スクーリングとレポートと試験対策。
通信教育で効率よく単位を取得するには、この3つが大切だ。
しかし!!!
これらの対策をあれこれ考えるより以前に、しておかねばならないと思ったのは、自分自身のマネージメントであった。
それも、時間の。
要するに、締切設定をしたのだ。
一番の設定は、いつ、教員になるか、という設定。
採用試験に合格しなくてもよい、臨採でよい、ともかくもこの年には教壇に立つ。
これを決めた。
私は29歳であった。35歳には、教師であろう、と決めた。
なれるかどうか、自信はなかった。
でも、試してみたいと強く思っていた。
自信がなかったその証拠に、つぶしが効くように、といろんな資格に手を出した。
大型自動車の運転免許まで取った。
教師になれなかったら、長距離トラックの運転手をやろうと思ったのである。
5年間のタイムスケジュールを立てた。
通信教育部のある大学を探して、いちばん通いやすいところを選んだ。
通学、時間、距離、学費はどうか、など、さまざまな面から探して決めた。
なにしろ、続かなくては意味がない。
通信教育が始まると、いきなりどさっと教科書だのレポート用紙だのが送られてくる。
最初に、履修届を書くが、これがもっとも神経を使った。
おそらく、この履修計画にエネルギーをかけたことが、のちの成功につながったと思う。
もっとも神経を使うのは、夏のスクーリングの日程だ。
職場のかねあい、がある。
お盆のあたり、会社の休みがもらえる期間を想定してみた。
そして、けっして無理のなさそうな計画を慎重に立てた。
病気でスクーリングが受けられなくなるかもしれない。
そう思うと、できるだけ前倒しの計画になる。
早め、早め、に計画し、1年目、2年目、3年目、4年目、5年目の単位修得目標を立てた。
単位はすべて、4年間で取得する。
5年目は、どうしても取りこぼしてしまったものだけを取得すればよい、と思った。
Excelのファイルを作成し、すべての単位名とスクーリングの日にち、単位修得予定日を記入した。
そして、紙に印刷。
目立つ赤色のクリアファイルに綴じ込んで、この計画通りにコトを進めればよい、というようにした。本棚で、赤色はよく目立った。
履修計画が済んだら、次は、試験日程とレポートの締め切りを決める。(つづく)
2009年01月
いろんな方から、コメントやメールをいただく。
多いのは、やはり、教師をめざす方たちだ。
それも、現時点、他の業種で勤務をされている人がほとんどである。
私の経歴がそうであったから、なにかと参考にしていただいているようだ。
私も、自分の記録が何らかの形で有効に活用されるのはうれしい。
それで、時折ふりかえって思いかえしては、当時のことを書いている。
通信制の大学で単位を取られている方も多くいる。
ところが、これもまた一苦労だ。
サラリーマンが、勤務後や休日に単位修得のための勉強をしなければならない。
平日でかなり疲れているのにもかかわらず、休日返上でレポートや試験に取り組んでいくのは、やはり、さまざまな労苦を伴うことである。
私自身は、燃える火の球のような状態で、背水の陣、という感じですごしていた。
また、教育実習に行かなければならない、と考えていたので卒業まで5年かける予定を組んでいた。4年生の時点では、会社の許可がおりず、とうてい1ヵ月の休暇をとることができなかったのである。
といって、5年目の年にだって、つまるところ会社の許可がおりたわけではなく、結局わたしは大学を卒業せず、教育実習を受けないまま、教師になるしかなかった。
だから、小学校教員資格認定試験を受検した。
サラリーマンにとって、一か月の教育実習はかなりのハードルなのだ。
さて、通信教育にはコツがある。
コツをつかんで、能率を上げ、効率のよい単位修得を為していくことだ。
道ははっきりしていて、つまりは単位を取得できればよい。
私はそう割り切るしかなかったので、単位修得のための最短距離を、常に考えて居たように思う。
スクーリングとレポートと試験対策。
この3つ。
そして、もっとも大事なのが、スケジュール帳に、いつどの単位を取得するのか、そのための試験はいつなのか、その試験を受験するためのレポート締切はいつなのか、それらをすべて書き込むこと。
私は、そのためのカレンダーを買った。
1月から12月まで、すべて部屋の壁に貼りつけ、習得できた単位を赤○で囲んでいった。
いつもいつも、カレンダーをにらんでいる毎日であった。
(つづく)
A子が、3日ぶりに登校した。
風邪をひいていたのだ。
無理して登校し、こじらせた。
電話をして、
「風邪の菌がぜんぶいなくなってしまうまで、ゆっくり休んでね」
と伝えた。
ひさしぶりに教室で顔を見ると、きちんとマスクをしている。
「いいねえ」とほめる。
「先生、くすりもらってきたから、給食のあとに飲むね」
と言ってきた。
それは、抗生物質と熱を抑える薬だった。
要するに、本当はまだ、なおっていないのかもしれなかった。
「無理しないでね」と伝える。
両親が離婚をし、母親と暮らしている。
母親は早朝から、仕事にでかける。
律儀に、家の仕事をきちんとこなしている。
朝ごはんも、ちゃんと自分で食べてくる。
「ごはん食べないと、力がでないから」
これは親から何度も聞かされたセリフなのだろう。
ちゃんとそれを守って、自分でごはんをよそって、食べてくるようだ。
そうじ、洗濯、どんどんこなす。
教室の、かゆいところに手が届くような働きぶりは、本当に助かる。
彼女は、ほとんど、小学校4年生にして、主婦なのだ。
不良の兄がいる。
兄については、あまり語りたがらない。
兄を評して少し話すのを聞いたことがあるが、
「わたしはきちんとやりたい」
と最後に言った。
兄とはちがうぞ、と言いたいのだ、と感じた。
A子は、病気になって、風邪をひいたとて、親がつきあってくれるわけではない。
自分でなおさなくては、と思い、一人でちゃんとふとんにくるまって寝ていたのだ。
そして、ときおり自分で熱を計っては、枕もとのノートに記録し、お母さんにそれを伝えようと手紙を書いていた。
また、熱があってもできるから、と洗濯はした、という。
「食器もきちんと洗ったの。炊事のところが片付いていないと、いやだから」
早朝から家を出て、深夜に帰宅する母親。
その苦労を知っているから、けなげに頑張ろうとしたのだ。
医者にも、自分ひとりで出かけた。
そして、医者に言われたことをメモして、手紙で母親に伝えたという。
そのA子が、給食のあとに、くすりを飲むのだ、と私にわざわざ伝えてきた。
「わたしが忘れるかもしれないから、そうしたら、先生が教えてね」
「わかった。ちゃんと伝えるよ」
ところが、
給食のあと、すぐに私は他の用事を思い出して、職員室にでかけてしまったのだ。
しばらくして教室の様子を見に来ると、A子が教室に残っている。
「あれ?ひとりか?」
そうすると、A子がぷー、とふくれている。
「どうした?」
「先生、わたし、さっき薬飲んだ」
「あ、薬な。飲んだか」
わたしが、はいはい、という感じでその言葉を受けていると、A子が、そのままぷいっ、と横を向いてしまった。
要するに、このときの言葉かけは、彼女の期待したものではなかったのだ。
彼女は、
「お!ちゃんと自分で忘れずに飲もうとしたんだね。自分でできてえらいな」
そして、
「先生な、ちゃんとAちゃんにそのこと言おうと思っていて、忘れちゃっていたな、ごめんな」
と言ってほしかったのにちがいない。
私に注目して、関心をもち、病気や身体の心配をしてほしい。
それが、彼女のいわんとしたことであったのだ。
それを、いともあっさりと、いなしてしまったのが、ながしてしまったのが、彼女の「思い」を受けなかった私の、教師としての実態なのだ。
なんともはや。
A子なりの、自分で自分を律しなくてはならない、という努力。
ふつうの4年生にはない、緊張した生活。
その中の、努力の断片、苦労の一場面を見たのだ。
教師は、そこで、何に共感しなくてはいけないのか。
短いやりとりであったが、彼女にとっては、一番、もっとも、周囲の大人に、認めてほしかった場面だったにちがいない。今回の病気に、自分なりに一生懸命に立ち向かったこと。そのことに、少しでも関心をもってほしかった。そして、話題にしてほしかった。自分の話を聞いてほしかった。
子どもはみな、ナルシストである。
子ども時代にナルシストであることを十分に受け入れてもらい、満足させてもらった人が、成熟していくことができる。大人になっていくことができる。
教師がもっとも、敏感になるべき。
そこをとりこぼすから、まだまだ、ワタシは新米の域なのだ。
心のエネルギーが枯渇しがちな昨今。
子どもたちも、例外ではない。
毎日、ゆったりと夕食を食べるわけではない。
朝食を毎日食べられるわけではない。
両親が常に安定した心境でいるわけではない。
両親が暴力をふるいがちである場合もある。
父親がリストラにあうこともある。
経済的に揺らいでいることもある。
子どもの生活は二の次、三の次、という家庭もある。
これまで仲の良い友達といっしょに通っていた空手教室に、いきなり、
「もう来月から行かんで」
と母親に言われる。
そういうこともある。
兄弟のどちらかが、そう言われて、やめさせられる、ということもある。
急に下の弟が生まれて、ほっておかれることもある。
学校からの手紙もろくに読んでもらえない家庭もある。
毎日毎日、親のやつあたりにあっている子。
これらが、めずらしくないことになってきている。
日本が、どうなってきてしまっているのか、ひずみが子どもたちに、如実に表れてきている。
ひずみはまず、弱者におそいかかるのだ。
元気が、どこに消えたか。
子どもの元気が、急速に喪失していっている。
その子どもを心配して、親に電話すると、親がもう、ぎりぎりであったりする。
学校からの電話を受けるだけで、呼吸が苦しくなるくらい、せっぱつまっている親がいる。
「すみません、そこまでみてやれないんです。
・・・
朝、もう6時には家を出ています。
夜、深夜にしか、家に帰れないのです。
子どもには、学校からのプリントは飯台の上に置いておけと言っているのですが。
私が、見る余裕がないのです。
・・・」
元気。
顔の表情に、すっと、何か金属のような冷たさを感じることがある。
反応がなく、急に、舞台からいなくなるような。
おれ、いい。
たった3分の、バスケットの試合が、つづけられない。
ミスをしたとたん、コートを出てしまう。
ふらり、と。
「おれ、いいわ」
仲間の声も、届かない。
むろん、教師の声も。
元気の素は、どこに失われたのか。
お前の心には、マルがついていないのかもしれないが、おれはお前を○と思っている。いいぞ、と思うことがある。10年後をみているからな。
嘘のない言葉で。
そう言って、こちらはそう評価をしているんだ、と伝えていくしかない。
幼稚園の先生。
砂場の砂を投げつけた幼児に対して。
「○○くんはいい子だから、そういうこと、しないんだよ」
いい子なんだからね。
そういう、確証があるとかというの無関係に。
とにもかくにも、そう言っていく、というこちらの、腹、胆があるか。
おまえは、お父さんとお母さんの子なんだから。いい子なんだから。
いい子に、きまってんだから。
な、そういうことしないで、ちゃんと、やるんだよ。
親に、こう言ってもらえたら、どんな子だって、うん、とうなづきたくなるのではないか。
退職された先生が、職場を訪ねてこられた。
1年ぶりの再会。離退任式の後、飲み会の席で、いろいろと話をされたが、その時以来だ。
昨年、私の席のすぐ隣に座られていた。
わたしが臨時任用、おどおどした新米講師であったためか、気にかけてくださった。
「大変だねえ」
と、ゆっくりとねぎらっていただく言葉が、なんだかとてもあたたかく、ほっと身にしみたことを思い出す。
その先生が、先日の新成人の式に行ってきた、とのこと。
なんでも近所の子どもたち(昔の教え子)から連絡があったそうだ。
会場が近くのホールということであったので出向いてみると、いるわいるわ、むかしの教え子がたくさん寄ってきて、まるでスターのようであった由。
「いやあ、教師って、いいなあ、と思ったよ。ひさしぶりに」
と言って、大声で笑っていらした。
なるほど。
長い間教師をやっていれば、そういうこともあるのだなあ。
私はまだ担任3年目。
臨時任用で2年、正規採用の初任1年目。
教え子が20歳(はたち)を迎えるのも、まだ先だ。
でも、なんだかとてもポジティブな気持ちを分けてもらえたようで、うれしかった。
教師人生を思い返すと、
昔、恩を仇で返す、というような目にもあって、なんでかなあ、と思ったこともあったそうだ。
これだけ愛情をかけても、というか、
愛情をかけたからこそ、鎧のようなものが溶け去って、悲しい心や、つらい心と直に向き合ってしまったのかもなあ、と言っていた。
しかし、そうしてつきあった不良連中(まま)が、一番、なつかしそうであり、自慢げであったそうだ。そして、これが担任の先生だったのだ、という感じで、近寄ってきたという。
目に浮かぶ。
また、そういう具合で、
「この子には、最後まで情が通じなかったなあ」
と思っていた子から、久しぶりに年賀状が届いたりしたとのこと。
時間がかかる、ということも、あるんだなあ、とおっしゃっていたが、
それが何か、私へのメッセージのようにも思えた。
私だけでなく、職場の何人かの若手(?)がいっしょにお茶を飲ませてもらったのだが、なんだかとても言葉に力があり、実感や、含蓄を感じる言葉が多く、ちょっとなんだか、感じることの多い時間であった。
一番素晴らしいなと思う子どもは、こういう子どもですね。
「くたばらん子ども」だと思うんです。
こう言ったのは、故・吉岡たすく先生である。
引き続き、こう説明されている。
「子どもというのは、失敗を多くする。
失敗を繰り返していますけれども、その失敗をしたときに励まして、一回や二回の失敗でくたばっただだめだ、ということを教えてあげてください。
<あなたの荷物が世界でいちばん重たい荷物なのよ>と思わさないことが、教育で大事だなあ、と思いますね。」
なぜこういうことを引用しているかというと、いろいろと教えていただいている先生に、
鳥居みな子さんの、次の詩を教えていただいたからだ。
小さな私が
小さな小さな石ころにつまずいて泣いている
大きな大きな道のはじっこ
私は、この詩を書いたメモ用紙をいただいたときに、とてもいい詩だ、と素直に思えた。
先輩は、このメモを、職員室の机のビニールシートの下に敷いて、ときおり眺める、と言っていた。
なんだか、小さな自分が、客観的にみえてくるようで、悩んでいることがちょっと、楽になる。
悩みの大きさが、次第にしぼんで見えてくる。
こんなことで悩むのは、頭の半分でいいな、そう思えてくるから、不思議だ。
子どもが何かでつまづいているとき。
そっと、背中を押してあげたい時。
ほんの少し、声をかけてあげたい時。
たかが、○○。
そう言ってやりたい時に、この詩が味わえる。
初任研も、大詰め、である。
先日は、1年をふりかえっての、レポート提出が命ぜられた。
きちんと、フォーマットも決まっている。
そんなの、つい先日の2学期末に出した、校内の経営反省と同じでいいな、と思ったら、
もっとも厳しい、チェックが入った!
字句はもちろん、今年度の学級の様子の克明なレポートに加え、それに対する反省と、考えられる手立て。
でも・・・。
手立てがわからないからこそ、迷っていたのだ。
だから、結果として反省すべき事項となったのだ。・・・と思うが、
そんなの関係なく、
<今、考えられる改善策>
を書くように、指示されてる。
練り直して練り直して、ほとんど、3学期の授業準備ができない。
指導教官に声をかけるが、ほとんど立ち話。
教官は、他の用事を山ほど抱えているので、何かの仕事の最中に声をかけることしかできない。
立ち話でも、一緒に考えてくれるが、やはり代わってくれるわけでもなし。
時間がとられること、甚だしい。
どうして、今、これをやるようになっているのか?
いつものように、初任者仲間に、半分愚痴メールを送ると、夕方になって仲間から電話がきた。
こちらと同じく、暗い声で話してくれると思ったら、存外、ほがらかである。
「これ(レポート)を書くからって言ったら、来週の授業の準備を手伝ってくれるッて」
声がはずんでいた。
おそらく、その学校の指導教官はとても親切なのであろう。
また、その初任者が常日頃から礼儀正しく、みんなに愛されているのだろう。
ひるがえって、私の指導教官は、大変に忙しい。(いつも深夜帰宅である)
その、私以上に忙しく過労死寸前の指導教官に、授業準備を手伝ってくれ、とは口が裂けても言えない。それも、このレポートのせいで忙しいんです、とは・・・。
レポート、本当なら冬休みにやるんだった。
クリスマスイブに提出せよ、と言われたが、締切が2月1日だったから、
へへん、まだあるな!
と思ってしまったのだ。
俺の馬鹿!
授業参観があった。
日頃、立ち歩いている子も、始まってなかなか席につかない子も、道具をよく忘れる子も、不思議とよい子になる。
シンとした空気の中で、鉛筆のコリコリという音だけが響いている。
漢字スキルの練習中だ。
思わず、心の中で、笑ってしまう。
(こんなに、静か・・・)
それが、声に出る。
「よいです。いい姿勢の人がいっぱいです。左手の置き方もいい!」
力強くほめたつもりだが、声の後半がうらがえっている。
ん?
と怪訝そうに、こちらの顔をチラッと顔をあげて見る、いつものおしゃま娘。
でも、すぐに視線を落として、漢字の書き取りを進めている。
さすがだ。
こういうとき、じっと黙っていられなくなる。
だって、目の前の子が、しずかなのだ!
こんなことは、めったにない!
ほめるしかない!
でも、
どうやって?>??
静かなことをほめた。
姿勢をほめた。
左手の置く位置をほめた。
集中力をほめた。
字がていねいなのをほめた。
目をつぶってやり直している人をほめた。
さあて!
残り、2分だ!
なにか、ほめなきゃ!!!
「先生、しずかにして」
窓際のやんちゃくんが、低い、しずかーな声で、ぼそっと言った。
どっ、と保護者から笑いが起きる。
ま、いいか。
先日書いた、「おそい はやい ひくい・たかい」という本のこと。
パラパラとめくっていたら、奥地圭子さんが書いたページが見つかった。
実は、奥地圭子さん。
私の嫁さんの、恩師である。
東京江戸川区の小学校2年生のとき、1年間だけ担任をしてもらったそうだ。
当時から型破りな先生で、教室のうしろに半畳の畳を敷いて、子どもと本気で(?)相撲をとるような先生であったらしい。
「あの先生のインパクトを超える先生は、その後はいなかった」
・・・そうだ。
その奥地先生が、「教育の根本とは何か」と、書いておられる。
当然、気になって読んでみた。
嫁さんにも、見せてやろう、と思いながら・・・。
いわく、
「学びは自ら学ぶところにもっとも実る」
つまり、教育の根本は、自己教育だ、というのです。
小学校の子どもたちに、何を供するかというときに、
学問の関心がもっとも大事である、ということになろうか。
理科の先生が、白衣でさっそうとあらわれて、大変面白そうに実験をされた。
教えてもらった内容はすっかり忘れても、そのイメージだけが残っていて、「そんなにおもしろいものなら」と、理科の道に進んだ。
ある有名な科学者の話、だそうだ。
なるほどな。
先週から、教育反省会議をつづけている。
「○○小の教育」
というものをつくっていくために、教員がみんなで知恵を集めている。
来年度も、私は、今の学校で勤務をする。
実は、これまでは、そういう緊張感が持てなかった。臨時任用だったからだ。
来年は、もしかしたらいないかもしれない、という前提で、すべて動いていた。
今年はちがう。
来年、自分が直接かかわる教育計画。そこに参画していくのだ。
第一に思うのは、楽しい職場にしたい、ということだ。
必然的に、<うまくいっている職員室>の像を頭に描こう、という気になる。
うまくいっている職員室って、どんなことをさすのだろう。
ここから、参考書に当たる。
まず第一に
「教員に個性が必要」ということ、とある。
ユニークで、少しは非常識な部分をもっていたってかまわない。職員室が、価値観をいつでも問い直せる、発想を豊かにできる。そのためには、各教員におもしろい個性があった方がいい。
なるほど、と思う。
その本の筆者いわく、つまらないのは、
自己満足的強迫神経症の仕事を独善的に行う、熱心な教員だそうだ。
これを聞くと、ははぁ、となる。
つまり、私自身が、夜遅くまで熱心にやっている(ように見える)教師だからだ。
実は、要領が悪く、一回一回、何をするか考えないと、毎日の授業ができない、
シロウトだからである。ぎこちなく、時間がかかってしまうのだ。すみません。
上述の、自己満足的云々、というのは、要するに、
「ワタシは一生懸命、やっているのよ」!
というスタンスを鼻にぶら下げて、
わたしの方法が一番よい、と固く信じ込んでいる傲慢な教師のことを指すのであろう。
と、これまでは、職員室に置いてあった本、
「おそい、はやい、ひくい、たかい」
という面白い題名の本をふと、手にとって読んでみた感想である。
編集人は、岡崎勝 とある。
プロフィールを見ると、愛知の公立小学校教師、となっている。
愛知、というのを見て、親しみがわいた。
また、肩書きが「編集長」となっていないところが、この岡崎氏のスタンスを表しているように感じる。
同じ本の中に、辻悠子さんとおっしゃる、保護者の方の文章があった。
「学校は、先生が育つ場でもある」
と言いきっておられる。
「公立の先生には失望するわ、という声を聞くと、そう言いきってしまっていいの?と聞きたくなる。子どもたちにためにも、今、目の前にいる先生を励まし、関わっていかなければ」・・・云々と。
・・・共感。
うーん、・・・すっごく、共感。
こういうの、うれしいなあ。
次に、横浜の中学教師をされている、赤田先生という方が、
「子どもを相手にする人たちに余裕がないと、それがそのまま子どもに伝染してしまう」
と書かれている。
多忙を極める学校現場に警鐘を鳴らしておられる。
「いいこと」が地域や親の要望として取り入れられるので、学校と言うカバンが、パンパンになってきている、というのだ。
そういう中で、
○教員として自分をあまり先鋭化させない。
ということも、述べておられる。
教員であることを鋭く磨くのではなく、最短距離ばかりを考えていないで、子どもたちの育ちに、ゆったりつきあう、という心を持て。
・・・ということのようだ。
自身をふりかえってみる。
年末以来、ずっと、この一年間の自分の教師としてのあり様を反省するようにしている。
また、学校全体の教育反省もやりながら、という、最近の自分にとって、ちょっと響いてきた言葉であった。
自分の満足が先になっていないか、子どもの育つスピード、実体を、しっかり見ていますか、と問いかけられたような気がした。
もうすぐ、3学期の初任者公開研究授業がある。
「ようし、いっちょう、やってやろう」
と思っていたが、
ちょっと深呼吸。
子どもたちの実態に合わせて、少し先を歩くようなつもりで、授業を組み立てていこう。
そう、肩の力を抜いて。
ストーブをつけていない。
朝、教室に入ってくるなり、子どもたちが、
「ストーブつけて」
と言ってくる。
まだ、一度もつけたことのない、ストーブ。
隣のクラスが、朝の寒さに耐えかねて(?)つけているのを見てしまったのだ。
「先生、隣のクラス、つけてるよ!」
だから、つけるのが当然だ、というような言い方である。
「寒いかー」
とぼけた声で、返事をして、教卓の周りを整えたりしておく。
女の子たちの合唱が、だんだんと大きくなってくる。
「ストーブつけてー」
いきなり気がついたかのように、
「おお、もうこの教室に、20人くらいは人がいるなあ。じゃあそのうち、あったかくなるぞ」
朝の教室、子どもたちが入ってくると、だんだんと気温が上がっていく。
だから、大丈夫だ。
つけなくても、平気。
もう一度、あらためて、朝の会で話をした。
ストーブをつけないで、がんばっていこう、ということ。
インフルエンザに負けない、風邪に負けない、をみんなで取り組むこと。
それには乾燥が敵なので、乾燥させない教室環境をつくる。
ストーブもできるだけ使わない。
寒い人は、あったかい下着や重ね着をしてくる、ということ。
また、外で元気に遊ぶ、ということ。
高学年が近い。
4年生だ。
外で、といっても、男の子は遊ぶが、女の子はほとんど遊ばない。
だが、目標としては、やはり外遊びをしてほしい。冬でも。
副次効果として、女の子たちを、外で追い出す理由にもなる。
どうせストーブつけてないから、外でも同じだよ、と言うことにしている。
「先生は、ストーブきらいなんだね」
と言ってきた女の子に、
「きらいじゃないけど、今日は使わないんだよ」
と言っておく。
いわずもがな。
教師は、のどを使う職業である。
正月をふりかえってみていて、
「ゆっくり、休めたのかな」
と思い返してみている。
そして、ふと、
<のどの休息>
ということが、頭に浮かんだ。
身体の休息はもちろんのこと、のども、しっかり休んだな、という感じがあるのだ。
2学期の末ごろから、のどの痛みを感じていた。
職場から帰宅して、自宅にもどってきたあと、一番
(疲れたぁ)と感じるのが、喉、であった。
のどの痛みを感じつつも、授業になると、がんばってしまう。
大きな声や、多弁が、かならずしも授業のプラスにはならない、(かえってマイナス)とわかっていても、つい、話してしまうので、疲れるわけだ。
だから、冬休み、ほんのつかの間、子どもが寝た後などに、しばらくだんまりできる時間があると、ぜんぜん、疲れ方がちがう、と感じる。
嫁さんは、
「なんだか、ずっと黙っているね」
というが、べつに機嫌が悪いというわけではない。
喉を休める日。
どこにもでかけず、自宅でゆっくり、さながら旅館のごとく、休める日を持つ。
シーンとして暮らす日は、教員にとって、本当に貴重な休日だ。
さて、年始のあいさつ廻りが終わり、旅行からも帰宅した。
1)年末のホッとした感じ→すぐに家事洗濯とふすま障子の張り替え大掃除
2)年始のあいさつ&久しぶりの長距離運転と子の相手で緊張→飲みすぎで胃が荒れた
3)ドッと疲れが
今、3)の時点に居る。
そこで、身体が芯から疲れた、という感じを家人に訴えたところ、
親切な嫁が、
「こういうのに行ってきたら」
とのことで、近所のリラクゼーションサロンへ行くことに。
要するに、マッサージをしてくれるところ。
ボディケアコースで、全身マッサージ。
足つぼコースで、足裏のつぼ押しと温浴治療。
眼精疲労コースは、顔と目のまわりを。
今回学んだ結果、一番よいのは、こういうこと。
休日の夕方、風呂に入る。
やわらかい素材のジャージをはく。
上は、薄手の長そでシャツ。
マナーで歯もみがく。
さっと脱げる上着を羽織る。靴でよい。(どうせ脱ぐ)
時間ぴったりに行く。5分刻みで店員は動いているとのこと。
5分も遅れないこと。
休日の予約は、1週間前にすること。
おすすめはボディ40分コース。
店員さんも疲れるので、60分コースはしんどいそうだ。
そして、帰宅後、すみやかに眠る。(いつもは早朝に起きてしまうのに、ぐっすり、たっぷり寝られた。スゴイ。これも効果か。だから行くのは土曜日がよい。日曜日の朝はゆっくり寝る)
これで、かなり疲労が取れそうだ。
「からだ、かなり疲れてらっしゃいますね」
「そうですか」
「うーん、ここ、すごくかたいですねえ」
(といって、ふくらはぎのあたりをさする)
「よく、ふくらはぎがつるんですけど」
「はい。ふくらはぎも、すごくかたいです」
「そ、そうですか」
「ここまでかたいひとも、そういないくらいです」
「そ、そうですか」
「立ち仕事でいらっしゃいますか」
「そうですね。今は休みですけど、小学校の教員です」
「おおー・・・それはそれは、大変ですねえ」
「ええ」
小学校の教員は、世間的には、かなり大変なイメージらしい。
そういうニュアンスで、サロンの店員は答えていた。
さて、施術が終わると、なにか、ぐっすりと眠った後のような、爽快感がある。
背中が、ほぐれたという感じがする。
けんこうこつと、背中、そしてふくらはぎが、私のウィークポイントらしい。
つまり、疲れがたまる場所であるらしい。
おまけに、正月来店だということで、おみやげまでもらった。
来年の正月も、またぜひ行こう。
教員の全身マッサージは、冬休みの必須科目。
ふくらはぎの集中マッサージをすべし!
2日の朝、日の出を見た。
今年は2人目の子が生まれる予定なので、ぜひとも日の出を見て、心をととのえたかった。
朝、6時起床。
それでも十分に間に合うように、海岸近くに泊まった。
宿の主には、日の出を見に行くことを伝えてある。
前の晩、親切に、日の出時刻を教えてくれた。7時より前、6時55分くらい、とのこと。
宿の女将さんが、
「日の出の前にも、かなり明るくなっていますから、多少早めに出られた方が」
と忠告をくださる。
いろんなことがありがたく感じられる。
嫁は前日まで迷っていたが、妊婦であることや、4歳の子が気になるようで、
「朝、寝てたら、そのままホっておいて。あなただけでもどうぞ」
とのことである。
子どもにも、太陽が出てくるところを見せたい気持ちが強かったが、ハナをぐずぐずいわせていたことが気になるので、お楽しみは来年に。
午前6時すぎ、外に出ると、もうすでに、うっすらと明るくなり始めている。
おまけに海岸近くで風が強い。宿の玄関を出るとすぐに、首をすくめた。
「さみいー」
ひとりごとが出る。
ジーパンの上から、ウインドブレーカ(下)を穿いていて正解だ。
かなり、身にこたえる。
冬の朝。霜がおりて、庭の芝生の土が無彩色に見えた。
足元を見る。「しもばしら」がある。
田んぼの向こうに目をうつすと、地平線に、オレンジ色のうすい帯ができはじめていた。
しまった、と思いながらエンジンON。
インパネの表示、温度警告が青く光っていたが、無視して走る。暖気運転などしている間はない、と思ったのだ。
10分ほどで、海岸の駐車場へ。
もう初日の出ではない、というのに、けっこう車がとまっている。
2日の朝なら、もうほとんど人はいないだろう、と思ったのになあ。
地元の人が多いのだろうと思うが、駐車場のスペース3台分に1台の割合いで、車を停めている。
ゆっくり走って、端の方に駐車した。
そのままCDでモーツァルトを聴きながら、車中で待つ。
缶コーヒーは必需品だ。
目の前に、浜がひろがっていた。
歩いている人はほとんどいない。
みんな、車中でじっと待っているのか。
砂浜の向こうに、海が見える。
太平洋!
波がしらの白い部分が見えるが、音は聞こえない。
水平線には、かすかに雲がかかっている。惜しいなあ。
しばらくして、かなり明るくなり、その後、チラッとオレンジ色に光った、と思うや否や、一筋の光が水の表面をサーッと走り、自分の目の前まで、道ができた。
感動しました。
しだいに色が濃くなり、水面の動きに合わせて、太陽と同じくらい明るい光が水面にも照り返して、まるで太陽がいくつもあるよう。
きれいに雲も消えた。
浜には、同じように車を降りた人が何人も立っているが、みんな黙って、水平線を見ている。
日の出を見るたびに思うのは、こうして、太陽を見る、という行為は、おそらく太古の昔から、人類がずっと続けてきた、ということ。
どんな思いで見たのかな、と思う。
今年、どんな年になるのか。
あるいは、するのか。
初任という年が、もうすぐ終わる。
今年は、必死に走ってきた。
とにかく、周りに合わせ、やってくる仕事を片端から片付けた。
そして、やったらよい、と思われることに、チャレンジもしてきた。
こなしてきた、という感もある。
こなす、というニュアンスで、今年はすごしたくない。
今年は、1年の見通しを持って、すごしたい。
そして、事柄よりも、中身がどうだったのか、自分の側のテーマ、取り組みどころを、さらに焦点化させていきたい。
学級すべての子どもに、成功体験を積ませる。
それがやれる教師になる。
BLOGには、これまでよりもっと、授業内容を書き込めるようにする。
プロとして、純粋に。
一筋の道を。
思いが、湧き起こってくる。
子とともに。繁栄せん、と。
風がやんだようだった静かな浜。
子どもにつける名前をあれこれと考えた挙句、帰途につく。
ようやくふりかえると、そのうしろの町全体が、朝の明るさに包まれ始めていた。