試験勉強もなにも、自分が受験することすら忘れる勢いで、どんどん日がすぎていく。
給料日など、たまにふと、自分が講師であることを思い出すこともあるが、数秒後には、
授業のこと、子どものこと、で頭のなかみが切り替わってしまう。
こんな調子で願書・募集要項を取り寄せる時期が来た。
願書を取り寄せる手続きを済ませたが、とりあえず、やっておいた、という気分。
忘れないうちに。
自分は、受験するんだな、と言い聞かせながら、封筒をポストへ入れた。
つづいて、願書が届いた。
提出期限は5月の中旬いっぱい。
なんとか土日に仕上げて、願書を出しても、まだまだ7月まで時間がある。(と思っている)
それまでに、1学期の子どもたちの成績付けを済ませなければならない。
通知表を渡すという、人生初の仕事が待っている。
BIGなイベントだ。
通知表なんて、これまでもらったことしかない。
つけたことは、初体験なのだ。
教員採用試験の受験。
ひと事ではない。自分自身のことだ。
でも、どこか、身に迫ってくるものがなかった。
感覚が、にぶいままだった。
原因は、目前の日常に、忙殺されていたことだ。
おかげで、受験についての意識はまだまだ低かった。
さて。
担任をもつ。
これが大変なことである。
責任がある。
最優先に、クラスの子どもたちのことがある。
採用試験のための準備と、明日の授業の準備と、常にその二つが目前にある。
もちろん、優先されるのは、明日の準備の方だ。
講師になったばかりのとき、職員室で隣の先生にこう言われた。
「まずは採用試験に受からなきゃ。今年の子たちにはかわいそうだけど、とにかく授業のことより、試験対策していきなさいね」
親切心で、こう声をかけてくださった。
はじめは、そう聞いて、
「あ、やっぱりそうだよなあ、自分にとっては、まずは試験対策だな」
と思った。
「この1年は、仕方がないよな」
しかし、そう甘くはないことがだんだんわかりだした。
毎日、毎日、目の前に展開されるのは、生きている子どもたちの生活である。
そして、なんとかしていかねばならないのは、子どもたちの学習の実態なのだ。
よし、勤務を終えて、
夕方から時間を作って、
教室で試験勉強するぞ、と誓ったはずだったが、
そんな勉強は一度もできなかった。
明日の授業をどう進めるか。どう発問するか。何を評価するのか。
1校時から、5校時まで、すべて「描き」がなければならない。「段取り」がなければならない。
授業案を、いくつも考える必要がある。
おまけに、
校務分掌もある。
職員作業もある。
その合間に、同じ学年の先生で打ち合わせをする。
プリントを作る、学年だよりをつくる、学級通信をつくる。
宿題をつくる、宿題をみる、マルをつける、保護者へ手紙を書く、校内研究の資料を読む・・・。
久しぶりの投稿であります。
この1年間、講師をしていました。
ほとんど、時間がありませんでした。毎晩、バタンキュー。
ようやく、時間がとれるようになりました。
いよいよ、教員採用試験対策です。
どうぞ!
=========================================
さて、教員資格認定試験で免許もとった。
つぎは、採用試験である。
採用試験をパスするには、いくつかの難問がある。
1)どこの自治体を受験するか。
2)1次のペーパーテストをどうクリアするか。
3)集団面接をどうクリアするか。
4)2次の模擬授業をどうクリアするか。
5)2次の論文をどうクリアするか。
6)個人面接をどうクリアするか。
7)実技試験に向けてどんな準備をするとよいのか。
今後、このことについて記していこうと思う。
いちばんのネックは、年齢のことである。
30代転職組の、一番のウイークポイントは、すでに受験できない自治体が
ぼつぼつ、でてきている、ということである。
29歳まで、という自治体がある。
応募しようにも、もうダメなのだ。
それから、転職組のなかには、すでに
私のように、妻や子がいる人もいるだろう。
子どもの寝顔を見ながら、こう考える。
「この先、ずっと、臨時任用職員として勤務するのか・・・」
臨時講師。
それには保証がない。
次の年、教育委員会からお呼びがかからなければ、
おまんまのくいあげ、である。
また、講師は、1年ごと、あるいは2年ごとに職場がかわる。
これはおそろしくストレスのかかることである。
慣れない人間関係、朝晩の通勤の仕方までがらりと変わる。
モノの置き場所さえ、最初はとまどうことばかり。
職員室の鉛筆削りのありかを、毎年のように尋ねていくことになる。
この、避けることのできるストレスを避ける意味でも、
はやく、はやく、はやく、正規職員として任用されたいのだ。
叱れない子、というのがいます。
叱られると、他の子の3倍も4倍も深く傷つく子です。
ちょっと顔にカゲが見えるので、気になります。
でも、いつもはそっけない態度をとることが多いので、一見すると強い子のように思えます。
翳があるのに、そっけない態度や言葉づかいをします。だから、かわいくありません。
子どもらしさに欠ける、という印象です。
昨日、とうとう、わがクラスの、そんな感じの子と取っ組み合いをしました。
教室から出て行こうとするのを止めたのがきっかけです。
どうしても教室から出そうとしない私と、飛び出していこうとする子との取っ組み合いです。
泣きそうな顔になりながら、それでもクラスの子の前では泣きたくない、という感じでした。
顔を真っ赤にして、わたしの腕の中から出て行こうとします。
でも、今、出したら、学校から校門から出て行ってしまうかもしれない、という気がして、手を離すことが出来ませんでした。
結局、他の先生方にも声をかけて、1年生のときの担任の先生にも来てもらい、保健室でゆっくり休むまで、ことを運ぶことができました。
カーテンをしめて、薄暗いベッドの上で、30分ほどで気を取り直したようです。
近くのお友だちにちょっかいをかけて、それを注意されただけで、とたんに心の何かに火がついてしまうようです。
ちょっとした注意が、とても心を傷つけるようです。
みんなの前で、いい格好がしたい、という気持ちも人一倍強いのです。
しかし、クラスのみんなの手前、どうしても叱らなければならないときもあります。
それで迷うのです。
叱るか、叱らないか。
叱り方をスマートにできるといいのか・・・。
何がダメか、行動を具体的に指摘しながら叱る。
どうすればよいのかを示して、直ればすぐにそれをほめる。
叱り方を考えながら接しているつもりですが、授業中にまだそれを十分に発揮できない。
身にしみこむまで、叱り方について、毎日考え続けるしかない。
2学期が始まった。
1日目は、子どもたちから集める物も多い。
その後、学校からの連絡事項、プリント配布や避難訓練で時間いっぱい。
みんなが持ってきた、夏休みの作品を展示しつつ、コメント書きをして、ぎりぎり時間切れでした。
こちらは久しぶりだし、2学期最初、ということで緊張感もあり、スーツにネクタイでスタート。
みんなの顔をみて、「ああまた来てくれたなあ」とうれしい気持ち。
「○○くん、元気だったか~!」
ちょっとした感動を味わっていると、子どもは
「先生、これ、いつ提出するの?」
と、のっけから事務的な話題。そんなものだよなあ。
8月中にイスを入れ替えていた。
これまでのもの、古く、木の部分がささくれだっていたものもあった。
これを高学年からもらってきた、質のいいイスと替えていた。
朝の挨拶のあと。
「先生、足がつかないよ」
一番背の低い子が、みんなから頭一つ、とび出た格好になっている。
みんなが下校した後、工具箱をだし、スパナでしっかりと低く調節しておきました。
まさか、こんな仕事を残していたとは・・・。トホホ。
夏休みが終わり、2学期が始まる。
音読カードを新しくつくりなおした。
1学期のものをまた続きで使っても良かった。
だが、きちんとPCのデータになっていなかったので、ワープロで作り直した。
これで、いつでも印刷できる。
今までは、資料BOXに詰め込まれていて、一度に出てこない状態だった。
それでも、印刷しなければならなくなると、朝早くに急いで探して、間に合わせていた。
不便だ、と思いながらも、それを改良できなかった。
学期が始まると、怒涛の勢いで毎日が過ぎる。
ちょっとしたこと、ができないままで、過ぎていく。
夏休みのほんのつかの間の見直し期間。
気がついてやれてよかった。
この機会を逃したら、そのまま3学期まで、放置されていただろう。
毎日のことだから、毎週のことだから、ちょっとしたことを、システム化していきたい。
その後、新しい年を迎え、お世話になった職場を去る準備を進めた。
臨時講師の口があり、ほぼ確定できそうだった。
いざ、そうなってみると、自分よりも周囲の人たちがスイスイと動いて、助けてくれた。
後輩もよく仕事を覚えてくれた。
また、会社の関係者からだけでなく、こちらがお世話になったお客様からも、たくさんのエールをいただいた。
ヘマもドジもやったのに・・・。
会社の人たちだけでなく、お客さんまでもが、新しい出発を祝ってくれたのだ。それが、とても嬉しかった。
3月末、仕事を終え、もう二度とくることのない門を出た。
ふりかえってみる。
研究所の新しい標柱が、夜の外灯で光っていた。
顔なじみの守衛さんが、手を振ってくれた。
終わった、という気はしなかった。
まだ、これから。
なによりも、教員採用試験がある。
これに合格しなければ、本当に本当の「安心」にたどり着くことはできない・・・。
私は大学を卒業していなかったので、なにはともあれ、大学を卒業することにした。
ただし、教育実習は受けなくても良い。
受けなくても、卒業に必要な単位数である125単位を取っていた。この4年間の努力がモノをいう。これで、正式に学士として認められ、卒業できるのだ。
問題は、一週間の介護体験実習であった。
一週間、会社を休んで、どこかの施設で実習をしなければならない。
まあ、でもこれは大丈夫だろう。会社をクビにはされまい。
さすがに一ヶ月はクビだが、一週間ならまだ大丈夫だ。
事前準備で、今の後輩に徹底的に仕込んでおく。
それが来春、辞めるときの布石にもなるだろう、と思った。
ちょっと離れてはいるが、デイケアサービスを行う施設に一週間通った。
一週間、介護体験ができたのは収穫だった。
見知らぬお爺さん、お婆さんとカラオケ。
お風呂から上がったら、ドライヤーで髪をとかしてあげる。
お茶や紅茶、コーヒーを用意して、お運びする。まるで喫茶店のマスターだ。
朝、エプロンをつけて、喫茶店をはじめる。次に、ゲームの相手。体操のお兄さん、風呂屋の三助・・・。
ころころと、さまざまに役どころを変えて、まさに「何でも屋」といった感じ。座るヒマのない一週間。お役に立つ、の一心でやりとげて、いい気持ちだった。
最後に、施設の公印をもらった。
これが、介護体験実習の証明になる。この証明書と必要単位の修得証明書、および卒業証明書を持参すると、一種の免許を取得できるわけだ。
おまけに、卒業に関してちょっとおめでたいことがあった。なんと、首席卒業だったのだ。
卒業式の一週間前に、大学から電話がかかってきた。
「卒業式なんですが、シュセキでした」
これが、早口だったせいもあって、こっちは誤解した。つまり、
「卒業式なんですが、シュッセキでしたか」
という、疑問文だと思った。
出席するかどうかの確認かと思い、
「ハイ」
というと、担当者はあいまいな笑い方をした。
それで、こっちもつられて笑うと、電話は切れた。
ところが卒業式に出向くと、私の席は一番前の一番左端。
さらに、担当者が私にだけ、
「賞状を入れてください」
と言いつつ、手提げ袋を渡してくれる。なんでかな、と思っていると、隣に座っていた人があんたは首席ですよ、というようなことを言うので驚いた。(なるほど、ここまで勉強すると首席になるんだな、と新しい発見をした気分だった。)
卒業式では、最初に前に呼ばれ、首席賞という特別な賞状と記念品をもらった。記念品はSEIKOの腕時計だった。
さて、免許を取得できたので、いよいよ次のステップへ行くことにした。
つまり、講師登録である。
会社を辞めて、現場で働くのだ。いよいよ!!
しかし、不安はあった。
登録をしても、かならず雇用されるか、分からないのだ。
電話で教育委員会に問い合わせをすると、
「必ず勤務できるとは決まっていませんので、ご了承ください」
とクギをさされた。このとき、今の職場を辞めていなくてよかった、と改めて感慨にふけった。
3月になって、残念ですが空きがないので、また今度・・と言われたとき、ショックを受けずにすむ。ちゃんと働く場があるからだ。一定の収入があることも心強い。仮に辞めていた場合、嫁と子を養いつつ、アルバイト代だけでしのぐのはつらかろう。
ともかくも、教育委員会で面接をして、登録をした。
晴れ晴れと教諭免状を持参した。つい先日入手できた、あの、「二種の教諭免状」である。
このときほど嬉しかったことはない。
ついに新しい世界の扉が開いた、という気分だった。
面接をしていただいた方は、これまでの道のりを様々に質問された。
そのまま正直にお答えした。
今でも振り返ると、自分であれこれと計画して進めてきたことが実を結んだことが嬉しく思う。
次の年から、近所の小学校で講師をできることになった。
嫁さんと抱き合って喜んだ。
(つづく)
さて、目的の免許を取ってしまったので、大学は行かなくても良くなったかというと、
色々調べているうちにさらに次のことが分かった。
つまり、ニ種の免許を持っていれば、大学で所定の単位を修めることで、一種にグレードアップできる、というのだ。
私はほとんどその単位を取得していた。それを知って、一種への更新計画を練った。
その後、もう一度、地元の教育委員会へ尋ねてみると、
・大学を卒業して「学士」の資格を得ていること
・大学で所定の単位を修得すること
・1週間の介護体験実習を行うこと
この3つを経ることで、一種にできます、ということだった。
これをきいて、よし、いつの日か、一種にするぞ、と誓った。
わたしにも、いつか大学も卒業できる日がくるかもしれない。
ところで、教員資格認定試験に合格してから、よろこんでいるうちに、おめでたいことは続くもので、息子が誕生することになった。
まる2日間、寝ないで付き添ったおかげでくたくただったが、無事に出産。女性はえらい。
親になった実感には、深いものがあった。
はじめて、自分の生きている世の中とがっぷり四つに組んだような気持ちがした。
いろんな感慨が湧いてきた。
この子を、親父として育て上げていく。
嫁さんとも新たな関係が始まる。
おたがいに、夫婦として、さらにやっていくことがある。
赤ん坊は最初の半年くらいはおとなしかった。しかし、ハイハイし始めたと思ったら、じきにつたい歩きをするようになった。公園に連れていくと、うれしそうな顔をする。
スクーリングのない休日など、嫁さんが
「公園でも行ってきてくれない」
と疲れた顔で言うのを聞くと、連れて行ってやらないわけにいかない。
ほとんど寝ていない嫁さんの身体も心配だからだ。
嫁さんの睡眠時間を確保するために親父としてもいろいろと協力する。買い物にも行かねばならない。嫁さんの話し相手にもならないといけない。育児というのは話すことが尽きないようで、それを聞かないと怒る。
こうした結果、親父の私だって、ほとんど休む暇がない。
でも、幸運だった。
ほとんど大きな山を越えていたからだ。
卒業までに仕上げるレポートもほとんどのこっていなかったし、何よりも二種ではあったが、教員免許をもらっていた。
つまり、免許があるということは、臨時採用の講師も希望できる、ということであった。
(つづく)