教師の服装に、また最近悩み始めている。
というのは引越しした先が、盆地の気候であるためか、朝晩は案外と肌寒かったりするのだ。
寒い、というほどではなくても、Tシャツ一枚でOK、という温度ではない。
職員室で他の先生たちの服装を、それとなくチェックしている。
ほとんどが、Tシャツ一枚、である。
あるいは、ポロシャツ。
そして、若い男性はひざ下までの半長ズボンというのか、そういうタイプのズボンをはいている人もいる。
年配の男性の先生は、スラックスというのか、グレーや紺のズボンに、開襟シャツ(ネクタイなし)が多い。
朝はそれほどでなくても、すぐに暑くなるのだから、Tシャツに半ズボンだととても快適だろうと思う。
しかし、半ズボンにはなれない・・・。気持ちがとがめて・・・・。
ポロシャツの中に、タンクトップくらい着ているのが一番ちょうどよいのかな。
しかし、ポロシャツと、スラックスのズボンが合わない。
私の持っているのは、紺かグレー。
なんだか普通のビジネス風のものが多いのだ。それもそのはず、サラリーマン時代からのくせがなかなか抜けないからだ。
かっこよく、休日スタイルのチノパンで決めようかと思うけれど、そういえばチノパンで過ごしている先生はあまりいないな・・・。
あとは、定番。
つまり、ジャージ。
汗をかくし、汚れるし、結局のところ、ジャージが一番実用的なのか・・・。
(もうすぐプール指導もはじまるしね)
2010年06月
なぜだか、学校の分掌で、図工主任になってしまった。
新しい学校へ来て、いきなり、である。
前任者が異動して不在となったためだ。
同じ時期に、新規異動してきた私に、その任がまわされたのだ。
いま、図工教育の世界で話題となっているのは何か。
「鑑賞」である。
これまでは、作品をつくる、製作することがほとんどであった。
図工の時間には、作品を作るのが一般であった。
しかし、新しい指導要領には、「鑑賞する」力が明記され、そこに重点が置かれるようになった。
図工教育も、変化を迫られている。
さて、鑑賞する力を身につけさせるためにいろいろなことを教師は考える。
鑑賞とは何か。
そもそも・・・
それで、同市内の小学校の図工主任がさそいあって、(といってもほぼ強制的に)美術めぐりをすることになっていた。
少し前のことになるが、院展を見に行った。
今年の、春の院展、である。
今もどこかのデパート等で開催されていると思う。
催事場を借り切って、入場料をとって、公開している。
私は東海地区の会場で、院展を見た。
そこで、インパクトの強い数々の「日本画」を見た。
図工の鑑賞となると、ゴッホやピカソの鑑賞が一般的。
なかには葛飾北斎などの浮世絵が、ゴッホとの関連から授業にかけられることもある。
印象派の数々の作品は、これまでいろいろと教材となって活用されてきているようだ。
日本が所有している名作の点数も世界的に見ても多いためだろう。
ところで、院展を見て、日本画に対する印象がずいぶんかわった。
ずいぶん、親しみを感じた。
なんだか、とても自由な雰囲気がした。
花鳥風月、鯉が水の中で泳いでいたり、きれいな山の風景画だったり、そうしたものを「日本画」と思い込んでいた。
だが、今回、院展で見たのは、それとはちがった。
本当に自由なモチーフ。
まるで油彩のような世界がひろがっていた。
道具や仕立て、方法はちがっても、描きたいものを描く、という点では、洋画も日本画も同時に変わらないものであったのだった。
さて、その中で、印象に残った作品がある。
今回初入選だった、岩田隆氏の「コスモス」という作品がそれだ。
あたたかなコスモスの色調、淡い空間の中に、少女がまっすぐに横を見て、立っている。あるいは歩こうとしているのか。
コスモスが、まるで彫刻の「浮き彫り」のように、画面下に浮き上がったように見える。また、少女の半身をすっぽりと包みこむように、コスモスがその生命力を湛えながら、上方へとなびき、流れようとしている。
少女の、端正な横顔。
そして、落ち着き払ったまなざし。
自分、という存在、人間と言う存在、そして、成長しようとしている少女の、生きる姿までが想像できるような気がした。
本当に、生きているような気がした。
コスモスの生命力が、それを感じさせたのだろうか。
わたしは、しばらくそこから動けなかった。
私にとびこんできた印象が、いったい何なのか、この
「初めての感じ」が、いったいどういうものなのか、整理したくて、ずっと自問を続けて動かなかった。
こんなふうに絵を見たことが久しぶりで、なにかとても新鮮だった。
無名であろう、新人の作家の作品。
これまで、自分とはなんのつながりもなかった作品との出会い。
「出会い」というのが、こういうものか、とも思った。
有名で、名の知れた人の作品でないがためにむしろ、自分に起きた変化の衝撃が、強くて印象が強く残ったのかもしれない。
あとで、出入り口のところで、今年の院展の作品写真集を見た。
ふと、購入してみようかと思ったのだ。
「2010 春の院展 作品集」とか書かれた、その分厚い写真カタログのような本を手に取ってみた。
そして、さきほどの強烈な印象を私に残した、「岩田隆」という新人作家の「コスモス」を見た。
残念にも、本物よりもかなり暗く写っていた。
実際は、もっとピンク色が明るくて、光っているようなイメージの作品であるはずなのに、どうしても、写真になると、ちがってきてしまう。暗くなってしまっていた。
私は、一度手に取った写真集を、元に戻した。
http://www.nihonbijutsuin.or.jp/ippan_65/index.html
(ギャラリー → 入選作品 → 岩田隆)
買うのか、と思って百貨店の人がレジの前に移動してくれたが、軽く会釈をすると事情を察してくれた。
代わりに、絵葉書を数点、買った。
院展の同人である有名作家の絵らしかった。
しかし、わたしには、それはあまり価値のないものだった。
岩田隆・画伯の、コスモス、があれば、本当にそれがほしかった。絵葉書には、まだなっていなかった。新人の初入選である。まだ、絵葉書にはならないのだな、と思った。
さて、どんなふうに授業に生かして行こうか。
鑑賞の授業は、奥が深い。
どんなめあてで、授業を進めていくか。
何を知ってもらうか、どんな世界をイメージできるか。
子どもたちにとって、新しい世界に出会うような、そんな新しい授業を模索していきたい。
引越しして、荷物をひっくり返していると、段ボールの中から、思いもよらぬモノが出てくる。
古い写真やアルバム、手紙、何か記念のつもりだったのだろう、切符や美術館の入場券まで出てきた。
小さな文庫本が、いくつか出てきた。
20歳で大学を辞め、北海道で牛を飼っていたころ。
またその後、農業を生業として仕事を始めた時期からの持ち物だ。
それが、なんと、今とまったく変わらない趣味で、おどろいた。
オレは、20年近く、まったく趣味の変わらない人間であったのか、という思いだ。
水木しげるの、作品集。
そして、落語の本。
「なんだ、今と変わらないな」
それを見ていた嫁まで、声をあげて笑って、
「進化してないなあ~」
と言う。
そういえば、20年前から、おなじことを思い続けている。
5時間くらい、たっぷりと、テレビの前で、桂小三治のビデオを見たい。
ずっと、そう思い続けてきた。
でも、ずっと、それがかなわない人生だったらしい。
毎日、毎日、やることのある毎日。
ヒマのない、毎日であったのだなああ・・・・
それが幸せでもあったのだろうが、同じことを20年近く、思い続けて、まだ今だに、それを「確固たる欲望」として、抱き続けている自分自身が、なんだかふびんに思えてくる。
ディズニーランドへ行きたいだとか、テレビを見たいだとかはまったく思わないにしても、サザエさんを一日読んでいたいだとか、河童の三平をトレースして、描けるようになりたいだとか、枝雀さんの「貧乏神」を演れるようになりたいだとか、
同じことを、本当に、20年以上、思い続けている。しかし、それをちっともやっていない。
今度暇になったら、と、ずっと思い続けている。20年以上も!!!
そのことに、今朝のNHKのテレビドラマ、ゲゲゲの女房を見ていて、ふと思いいたった。
水木しげるさんも、ずっと変わらなかったんだなあ。自分の世界を持って、それを武器に世の中を渡ってきたんだ・・・。
自分の場合は、趣味が変わらなかった、というだけで、武器にしてきたわけではない。
だが、さかのぼると30年ほど前、中学か高校生の頃の趣味が、そのまま持続する、というのが、あらためて衝撃だ。
高校の頃は、当時思っていた落語への情熱が、そのまま自分の人生にずっとずっとつきそってくるとは思いもしていなかった。
将来は、もっともっと、自分も、自分を取り巻く世の中も、劇的に変化し、変わるのだ、と思い込んでいた。
(ところが、当時も今も、それほど変わらない!!!)
志ん生のテープを聞いて思うことも、30年前と同じだ。
同じところで、同じように、笑っている。
40に手の届く自分と、高校生の頃の自分と、同じ感情を抱いて、生きている。
それが自分で分かって、なんだかすごく衝撃を受けている。
自分自身に。
そして、ときのながれ、というものに。
ある女子が、教卓近くへやってきて、
「あーあ、もういやんなっちゃった」
と何度か、言った。
周囲に友達がいて、みんな笑っていた。
本人も、いいながらニコニコ笑っている。
給食が終わって、休み時間が始まったときだ。
男子は猛烈な勢いで体育館のドッジボールへ出かけ、それぞれ本を読む者、おしゃべりするもの、三々五々、好きに過ごす時間だ。
子どもたちも、ほっと解放されるのだろう。
そのとき、わたしに寄ってきて、そういう言葉を出したのだ。
なんだろう、と思った。
でも、まわりに人がいて、個人的なことは聞きにくいかも、とも感じた。
「なに?相談乗るよ?」
というくらいは言ったと思う。
でも、
「いいわ、先生。いろいろと子どもも大変なんよ」
と言って、そのニュアンスがおもしろくて、また周囲の何人かの女子も声をあげて笑った。
なんだろう、と思う。
そのまま、なんとなく、子どもたちは午後の授業を受けて、帰宅した。
夕方、何度か、そのことが頭に浮かんだ。
そして、思い切って電話してみた。
母親が出た。
「今日、ちょっと気になったことがありまして」
電話の向こうでも、真剣に受けてくれた。
「先生、これからもこういったことで、どうぞ連絡くださいね。わたしも助かります」
とまで言ってもらえた。
助かるのは、こちらもそうだ。
親の気持ちも、同じなのだろう。
教師も真剣にねがっている。その子が、楽しく学校で過ごせることを。
すると、翌朝、子どもが話しかけてきた。
「先生、昨日、わたし、家で泣くほど話したよ。悩んでるんよ」
電話したことで、親がきちんとその子と向き合って、理解し、共感してくれたらしい。
笑顔で、わたしにしっかり向き合ってくれた。
そして、私に告げる勇気を得た、という感じの声で、話をしてくれた。
理解すれば、女子は動く。
女子は、理解してやらねばならない。
その、ナイーブな、デリケートな、傷つきやすい、彼女たちの心、気持ちを理解せねば、彼女たちは心を開かない。
話をしてくれたことに、お礼を言った。
うれしい、と素直に自分も、気持ちを伝えた。
「先生も、いろいろと聞けてうれしいよ。話してくれて、本当にありがとう」
女子のグループ化、だ。
グループが2、3つに分かれていきそうで、その狭間で悩んでいる。
よくある話。
でも、本人たちは、こんなこと初めて。
これから、気持ちのすれ違っている友達と、どう付き合っていくのか。
ともすれば嫉妬の気持ちが出てくる。
その心、気持ちで、どうやって過ごして行くのか。
自分でも自信がないのだろう。その不安を抱えて、あがきはじめている。
予感があるのだろうか。これからの厳しい道のりの・・・。
さて、グループ化していく女子たち。
どう指導していくか。
真剣に、わたしもまた、本気の本気、そのモードに、シフトチェンジするときがきた。
これまでそういうふうに育ってきたのか、注意することが良いことであったのか、わが学級では、友達を注意する場面が非常に多い。
4月から気になっていたが、これは少し指導を入れるべきだと感じ始めた。
最初は、「しずかに!!」という声であった。
わたしが何かしゃべっているときに、ぶつぶつとつぶやくようにしゃべっている男子に向けて、女子がさかんに注意して言うのである。
そして、私が驚いてそちらを見ると、さも得意げに、
「いいことをしたでしょう」
というように、こちらを見る、のである。
おそらく、こういう注意をすると、ほめられてきたのではないか。
私はそういう行動をほめたり、取り上げたりしない。
私がそうだと分かると、だんだんと静かにが減るのではないか、とも思った。
ああ、この先生はこういうときに、何も言わないのだな、と思って、減るのではないか、と思ったのだ。
しかし、実際、この6月になっても、同様のことは減らない。
減らないばかりか、私語が増えてきた。
荒れの6月と言われるシーズン。
だんだんとお互いの手の内もわかってきて、教師を試すのも堂々と、大きく出るようになる。
さて、「しずかに!」だけでないのが、学級の現状だ。
女子が、男子の行動を、きつい言葉で責めるのだ。
どうしたらいいのだろうか。
赤坂真二先生の、アドラー心理学についての著作を読むことが多い。
勇気づけ、という言葉がキーワードだと思った。
叱る、というのとは、ニュアンスがちがう。
赤坂先生は、叱る、ということがないのだろうか。
いや、叱る場面は必要だ。
児童を許せない場面だってある。
勇気づけ、という言葉からは、その「叱る」ニュアンスが見えてこない。
いったいそれだけで、学級づくりが可能なのだろうか。
親のせいにもしない、児童のせいにもしない、それでいて、担任のせいにもならない。
だれのせいにもしない、子育て、という感じ。
著書を読んでいると、そんな読後の感想を持った。
ただただ、子に資する、という姿勢の指導を書いている、と思った。
ただただ、というのは、人を批判しない、ということ。
担任を責めない、子を責めない、親も責めない。(叱らない)
そんなことをしているヒマに、「勇気づけ」をしようよ、どの人にもそれが必要。そして、学級担任はそれができる位置にいる。
・・・という感じなのかなあ。
これは、そもそも、教育以前の話か。○○のせいにする、という思考そのものをめぐる哲学。
赤坂先生の本を読むと、
「叱る、でなくて、勇気づけ、いったいそれはなんだろう」と、とめどなく考える。
また、「よい学級」とはなんだろう、とも思う。
よい学級をめざす、はまちがいないが、そもそもその
「よい学級」
というのが、職員間でイメージの違うものであれば、「よいクラス、悪いクラス」というのも人によりけりで、共通するものではなくなってしまう。
いったい、「よい」とは何か?
職員室で、ある先生が某20代若手先生の学級を、ひどい、と言ってこぼししていた。
担任は女性の若い先生で、低学年だからあまり良く分からない。
子どもたちにしっかり寄り添って、人気もある先生と思っていた。だから、その言及されたことが本当かどうかわからなかったが、書類を片づけながら話を聞きつつ、
「いや、そんなこともないだろう」
と思った。
しかし同時に、このことに言及されて文句を言った年配の先生のイメージする、「よい」学級というのと、この若い先生のめざそうとされる学級の姿が、異なるのではないかな、という気がした。
つまり、その年配の先生が「よい」と思うクラスには、成りえないということ。
見た目がきちんとしているが子の目の死んでいるクラスもあるし、多少ガチャガチャしていても目の輝いているクラスもある。
いや、そんなことはないのか。
子どもの目の輝いているクラスは、当然、見た目もきちんとしている、ものなのか。
果たして・・・。