図工の校内研究授業をする、というので、夜遅くまで残っている同僚がいた。
「導入をどうするか、まよっているんですよ」
ふしぎなアパート、という単元らしい。
要するに、こどもたちに、自由な発想で、思いきり、創造性豊かに、想像したイメージをふくらませてもらおう、ということ。
どんな素材でもよい。
どんな場所でもよい。
どんな人が住んでもよい。
人でなくてもよい。
動物の棲むアパートでもよい。
ロボットでもよい。
子どもが発想するにまかせて、どんどんイメージをふくらませて、何を描いてもよい。ナンデモアリ・・・。
それで、どんなふうに声をかければよいか、悩む、というのだった。
たしかに、教科書をみると、怪獣のような生き物が、ふしぎな樹木のアパートに棲んでいる絵があり、なるほど、なんでもよいようだ。
授業書、研究編などを見てみると、
「自由な発想」
「思いきり」
「想像の幅を広げて」
「楽しむ」
という言葉が羅列してあった。
さあて、どんな声かけで授業をスタートすると、こどもたちの豊かな創造が見られるようになるのだろうか。
当の本人、
「何にも、言葉が思いつきません」
とのこと。
あの子たち、ふつうのお絵かき帳に描くような、落書きのようなイメージでしか、ないのではないかと思うのです、ということだった。
馬鹿にするな!
子どもの創造を信じろ!
学年主任には、こう言われて怒られた、そうだ。
悩んでいる彼は高学年担任である。
私はまだ経験がない。高学年は未知の世界だ。
高学年の子たちが、こういった、「自由な発想」を任されたとき、どんな絵を描いてくれるのか、とても楽しみになった。
だが、何かが、ひっかかる。
心の底に、なにか、しゃくぜんとしないものがある。
その不安が何ナノか、ちょっとよくわからないし、言葉にできそうもない。
私がそういった感触のようなものを口にすると、研究授業を目前に控えた彼も、同様にうなずいた。
「そうなんです。今おっしゃったように、私も、そんな気がするのです」
彼は2年目で、私よりも先輩であるのだが、年齢が私よりずいぶん下なので、私に遠慮して敬語を使ってくれる。
つまり、実際の生活体験とはかけ離れた想像図を描く、となると、そのへんの漫画やキャラクターのまがいもののようなモノばかりになるのではないか。
実際の物をみて書く、ということでないから、サラサラと描き馴れた子は仕上げてしまって、まったく魂のこもった作品にはなりにくいのではないか。
事実、実体のあるもの、実際のものを描く、というのであれば、頭の中のモノではなく、実際のモノと向き合わなければならない。光の当たり方、触感、影、色、それを、自分の好きなように、ではなく、相手に合わせて、表現していく必要に迫られる。それは、自分で好き勝手にしてよい世界ではない。相手をよりよく知ろうとして、対象にせまっていかねばならない。だから、相手に近寄る努力が要るし、一歩、ふみこんでいく勇気が必要になる。
めんどうくさい、と感じることが多いかもしれない。
やりたがらないかもしれない。
でも、子どもを信じていきたい。
馬鹿にしない。子どもを、絶対に。
そんな話をしていたら、職員室の時計が夜10時をさしていた。
「自由な発想」
「思いきり」
「想像の幅を広げて」
「楽しむ」
こんな、体裁のよい、みみざわりの良い言葉で、子どもを見損なうことだけは、ぜったいに避けたいと思う。
それにしても、教科書って、なんでこうも、「ふしぎな」という形容詞が好きなんだろう。
4年の教科書にも、「ふしぎな○○」という単元があって、きまりきったように、
「自由な発想」
「思いきり」
「想像の幅を広げて」
「楽しむ」
と書いてある。
(・・・初任の仲間に、どう思うか、今度、尋ねてみます。・・・)
2008年10月
秋を見つけよう、と校庭へ。
教室へ帰る時間だけを限定して約束させ、あとは自由、とした。
夏から秋へ、変化したもの。
秋だなあ、と感じるもの。
事前に、プリントを配布。
理科のノートにのりで貼り付けさせた。
プリントには、番号とかんたんな横線だけ。
番号の3番までは、ひょうたんについて書く、とした。
番号は12番まで。
それよりももっと、書くことがあったら、ノートのつづきに書いてくること。
子どもたちは、とてもうれしそう。
久しぶりに、堂々と校庭へ出られる。それも、授業時間中だ。やったー!
子どもたちが勢いよく教室を出て行った後で、わたしも校庭へ。
校庭のあちらこちらに、こどもたちの姿がみえる。
銀杏の木の下で、みあげてなにやらノートに書きつけている子。
キンモクセイの木の下で、散った花弁を見ている子。
カマキリを見つけた子。
ひょうたんについて、こんなことを書いた子がいた。
「ひょうたんは、黄緑色のものと、茶色のものがあった。黄緑は重くて、茶色は軽かった。」
おおお、と思う。
理科的だ。
ほとんど枯れかけた、ひょうたんの茎。
そこから、かろうじて水分をとっているのが、黄緑色のひょうたん。
茎まで、ほとんど茶色になっているのが、茶色のひょうたん。
その下に、落ちて、割れて、中身のとび散ったひょうたんもあった。
その中身をみて、
「ひょうたんは、実だとわかった。なぜなら、中に、種があったから」
と書いた子もいた。
どちらも、理科的だなあ、と感じる。
1)重さを、手に持って、感じてみようと試みている。
2)中に種がある、ということは、これは実なのだ、と考える道筋が論理的である。
教室に帰ってから、そのことを、スゴイ!と、力強くほめた。
長野県の安曇野市に、旅をしてきました。
宿泊したのは、「地球やど」という、一風かわった宿。
http://chikyuyado.com/
BSフジの番組、「まんまるらくえん日和」
毎週金曜日 8:30~9:25
を見ている方は、ご存じかも。
番組紹介には、こうある。
ゆったりとした時の流れ、穏やかな暮らし、人の温もり、快適な住まい。
忙しさの中で見失いがちな日本の良さを見直し、再発見する紀行番組。
ナレーターはパパイヤ鈴木。
こんな内容。(同内容が、31日金にも放映予定)
北アルプスの美しい眺望と清らかな水で育つわさびの生産で有名な安曇野に住む人々の暮らしぶりを紹介する。
農業を取り入れた生活をしたいと2004年に東京・町田から移り住み、お客さんが農業体験のできる民宿を営む増田さん一家。
民宿には将来Iターンを希望する若いファミリーが多数訪れ、増田さん一家と一緒に食事をし田舎暮らしについて語り明かす。
この、増田さん一家が営まれている、「地球やど」に宿泊した。
・時間がゆったりしている。
・家族がある。
・すぐに、すっと、みんなの食事ができた。
・あたたかい。
・気負っている人がいない。
・静か。奥さんも静かな方。
・近くに温泉もある。
・食事は自家製の穀物や野菜が多く、新鮮。もちろん美味しい!
・りんご農家の友人が、りんごを届けてくれる。
・古い民家なので、昭和の香りがたくさん。(元、養蚕農家とのこと)
・地元の情報、安曇野の情報を教えてもらえる。
・夜の時間が、すごくゆったりしている。
・空気がうまい。
・楽しそうなイベント(いろいろと地域の方と活動されている)がある。
・さりげない心づかいがうれしい。
・子どもたちが元気。ありのまま。そのまま、という感じ。
あとで、番組のDVDを見させてもらった。
番組のナレーションをしているのが、パパイヤ鈴木さん。
このパパイヤ鈴木さんの声が、すごくしっとりとしていて、すばらしい。
この、安曇野の、「宿」の空気に、とてもマッチしている。
奥さんや子どもさんの紹介もあるのだが、その紹介の声がいい。
いかにも愛らしい、と感じてくれているようで、パパイヤ鈴木さんとは何の面識もないが、すごく親しみ、親近感が湧いた。
教員ともなると、どうしてもこういう場面に意識が向く。
声。こえ。
パパイヤ鈴木さんのように、気持ちのこもった声。
すてきだなあ、と思う。
訓練されてきたのだろう。
以前書いた、腹式呼吸のトレーニングを思い出した。
とても、ゆっくりと、心身がいやされる一泊二日でした。
嫁さんが、すぐまた行きたい、と言いました。気に入ったようです。
私もうなずきました。
おすすめ、です。
交通:松本ICから車で15~20分。北アルプス、常念岳が見える宿、です。
大家が二人。
それぞれ、自負がある。
だから、お互いを意識する。お互いに、譲り合う。
職員室で、よくある光景だ。
その大家のはざまで、ストン、と落っこちる現象が起きる。
それを、「タイカ・ストン現象」と名付けた。
ことの詳細は、こうである。
音楽の大家が、学校にいる。
音楽の実践を、ずっと続けてこられた。
市の教育実践として、ずいぶんと評価の高い実践が積み上げられた。
その○○先生のいる学校に、初任者が赴任する。
ところが、今度、別の先生が、あたらしく赴任される。
いったんは退職した先生ではあるが、これもまた音楽の実践をずいぶんと積まれた方だ。
○○先生の実践はすごい、と、うならせた。
退職後、非常勤の講師として、理科の専科として来られた。
音楽の大家といえど、退職後の非常勤で、理科で、来られたのだ。
人の配置は難しい。
おそらく、通勤距離などの関係があったのであろう。
他の人の都合もつかない。本人の通勤希望と、人事の配置。
調整がいろいろとあって、こうなってしまった。
再雇用の△△先生も音楽の大家だが、まあこの学校で、理科でやってもらうしか、しょうがない。
そんな按配であったようだ。
つまるところ、音楽の大家が、ふたり、学校に存在するようになってしまった。
この状況に、危機感をもてるのが、ベテランである。
そして、そんなこと、まったく気にしない、(できない)のが、新人である。
初任者は、まったく、感知できない。
そして、たまたま運の悪いことに、初任者のもつクラスが、音楽のコンクールに代表で出ることになってしまった。
周囲は気軽に言い合う。
「大丈夫よ。音楽の堪能な先生がたくさんいらっしゃるもの。」
実際に、そうである。
初任者は、安心する。
主任はこういう。
「今年、○○先生は専科ではないけれど、あの先生になんでも相談するのよ」
○○先生は、音楽専科ではない。
だから、遠慮勝ちに相談しに行く。
「本来は、担任の私がやることですが、音楽が苦手です。教えてください」
○○先生も、悪い人ではない。
「音楽専科がいないし、初めてだから大変でしょう」
初任者に同情してくれる。
そして、いざ、なにか教えてくれるのかと思いきや、
「大体は言えるけど、・・・」
と、歯切れが悪い。
「△△先生に聞くといい。あの先生は、大家だから」
○○先生は、目上の△△先生に遠慮しているのだ。
実際、最初のうち、△△先生は、音楽の授業を見に来てくれる。
古いネクタイをしめて、おじいちゃんの雰囲気を漂わすものの、さすがに発声は抜群だ。
そして、いろいろなアドバイスをくださった。
一番心配だった指揮法についても、
「まあ、おいおい教えるよ」
と言ってくださった。
「これからも、よろしくお願いします」
初任者は、ほっと胸をなでおろす。
異変は、このあとだ。
コンクールが近づくにつれ、微細な指導が必要になってくる。
そのつど△△先生に尋ねたいことが増えていく。最初はいいが、時間のない中での指導、お互いの都合がつかないときもある。昼休みに聞きたいと思っても、非常勤だから帰ってしまわれている日もある。
「あのこと、聞いておきたいんだけどなあ」
不安顔の初任者。
思い立って、○○先生にそのことを言うと、
「わたしのやり方と、△△先生のやり方がくいちがうといけないからね。やっぱり、大事なところだから、△△先生に聞いてください」
要するに、教えてもらえない。
そのまま、日がすぎる。
コンクールまであと何日、となってから、ようやく、久しぶりに会えた△△先生に聞いてみるが、
「今からではねえ。まあ、とりあえず***をしておけばよいよ。時間がないから、そうするほか、仕方がない」
なあーんだ、と初任者は思う。
結局、本筋は教えてもらえないまま、とりつくろったような指導しかできなかったではないか。
コンクール当日。
なんとかやりきって、他の学校の先生にこう言われた、とのこと。
「あなたの学校は、○○先生も、△△先生も、いらっしゃるのでしょ。両方とも、音楽の大家よ。きちんと、指導していただいたの?指揮のやり方だって、もっと教えてもらえたと思うよ」
がっくりだった、と残念そうに発表する初任者。
同じようなことを思い出していた仲間もいたにちがいない。
初任者の会合で、いろいろなことを思う。
・大家がいると、やっかいだナァ。
・そうとは言えない。大家がいることが問題ではなく、複数いることが問題なのだ。
・どっちの大家につくか。右か、さもなくば左か。
・いずれにせよ、一つに決めることさ。
・あなたは、どっち、か・・・。なるほど。
・いや、ちがうだろ。初任は、そういう事情があることを知ったうえで、なんとか食らいついていくのさ。
・どっちにも、両方かい?
・そりゃ、難題だ。
・大家の狭間で、ストーンと、落っこちてしまった感じ。
・そうそう。落っこちた。
・タイカの間に、ストーンか・・・困るよなあ。
お互い、励ましあって、進んでいきたい。
NHKの看板番組、プロフェッショナル仕事の流儀。
10月14日(火)の夜、放映された、
「笑いの奥に、人生がある~落語家・柳家小三治~」を見た。
以前、本BLOGでも取り上げた。
なんてったって、あの、小三治さんである。
期待していた。
キャスターの、住吉さん、という人の名前を、これで覚えることになった。
女性キャスター、あまり名前まで興味がなかったが、
残念で、残念で、くやしくて、くやしくて、
覚えてしまった。
住吉さんが、小三治師匠に向かって発した、あの言葉。
「おそばを食べるところ、あれを、演ってみていただけませんか」
小三治師匠の顔が、瞬間、曇った。
小三治「おれ、あれ、うまくねえんだよ」
茂木・住吉「いやいや、そんな・・・」
結局、師匠は演じて見せてくれるのだが、それは場の空気を察して、若い人に頼まれたからには、ということでやってみせてくれたのだろう。
この場面で、見ていた私の背筋も凍りかけた。
多くの小三治ファンが、同じことを思ったに違いない。
なんで、ここで、そばをすすらせるのか。
NHK、という放送で。プロフェッショナル、という番組で。
映像を極力、断り続けてきた、この師匠に向かって・・・。
住吉さんが、あまりにも無邪気に笑っている。
この無邪気さ、子どもっぽさ、あどけなさに、小三治師匠も、何も言えなかった。
そばをすする。
この芸は、小三治の師匠、人間国宝の小さん師匠が得意だ(ということになっている)。
それをやってみせろ、といわれて、ふつうは、小さん師の顔が思い浮かんで、遠慮するのが筋というもの。いつまでたっても、師匠は師匠。師の芸には及ばない。とてもわざわざ、お見せするものではない。得意がって、やってみせるものではない。
とくに、小さん師に、芸を全否定された、小三治師匠である。
小さん師に、特別な思いをもっている。
もちろん、噺をするのであれば、ちがう。噺の中で出てくる動作としては、やる。演じる。
だが、プロフェッショナルという番組で、いかにもそれが上手だから、やってみせろ、といわれてやるものではない。それではあまりにも、無粋である。師に対して、遠慮がないではないか。
住吉さん、どうか、あの言葉だけは、反省してください。
師匠は怒りませんでしたが、ふつう、落語家であれば、怒鳴り返しても、おかしくない出来事でしたよ。
同じようなことを、イラストレーター(似顔絵作家)の山藤章二さんが、エッセイに書いていた。
山藤さんが、漫画家の加藤 芳郎さんのパーティに参加したときのこと。
「まっぴら君」で活躍する加藤さんの、出版記念パーティ。
多方面で活躍する加藤さんのお祝いだから、いろんな知人が集まっていた。
みんなが粋なスピーチで会場をわかせ、楽しい集いであったが、ある時点で様相が一変する。
おそらく、マスコミからの依頼があったのだろう、と山藤さんは書いている。
「何か、漫画家の集まり、いかにもそういう具合の写真がほしかったのだ」
舞台にセットが作られ、まっぴらくん、と大きな文字が書かれた上に、何人かの漫画家が似顔絵を描き始めたのだ。
「ま」「っ」「ぴ」「ら」「く」「ん」の字の形に合わせて、即興で絵を加えて描く、よく漫画家がやる、あれ、である。
これをみて、山藤さんはほとほと、残念でならなかった、とある。
漫画家といえば、これか。
漫画界の巨匠、加藤芳郎さんである。
なにも、この加藤さんのパーティで、こんなことをしなくてもよいじゃないか。
もっと、粋なことをやれるのに。どうして。まったく、似合わない。
誰かが、「漫画家なんだから、これをすれば」と提案したのだとしたら、その安易さは罪である。
山藤さんは、後味の悪い思いがぬぐいされなかった、と書いている。
その後味の悪さは、おそらく、加藤さんに対しての、申し訳なさ、であろう。
「こんなことをさせてしまって、申し訳ありません」という、漫画家仲間の礼儀を欠いたことの、非礼をわびる思いなのだろう。
小さん師匠に対しての複雑な心境をもつ小三治師匠に、その師が得意としたものを、あえてやってみさせたNHK。小さん師匠が生きていらしたら、とても失礼で、そんなことはできません、となったであろう行為をさせた。
「おれ、へたなんだ」
と、遠慮勝ちに言っては見せたが、小三治さんはやってみせてくれた。
目の前のキャスターに、恥をかかすまい、とする心が働いたのだろう。
でも、本当は、遠慮したかったに違いない。
師匠に全否定されたからこそ、師匠を全肯定する。
それが、小三治流なのではないか。
いつも、小三治さんには、師匠への思いがあるのだ。
そばをすすれ。
それだけは、ご法度だったでしょう。
住吉美紀さんのせいではなく、番組スタッフの責任かもしれない。
電話をかけた。
ある児童の自宅である。
何度かけても、夕方には通じなかった。
留守だ、と思った。
子どもを連れて、買い物にでもでかけたのかな・・・。
7時過ぎに、再度かけたが、出なかった。
8時過ぎ。
職員室から、これで出てほしい、最後だな、と思ってかけた。
やっぱり、出なかった。
翌朝、児童に声をかけた。
「昨日、おでかけだったかな。電話したよ」
児童は首をふった。
「ううん。家にずっといたよ。」
おかしいなと思ってよくよく聞いてみた回答が、タイトル、である。
要するに、けっこうな音量で、居間のテレビがつけっぱなし、なのであった。
だから、よっぽど注意していないと、電話には気がつかないことがある、という。
ハハア、と思うことがあった。
よく、ボーっとしているのだ。
名前を呼んでも、スッと反応するのでなく、ちがうことを続けている。
授業中の教師、わたしの言葉が、耳から耳へと、すーっと消えていくような感覚。
彼の耳には、入っていかないなあ、と感じていた。
肩をトントンとしたり、机をたたいたり、近くで言葉をかけないと、あっ、自分のことかな、と思わないよう・・・なのだ。
おそらく、ずーっと、なにがしかの刺激が慢性化して与えられていて、どこかでシャットして過ごす術を身につけて育ってきたのに違いない。
でないと、安心して、暮せなかったのだろう。
自らの身体の感覚を、そういうふうに、変化させて、適応して生きてきたのに違いない。彼は、彼なりの工夫を学んだのだ。
おそらく、家庭のテレビをなんとかしなければ、彼の学校生活はこんな状態で、続いてしまうのに違いない。
もったいない。
三角形には、三つの辺と、三つの角があります。
これを全員で唱えた後、
「三角形には、いくつの辺がありますか」
これに、答えられない。
首をひねりながら、不安げに、こちらを見ている。
いや、厳密に言うと、不安がつのって、言葉が出なくなる、という感じ。
おそらく、三つだろう、と思っている。
そのため、三つ、と、かすかな、かぼそい声で、いう。
いう、というよりも、口の形が、みっつ、と言ったようである。
ふだんは、やんちゃな少年だ。
しゃべりだすと、楽しいことをたくさん話す。
給食が終わってホッとした時間になると、いろんな話をしにくる。
けっして、かもくなタイプでもない。
しかし、授業中は寡黙だ。
当然だろう。
これまで、正解を言えたためしがなく、間違いを訂正され、そのたびに叱られ続けてきたのだから。
つい直前に、全員で、声をそろえて、
「三角形には、三つの辺と、三つの角があります。」
と、言ったばかり、なのに・・・である。
5秒前に、言っている。確認しているのに。
幼い頃から、あらゆることの間違いを言い続けてきた。それを、叱られ続けてきた。
自分が、正解を言えるのだろうか、間違うのではないか、きっと間違えそうだ。
そう思い込んでいるようである。
「みんなで言ってみよう、さんはい」
「三つ!」(クラスの他の子がいっせいに)
「よし、そのとおり!」
その子に、向き直る。
「Sくん、三角形には、いくつの辺がありますか」
少し、声が出る。
「三つ」
「そうだ!合ってる!三つだよね!」
念のためだ、と言って、再度、最初から言わせる。
「Sくん、最初から言ってみよう。三角形には、三つの辺があります。ハイ」
「三角形には、三つの辺があります」
さきほどよりも、ずいぶんと堂々とした声に変っている。自信が出てきたようだ。
「さらに、念のため。三角形には、いくつの辺がありますか」
だめおしで、くどいようだが、再度、この発問を繰り返す。
「三つです。」
この回答が、一番、しっかりしている。
目も、私の顔を真正面から見て、すっきりとした表情で、言えた。
この子には、ここまでのステップが必要なのだ。
ぼくは、間違っているにちがいない。
そう、思い込んでしまっている。その染められた観念を、払拭すること。
できたこと、成功体験を積む。
エラーレス・ラーニング。
これの積み重ね。
しか、ない。
NHKで、柳家小三治さんの特集がある。
以前、このBLOGで、
小三治さんの「初天神」について書いたことがあったが、ファンとしては驚愕するとともに、この番組に対する感謝の念と、多くの人に薦めたいという熱い思いがふつふつと湧き上がってきた。
小三治。
今の落語界の、正統派、そして重鎮、名人である。
この人を、この人の元気なうちに、見ておいてほしい。
明日、10月14日(火)の夜、放映される。
午後10:00~午後11:00。
プロフェッショナル 仕事の流儀「笑いの奥に、人生がある~落語家・柳家小三治~」である。
番組紹介には、
当代きっての名人と呼ばれる孤高の落語家、柳家小三治(68歳)。無駄な動きを極限までそぎ落としたその話芸は、「目の前の小三治が消えて登場人物が現れる」とまで称される。2008年8月、小三治は池袋の演芸場での真夏の7日間の寄席に挑んだ。名人と呼ばれてなお、さらに芸の道を究めようとする柳家小三治の真摯(しんし)な日々に密着する。
とある。
DVDはおろか、映像も残したくない、音源もできるだけ残したくない、噺は、生(ナマ)でこそ価値がある、と言い続けてきた巨匠の映像である。
おそらく、年齢や現時点の落語界での立場などいろいろと考えつくした末の判断なのだろう。永久保存版、まちがいない。
教師は、話すことが商売。
話す技術が要る。
言葉の力で、子どもたちを、別世界へいざなっていくことがある。
それができるのと、できないのと、まったくちがう。
天才の世界を知り、あこがれをもつことが、今の若手先生には絶対必要な条件だと思う。
おすすめします!
ぜひ、見てください。
近所に小さな川が流れていて、田圃がある。
地主さんに声をかけてもらって、稲刈りをしてきた。
幼稚園の父母にも口コミで広まり、地主さんのネットワーク、幼馴染、農協つながりなど、地元の人も集まって、みんなでお祭りのようになった。
鎌が貸し出され、おそるおそる田圃に入る初心者もいる。
かたや、軽快なサクッサクッという音をたてて、いつもどおりに稲を刈る、というベテランもいる。
一見かわいた土の中に、足がめり込む。
運動靴で来て、シマッタ、という顔の人。
半そで、ジーパン、という父親。
麦わら帽子、うすい長そで、しっかりした長靴。これが一番、思いきりできる服装だ。
綿手も必要。
だんだん慣れてくると、片手で株の元をにぎり、サクッと一度で決まるようになる。
前かがみの姿勢は腰に負担があるが、年に一度の収穫祭だ。我慢して突き進もう。
子どもたちが、歓声をあげて、バッタを追いかける。
かまきりもいる。
小さな虫が、無数にいる。くも。いなご。
幼稚園くらいの子にまじって、小学生低学年もいた。
それが、いばって、みんなをひきつれている。
親は稲刈りに夢中。
何人かのおばちゃんが、柿をむきながら、こどもの様子を見守ってくれていた。
稲は、この後、横倒しにした竹組に、はざがけにする。
そのため、片手でもてるくらいをひと束にして、それをX字になるように二つでひと組にしておく。あとで、そのバッテンの交差部分をヒモで結んで、竹にかけて干していくのだ。
「軽いなあ。ついとらんのじゃないか」
ベテランの方が、持ち上げた穂を気にして、そうつぶやいている。
実り方が、軽いのだそうだ。
米がしっかり、つまっている、という感じでもないらしい。
そのうち、子どもたちが何人か、はだしになって、どろんこの中の追いかけっこをはじめた。
アメリカ人のS夫妻の子どもたちも、日本の子たちにまじって、平気のへいざ。
ひざ上まで完全にどろんこになっている。
それをみて、S夫妻も大笑い。
日本が大好きなお母さんなのだ。器用に日本語を話される。
「今日しかやれないから、思いきりやりな。どろんこあそび!」
これが、そのSさんの奥さんのセリフだ。
白人の女性から、大声でこういう言葉が出てくると、ちょっとギョッとするが、言う内容には賛成である。
日本人も負けていないで、田圃でどろんこになりなよ!と思う。
うちの子は男の子だが、ついに裸足にならず、長靴で歩きにくそうに切株の上をわたって歩いていた。裸足になれ、と何度か言ったのだが、
「ぼくいい」
まあ、強制するほどでもないか、と思ったのでそのままにしたが、父親自ら、裸足になるべきだったかな、とちょっと思い返している。
どろんこ遊び、どろ遊び、汚れる遊び。
これを、今のうちにしておかないと、どこかで取り返そうとするから、やっかいだ。
小学生の中学年くらいまでなら取り返しできそうだが、高学年くらいになってからどろんこ遊びの借金を取り返そうとしても、いびつな形で現われてきてしまうのではないだろうか。
幼児期の「どろんこ遊び」だから、正常なのであって、心が健全に育つのだと思う。
雨の降ったあとの田んぼは、まだ水が少し、残っていた。
大部分は乾いて、ひびのはいった場所もあった。でも、長靴は、ずぶりともぐった。
ここを、3時間ほどかけて、歩き回ったのだ。
足の裏に、土の感触をたっぷりと、味わってくれたに違いない。
むいていただいた柿を食べ、お昼のカレーを食べ、芋を食べ、土でどろんこになり、稲を干した。
たっぷり、という言葉がふさわしい一日。
帰りがけ、おみやげのイモを袋にさげ、川のほとりの林をぬけた。
林をぬけると、風が縦横に抜けて気持ち良かった。
見上げると、熟柿のような色をした夕焼け空。
うしろから歩いてくる友人家族、子どもたち。
その顔までが、淡い橙色に染まっていた。
家の近所の書店で、2009年の手帳をみつけた。
もう、手帳を買う季節なのだ。
自分が手帳を携え始めたのが、8年ほど前。
会社の中で異動があり、それまで野菜を売る運転手だったが、システムエンジニアに変わった。
おかげで日課が変わり、嫁をもらう予定もできて、多忙となったのがきっかけだ。
そのころ、「西村晃の「生産性」手帳術」という本を読んだ。
それ以来、手元にあるのは常に、生産性出版のエグゼクティブ、という種類の手帳だ。
友人で、「手帳の高橋」を推薦するのがいて、それがいかに使いやすいかと力説するのを聞いたが、わたしには縦線の濃さが気になってどうもダメだった。
要するに、ほんのちょっとした、ささいな点が気になるので、好き嫌いができ、手帳のフィット感が各自ちがうのであろう。万人向け、というモノが存在しないのは、手帳業界も同じなのだ。
手帳なんて、どれも同じ。
それはそうだ。
レベル、程度の差でしかない。
しかし、一度、これがいいなあ、と思うと、惚れていくもののようだ。
わたしは生産性手帳に8年間つきあってきて、もうこれで、自分の脳みそがフォーマットされてしまっている。これを塗り替える苦労よりも、さらに工夫を凝らす楽しみの方が期待できる。
そういえば、と、棚の上を探した。
一番上に、毎年使ってきた手帳を並べてある。
一番古いのが、2001年度のものだ。
結婚した年だったから、結婚式の関連のことがやたらと書いてある。
赤貧状態の結婚だったから、1円単位で、費用について悩んだ様子がわかって、なんともいえない。
日記よりもはるかに、当時の感覚がよみがえってくる。タイムスリップだ。
そのころから、手帳の使い方がだんだんとうまくなりだしたようだ。
次の年、手帳が汚くなる。
いつも使っているので、よごれるのだ。
それに、予定の書き込みが多く、スケジュール欄が埋まっている。
仕事用、プライベート用、と手帳を分けようかと悩んだ時期もあった。
しかし、結局は仕事もプライベートも一括管理がシンプルでよかった。
教員資格認定試験や、教員採用試験が間近になってくる時期の手帳には、やたらと書きなぐりが目立つ。メモ欄が判読不能。図も絵もアイデアもかきなぐりで、おそらく論作文対策のためにいろいろと考えていたときのもの、と思う。
今も同じだが、とっさに思いついて、道路でも駅でもコンビニでも、そのときに書きつけることが多いし、もう癖になっている。
そうでないと、「わすれてしまう」からだ。
また、手帳を何度も開くので紙がこなれて手帳がふとってくる。
一番ふとっているのが、2005年のもの。
職が変わること、引っ越しをしたことなど、かなりいろいろなハードな時期をすごしたのが思い起こされる。
ふせんや資料が貼ってある。
ふせんは今でも現役で、職員室にもふせんが数種類、つねに机上に置いてある。これはTODOリストを一項目ずつ整理するためのものだ。
ふせんにやるべきことを書き、右側に貼り付ける。その週のうちにやれなかったら、次週ページに移動してまた貼っておく。ふせんは何度も貼りなおせるから便利だ。こうして持ち越していくと、たいがい、一か月を越すことはない。
嫁さんが、同じ書店で、かわいいキャラクターの手帳を買っているのをみると、書きにくくないかなあと思わず言いたくなるが、人それぞれでいいのだ。
私は今年も、生産性手帳。エグゼクティブ。
これをすっぽり、ジャストサイズで入れられるかばんのポケットもある。
そろそろ、来年が視野に入ってきた。
教員資格認定試験がニュースになっている。
追加合格者が5人出たそうだ。
どうして採点ミスが発覚したか。
読売新聞の記事では、
「5人のうち自己採点した1人から「不合格のはずがない」と申し出があり、発覚。」
とある。
つまり、自己採点で、6割を突破していたのだ。
教員資格認定試験では、6割以上、正答があれば、合格する。
これは、採点基準が公開されているので、明らかだ。
5人のうち、不合格のはずがない、と申し出をした人は、エライと思う。
自分の人生だ。
試験は、良かれ悪しかれ、それが人生の大きなターニングポイントをつくってしまう。
いつのころからか、試験というシステムで人の配置を決めるという決まりがつくられ、その社会の仕組みにそって生きていくしかない以上、試験結果に敏感になるのは当然だ。
私は、この試験で現在の職を得た。
今回の件は身近な話題。
ミスに気づいて無事に2次試験に進めた人たちに、最大のエールをおくりたい。
勤務校に、栄養指導のための実習生が来ている。
栄養教諭となるための勉強だそうだ。
「先生のクラスで、授業をさせてください。」
との話が先日あり、了解していた。
その授業が、本日、私の学級で行われた。
短期大学の女性の先生。
若い。笑顔がすてきだ。さっそく、子どもたちがとりまいて、あれこれ話しかけている。
さて、その授業が始まって、驚いた。
見てすぐ、目にとびこんできたのが、持参してきた模造紙。
栄養を種類に分けた、「栄養三色」の説明が書かれてある。
働く力になる黄色、血や肉になる赤、身体の調子を整える緑の3色。
それはよい。
その周囲に、色とりどりのカラーペンで、かわいい花やぬいぐるみのクマのようなキャラクターが、ところせましと書かれていたのだ。
発達障害のある子はもちろん、そうでない子も含めて、これが目に入らない子はいないだろう。
「かわいい~!」
受けをねらいたい、という目的があったのか。
それであれば、目的は半分、達成されていた。
このことについて、最初は、これは伝えた方がよい、と思った。
「あのキャラクターや絵は余計な情報だと思います。気になってしかたのない子にとっては、とても罪なイラストです。混乱をまねく情報ですから、ない方がよいと思いますよ」
こういうふうに、伝えたいと思った。
「ぜひ、言っておこう」
そう、かなり強く、思った・・・・はずだった。
すみません。
そう思っていたのですが。
あいにく、授業が終わるころになると、おそろしいことに、私の中の考えが変わっていた。
下手に気を悪くされても困るしな。ずっとつきあう人じゃなし。ここは、ありがとうございました、と一言で終わっておこうかな。
そう思って、ついに、このことを言わずに一日を終えてしまった。
今、ここでこうやってEduブログに書きながら、反省している。
と、話はここで終わらない。
自分はどうなんだ、と省みて、思うのだ。
初任者という立場。
同じようなことをやっているのかもしれない。
これは帰りの電車の中で、ふと思いついたことなのだが、
他のベテランの先生が見て、
「あれは子どもを馬鹿にしているな」
と感じることを、してしまっているのかもしれない。
そして、そのことを、今日のわたしと同じように、
「言っておこうかな」
と思ってくれたかもしれない。
で、同じように、
「でもやっぱり、やめとこ。人間関係悪くすることないし。言って誤解されて、気分悪くされても困るし・・・」
と思われていたら、どうしよう・・・。
帰りの電車に揺られながら、
「もしかして・・・」
と思うと、
自分はちゃんと、叱ってもらえる人になれているか。と自問したくなった。
愛想笑いで、適当におだてられて、言ってもらわずに損をしていることはないか。
逆に、しっかり声をかけてくださる先輩、叱ってくださる先輩に、よし、と思ってもらえるように、感謝の気持ちでもって、その言葉を受け止めているだろうか。
教師は本を読め、という。
前年度の学年主任の先生は、
「学ばない教師は悲惨」
と言って、私をやたらと講座や研修に誘ってくれた。
忙しいふりをして、学校の用事ばかりをこなそうとする私を叱咤してくれた。
夕方6:00すぎの電車に何度もご一緒させていただいた。
7:00からの講座に、ぎりぎり間に合ったことが何度続いたか。
道中、
「学べ、学べ」
という話ばかりであった。
新刊を紹介してくれ、わたしがそれまで知らなかった著名な先生を何人も教えていただいた。
「月に一冊も読まないようじゃ、堕落していくよ」
もう、あと何年もない。
自分がもう、やりたくても教師はやれない。そういう年月が迫っている。
定年間近で、私になんとか、情熱を注いでくれようとした。
こういう影響で、本を買うようになった。
書店による暇がない。
深夜にネットで検索して、買うようになる。
本を購入するスタイルが変わり、AMAZON一辺倒になった。昨年来、ずっとそうだった。
どうせなら、と思って、AMAZONのクレジットカードをつくり、ポイントを稼ぎながら本を買い続けていた。
・・・そうしたら。
AMAZONのクレジットカードが、中止になりました。という連絡があった。
サイトには、
2008年12月15日をもちましてサービスを終了する運びとなりました。
とある。
諸般の事情がなんであるにせよ、それを受け入れなければならない。
利用者側としては、非常にめんどうくさい。
次に、本を安価に買える、別の手段を講じなければ、という気になる。
大学の生協が利用できた、以前の勤務先が偲ばれた。
さて、どうするか。
今日も、気合いを入れて学校へ。
白半袖のYシャツに、紺の小紋柄ネクタイ姿。
学校へ到着して、おはようございます、と挨拶をするなり、
「あれ?今日は出張?」
玄関前を掃いていた、教務の先生に声をかけられる。
竹箒を立てながら、
「すごいビシッとしてるねえ」
「いやあ、そんなのとちがうんですけど・・・でへへ・・・」
とわけのわからないリアクションで、その場をやりすごした。
Yシャツで廊下を歩くと、緊張が募る。
もうすぐ職員室だ。
緊張。
背中が熱く感じる。
思い切って、扉を開けて、
「おはようございます!!」
入り口すぐの男性が振り向いた。N先生だ。
白TシャツにジャージのN先生がこっちを向いて、挨拶を返してくれた。
しかし、それだけ。
なにもコメントなしで、パソコンの画面を見ている。
忙しそうだ。
よし、と思いきって、歩みを進めた。
自分の机の上にかばんを置き、一呼吸。
向かい合わせの主任、K先生に、挨拶を。「K先生、おはようございます」
先生は、あれ?という目をしながらも、
「今日、ピアノの練習、中休みでしたよね!Mくんたちの・・・」
そうそう。Mくんたちが、合唱大会に向けてピアノ練習する日だった。
ここらで、安心感がどっとおしよせてきて、ほっとできた。
つまり、みんな、忙しくて、こちらの服装など、あまり気にしていないのだ。
よかった。
そうだ、そうだ。みんな、自分のことで大忙しなのだ。そんなに、ネクタイしめてるからって、大ごとでも、なんでもないよな。
そう思うと、自意識過剰だった自分が滑稽に思われてくるほどだった。
ハハハ。
内心、急激につのってきた安ど感から、思わず笑い出しそうになったほどだ。
さ、さっそくお茶を一杯、のどをうるおしてから、授業の準備に入るか・・・
と、ふりむいたとたん、
「え~、どうしたの、今日?だれか来るの?指導主事?」
と大声がして、年配のT先生がこちらを見ている。
「え・・?あ・・・?」
「ちょいちょい、お~?どうしたの~。そんなネクタイなんかしめてさあ~」
職員室の大勢が、こっちをふりむいている。
中には口を半開きにして、笑っているような表情も見えた。
やっぱり、ネクタイ姿は、本校ではかなり、めずらしいようでした。
たまらず、2時間目には外してしまいました。
さて、いつになったら、Yシャツ姿で、ゴーイングマイウェイできるのでしょう。
やはり、ジャージが制服なのかなあ・・・。(本校は)
久しぶりに、教室がシーンとなった。
算数。
教科書の二等辺三角形を見つけて、そのすべてに
「二等辺三角形」と書きなさい、と指示したのだ。
その後、シーンとした教室に、鉛筆の音だけが響く。
あれ、と思った。
なんで、こんなに静かなんだろう??
いつもはこんなことないのに・・・。
子どもにはやはり、作業をさせるべき、なのかなと思った。