音楽会にて。
会が終わってから、体育館の出口が込み合っていた。
順番待ちをしている人の列ができ、待っている人たちがここかしこで、立ち話を始めていたとき。
ふと、隣り合った祖父母の方が、こんな話をされた。
「子どもっていいわねえ。本当。ずっと、あの子たちを見ていたい気持ちになった」
目を細めて、感動をそのまま伝えてくれた。
ありがたかった。
教師をやっていると、子どもを見る目のほとんどが、評価基準になっている。
よいか、わるいか。
うまいか、へたか。
音楽会で、低学年の子たちが、なにやら舞台の上で叫んだり、大声で歌ったり、小道具を動かしたり、いろいろなことをやっている。
ほとんどの保護者が、その様子に目をほそめて、笑いながらうれしそうに見ている。
そこに、評価はほとんど介在しない。
それが、高学年になってくると、親も教師も、似たような見方になってくる。
去年よりも上手か。
他のクラスよりも、工夫があったか。
盛り上がったか。歌声は・・・。表現力は・・・。
そういう見方がほとんどではないだろうか。
しかし、以前は保育士であった、というその祖父母の方は、帰り際に何度も何度も、
「なにをやってもかわいいのね。あの子たちは。歌っていてもいいし、歩いててもいいし、とにかく見せれくれるだけでいい。あなたたちの姿を、ずっと見ててもいい?って、聞きたいくらい」
とおっしゃる。
そういう意味のことを、何度も繰り返し、おっしゃるのだった。
元保育士で、勤めていた最後には、園長もされていたそうだ。
そういう方だからこそ、か。
しかし、私自身も、あとから思うと、そういう気持ちになんだかなってきたことを思い出した。
それは、自分が担任するクラスの発表のあとだ。
クラスの子どもたちが、歌った。
私は指揮台に立つ。
すると、指揮台というのは、歌っている子どもたちが本当によく見える。
どの子も、みんなまっすぐを見て、私を真剣なまなざしで見て、歌ってくれている。
子どもたちの歌声が、私の全身に響くのだ。
私は、どの観客よりも先に、子どもたちの声を聞き、だれよりも大きく、その声を聞くことになる。
わたしは指揮をしながら、感動する。
そして、子どもたちのエネルギーがまっすぐに私を包んでくる、その喜びを何度も味わった。
その後、他の学年や学級が発表をしていた。
終わった安堵感からか、私もくつろいだ気持ちで他の発表を聞いていた。
そこで、先の祖父母の方と、似たような感覚になったのである。
うまい、へた、上手、というような価値観から、解放されたような気分。
評価のものさしを手に持って、聴いている状態ではなかった。
ただ、ひたすら、子どもたちがエネルギーとともに動きまわる、歌っている、その姿がいとおしいような気持ちになった。
孫を見るじじばばの目と言うのは、こういうものかもしれないな、と思う。
なにをしていたって、いい。
なにをするかは、問題ではない。
ただ、そこにいてくれるだけで、満足。その姿を見ていられることが、幸福。
そんな立場だろうか。
学校と言う、忙しいスケジュールの空間の中で、
つかの間の一瞬、
「評価」を忘れさせてもらった。
子どもたちの本来の姿、生きている元の姿があらわれてくるのが、音楽会。
歌う子どもたちのエネルギーによって、本来のものに気付かされた。
そういう姿が、「評価」抜きに、見えるようになった。
くもりがとれ、見える目になったといおうか。
やはり、指揮台にたって、子どもたちのいのちに触れたことが大きい。
そのことで、わたしの心が、なんだか呼び覚まされたのだ。本来のものへと。
「そのままでいい、そのままがいい」
という言葉があった。
教師になってしばらく、忘れていた。
でも、本来は、そういうことだろう。
すべてOK、という評価の上に、上手だとか下手だとか、工夫があるとかないだとか、取り組んだとか取り組まないとか、真剣味があるとか足りないとか・・・、そういうものがあるといえばあるのだろう。
別れ際、祖父母の方は、自分は保育士として小さな子どもたちに関わってきたが、やはりいい仕事だったと思う、と言ってくれた。
わたしが転職組だと知って、言ってくれたのだと思う。
「これから、という命にかかわる仕事だもの。こんなにいい仕事はないのよ。いっぱい笑ったしね」
こちらは、ありがとうございました、と何度も頭を下げるしかなかった。
最後、こちらをしっかりと見て、深々と頭を下げて、子どもたちのくつばこの出口から、出て行かれた。
共に見送った学年主任の先生も、なんだかすがすがしい顔をしていた。
遠くから、給食の食器を動かすような音が聞こえる。
窓の外に、体育館の扉が見え、楽器を片づける6年生の姿が見えた。
2010年10月
職員室の目の前の先生に、Tボールのゲームを教えてもらった。
標準を知らないのでなんとも言えないが、ルールが一風変わっている。
1)ランナーをおかない。
つまり、打った人は、ランナーとして走るものの、次の人の番になったらすぐにフィールドの外に出なければならないのだ。
これがどうして可能かと言うと、得点の計算方法がそもそもユニークだからだ。
2)得点は、ランナーが1塁をふめたら、1点が入る。2塁をふめたら2点。3塁をふめたら3点。ホームに帰ることができたら4点だ。
また、通常の野球ではランナーをアウトにするために、野手がベースカバーに入った1塁手、2塁手、3塁手に向かってボールを投げなくてはいけない。1塁手、2塁手、3塁手は、そのボールを受け取って、ランナーがベースにたどりつく前に、ベースを踏んでいないとアウトにはできない。
ここのルールも、異なっている。
3)アウトにするためには、まず、打たれたボールを野手の一人が取らなくてはいけない。
取ったボールを投げて、ベースカバーに入った人に渡す。しかし、通常と異なり、ひとつ先のベースでアウトにすればいい。ボテボテのショートゴロでも、ファーストが間に合わなければ2塁に送ってもいいし、3塁に送ってもいいのだ。
さらにひとつ。アウトにするためには、残りの野手が全員でベースを囲まなくてはならない。囲んだ全員で、高らかに「アウト!」と叫ぶのだ。(肩を組むか、手をつなぐかする)
その時点で、ファーストを踏めていたら、攻撃側は1点取得する。2塁を踏めていたら、2点を取得できるというわけだ。
ちなみに、攻撃側が10人いたら、10人全員が攻撃する。全員攻撃が終わったところで、攻撃によって得た得点を合計して、1回の表の得点とする。
次は、攻守の交代を行い、1回の裏の攻撃とする。
新たな攻撃側も、10人いたら、10人全員がバッティングする。
こうすることで、順番の回らない子をいなくする。
また、必ず攻守交代が平等に行われる。
その先生も、また先輩のちがう先生に教えてもらったそうである。
そのちがう先輩の先生もまた、どなたかに教えていただいた、と話していたようで、こういったルールは伝承文化として、職員室で継承されていくのだということを実感した次第。
実は愛知県に、幼いころ住んでいた。
ふたたび四十路を目前にまいもどった、ということになるのだが、高校の頃に、絶景と言うべき紅葉の景色をみたことを思い出した。
高校2年。
受験のために土日も塾通いをする生徒が多かった中で、たまの休みに、友人にさそわれて「定光寺」へ行った。
JRの中央本線。
千種から乗って、友達の住む春日井を経由し、定光寺へ。
春日井駅で、友人は約束していた車両に乗り込んできて、いかにも楽しそうな表情を浮かべた。今でも思い出せる。
こうしてみると、昔の友達の顔というのは、笑顔が多いなあ。
人間の脳が、そういう記憶ばかりを残すのだろうか。
早朝の駅舎におりると、すでに静かな秋の空気。
ピリリと感じるくらいの、冷気がそで口から肌に伝わってくる。
定光寺では、雲水がきれいな頭にてぬぐいを巻いて、いっしょうけんめいに石段をみがいていた。
ひさしぶりに、妻子を連れて、たまには定光寺にでも・・・と考えていたら、妻の方がやはり先手で、
「来月には、モリコロパークへ行こう」
と計画していた。
大木のメタセコイヤ並木があるらしい、とはきいていた。
毎年、11月下旬ごろには、その並木道が、また詩情感たっぷりと秋色に染まった景色となり、見事だという。
いやはや・・・
クラスの荒れ、という難題を抱えつつも、家族のことを考える余裕があるんだから、まだ大丈夫か・・・。
恐れていた、女子の交換日記を発見。
まだ、始まって2日目だった。
がっくりきたが、ノート2ページ分だけであったのが、せめてもの救いか。
(悪口なんかがやたらと書かれているのかと思ったが・・・ふう)
朝の会で取り上げ、クラス全体に
なぜいけないのか、
いじめにつながる可能性、
こそこそ話と同じ、
外から見ている側の気持ちは楽しくない、
などと伝える。
男子はぽかん。
女子の一部は、
「やっぱり」
という顔。
交換日記のメンバーになっていた女子が、反発していたが、なかなか社会ルールの規範が身につきにくいAさんが特に、朝から大荒れ。
一々、大声と奇声で自分勝手な話をえんえんと続けて、授業にならない。
こわれたラジオが教室でなぜか授業中も鳴り響いている感じ。
ともかくも、授業をやらないことにはまじめな子たちに被害が及ぶ。
と考えて、こわれたラジオのような声を出し続けるAさんをほっぽって、なんとか授業をこなす。
しかし、Aさん、
「声がかれたら、先生のせいだ!」
と言いながら、
「ノート返せ~!!!」
と叫び続けるのが、なんとも楽しそうでならない。
情熱をかたむける対象が手に入った、という喜びか。
授業はまったく理解しない彼女にとって、授業中のかっこうの遊びが見つかった、という感触のようで。
「返せないよ。授業中のルールやぶってるよね。授業中に書いてたよね」
授業中にやっていた、ということと、見ている人が不快になる、いじめにつながる、ということで突いていくが、「いじめじゃないもん!」と反応する。
めんどうになって、
「授業中だったよね」
というと、それは反論できないから一瞬だまり、その後にさらにパワーアップした声で、
「ノート返せ―」
かまわず授業をつづける。
しばらくわめいていたが、だんだんとセリフが変わり、
「先生が勉強道具とった!」
となっている。
「わたし、勉強のために使うノートだったのに。」
なんじゃそりゃ、と思うが、無視し続け、授業を進める。
だんだんとまたセリフが変わり、
「先生が教科書盗った!」
となっている。
とにかくも、自分の正当性を主張したいらしい。
それもそのはず、ノートにはしっかりと悪口が書かれている。
おきまりの、
「○○ってウザイよね」
「うんうん」
という、女子同士の悪口が一行だけだが、はっきりと・・・。
それを指摘されるのがいや、ということだろう。
はたして、どうするか・・・。
1) 親に伝える → これは日ごろから仲よくしているので、可能。
2) クラス全員の前でつるしあげる → これは高学年女子の仲間意識をいたずらに刺激するのでやめる
3) 本人を職員室によんで、指導する
3)がむずかしい。
はたして、この子は、こういうことを理解しているのかどうか・・・。
社会的ルール、規範意識、というものがなかなか入りにくい特性をもつ子なのか、それともただ甘えているだけなのか・・・。
PFスタディとか、試験をしてみたい、という気になる。
トータルコーディネータの先生に相談してみようか・・・。
しかし、こうした子をとっかえひっかえ、特別支援のくくりで見てしまう、ということに対しても、なにか引け目があり・・・
特別支援は万人の子、どの子にも適用していく概念。
一人ひとり、特別な支援をしていく、ということ。
ユニークな、万人の中の一人きりの個性、としてみていく、ということ。
そうであるなら、なんら引け目を感じる必要もないのに・・・。
このあたりの心理、われながら、なんだろう、と不思議になる。
だんだんと教室が荒れ始めている・・・
ブログの更新が遅くなっていたのも、そういうわけです。
帰ってきて、クタクタ・・・
PCを見ない日も多かったので。
ところで、校長先生との面接がありました。
「先生が倒れない、心が折れてしまわないのが大切。そのためにサポートします」
と言っていただいたので、思わず目頭が熱くなった。
以前勤めていた自治体の勤務校では、
「荒れさせているのが悪い」
というような風潮で、サポート、というよりも、周囲が担任を責める、という風であったから・・・
そのときは、学年は違うが職員室では隣の席、という先生が責められていた。
いっしょに参加した学年主任の先生が、わたしにだけ、
「○○先生をいかにサポートしていくか、という話し合いにはなってないの・・・」
とこぼしていたが、それとは雲泥の差だろう。
ちなみに前任校では「もっとしっかりと教室をまとめるべき」 という校長以下、支援教育のコーディネーターの檄がとぶだけで、担任の女教師はもうすっかり心もボロボロ、であった。
まあ、そうなりかけているな・・・
しかし、それほど落ち込まないのは、昔からあまりデキのよくない生徒であったし、就職もいいかげん、給料もほとんどもらわない農業生活の20代を送ったり、まあ他から見たらひどい人生を送ってきたためか。
「まあこんなもんかも」
と本人がどこかで思っているせいかもしれない。
生徒からの暴言がだんだん当たり前の風景に・・・
きついです。
保護者との面談をどんどんととっていくようになりました。
なんとなく、キツそうだ、という状況は伝わっているようですが、もともと前年度の先生も荒れて終わった、その前の低学年の先生も荒れていた、といういわくつきの学年で、保護者もあきらめムード?
校長先生は、こんなことも言ってくれました。
「自分だけでなんとかできる、ということでもない。もともと教育とはそういうもの。その子たちが、時期がきて、いろいろと考えるようになり、めぐりあった先生と成長していくことを期待するのも、こういう場合のありようだろう」
なんと人生の達人のよう。ありがたく拝聴しましたが、まあ自分にできることを、まだまだあきらめずにやるばかりです。
おかげで、後ろは気にせず、思い切って自分の描いたことをやろう、という気になれました。
夏休みに調子を崩し、一向に学校へこれていない子がいる。
「わたしをわすれないでほしい。」
というメッセージが、友人を通じてあった。
特別支援教室の子で、ほとんど私の学級へは来たことがない。
原級の担任として、面談してきてほしい、という教頭の配慮で、私が行くことになった。
父親と話し合いができた。
特別支援教室なのに、担任にこう言われたのが悲しかった、とのこと。
「特別な配慮はできません。」
特別支援教室の担任の言わんとするところも分かる。
もちろん、特別支援だ。
その子一人ひとりの個別の状況や発達の程度、障害の度合い、いろいろなことには対応したい。そのつもりの支援教室だ。
しかし、それにしても、支援教室の限界がある。
たとえば、その子一人のために、カリキュラムをすべて個別仕様にすることはできない。
他にも、支援教室に来る子はいるのだ。
防音にするために配慮はするが、支援教室をさらに増やすことはできないし、他の校舎にずらすこともできない。
給食の時間も多少はずらせるが、その子一人のために1時間もずらすことはできない。
担任もクラスの他の級友もひっくるめて、1時間も動かすことはできない。
そういう意味で、特別な配慮はできない、と言ったのだ。
しかし、親はそうは受け取らない。
特別な配慮をしてこそ、特別支援のはずなのに。
その対応をなぜ学校はしてくれないのか。
学校は、スタッフ不足でいっぱい、いっぱいだ。
特別な配慮を要する子は、あまりにもたくさんいる。
その子、その親から、特別な配慮を次々と要求されても、そのすべてに対応することはできない。
その父親は、そうした事情も分かる、と言った。
「だから、学校には期待していません。医者と相談していますので」
医療機関からは、学校へ連絡があった。
「登校刺激のむずかしいケースです」
両親の学校への不信感が強い。
子どもも、学校へ期待していない。
よほど強い学校とのつながりが、心のつながりがないと、復帰しようとする動機が生まれないだろう、とのこと。
最後に、聞いてみた。
学校へ登校して、いちばん困ることってなにか。
本人いわく、
「学校はうるさい。低学年の子の声がすごく耳に入ってくる。叫ぶ声は本当にうるさい。先生の怒鳴る声もうるさい。学校にいると、頭が痛くなる。」
もちろん、教室は離れている。
特別支援教室は、他の教室よりは、ある程度、静かな・・・・はずだ。
しかし、廊下をトンネルのように伝わってくる音が、本人を苦しませている。
こうしてみると、オープン教室の学校が、いかに特別支援教育の配慮を欠いた施設かというのがよくわかる。
これから、オープン教室はなくなっていくだろうが、一時の流行のはかなさと罪深さを、だれが償うのだろう。
職員が、知恵を出して乗り切る、というしかないのだ。
しかしその、背負った荷物の、なんと重いことだろう。
現場の教師はやせた馬のようだ。
やせ馬に、荷が勝ちすぎるのだ。
父親の静かに語る隣に座り、テーブルにひじをついて話を聞きながら、小学6年生の彼女も、ぼんやりと湯呑を見つめている。
「この家は静かですねえ」
父親は、この子のために、増築をし、防音になっている、と言った。
親ならでは、である。
頭が下がる。
うるさくない教室へ。
子どもの騒がない学校へ。
(それは無理だ・・・)
この後、どんな対応ができるのだろう。
悩み続ける。
この春より赴任した新しい学校。
スーツ姿の先生は教頭先生しかいない。
10月になり、ほとんどの先生たちの服装の好みがわかってきた。
男性の先生は、今の時期、ほとんどポロシャツ。
ポロシャツの下に薄めの長そでシャツを着ている人もいる。
けっこう似合うし、動きやすそうで、見た目もスポーティで、子どもにも評判よさげだ。
Yシャツ長袖に、ベスト姿もあり。
薄めフリース素材の長そでシャツ(ファスナー無)だけ、という人もいる。
その中でひときわスポーティなのが、S先生だ。
着ている服のほとんどは、プーマ、ナイキなどの有名メーカー。
「そういうのでそろえているのですか?」
「もちろんです。高学年の男子が、こういうところを見ていますからね。本当はゴルフウェアとか他のメーカーでもいいしなんでもいいんですけど、単純に、子どもたちがプーマとかナイキくらいしか知らんでしょう。単純ですね。ナイキ着てれば、かっこいいって思ってくれますしね」
すなわち、高度な情報操作の作戦が背後にあったわけで・・。
そんな話をS先生としていたところ、ピン、とひらめいた。
それは、ゴルフウェアが教師には合うのではないかな、ということ。
教師が服装に求めているのは、ジャージそのものではない。
適度に動きやすく、体育の時間にも対応でき、そうじの時間のひざの汚れ、ほこりにも対応する服なのだ。
ジャージは上の条件は満たすものの、算数の授業でジャージ姿じゃあ、なんだかみっともない。
スーツ着てビシっと授業したい気分だってある。
すなわち、適度にフォーマル、適度にアダルト、という感じもほしいのだ。
すると、基本はスポーティ、それにプラス、フォーマル、という条件が見えてくる。
それに一番ふさわしいのは、紳士のスポーツ、ゴルフではないだろうか。
そこで見てみると、ポロシャツだって英国生まれの半スポーツ半フォーマル服が元祖だし、ゴルフウェアはまさにその指標にぴったりだ、と見えてきた。
adabaT は王道ブランド、アディダスゴルフもすてがたい。Kappa もいいし、クラシックな雰囲気のあるZOYも好きなブランドだ。
S先生は、ソリッドラインの黒白ツートンシャツを着ていると言っていた。
TMTクラシックともなると、色使いがちょっと派手目だけど、これもまあいいか。さすがにチェックのパンツは派手だけど。
よし、今週末はゴルフウェアを見に行こうっと!
(本音はサラリーマンのビジネススーツが一番いい。朝、考えなくて済むし。これ大事)
横澤彪(よこざわたけし)さん。
笑っていいとも、おれたちひょうきん族、という番組のプロデューサーとして名をはせた横澤さんが、爆問学問に出ていた。
爆笑問題も今度ばかりは生意気なことを言っていられず、正座でもして会うのではないかと思ったが、番組の冒頭ですぐに太田光が
「オレ、風呂入ってきた」
といったのが、衝撃だった。
やはり、ちゃんと身を清めてきた、というわけだ。
さすが太田さん。
横澤彪氏は、もうほとんどの人がご存じでしょうが、フジテレビの名プロデューサーであります。
お笑い界のビッグ3ことタモリ、ビートたけし、明石家さんまをスターダムへと押し上げることに一役買った。
横澤氏に向かって、テレビとはなんぞや、芸人とはなんぞや、漫才とは、と太田も矢継ぎ早に質問攻め。
彼が一番気になっていることなのだ。
その答えを言う資格を持つ人間は、そうめったにいない。
横澤氏は、その数少ない一人。
その人に、直に聞けるチャンスであったのだから、太田さんも今回ばかりは番組のことなんて半分すっとんでいて、自分が本当に聞きたいことを、本音で訊いていたのにちがいない。
テレビの画面からは、なんだかそんな空気感が押し寄せてくるようであった。
横澤氏が
「ニュースキャスターやんなさいよ。だって、いろいろと見る目があり、きちんと判断できる賢さがあるんだから」
と爆笑問題の二人に向かって言っていたが、それは大賛成だ。
テレビの中でそのセリフが聞こえた時、おもわず
「そうだ!」
と叫んでしまった。
かつて、ビートたけしが出てきたとき、山藤章二氏が
「たけしにニュースステーションをやってほしいなあ」
と言っていたが、その気持ちと同じだろう。
世相、時事ネタの世界に生きてきた山藤さんが、ビートたけしにこそ、本音で世相をきってほしい、ニュース番組の構成枠をとっぱらって、新しい世界をテレビ界につくってほしい、と期待した。
同じように、
テレビの世界に閉塞感を抱いている横澤氏が、爆笑問題に
「テレビ番組の枠をこわしてよ」
と依頼していると思った。
それにきちんと響くのが太田で、さすが、と思う。
太田も、現状のテレビ界が閉塞している、と訴えていた。
横澤氏も、「このままではよくはなっていかない」と。
上手に世間を騙す、というテレビの世界。
心地よく、ショーを見せていくのがテレビの世界。
それとはべつに、漫才という芸事の世界がある。生で、板の上で、客の息遣いを感じながら演じるという世界だ。
「そっちの世界をやめてしまってはだめ」
と横澤氏は言う。
太田は、漫才だけで食っていかれたらいい、という主旨の発言をしたが、それは実現されていない。現に、漫才だけの長寿番組は存在しない。
それよりももっと、世の中、視聴者が期待する、テレビ的なショー、というものがある。
太田さんは、そこでも生きていかねばならない。
爆笑問題の二人には、それをも背負っていく責任がある。
(、と横澤氏は言う)
教室は、子どもたちに心地よく、<納得する空気、やってみよう、と思わせる何か>を味あわせるところ。
これは寄席に似ている。
ところが、実際の子どもは、テレビのショーの方になじんでいる。
現代の教員は、板の上で子どもたち相手に、授業というクラシカルなショーを見せつつも、さんまや新助や爆笑問題がやるトーク番組のような、もっと生の、もっと本音の、透明で教師の意図や気持ちの裏がわまで見えてきそうな<テレビ的なショー>を要求されている。
現代の教師が立ち悩んでいるのは、たとえてみれば、寄席芸人とテレビ芸人のちょうど境目のあたり。
つまり、現代教師は、爆笑問題と、立場が似ている。
爆問学問、NHKの人気番組である。
漫才コンビの爆笑問題の二人が、毎回、さまざまな分野の第一人者と語り合う。
太田光が<落語>をどう見ているのか、知りたくて見た。
「千両みかん」について。
みかん一袋に100両の値打ちがあるわけがないのにもかかわらず、その計算に目がくらんで逃走する番頭の姿。これを話題にし、太田光いわく、金は「虚」である、と。
これはまったく同意見で、うなずいてみていたら、隣で嫁さんが
「何年か前に、あなたもそういうことを言っていた」
というので、そうだったっけ?というと、
「千両みかんの話をしながら、金が虚だということを落語がそのまま表している、と言っていた」
という。
驚いた。
我ながら、ちゃんと気付いていたのだ。
そもそも自分は、金が虚、である、ということを追いかけ続けた20代を過ごしていたから、そのあたりはかなり敏感になっていたのかも。
千両みかんを聞いて、太田さんと同じように感じていた人も多いはず。
私もその一人。
江戸学の田中教授が、
「粗忽長屋って、すごい話ですよ」
と言っていた。
最初は、? と思っていたが、この番組の最後の方で、
「落語は、解釈しない。良い悪いを判断しない。人間をそのまま描いている、ここに人がいますよ、というだけ」
と田中教授が言っていたのを聞いて、ああそうか、と合点がいった。
うっかりもの=バカ者=あわてもの=へんな人、と現代人はさまざまに言い方を変えながら、最終的には、「変」という「マイナス」の言葉で烙印をおし、イメージづくりをしてしまう。つまり、価値を定めてしまう。
しかし、落語(あるいはその背景にあった江戸の町民の文化、行き様)では、そこつもの、と呼ぶ。そして、そこつ、という言い方には、それを許容する響きがあった、というのだ。
そこつもの、という言葉には、「変、へんな人」という言い方にはないあたたかみがある。
あと面白かったのは、太田光が立川談志師匠が言っていた言葉を紹介して
「業の肯定」ごうのこうてい
というのを言っていたので、そうか、と一旦は思ったがそのあとで、
肯定も否定もなく、それから離れて、ただ表した、というだけでないかという気がした。
ただ、今の世の中は業を否定することが社会の常識、表の論理となっているから、だから否定をしない落語表現はそのまま「肯定」をしているかのように見えてしまうのか、と思ってあながち立川談志師匠の言い方でも間違いではないと考えた。
太田光の時事ネタ漫才は、落語の世界に似ているなと思う。
落語もまあいってみれば、「人間そのものがおもしろい」と言っているわけで、
爆笑問題がなぜ時事ネタを中心にするかというと、人間の巻き起こす本当の事件そのものが面白いから、人間の存在、行為そのものが、笑えることばかりだから、というが、そのことと落語の精神性は、底で繋がっている気がする。
子どもが生(なま)で生きている教室という空間は、かなり落語的だと思う。
やっていることは、本当に笑えることばかりだ。
6歳の息子と、7時のNHKニュースをたまたま見ていた。
中国人の民主活動家、劉暁波(りゅうぎょうは)氏が受賞したことをやっていた。
ところが、その平和賞のことを息子にかいつまんで解説したところ、息子がおかしい、と思ったようで、
「いい人なのに、なんで牢屋に??」と。
劉氏が収監されていることをアナウンサーが解説したのだ。
さあ、連休明け、このことをなんとかクラスの子どもたちに解説しないといけない。
時事ネタは、朝の会での定番になっている。
ノーベル賞のことを、先生が話すだろうな、と思っているにちがいない。
今日は、日本人受賞者の化学賞のことを話したばかりだ。
悩みます。
それと、もう一つ不安が。
ノーベル平和賞を受賞したがゆえに、よくないことにならないだろうか。
当局からの圧力が、りゅうさんにのしかかってこないだろうか。
中国政府がかえって抑圧を強めるということにならないか・・・。
ところで、零八憲章というのが気になって調べてみた。
以下のリンクをさがして、中身を読んだが、いやあ、これで中国もものすごいことになってくるんではないだろうか・・・。あの大国が民主化されていく過程は、すごい物語となりそうだ。歴史の流れは必ずそうなるにちがいないが・・・。
歴史の流れ、民主化の流れは必然。
人は元来、自由を求めるもの。
圧政や強制には耐えられないように、人はできている。
しかし、それに反動する動きも必ずある。
民主化の流れが急であればあるほど、それをおさえようとする逆のエネルギーがはたらく。
天安門のようなことが、ふたたび起きる可能性は非常に高い。
どうなっていくのやら。
ドキドキ。
零八憲章
今日は、わが家の子育てにまつわること。
運動会が行われました。
近所の知り合いがスタッフ・役員として、たくさんうろうろしていました。
保育園の園庭はのんびりしたもの。
都会ではこうはいかないだろうと思われます。
開始時間ぎりぎりになって、ゆったりとござをしいて、それでも一番前のいい席をとれるのですから。
年長で13人。全体でも40人という、小さな保育園。
それに対し、芝生の園庭が広すぎる。
これもまた、田舎の味、ということでしょう。
リレーのアンカーで走り、一位になったので、よろこんでいるかと思って
「すごかったねえ~!」
と声をかけにいくと、
「うん!!すごかったでしょう!!白組が勝ったんだよ!」
自分がリレーに出て、速かった、一位になった、ということを喜んでいるのかと思っていたら、一番印象に残っていたのは、そうではなかった、ということ。
親の思いと、子どもの思いは、実際はかなりの温度差がある。
というよりも、同じであるはずがない。(事実として同じには絶対にならない。脳がちがうのだから)
先生たちが、子どもたちに指導する際に、どこに力点を置いて指導していったか、ということがなんとはなしに、うかがいしれたような気がした。
誰が白いテープを切ることができたか。
「○○くんが最後速かったねえ」
というセリフももちろんあっただろうが、
「おかげで白組が勝ったんだねえ」
ということの<思い>の方が、わが息子には大きく、強く、伝わっていたのだろう。
宇野重吉が、「思えば(顔や態度に)出る」
と言ったが、
先生たちには、「○○くんは速い」という視点は、それほど強くなかったのだろう。
そうした思いが、先生たちには強く存在していなかったのだろう。
だから、子どもたちにも、必要以上に伝わっていかなかったのだろう。幸運であった。
もちろん、いい、悪い、ということではない。
ただ、自分が職員室で最近していたのは、
「1組の○○ちゃんって、速いよねえ」
という会話が多かった。
そのことを自省するのである。
心の中で、運動会が終わってからもしばらく、自分とは何がちがうのか、比較していた。