
まだ迷っているという方もいらっしゃるかもしれません。
ぜひ、頑張ってください!
名古屋市はまだ大丈夫です。6月2日まで消印有効とのこと。
名古屋市 7月21日(木) 募集期間 [持参]5月24日(火)~6月3日(金)
[郵送]5月24日(火)~6月2日(木)消印有効
採用情報ページ http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/65-2-0-0-0-0-0-0-0-0.html
教育委員会 http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/62-10-0-0-0-0-0-0-0-0.html
静岡や浜松はもう締め切られています。
長野も、ぎりぎり間に合います。
長野県 7月2日(土)・3日(日) 募集期間 [持参]5月10日(火)~25日(水)
[郵送]5月10日(火)~25日(水)消印有効
関東に目を向けてみますと、
神奈川や相模原市、横浜市はもう締め切られています。
しかし、川崎市だけはまだ間に合います!
川崎市 7月3日(日) 募集期間 5月9日(月)~24日(火)消印有効
※郵送のみ
東京都や埼玉はもう締め切られ、群馬県はOKです。
群馬県 7月3日(日) 募集期間 [郵送]5月6日(金)~25日(水)消印有効
[持参]5月6日(金)~25日(水)
これから試験を受けられる方、ぜひがんばってください!
私の学校にも、講師の方がいらっしゃいます。
今年、受験するということで、職員室の仲間で応援していこうと話しています。
まずは1次試験に向けて、着実に過去問等をこなしていってほしいと思います。
授業の目的が、昨年とくらべてかなりちがってきている。
昨年は、子どもに学力をつけることが教師の仕事だ、と思っていた。
今年は、「力をつける」よりも、もっと上位にあたる目的を設定した。
昨年までの、「力をつける」は、2番目になった。
「クラス中の子どもたちをつなげる」
これが1番目。最上位にあたる目的意識。
人間関係の力をつける、生きる力をつける、という意味で本当の力をつけてやりたい。
そういう意味では、
「ちから」
の意味合いが変わってきた、といえるかもしれない。
子どもたちが、自分の所属する学級に安心感をもっていなければ、本当の本当に、学力をつけてやりたいと願っていても、それが「できない」。
クラスの子どもたちが、お互いの人間関係に満足していなければ、安心できる空間にはならないのだ。
これは、昨年度担任したクラスで、発達障害の児童を複数指導した経験があってこそ。
教師であれば、子どもたちに力をつけてやりたい、と思う。
しかし、発達障害の子らには、それがなかなかむずかしいのだ。
根本には、その子たちが、安心できる学級環境がなければならない。
そうでなければ、学力がつけられない。
昨年。
学級にいられずに、特別支援学級へ行こうとした子がいる。
通常学級では、安心していることができなかった。
自分から、声をかけて、人間関係をつくることができない子だった。
こうした状況をふまえ、チームをつくった。
校長をはじめ、多くの方に助言をいただき、特別支援へと方向を定め、医療関係も含めて動き始めた。
ところが、そう簡単にはいかなかった。
その子が通おうとした先の特別支援学級にさえも、人間関係の不信感から通えなかったのだ。
彼女は、支援級の男の子たちと、どうにも折り合いが付けられない。
「あの男の子たちがいるんなら、わたしはいけない」
学校に、居場所がなくなりかけていた。
次なる手を打つ。
学級でもなく、特別支援学級でもないところ・・・。
どこか、彼女の居場所になるようなところはないか・・・。
保健室か。
しかし、彼女は低学年のころに保健室ともうまくいかなくなっていた。
保健室の先生に、親以上にべったりとくっついていく。
アスペルガーの特徴で、保健室の先生が他の児童にとっても大切な存在であることが理解できていない様子。
いつも自分のそばにいて、話しかけていてほしい、と要求する。それに応じられないというと、保健室で棚のモノをひっくり返したり、ベッドでとびはねたりと、大人の注目を得るためのあらゆる行動をとっていた。
保健室の先生が、すでにこの女の子とはつきあえないほど、疲れ切っていた。
これは、学校が破たんするか、該当児童が不登校になるかの、瀬戸際だ。
そこで、奥の手を思いついた。
相談室、である。
相談室だって本来はそういう場所ではない。だからこれは、不登校にさせないための、緊急的、応急的な措置、ということだった。
相談室の先生にお願いをして、相談室でほとんどの時間をすごすようにした。
給食も、そうじも、もちろん学級の時間も・・・。
授業時間は、プリントをやって、すごした。
あたらしいことは教えられない。
昨年までの復習がほとんどだ。
それでも、通常学級よりはマシだ、と本人が言っていた。
通常学級の授業についていくための、前年度の学力が、ついていなかったからだ。
結局、1年間、そうしてすごした。
担任は、毎週木曜日の学年会を、3つ、掛け持ちした。
1)通常の学年会。主任や他クラスの先生と、学年の指導方針を打ち合わせ。
2)支援級の先生と、次週の動きを打ち合わせ。
3)相談室の先生と、個別の対応を打ち合わせ。
これを1年間続けるのは、相当なエネルギーが必要だ。
結局、基盤にあるのは、通常学級の子どもたちの力だ、と考えるようになった。
子どもたちの力が、発達障害の子らを包みこめるように、育っていなければならない。
認め合い、助け合い、力を発揮しよう、という子どもたちに育っていなければ、発達障害の子らを包みこんで、安心できるクラスを支えていくことができない。
以上のことから、今年は変わらざるをえなかった。
大きく、授業の目的が変わった。
とにもかくにも、学力なんかよりも、もっと大事なもの。
クラスの友達を意識して、行動できるかどうか。
相手の身になって行動できるかどうか。
助け合おうとしているかどうか。
それを評価するために、授業を仕組む。
教師の意識が、そこに集中する。
「学力」の中には、もちろんこうした広い意味の「人間関係をつくる力」も含まれると思います。
そういう意味では、「学力をつける」を本当にやっていくことが、授業の目的と言えるかと思います。
歯の授業をすることにした。
1)もうすぐ歯科検診がある。
2)虫歯の子が複数いる。
3)生活科で、うさぎの飼育をする。
3)については、少し説明が要るだろう。
目的は、子どもたちの自立である。
自分たちのねがいを実現させていく行動力、実行力、考え方をうまく身につけてほしい。
ただし、条件がある。
個人のみの願望だけを優先させるのでない、という点だ。
相手との相談、協力、コミュニケーションの力も必要であり、これらを含めた力を総じて、はじめて
「自立の力」
とみなすことができるだろう。
個人のみでなく周囲社会と調和しともに生きようとする姿にこそ「自立」がある。
(個人のみでは、まだ「孤立」の域だろうから)
孤立ではなく自立をめざすとして、
「相手を意識する」
ということが、どの程度やれるか。
ほっておいて勝手に身につくことではない。
練習が要る。
ところで、2年生というのは、自分、という意識がどの程度あるのだろう。
自分と相手とのちがいは理解できているが、それがどの程度、実感の支えをもって、理解されているのだろうか。
相手を知らないがゆえに、自分を知らない。
自分を知らないがゆえに、相手も分からない。
自他、というのは、相互の理解。
自分を調べるために、相手を調べたい。
相手を調べるためには、自分のことを知らなければならない。
と考えると、おのずと、まずはじぶんをしらべよう、ということになる。
それも、発達段階を考えれば、2年生の「じぶんしらべ」にふさわしい課題はなにか。
それは、自分のからだ、であろう。
自分のからだを再発見し、その内容や実感をもとにして、さらなる自分自身をみつけだしていってほしい。また、自分を知ることから、相手を知ることへとつなげてほしい。さらには、自分と相手のコミュニケーションをくりかえす中から、相手の立場を考えた行動ができるようにしていってほしい。
こう考えて、「自分の身体をしらべる」単元をやることにした。
その第一回目が、「歯」だ。
ちょうど、6月4日が、むしばの日。
歯の検査があった次の日に、授業をすることにしている。
以下は、メモ。
これからの展開。
歯→虫歯予防→ほねときんにく→うさぎの歯、うさぎのほねときんにく→うさぎのくらし→うさぎの楽園づくり→自分たちの理想の学級づくり→相手を思いやりながら、自分のねがいもわすれずに実行できる力。
その後、白い紙を配り、
「なにが○○さんの心や気持ちを傷つけたと思うか、書きなさい」
とした。
○自分ではそのつもりがなくても、相手の心が傷ついてしまったら、いじめ。
○自分がどういう思いだったか、は関係ない。
○相手の心が、なにによって傷ついたか、書きなさい。
いじめた本人たちの筆が進まない。
いじめていない子(本人も、いい人たち、と呼んでいた子たち)の方がむしろ、泣きそうになりながら書いている。
それを集め、職員室へ持っていき、作戦を立てた。
同時に、いじめの張本人たちを5名、集める。
同時でなければ、情報交換があるので、それを避けるためだ。
一人で話した後、教室でワイワイと気楽に話をされてはたまらない。
5名の児童に対応する先生方の応援を依頼した。
1)教頭先生
2)1年の先生→6時間目なら空いている!
3)5年の先生
4)少人数加配の先生
5)わたし
これで対応可能だ。
次に、どの子とどの先生が話すかを決めて、表を作成、当人の書いた上記の紙とともに職員室の先生方の机上へ配布。すぐに動けるように手を打った。
さて、給食があり、昼休み。
ここまでの半日があっという間に感じる。
昼休みに1人のまじめな男子が、
「ぼくもいじめをしてしまった・・・」
とせつない顔をして告白に来た。
この子の言い分も聞いてやり、明日、どう自分がアクションを起こすか、決めさせて返した。
さらに、6時間目の先生方の行動について、該当の先生方に集まっていただいて口頭で説明。子どもたちから何を引き出すか、どこまで話したら終了にするかの目安を決めた。
さて、5時間目。
差別、という言葉を強調して、水俣の授業。
これは淡々と行った。
いわれのないことで苦しまなければならない身の切なさを、くりかえし、語った。
(ここで泣いていた子もいた。やんちゃなおふざけくんも、「今日の話はなんだかさびしい話だったなあ・・・」と独り言)
いよいよ、6時間目だ。
算数の自習プリントを配り、5名の名前を読み上げた。
「先生、なんでその5人なの?これから何するの?」
おしゃべりな一人がため口でいろいろと聞いてくるが、いつものように無視。
「先生は全体に話をしています。一対一でない。質問なら手をあげなさい」
これもいつも通り。今年になって100回以上繰り返したフレーズ。
5人は、なんとなく不安になって、廊下に集まってきた。
まだ、ぴんときていない子も。
「なにするの?」
「あなたたちの名前が、連絡帳に載っていたのです。
これから一対一で話をします。
Aさんは図工室で○先生、
Bさんは印刷室で○先生、
・・・・・・
すぐに行きなさい。
○○さんのことで話をしに来ました。お願いします、と言いなさい」
同時進行で、いじめた5人が、5人の教師と話をする。
教室を見ると、やけに静かに自習する子たち。
5人は呼ばれたのだ。
先生方には、
なにが○○さんを傷つけたのか、思い当たることをできるだけたくさん聞いてください、と伝えておいた。
明日からどうするか、というのは最後に少しだけ。
(明日からは仲よくします、なんていう、耳触りの良いきれいごとはあまり必要ない。言うだろうが。それよりも、自分の実態を、イヤになるほど見つめてほしい、ということ)
自分は人の心を傷つけたのだ、ということ。
このことを、大人の前で、ひとつひとつ、確認する作業をさせる。
「そうか。それが、○○さんの気持ちを傷つけたのだね。悲しい気持ちにさせてしまったのだね」
そうやって、ひとつひとつ、子どもが出してくることを、確認してください、と話した。
どの先生も、あとでそれを淡々としてくださった、と報告してくださった。
放課後、子どもたちが帰ってから、一人の親から電話があった。
娘が、友達をいじめてしまった、と告白してきた。
本当に申し訳ない、と。
ふるえる声で、その母親から電話があった。
電話口で頭を下げる親の姿を、娘は見ているだろう。
声をきいているだろう。
なによりも大事な、親の姿勢と、子に対する教育だと思う。
これをしなければ。
その後、いじめを受けた本人の家に報告に言った。
心配しないで、学校へおいでね、と伝えた。
笑ってくれた。
保護者の方も、御苦労さまでした。とねぎらいの言葉をかけてくださった。
帰りの車中は、少しだけ、心が上に向いた。
いじめがありました。
連絡帳での保護者と本人の訴えがあったのです。
その様子を。
朝、職員室に出ると、連絡帳がわたしの机上に見えた。
風邪かなと思って読むと、
「○○さんと○○さんと○○さんにいじめられています」
という訴えの文が目に飛び込んできた。
本人は、今日は休む、と。
そのあとに親御さんのボールペンの字があり、親も子も共に傷ついている、と。
すぐに学年主任と教頭に見せ、職員室の先生方にも知らせるようにした。
こういう態度は、他の先生方も見ている。
隠さない、というのがコツだ。
むしろ、力を貸してください、と頭を下げるチャンス。
あとでたっぷりとお礼を言えばいい。
お礼を言う機会があればあるほど、いい人生だ。
朝、自習にした。
教室には行かず、職員室前を通りかかったクラスの子に、朝の自習内容を告げた。
すぐにお母さんへ電話。
動揺するような声。
「こんなにすぐ電話くださるとは・・・」
という感じ。
まだ、登校時間中だ。
これからすぐ、うかがってお話を聞かせてください、と頼み、車を走らせた。
自宅へ着くと、彼女が元気な顔で迎えてくれた。
まさか、こんなに早く先生がくるとは、という感じ。
「部屋を掃除してた」
と笑って教えてくれた。
「こんなに早く来ると思わなかった」
頭を下げて、あやまった。
ざぶとんは、すわらず、ずらして。
謝りに来たのだ。
そして、作戦を立てさせてください、というようなことを伝えた。
お母さんの気持ちと、クラスの子になにを伝えたいか、を教えてください、と言った。
「うちの娘も傷ついているが、わたしも傷ついた。わたしの両親、つまり祖父母も大きく傷ついている。クラスのいじめが、私たちの家族全員をひどく悲しませるものになっている」
まとめると、こういうようなことをクラス全員に伝えてほしい、ということであった。
約束し、本人にもそのことを必ず伝える、と言うと、ほほえんでくれた。
該当児童は、場面カンモクの困難を抱える子だ。
こういう子が、避けられているクラスの気風を許してしまってきた担任の落ち度。
これはなんとも言い訳のしようがない。
クラスにとって返し、わいわいと騒ぐクラスの児童に、低い声で伝えた。
○座りなさい。話をしっかり聞けるように、前を向きなさい
○ちょっとでも姿勢の悪い様子であれば、そのことを教えてあげます。その前に、自分で姿勢を直せると思う人は、直して御覧なさい
○大体いいのですが、まだ3人、姿勢が崩れている子がいます。その人が気付くのを待ちます
と言って、その子をじっと見ると、ふだんはクラスに変な空気を作っている子だが、こちらの気迫を感じたのか、おずおずと姿勢を直した。
そこであらためて、たっぷり間をあけながら、
(目は気迫で燃えるような瞳)
(にらまないが、真剣な顔つき)
今日は勉強をしません。
なぜか分かりますか。
算数よりも、国語よりも、他の何よりも大事なことがあなたたちの(わたしたちの)クラスには欠けています。それがなければまったく学校に来ている意味もないから、算数も国語もやりません。
ひどいことです。
許せない事です。
人間として学ばなければならない最低のことだ。
それをしない限りは学校でやることのほとんどは意味が無い。
と話しだした。
子どもたちは、なんだかいつもと雰囲気がちがうぞ、とかまえて座っている。
それでもつわものはいる。ひじをついてほおづえをつき、かったるそうに座る子。さらには、机の下から足を出し、完全にま横を向いて、「おしゃべり臨戦態勢」をとる子もいる。
ピシリと、
「足が出ている。なおしなさい」
と小さな声で言う。
クラスがしーんとなっている時の小声は、みょうに教室に響く。
それは、大声とはまたちがったキビシイ声に聞こえるのである。
そこで、連絡帳を取り出した。
このことは、事前に本人と親に承諾をとった。
この承諾がほしくて、朝の緊急家庭訪問を行ったわけで。
連絡帳を取り出し、
「今日、○○さんが休んでいます。なぜだか分りますか。来たくても来れないそうです。とっても心が傷ついて、学校へ来たくても来れなくなってしまったそうです」
きょとん、とする子もいる。
「ここに名前が書いてあります。○○さんと○○さんに、バカと言われたのがとてもくやしい。わたしはとても傷ついています、と。」
名前は言わない。
全体を見回す。
妙にひきつった顔をする子もいる。
「自分で気づいて、自分を変えていこう、としないと意味が無い。先生から名前を出しません。心当たりのある子は、自分から言いに来なさい。なにをしてしまったのか。なにが○○さんの心を傷つけてしまったのか・・・。
自分で言えるのなら、変わっていこうとする気持ちがわかる。
しかし、先生から叱られて、名指しで呼ばれて、仕方なく謝るのでは、どうしようもなくレベルの低い態度です。
先生は、今日の6時間目まで待ちます。それまでの時間に、いつでもいいから話をしに来なさい。」
自習する余裕時間と、締め切りの時間を伝えた。
その後、黒板に大きく「場面かん黙」と書いた。
彼女が、たたかっていること。
しゃべりたくても、しゃべることができないこと。
自分でもどうしていいか分からないこと。わざとでは決してないこと。
苦しいこと。毎朝、しゃべることができたらいいのに、と思いながら学校へ来ていることを伝えた。
「お母さんは、毎朝、いってらっしゃい、と○○さんを送り出す。そのときに、一言でもいい、テレビに出てくる子どものように、お友達となかよく大きな声でしゃべることができたらいいのに、と思いながら、いってらっしゃい、と言うそうです」
○○さんが、悪いですか。
クラスの全員が、首を横に振った。
諸説ある。
人数は変わらないがそうと診断する姿勢の関係者が増えてきた結果、増えたように見えるのだという説。
もう一つは、前頭葉のあり様が変化したことに関連し、実際に増えたという説。
最初の説を信じている。
わたしが小学生のころにも、今から考えると明らかに発達障害だろうと思われる児童がいた。
周囲の子とは大きく違って、大きな音に極端に敏感だったこと。
周囲にみんなが集まって話していると、
いきなり自分の両耳を、両掌でふせぐ。
そして、こきざみに動かしつつ、音が遮断されていることを確かめるように、自分の口で、
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ・・・」
と連続して声を出していた。
そして、しばらくたつとおさまる。
不安が高まると、同じことを日に何度も繰り返した。
お母さんは、半分鬱のようになり、友達ともほとんど遊ばせていなかったと思う。
いえに遊びに行ったこともあるが(当時はそれが常識であった)、
複数の友達がいくとだめであった。
彼は、国鉄の東海道線の駅をすべて暗記していることでも有名であった。
自分にも多少その傾向があったかも、と考えている。
ただし、彼は、もちろん「発達障害」だとか「自閉症スペクトラム」という診断は知らない。
周囲の人も、彼の個性は把握したが、それを医療とむすびつけて考えたことはないだろうと思う。
こうした子が、当時からもいたのだ。
40人学級のクラスに、おそらく1割から2割、いたのでないだろうか。
4,5人はいたと思う。
ふりかえると、私自身も通知票の所見欄に
「落ち着きがありません」
と書かれていたし、先の見通しが立たないと非常に不安になっていたことを思い出す。
私自身も、その4,5人の中に含まれる存在であったかもしれない。
こういうふうに考えてきたが、
最近読んだ本の著者の方は、ちがった。
実際に、ここ十数年で、実際に増えてきている、というのだ。
脳からわかる発達障害―子どもたちの「生きづらさ」を理解するために
をお書きになった、鳥居先生。
鳥居先生は、前頭葉の働きがこの十数年でちがってきた、という。
たしかに、社会の暮らし、リズム、そういったものがまったくちがってきた。
そのため、考える、という要素が極端に減ってきたというのは、おそらく正しいだろう。
お風呂を沸かす、ということだって、先の見通しがなければならなかった。水をためるのも、お湯を沸かすのも、時間を見て、考えて、見通しを立てて行動しなければうまくいかない。
お正月だって、商店は正月は休みになるのが通例だったから、親は年末年始の食材の量を的確に、(来客の分まで予測しておいて)用意しておかなければならなかった。
また、原因は何かわからないが、脳そのものが、この十数年でかなり質的に変容してきているのではないか、という実感をお持ちだそうだ。
子どもの脳が変わってきた??
それはちょっと、わからない。
しかし、自分の実感からしても、なんだかそんな気もしてくる。
実際、わたしが昨年受け持ったクラス、24名の中で、WISCを受けた子は5人いる。
2割ちょっと、だ。
2割、というのは、大きいと思う。
教師が心療内科、発達障害外来のある病院に通うのも、わりとふつうのことになっている。
こうした診断ができる先生は少ないので、お医者様にお目にかかるたびに
担当の先生から、
「あ、また○○先生ですね。今日はだれちゃんのでしたっけ。あ、そうそう。□□くんでしたね。先日は△△ちゃんでしたけど、お母様とあのあと電話で少し話できましたよ。」
というように、白衣を着た担当医と、クラスの複数の子のことで話をするのがままあった。(もちろん当日の相談者である保護者がまだ到着しないまでの待ち時間で)
教室の中の、2割の子。
これは大きい。
6人いたら、1人はかならず、だ。
こうした子を無視して、教室経営などけっしてできないから、結局打開策として、
ユニバーサルデザイン
というものに注目せざるを得ない。
かような状況になってきているのが、今の教室、今の学校なのだろう。
では、どの子にもやさしい、ユニバーサルデザインとは何か。
次回。
LDの子のこと。
「もう、おれなんか馬鹿だから、勉強なんかしたくねえ」
自閉症っぽい態度も散見されるAくん。
顔はかわいくて、背も小さいので、幼いころはうんとかわいがられて育ったような子だ。
おうちの、お父さんがこわいので、叱られるとすぐにシュンとなる。
きびしいサッカークラブにも所属し、あいさつなんてしっかりやる。
職員室に入ってくるときなんて、他の子よりもずいぶんしっかりとあいさつする。
6年生よりも、きびきびと動いているところが見られるときもある。
なかなかに、かわいいやつ、だった。
ところが、勉強はからきしだ。
国語の教科書、行をとばして読む時もある。
視力の問題か?
それはなさそう。
ただ、慣れていないのか。練習量が不足しているのか?
音読の宿題を出すも、ほとんどやってこない。
「だって、家でだれも聞く人いないし」
学校で、先生がきいてあげるから、朝の会の前に先生のところへおいで。
3回くらいやったろうか。
その後は来なくなった。
「えー」
「めんどくせー」
が多くなった。
このAくんが、算数の時間に発した言葉が、これだ。
算数をまったくやらない。
ノートも取らない。
他の子にちょっかいばかりだす。
なにか特定はできないが、算数の学習に支障をきたす部分がありそうだ。
脳の回路の、どこの部分か・・・。
言葉?量や大小の把握の問題?ワーキングメモリ?
居残りをさせていたら、居残りが楽しくなりすぎて、授業中にわざと怒られることをするようになった。
これはいかん、と努めてクールに接し、居残りもサラッと終わるようにした。
その何日間か、後のこと。
冒頭のセリフがあった。
「Jとか、Mとかに算数できねえとか言われる」
泣いていた。
「学校、来たくないわ」
そう言うことができて、自分の気持ちが出せたことが、まずはいい。
実際は、きちんと学校にも来るだろう。
このセリフにも、しずかに共感的に、そうかそうか、と受けた。
で、問題はこれから、である。
授業中、ほとんど理解せずにボーっとすごしてしまうAくんを、教室でどうやってみていけばいいのか。
これで終わらないのだ。問題は。
もうひとつ。
AくんとはタイプがちがうBくん。
Bくんは、もっと素直でない。
Bくんは、ほとんど教師の言うことなんか聞かない。
教室をかきまわすことに生きがいとやりがいを感じているタイプ。
教師が感情的に対応すると、
「やった!」
とガッツポーズをとる感じ。
ほとんどそうした不適切態度には、こちらもほんの少ししか関わらず、無視することも含め、努めて<ノンエネルギッシュ>に対応するが、このBくんも、勉強がほとんどできないのだ。
Bくんも、勉強という点においては、非常に自尊心を傷つけられている。
Aくんも、Bくんも、勉強ができるようになると、自信を回復するのではないか、と思う。
しかし、この二人に合わせた授業をすることができない。
もしまともにやろうとしたら、2年生か3年生の教科書にのっていることから、やり直すしかないからだ。
それをやっている時間は、残念だけど、5年生の今、はっきり言って、ない。
この子たちを、教室で孤独にさせない。
ユニバーサルデザイン環境で、救えるだろうか。