叱る、という場面が、この1年間、何度もあった。
前年度までとちがうのは、叱る、ということが、なんと愛情深い行為か、ということ。
そのことに、気付いた。
同学年で、いっしょに叱ってくださった、主任の先生のおかげだ。
わたしのクラスの現状を知り、具体的な話をきいて、わたしといっしょに、しかってくれた。
そして、わたしの目の前で、本気で叱る、ということをやってみせてくれた。
どう叱るか、を話してくれたばかりでなく、目の前で叱ってくれた。
これは本当に、ためになる出来事であった。
学ぶことが多かった。
クラスの、女ボス。
これに、真剣に向かうことで、2学期後半がようやくもったのかもしれない。
いろいろなことに気づかせてもらった。
真剣に叱る、ということが、教師にとっても、人生をかけた勝負だ、ということ。
叱る、ということが、すこぶる、エネルギーのいることだ、ということ。
叱ることで、子どもと近くなれること、信頼してもらえるようになる、ということ。
あのチャンスで叱らなかったら、「叱りそびれ」になってしまっていただろう。
表面的には、ものわかりのよい先生になっていたかもしれない。
しかし、その結果、子どもの気持ちをくみとれない、無理解な先生になってしまうこともあろう。
こわいのは、今回はたまたま(?)主任の先生に助けていただけた、ということだ。
もし、同様なことがあったとき、わたしが気付かなかったら、あるいは、叱りそびれていたら、どうなっていただろう。
今、本当に、叱ることのできる教師になれているとは、言いがたい。
どうしたら、その感覚を研ぎ澄ませていられるだろうか。
今回、叱るときに、叱る、という感覚が、途中からなくなってきた。
そのかわり、その子の心を、聞きたくて、知りたくて、たまらなくなっていた。
教師は、問う。
子どもは、懸命にこたえようとする。
本当に、それで、あなたが幸せになるかどうか。
私には、そう思えない。
本当に、楽しい、と思えているのか。
学校が、本当に、これからも楽しくなるのか。
あなたのやっていること。そのことが、あなたを幸せにするのかどうか。
あなたにとって、幸せとは何か。
それが、最高に気分のよいことなのか。
腹を立てて友達をなぐる。
そのときの気持ち、心、状態、心の中に、真剣に向き合えるように、問い、促していく。
主任の先生の、問いかけが、見事であった。
それを隣で見ていながら、足がふるえそうになるくらい、私も緊張していた。
子どもに向き合う、真剣さ。
さすがだ。
そして、感心してる場合じゃない。
私が、自分自身が、それをやれるようになっていかねばならない。
2007年12月
冬休みになって、朝、コーヒーをのみながらボーっとしている。
すると、なんとはなしに、うかぶ顔がある。
子どもたちの顔だ。
顔だけでなく、ふとした、ハッとした、なにげない一言や、なにげない所作を、思い出す。
けんかばかりで、すぐに文句を言う子が、
目の前の鉛筆をさっと拾う姿、「あ、Sのだ」といって、Sくんの机に置く。
そういった、なにげない、ほんのささいな、ふとした瞬間。
ふと、そうした、という行為を、思い出す。
○○ちゃん!とよびかける、その声の感じだとか。
ドッジボールのボールに当たって、うずくまった友だち。
大丈夫?といって、心配そうに顔をのぞきこむ場面。
正解して、晴れがましそうな顔。
テストの前の、緊張した瞬間の、教室の、空気。
○○!将棋やろ!!と叫ぶ、元気のいい声。
いろんな場面が、ふとしたときに、浮かんでくる。
そういったモノが、ゆっくりと浮かび、自分の心の景色の中に、ふと、立ちのぼってくるのを、そのままに任せながら、
コーヒーを飲んでいるぜいたく。
それが、冬休み。
おさめ会。
職員一同に会して、駅前の料理屋で、宴(うたげ)。
2学期の幹事は、中学年、ということになっているから、3年生担任の私も、幹事の一人だ。
1週間ほど前から、
「先生、司会進行、よろしくね。」
といわれていた。
一応わたしも若手なので、言われた仕事はしなければ、と思っていた。
すると、終業式前日になって、
「先生、あと、余興も、よろしくね。」
と言われた。
同じ幹事である、4年の新任先生に相談すると、やるしかない、ということに。
「さて、どうしましょうかね。」とふってみると、
「わたし、なにも浮かびませんけど」
新任の先生が声をふるわせながら言う。
こっちだって何もわからないし、そもそも、学期末の宴が、厳粛なものなのか、それとも無礼講のものなのか、感触がつかめていない。
そこで、おそるおそる諸先輩に尋ねてみると、年季の入った温厚な男先生が、
「お疲れ様でした、とやるだけだから、気負うこと無いよ」
と、笑う。
「楽しければいいから」
しかし、その、職員室の諸先生の、「楽しい」 のレベルが、どのあたりなのか、分からないなあ。
平均年齢はかなり高いから、渋い、静かな、感じがいいんじゃないか、ということを話すと、新任先生もうなずきながら、そうです、そうです、と言う。
そこで、宴の中で、俳句会をやることにした。
季語を紹介し、自由につくってもらう。
ただし、そのまま五七五、じゃつまらないので、テーブルでチームを分けて、上の句をつくるチーム、中の句をつくるチーム、下の句をつくるチーム、と分けた。
それぞれをシャッフルして、適当に読み上げりゃ、なんとなく句、らしくなるんでないか、ということにした。
「あのう、俳句会とか、どうでしょう」
同じ幹事仲間の先生に相談すると、とても上品でよい、という。
ならば、とやってみた。
画用紙をたてに細く切り、マジックペンとともに配布。
ビールを飲みながら、みなさん、
「お~?俳句か~」
と書いてくれる。
ころあいを見計らって集め、
上の句、中の句、下の句、と担当者を壁際に立たせて、元気良く順番にいうことにした。
「給与出て」
「赤く大きく」
「明日がある」
なんという意味の無い言葉の羅列が出来上がるが、これが存外に受ける。
つまり、なんとなく、句らしくなれば、拍手が出た。
思いのほか、みなさん味わったようで、
「俳句、おもしろかったよ」
と言ってくれる人がいた。
経験が少ないので、みなさんの好みはよくわからないままだが、なんとか幹事を無事に務めることができたようだ。
スピーチをしてくださった方へのプレゼントと、最後のじゃんけんゲームのプレゼントも、かなり渋いものにした。手作りのリースで、干支であるねずみが餅をついている絵。
木製で、かなり素敵だ。かざっておきたくなる。これも好評だった。
しかし、こんなので、いいのかしら。
よく、そう思う。
教師になって、初任者研修もまだだし、転職組の教育実習回避ルートを辿ってきたから、教育実習もやっていない。
ふりかえると、一つ一つ、丁寧に教えてもらったことが、ほとんどない。
(もちろん、非公式にはある。それは親切な人がたまたまいたからだ)
そんなので、どうも、今ひとつ、自分に自信がもてない。
こんな感じで、教師をやっていていいのだろうか、とよく思う。
今回の職員室の先生たちを相手にしたおさめ会も、内心、
「そんなの、やったことないけど、いいの?」
という感じだった。
でも、やるしかない、でやってみた。
不安ながらも・・・。
所詮、教師とは、自ら学び、自ら育つものなのかも。
正解など、ないのかもしれない。
学校で、校内研究の看板づくりをしていたら、ピンポンとチャイム。
でると、うちのクラスの男子が機嫌よく立っている。
「先生、わすれものとりにきたよ!」
書写の教科書を取りに、いっしょに教室へ行く。
「先生、教室、きれいじゃないなあ!!」
黒板に、字が書いたままだ。
「オレ、先生の顔、ひさしぶりに見たわ」
この調子で、ずっとしゃべっている。
久しぶりに、休みの学校に来ているる、というのが、なんだかとても気分を盛り上げているらしい。
今日はこれから、書初めの練習をする、といって、去って行った。
なんだか、とても背が小さく見えた。
休みに入ってからずっと、大人ばかりいる空間にいたからだろうか。
小さくて、なんだかとても、いとおしく思えた。
そういえば、看板づくりのために、子どもの写真を印刷したり、画面で眺めたりしている。子どもが課題に取り組んでいるところの写真を撮りためたのを、公開研究会の発表に使うためだ。授業をしている最中に、写真も撮るなんてのが、かなりのワザで、あまり撮影できていないのだが、それでも研究会には出さないわけにいかない。
ハードディスクの中を、一生懸命に検索して、児童の写真を探している。
すると、いろいろと1学期のころの写真などがふと出てきて、それがとてもかわいい。
今より、ほんの少し、子どもらしい、幼いような顔が出てくる。
にくたらしいことを言うときもあるのに、仲間といっしょに、やんちゃな笑顔を見せているのをみると、愛らしい気持ちが湧いて来る。
こんな気持ちで、3学期の授業に入っていきたいものだ。
さて、今から。
職員室にもどって、作業の続きをやる。
PCに向かって、肩のこる仕事だ。
ぐいっと、背伸び。
窓を見ると、夕焼けだ。
冬至はすぎたが、本当に陽が短いなあ。
山の稜線に、陽が差しこみ、しだいに隠れていく。
ものの5分とたたぬうちに、すっかり、空の色がかわっていく。
今から、3学期終了を描いて、準備が始まる。
採用試験に合格し、年末には大掃除をしたいと思っていた。
部屋の棚や本箱に、大量の試験問題集やらなにやら、
「教員養成セミナー」だとか、たくさん並んだままだったからだ。
ようやく、このたくさんの荷物を、整理できる!!!
ウレシイ・・・。
というので、整理をしていたらば、
古い文書がいろいろと見つかりました。
念のため、と、とっておいたものばかり。
こんな文章が残っていた。十年以上前の文章だ。
●龍馬からの手紙
1997/07/04
今の世の中をみるにつけ、とかく若者のふがいのなさが目に余るわ。
個人的なタノシミの追及におわってしまい、もっとおおきな夢を画こうとする気概がないようにみえる。社会をつくっていこうというのは本当はごっつうオモロイことなのじゃがのう。個室に閉じ篭って、ビデオだのコンピュウタアなぞ、好きなことばかりでいいのじゃろうか。わしも他人事ではないわ、この日本の若者を覆う気風を何とかせねばならぬと思う。
幕末の頃は米国や英国のやっておったことに刺激を受けて、わしはカンパニイをつくる構想を練ったし、身分制度のない新しい社会を想像しては仲間と誓いあったものじゃ、必ずみなが幸せに暮らせる社会をつくろうと。
まずはそういう見本も必要じゃし、「お互いに腹を割って何でも言いあえる仲間になりあう・正しいと決めつけないで何度でもしらべる態度でやる・言うだけでなく実行実践型の人間になること」が大事だと思っている。
幕末にわしが気をおいていたのも、かいつまんで言えば、結局そういうことじゃった。
現代でも、同じことが言える。
わしは、もっと世間を広くしらべてみようと思う。新しい社会をつくろうと模索する人々が必ずいるものじゃ。そこから刺激をもらうのがよい。所詮一人の頭から出る知恵なぞ、たいしたことがないわ。わしには、吉田松陰という師匠がいたし、相棒もたくさんいた。かつて、だれも想像しえなかった、突拍子もない大きな夢だからこそ、案外と理に適っており、その実現も早いのじゃ。今の世の中は、蝿をわかすようにしておいて、あとから追うようなもので、小手先の解決ではなにも変わらない。わしはまず、日本中から「突拍子もない大きな夢を実現しようとしている人、グル-プ」を探しだし、見本だと思ってよくしらべてみたいと思う。
また、わしは幕末に「カンパニイ」の存在を知って驚いたが、今ではそれを発展させて、「誰も損をしない社会・みんなが一人のこらず大儲けできる社会」をつくろうと考えている。無理だアと、すぐ諦めるようではあかんのやぜ。どうせやるなら、馬鹿でかい夢だ、どうや、キミ、一緒にやらんか・・・。
坂本龍馬
平成八年 京都にて
(この文章は、京都酢屋 が主催する 「龍馬からの手紙展」に入選しました)
探索のために宇宙へ飛び立ったアポロ13は、電気コイルのショートが原因で故障してしまう。機体からは酸素が漏れ出し、乗組員の生命が危ぶまれたが、地上の人々との一体プレイが効を奏し、無事地球へ帰還する・・・。
息詰まるシーンの連続で大変見ごたえのある、映画『アポロ13』のDVDを観た。
さて、見終わって、これを道徳の教材に使えないか、チラリと思う。
このあたりが、ああ、教師になってきたかな、と思うところだ。
どのあたりが資料になりうるか、を考えているが、まだまとまらない。
しかし、物語の底辺に流れている「理」をさぐることで、子どもが感動できる要素をさがしだすことができるのではないか。
『アポロ13』は、これが事実だということを考えると尚更そう思うのだが、死の危険と隣合わせであるにもかかわらず、乗組員たちが宇宙船の中であれほど冷静沈着に行動出来ることに感動する。
難事の連続で、とうてい帰還することなど出来ないと思われるのだが、誰もパニックに陥る人がいない。
「誰のせいでこうなった」と責任の追及に時間を浪費する人もいない。
「もうだめだ」とあきらめる人もいない。
誰もが、自分の出来ることを正確に見極め、ただそれを全力でやるだけなのだ。
私はこれを観て、ある体験を思い出した。
「なぜ腹が立つのか?」
この問いに真剣に向き合った経験だ。
腹が立つのは当たり前だと、腹の立つ言い訳を言い張っていたのが、だんだんなぜ腹が立つのか、それを直視出来るようになってから、言い訳などどうでもよくなってしまった。
ヒューストンの宇宙基地に、時の大統領ニクソンから電話がかかってくる場面は印象的だ。
ニクソン「乗り組員が生きて帰ってこられるかどうか、その確率は?」
ヒューストン「無事戻れるようにするだけです。」
事態を直視出来るかどうか。
直視出来た人間にとって、確率などは存在しない。
ただ、やることのみが見えている。
NASAの職員は、事実と思いを分離し、人間の知恵を最高に生かしていく技術を知っているように思えた。
さて、道徳、になるか、どうか。
宿題。
漢字ドリルもおわり、計算ドリルも終わり、テストも終わった。
各教科の単元も、2学期分は無事に終了した。
さて、あとは無事に終業式を迎えるだけだ。
・・・と思って、子どもたちからのリクエストを聞き、お楽しみ会を行おうとしている。
通知表もおわり、出席簿も終わり、みんなきれいさっぱり。
OK!
と思っていた。
ところが、職員室の光景がいつもと変わらない。
他の先生は、忙しそうにプリントを刷ったり、パソコンをにらんだりしている。
「あれ、まだ通知表、これから?」
と隣の若い先生にたずねると、
「いいえ、もう終わりましたよ」
とのこと。じゃあ、何をそんなに忙しそうにしてるんだろう。
不思議に思って尋ねると、
「いやあ、2学期中にやっておかなくちゃ、ということがけっこうあるんですよ」
とのこと。
・・・・・
それを聞いて、不安になってきた。
何か、自分は、わすれちゃいまいか。
なにか、とても重大なことを、わすれているのではあるまいか。
あとでふりかえると、あ^-!!、と頭をかかえるようなことを、
わすれているのではないだろうか!!!!
不安な、最後の一週間をすごしている。
陰気なところから、陽気な解決が出てこようとは思われない。
何をするにしても、何を考えるにしても、額にしわを寄せていたらすぐさまそのしわをのばして、口元をゆるめ、楽しくなるように考えることだと思う。
もうじき、今年も暮れようとしている。ついさっきポストを覗くと、久しく会わない姉からハガキが届いていた。
りんごを贈った礼だった。赤いりんごのイラストが簡単に描いてある。
以前、無職で1Kのアパートに彼女と二人暮らし、という先のまったく見えない赤貧生活を送っていた。20代を世間ずれした感覚で生きてきたためか、貯金がなくても鷹揚としていた。
当時、姉がしきりと心配してくれていた。何をしているのか、どんな仕事があるのか、どんな仕事でも挑戦してみろ、など受話器の向こうから、控えめな忠告があった。
しかし当時、貯金もなく、パートナーの学費のことや、生活費のこと、なんだかんだと心配の種はさがせばたくさんあったと思うが、にもかかわらず、何も心配していなかった。
よくもまあ、こんな調子で、ここまでシアワセにすごしてきたなあ、と思う。
人生甘くない、という言葉もある。
けれどもふりかえってみると、自分には、ほとんどの境遇で甘い和菓子のような楽しさがつきまとっていて、そこそこに楽しく、あたたかな春を感じて生きてきた。
つくづく、幸運だったのだ、と思う。
そして、まさに風の吹くままに渡ってきた人生だ、と振り返って思う。
なんとまあ、気楽にやってきてしまったのか。
周囲の友人にも相当ずれているのがいる。石橋を叩いて、というより、風の吹くまま、という陽気なのがたくさんいる。昔から、かしこい生き方、というのがあるのじゃないだろうか、と考えてきたが、30代半ばまで生きてきて、ますます分からなくなってきた。
先日、そんな友人たちとじっくりと呑んだ。ふだん酒は呑まないが、彼ら会うと酒が美味しく感じる。最近、いよいよ教員生活が本格的に始まるというので、不安に思っていることを話した。
うんうん、とうなづいて聞いてくれたあと、
「不安だ、と思うだけで、脳がすごいエネルギー消費するみたいね」
さらり、と、言う。
そういう彼は、不思議な静けさを持つ人で、野心があるんだかないんだか分からない。まるで夢のようなことを、目に力を込めて言うかと思えば、努力とは無縁、といった風でもある。
さらり、とした涼しげな人である。
涼しい、人になりたい、と思う。
やせ我慢するでなく、明日を案ずるのでなく。
ただひたすら、今の仕事を、誠実にやっていこう。
ハガキの上に陽がおちて、赤いりんごがさらに大きく見えた。
将棋の効用、というのがあるらしい。
以前、将棋の効用、というので文を書いた。
学級で将棋トーナメントなどをしているが、それについて職員室で話題になった。
「先生のクラス、将棋やってるね。○○くんもやってるって?よかったぁ」
とのこと。
ADHD、LD、の子の世話をしている学級の先生がおっしゃっていた。
将棋をすることで、眼球運動になるらしい。
LDに対応した視覚検査と視覚トレーニングというものがあるらしく、そのトレーニング法の中に、将棋の効用も説かれているのだとか。
その先生に、ディスレクシア、という概念を簡単に教えていただいた。
ディスレクシアとは、簡単に言うと、字がゆがんでいるように見えるなど、正確に把握できない障害のことだそうだ。
文字に関する脳の機能に問題だということで、LD、という概念がかなり広いのにくらべ、それよりも限定的な概念なのかな、と聞いていて思った。
字を読んだり書いたりすることが極端に難しいという子がクラスにはいて、気にはなっていた。
全く読み書きができないのではないが、他の子供と比べて覚える速度が極端に遅い。
こういう子にとって、将棋のような、眼球が上下左右に連続的に動くもの、あるいはそれによって的確な情報を読み取らなくてはいけないもの、は改善の為のトレーニングになるらしい。
知らなかった。
「先生、いいことやってるみたいだねえ」
とおっしゃるので、そうか、とうれしくなった。
なお、読むのはそれほど問題ないが、書くのが極端に苦手となる「ディスグラフィア」というのもある。
なるほど。
ためになった。
3年生。
造形遊び。
くぎ打ちをする。
はじめてのくぎウチ。
短くかなづちを持って、少しずつ打つように指導した。
板に、くぎを各自100本ほど。
ビー球を用意する。
1)板に、ポスカ で絵を描く。
このときに、絵をかくよ、といわず、「もようをかこう」
という。
もよう、である。流れる水のような模様を描こうね!、という。
板書「ながれる、水のような音」
くぎを打って、ビーだまをころがすと、水のような音がするよ。ホントかな。
やってみよう。
ポスカで模様をかいたあと、くぎウチ開始。
2時間で、くぎを打ち終わる。
しかし、甘いので、どんどん抜ける。
床に、気がつかないうちに、たくさん落ちてる。
打ち込みが足りない。
そこを指摘して、さらに1時間延長。
ここまでで、今週は終わり。
来週、全員完成を見届けて、みんなで水の音を楽しむ予定。
その昔、日記に大真面目に書いた、文章が見つかりました。
以下。
目に映るほとんどのモノについて考えてみると、それらは人知の創りだした創造物であり、人間の知恵がいかに価値あるものか、ついため息がもれるほどです。エジソンひとりに限らず、すばらしい知能と持ち味を発揮できるのが人間の姿で、その持ち味を最大に生かし、役立てることだと思います。
小学校の教室では、そのスゴさの片鱗がキラキラ見えています。彼らが問題を解こうとする意欲はどこからでるのでしょう。困ったときに、なんとか工夫しようと考える態度は、人間が深い潜在能力をもっている証拠でしょう。それらにいちいち感心するのが教師の醍醐味ですが、こうして子どもらの顔をみていると、この子ら一人ひとりの頭脳を大切にし、伸びる機会を得させることが教師の任務なのだと思います。
・・・なるほど・・・。
1年目、学校という環境に、毎日通うようになった頃の、初々しい文章です。
これがホントに自分の文章か。。。
今、3年目。
こんな初々しい、みずみずしい、感性はどこへやら。
叱責と大声の日々で・・・。
反省しきり。