息子5歳の図工教室。
いつもは妻が行くのだが、今日は土曜日。
私がいっしょにでかけることにした。
妻は、明日の準備。
明日、なにか友達と特別なイベントを実施するらしい。妻は妻で忙しいようだ。
図工教室へ行くと、今日は絵画をかくのだ、という。
先生は、定年間近のおばちゃん先生で、おどろいたような顔をいつもしている人。
(私立の学校の先生らしい)
どんな人かなあ、と思いながら1時間ほどつきあったが、まったくもって感動した。
そのことを書く。
つまり、こどものやることに対して、一切の否定がない。
これはすごい。
かえるの棲む池を描く、というのが本日のテーマ。
四つ切画用紙に、最初に筆で、大きな丸を書く。
そこが池となる。
「どんな色にする?」
からはじまり、「大きさはどうする?」
「まわりには、なにかあるの?」
「石?」
「どろ?」
けっして、誘導するような言葉かけはなく、こどもから出てくるものを、一切合財、すべて大事にしていこう、と言う意識がうかがえた。
上記の、
「石?」
にしても、
「どろ?」
にしても、それはすべて、こどもが
「石にする!」
とか、
「どろ!」
とか、叫んでからの、受け言葉なのである。
誘導なのではない。
じっと、待つ姿勢もある。
しかし、待ってばかりでもなく、大阪のおばちゃん風、あるいは江戸っ子風、ようするに下町の気の置けない人情肌のおばちゃん風、という、「軽味(かろみ)」がある。
言葉がいい。
かまえなくていい。
緊張しなくてもいい。
よく笑っている。ほっとする。
子どもは、どんなに救われるだろう。
これだけのことでも、この人が培ってきた、いろいろな力の総合、それが出ているのだろう。
ここまでで、すでに、
「おお!なんてすごい先生だ」
と思っていたが、実はまだ続きがある。
なんとわが息子、池の色を、
「赤にする!」
と叫んだのだ。
「んな馬鹿な!」
と親の私はあやうく叫ぶところであった。
ところが、先生は否定しないのである。
「ん!そっか!血の池?」
と、さらり、と受けるのである。
「おおー、血の池かー」
と、ただ驚いている。
すると、息子から予定変更の意見があがり、まあまあ常識的な色に落ち着いた。
ところが、水色や青で池の色を描いていると、にやりとした息子、やにわに赤いチューブに手をのばし、赤をパレットに、つぅー、と出し始めた。
そこでまた先生、否定しない。
「赤!赤!赤だけ?それとも、なにかとまぜるの?」
ようするに、こどもたちの意見を尊重しながら、さらにそこから、なにかひとつ、考えさせるか、もしくは何かの工夫を施すように、という声かけがあるのだ。それも間髪をいれずに。
愚息は赤と青をまぜて、むらさきをつくり、池をいくつか描いた。
その色はまるで淡い、あじさいの花弁のような色あいになった。
すると、蛙の棲む、という雰囲気に近づいてきたのだ。
わたしはびっくりした。
先生にとっては、赤、というのはなんと、守備範囲だったのだ。
想定範囲内、ということであったのだろう。
(聞かなかったが)
他にも、蛙の数や、色、置き場所などは、すべて子どもたちに問いかけながらつくっていくのだ。この間合いとテンポは、ふしぎなほど、こどもたちの集中力をよびさますのであった。
また、
「じょうず!うまい!」
という声かけは一切なく、
「いい!アジが出た!らしくなってきた!できた!」
・・・、というような声かけが中心なのであった。
これまた、なにかの、教育上の考え、背景があるのだろう、と思わせた。
否定のない指導。
楽しいだけの指導。
ここが、彼女のめざす姿なのであろう。
休日の小づかい稼ぎ、という範囲を越えて、ライフワークにしている姿勢を感じた。
子どもに接し、こどものすごさを実感しながら、教師を続けている彼女の夢、自負、そういったものを感じた時間だった。
教師としてでなく、親として。
こういう先生の存在を、心底、ありがたいなあ、と感じたのであった。
2009年06月
ゲルマニウムブレスレット「疲労和らぐ」根拠なし
という新聞記事を読んで、ドッと疲れが出ました。
ゲルマニウム、という文字を見ると、ニンマリしていたからです。
わたしが購入した商品は、ゲルマニウムがふくまれている。
これは信頼できる。
中には、ゲルマニウムが0パーセント、つまりまるきり嘘で、ぜんぜん入っておらなんだ、という商品もあるとか。
それに比べたら、わたしのはちゃんと、入っている!(はず)
しかし、それはかなり信じて良いものだと思います。
・・・と書きながら心配になってきましたが、販売業者が大手なので入っているはずです!
だが、問題はそこではない。
ゲルマニウムと疲労回復には何の関連もない、ということを記事で読み、
そんなはずはない!!
と固く、くちびるをかみしめています。
ただ、ゲルマニウムブレスレット、ゲルマニウムネックレス、共に、
日常使用において、その効果と実感はどうだったかというと・・・
・・・あまり自信がない。
そこを、妻につっこまれています。
妻いわく、
「わたしのサプリメント病を笑ったよね。おかえしだわ。いい気味。ゲルマニウムも、いわゆるやせ薬とかわらなかった、ということね。AをすればBになる。・・・お単純、なことよねえ」
お単純、という言葉もなんだか、むかっぱらの立つ言葉である。
へえへえ、単純でわるうござんした。
しかし、ためすがめす、記事を読んではため息が出る。
これじゃ、ゲルマニウム購入にかかった費用、くやまれるなあ。
Aをしたら、Bとなる。
世の中そんな単純なものでないと思うのだが、ついブレスレットをしたから、疲労回復した。
ブレスレットをしたから、この程度の疲労で済んだ、と思いたがる。
人間の体、人間の一日の暮らしの複雑さをすべて省略して、ブレスレットと自分の体調を同じ比重で、1対1に考え、単純にわりきろうとする。
「このブレスレットをしたら、体が軽くなった」
そう思い・・・たいんだなあ。人間って、複雑がきらいなんだなあ。事実を見ようとしないんだなあ。
事実に、関心がない、そういう、「お単純」。
教師だ。
どこかで、こうしたことについても、ぜひ授業をしたい。
笑顔。
花菱アチャコさんの、笑顔がNHKでものすごくアップで映っていた。
とっさにチャンネル操作の手をとめて、くいいるように見た。
桂三枝さんが、花菱アチャコさんを語る番組。
「この笑顔は、つくりものではないですよ。こんなにくったくのない笑顔というのは、アチャコ師匠の人間性、生き様なんでしょう」
舞台で魅せる笑顔もある。
これはこれで、必要なこともあろう。
しかし、お客さんとの間をつねに敏感に察知して、新しいものを吸収し、勉強し、情熱をもって「笑い」を追求してきたアチャコ師匠には、人生をすべてひっくるめて、心の底からこみあげてくる笑顔があった。
いいなあ。
教師の笑顔。
いつでも、どんなときでも、すぐにこんな笑顔になれる教師になりたい。
素にもどると、この笑顔。
アチャコ師匠の笑顔。
素の笑顔。
素、だから、強い。これほど強いものはない。
めっき、偽物、偽造、付け足し、付け焼刃。
そんなものでないからこそ、価値がある。
そういう、笑顔。
4クラスが一堂に会し、プールサイドで準備運動。
順に並んでシャワーを浴びて、さあ、入水。
ピッピッと笛を快調に鳴らし、主任先生が子どもたちをプールにいざなう。
プールに入ると、一方通行に歩き出す。
自然と流れができ、シャワーを終えて、入水する仕組みがスムーズに流れ始めた。
さて、プールに入った子どもたちは、ぐるぐるとプールの縁にそって、歩き始める。
自然と、渦ができる。
100名近くの子どもたちが、いっせいに同じ方向にぐるぐる歩き始めるのだ。
まるで、「としまえん」の流れるプールのように、「長島スパーランド」のプールのように、流水のはげしいプールができあがる。
これが、いわゆる「洗濯機」というものだ、とあとで教えていただいた。
ところが。
プール指導の最中、
「先生、いまのぐるぐるが怖かったから、レベルを落としていいですか」
と言いにきた女の子がいた。
最初に、教室で、大体の泳力レベルを聞いていた。
25メートルが泳げる、10メートルならなんとかいける、あるいは、伏し浮きがやっとだ、とか。
その子は、面かぶりでバタ足ならやれる、ということだったので、全体A~Dランクの中の、Cランクに所属していた。
しかし、プールがはじまって最初の「洗濯機」が怖かった。
それで、気が変わったらしい。
「今の、すごい勢いだったから、怖くなった」
ということのようだ。
それで、Cランクも難しいのではないか、自分は相当、水はアカンのやないか、と思ったらしい。
「先生、Dにしていいですか。」
「はい。いいですよ」
いいですよ、としか言えない。
その子は結局、Dレベルのコースにきた。
担当は、私である。
どんな指導をしたか。
みんなで、目標を立てた。
どんな目標か。
「だるま浮き」
である。
つづく。
先週からプールを待ち焦がれている。
「明日はプールだね」
と言っておきながら、気温水温、天候の具合で延びていたからだ。
プール指導について、何をどのようにするのがふさわしいのか、
先週からずっと資料を集めている。
ともかくも、泳ぎに慣れさせることが大事だ、ということ。
水泳クラブ、スイミングに通っている子ばかりでない。
どの子にも、ある程度、
「ぼくは泳げる」
と胸を張れるところにまで、進めてあげたい。
私は小中高と水泳部で通した。
夏のプールの快適さ、泳ぎの楽しさも経験している。
子どもは、プールが大好きなのだ。
そのプールを、最高の場にしてやりたい。
小学校3年生のときの夏。
水泳部、に所属することにした。
本当はそんなものはなかったのだが、学校の先生たちが日替わりで、プールに付き添ってくれることになり、希望者は毎日でも学校のプールに泳ぎに来てよいことになった。
ただし、自由時間はなかった。
ひたすら、25メートルを一方通行に泳ぎ続けた。
「立って歩いてもいい」
と言われて、
どぼん、と入っては、25メートルを歩くところからはじまった。
そのうちに、面かぶりのけのび、バタ足、とすすんで、
見よう見まねで、クロールをやりだした。
すごい自信がついた。
次の年、4年生になって、また、「水泳部」に所属した。
同じようなことの繰り返しだった。
だが、夏休みも最後の方となって、ついに25メートルが泳げた。
ほとんど何も、教えてもらわなかったのに。
これは、今だに、ふしぎな経験、ふしぎな記憶として、私の脳裏にしっかりと残っている。
やはり、プリントはやめた。
なぜなら、発達障害の子がいる。
彼は、プリントの整理がまったくできない。
机の中は、いつもめちゃくちゃだ。
彼のために、つきそって、いっしょに連絡袋に入れてあげる。
でも、家に帰ると、なくしてしまう。
個人面談でも話をした。
連絡袋のプリントを、やってきてください。
しかし、本人が、やはりプリントをやぶってしまう。
分からないからか。
分かっても、どこかにやってしまう。
おうちの人も、お手上げだ。
これは、かなり高度なのだろうか。
自学ノートは、とりあえず、なくさずにいる。
ノートだからだ。
紙ぺらでは、無理だ。
おそらく、なくす。
私に叱られる日々がつづけば、彼にとっては地獄の一年になる。
このシステムを採用するかどうか、真剣に吟味しなければならない。
やはり、プリントはダメだ。
かといって、自学というのは、かなり高度なシステムだと感じている。
これをやっていくのは、ある程度、いろいろな書き方を知っていたり、表現の工夫を指導されていることが必要だ。学習の中身も、ある程度は理解していなければ、いいかげんなものになってしまう。
そこで、どうするか。
計算スキルの計算を、そのまま、自学ノートに再度やらせることにした。
これが一番、シンプルでよい。
答えも持っている。答え合わせをすればよい。
自分でだ。
1週間、5日間のうち、2日算数、3日日記、で行こう。
どうだろうか。
宿題は自学。
これを進めている。
ただし、自分の進めていることが、我流に陥ってしまっているのではないだろうか、と不安でならない。
いったい、宿題とはなんなのだろう?
こういうことの疑問が、先週からぐるぐると、頭の中をうずまいている。
一昨年、昨年と、基本的に、
「宿題はなくていいのではないか」
と考えていた。
ところが、どうやら、そうとばかりもいっていられない。
子どもの状況を考えると、今のクラスは大変な低位である。
授業で理解しているはず、と思えない。
授業で、学ぶ必要がある、とは考えていないような子もたくさんいる。
どうするか。
プリントか?
自学を身につけさせるまで、がんばるか?
さて、ここが思案のしどころ。
1学期は、学級通信でエンジンが回転している、という手ごたえがある。
何よりも、私自身がその効果を実感し始めた。
今、調子に乗って40号ほど出しているが、やりながら見えてくることもたくさんある。
まずは、通信で褒められる、ということ。
通信の効能のほとんどは、このことから齎される。
たとえば、数日前のこと。ほめられる事であったのに、惜しくもタイミングを失った事柄。後から思い返すと、もう一言はっきり伝えて、クラス全体をほめていけたなあ、と思うことがある。それが、もう一度、やり直せるのだ。
これまではそうしたものだ、とわりきっていたのだろう。昨年までは。
タイミングが合わなかった。しかたがない、と。
しかし、今年はちがう。
原稿を一気に書き上げる。ワープロの字は大きくしておく。ポイント数は、なんと14ポイントだ。勢い良く紙面がうまっていく。メールでも打っている感覚に近い。勢いを大切にして、子どもたちを端的にほめたら、それを「エイッ!」と印刷してしまう。
「字が大きいなあ」
という印象はあるが、それにも子どもたちが慣れてきた。
配るのは、必ず朝だ。朝の会がテンポ良く進むと、シーンとした状態で学級通信が配れる。朝読書の感覚がまだ残っているうちに・・・。
緊張感のある朝の教室に、通信を読む声が響く。ほめ言葉を駆使して、ほめちぎっている内容だが、朝の空気の中ではそれがまた、照れくさくない。ふざけ半分に反応する子もいない。(中にはいるが、あまり変に盛り上がることも少ないようだ)
とにかく出そう、と続けていたら、5月中旬に保護者会があり、そこで話題になった。保護者にそれとなく水を向けると、
「今年からファイルを作りました」
「読んでます」
「日記が紹介されたので、うちの子、気合が入っているみたいです」。
学級での様子が描写されて、保護者に伝わっているということも、なんだかいい感じがする。
最近では、委員会の仕事をほめられたのがよかった。職員室で話題になっていたこと、「○○先生が本当に助かった、とうれしそうに話されていた」、と書くことができる。
くりかえし褒められる。
くりかえして褒めても、厭味な感じがしないのが、学級通信の隠れた良さだろうと思う。
喫煙を授業することにした。
現行の学習指導要領には、体育(保健領域・第6学年)において、
「喫煙、飲酒、薬物乱用などの行為は健康を損なう原因となること。」と明記されている。
これを指導する、ということになっている。
6年生、となっている。
じゃあ、5年生ではべつにやらなくてもいいのか。
というと、どうやら自治体の方で、「やれ」ということにしているようであった。
県の教育委員会が作成した「喫煙・飲酒・薬物乱用に関する防止教育指導資料」には、
小学校低学年からやることが指示されている。
高学年ではもちろん、5年生では
・たばこが健康に及ぼす害について、精神面と健康面の両方から考える。
・たばこの箱や肺の写真を見てからだの影響を知る。
・法的根拠「未成年者喫煙禁止法」があることを知り、喫煙は成人より未成年の方が大きな影響を受けることを知る。
・たばこの煙が周りの人にも大きな影響を与えていることを知る。
ということを指導するようになっている。
「規範意識」ということを学んでいかせたいと思っている。
その中で、ルールがどうしてできあがってきたか、ということについて考えている。
喫煙の授業ができないかな、と考えているのは、この流れの延長だ。
私はもう10年ほど前になるか、南アフリカ共和国のテレビCMで、喫煙の害をアピールするものを見たのが印象に残っている。
それを、今、実際に子どもたちに見せてやりたいなと思うが、残念ながら手元にその資料がない。
どんなCMだったかというと・・・、
場面はある家の、広々としたキッチン。
薄暗い中に、テーブル。
母と息子(小学校2年生か3年生くらい)が向かい合って座っている。
母親は、けだるそうに、煙草を吸っている。
くわえ煙草をした、母親の横顔がアップになる。
さあ、母親が煙を吐こうとすると、
なぜか、こどもの口から白い煙が出てくるのだ。
ナレーション。
「(自らの意志で)煙草を吸い始めるずっと以前から、タバコを吸っている子どもたちがいます」
これは、大人に訴える内容である。
大人のモラル意識、安全意識、子育ての意識を問う内容なのだ。
たまたま、友人に見せてもらったムービーファイルであったが、これは当時の私には、たいへんに衝撃的であった。
外国のCMってのは、かなり直接的だなあ、という感想とともに、煙草の害に対する印象が強く残った。
世界のテレビCMを使って、授業ができないだろうか。
これが今、もっぱら気になっていることである。
喫煙の害。どんな授業ができるだろうか。
調べ始めたところだ。
本日午後、本ブログの総アクセス数が、77777になりました。
7万を超えた日から、
「いつか、77777になるな」
と思っていたのですが、今日でした。
多くの検索ワードでおとずれてくださる方、
とくに、これから教員を目指す方、
本当にありがとうございます。
あとから続いてこられる方たち、
同じ夢をもち、教育界、という世界を、多くの立場の違いはあれど、
共につくる仲間、同志の方たち、
本当におおぜいの方たちに見ていただけることが、うれしいです。
私自身が他の多くの先輩方のブログやホームページに励まされてきたように、
少しでも私自身の経験がヒントとして活用していただけることがうれしいです。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
学級通信が、38号になった。
4月に子どもたちと出会ってから、
「今年の先生の目標は、学級通信をたくさん出すことです」
と言ってきた。
目標は50号です、と言った。
ところが、それで自分にスイッチが入った。
毎日出して、すぐに10号に届いた。
なんとなく、レイアウトや文字のポイント数(大きさ)などが決まりだした。
ネタが定番化していった。
すると、すぐに20号になった。
こうなると、
「あれもネタになるな」
という目ができてくる。
こうなると、早い。
一番はやい日には、翌日分、その翌日分まで印刷してしまったこともある。
角2の封筒に、日付を大きく書いて、
「5月20日分」として、入れておいたこともある。
それくらい、ネタにしようと思うと、ネタになっていった。
そして、筆がのってきた。
ついに、昨日が38号。
今日は金曜日。夕方、翌週分、月曜日の39号を印刷。
職員室の、デスクの上に置いてある。
角2の封筒に、「6月15日分」と書いておいた。
学級通信が、たのしくなってきた。
子どもたちも、くいいるように見るようになってきた。
シーンとして、配った瞬間に、みんな読み始める。
毎日出るから、こうなったのだ、と思う。
出し続ける。毎日やる。これがコツなのだ。
保護者から、コメントをいただいた。
学級の様子がすごくよく分かります。
好意的だった。
保護者の顔を見て仕事をしているわけではないが、
応援をもらったようで、心にエネルギーが湧いてきた。
このエネルギーを、子どもに返していく。
ホタル観賞会があると誘われて、近所の仲間と出かけた。
もちろん家族連れだ。
幼稚園でよく会う仲間の家族もいる。
湧水の出る沢まで行くと、田圃があり、こどもたちはさっそくいろいろと遊び始めている。
大人たちは、鉄板を持ち出して肉を焼いていたり、もってきた芋やごはんをくばったりといろいろ。
この費用はどこから出てくるのかな、と不思議に思うが、おそらく善意の持ち寄りで、なんとはなしに、運営されているのだろう。こうなるとタダ、食べてくるだけではどうも、
自分だけ美食では気が引ける、という気持ちが出てくる。
そこで、パイナップルでも切って持ってこよう、という具合に、次第になんとなく、さらに集まってくるデザートなどがあり、いつの間にか、みんながおなかいっぱいになる仕組み。
「子ども優先だよ」
という声が自然にあがり、笑い声とともにちびっこたちが鍋の周りに並んでいる。
お父さんたちは早くもビールを飲み始め、お母さんたちもおしゃべりに夢中。
よく見ていると、子育ては一段落すみました、というおばちゃんたちが、せっせといろんな準備や片づけや、とても手際よく進めている。
恐縮だが、おそらくこういうこと自体を楽しめるのだろう。気軽に若いお母さんに話しかけながら、いろんな食材やおかずをてきぱきと取りわけている。
こういう人たちに、日本という国は支えられてきた(いる)んだろう。
大袈裟かもしれないが、そう思う。
時間が迫り、だんだん暗くなってきた。
満月が見え始め、いいころ合い。
そろそろ、という声がかかり、沢の方へと歩き出す。
すると、そんなに進まないうちに、
「いた!」
という声がする。
見ると、緑色の光の球が、ふわー、と点いたり消えたりしながら、浮いて、とんでいる。
一匹を見つけると、すぐに二匹目が見つかるものらしく、目がなれてきたのか、いろいろと見えてくる。葉の裏側に透き通って見える光もあり、それもホタルの光であった。
さて、このホタル観賞会に参加していた人で、ふれておきたい人がいる。米国籍の、家族である。
この田圃の会合によく訪れる親子で、お父さんは英語しかしゃべれない人。お母さんは青い目と金髪の美しい女性だが、日本語をたいへんに器用に使われる。
日本語の冗談にも間髪をいれずに反応して笑い、つっこみを入れたりもする。
堪能なのだ。
さて、そのお父さんが、気になるのである。
というのは、みんな、遠慮して話さないから。
だから、ポツンと一人で、田圃を眺めたりしている。
ずいぶんとエコな態度の人で、稲を踏まないように子どもをしかったりしている。
子どもはバイリンガルのようで、日本の子どもとでは日本語、お父さんとは英語で話す。
その子に草の名前を教えたり、沢の水で手を洗うことを教えたりと、お父さんだってこの田圃の会合に、すっかりなじんでいる。
ただ、お父さん、言葉がネックで、あまり人とは話せないでいる。
もちろん私も遠慮する組に入っていて、ハローぐらいしか言わない。
ところが、そこに、偶然にもどこからかホタル観賞会を聞きつけて現れた、インド人の夫妻があらわれた。
様子が一変。
英語が話せる人がきた、というので、お父さん同士でぺらぺらしゃべっている。
笑い声も起こり、米国人とインド人がとても仲良く話している光景が生まれた。
あとで聞いたのだが、どちらも、日本が大好きな家族らしい。
とくに米国人の夫妻は、エコ感覚の日本の田舎の暮らしが大好きらしく、地元の農家の田んぼに、田植えや稲刈りまで積極的にかかわっているそうだ。
また、インドの夫妻もエコ的なくらしを大事にしている人らしく、同じように日本の田舎の農家の暮らしがとてもフィットするらしく、日本がとても大好きなのだ、ということを話していられた。
日本のことが好きな外国人の<交流する場>が、この田圃を使った「ホタル観賞会」だったのだ。
立場を同じくする人は、やはり交流するようにできているのだなあ。
この世の中は。
2年目教員の研修がありました。
授業を見ていただきました。
社会科です。5年、水産業の最初の導入。
その後、授業の反省会、協議がありました。
指導の先生からいただいた講評。
ポイントは、
◎先生の口数が多い。
◎説明調、知識理解の項目が多い。
つまりは、もっと児童主体に問題解決をさせるべく、課題発見に力を注ぐべきだ、と。
課題を見つけさせる。
そのためのヒントもいただきました。
資料をよーく、見てみる。
子どもたちの知識だけでは、理解できない、あるいは細部のつじつまがあわない事象、データがある。
これを、なぜ、と詰めていく。
とのこと。
今回は、日本の漁港の水揚げ高の上位が、太平洋側に偏っていることについて、つっこんでみればどうか、と教えていただいた。
日本近海は海流がぶつかりあうことで、プランクトンが豊富であることから、良い漁場となっている。魚の種類も豊富だ。
通常、そう考えれば、日本海側でもたくさん水揚げされてしかるべき。
しかし、教科書の表を見ると、水揚げ高の多い漁港は太平洋側が多い。
これはなぜか。
つまり、
太平洋でたくさん魚がとれる。
日本海側は、それに比べて、かなり少ない。
どうしてか。
そのわけは、流通に関係がある。
<流通の関係>
すなわち、人口の多い大都市圏が太平洋側に多いことに関係しているからだ、と。
要するに、別の場所でとったとしても、流通に適切な太平洋側の漁港でもって、水揚げする、ということが関係しているらしい。
流通コストを下げるため、大都市圏に近い漁港で水揚げする、というのだ。
なるほど、他地域でとれた魚も、大都市圏に近い、いわゆる太平洋ベルト側で水揚げすれば、トラックですぐに荷運びができる。そして、流通の経路に早く乗せられる、ということだ。
担当していただいた指導主事の先生は、社会科の研究もされてきた方らしく、話をきいているとなるほどな、と思った。
しかし、帰りに電車にゆられながら、またわからなくなってきた。
本当に、それが理由なんだろうか????
今ネットで検索しつつしらべていると、日本海側でとれていたイワシの不漁が響いているのでは、という文章があって、はたしてどうなのか??
どうして、日本海側よりも、太平洋側の方が、漁獲高が多い、また、水揚げ量が多いのだろうか。
わからなくなってきた・・・。
この件、つづく。