30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2009年12月

年末はNHK番組でいろいろと思うことあり




NHKで年末に放映された番組を録画しておいて、本日鑑賞。
30日に放映された、“国民”への道のり~明治日本・農村の記録~である。

日本人が明治になってから、徴兵制、地租改正、学制、と次々に敷かれる制度に黙々と従ってきたこと、日清戦争をきっかけに、国の輪郭が意識されるようになったこと、「国民」という意識が戦争と共によりはっきりとしてきたことなどが紹介されていた。

「国民」という意識よりも、「村人」の意識の方が高かった。
それが自然だろうな、と感想を抱いた。

初期のころは、やっかいな徴兵制をなんとか逃れようと、知恵を絞る人々の姿が資料からうかびあがってくる。
徴兵されても、逃亡して行方知れずになる人が、全国で2万人もいたそうだ。

おそらくそういう人たち、逃亡した人たちは重罰が待っているから帰るに帰れず、あてどなくどこかの土地にしがみついて、必死で生きていこうとしたにちがいない。

学制もそうだ。
学校は地域の負担でつくることになっていたから、教員の給与や土地、建物をつくる費用、教材もすべて、地域の住民たちが負担した。
しかし、負担をすすんで担おうとしたわけでなく、なんとか免れたいと願った、ということが紹介されていた。

民権運動を生み出し、国会を設立しようとした動きも紹介されていた。
「国民」としての義務ばかりが強要され、それに黙々と従っていたばかりに、国の負担を担おうとしつつも、貧困にあえいでその日の糧を必死で探すまで追い詰められていた国民の姿が、さまざまな資料から浮かび上がってきた。
国民の「義務」を果たすというばかりでなく、「権利」も勝ち得ていこう、というのが民権運動であった。
民権運動を通じて、国会開設を訴えることを通じて、やはり徐々に「国民」という意識が高まったいったのだ。

長野県・安曇野の運動家、松沢求策が紹介された。
この番組の中でもっとも印象深かった部分だ。

芝居好きだった求策は、『民権鏡加助の面影』という歌舞伎の台本をつくった。加助という庄屋が村人のために民権運動に立ち上がる物語をあちこちで上演し、それが多くの人の共感を得て、徐々に民権運動の理解を広げていったそうだ。

ただ声高に叫ぶばかりでない、歌舞伎という「よびもの」でもって、わかりやすく翻訳し、みんなの気分を代言し、だれにでも理解できるように次の道筋を示したのだ。

「歌舞伎」という手段。
ここに目を付けたことが、求策の個性であり、武器であったろう。

同じように、明治維新の初期には「国民」の意識を高めきれなかった政府が、日清戦争を大々的に広報して「国民」意識の形成に成功するとき、用いた手段は、「幻灯機」であった。
わかりやすい絵にし、それに解説を加えて、字の読めない人にもすべてわかりよいように、上映したのである。

歌舞伎にしても、幻灯機にしても、

「わかりやすく、わかりやすく、」

という意識があったからこそ、使われたのだろう。



同じ時期に、坂本龍馬を爆笑問題がおもしろい独自の視点でさぐった番組もあったが、どうやらこの幕末の風雲児も、

「わかりやすく」

という意識があったらしく、手紙をみると、読み手のことを考えた文体で、いいたいことをすんなりと伝えるのに成功している。

福沢諭吉は、自分の書いた原稿を、職人に読んで聞かせて、意味がわかるかどうか尋ねたという。
分からないという部分は、さらに咀嚼して書きなおしたそうだ。


わかりやすい

というのが、いつの時代も人の心をつかむ鍵なのだろう。




四手井綱英氏




東京都の町田市は、里山を生かした町づくりをしていこうとしている。

里山、という概念、言葉をつくり出し、広めた先駆者が、四手井先生らしい。

私は20代のころ、農業に従事していた時代に、一度だけお会いした。
あるシンポジウムにお招きしたのだ。
私は主催者側であったので、準備の段階で一度、簡単な話をすることができた。
武士、というイメージがあった。
身体も大きかった。
さすが山岳部、という感じであった。

その後の本番でもお会いすることができた。
惜しいな、と思うことがある。写真を撮影する係だったので、私自身は共に写真に写ることができなかったことだ。

里山を生かすのに、動物を飼う、という話になっていた時、堆肥を生かしていく方策がなければいけない、という話題になった。
すると、それまでわりと静かだった四手井先生、

「今の日本の牛はほとんど海外の飼料ばかり食ってるんだから、糞もアメリカにもどさなきゃいかんだろう」

と言って、ニヤリ。

得意げに熱く語っていた農業系の大学生のほとんどが、それを聞いてシーン。

どうやら、得意げに熱く語る学生に、冷や水を浴びせるのがオモシロイらしい。
あとで、いかがでしたか、と仲間が聞くと、オモシロカッタ、という感想をおっしゃったらしいが、私にはあのやりとりがとても印象的だ。

もうひとつ覚えているのは、山を手入れしていくこと。
つまり、枝打ちや間伐がなぜ必要なのか、という議論になった時、仲間の一人がこれまた熱く語りだした。


いわく、美景、治水、間伐材の利用、もちろん本材として立派な杉ヒノキが活用できること、農山村と町の人が交流する場になること、里山のくらし、土砂災害をふせぐこと・・・

滔々とつづき、宴もたけなわという頃、

「山の手入れは、河川の氾濫を防ぐ。それだけでいいじゃないか。それだけで、十分にやる価値がある。あれもこれも、と決して言わなくったって・・・」

という旨のことをおっしゃられた。

それをきくと、一同、なるほど、とうなずくしかなかった。



さすがに、京都大学名誉教授、だと思った。

あれもこれも、と考えるから、ぼろが出る。
クリアな一点に焦点を合わせて、ぐいぐいとどこまでも押して行けばいいのだ。その一点で、どこまでいけるか。
考えてみれば、河川の氾濫だって、いろいろな条件が重なってのものだから、必ずしも山の手入れだけですべてOKという話ではない。しかし、どのように考えてみても、山の手入れは必ずすべき。河川の氾濫、という一点からみても、決して山を荒れさせてはならない。これはもう万人が反対しようのない事実だ、ということができる。

それで、山の手入れが必要。それだけでいい。一点で、突破していくのだ。一点で、勝負していくのだ。それでなければ、本物でない、ということだ。本物で勝負するのだ。ブレない、ということだ。

この話も特に印象に残っていて、あれ以来何度も思い返す。
私は四手井先生から、一点を考えることの価値を、学んだ。

享年、97歳。
ご冥福をお祈りいたします。




引越し準備その1




来年度、新しい自治体での勤務を始める。

そのために、一家そろって、引っ越しである。

来春、3月末のいちばん忙しい時期に引越しをする。
卒業式、成績づけ、要録、荷物まとめ、引越し。

怒涛のようなめまぐるしい日々が続くだろう。
これは、かなり大変だろうと想像できる。
そんな中で、子どもがもし病気にかかりでもしたら、一瞬のうちに計画が崩れていくだろう。

こう考えると、今からできることを、一つ一つ、早すぎるくらいのペースで仕上げていかないといけない。
半年後、この自分のブログをふりかえってみてみたときに、

「ああ、おれの馬鹿」

と思うか、それとも、

「よし、よくのりきった。計画的だった」

と自分を褒められるか。

瀬戸際の作戦が、この冬休みから始まる。



○携帯を変えた(新しい地域ではWILLCOMが通じないらしい)
○書類を書いた(集めるために手を打った)
○健康診断の予約をした
○学校で溜まった仕事を分類し、いつやるかを決めた
○部屋の片づけにとりかかった
○不要な本をまとめはじめた
○大事な本をまとめておくためのプラスチック小BOXを4ケ購入
○授業でつかうための備品をストックする大きなBOXを2ケ購入
○その他の本を一時的にまとめるための段ボールを10ケ購入

段ボールはちょうど、広告が出ていたので、格安であった。
近くのホームセンターがあって助かった。


あとはいつもの通り。

つまり、なにかを始めるときには、頭の整理から。
で、頭の整理を進めるためには、とりあえず、モノの整理をする。

すると、モノに付随して、頭が動き出す。
今からやることが、だんだんとハッキリ描けてくる。



これが鉄則。
なんだか、昔を思い出した。
小学校教員資格認定試験を受験する際にも、妻子やしなって激務のSEをこなしながら眠い目をこすりつつ週末のスクーリング、提出レポートをこなした。
最初は無理だと思ったが、部屋の整理から、あのときも始めたのだ。
モノを捨て、部屋をクリーニングして、必要最低限のものに限定し、机の上に無駄なものを一切おかず、ぎりぎりにまで行動の幅を減らして、単位取得に集中した。

そのことを、今もまた、くりかえす。
自分の中の、「仕事に向かうスタイル」になっている。




傷つく高学年女子にどう対応するか




クラスの女子ボスが、ずっとインフルエンザで休んでいて、テストをやり残した。
テストを個別に行った。
他の子どもたちは、図書室で読書。
しずかな教室で、ボスと他の一人と私。

ボスは、算数のテストをする。

おとなしく、テストに向かった。
さすがに、テストはやらなきゃ、と思っているのだろう。
それと、もう一人が中ボスで、わりとテストに対しては前向きな女子だったから。
それに引っ張られて、刺激を受けたのだろう。

ボスが、一問目から連続で間違えていく。

「エラーレスラーニング」

という言葉が脳裏をよぎった。


ここでただただ、適当な数字を書かせるのか、このとっておきの時間(一人で机にきちんと向かっている状態)を、もっとも効率よく生かすためには・・・。

迷いなく、横で逐一、指導をした。
かんたんにいえば、教えた。
テストを教えたのだから、点数にはならない。
だけど、見ていると、点数はわかる。0点だ。


なんと、ボスは、かけ算を何度も、何度も間違えた。

割り算をやらない理由がこれでわかった。
最初、わかるよ、できるよ、と言っていたのを、うっかりそのまま信じてしまっていた。

たしかに当てられて、答えなかった。
算数の時間。満足に答えられることが少なかった。
しかしそれは、たまたま(というわりには、今思えば回数が多すぎるが)隣の子とおしゃべりをしていて、理解していなかったのだ、と思い込んでいた。


プロと、アマのちがいだなあ。
アマでも、とんだ甘ちゃんだ。
自分が情けなくて仕方がない。
しかし、落ち込んでいるヒマはない。
なんとかしていく。それだけだ。やれるだけのことをしてやる。


割り算のプリント問題集を、自宅でやるように、と渡した。
3年生と4年生の復習である。
それも、かんたんにできるように、ほとんどが薄い字の答えが半分以上書いてある。
それをただなぞるだけでも、読んでいくうちに解かる、というタイプのもの。
これなら、と思って渡したら、初日に一気に10ページしてきたが、それ以後はなにもない。

「わすれた」

と言って、持ってこない。

忘れたのが連続して、ほぼあきらめ、ていたが・・・

今日、ようやく、ストンと肝におちた。
つまり、わり算の前提となる、かけ算が、わからなかったのだ!!!


これが3学期目前、冬休み目前まで、放置されていたのだ。
大失敗、である。


その子はそうでもないが、他の先生仲間に聞くと、超反抗的で、半分以上発達障害と考えてもさしつかえないほど、心の状態に空白があり、心の栄養が不足し、自尊心が傷つけられてしまっている高学年女子もいる、という。


その子だって・・・

かけ算ができないのだもの、授業なんて聞く気になれないよ・・・


どうするか。
思案中です。




大谷由里子氏講演のプロスキルは教師スキルとリンクする




1)「いい話をする」よりも、「何を伝えたいか」
2)5分ネタをいくつもっているか
3)成功体験は、「誰にでもできるスキル」に落とし込んでいく
4)3分のシメトークを用意する
5)メリハリをつけるためのクイズ
6)自分の姿をビデオ撮影せよ。
  ⇒ネタの弱さを知れ、まとまりのなさを思い知れ、テンポの悪さをはぎしりするほど感じ取れ
7)うなずいてきく子を見つけよ


講演のプロが言っています。
参考にしたのは、「中経出版:はじめて講師をたのまれたら読む本・大谷由里子」
です。

ここで、授業とリンクするのは、

1)この授業の目玉、何を伝えるか、を意識せよ
2)授業はパーツで区切れ
3)授業の最後に、「必勝パーツ」を用意する
4)説明だけの授業はだれる。吟味された発問をつなげ
5)自分の姿をビデオ撮影せよ

というところだと思う。

この最後の、「自分の姿をビデオ撮影」
は、ちとやりにくい。
なぜなら、子どもがいると肖像権の問題があるので、ひとりで授業らしきことをしているところを撮影するしかない。そんな暇はないからである。

ということで、ビデオ撮影がもっともよいことは分かっているが、テープに録音するのがいい。

やってみた。


すると、思わぬ効果が・・・。(つづく)




桂歌丸師匠がお怒りに




学校の仕事が長くなりそうだったので、夕方勤務終了後、近くのそば屋でかつ丼を食べていた。
食ってから、本腰をいれて仕事をしよう、というやつだ。
いつもは空腹に負けて、お菓子のようなものをポリポリと食べてしまって非常に健康上良くない。
そのため、今日は遅くなるよ、と妻に断って、食事を済ませてからしっかりと仕事に取り掛かる算段であった。

かつ丼を食べながら、なにげなくテレビ画面に目をやると、たちまちにして視力が吸い寄せられるように画面に張り付いた。

一瞬、こうした自分の身体の反応についていけずなにが起きたか分からなかったが、よく見ると、桂歌丸師匠が、TVの画面にうつっていた。

すぐに分からなかったのは、着物、羽織り姿でなかったからだ。
ふつうの洋服の格好で、なにやら興奮してしゃべっていた。

なにをおっしゃっておられたかというと、例の民主党の、「事業仕分け」のことだった。
子ども伝統文化教室などの予算が削られることに対して、お怒りになっていたのだ。

「自国の文化を守っていく活動のために、国の予算を使うのがなぜおかしいのか」

ということだった。

まさに得たり!
大賛成である。
百人一首や書き初めなど、正月ならではの伝統文化が、はっきりいって廃れつつあり、それを懸命に支えている教師や地元住民のボランティアが、伝統文化教室を開いている。子どもたちのために一肌ぬいでいる。それが、実態だ。泣けてくるほどだ。
それを、なぜ、やめさせよう、というのか。

???
である。

おそらく、あの仕分けに関わっていると、すべてが無駄に思えてくるのでしょう。
つきつめていけば、生きているのが無駄だ、ということに究極的にはなっていくようで。

「たとえ無駄、とわかっていても、食わないお頭がついていない鯛には、ありがたみがないねぇ」

鯛のお頭は食べない部分だけど、やはりついていないと、文化の意味が無くなる。
それでは、文化はほろびていくのではないでしょうか。


歌丸師匠がお怒りになられていらっしゃいますよ!!!

そして、落語の授業ができるように、予算を組んでください!
落語家を全国の小学校で月一で見られるように!!

秋には音楽会だけでなく、子どもたちが取り組む「落語会」を。
親も祖父母もみんな見に来てほしい。運動会、音楽会、そして落語会を小学校の定番の行事に。


民主党の方!政府の方!!文部科学省の方!!
落語を小学生に、勉強させましょう!




通知票の季節




通知票をつけなくてはならない。
近くの市の、知人教師は2学期制なので、

「えー、今、成績つけるのって大変じゃないの」

と言いますが、そのシステムで動いていると、大変でもやらねばならない、というので職員室は今やてんやわんやであります。
早めに使わないとプリンタのインクトナーが少なくなっているぞ、と教務の先生が叫んでいるかと思えば、こっちではひたすら出席日数を確認するために電卓を打ちこむ人もいる。
パソコンの画面をじっと睨んで文面を練ろうと画策する人もいるし、テストやプリントを山のように積み上げ、ひたすら赤ペンを走らせる人もいれば、その横を、コホンコホンと咳をする人が

「早退します」

と力なく、帰っていく姿もあり、なんだか個人個人がせつないほどにせっぱつまっている状況であります。

さて、わたしはそれほどでもない。

なぜって、まだ授業が終わっていないのだから、なんだか成績を云々、という姿勢になってないのだ。
自分の心がもっともっと、現実を見て、急いてくれれば、と思うのですが、心が落ち着きはらっていて、ちっとも急いでくれない。
疲れすぎているのだろうか。

テストのマルつけに追われている先生の横で、ぱちりぱちり、と爪を切っていると、

「○○先生、どこにそんな余裕があるんスか!」

と呆然とした眼で、見られる始末。


さあ、通知票だ。
なにをどう評価するのか。
むずかしい難題に、また直面する季節がきた。




情緒不安定な高学年女子




高学年女子の何人かが、常に情緒不安を抱えている。
めずらしいことではなく、高学年女子とはそもそもそういうリスクをたくさん(潜在的であれ、顕在的であれ)抱えているものなのだ。

さて、喜怒哀楽がくるくる変わる勤務校の女子であるが、今日はついに「おとなしい女の子」へのいじめ的な行為が発覚して、ショックを受けている。

さらり、といじめる感覚がある。
ばれなければ、本当にすずしい顔で、そのままやりすごしたのだろう、と思う。
背筋が寒くなる思いだが、それを付き詰めていくと、やはり良心が痛むのか、顔の表情が硬くなり、大声をあげたり、威嚇するような表情や言動になる。
相当に、困った時の「自己表現」であり、困ったことになった、と考えているからこそ、そのような表情の変化があるのだ。だから、大声をあげたり、錯乱したような表情、声、になっていくあたりから、

「ああ、ボディブローが効き始めたな」

と思う。

そして、善悪の是非を問うわけだが、悪を自覚しているからこそ、もうどうしようもなく、すくいがたい錯乱状態を呈する。呈する、というよりも、演ずる、のかもしれない。

「先生が○○したから!!」

まったく関係のないことを言い始める。
これは、かなりボディーブローがきつく入り始めた、という状態だ。
なんとかして、「わたしの悪の心を責められている」状況から脱したいからこそ、言いたくなるセリフ。

しかし、こちらはたった一点、

「この手紙を書いたのは、あなたですね」

ということだけを話している。

だから、逃げられない。


かわいそうだ、と思う。
こうまでして、他の不幸を感じなければ、救われないほどの、心の痛み、傷を負っているのだから。

傷つきやすい。
ガラスよりも、薄い、心。感情。

しかし、その女子の標的になってしまった子が、不憫だ。


その子に、味方ができるように、席替えを急きょ、行った。
もっともやさしい、気の付く女の子を、隣にした。

ここから、仲間を得て、元気をとりもどしてほしい。

傷つけようと意図して画策してしまった子も、元気になってほしい。
傷つけられて、どうしようもなくさびしい気持ちになってしまった子にも、元気になってほしい。

いじめは、本当に苦しい。




体育の得意な先生になりたい




自信のある教科。

算数と国語は、一番数も多いし、型のようなものも見えてきた部分がある。
とくに算数は、一回一回の授業の流れのようなものも、見えてきた。
国語は説明文の授業が少し難しい。
これも、まだまだ勉強が不足している。
しかし、漢字や題材によっては、子どもたちの反応がよかったものもあり、自信が出てきた分野がいくつかある。

社会も、いくつか教材研究を通して、いい発問にもめぐりあえたし、資料の集め方、仮説の立てさせ方など、とりあえず皆目わからなかった一年前とくらべたら、各段の進歩がある。
といっても満足する授業はまだ一度もないが、ホッとできた授業はいくつかあった。

理科もまあまあ・・・。



課題は、音楽、図工、体育。
これらがなあ・・・。



図工は鑑賞の授業はおもしろかったが、何度もできないし・・・。


体育の勉強を、もっともっと、していきたい。
そう思うようになった。

このブログに、体育の授業について、もっともっとたくさん書けるように、なっていこう。




叱らない、という指導がある




高学年の女子に対応する。
かなり苦労する。
学級担任をもって4年目。
これまでのようにはいかない。
言えば通じた、叱れば通じた、(と思ってきた)のが、ガラガラと・・・。

なにか通じないもの、コツン、とあたってしまうものを感じてきた。
授業はおもしろく進んでも、その直後に、え、なんで、と思うことが起こる。

「なんで!!!」

という心が湧いてくる以上、子どもの行動をすべて認める、というよりも、否定する、という気持ちが先に出てくる。恥ずかしながら・・・。
そこで、あれこれ、と考えることになる。
深夜、風呂につかりながら考えを進めていくうちに、こういうふうに思い至った。




どんなことも、子どもにとっては、

「ちゃんと分かってはいない」

ことなのかもしれない。

そうじの仕方にしろ、箒を振りまわすということにしても、ごみを最後までとりきらない、ということについても、

「教えてもらっていない」

のかもしれない。


これまでは、たった一度、二度、三度、言えば分かるだろう、と思っていた。

教師 「きちんと教えた」⇒  「教えてもらった」

という方式で、あてはめて考えていた。



だから、次のような言葉が頭を何度もよぎった。

「言ったはずだ」
「伝えたはずだ」
「ルールのはずだ」
「約束は守るべきだ」


その上で、「何度言ったら分かるのか」という気持ちをたっぷり込めて、子どもに相対していた。

だから、言葉の端々に、
「お前はダメだ」という雰囲気がたっぷりと漂っていたにちがいない。

それが、子どもはいやなのだろう。
苦痛であったのだろう。
それで、こう考えることにした。


「この子は、まだしっかりと分かっていないのだ」


そうすると、昨日も箒をふりまわしている子に対して、何も心がさわがず、波立たず、

「箒は、下に向けるんだよ。上に向けて使うのじゃない。ほこりをかぶるよ。ほこりを吸って風邪ひく。上手に使うのには、必ず下に向けるんだよ」

と丁寧に伝えることに専心できた。

子どもはちょっと、きょとん、としていた。
いつもどおり、頭から叱られるわけでなく、なんとていねいに先生が話しかけてくるのだろう、という感じ。
その空気のままに、「はぁ・・・」と箒を下げる。

「両手で持つ」
(両手に持ち直す)

「よーし。いいねえ。ちゃんと掃除をする、とういう形になってきたよ。これだときれいになりそうだ。たのむね。上手になろうね」



後半の言葉は、笑顔で発せられている。
つまり、叱らないのだ。




年賀状?住所を子どもに教えるべきか




年賀状が意識にあるのかもしれない。
子どもが、

「先生、住所を教えてください」

と言ってきた。

まじめな子である。
いたずらするような子ではない。
おそらく、母親にでも、相談したのか、アドバイスを受けたのかもしれない。

子どもがこう言ってくるのには、背景がある。
昨年来、担任の連絡先、住所はすべての書類から消えている。
個人情報を公開しないようになっている。

本当は3年ほど前からそうなっていたのだが、前校長の判断で、
学級担任がのぞめば、(よしとすれば)、学級の緊急連絡網に、担任の家の連絡先、電話番号、もしくは住所を載せていたのである。

わたしは昨年から個人情報の公開を辞めた。
昨年の学年主任が、そう判断したので従った。
また、私自身もそうした方がいい、と思ったのだ。
家には幼児もいる。深夜に電話がかかってきてはたまらない。
そう思った。

それで、冒頭のような出来事が起こったのだ。
つまり、先生に年賀状を出したくても、そもそも住所が分からない。
直に聞けばよい、と思ったのだろう。

わたしは、即答した。
どう答えたか。


「ごめんね。先生の住所は教えられません。年賀状は学校宛てに出してくださいね」

本当はもっといろいろと話したが、要するに、上記のようなことである。
その子は納得したので、それで済んだ。
「じゃあ、学校に送るね」
と言ってくれた。




ただ、なんとなしに、4年前くらいか、自宅にたくさん届いた子どもたちからのユニークな年賀状のいろいろを思い出すと、さみしさを感じないこともない。
自宅で朝、玄米茶かなにかを飲みながら、家族と

「おお、この子のこの絵は、おもしろいなあ」
「この子はね、家族で旅行に行くと言っていたから。写真に写っているの、いい顔だなあ」

などと語らいつつ、子どもたちの年賀状を読む幸福に包まれる。

これが、もはや、味わえないのだ。
仕方がないとはいえ、ちょっとさみしい。
しかし、だからといって住所を教えることが良いわけでもない。
毎年、こういうことは考えていくことになるのかもしれない。




残業することが子どもたちのためになっているか




国語算数理化社会・・・
どの教科も、そろそろ2学期の単元をおしまいにしなければならなくなってきた。
終わりから逆算して計算すると、

「おお、今週中にも、これとこれとをやって、このテストも終わっておかねば・・・」

ということが見えてくる。

なんとなく、職員室の空気もせっぱつまってきて、

「師走だねえ」

という感じがする。

本来の意味と、意味がちがうか・・・



今日も残業。
どうやって授業するか、どうやって低位の子に理解させるか、最後の最後まで知恵をしぼろうとする。

6時はほとんど全員。
7時に半分。
8時にのこり5人。
9時で教頭とわたしの二人のみ。

となりの学区、F小学校に比べればまだ早い方らしい。
F小の職員室は、帰宅時の通勤路、途中でみることができる。

今日もまだ、電気が煌々とついておりました。おそらくF小の先生は、深夜、0時近くに帰宅しているのでしょう。

以前勤務していたIT企業関連の研究所では、10時だとさすがに遅い気がしたが、9時はざらであったので、遅い分には慣れている。
しかし、結婚して子どもも二人でき、それも幼児だから帰って童話でも聞かせてやらねばならない。夕食もできたらいっしょに・・・、などと考えていたら、さすがに遅い帰宅ははばかられる。

サークルの先生に聞くと、

「残業すると罰金、というふうにするといいかもね」

とのこと。

実際に、どこかの企業では、残業を禁止したら業績がアップしたらしい。
まあこれも、残業禁止=業績アップ、という簡単な式にはあてはめないのがいい。
おそらく、オプションで本当にさまざまな要素があるのだろう。
シロウトには分からない、さまざまな要素がすべてつながって、結果として業績がアップしたのであろう。
残業禁止=業績アップ、という単純な式はわかりやすくて人の心をつかむけれど、そのままが正しい、というわけではない。

しかし、残業すればするほど⇒仕事ができる⇒効果がある
という図式がいつの間にやら脳裏にやきついてしまっている人が多い。
それが固定観念となってしまっていることに気付く。

残業禁止=業績アップ、という逆転の、あっと人の心をつかむような式によって、多くの人の固定観念があぶりだされてくる、という効果はある。
式はシンプルなほど、人の心を動揺させる。
(正しくはないにしても)
残業が、子どものためになっているか、それは問われなければならない。

2学期末。
このシーズンを、残業をできるだけしないで、効率よく、のりきっていきたい。

ノー残業デー、というの。
小学校でも校長会とかが取り組めばいいのに。




高学年女子の対応は難しい




高学年女子の対応は難しい。
現在担任している5年生の女子にも、いろいろな場面で対応に困る、悩むことがある。
つねに緊張しながら、どう対応すべきか悩みつづけている。

その中で、女子のボスについての対応をこの1年間、考え続けてきた。
<叱る>のがいいか、悩んだ。

「本当は叱ってほしいのよ」

と年配の先生にアドバイスを受けて、とことん本気で叱ったこともある。
その一方で、叱って変わるものではない、叱ることがとんでもないマイナスを引き起こすのではないか、という思いもあり、中途半端な気持ちをひきずってきた。

最近は、叱れば叱るほどに相手がヒートアップして、呼吸が乱れ、錯乱していく様子もわかって、
「これはいかん」
と方法を変えることを考えていた。

ちがったのである。
方法ではなかったのだ。
広く言えば方法だが、そのバックにかくれている、考え方に問題があったのではないか。
考え方が同じで、表面上をとりつくろっても、ぼろが出るのだ。怒りの感情も出てくる。

叱る、と思いながらも、怒っている。

それは、学級を暗くし、人心を不安にさせる。
大声でなんとかなる、という世界から、脱皮しなければならない。だからこそ、腕をみがきたい。

考え方を変える。そうすると、表面だけでなく、隠そうとしても隠し切れない部分でも、ちゃんと一貫性が出てくるのだ。
一貫性があると、子どもは安定していく。

「先生はいつもこうだ」

それが、安定につながる。
先生の気分で、先生の態度が変わってしまうのは、子どもにとってはたいへんなストレスなのかもしれない。とくに発達障害を抱えた子にとっては・・・。




元中学校の教師に学ぶことがある




5年ほど、中学校で講師をやり、中学校の教師をめざしてきたが、ふとしたチャレンジ精神から小学校の教員採用試験を受けたら見事に合格した。
そういう先生が、職員室のうしろの席にすわっていらっしゃる。
つい先だってまで、中学生を相手にしていたのが、急に10歳にもならない3年生を担任している。
ギャップはあるのだろうか。

そう思って、なにかの折りにうかがってみると、

「いやあ、この子たち、本当に何もできないなあ、とつくづく思いますよ」

ということだった。

それをきいて、

「さぞかし、要求する程度が高いのだろう。子どもはかわいそうだ」

と思った。

ところが、その先生が子どもたちに接している姿を見ると、本当にやさしいし、子どもの目線で接しておられる。見事なほどである。子どももよく先生になついている。

どうしてだろう、と思った。
その先生と話すたびに、

「本当にできないことばかり。こんなこともできないの?というのが口癖ですよ」

という。

しかし、本心からこんなこともできないのか、だめじゃないか!と
子どもたちに接しているのでもないようだ。

要するに、頭の中ではギャップを感じつつも、しっかりと要求する線を調整している。
この子たちは、知らないことばかりだ、というところからスタートしている。
むしろ、最初から小学校の現場に入った私なんかよりも、その線が、低い。
要求する線が低いということは、子どもは楽だろう。
叱られるよりも、むしろ、ほめられることの方が多い。

「先生は、たくさん子どもをほめるのでしょう」

と言うと、そんなことはない、とおっしゃる。

「あきれているばかりですよ。そのたびに教えなきゃいけない」

なるほど。
わかった。

ほめていないにしても、叱っていないのだ。
ちゃんと、最初から、教えている、のだ。

ここがわかったような分からないようなところで難しいのだが、つまり、

「こんなこと、わかっているだろ!!!!」

と言いたくなるようなことでも、言わないでいる。
ちゃんと、

「はい、教科書を開く、といったら、開くのですよ」

とていねいに接しているのだろう。

だから、人気があるのだ。


中学校の元先生に、小学校の子どもたちへの接し方を、習っている、というわけだ。




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