30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2009年04月

そろそろ、採用試験の話題




臨時任用で、勤務校に通われている若い先生がいる。
7月には、県の採用試験を受験される予定だ。

先日の飲み会で、採用試験の話題になった。
そこで話したことをメモ。
面接のことだ。

1)どうしてもやりたいというやる気。
2)どんなことも聞いてそのとおりやるとする素直さ、謙虚さ。
3)子どもの実態をみきわめて、指導のふさわしさを(自分の頭で)考えられる対応の力。


この3つをどれも一度ずつはしっかりとアピールしたい。
一度ずつ、というのは、面接の時間が短いから。
1)だけを強調していて、まだ時間があると思っていたら、もう終わってしまった、という失敗談をきいたことがある。
やる気だけなら、他の受験者にもある。
また、自信をうかがわせるくらいならいいが、自信過剰だと思われる可能性もある。
だから、1)だけでは、まずいのだ。
2)も、なければならない。

1)と2)が両方、PRできれば、たいしたものだ。
しかし、本当に合格を勝ち得たいのであれば、それにプラスすることだ。
それには、3)をPRできればよい。
2)を強調すると、
「なんでも人に聴けば良いと思っているのか」
と勘違いをして受け取る試験官もいるからだ。

このことを話すと、周りで聴いていた教頭先生まで、

「うーん、なるほど。おれもそう思うなあ」

と言ってくださった。
正直で、人徳のある教頭先生が、「そう思う」とおっしゃったのだ。
おそらく、当日試験官を務められる先生も、同じように受け取っていただけるのではないか。

問題は、各自、この1)~3)まで、3つのポイントを、いかにPRするか。
自分自身のこれまでの経験や自論の展開を組みたて、その、どの部分に、
1)を入れておくか。2)はどこでふれるか。3)は。
細かく、設計をしておく。

ここまで念を入れて準備をする人には、合格はほぼ確実だろう。




高学年女子にどう立ち向かうか




高学年の女子。
これが、今年の最大のテーマである。

先日、

「先生、話を聞いてください」

と4人の女子が職員室の前へ。


4年生の頃の習慣である。
気軽に先生に話をしに来る。
しかし、話をきいてばかりが「よい」のでもない。
先生がアドバイスをしたからよくなった、と思われているのならまだしも、自分の意見を通そうとして、「先生の権力」を自分の都合良いように利用しようとしているだけのときもある。

「先生、今から私たちとA子が話をするから、いっしょに聞いて」

この場合、話を聞かない方がよい。
4人は、A子に集中攻撃をする。
自分たちの都合のよい話ばかりをする。
そこに教師がいて、「ふんふん」と聞いている状況が生まれる。
A子は、目の前の4人に押し切られる。
話し合いが終わった時には、

「先生も認めた力関係」
が固定化されている。
A子が弱くなり、4人の力が増大する。
それを、教師が認めて、後押しをしたことになっている。
この形をけっして許してはならない。

・話は一人ずつで聴きます。
・先生が気になる子から話を聞きます。

と言って、昨年ものりきってきた。


今年は、高学年。
さらに、陰湿になってきている。
ボスが、いろいろとアドバルーンをあげてくる。

ボスを上回る統率力が必要だ。

「どうしようと思ってるの?」
「○○のことであやまってほしい」
「じゃ、どうする?」
「先生がA子を呼んできて」
「あなたが解決したいのでしょ。自分で話をしていかないと本当の解決にはならない」
「先生がいないとダメ」

「まだ心の準備ができていないのだね。本当に仲直りしたいのだったら、仲直りがどうやってできるかをまず考えてみなさい。仲直りができて、次の日からみんな笑ってすごせるようになる方法を考えなさい。それが考えられたら、先生もいっしょに話を聞きます」

先生は、話を聞くだけ。
そう思わせる。


場合にもよるが、高学年だ。そのくらいにしていきたい。




職員室ロッカールームをみれば教員の実態がわかる




男性の教員が使うロッカールーム。
わが校のロッカールーム(職員更衣室)は、とても狭い。
その狭い男性のロッカールームの、そうじ当番が回ってきた。

ひとりでごみを掃いていて、気がついたことがある。

それは、ごみ箱の中身だ。



ごみ箱に、湿布のよれよれになったもの、つまり、肌につけていたシップをはがしたものが、たくさん入っていた。

それをみて、思い浮かんだ。
1年担任の、S先生。

腰痛もちだ。
もう、かなりお歳も召していらっしゃる。
おそらく、ここでジャージから普段着などに着替えたりされる際、ぺりぺり、とはがして、ゴミ箱に捨てられるのだろう。
私が初任の年に、いろいろと親切に教えていただいていた先生だ。
腰痛で顔をしかめながら、廊下を歩いていらした姿を思い浮かべると、なんともいえない気持ちになる。

さらに、40代後半。
おそらくこの学校で、もっとも脂ののった・・・、と思われるT先生。

T先生も、ふくらはぎ痛をうったえておられた。

先日、朝会の準備で、朝礼台を数メートルほど移動させたとき、地面にうずくまっていらした姿が思い浮かぶ。
やはり、幅の広い、ひんやりシップを毎日使用されている。


次に、若手なのに、椎間板ヘルニアの経歴があるD先生。
楽になったといっては、週末に好きなテニスをしてしまう。
案の定無理がたたり、腰痛に耐えている日々だ。

若手だから、始業式や1年生を迎える会で、さかんに荷物を運んで頑張っていらしたが、ここにいたって無理が表面化し、先日、ついに整形外科に行かれた由。
おそらく、そこでもらってきた、シップだろう。
肌色のシップをここのところ、毎日活用されている、とみえる。


つまり、教員は、腰痛やあちらこちらの身体の故障と闘う運命にあるということだ。

発達障害の子にかぎらず、人なつっこい低学年の子だって、思いきり身体にとびのってこられたら、ぐっとふんばらなければならない。そのときに、腰に痛烈な痛みが走るのだ。

S先生は、1年生担任。
自分は、子どものスキンシップをだれよりも喜び、大切に思う、と言いながら、実は腰がひけている、と自嘲気味におっしゃられていた。

「子どもを避けるような身体になっちゃ、おしめえよ」

しかし、その細かな指導の技術は本物だ。
もっといろいろと教えていただきたい先生である。


教員のための腰痛対策本、が出版されたら、明治図書のランキングで、かなりいいレベルにいくのではないだろうか。

たとえば、こんな特集は・・・。

・職員室での腰痛対策!あなたの椅子は、本当に合っていますか?
・学年末から始業式、ゴールデンウイークまでの繁忙期を、この腰痛対策で乗り切る!
・子どもにばれない、腰痛コルセットの選び方。
・子どもがとびかかってきたときに、ひらりと身をかわすための柔軟体操1,2,3
・かがむことのない荷物の位置を定めた、腰痛教師にやさしい教室備品配置。
・腰痛先生のための赤鉛筆指導。こうすればかがまなくて済む!
・机間巡視のとちゅうに子どもの消しゴムが落ちた!ひろうか、ひろうまいか。場面別、腰痛もち教師のただしいふるまい方。
・腰痛教師がなごむ店。このマッサージがすごい。


Eduブログの本家、明治図書の出版にかかわる方、いかがでしょうか。
ちなみに私も腰痛保持者であり、腰椎4番と5番の間がつぶれています。
疲労がたまると、しびれも出ます。
それでも、こどもの前に立つと、痛みがなくなります。(意識がなくなる)
教員になって、よかったと思っています。




極悪人の話を5年生に




友達の不幸を喜ぶ。
それは極悪人。

・・・という話を5年生にした。

他の幸福をよろこぶ、というのとは、まるで正反対。
他の不幸をよろこぶ、というのだから。



今から、極悪人の話をします。

というだけで、朝の教室がシーンとなる。

4月からはじまって、ていねいに話をする、というのに取り組んできた。
ていねいに、というのと、端的に、テンポよく、というのとを両立させたい。
それが、今年度、自分が思い描き、取り組みどころだと考えている点だ。

これまでは、言葉をけずる、端的にいう、テンポよく進める、というだけを狙ってきた。

言わなくてもいい、長々とした言い回しは、ほとんど消えてきたと思う。

しかし、その一方で、

スーッ、としみとおるような、『語り』 をしてこなかったな、と思ったのだ。


そこで、これは心にしみこませたい、と思うような語りを、機会をみつけて、ねらうことにした。


今週の道徳。
あらためて、話をするいい機会だ。

不要な言葉はないが、クラスにシーンと、しみこみ、浸透するような、『語り』。

悪口を伝達し、情報に右往左往する周囲の人たちを見てよろこぶ、極悪人の話を、リアルにした。

こんな話、きいたことあるんだよ。
この学校には、そんな子、ひとりもいないよね。
先生は本当は安心しているんだけど、念のため、話します。
不幸を、楽しんでいるんだね。
周囲がどれだけ迷惑するか。
迷惑を栄養にしているんだ。
心が、それだけ、さびしい。
そんなことをして、しのがなくてはならないくらい、心のエネルギーが失われてしまっているのだね。いちばん、さびしいのだね。本当は、いちばん、元気になってほしいのが、こういうことをする極悪人の子だね。その子は、きっと、元気になれば、「ああ、しまった、やめておけばよかった」と、思うことができるだろう。
それまで、そんなことをして、気分がまぎれた気でいる。これほど、さびしく、間違っていることはない。他の迷惑は、いっさい、気にすることができない。
さみしいね。

そうならないように、心のエネルギーをためていこう。
それには、いつでも、元気に、明るく、楽しく進んでいくこと。
仲良しの友達を、たくさんつくること。

本当の友達がいれば、心のエネルギーがなくなってしまうことはない。
そういう、親友をつくること。




朝いちばんの静かな空気の中で言えたことが、よかった。




子どもの体温が上がるような叱り方




ただ、感情的にしかる、というのは最低。

それは承知の上で、

なお、授業中の私語などを何度も注意している。

しかし、何度も繰り返す。

・・・どうするか・・・。

・・・馬の耳に念仏風の叱り方は、何度も経験ずみ・・・。

いったい、どうすれば・・・。




たまたま読んでいた本に、

「子どもの体温が上がるような叱り方をする」

という文があり、これが目にとびこんできた。



給食の片づけをわざと知らんぷりしてやらずに、他の子がやってくれるまでそのままにしていた子。人に、自分の仕事を押し付けてしまう子に。

「自分がやらなかったことをほかの人に謝りなさい。あなたがやらないために、ほかの人がやってくれたのですよ」

最低、このくらいのことは伝えたい。ただ、「やりなさい!きちんと片づけしなさい!」だけですますのではなしに。

「あなたは、給食の食器を片づけないで、人に押し付けていく。それで満足ですか?」

このくらい、問いかけるようなことをしたい。
問いかける、ということは、その子の心に、なにかしら、自問のタネをまく、ということである。
自問させることが必要で、自問できないから、自分から考えて動く、ということができない。ただ感情のままに動いているだけ、楽をしたいから、人におしつけてしまうのだ。
自問できるようになれば、かなりの進歩。
そこをめざす。
そのための、第一歩が、「問いかけ」だ。
つねに、問いかけていきたい。


「あなたはそれで満足か。同じことを、この人を生んでくれた人の前でもできますか。あなたを生んでくれた人の前でもできますか」

大体、勝手なことをしてしまって平気でいる子、自問しない子、わが身を客観的に見ない子の共通特徴は、人との関連性を見失っている、ということである。
人とつながっている、人との関連で生きている、ということを、くりかえし、くりかえし、刷り込んでいく必要がある。
そのためのメッセージが、

「あなたには、あなたを生んでくれた人がいる」

というメッセージだ。
これを、語るたびに、メッセージとして、伝えていきたい。


「あなたが、今回、こういうことをしている。このことを、あなたを生んでくれた、あなたのお母さんは、聞いて喜びますか」

家庭環境にもよる。よりふさわしい人がいる場合もあるだろう。
お母さんを出すのがよいかは、わからない。お母さんを出すことが、よい、のではない。その子の心に響くような、その子に合った人を、話題に出すのがよいのだろう。

「良いのが良いのではなく、合うのが良い」ということだ。
お母さんが良い、のではない。
<話題に出すのは、お母さんが良い>、という方程式があるのではない。
その子に合う人を出す、のだ。



次の日、しっかりと片づけをしていたら、
きちんとほめてやりたい。


「よくできた。友達は、あなたのそういう姿を見ていて、みな信じていくのですよ」
「みんなが見ているのだよ」
「自分がしっかりやるようになると、しっかりやっている人のことをいっぱい見ることができるようになっていくし、気づいていけるようになる。そういう、いい目をもつことができるようになるのだよ」

教師とその子で、一対一で、話してきかせるのがよい。


基本は、その子の、成長した姿をイメージしながら、語りかけていくのがよい、そうだ。

その子の成長した姿、いわば、ゴールの姿を、思い描いての今日、が必要なのだ。

思い描いて、か・・・。
うーむ。




初日の語り




着任式。
担任の先生が、順に発表されていく。
校長先生は、2年1組から発表された。
私は5年4組を観察していた。
遠くで少しわかりにくかったが、KW先生の発表のところでは、何人かがのびあがって前を懸命にみているのが見えた。2年生の時にお世話になった先生。気になる様子だ。
いよいよ、校長先生が言った。

「5年4組は、○○先生です!」

それを聞いて、元気よく返事。

「はい!」

右手を、思いきり空に向かって突き上げた。
そして、みんなの並んだ列へ向かって走った。
男子も女子も、「えー!!!」




その後の語り。

今、いろんなことを考えていますね。
思うこともたくさんあるでしょう。
しかし、いろいろなものをすべてひっくるめて、
あと199日。

5の4が終了する日には、

「よかった!」
「たのしかった!」
「ためになった!」
といえるような学級をつくっていこう。

一人ひとりが残らず成長し、心も体も大きくなり、幸せに育っていこう。
ひとと仲良くできる力、心配できる力、よわい人を助けられる力。そして、自分も助けてもらえるように、みんなに力を貸してもらえるような人になろう。

一人ではない。仲間がいるから、つらいことものりこえられる。勉強も運動も、たいへんなことだって、がんばれる。そして、その努力の199日があれば、かならずあとでふりかえって、

「たくさん努力したが、それがすべて、力になってきた。いろんなことがわかる、気がつくことができる、力がついたなあ・・・」

といえるようになっているはず。


先生は、みんながそうなれるように、力を尽くします。




職員会議で人の心があたたかい




職員会議で、とつぜん、

「専科の入り方を見直しませんか」

との発言。

一昨年に同学年を組んだ、先輩の立ち姿が見えた。



わたしが
「音楽は専科の人にぜひ入ってほしいです」
と校長に直訴しても叶えられなかったことを、先日書いた。
それが、まわりまわって、先輩の耳に入ったらしい。

私のことをよく知る先輩が、どうやら
「これは、あいつがかわいそうだ」
ということで、動いてくれたのだ。

「彼は昨年から音楽の専科がつきませんでした。他の学年ではついたのに、彼の学年だけはつかなかった。今年も同様になってしまっている。他の学年はついているのに、彼の学年はつかない。どうしてでしょう。一方で、私の学年に音楽専科の先生が、算数の補助でつくことになっている。これは、私は最初、とても不思議でした。私のところに算数でついてもらうというのは、正直に申せば、音楽に堪能な先生が算数をしにくるということで、もったいないなあと思うのです。その時間をやりくりすれば、彼の学年の音楽専科に入ることも可能なのではないか。どうでしょうか」

かいつまめば、こういうことだ。

ここまでハッキリと、言ってもらえると思わなかったので、会議の最中にびっくりして心臓がドキドキしてしまった。
ドキドキと脈打つ自分の鼓動を聞きながら、とつぜんの先輩の発言に、ありがたいという念が湧いてきてなんともいえない気持ちになった。

先輩の発言のあと。
隣に座っていた、わたしと同学年を組む先生が、

「いえ、これは、すでに彼とも話し合ってのことなのです。」

という。

まあ、それはそうだが・・・。やはり、希望したいという気持ちは残ったままである。もし可能性があるなら・・・、もし可能性がほんの少しでもあるのなら、専科の先生に少しでも応援していただければ、という気持ちが湧いてくる。
私は思い切って立ち上がって、発言した。

「私のクラスにはもう一人の先生が、算数の少人数で来てくださる配置になっていますが、それよりも、他の希望があります。その算数T,T配置の代わりに、専科の先生に音楽に入っていただくのが希望です。もしかなえられるならば・・・。人材配置に余裕があって、配置が可能であるというのであれば、ぜひご検討いただきたいと思っています」

そのあと、教務の先生が話を引き取ろうとしたがうまくまとめられない。

すると、校長が立ち上がり、

「わかりました。考えます。みなさんの希望はとても大事なことですから、すべて丸く、というのはむずかしいかもしれませんが、それに近づける努力はできうる限りしたいと思っています。もう一度考え直すのはいくらでもやりますから、この件、もう少し整理させてください」

とおっしゃった。


うれしかった。

実は、この会議の前に、メモを渡された。

入学式の準備やら、学年の打ち合わせやら、部会やらで大変に忙しい日であった。
その忙しいさなかに、わたしが自分の椅子に座ってハンコを押していると、うしろからスッと、目にもとまらぬ早業で、手にメモをにぎらされたのだ。
一瞬のことで、おそらく誰も気づかない。
私も、いったいだれが、それをにぎらせてくれたのか、すぐには分からないほどだった。
あわてて目で追ってみると、先輩の隣にすわっていて、今年先輩と同学年を組まれるM先生だった。
M先生はこっちを一瞬みると、ニッとしてすぐ、真顔にもどった。



トイレにいくふりをして席を立ち、誰もいないロッカールームに行く。

「専科のこと、聞きました。もし遠慮しているのなら、もう一度、話をしてみてはいかがですか。どうにもできないと思いこまず、この1年間がかかっているのですから。もし同学年だけでむずかしいようであれば、『校長先生にも相談させてください』と言ってみては・・・。おせっかいなKより。(・・・うしろに子どもたちがいるってことをわすれないで!!)」

とあった。


最後の、

(うしろに子どもたちがいるってことを、わすれないで!!)

の文句が、目に突き刺さってきた。


まあいいか、で終わらせようとしていなかったか。

その、まあいいか、は、子どもたちに対しての言葉ともなる。

それでいいのか。

本当に、それでいいのか。


そのつど、考える。
真なるや、如何。

そのための勇気をもらった。背中を押してくれる手紙だった。
それが、職員会議での布石になった。
それが、わたしの発言を、うながしてくれた。




職員会議の後、もう一度、ロッカールームへ行った。
さきほどのメモを見直す。
よく、書いてくれた、と思った。
お礼を言おう、と思いながら、メモをポケットに入れ直した。



ロッカールームを出て、ふと見ると、職員室から誰かが出てくるのが目に入った。

校長だ。
廊下に出てくる。

校長は、そのまままっすぐ歩いてきて、すれちがおうとする、わたしを呼びとめた。

「専科、考えなおしています。音楽の応援に、行ってもらおうと思います。安心してください」

最後は、笑顔でそう言ってくれた。



その後、もう一度ロッカールームへ。
少し、目の中があやしくなった。
ロッカールームの鏡を見ると、ぼうっとした表情の自分の顔がうつった。
ほんの少し、涙目。


なんだか、この職場のあたたかさが、じんわりと感じられる。

うれしくてしかたがなかった。




同学年を組む相棒とどうつきあうか




昨年、うまくいかなかったなあ、と思う子がいる。
その子を思い浮かべると、思わぬ溜息が洩れてしまう。
そういう関係であったので、3学期が終わって、学年末になると、ほっとした気持ちもかなりあった。
これで終わりか、という思い。やれやれ、という感じ。
そしてまた、一方で悔恨の思いもある。

最後には、

「よし、気持ちを切り替えて、新しい子どもたちといっしょにやっていこう」

と思う気持ち。
晴れ晴れとしていた。


しかし、人事のふたを開けてみると・・・

・・・3年連続の持ち上がりの学年になってしまった。
がーん。
また、例の(うまくいかなかったなあ)と思う子と、いっしょのクラス・・・。



ふりかえれば、2月の最初。
校長との面接では、まったくちがう学年を希望した。
校長にもそう伝えたはず。
しかし、3年目の学年を担当することになったのだ。


「えっ、またですか?!」


ふだん、校長の前ではそれほど大声は出したことないが、自分でもびっくりするくらいの声を出してしまった。さすがに、さすがに、3年連続はないだろう、と思っていたからだ。

「・・・ぼく・・・・あの子らとは、これで3年目になりますけど、いいんでしょうか」

声がふるえるのが、自分でも分った。
校長は、ふしぎそうな顔で、私を見つめた。


結局、それは決定した。
校長は、私が音楽が苦手だということを知っていて、

「わかりました。・・・でも、音楽はちゃんと専科をつけますから。ね。あなた、何度も音楽のこと言ったでしょう。わかりました。そこは安心してください」

と言った。
わたしは気が動転しながらも、音楽専科の希望を何度も口に出したらしい。
それで、そこは安心していた。

しかし、今日、いっしょにタッグを組む年配の先生と話し合った結果、音楽を担当することになった。
理由は、年配の先生が、

「音楽は自分たちでやる。理科を専科の先生にしていただくことにしたい」

とおっしゃったからである。

音楽の専科は別の学年へプレゼント。
わたしたちの学年には、他の専科の先生があてがわれ、理科を担当する、ということになった。

しかし実は、理科は私は非常にやりたかったのである。
理科の勉強を、進めたかった。
授業もしてみたかった。
しかし、年配の先生は、

「逃げちゃだめよ」

とのこと。
私が、音楽だけは避けたい、というのに対し、

「今やらないと、苦手意識がどんどん増してしまうわよ」

ということを何度もおっしゃる。
その一方、理科は一度、離れた方がいい、という。

「得意だと思っていたものは得意なんだからいいじゃない。ほっておいて」
女性だが、低い声で諭すようにおっしゃる。
「苦手意識を取り除いておいたほうがいいんじゃない?いろいろとやってみて、これもやれる、あれもやれる、となっておいた方が・・・」




これで、当初、そのつもりにしていたことと、かなりくいちがってきた。

○3年持ち上がりだけは避けたい→ 3年目の持ち上がり。
○音楽だけは専科の先生にしていただきたい→ 音楽を自分が担当することに。
○やりたかった理科→ 今年は理科は受け持たない。


ふらふらになってトイレに行くと、心配した同僚が、あとを追いかけてきた。

「理科、やらないんですか?」

用を足すのもそこそこに、びっくりしたように、私を見る。

「うーん・・・。そうなっちゃったよ」

「だって、理科の話ばかりしていたじゃないですか」

一年先輩なのに、私よりも年下だから、彼は常に私に対して、非常に丁寧な口のきき方をする。
彼とは、理科のことでいろいろとやりとりがある。
実験の面白いやり方や進め方についても、何度もこれまでに互いにネタや情報をやり取りしてきた。そういう間柄。



私が、年配の先生とやりとりしているのを聞いて、心配になったのだ、という。

「あの人、理科がキライなんじゃないスか??」

私が同学年を組む、年配の女性の先生のことを、あの人、と呼んだ。

ということは、彼なりに、なにか思っていることがあるのだろう。


しかし、私は、今回のことは慎重にならなければ、と思い始めている。
たしかに、私の希望はことごとく、かなえられていない。
年配の先生が自分のやりやすいようにやっているだけだ、という彼の指摘も、おそらく当たっていると思う。

しかし、こうも思う。


この場合の、私の在り方、真にふさわしい-状況のとらえ方-というのは・・・。

○年配の先生に遠慮する、というのではない。
○年配の先生のやりやすいようにしてあげよう、という意識も本筋とは異なるだろう。
○といって、<苦手なことにチャレンジすることの意義>をことさら意識するのもうさんくさい。
○これこれができなくなる、ということでもない。つまり、理科をまったく教えられないのではないだろう。授業は受け持たないのでできないが、授業でなないところで、やりたいことをやることはできる。
○音楽は、苦しみながら、やれるだけのことをやる、というのでよいのではないか。私になんか習って子どもがかわいそう、と思うことはあるし、それはそうだが、苦手な音楽を必死になって教える、ということはできる。あるいは授業が崩壊しても、それはそれ。
○かといって、音楽は崩壊してもよい、というのともちがう。私なりの、苦手な教師なりの工夫で、なんとかやっていく、ということなのではないか。

つまり、今回、年配の先生が悪いのではない。

同学年を組む年配の先生は、

「今回、自分がやりたいようにやろう」

と思ったのだ。それだけだ。

運が悪かった。・・・というのではない。
組む相手が悪かった。・・・・というのではない。
それは、よい、わるい、という価値判断で判別することではない。


相手は、私の話を聞かなかった。
私は、相手の話を聞いた。
それだけ。

私が考えられるのは、これからわたしが何をするか、ということだけだ。




記事検索
メッセージ

名前
本文
月別アーカイブ
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 累計:

プロフィール

あらまそうかい

RSS
  • ライブドアブログ