30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2006年01月

先生、○○くんが・・・




「先生、Pくんがきちんとやっていません」
と、わざわざ知らせてくれる女の子。

少し理解が遅く、まわりの子とちょっとずれがちなPくん。忘れ物は多いし、ノートに書くのも遅れることが多い。それだけでなく、注意されるとムカッとしてしまう。Pくんは思わず手を出して、余計にみんなから反感を買っていることが多かった。
忘れ物の確認を朝していると、きまってPくんだけが決まり悪そうに立つことになり、明日は必ず持ってきます、と何度もみんなの前で宣言してきた。

なんとなく、クラスの中で、Pくんの存在が、お荷物のように感じられているのか・・・。
Pくんがきちんとやっているかどうか、周囲が目を光らせるようになってきた。
それで、わざわざ冒頭のように、知らせてくれる女の子がいる。

授業をしながら、この速度ではついてこられないかな、と思いながら進めているときがある。思い切って進めて、彼にはあとで、個別にノートをみながらフォローしよう、と頭の片側で考えながら、授業をしている。
こうしたとき、冒頭のような報告を受けたとき、

「先生もわかってるから、あとでフォローするからね。報告はありがたいけど、そうやってみんなの前で報告されたら、ちょっとつらい・・・」
と思った。

つらい、の中身は何か。
1) 皆の前で示しをつけるためにも、Pくんにきちんとできているかどうか確認をしなくてはいけなくなる。→当然できていない以上、「Pくん、ノートにきちんと書いていますか?今は書く時間ですよ」といわなくてはならない。それを言いたくない。なぜか。これまでずっと言ってきたセリフ。言えば言うほど、彼の気力を奪っている気がするから。
2) Pくんのこと、そんなに気にしなくてもいいのに。それより自分のノートにしっかり書きなさい。

こういう自分の中の思いが、妥当な考えなのかどうか。・・・探っている。

今、次々といろんなことを思う。
おそらく、彼の頭の中はこんがらがって、いっぱいになってしまっている。指導力不足である。もっとショートステップにしなければ。指導力UPのこと。これに尽きる、という思い。

Pくん、きちんとやりなさい。というような言い方をしたくないのは、なぜなんだろう。
教師として、課題を用意するのは当然なこと。でも、おそらく彼のキャパを越える指示を出しているのだ。その自己嫌悪から、何か彼に対して課題を与えること自体が億劫になってくる。

他の子からしてみれば、自分は一生懸命やっている。きちんとやるべきことをやっている。彼はやっていない。やっていないのに、先生からひどく叱られることもなく、なんとなく過ごしている。ちょっとずるい。・・・と感じられるのだろうか。

国語の時間、漢字スキルを○ツケしていると、列にならんでいるPくんと、いつもはそれほどでもないが売られたケンカは買う、というタイプのCくんの間でトラブル発生。Cくんにおなかを蹴られた、とPくんが泣きながら来た。やられたときに、ひどくオーバーに痛がるのもPくんの傾向。周囲の女の子は、Cくんの肩をもつ。最初に仕掛けたのは、Pくんだ、という。両者からハナシを聞いた上、ケンカ両成敗とする。しかし、さっきの算数ではノートにかけないで叱られるし、国語でもトラブル続きで、今日はPくんには楽しくない一日だったかもなあ、と思う。

給食の前、少しの時間にPくんのおなかをさすってやる。まるくさすりながら、彼の手をにぎって、「Pくん、自分でもこうやってさすってね。なおれ、なおれ・・・。まーるくね。まーる、まーる、にじゅうまる、花まる!」
むずかしい顔が、ちょっと、にこっとした。
それをみてほんの少し、ほっとした。




10のまとまり




1年生のさんすう。
「20よりおおきいかず」で、10のまとまりをいくつあるか数えさせる場面でした。
数え棒をつかってかずを数えた作業のあと、板書をしながら整理していました。

そこで、
10のまとまりをしめそうと思い、教具を使いました。
えんぴつが、10本まとまっている絵。これをマグネットで黒板にはりつけました。
また、バラのえんぴつの絵。これもマグネットではりつけました。

これでいくつかな、と答えさせながら進めていましたが、大きな数を示そうとしたとき、教具の10本まとまりのえんぴつの絵が、足りなくなりました。

そこで、
「あ、足りないから、先生が描こう。」
といって、

(・・・ここで黒板に、10本まとまったような感じの絵を描いた)

「これで10本あることにしようね。よし、これで全部で何本になったかな」

ここで、ほとんどの子が、「92本です」 というように正解したが、ひとりの子が、

「先生、それ10本じゃないよ」

といった。

つまり、わたしが先ほど、教具が不足していたために黒板に急いで描いたえんぴつの絵が、10本あるように見えない、ということでした。
急いで描いた絵で、かつ、適当に何本か重なっているとみえるように描いただけでしたので、この絵を一本ずつ、正直に数えようとしても数えられないし、クチで
「これで10本あることにしてね」
と言ったはず。

他の子も、「あれで10本と数えたら良いんだよ」という子もいました。

でも、彼はひきません。あの絵では、えんぴつが10本無いではないか、ということにこだわっています。

これで10本あることにしてね、とお願いしてなんとなく収めましたが、
1年生は、かずをかぞえる、ということに関しては、正直に、絵のとおりに、数える、それで当たり前のような気もしてきました。
正直に言ってくれたんだなとあとで思いましたが、そのときは
「時間がないのに、要らんことにつっこんでくるなあ」
と思ってしまいました。

先生、わかりにくいよ、と言ってくれているようで、子どもにテーマはないのだとまた自分に言い聞かせています。




間違った意見が出てきたとき




算数の授業で、色板をつかって四角いビルの形をつくりました。
合計12枚の真四角の板を使って、大きな四角いビルをつくるのに、全部で6通りの方法があります。
1階建てから、12階建てまで、順番に児童と共にみつけていって、ああ、全部で6種類あるね、としていくはずでした。
しかし実際にやってみると、
「先生、まだあるよ」
と言って、黒板の前に出てこようとします。

内心、(これ以外に正解があるわけないし、もう時間がないよ)と焦りました。
6種類の意見が出てくるまでは、あきらかに自分のトーンが高く、児童へ注ぐ視線や声も熱がありましたが、それ以後は、トーンが下がり、おざなりの感じがしたと思います。
まだあるよ、と出てこようとした女の子はふだんはおとなしい子で、ほとんどみんなの前で意見を言うことのない子でした。私の顔をうかがうかのようでしたが、がんばって出てきました。
私はみんなに向かって、
「Hちゃんがまだあるよって。じゃあみんなで聞いてみよう」
と言って、一応聞いたものの、自分の気持ちとしては、
「なんだ、これで終わればすっきりいったのに」
という感じでした。

ムムム、とあとで振り返ってみて、本当に浅いなあと思います。
間違った意見でも言おうとしている子の積極的な気持ちを認めていません。
まあこれにめげずに進むしかない、と自分に明るく言い聞かせています。
「そのまま聞ける人になる」というのは大きなテーマです。




影をみながら跳んでごらん




今日は初めての縄跳びをしました。短縄です。
ベテランの先生のクラスに補助として入りました。

クラスを2チームに分けて、1つのチームを担当しました。
この小さいチーム(18名)をさらに9名ずつの半分に分け、お互いに向かい合わせてペアをつくり、交代で跳ぶようにしました。順番に跳ぶことで休憩がとれること、そしてペア相手の跳んだ回数を教えてあげることで、跳ぶ側の子は、跳ぶことに集中できると考えました。

どの程度跳べるのか分からなかったのですが、10回跳べない子が18名中、3人ほどいました。前跳びで、腕のまわすタイミングと、跳ぶタイミングが合っていません。
どう声をかけるかな、と思ってベテランの先生のチームをみると、
ちょうどこんな声かけをされていました。

「自分の影をみながら跳んでごらん」

跳べずにいた児童が太陽を背にして、自分の影をみながら跳び始めると、10回跳んだ子が出たので本人が驚いていました。

たったのひとことが、効くんだなあと楽しくなってしまいました。

試しに自分のチームで跳べなかった子に、同じように伝えてみると、1回も跳べなかった子が、3回跳べました。その後5、6回ほど挑戦しましたが、その子は結局、最高5回まででした。

縄跳びの導入に、フラフープを使う、ということは聞いた事があったので、試してみたいと思っています。




いえなくなってしまう子




気が小さいためか、なかなかみんなの前で声を出せない子がいます。

算数のプリントを、みんなで答えあわせをしていて、席順にこたえや式を言っていくのですが、まちがえることの怖さがあるためか、緊張してしまうのか、黙り込んでしまいます。

放課の時間になると友人と共になかよくハナシをしているので、そもそも話せないのではなく、あらたまったときになると緊張してしまうようです。

できるだけ話しやすくなるよう、プレッシャーを与えずさらりと接しているのですが、なかなかむずかしいです。




先生、雨は降りそうですか




帰り際、1年生の子から、
「先生、雨は降りそうですか」
と聞かれた。

とっさに、そんなもん、空みたら分かるでしょ、と思った。
晴れ、でもないし、どんより曇りでもない、ごくふつうに、空には、ある程度の雲がある、という日でした。

なにか、家の人が留守だとか、洗濯物のことでなにかお手伝いを頼まれていたとか、事情があったのかもしれない。もう帰宅するときで、尋ね返さなかったが、きいてみればよかった。

「そうだねえ。夜まではきっと降らないと思うな、先生は」

ということで返事をした。その後、本当なら

「自分ではどう思う?」

と聞けたらよかったかな。もっとその子のことをよく知れたかもしれない。

「どうしてそれを聞きたかったの?」
今なら、それも気になる。

とっさに、こうした返し方が、できるようになりたい。




仲間の言葉を集める




国語。言葉あつめ。
なかまのことばを集めよう、ということで、
「とり」の仲間の言葉を集める授業がありました。

子どもたちが書いた語句に、
「こうもり」がありました。

こうもりはとりではない、ということを、1年生でも教えるべきかどうか、で迷いました。
給食時間が迫っている中で、どうしたらいいか瞬時に判断し、こうもりは卵を産まないから、とりではない、ということを早口で伝えました。

しかし、今回の国語の授業では、仲間の言葉を集めること、より大きな意味を包括する言葉がある、とうことを知るのが目的であり、こうもりが鳥類か哺乳類か、という片々の知識が問題なのではないな、ということをちらっと思いました。
授業の最後に、こんがらがってしまっただけ、という結果を招いたのなら、失敗でした。

なかには、コウモリそのものを知らない子がいたようです。
(大体、「モ」という字を、鏡文字で逆に書いてる子もまだいた!)




BLOGスタート




まずは気軽に始めてみます。

現在、小学校1年生の非常勤講師をしています。
各クラスにT.Tで毎日支援に入っています。

教育の世界に入って1年目、4月から数えてもう10ヶ月がたとうとしています。
この間に、何を学んだのか、今学びつつあることを確認していこうと思います。

今週やってみて。

先生方と共に学校近くのレストランで昼食を食べた。他の学校の研究授業のことが話題に上る。本校の研究授業に取り組んだ際の苦労話。しかしそれがかなり評判がよくて報われた話。

算数の授業。形の導入で1時間目。各自が持参した箱を使って、まちの造形。
最初に写真でビルや東京タワーを紹介したら、ほとんどの班が東京タワーを造る。
積み木遊びのようになって、積んでは崩し、のくりかえし。嬌声が響いて、他のクラスにちょっと申し訳ない気持ちになってしまった。

教室内が寒いから、マフラーをしていいですか、と言いに来た。
もうすぐ帰りの会が始まるし、まあいいか、と思いつつ、マフラーはどうかなと迷いつつ、いいよ、とつい言ってしまった。直後に、担任の先生が、マフラーはダメです、と強く伝えたのでその子もしなかったが、学級経営の視点からみてどうか、という立ち所が甘いと反省。




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