以前、福井県の若狭湾海岸で、ロシアの船から重油がもれた事件があった。おびただしい量の重油が流れ、その回収作業がさかんに行なわれた。朝日新聞の記者は、その様子をこう記した。
「重油はまるで、牛の糞のように、岩にべっとりくっついて容易に剥がれない」
これは、牛の糞を知っている者にとっては、すこぶる言い得て妙、ピタリと分かる表現であろう。その色合いも、容易に剥がれない、という感じも、見事に言い表わしていると思う。
牛の糞というのは、粘性のあるものなのだ。うさぎや山羊の糞などとちがって、乾いたり、ころころしたりしていない。だから、牛の糞をスコップですくおうと思うと、ちょっとしたコツがいるくらいだ。ひと息に、サッとすくってしまわないと、たちまちスコップの横からボタッ、と落ちる。また、時間を置いて乾いてしまったりすると、さらに粘着性を増す。
おそらく、岩にこびりついた真っ黒い重油の固まりは、スコップですくっても、たちまちボタッと落ちてしまったにちがいない。これがウサギの糞のように、丸くてころころと転がるようなものであるなら、いっぺんに掃き寄せて、まとめてチリトリで取ることもできたかもしれないが。
この表現は、ある情景を表現するのに、いわば殺し文句のような効果をもっている。「牛の糞」という、きわめて具体的なたとえを使うことで、読者の印象に深く分け入り、その中身を直接実感させる。ここで用いられた言葉は、それだけのパワーを秘めていたはずであった。
はずであった、と書いたのには、わけがある。
実は、この表現は、実際には使われなかったのだ。編集部内で物議をかもし、最終的にはデスクの判断で消去されてしまったらしい。その理由は、「この表現が分かる人が、今の時代、もう少ないのではないか」というものだった。(つづく)
遠足で牛を見た、という子どもは大勢いる。
生活科が導入されて以来、そうした生活に密着した学習機会は多くなる傾向にはあるようだ。しかし、その中身は空疎なものらしい。文字どおり、「見た」だけ、なのだ。牛は黒色と白色だった、ということまでは分かったが、そこから先への、もう一歩が進めない。これは、もったいないことだと思う。
私は、もし仮に自分自身が、もう一度子ども時代にもどれるなら、できるかぎり、本物をみて、いろんな感じ方をし、味わってみたいと思っている。
牛のうんこはどうだったか、皮膚をさわった感じはどうか、何を食べていたか、舌の感触はどうだったか、牛の口のなかに直接手を入れてみて、何を感じたか。そういう具体的なことを実感してみるところまで、やってみたいと思う。
ふつうは、そこまでやらせてもらえないらしい。無理もない。怪我でもしたら、親から酪農家の責任が問われる。危険なことは、いくら頼まれてもやらせないのである。
牛のうんこを見たことがないというのは、困ったことだ。自分には、つくづく、そう思えてならない。(つづく)
自分は、自然体験・生活体験といったものに、まるで乏しい子どもだった。
第一、いちぢくが実をつけて、木になっているところを見たことがなかった。畑の土をさわったこともないし、果樹園も家畜も、身近な存在ではなかった。
柿の木は見たことがあった。また、たとえばリンゴがなる様くらいなら、あるていどは想像できた。蜜柑がなるのも何となく分かる気がする。しかし、いちぢくは見当がつかなかった。
いちぢくだけではなく、植物や野菜全般の本物の香り、味、実の成る姿を知らないで育った。土壌のこと、肥料、水やり、消毒、育っている環境などのことはもちろん、生産者の苦労やつくる喜びなどについては、まったく知る由もない。
「教育と環境」という雑誌に、興味深いデータが載っている。
小学生の自然体験を調査したもので、
「野外でテントをはって寝たこと」については、一回もないと答えたケースが66%あったという。
「日の出日の入りをみたことが一度もない」は41%、1000メ-トル以上の山を歩いた体験については、65%が「一回もない」と答えた。
魚釣りは、35%の児童が「まったくしていない」と答え、豚の世話、牛の世話、鶏の世話にいたっては、いわずもがな。ほとんど、体験したことのない子どもばかりだという。(つづく)
高校は郊外にあった。
付近には地下鉄の大きなラインが走り、高速道路にも接続する地区で、車の交通量はかなり多い。一帯は、大きなマンションの立ち並ぶ新興住宅地だった。
私は、箱の中を困惑した表情でみていた。
窓からさしてくる昼間の太陽に照らされて、赤く半透明の球形の実が、ひとつひとつ、あざやかにみえるのであった。まっ裸の果実には光が当たって、そこだけ赤い絵の具を溶かしたような色で、てかてかと光った。
どうも、妙な感じだったのである。
それはあまりにも生き生きとし過ぎていて、灰色の鉄筋コンクリートの中では、かえって、落ち着きのない、間の抜けたものに見えたのだ。 最初、嬉しそうな顔をして見せてまわっていた当の女の子だったが、周囲の褪めたような視線を感じたのか、だんだん元気がなくなって、結局、恥ずかしそうに果実を箱ごとしまってしまった。
そのうちに、午後の授業が始まった。
私は、ずっといちぢくのことが気になっていた。彼女は、海の近くに住んでいるのだ、ということも、その時に思い出したりした。
放課後、帰り支度をしていた彼女に、私は声をかけた。
実は、さっきのいちぢくをもらいたいのだ、と話すと、彼女は笑顔になって、
「箱ごと、あげる」
と言った。
そうして、急いで手提げ袋から取り出すと、そのまま私に渡した。
私は、その箱を誰もいない屋上に運び、一人で中身を食べた。
新鮮だし、甘い。何かの工夫をして冷やしていたらしく、なんだかとてもうまかった。
しかし、感心する一方で、正直なところ、
「こんなものを持ってくるなんて、やっぱり田舎だなあ」
と、当の女の子をからかうような、どこか軽蔑するような気持ちもわいたのだった。(つづく)
高校生の頃。
お昼休みの、なにかホッとするような時間をすごしている時、クラスの女子の一人が、
「これ、食べて。家でたくさんとれたの」
と何か箱のようなものを、私の机まで持ってきた。
これ、と見せられた箱の中を見ると、なんと、真っ赤ないちぢくである。私は、それがあまりにもだしぬけだったので、意表をつかれた思いがした。
箱は、私の机の上に、ちょこんと置かれた。
昼休みの間に、いちぢくは、こうして何人かの机の上を、転々と引っ越してきたのであった。箱の中のいちぢくは、まだ一つも減っていなかった。誰も、手を出してそれを食べようとしなかったらしい。教室には、何十人も生徒がいたのに、である。
それは、まるで、居場所を失った小動物のように、私の机の上に置かれた。
箱の中を覗くと、真っ赤に熟れた果実が、箱の中でいくつも積み重なっていた。
私は、正直なところ、困った、と思った。教室の中で一人だけ、いちぢくにむしゃぶりつく様は、あんまり格好よくないな、と思ったのだ。
生徒の大半が地下鉄で通ってくるような、乾いた都会の高校である。いちぢくの土臭さが、教室の中では、妙に浮いてみえるのだ。
当の女の子は
「みんな、食べない?」
と言って、他のクラスメートにも、ずいぶん声をかけてまわったのだった。
おそらく、実家の畑でとれたものを、こうして大切に持ってきたのだろう。親に言われてそうしたのか、自分でおいしそうだと思ったからか、長い通学時間を、朝の電車や地下鉄の中を、彼女の手によってここまで運んできたのだ。そうして、昼休みになって、ようやくチャンス到来とばかりに、皆の前に披露したのであった。 (つづく)
本当の本当は・・・、といったって、本当がすぐにみえるわけでない。
ただ、簡単なことならいえる。
ねがっている、ということがある。
自分は何を、ねがっているのか、ということ。
いつも、そこに立ち還ろうとしている。
自分の本心は、本当は、何をねがっているのか。
「何がしたいのか」という問いには、動作や所作をこたえてしまう。
「本当のあなたは」という問いには、次元や過去未来の別までを考えてしまってきりがない。
「何を学んだか」という問いには、本当にはわかっていないことを学んだ、わかったと言ってしまう。
「どうしてそうするの」という問いには、「やりたいから」とこたえてしまう。
そうやって、安易に答えてしまうたびに、あとで心の片隅が、
「本心はちがうかもね」
とささやく。それがわかる。
ただ、本心を衝く、衝くことのできる、「問い」がある。
問われるたびに、本心が、こたえようとすることがわかる。
それは、
「自分はいったい本当は何をねがっているのか」
という問いだ。
この問いには、いつも考え込んでしまう。謙虚に考えたくなる。どこまでも。
○○ちゃんは、本当は、いったい、なにをねがっているのだろうね。
心の奥底、本当の、本当の心の底では・・・
現代人は毎日、足りなさを指摘されて生きている。
栄養が足りない、ビタミンが足りない、能力がない、パワーがない、無神経だ、感性がとぼしい、余裕が無い・・・。
だから新しい栄養剤が流行するし、新しい感性のファッションが拍手をもって受け入れられる。たえず、どこかで流行がつくられ、消費されていく。
それはしかし、古い観念がただ目先の変わった観念に塗り替えられているだけだと思う。観念が観念にとってかわられ、それがしっくりこないからまた新しい観念をほしがる。ずっと欲しがりつづけるけれども、けっして満たされることはない。
視点を変えて、今の自分たちの生き方は、もしかしたらいろんなことが過剰なのではないか、と思って見てみると、むしろずっと楽になれるような気がする。
過剰さに気がついたら、それを放してみることだけである。持たない、放すという理念は消費とは無縁だからだ。
セラピーや癒し、宗教や占いなど、精神の安定をもたらそうとする商売が巨大な産業として成り立つ時代の背景には、まだまだ何かが足りない、不足している、という極端な思いこみがあるのではないだろうか。
過剰さに気づく、そうしてそれを放す、という発想。それだけで、現代人はもっと楽になれるような気がしてならない。
頑張って勉強することだ、と理想に向かって自分自身の中で緊張を高めていった。
立派な人格者であらねばならない、勉強しなくてはならない、努力しなければならない、と思い込み、ひたすらその道に邁進した。
たえず、自分をみがき、自分自身に対して努力を強いた。そうしているうちに、肩こりも始まったようであった。
社会の価値に同調し、それの実現にむけて自己を強迫する。私の青少年期の生き方は、まさにそうだった。社会が認める価値しか、目に入ってこなかったからである。他にまったく別の価値観があるなどということなど、当時の私がどうやって知り得たろう?
落ち着きがない、協調性が足りないという指摘もあったが、自分では一生懸命社会の価値に同調しているつもりだったのである。だから、協調性がないとか自己統制できない、という、なんらかの欠落を指摘されると非常につらい思いがした。一生懸命やっているのに、この上なにが足りないというのか、と叫びたい気になった。
私にはむしろ、社会の一般的な価値に自分をあてはめようとしすぎた、その過剰さの方が問題となっていたのではないかと思う。自分がお調子者であることや、生来のノリの良さ、その辺をもっと自覚していたら、肩こりにもならなかったような気がする。
足りなさを指摘されるだけでは見えなかったものが、過剰さ、というふうに言葉を代えてみると、まるで言葉の補助線をひいたように、それまで見えなかった問題が浮かび上がってくる。私にとっては、過剰さの方が深刻な問題であったのだ。(つづく)
このような私について、周囲の大人たちは次のように語った。
「この子には、落ち着きが足りない。協調性が不足している」
私自身、十分にそれを感じていた。反省もした。
しかし、その足りない落ち着きというものをどうやって獲得したらいいのか、不足していると思われる協調性をどうやって新たに身につけたらいいのか、その処方の仕方についてはまったく見当がつかず、途方に暮れた。
親や先生は、よくこう語った。自分の人生には無限の可能性がひろがっている。それをどう生きていくかは、まったく君の自由意志にかかっている。どんな人生を送ることだって出来るのだから、一生懸命頑張って、立派な一生をおくってほしい、と。
私は、その言葉がよく分かったような気がした。
「自分の人生なんだからな」
そう言われると、この一生を本当に頑張って行きていこう、という気になった。
理想を求め、現在に安住せず、たえず充実した意味の世界に生きていこうと、厳しい行動習慣を自分自身に命じるようになった。(つづく)