再録シリーズ 2020.9
映画「国宝」が話題となって久しい。
多くの人が最初の映画泥棒を含め3時間を超えるこの大長編を映画館で見たようですが、私は途中で必ずトイレに行く気がしてならず、恐怖に襲われてまだ見ることができないでいます。
私の職場のある先生は、これを見に行って、なかなかに深い洞察を得たようで、「ぜひ新間先生も映画館で見てくださいよ」と、何度もおっしゃっていました。
歌舞伎役者の血筋に生まれたからには、その役者を志すと言う、生きる道筋が、バーンと目の前に見えているわけですね。
私は高校生の頃に、自分がどのような将来を歩めば良いのか、全く見当がつきませんでした。学生と言う身分や状態と働く仕事をすると言う状態との間に、まるでぽっかりと真空空間が現れたかのようで、どのようにしてその先に進めば良いのか見当がつかなくなっておりました。
今でもこういう立場の子はたくさんいるんじゃないかと思います。ニートや引きこもりと言う状態も、こういう真空状態に吸い込まれた感じがあり、自分が何者になれば良いのか見当がつかないと言う状態ではないかと思います。
人生を半分以上過ぎて、50代も半ばに差し掛かろうとする今になって思うこと。
「何者かになろうとする」のではなく、とにかく目の前にあるいわゆる【仕事】を何でもしていこうとする気持ちが、実は人生を楽しむ手っ取り早い方法なのではないか。
お金になる仕事もありましょうし、目に見えないような仕事やお金には何にもならないような仕事だってあるわけですが、その仕事に差を設けるのではなくて、とにかく人間の仕事と思えるようなことをどんどんやっていくのが自分を前に進める1番大事な気持ちなのではないか。稼げるか稼げないかではなく。
本を読むのだって仕事。
自分の興味のある土地へ出かけていくのも仕事。
それは、自分自身が人生の側から託された宿題のようなものです。人生があなたに働きかける夏休みの宿題のようなもので、それを課された感じがするのであれば、それはもうあなたの仕事なわけです。
鴻上尚史さんのエッセイに触発されて、こう思うようになりました。つまり正解の側にいようと思うのは邪魔でしかないと言うことです。
それが世の中的にレアであろうが、レアでなかろうが、そんなのも雑音です。レアな業界で幸せになることもあれば、レアでない世界で幸せになることもあります。そんなこと、誰もやってないよということが関係はしないのです。幸せになるかどうかにはね。
ところで、以下の記事を以前書いたのですが、ちょっと関連するから再録しておきます。
➖➖➖➖➖
ネコの体は面白い。
チーターやライオンなど、ネコ科の動物特有の筋肉の付き方をしている。
首を動かさないで、前足と後ろ足、全身を油断なく運ぶ。
ネコは歩いていても、目の高さが動かないそうだ。だから、猫の顔や目ばかりみていると、その分肩の筋肉などがずいぶんとやわらかく上下し、しなやかに動くのがよけいに分かる。
家の猫を見ていると、
「猫の体ってのは、ずいぶんとやわらかく、しなやかに動くのだなあ」
とあこがれに似たような気持ちが出てくる。
ネコが、自分の体の重心を自由にあやつりながら、身体を移動させたり動かしたりする元には、丈夫でしなやかな骨格がある。その骨格に筋肉がついており、それを伸ばしたり引っ張ったりしながら稼働させているわけだ。
なぜこんなふうに意識する癖がついたかというと、先日、ある大学の教授の研究室を訪ね、ちょっと話をしたからだ。
その教授は日本でも珍しい方で、骨格標本をつくることのできる教授らしかった。この教授は骨の専門家なのであった。
私はどういう風の吹き回しか、職員の研修でこの方と会うことになった。
この教授は骨を見て毎日暮らし、骨をつくって日がな一日過ごす。
「骨をつくる」というのは、なかなかふつうの人がやることではないが、要するに動物の死骸を引き取って、そこからあらゆる骨を取り出すのである。
「筋肉が邪魔でしてねえ」
その教授は本当にめんどくさそうに言うのである。
「わたしは骨しか要らんのですよ」
教授は長年の研究の結果、もっとも筋肉を溶かすのに向いているものを発見した。それは、入れ歯をきれいにするためのいわゆる『ポリデント』という商品だそうだ。
他の化学薬品では骨が傷みやすく、ダメだそうである。
「骨までもろくさせてしまうのでは、ダメなんです。骨は残したいが、筋肉は要らん。そのバランスですよね」
教授はいかにポリデントが優秀かを力説するのである。
たしかに、教授の机の横には、ポリデントが段ボールに詰まって大量に置かれており、
「このポリデントで、次はどの骨を取り出しましょうかね」
とにこにこした。
教授はもう毎日のように骨を取り出すためにポリデント溶液をつくり、動物の死骸があると聞けば、すぐに駆けつけてそれを貰い、ひそかに大学構内の自分の研究室まで運んで、たちまちにして骨を取り出すのである。
教授の目下の悩みは、その教授が担当するゼミに、学生が寄り付かないことらしい。
「がいこつ教授、なんてあだ名をつけられましてね。たしかに筋肉を溶かしているので研究室はかなり臭いし、わたしはもう慣れっこで、その異臭の中で弁当なんかも食いますが、ひとり減りふたり減り、とうとう今在籍している学生は、校内広しとは言え、たった1人なんです。この1人が将来、あとを継いでくれる保証はなし、頭の痛いところですよ」
わたしはなぜ、この教授が大学でこんな奇人めいたことをしているのか、分からなかった。
しかし、このときに教授がこの日本でたいへんに価値の高い人であることが、判明した。
警察から電話がくるのである。
ドラマのようだが、事実なのだ。
人骨か否か。
それを正確に判断できる人間が、この世にはなかなかいない。
警察から持ち込まれた骨。
それを教授は神妙な顔つきでみる。
判断は素早い。
「ハクビシンの足の骨ですね」
警察はホッとして、深々とお辞儀をして去る。
・・・そうである。
教授はもう自分がそういうレアな人種であることを自嘲気味にほのめかして、
「ハクビシンはもう、かれこれ五体以上はポリデント漬けにしてやりましたよ」
と、口元をゆるめて言うのでありました。
わたしはその研修というには中身の濃すぎる「研究室訪問」を終えて思うのには、
「後継者問題というのは、どこにでも存在しているのだなあ」
と、深く感じいったのでありました。
骨を研究する人が、日本にはいなければならない。
それが人骨かどうかを、即座に判断できる人も、この世にはいた方がいい。
しかし、そんなレアな職業をめざす若者が、いない。
レアな方が、よいのではないか?
これからの生き方として、レアな方が、生きていく場所ははっきりと固まる気がする。
若者よ、どう考える? 将来をえがいている最中のキミは、大勢が集う道を歩くのか、それとも人がめったに寄り付かない、道かどうかもあやしいような道を、レアな人材になるために歩くのか。
わたしは、レアな道がいいような気がする。
これからの時代は・・・。レアな方が。
たしかに、レアは、たしかに見えにくい。社会からも、見えにくい。
『パッと見』では、発見されない。世の中は、その他大勢が多すぎる。
しかし、一見わからないのだけれども、検索すればたしかにヒットするのが、レアな立ち位置だ。
若者よ、レアを選べ。
人の経験しない道を行き、人の経験しない場を見て、人の経験しない体験を積め。
その教授は、たった一人の研究ゼミ生のために、弁当を取り寄せ、論文も懇切丁寧にみてやり、院への推薦も保証し、ありとあらゆる親切をはたらいているそうである。
「しかし、彼は、ここでは弁当を食わんのですよ」
教授はタイガーのポットからお湯を汲み、お茶をいれて飲みながら、ため息をつくのでありました。
いやはや、人生は深いですナ。

映画「国宝」が話題となって久しい。
多くの人が最初の映画泥棒を含め3時間を超えるこの大長編を映画館で見たようですが、私は途中で必ずトイレに行く気がしてならず、恐怖に襲われてまだ見ることができないでいます。
私の職場のある先生は、これを見に行って、なかなかに深い洞察を得たようで、「ぜひ新間先生も映画館で見てくださいよ」と、何度もおっしゃっていました。
歌舞伎役者の血筋に生まれたからには、その役者を志すと言う、生きる道筋が、バーンと目の前に見えているわけですね。
私は高校生の頃に、自分がどのような将来を歩めば良いのか、全く見当がつきませんでした。学生と言う身分や状態と働く仕事をすると言う状態との間に、まるでぽっかりと真空空間が現れたかのようで、どのようにしてその先に進めば良いのか見当がつかなくなっておりました。
今でもこういう立場の子はたくさんいるんじゃないかと思います。ニートや引きこもりと言う状態も、こういう真空状態に吸い込まれた感じがあり、自分が何者になれば良いのか見当がつかないと言う状態ではないかと思います。
人生を半分以上過ぎて、50代も半ばに差し掛かろうとする今になって思うこと。
「何者かになろうとする」のではなく、とにかく目の前にあるいわゆる【仕事】を何でもしていこうとする気持ちが、実は人生を楽しむ手っ取り早い方法なのではないか。
お金になる仕事もありましょうし、目に見えないような仕事やお金には何にもならないような仕事だってあるわけですが、その仕事に差を設けるのではなくて、とにかく人間の仕事と思えるようなことをどんどんやっていくのが自分を前に進める1番大事な気持ちなのではないか。稼げるか稼げないかではなく。
本を読むのだって仕事。
自分の興味のある土地へ出かけていくのも仕事。
それは、自分自身が人生の側から託された宿題のようなものです。人生があなたに働きかける夏休みの宿題のようなもので、それを課された感じがするのであれば、それはもうあなたの仕事なわけです。
鴻上尚史さんのエッセイに触発されて、こう思うようになりました。つまり正解の側にいようと思うのは邪魔でしかないと言うことです。
それが世の中的にレアであろうが、レアでなかろうが、そんなのも雑音です。レアな業界で幸せになることもあれば、レアでない世界で幸せになることもあります。そんなこと、誰もやってないよということが関係はしないのです。幸せになるかどうかにはね。
ところで、以下の記事を以前書いたのですが、ちょっと関連するから再録しておきます。
➖➖➖➖➖
ネコの体は面白い。
チーターやライオンなど、ネコ科の動物特有の筋肉の付き方をしている。
首を動かさないで、前足と後ろ足、全身を油断なく運ぶ。
ネコは歩いていても、目の高さが動かないそうだ。だから、猫の顔や目ばかりみていると、その分肩の筋肉などがずいぶんとやわらかく上下し、しなやかに動くのがよけいに分かる。
家の猫を見ていると、
「猫の体ってのは、ずいぶんとやわらかく、しなやかに動くのだなあ」
とあこがれに似たような気持ちが出てくる。
ネコが、自分の体の重心を自由にあやつりながら、身体を移動させたり動かしたりする元には、丈夫でしなやかな骨格がある。その骨格に筋肉がついており、それを伸ばしたり引っ張ったりしながら稼働させているわけだ。
なぜこんなふうに意識する癖がついたかというと、先日、ある大学の教授の研究室を訪ね、ちょっと話をしたからだ。
その教授は日本でも珍しい方で、骨格標本をつくることのできる教授らしかった。この教授は骨の専門家なのであった。
私はどういう風の吹き回しか、職員の研修でこの方と会うことになった。
この教授は骨を見て毎日暮らし、骨をつくって日がな一日過ごす。
「骨をつくる」というのは、なかなかふつうの人がやることではないが、要するに動物の死骸を引き取って、そこからあらゆる骨を取り出すのである。
「筋肉が邪魔でしてねえ」
その教授は本当にめんどくさそうに言うのである。
「わたしは骨しか要らんのですよ」
教授は長年の研究の結果、もっとも筋肉を溶かすのに向いているものを発見した。それは、入れ歯をきれいにするためのいわゆる『ポリデント』という商品だそうだ。
他の化学薬品では骨が傷みやすく、ダメだそうである。
「骨までもろくさせてしまうのでは、ダメなんです。骨は残したいが、筋肉は要らん。そのバランスですよね」
教授はいかにポリデントが優秀かを力説するのである。
たしかに、教授の机の横には、ポリデントが段ボールに詰まって大量に置かれており、
「このポリデントで、次はどの骨を取り出しましょうかね」
とにこにこした。
教授はもう毎日のように骨を取り出すためにポリデント溶液をつくり、動物の死骸があると聞けば、すぐに駆けつけてそれを貰い、ひそかに大学構内の自分の研究室まで運んで、たちまちにして骨を取り出すのである。
教授の目下の悩みは、その教授が担当するゼミに、学生が寄り付かないことらしい。
「がいこつ教授、なんてあだ名をつけられましてね。たしかに筋肉を溶かしているので研究室はかなり臭いし、わたしはもう慣れっこで、その異臭の中で弁当なんかも食いますが、ひとり減りふたり減り、とうとう今在籍している学生は、校内広しとは言え、たった1人なんです。この1人が将来、あとを継いでくれる保証はなし、頭の痛いところですよ」
わたしはなぜ、この教授が大学でこんな奇人めいたことをしているのか、分からなかった。
しかし、このときに教授がこの日本でたいへんに価値の高い人であることが、判明した。
警察から電話がくるのである。
ドラマのようだが、事実なのだ。
人骨か否か。
それを正確に判断できる人間が、この世にはなかなかいない。
警察から持ち込まれた骨。
それを教授は神妙な顔つきでみる。
判断は素早い。
「ハクビシンの足の骨ですね」
警察はホッとして、深々とお辞儀をして去る。
・・・そうである。
教授はもう自分がそういうレアな人種であることを自嘲気味にほのめかして、
「ハクビシンはもう、かれこれ五体以上はポリデント漬けにしてやりましたよ」
と、口元をゆるめて言うのでありました。
わたしはその研修というには中身の濃すぎる「研究室訪問」を終えて思うのには、
「後継者問題というのは、どこにでも存在しているのだなあ」
と、深く感じいったのでありました。
骨を研究する人が、日本にはいなければならない。
それが人骨かどうかを、即座に判断できる人も、この世にはいた方がいい。
しかし、そんなレアな職業をめざす若者が、いない。
レアな方が、よいのではないか?
これからの生き方として、レアな方が、生きていく場所ははっきりと固まる気がする。
若者よ、どう考える? 将来をえがいている最中のキミは、大勢が集う道を歩くのか、それとも人がめったに寄り付かない、道かどうかもあやしいような道を、レアな人材になるために歩くのか。
わたしは、レアな道がいいような気がする。
これからの時代は・・・。レアな方が。
たしかに、レアは、たしかに見えにくい。社会からも、見えにくい。
『パッと見』では、発見されない。世の中は、その他大勢が多すぎる。
しかし、一見わからないのだけれども、検索すればたしかにヒットするのが、レアな立ち位置だ。
若者よ、レアを選べ。
人の経験しない道を行き、人の経験しない場を見て、人の経験しない体験を積め。
その教授は、たった一人の研究ゼミ生のために、弁当を取り寄せ、論文も懇切丁寧にみてやり、院への推薦も保証し、ありとあらゆる親切をはたらいているそうである。
「しかし、彼は、ここでは弁当を食わんのですよ」
教授はタイガーのポットからお湯を汲み、お茶をいれて飲みながら、ため息をつくのでありました。
いやはや、人生は深いですナ。









