30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2007年08月

「お調子者」を考える:その4 何が不足しているのか




頑張って勉強することだ、と理想に向かって自分自身の中で緊張を高めていった。
立派な人格者であらねばならない、勉強しなくてはならない、努力しなければならない、と思い込み、ひたすらその道に邁進した。

たえず、自分をみがき、自分自身に対して努力を強いた。そうしているうちに、肩こりも始まったようであった。

社会の価値に同調し、それの実現にむけて自己を強迫する。私の青少年期の生き方は、まさにそうだった。社会が認める価値しか、目に入ってこなかったからである。他にまったく別の価値観があるなどということなど、当時の私がどうやって知り得たろう?

落ち着きがない、協調性が足りないという指摘もあったが、自分では一生懸命社会の価値に同調しているつもりだったのである。だから、協調性がないとか自己統制できない、という、なんらかの欠落を指摘されると非常につらい思いがした。一生懸命やっているのに、この上なにが足りないというのか、と叫びたい気になった。

私にはむしろ、社会の一般的な価値に自分をあてはめようとしすぎた、その過剰さの方が問題となっていたのではないかと思う。自分がお調子者であることや、生来のノリの良さ、その辺をもっと自覚していたら、肩こりにもならなかったような気がする。

足りなさを指摘されるだけでは見えなかったものが、過剰さ、というふうに言葉を代えてみると、まるで言葉の補助線をひいたように、それまで見えなかった問題が浮かび上がってくる。私にとっては、過剰さの方が深刻な問題であったのだ。(つづく)




「お調子者」を考える:その3 この子には、落ち着きが足りない




このような私について、周囲の大人たちは次のように語った。

「この子には、落ち着きが足りない。協調性が不足している」

私自身、十分にそれを感じていた。反省もした。

しかし、その足りない落ち着きというものをどうやって獲得したらいいのか、不足していると思われる協調性をどうやって新たに身につけたらいいのか、その処方の仕方についてはまったく見当がつかず、途方に暮れた。

親や先生は、よくこう語った。自分の人生には無限の可能性がひろがっている。それをどう生きていくかは、まったく君の自由意志にかかっている。どんな人生を送ることだって出来るのだから、一生懸命頑張って、立派な一生をおくってほしい、と。

私は、その言葉がよく分かったような気がした。

「自分の人生なんだからな」

そう言われると、この一生を本当に頑張って行きていこう、という気になった。
理想を求め、現在に安住せず、たえず充実した意味の世界に生きていこうと、厳しい行動習慣を自分自身に命じるようになった。(つづく)




「お調子者」を考える:その2 適度感覚と自制とコントロール




小学生のとき、ゾンビごっこが流行した。

ゾンビという死人の妖怪と人間のチームとに分かれて、互いに殺し合うゲームである。ちょうどそのような題名の洋画が映画館で上映されており、生来のお調子者気質からついつい見に行ったのだ。そうして、それがあまりにも可笑しかったので、さっそくクラスでもやろうということになったのである。

私はゾンビ役になった。
映画館で見たとおり、ゾンビーと叫びながら五体をふるわせ、ミシリミシリと音を立てながら廊下を歩いて行くと、クラスのボスが私の演技はうまい、と賞賛した。私はゾンビの親玉に昇格し、多くの子分を引き連れて人々を襲うはめになった。
ボスは私を指さし、「あのゾンビが一番手ごわいぞ」と怒鳴った。

私は銃やビームライフルなどで狙撃され、すでに身体中ズタぼろになっていた。しかし、そこは元々、死人のゾンビである。なんのこれしき、と残った力をふりしぼり、ウヌ、と叫んで電光のごとくボスに襲いかかった。逃げ惑うボス。
私たちは教室を走り回った。ところが、逃げ足のはやいボスを追いかけ回しているうちに、廊下と教室を隔てている窓ガラスを割ってしまった。
あまつさえ、それでもやめずにボスを追いかけ、ボスの首筋を本当に噛もうとした。私は心からゾンビになりきっていたのである。

幸い、大事には至らなかったが、私の適度を知らぬやり方は大変な非難を浴びた。クラスの担任は、ため息をもらしながら「もうちょっと落ち着いてくれよ」と嘆いた。

私には、適度感覚というものが育っていなかった。何でもやり過ぎてしまうのである。コントロールができない、というよりも、最初から過剰なやり方しか知らないようであった。そうして、自分ではまったくその気がないのに、なぜかやり過ぎてしまうのだった。 (つづく)




「お調子者」を考える:その1 肩こり中学生のころ




中学生になると、ひどい肩凝りに悩まされるようになってしまった。

机に向かっていると肩が張り、首の筋肉が固まってくる。頭が重くなったように感じて持ち上げると、首の付け根に鈍痛を感じる。肩を指でつまんでほぐしていると、これが何とも言えず気持ちいいのである。ピップエレキバンが私の愛用品となった。なんともじじむさい、中学生である。

この肩凝りは高校入試に合格するとすっかりなくなってしまった。
私は身体が軽くなったことを実感して、安堵のため息を漏らした。

しかし、安心するのはまだ早かった。
重く鬱々とした気分をもたらす痛みは、それから何年もたたないうちに復活したのである。
私は東洋医学と全身のツボの研究にいそしみ、教科書を読むよりもそっちの方が忙しいほどであった。ところがさらに驚くべきことに、今度は大学へ入学すると、肩こりはあとかたもなく解消してしまった。不思議だ。あれはいったい、何であったのか。

中学生の同級生に尋ねてみても、肩こりで悩む者はあまりいないようであった。自分だけが、早くから世間一般の中学生をだしぬいて、更年期障害か四十肩か知らないが、肩こりで悩むようになってしまったのである。それがどうしてなのか、当時は分からなかった。

だが、今振り返ってみると、ちょっぴりその理由がわかるような気がする。

つまり、私は親や先生からの要請、期待というものに過剰に反応したのではあるまいか。せいいっぱいその期待に応えようとしたあまり、少しばかり、「やり過ぎた」のではなかったろうか。

小さい頃からお調子者だった私は、ふだんから落ち着きがなかった。
小学校でもだしぬけに席を立ったり座ったりし、おまけに授業の文脈とはまったく関係のないことを口走ったりした。そのため、先生は早くから問題児だと目をつけていたらしい。遠足でも、浮かれすぎて先頭を行き、予定外の別のコースへ迷い込んでしまったりした。また、マラソン大会になるとクラス中の仲間が応援するので調子に乗ってはりきり過ぎ、顔を真っ赤にしてトップでゴールインしたのは良かったが、その後目の前が急に暗くなり保健室に寝かされたこともある。

つまり、どうも私はその場の空気に過剰に反応してしまうようであった。そうして、まったく自分の能力におかまいなくつっ走ってしまうのだった。(つづく)




実技試験 水泳




多くの自治体で、水泳の実技が試験されるだろう。
前もって練習できればした方がもちろんよい。
本番で、どうするか。

水泳は、美しいフォームを知っている、とアピールする。
それにふさわしい泳ぎは、平泳ぎだ。
クロールは、ある程度のリズムが必要だから、
バシャバシャやっているうちに、面接官の前を
通り過ぎてしまう。

何人もの受験生をみていく面接官。
くっきり、しっかり、アピールしないと、
ああ、泳げるね、という感想しか、抱いてもらえない。
クロールでも、フォームがみだれず、安定していれば好感される。
クロールが苦手な人、とくに息つぎで、顔があがってしまう癖の有る人は、平泳ぎがよい。

平泳ぎでは、すっきり伸びて、すっきり泳ぐ。
これがコツ。
ひじは、ハイエルボー。
大きく、確実に水をかく。
とくに、すっきり伸びる場面。体全体が、一直線にピンと伸びる。
ここで、ぐいっと水の中を進む。ここを、しっかり見せる。
そうすると、泳ぎ全体がていねいできれいな泳ぎに見える。

あとは、プールサイドでの立ち居振る舞い。
練習時には、他の受験生に迷惑をかけない。
順番を譲る配慮、列をみださない、だらだらしない・・・。




子どもがよくなる、ということ




子どもがよくなる、という本をたくさん読んだ。
授業がよくなる、子どもがよくなる。
よくなる、の中身はナンだろうか。

本当に、よい、とは、ナンだろうか。
そこがしりたい。見えるようになりたい。見える人になりたい。

子どもにとって、と考える。
教師は、そう考えるようになっている。
そう考えられないようじゃ、教師といえない。
何でもそう考えられるから、プロの教師としてやっていける。

でも、ふと、考える。
子どもにとってよい、とはどういうことか。
表面の結果や効果をみて、よい、とどこまで言えるか。
キメツケなしで。

楽しそうだから、喜んでいるから、テストができるようになったから、
だからよい、と言えるか。
学校に来るようになった、学校が好きになった、だからよい、と本当にいえるのか。


自分も、そういうことに、いちいち迷っているうちは・・・。




日常から離れて ~教師の夏休み~




とにもかくにも、2学期が始まる。
やりきった充実感とともに、現実の子どもたちとの、また新しい生活がはじまる緊張感。

この夏に、自分の中にどれだけの内容の充実、中身の充実がはかれただろうか、と考える。

自分の生き方、その方向性。
方向性が、正しい方向へと向いていっているのか。
その方向、矢印の向きはどうか。
矢印の大きさはどうか。
ベクトルは。

日常に忙殺されている最中には、考えが及ばない。
やりきったあとの、頭の中が軽くなったような、この一、二週間の思考回路。

中身は、どうなんだろうか。
自分の中身。

子どもたちの幸福が、みえる人になっていっているのだろうか。近づいているのだろうか。




模擬授業のポイント




さて、
模擬授業。
練習の成果が出るか。

結果を先に言うと、わりと落ち着いてやれた。
また、やっている最中に、ふと、意識の中で面接官の存在を忘れる瞬間があった。

あとで学年の先生に言ったら、

「ああ、じゃ、いい授業ができたのよ」
と言う。
「子ども以外のもの(面接官)を見てるようじゃ、いい授業とはいえないよ」

つまり、授業参観で親が気になるようじゃだめ、試験でも面接官が気になるようじゃだめ。
・・・ということらしい。
練習を、くりかえした成果があったのだろう。


模擬授業のポイント。
1)最初の挨拶。
受験番号、氏名、題材を、直立不動で、はっきりと区切って言う。
それから、すべてを言い終えたあと、一拍の間、待ってから、
静かに
「よろしくお願いいたします。」と礼をする。

そして、きびきびと教壇に立ち、
第一声をはじめる。

2)第一声
落ち着いて、なおかつ、高いトーン(はりのある声)ではじめる。
すると、その続きの声も、高いトーンで、明るい声がでる。
上手に見える。

3)子どもを扱う場面を見せる
発問、指示によって、子どもに作業をさせる。
あるいは、黒板に出てきてもらって、作業をさせる。
その際の、子どもへの声のかけ方、助言の仕方、姿勢などに気をつける。
子どもの立場に立っているか、子どもの目線に立っているか、を意識する。

4)ほめる
姿勢をほめる、
声をほめる、
意欲をほめる、
笑顔をほめる、
回答をほめる、
指示の通りにやれたことをほめる、
いろいろ、ほめることがある。目標は、1分に一度、誰かをほめる、あるいは
みんなをほめる。

5)笑顔
ほめるときに、笑顔になればよい
一度、しっかりした笑顔がでてくると、次から次へと笑顔が連鎖する。


さて、面接と模擬授業が終われば、あとは実技である。




2回目の2次試験 面接のコツ




2次対策について。

○面接
○模擬授業

すべて、練習がものをいう。
あとで後悔しないために、練習をする。練習を、重ねる。


面接は、全部で40問考えた。
このすべてに対して、2~3文で答えられるように、準備をする。
くりかえすが、だらだらと答えてはいけない。

次の通り。

1\tここ(受験会場)までどうやって来ましたか。(→リラックスさせるための質問)
2\tなぜ教員をめざすのですか
3\tこれまでどんな仕事をしてきたのですか
4\t前職ではどんな仕事をしましたか
5\tその後はどんな仕事をしたのですか
6\tなぜ会社を辞めてまで、教員をするのですか
7\tなぜ小学校なのですか
8\tなぜ幼稚園ではないのですか
9\tあなたは小学校の教員に向いていますか
10\t将来、どんな教員になりたいですか
11\t児童の気持ちをどうやって理解するのですか
12\t講師の体験から印象に残っていることを教えてください
13\tどのようなクラス目標を掲げていますか
14\t講師としてこれだけはやってきたぞということはありますか
15\t講師として、これは成功したなということはありますか
16\tこれまでにどんな力をつけてきましたか
17\tやってみたい授業はありますか
18\t県の教育ビジョンについていかがですか
19\t授業についていけない児童にどうしますか
20\tわかる授業をどう進めますか
21\t今の教育に求められているのはどんなことですか
22\t自閉症の児童についてどう対応しますか
23\t豊かな心を育むためにどんなことをしますか
24\tどんな子どもを育てたいですか
25\tあなたの長所と短所はナンですか
26\t自分が児童のときとくらべ、今の児童についてどう思いますか
27\t家庭教育が本来担当する躾ですが、学校はどこまで躾にかかわるべきですか
28\t児童生徒との信頼関係をしっかりしたものとするために、あなたはどのようなことを念頭においていますか
29\t長い間休んでいた児童に、どのように対応しますか
30\t不登校の児童に対して成すべきことはナンですか
31\t授業中、急にとびだした児童生徒をどのように指導しますか
32\t明日から夏休み、子どもたちになんと言いますか
33\t始業式、最初にどんなあいさつをしますか
34\tLD児、ADHD児、アスペルガーの児童にどんな指導をしますか
35\t学習意欲を引き出すためにどんな工夫をしますか
36\t保護者からうちの子がけがをさせられた、ということで連絡があった。どうしますか。
37\t保護者に対して注文がありますか
38\t公務員の禁止事項はなんですか
39\t教員の禁止事項はなんですか
40\t教員の服務規程はどんなものですか
以上である。

(これらは、WEBサイト「浩 の 教 室」さんの
良く出るかもしれない教採面接質問集
ttp://www.liberalarts.cc/mensetumondaisyu.html
を参考にさせていただきました。)


とくに、30代転職組のターゲットポイントとなる、3つの質問、

1)転職したわけ、
2)教職をめざすわけ、
3)※サラリーが減っても教職なのはなぜか

この3つを、短く、答えること。
自分の信念に照らして、なおかつ、県の教育目標に照らして、
誰にも文句のつけようのない回答ができるように、
準備することが大切である。

この3つをいかに言うか、練りに練っていこう。
その過程で、面接に対する心構えが整っていく。
言葉に、熱がこもっていく。
魂が、こもっていく。

とくに、※で示した、サラリーが減っても、の質問。
これは、要するに、2)の質問のくりかえしなのだが、
2)の理由を短くさらりと答えてしまうと、必ず

「え、それでも、それにしても、なぜまた???」

というニュアンスで、尋ねてこられる。
そのときは、具体的なエピソードを入れた、
説得力のある回答ができるようにする。

つまり、2段構えで、回答するのだ。初めは端的に回答し、あとから、詳細を述べるのだ。
だれもが、
「なるほどなあ・・・、ぜひ、がんばってください!」
と思わず言ってしまいたくなるような、エピソードをふまえた回答がのぞましい。

この3つが、上手に回答できれば、
新卒の方たちよりも、ぐっと一段、引き上げてもらえる(気がする)。
こちらの熱意を感じてもらえるからだ。
チャレンジしていく、という気持ちが、はっきり伝わる。
人生を切り拓いていく、という感じがある。

さて、
ここまできて、あとの設問で大きな失敗がなければ、
大方、スムーズに合格圏へ進めることが出来るのではないだろうか・・・。




2回目の1次試験




さて。
また、5月、願書を出す季節になった。
昨年と同じだ。
日常の担任業務に忙殺されながら、願書を書いて出す。

講師はもう、こりごり。
4月に引っ越すのはもう、こりごり。

何よりも、子どもたちに、申し訳ない。
本当の先生ではないのだから。

たしかに、子どもたちにとっては、本当の先生だ。
子どもたちの前では、私も本当の先生だ。
それ以外の意識では、教壇に立っていない。
しかし、職員室では、つねに、講師だという自覚が、心のどこかに、ある。
それが、学校生活の隅々に、何かしら、影響している。


6月。
教職教養の対策を始めた。
昨年と同じく、過去問を再度、解きなおす。
この必勝パターンに、自信がゆらぐことはなかった。

我は、30代転職組。
時間がないのだ。
最大効率で、効果のあがる勉強をするしかない。
目標は、1次合格。

北海道と似た傾向の問題が出ると知ったので、北海道の過去問もやってみた。
同学年を組んだ先生が、図書館で勉強しなさい!と、半分強制的に、命じてくれる。
ありがたかった。
「とにかく今年、ぜったいに受かりなさいね」
こう言って、帰宅時間厳守を強制してくれた。
何にもまして、この学年でよかったと、思えた瞬間であった。
夕方、時刻になると、過去問題集の入ったかばんをもって、近くの図書館へ通った。

7月になった。

1次。
昨年度とまったく同じ会場。
あまり緊張せずに、すごすことが出来た。

さて、服装。
周囲に黒いスーツ姿が多い中、半袖の軽装でのぞんだ。
白いYシャツ、半袖、といういでたちだ。
上着無し。
なんだか胸元がたよりなかったから、ネクタイだけは締めた。

結果発表。
1次は合格できた。
私は、スーツ上着無しの方が、合格するタイプらしい。

勝因を、振り返ってみる。
昨年と同様、過去問を解いたのがよかった。
面接は、講師経験を生かし、
「どの質問にも、教師の立場で言う」ということを意識して回答した。
一見、なにげない質問に対しても、学級経営をする担任から見て、という立場で、答えた。

論文対策は十分でなかったので不安もあったが、最後のマスまでうめることができた。
序論、本論、結論、という3部立て構成を、正直に実践した。

結果、合格。
すぐに2次対策である。




やせた




3月、学年末に3キロ、やせた。
4月で、学年開始に、4キロやせた。
5月のゴールデンウイーク、忘れ物をとりに、以前の学校へ行ったところ、旧知の先生がひさしぶりに私を見て、
「やせたねえ~」
と驚かれた。

自分はそれほどやせたつもりがなく、元気なつもりだったから、
「病気じゃない?大丈夫?」
と、会う人毎(ごと)に言われたのが気になった。

環境の変化が、ストレスとなり、かなり影響されるらしい。
ストレスに強いつもりだったが、実は、・・・弱かったようだ。

でも、気分はちっともめげていなかった。
気持ちは、まったく疲れていなかった。
はりのある、学校生活をおくっているつもり、であった。

「講師も楽しいよな」

と、思っていた。

しかし、その一方で、別の気持ちがあることも見えてきた。

もう、講師はこりごりだ、という気持ちだ。
また来年度、学校が変わるなんて。
ころころ春のたびに環境が変わって、
そのたびにやせていくのはいやだ。

なんとか、今年こそ、合格せねば。




新しい学校へ引越し




3月、教育委員会からお呼びがかかる。
教育事務所へでかけ、諸手続きを行った。

教育委員会の事務室で、再度、講師登録の書面づくり。
あとは、簡単な面接があった。

それらを無事におえると、いよいよである。
新しい学校へ、赴任することになった。


講師の新年度は、引越しから始まる。
教室や学年室にたまった、1年分の資料や道具のたぐい。
段ボールに、何箱にもなる。
車がないから、レンタカーで運んだ。
新しい学校までの道のり。
初めてだから、地図を何度も確認した。

4月。
新しい学校への、通勤が始まった。
これまでとは、違う道のり。
電車に乗る時間も、乗り降りする駅も、これまで慣れ親しんだ毎朝の通勤風景が、いっさい変わった。

いろいろな変化があった。
通勤の仕方が変わり、
職員室が変わり、物の置き場所が変わり、
学校のルールが変わった。

上司が変わる。
学年が変わる。
子どもが変わる。

いろいろな変化に直面する。
これまでとは、ちがったルールで、日常がはじまった。


これが講師。
当年勝負が、講師の宿命だ。




終業式の日




発表の当日は、校長も職員室も、全体が半旗を掲げたように暗く、
みんなが自分に気遣ってくれるのがわかった。

さて、それから試験のことは忘れて、学年末まですごす。
もちろん、学級担任として、子どもたちの先生としての日常生活だ。
自分が受験生という意識はほとんど消えた。



さて、次の年。

教育委員会から連絡があり、新しい学校への赴任を打診された。
もちろん、どんな学校でもやらせてください、と答える。
これまで、2年間お世話になった学校には、感謝ばかりだ。
教育実習も受けず、初任者研修も受けず、なにも知らずに教壇に立った。
それでも、一応は先生としてやってこれた。
周囲の方が、助けてくれたからこそ、である。

最終日、サプライズがあった。
なんと、終業式当日、教室で最後の時間をすごしていると、保護者が何人も教室に訪れた。
なんだろう、と思っていると、クラスの子がいきなり、それでは先生へ感謝の会を始めます、といって、立ち上がった。
あれよあれよ、というので、司会進行がはじまり、みんなで作成したメッセージボードと、花束の贈呈があった。保護者からも花束が。
拍手が起きる。
目の前で起きていることが、信じられなかった。
自分が、その輪の真ん中にいる。

そういえば、先週からずっと、子どもたちが
「先生はみちゃだめだ」といって、なにかつくっていたが、それが、メッセージボードだったのだ。何かの遊びなのかと思っていたら、こんなサプライズだったとは。

終業式の日、学校全体からの花束と、子どもからの花束と、保護者からの花束と、3つの巨大な花束をもって、帰りの電車にのった。

夜のラッシュ。
とても目立った。
花束を持ったままでは座席にすわれず、荷物をまわりに置いて、立ったままでいた。
扉からのりこんでくる人たちの多くが、その巨大な花束を見て、おどろき、そのままスッと視線をあげて、私の顔をみる。

はずかしい、という気はしなかった。
かわりに、子どもたち、学校への感謝の思いと、
もうひとつ、ほこらしい気持ちが素直に湧いてきた。




2次の失敗(その2)




次に、

「なぜ、一つ目の会社を辞めたんですか」

と再度、丁寧に尋ねられた。

「土日にスクーリングへ行くために、土日にしっかりと休める会社にかわりたかったのです」
と答えると、

「土日を休みたかったんですね」
というので、
「はい」
と答えた。

これも、なにか、とんちんかんな応答のような気がする。
話の力点が、土日を休む、ということにすり替わってしまっている。
面接官に、何を感じてもらいたいか、しっかりしたものをもっていないと、こういうことになる。
頓珍漢なやつ、と思われても仕方がない。

さらに、

「これまで子どもとの関わりがなかったのに、どうして子どもとかかわる教師の世界をめざしたのですか」

これについては、

「いや、実は、関わりがまったくなかったんじゃないんです。・・・云々」
と、微細な記憶の中から、昔、遠足のような子ども集団の来訪を受け入れたことがあったなあ、ということを思い出し、考えもないのに、話し出してしまった。
さして強烈なインパクトのある話でもないのに、だらだらと話してしまったのだ。
もちろん、最初から、話すつもりもなかった内容。
練習の時点では、いっさい、頭の中になかったことをひねりだしたのだ。
密度のある、内容の濃い、充実した面接には、ならなかった。
空気が、だれてしまった。

授業と同じである。
空気がだれてはいけない。
テンポとリズムが必要。
それには、短い発問に対して、短く端的に回答することである。

面接の反省。

人生の焦点となるような話題、のみを、語れ。
なにを訴えたいか、伝えたいのか、自分のどこをPRしたいのか。自分ががんばってきたことは何なのか。
それ以外は、語るな。喋るな。短く応答せよ。




2次の失敗(その1)




面接で、長くしゃべることのメリットは、ない。
ああ、この人は、丁寧に、くわしく語ってくれたな・・・、などと評価されることはない。
長くしゃべるほど、的を得ていない、端的に話すことができない、と診断される。

話すのに、短すぎる、ということはない。
短いことをおそれてはいけない。
短く返答し、不足があれば、また試験管がそれについて、
「それはどういうことですか(具体的にはどういうことですか)」
と尋ねてくれる。
それに答えていけばよい。

私の場合、転職のくだりを、長く喋りすぎた。
ここが、30代転職組の、おちいる罠であろうと思う。
私は特に、会社をいくつも替わっていた。
それを、ひとつひとつ、説明しなくては、と思い込んだ。

「会社をいくつか経験されていますね」

という質問に対して、

「はい」

でよかったのに、

「ええ、実は、一つ目の会社のことなんですが・・・」

と話しすぎてしまった。

気がつくと、不機嫌そうな(・・・と私が感じた、受け取った)顔をした面接官の表情が
目に入った。

それまで、とうとうと、自分の事情を述べていたのを、あわてて、
「・・・・ええ、というわけで、そうなりました」と言い切って、
話をやめた。
これでは、しりきれとんぼの感がぬぐえない。




1次は過去問が有効




1次が合格できたのは、なぜか。
時間が短い中で、全体を網羅した勉強はとてもできなかった。
参考書も分厚すぎる。ほとんど、読んでいないページばかりだ。
なのに、なぜ、合格ラインに達したのか。

やはり、過去問を解いたのが、良かったと思える。

30代転職組、時間がない。
学級担任をしているから、ほとんど勉強できない。
唯一、勉強したなと思えるのが、過去問だったわけだから、
この方法は、的を得ていたと思われる。

小学校全科は、指導要領を読むだけではだめだ。
量が多すぎて、やる気がうせる。
やはり、過去問を解いて、問題の意味を知り、その問題の解答を導く背景を知るために、参考書を「つまみ読み」する。
結果として、大事なところ、問題になりやすいところ、勘違いしやすいところを重点的に読むことになる。
問題が先。わからないところ、知りたいところを、参考書で読む。順番を間違えてはいけない。
参考書が先、問題が後、というやり方では、時間がない。それは、十分に時間のある、新卒・学生の方が取り組む方法だ。
30代転職組には、前者のやり方がよい。


あとは1次の面接だが、講師の経験が生きた。クラスの子どもたちを思い出しながら、答えていくことができた。
問われたのは、常識的なことばかりだった。

これで、総じて、1次はクリアできることがわかった。
次は、2次である。

結果を先に書くと、2次は落ちてしまった。
思い当たる原因をいくつか、述べてみる。

面接である。
面接で、長くしゃべりすぎた。




1次試験、当日




試験当日。

受験者の服装をみると、みんなスーツである。
気温は30度を超えている。
上着を律儀に着ている人ばかりで、不安になった。
こちらは半袖のYシャツ、ネクタイはしていたが、上着は無し。
どう見られているのだろう。
半袖でも、だいじょうぶだろうか。

その後、試験会場で軽装月間、というアナウンスがあり、
上着無しでも、ネクタイをしてもしなくても、合否には無関係です、ということだった。

しかし、みんな疑わしそうな顔をして、上着を脱がない。
クーラーは効いているものの、大部屋だし直接日が入るので、やはり暑い。
半そででよかった、と思う。

よくみると、30人に1人くらいの割合で、上着なし、という猛者がいる。
私も、猛者のひとりだが、内心、不安はぬぐえなかった。
試験監督者が何人も、こちらを見ている気がする。
もしかして、あんなことをいって油断をさせておいて、
半袖組はしっかり落とされるのではないか、という気がしてならない。
緊張が余計に高まった。

結果、1次は合格。
服装はやはり、無関係だった。
ホッとした。




1次試験の対策を考える




やるぞ、とふんどしを締めなおしてから、土日はがんばって図書館へ通うことにした。
平日はそれでもきつかった。
ただ、家族が寝静まってから、教職教養、とくに法規だけは集中して問題を解いた。
すぐに眠くなることがわかっているから、欲張ることはできない。
しかし、身に迫る危機感がだんだん募ってきて、やらずにはおれない感じがしてきた。

「早く寝てくれ」
と、家族にお願いした。

2歳の子が、早く寝てくれた。
妻が、そうして配慮してくれた。
子どもと遊ぶ時間は無くなったが、
「試験まではがまんしてほしい」
と話すと、妻も協力してくれた。
すまん・・・。寝室に向かって手を合わせた。


さて、勉強。
どんな具合に取り組んだか。
具体的には、下記の通り。

まず、1次の内容のうち、2)の一般教養は、考えない。考慮からはずす。
これまでの蓄積、高校、大学(通信制)を卒業した程度の学力があれば、大丈夫だろう、と考えた。

次。
1)教職教養

時事通信社の『教職教養スコープ』をかばんに入れて、通勤途中で毎日15分ほど読んだ。
あとは、過去問を3年分。ある程度、しっかりやった。
過去問は、時事通信社で入手できる。

3)小学校全科

これは、つまるところは、学習指導要領である。
思い返せば、小学校教員資格認定試験でも、ある程度の勉強はしてきた。
その続きをする、と思えば、気が楽だった。
学習指導要領の書いてある見やすい参考書を選んで、再度読んでいった。
しかし、あまりにも量が多い。
途中から、だんだんと見なくなった。
反省点。
・最初から参考書を読む、のではなく、過去問のわからないところだけを「確認して読む」べきだった。

4)面接

予想質問は、 『教員採用面接試験の答え方』という本を参考にした。
この本は質問数が多いから買ったのだが、あとで調べると、
他に、もっと良さそうな本がたくさんあった。
上記の本に掲載されている質問は、ちょっと古い?かな、という印象。
生きる力、とか、今の時代のキーワード等はあまり取り上げられていない。


5)の小論文
これはお手本を見ながら、書いてみるしかない、と思った。
そのお手本を探した。
なかなか見つからない。

インターネットでサーフィンすること4時間、日曜日の夜、妻子が寝静まったころに、
ようやく、決め手となるお手本をみつけることができた。

発刊:東京文教社/文教学院
題名: 「教員採用試験 合格論作文集(上)(下)」
この本のよいところは、合格した人の論文ばかりが実際に掲載されていることだ。
つまり、このとおり書けば、合格ラインなのだ。

調べているうちに、論作文対策の参考書には、
わるい論文を訂正するタイプの本と、
よい論文をたくさん見せてくれるタイプの本と、
2種類あることがわかってきた。

当初、書店で見かけたのは、訂正タイプの本だった。
よくない論文を、講師が講評し、「これはよくないですね」と指摘するパターンだ。
そのなかには、A評価のすぐれた論文も掲載されてあるのだが、C評価、D評価の論文が多く、A評価の論文は、ほんの少数混じり込んでいるだけだ。
優秀論文の掲載が少ない。これは良くない。

最短距離をいこうとする身にとっては、一刻もはやく、
「これが見本です。こう書けば合格です」という文章を読みたい。
それも、たくさん読んで、自分の中に、論文の型をつくりあげたい。
よくない論文をいくら見ても、「なにがよいか」、が分からない。
逆に、よい論文をたくさん読み込んで、血肉にするのがよい。

(ただ、残念なことに、今、この文教学院のWEBページをみることができない。
すでにサーバーから消されているようだ。
どうやって入手するか、ページが閉じられているので、不明となってしまった。)

さて、7月になった。




採用試験の準備




しかし、それでも、ある日曜日にふと不安になって、参考書を見てみた。
覚えることがたくさんあることに驚いた。

採用試験、1次突破の肝(きも)は、ペーパーテストである。
専門の勉強が要る。
一般教養だけなら、なんとかなっても、教職教養など、「このテストのため」の特別な勉強が要る。
小学校教員資格認定試験に合格したといっても、細かいことはほとんど忘れてしまっている。
イチから、やり直しだ。

◆1次の内容

1)教職教養 
2)一般教養 
3)小学校全科 
4)面接 
5)小論文 

30代の転職組が、根性を見せるのは、ここからである。
最短距離の、ラストスパートが、ここから始まる。

時間がない!・・・や、や、やるぞ!」

自分に、そう言い聞かせた。




採用試験の願書を取り寄せる




試験勉強もなにも、自分が受験することすら忘れる勢いで、どんどん日がすぎていく。
給料日など、たまにふと、自分が講師であることを思い出すこともあるが、数秒後には、
授業のこと、子どものこと、で頭のなかみが切り替わってしまう。

こんな調子で願書・募集要項を取り寄せる時期が来た。

願書を取り寄せる手続きを済ませたが、とりあえず、やっておいた、という気分。
忘れないうちに。
自分は、受験するんだな、と言い聞かせながら、封筒をポストへ入れた。

つづいて、願書が届いた。
提出期限は5月の中旬いっぱい。

なんとか土日に仕上げて、願書を出しても、まだまだ7月まで時間がある。(と思っている)

それまでに、1学期の子どもたちの成績付けを済ませなければならない。
通知表を渡すという、人生初の仕事が待っている。
BIGなイベントだ。
通知表なんて、これまでもらったことしかない。
つけたことは、初体験なのだ。

教員採用試験の受験。
ひと事ではない。自分自身のことだ。

でも、どこか、身に迫ってくるものがなかった。
感覚が、にぶいままだった。
原因は、目前の日常に、忙殺されていたことだ。
おかげで、受験についての意識はまだまだ低かった。




試験対策か、明日の授業の準備か




さて。
担任をもつ。
これが大変なことである。
責任がある。
最優先に、クラスの子どもたちのことがある。

採用試験のための準備と、明日の授業の準備と、常にその二つが目前にある。
もちろん、優先されるのは、明日の準備の方だ。

講師になったばかりのとき、職員室で隣の先生にこう言われた。

「まずは採用試験に受からなきゃ。今年の子たちにはかわいそうだけど、とにかく授業のことより、試験対策していきなさいね」

親切心で、こう声をかけてくださった。
はじめは、そう聞いて、
「あ、やっぱりそうだよなあ、自分にとっては、まずは試験対策だな」
と思った。
「この1年は、仕方がないよな」

しかし、そう甘くはないことがだんだんわかりだした。

毎日、毎日、目の前に展開されるのは、生きている子どもたちの生活である。
そして、なんとかしていかねばならないのは、子どもたちの学習の実態なのだ。

よし、勤務を終えて、
夕方から時間を作って、
教室で試験勉強するぞ、と誓ったはずだったが、
そんな勉強は一度もできなかった。

明日の授業をどう進めるか。どう発問するか。何を評価するのか。
1校時から、5校時まで、すべて「描き」がなければならない。「段取り」がなければならない。
授業案を、いくつも考える必要がある。
おまけに、
校務分掌もある。
職員作業もある。

その合間に、同じ学年の先生で打ち合わせをする。
プリントを作る、学年だよりをつくる、学級通信をつくる。
宿題をつくる、宿題をみる、マルをつける、保護者へ手紙を書く、校内研究の資料を読む・・・。




正規採用されたい




はやく正規採用されたい、という願いをもちながら、講師をしている。

ところが、事(こと)は、そう簡単に、はこばない。
講師をしながら、教員採用試験に立ち向かうのには、入念な計画と準備が要る。
入念な計画。
その計画を立てるところから、勝負がはじまっている。

実は、最初は、私もそのことが分からなかった。
なんとかなるかも、とか、行き当たりバッタリ、という気分があった。
教員採用試験をのりこえていく。
その計画の重要性に気づいていくのは、後半になってからだ。

前半の失敗を、まずは書いていく。




いよいよ教員採用試験




久しぶりの投稿であります。
この1年間、講師をしていました。
ほとんど、時間がありませんでした。毎晩、バタンキュー。
ようやく、時間がとれるようになりました。

いよいよ、教員採用試験対策です。
どうぞ!

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さて、教員資格認定試験で免許もとった。
つぎは、採用試験である。

採用試験をパスするには、いくつかの難問がある。

1)どこの自治体を受験するか。
2)1次のペーパーテストをどうクリアするか。
3)集団面接をどうクリアするか。
4)2次の模擬授業をどうクリアするか。
5)2次の論文をどうクリアするか。
6)個人面接をどうクリアするか。
7)実技試験に向けてどんな準備をするとよいのか。

今後、このことについて記していこうと思う。

いちばんのネックは、年齢のことである。
30代転職組の、一番のウイークポイントは、すでに受験できない自治体が
ぼつぼつ、でてきている、ということである。

29歳まで、という自治体がある。
応募しようにも、もうダメなのだ。

それから、転職組のなかには、すでに
私のように、妻や子がいる人もいるだろう。

子どもの寝顔を見ながら、こう考える。
「この先、ずっと、臨時任用職員として勤務するのか・・・」

臨時講師。
それには保証がない。
次の年、教育委員会からお呼びがかからなければ、
おまんまのくいあげ、である。

また、講師は、1年ごと、あるいは2年ごとに職場がかわる。
これはおそろしくストレスのかかることである。
慣れない人間関係、朝晩の通勤の仕方までがらりと変わる。
モノの置き場所さえ、最初はとまどうことばかり。
職員室の鉛筆削りのありかを、毎年のように尋ねていくことになる。

この、避けることのできるストレスを避ける意味でも、
はやく、はやく、はやく、正規職員として任用されたいのだ。




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