クラスの発達障害を抱える児童。
懸念はしていたが、やはりやるべきではなかった。
なにか別の手立てを、もっととれていたら・・・。
5年の、理科。
電磁石の学習で、コイルをつくった。
学習教材の会社から、キットを取り寄せて、かんたんに済ませよう、と思ったのがいけなかったのか。
キットの中にある、コイルをつくる部分が、複雑すぎる。
はじめて5分で、S子が
「もうダメだ。ぐっしゃぐしゃ。こんな難しいキットいらんわ!」
と大声で叫んで、コイルを投げつける。
自分だけが大声で叫んでいることがなんとなくわかるのか、クラスの他の子の邪魔を始める。
わたしの方をみながら、
「こんなのわけわからんわ」
と他の子の近くで言い始める。
周囲の子、それを無視しつつも、S子がこわいので、あいまいにうなずいている。
大声でしゃべって、わたしを見る。
ともかくも今の状況から、すくってほしい、というサインだ。
もう、いやだ。 と叫んでいるのだ。
これを受け入れて、
「そうか、むずかしいなあ。なかなかできないよなあ。」
と言ってやると、少し反応して、
「線が長いわ!」
「そうだよなあ。線が長いもんなあ」
軽くいなしつつ、心の中では、
「健常児でも難しい作業を、やらせたのがいけなかったな」
と猛反省である。
半分以上できたものをサッと渡し、ここだけやってごらんよ、と言っておくべきであった。
それもこれも、授業の準備不足が原因。
そうなる原因は、
校務分掌が偏っていることと、行事が多すぎることだ!!と言いたい・・・。(言わないけど)
2011年01月
洗濯機が凍る。
みたこともない、エラーメッセージが出る。
「E 23」
という表示が出て、洗濯機が動かなくなった。
電源を入れ直しても同じ。
凍結だ。
排水する部分が凍ってしまって、溶けるまでなんともできない。
水を給水するホースが凍るのはこれまでもあったが、なんと排水も凍るとは。
「いつ溶けるのかねえ」
夫婦で思案する。
今日が土曜日でよかった。
平日なら、妻ひとりでなんともならず、洗濯ものまで凍らせてしまっただろう。
結局、裏側からヒーターをあててじんわりと温めて溶かした。
なかの洗濯ものをすべて取り出し、コップで水をすくってとりだし・・・、こんなことを毎日やっていくわけにはいかぬ。どうしたものか。
それにしても、寒い地域に来たものだ。
最初の一年目だから、なおさら身にこたえる。
水道のトラブル、今回のようなこともおこるし・・・。
夜は布団の中にいても寒い。
ファンヒーターをガンガンつけるから、喉もいたい。
なんとかならないかな・・・。
それにしても子どもたちが本当に元気。
半袖で過ごしている子もいて、すごいなあと思う。
細胞の内燃する率が高いそうだが、人間の身体の不思議を思う。
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結局、裏からヒーターをあてる、というのは面倒くさいことがわかり、もっと簡単な方法で一気に解決しています。
それは、お湯をそそぐ、というシンプルなもの。
槽の中に、お湯をたっぷりそそぐと、排水の氷もどうやら徐々にとけていくらしい。
しばらくすると、排水口からじんわり、と水が出てくる。
それを見て、確認してから、スイッチを入れると。
すばらしい。
すべて、OK、という状況になっております。
早くこの方法に気づけばよかった。
裏からヒーターを当てていたら、洗濯機の裏側のプラスチックが、少し熱によって変形してしまっていました。
あぶない・・・(以上、追記)
児童会の会長選挙が間近に迫ってきている。
現在、選挙管理委員会を立ち上げて、毎日のように連絡会を開いている。
委員長になった子も、私自身も、まったく初めての体験。
とくに私はこの自治体での児童会がどんなものなのか、まったく知らない。
さらにいうと、前の勤務校でも、まったく「児童会」の指導、つまり特別活動の指導にあたったことがないので、本当に手探り状態だ。
今日は第一回目の会合。
事前に打ち合わせをしたものの、まったく委員長が進められず、ほとんど手助けをしてしまった。
まあいい。
今後が大事。
委員長に立候補した彼に、いい体験をした、ということをしっかり味あわせてやりたい。
あけまして おめでとうございます。
寒さにめげて、しばらくPCに向かえないでおりました。
さて、近所の畑でどんど焼き。
この連休中のことであります。
神社でやるのか、と漠然と思っていたら、そうでなくて近所の田んぼでやっておりました。
小学生の高学年が先陣を切って、きちんと大人の言うこともきいてやっております。
すばらしい。
うちの子もいっしょに見学させていただきました。
輪飾りをもっていくと、焼いてくれました。
習字や書き初めを焼いた子もいました。
こういうのはあまりこれまで見たことが無かったが、新しい土地に来るとさまざまな発見があります。
さて、どんど焼きについては、なにをねがっての行為なのか、形骸化しているものなのか、それとも人の心に生きている「希い」がこめられているものなのか、どうでしょうか。
クラスの子どもたちに聞いてみると、お祈りをした、という子がいた。
おじいさんとおばあさんといっしょに、きちんと朝、お祈りをし、自分の田んぼに輪飾りを立て、吉の方角を向いて頭を下げた、と言うのだ。
これはおどろくべきことで、伝統がこういったことできちんと受け継がれているのをみるのは本当に感動すら覚える。
なんの願いをしたか、というと、「勉強ができるようになりますように」
で、これはおばあさんがそう書け、と言ったからだそうですが、
おじいさんとおばあさんは、ではいったい何をねがっておられたのでしょう。
きっと、小さなこと、身の回りのこと、というだけでなく、さらに大きな大きな多くの人の幸を願っていらっしゃったのではないかという気がします。
3学期が始まりました。
また本年もどうぞ、よろしくお願い申しあげます。