30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

映画にラベルをつけてほしい

映画館についても、なかなか入場する気にはならない。
なぜかと言うと、映画のタイトルやポスター類をみても、どんな映画なのか、よくわからないのだ。

ともかく、私のその時の希望は、

できるだけ音が少なく、爆発などせずに、欲を言えば、あまり複雑なストーリーではなく、できるだけ楽にぼーっとして見られる映画が見たい。

ということだった。

何せ2時間近くも、座っているだけで疲れるのである。
画面の向こうに、大きな音が聞こえて、破裂などしていれば、聞いているだけで疲れてしまう。

できるだけ、静かそうなのが良かった。最後まで、静かでおとなしそうなのが。
できたら、ドキドキハラハラもしたくない。

こんなこと言うと、そんなつまらなさそうな映画どうして見るの?
などと、おそらく、若い人ほど言うに違いない。私も若い頃はそうだった。スリルを求めた。サスペンスが好きで、ハラハラ・ドキドキすればするほど満足した。

自分も今日映画館に着くまでは、自分のことをそうだと勘違いしていた。
実際にその場に着くと、私は自分の年齢を自覚した。もう、ドキドキ、ハラハラすら、求めなくなっていたのである。

その代わり、起承転結も必要なく、できたら、起・承・承・・・・くらいが望ましい。結すら不要である。主人公のその後がどうだろうが、どうでも良い。それぞれが好き勝手にすれば良いだけのことだ。

私は、究極的には、どこかの何も知らぬ爺様が出てきて、そのおじいさまが、朝起きて、起き上がって、椅子に座って、新聞を読みながら、茶をすすっている、たったそれだけの映像を、2時間連続で見たほうが、どんなにか、人生について考えられるかとも思う。

そのような映画があれば、私は毎日でも見に行きたい。
今度のじいさんが、前回のじいさんと、どのようにお茶のすすり方が違うか、それだけでも本当に勉強になると思う。そして、そこから、彼の人生と、これまでの遍歴と、人生観の違いすら感じることができそうだ。
新聞を取っているかどうか、どこの欄から読み始めるのか、お茶を飲むのか、それともホットミルクを飲むのか、あるいは使い古したマグカップなのか、それとも寿司屋の湯のみなのか。

座っている椅子はどんな風か、腰をかけて、どんなふうにため息をつくのか。
その様子を眺めているだけで、人生を考えることができる。

映画館に要望がある。
静かな映画にはサイレントの頭文字である【S】と言う記号を、タイトルの横につけて欲しい。そうすれば、私のようにもうドキドキもびっくりもしたくない。静かにぼーっとしていたい人も、その映画を選択できるからだ。
体力がない。ドキドキする体力は、夏休みの研修をこなしている現役の教師には、もう残っていないのである。

私がそんなふうに、できるだけ静かな映画を探していたところ、1つ見つけた。
それが、【90歳。何がめでたい】という、佐藤愛子さんのエッセイ集を元にした映画であった。

これは、静かだろうな。

直感が当たった。

映画は、期待通りの静けさであった。
草笛光子さん演じる、愛子ばあさんの一挙手一投足を見ているだけで、こみ上げてくるこの満足感がたまらなかった。

火薬はいらない。
盛り上げもいらない。
淡々と人生の日々の出来事が繰り返されていくのが、この人生の最も価値のある瞬間だ。また、その人一人ひとりの自己決定の清々しさを、他人はすべからく尊重するべきで、そうなると、人は必然的に余計な口出しをしなくなる。

【90歳。何がめでたい】は、そんな映画でありました。良い映画を見た、という満足が、帰り道の私の足取りを軽くした。

この夏、オススメであります。

IMG_6655



ぼうや、よい子だねんねしな〜メディアと時代〜

時代は変わったなあ,と感じることが増えてきた。
例えば今の子供たちは「まんが日本昔ばなし」を知らない。

テレビで放映されていたこの番組は、我々の世代は毎週土曜日ともなれば楽しみで仕方がなかった。
2人の声優の、何とも芸術的な声。どんな人物もどんな 鬼も妖怪だって演じてしまう。

たぬきがしゃべったら、ハハァこんな声だろうなと思うし、狐が喋ればこんな声なんだろうなと納得してしまう。

その日本昔ばなしを、今の子どもたちは知らない。

ほんの5年ほど前の子供は知っていたんです。あくまでも私自身の体験ですが・・・

だからこの5年間の間に何らかの変化があったに違いない、と思うのですね。
これはおそらく 親の世代の変化だろうと思う。
親が、自分が子供の頃に見たあの日本昔ばなしを子供に見せてやりたいと思うかどうか。

ほんの5年ほど前まではそういう親がまだ世の中にいたのだろうと思うのです。
あとは、年配の保育士さんがそれを見せていたというのもあるかも。

おそらく、この5年間でそういう保育士さんもほぼいなくなってしまったのだろうと推測されますな。(いらっしゃったらごめんなさい)

従って 今の子どもたちに、

〽︎坊や良い子だねんねしない 今も昔も変わりなく 母の恵みの子守歌〜♪

などという 鼻歌を聞かせても何にも反応がない。

なんの歌?ソレ・・・

である。
番組の終わりに流れる

にんげんっていいな

という名曲すらも、同じだ。知らない。知られていない。何ソレ、初めて聞いたんですが、という感じ。

小林亜星さんの偉大さを思うネ・・・

思わず、私は、この木、なんの木、気になる木、などと言い出してしまう。

〽︎このぉ木、なんの木、気になる木ィ〜

廊下を歩きながら、給食の食缶を運びながら、思わずそれを口ずさんだとき、近くにいて一緒に缶を運んでいた子が、

なんで先生って鼻歌を歌うの?
ソレ、なんの歌?

と聞いてくれたので、私は思わず、

「ちょっとした昔を思い出したとき、人は鼻歌を歌うんだよ、この歳になるとね」

と言うと、その優しい子は

「へえ」

と興味も何も無い様子。

「◯◯さんは、鼻歌は歌わない?」

私がちょっと恥ずかしさを隠す気持ちで、そう言うと、

「歌わない」

と、即答。

「お父さんやお母さんは歌わない?」

「お母さんは、たまに歌うかな」

「なんていう曲?」

「うーん分かんない。昔の曲ダネ」

「あぁなるほど。きっとお母さんは昔のことを思い出してるのかもよ」

という会話をしました。

思い出している暇もなく、現在を生きている子供たちにとって、昔のことを、あれこれと懐かしむのは、老人のやることのようですナ。
しかし、昔の話を、同世代と、あれこれとめちゃくちゃしゃべるほど、楽しい事は無いですナ。

私は、小林亜星の話だけで、秘密のアッコちゃんとか、寺内貫太郎一家とか、ネスカフェゴールドブレンドのCMの話とか、まんが日本昔ばなしのオープニングに出てくる長い胴体の辰のことだとか、何時間でも喋れますね。それだけでごはん三杯はイケますな。
FullSizeRender

中年クライシス・・・についての論考

若い時は、得られるものがどんどんと増えていく。
ものも資格も仕事も立場もどんどんと増えていった。

知り合いも同僚も増え、家族まで増えていく。
人間関係がどんどんと広がっていく。

ところが50代になるとだんだんと、そのあたりが整理整頓・淘汰され、厳選されたものになっていく。

これは必ずしも、悪いことでもない。
自分が人生に求めるものが明確になったとともに、質も形もシェイプアップされ、昇華したのだとも言える。

自分が手放すものに気づくと、さみしいという気持ちも湧く。
と同時に、日常の些細なことが心に刺さるようになる。

例えばコンビニエンスストアのレジの人とちょっとした会話で、お互いに笑顔で別れたりすることが嬉しくなったりする。

本を読むときに、この本を書いた著者の考えが心に染みたりより近く感じたりするようになる。

映画を見ても、ストーリーそのものもそうだが、この作品を撮った監督や役者と言うものに目が向き、それらの人々と一緒にいるかのような感覚や、その人と自分との関係を考えたりする。

教員は職業柄、毎日図書館に通っているようなものであり、私は学校の図書館を図書委員の仕事を確認しながら、好きな本も見て回るのが好きだ。

そして本当に自分がタイムスリップしたかのような気持ちになる。

この間は、モモちゃんとプー、モモちゃんとあかねちゃん、などの名作を図書館で見つけ、しばらく、立ち読みをしたところ、目頭が熱くなってきて困った。作者の、大人としての、親としての、一保育者としての気概を感じるからだ。

また、ミヒャエル・エンデの様々な作品、ジムボタンの冒険や、果てしない物語などを見つけたり、ドリトル先生のシリーズ、いぬいとみこさんの名作、北極のミーシカムーシカ、その他の本ともなれば、背表紙で本を見つけた瞬間に、心が躍る。

そして、明確な違いを感じる。
子供の時や若い時に読んだ本は、本そのもの、作品そのものに関心があった。

しかし、今は違う。

その物語を書いた当時の作者の気持ちや考えや、人生観と言うものに、どうしても興味が湧いてくる。この文章を少しずつ書き進めていく最中の、作家の心持ちや考えや、日々の暮らしと言うものに興味が湧いてきて、どんな食べ物を誰とどんなふうに食べながら、どんな街をどんなふうに散歩しながら、この物語の着想を得たのだろう、と考えているのだ。

これは、人生と言うものを、ある程度経験してきたから、いつの間にか、そんなふうな所作が身に付いてしまったのだろうと思う。

一朝一夕で身に付いた所作ではない、ということやね。いいのか悪いのか、中年になると、人生を見る見方が変わるということですな。

IMG_5774

朝陽の中を散歩した話

平日はそうでもないのに、なぜか休日になると目が早く覚める。
そして、散歩でもしたくなるのはなぜか。休日しか、こんな気持ちにはならない。

朝日がのぼる前で、うっすらとしたマジックタイムを、山を見ながら久しぶりに歩いた。

すると中年特有の寂寥感というか、なんだか込み上げてくるものがある。
感謝や恐れが入り混じったような気分、中年クライシスという言葉もあるわけで、何しろ涙脆くも塗りつつあるのだから、あれこれと思い耽る散歩になった。

ふと思い出したのが在原業平で、あの時、周囲の者たちが一斉にその寂寥感に打たれて、みんなで咽び泣いたらしいが、その状況がイメージになって湧いてきた。

伊勢物語では、在原業平が東下りで三河の八ツ橋に至り、沢のほとりで杜若の花が「いとおもしろく咲きたり」、それを同行者が「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて旅の心をよめ」と言ったので詠んだ。 同行者はみんな感激して涙を落とした結果、干したご飯がふやけた、というエピソードがある。

これを私は高校生の頃に習ったが、そんなに簡単に人は泣くものだろうか、という疑問を持った。
今はそれがわかる。中年になったからだ。

さて、この寂寥、という感覚とは、いったい何なのだろうか?

人間の遺伝子が大昔とさほど変わらないと言うことから、人間の生活は、物質的な面や文化の面でも大いに変化はしているが、雄大な景色を見たり、太陽を見たり、風を感じたり、山を見たり、海を見たりすることで心に湧いてくる感情はおそらく10000年ほど前の縄文人たちと今の自分は遺伝子的にそんなに変わらないのではないかと思う。

おそらく雄大な景色を見たときに、心が膨らんでくるかのような圧倒された感じや良いものを見た感覚や夕日が沈むのを見て、何らかの寂寥感だったり、大きなものとの別れに似た感じを受けるようなものは、当時の縄文人たちも感じていたことだろう。

もしも、この人間的な感覚が人間の生活に不要なものであれば、とうだったろうか。
一万年の間に淘汰されて、感覚的に薄れていったのだろうと想像する。

しかし、いま現代人のわれわれだって、夕日が沈むのを見るときに、心に迫るものがあるではないか。

これは、この寂しい感じが、人間の存在や価値について大切な感覚だったから残ったのではないかと想像する。

IMG_6097

プール清掃前に理科・生活科の授業をやること

以前、神奈川の小学校に勤務していた時のこと。
その小学校では、プール清掃をする前に、網を持ってきて、プールに生息している様々な水生昆虫を集める学習があった。

おそらくそれは理科の大好きな先生が始められたことで、科学教育研究会(かきょうけん)という組織に所属していたある先生が私にも声をかけてくださったのだ。

校長先生に許可をもらい、クラス全員でプールに赴くと、既にそのS先生のクラスの子たちは、先にプールに到着しており、先生は子供たちに何かを指示しているところだった。

私は低学年の担任だったし、道具を持ってきていなかったので、ほとんど見るだけであったが、S先生は、自らも網を持ち出して、たくさんの昆虫を救った(掬いあげた)。

「来週このプールは6年生が掃除をしてピカピカにします。その前に、どんな生き物がいるのかを調べてみましょう」

S先生は、最初に見つかった水カマキリを、理科室から運んだ大きめの水槽に入れて我々低学年に見せてくれた。

勤務していた学校は都市部ではなく、まぁまぁ自然も残っている学区だったけれど、それでも子供たちはあまり水カマキリを見たことがないから、子供たちは皆、熱心にその生き物を見つめた。

「タガメがいないかなぁ」

とS先生がつぶやくと、その言葉に反応したうちのクラスの男子がちょっと興奮した声で、

「おれ、タガメ見てえ!」

と叫んだ。

タガメを知っている子はそう多くなかったけれど、それでも何人かは知っていた。タガメは、水中では魚を捕まえる位に、凶暴な肉食の大型昆虫であります。
小さめのフナのような魚であれば、タガメは捕まえてしまうのではないか。がしがしと食べるのではなく、チュウチュウと生き血を吸うのであります。

私がそのことを説明すると、クラスの子供たちのボルテージは、おお!と高まるのでした。

結局、タガメは見つからなかったのですが、ガムシやマツモムシなどはたくさんいました。どこからか飛来してくるのか、1番たくさんいたのは、トンボのヤゴです。大きめのヤンマ系列のトンボは、ヤゴの大きさも大きいです。私はぱっと見てわからなかったのですが、小さなホコリのようなものも、S先生が見たらヤゴでした。

あと、たくさんいたのは、おたまじゃくしです。カエルはどこかに潜んでいるのでしょうか、プールがここにあることを、なぜか知っているらしいのです。
そういえば、学校のちょっとした茂みに蛙が見つかることがあり、こんな街の中でも生きているんやなぁと感心していたのですが、考えてみたら、この蛙たちは、学校のプールで、どうやら大きくなっていたようです。税金でカエルを養っておりました。

S先生は、たっぷり、私たちに昆虫を見せてくれたあと、最後には、捕まえた昆虫たちを水槽に入れて、校長室前で数日間観察会を催してくれました。

私はこの時に良い思いをしたので、次の学校に転勤で異動した時、プール清掃前にS先生の真似をして、昆虫を見つけようとしたことがあります。

ところが、何の昆虫も、そこのプールには見つけられません。子供たちと網ですくって色々と探してみたのですが、ヤゴもおたまじゃくしもほとんどおらず、都会すぎるからだろうか、同じ市内でも住宅街が多いからかなぁ、と不思議に思っていました。
結局、それは、冬の間に藻が発生するのを防ぐために薬を入れていたからなのでした。後で、教頭先生に聞いてわかったのです。何でも先に、管理職の先生方に聞いておくのがいいですよね。

今年は私は理科を担当していないので、昆虫のことを忘れておりました。でも、来年はやりたいなぁ。

今の子どもたちの中には、ガムシもゲンゴロウも、マツモムシも、ヤゴも、見たことがない、という子もいます。

IMG_6312

これは何かしらちょっとまずいことのような気がしています。

ぬいぐるみを用いたごっこ遊びの価値

私は教室に3つのぬいぐるみを置いている。何のためか。
私が子どもを観察して、その子の個性を見極めるツールにするためだ。

どこかへ無くなったり、雑に扱われたりするのは嫌なので、必ず私の普段いる教卓の近くに置いている。
休み時間は触って良いことになっている。

すると、子どもによっては、そのぬいぐるみを3つ使ってごっこ遊びをする。
3つと言う数字には、訳があって、2つでは、A対Bという関係しか生まれないのに対し、ABCと言う3つの立場があると、ストーリーの展開に幅が出てくる。

赤ずきんの物語でも、赤ずきんと狼だけでは面白くない。そこに子どもが考えたロボットが登場したり、急に森の妖精が現れたり、闇の帝王が出現したりする。
この辺のストーリーの作成能力や、客観的に登場人物の気持ちや行動やその様子を言語化して楽しんだりしている様子を見ると、その子の国語の語彙数や、形容詞の使い方、〇〇みたいだと言う比喩の使い方、普段考えていること、流行に敏感かどうか、多くのことがわかる。

ぬいぐるみの動きがおかしかったりすると、ケラケラと笑って、それだけで楽しい。また、こんなふうにされたら嫌だろうなとか、こんなことを言われたら、焦るだろうなとか、慌てちゃうよねとか、疑問に思うよねとか、「他者の感情」というものを学習することができる。ぬいぐるみで遊ぶと、自分以外の友達が、どんな心的状態にあるかを観察できるし、それを言語化することが可能だ(自分とは異なる心の状態を持っている、という事実は、重いものです)。
ごっこ遊びを通して、子どもたちは第三者の立場から、その時に起きている行動、気持ち、感情の動きなどを追体験することができるのだ。
これは立派な学習である。

道徳の授業で、低学年の先生が、物語に出てくる人物の顔のイラストを黒板に貼っているのを見ることがある。
登場人物の気持ちを、客観的に捉えさせるときに使われる。
これはぬいぐるみに置き換えることもできる。実際に口をパクパク動かせるタイプのパペットのようなぬいぐるみを使って子どもに考えさせ、「自分だったらこういうだろうな」「こう言いたくなるよな」と言うセリフを言わせる授業を見たこともある。

つまり、子どもたちは、楽しんで遊びながら、人間関係のあらゆる事象を勉強するのである。こんな場合、君ならどうする?こんなことを言われた場合、あなたはどんな気持ちになる?と。

教室にパペットやぬいぐるみをいくつか置いておくのはとても効果的だと思う。

お勧めのぬいぐるみのタイプは、やはりパペットだ。口がパカッと開くタイプのパペットだと、それでいかにもおしゃべりをしたような気分になれるし。また、食べちゃうこともできる。相手のキャラクターを頭からガシッと噛むこともできる。

助けてくれえ!

と、食べられた側のキャラが叫び出すと、それを聞いた白魔術師が現れて、ピンチを救うことになる。

チャイムが鳴って休み時間が終わると、どの子の顔も満足そうだ。
これは、理由があって、心理学の立場から言うと、あるストーリーを追体験すると言う行為を行うと、人の心にはカタルシスが生じて、一種の心の洗浄が行われるそうだ。

私は、これを聞いたときに、あることを思いついて、早速、クラスのトラブルメーカーであるやんちゃくんに対し、その子の好きなキャラのぬいぐるみを持ってきて、休み時間に一緒に遊ぶことにした。

そこで発見したのは、トラブルを起こしやすい子どもの場合、家ではあまりこうしたごっこ遊びをしていないということがわかった。これは、この子だけではなく、私の長い教員人生でかなり頻繁に見られる顕著な事例なので、高確率で当たっていると思う。

ぬいぐるみを使って、何度もストーリーを作り替えてたっぷり遊んだ経験のある子は、そう多くはない。
また、一緒に遊ぶ時も、遊び方に特徴が見られる。遊び方が雑であって、ストーリー展開はほぼ固定化していることだ。

強いものが出て、弱いものをやっつけると言うパターンが多い。
つまり、いつも戦っている。
一緒にどこそこを目指して冒険しようと言う、西遊記のようなお話をしようとしても、敵を倒すか、仲間割れをするか、そのどちらかになることが多い。
ストーリーはほぼ展開して行かないのである。

キャラクターに様々な要素をくっつけて、話の幅を広げようとしたり、前回こんなことがあったから、このキャラクターは◯◯が好きだとか、こんなことが苦手だというような情報は、まったく重要視されず、そんな事はどうでもいいから戦おうとなることが多い。

したがって、私の挑戦は、その子と、西遊記のように長い長いお話を続けていくことである。

毎日遊ぶわけにはいかないし、彼は彼でドッジボールもしたいのだから、私と彼がぬいぐるみで遊ぶ時間は限られている。しかし、私はめげずに、その子とぬいぐるみで遊び続けるつもりだ。

ぬいぐるみが、途中で橋から落っこちそうになり、助けてと叫んだときに、その子が後戻りして戻ってきて、大丈夫か?と声をかけて、縄をおろして、私のキャラを救ってくれようとした時、私は何度もありがとうを繰り返した。
その後、彼と私との関係は、良好である。

FullSizeRender

部活動の質を変える方法【非認知能力の向上】

勝利と言うのは、やはり、どうしても、誰かに勝つ、あるいは、自分以外の何者かに対して優越すると言うような感じで捉えられることが多い。

簡単な例がじゃんけんで、小学校1年生でも、じゃんけんで勝つとか、負けるとか言うことに理解を示していて、勝つと嬉しそうに興奮するし、負けると残念で悔しそうな顔をする。

買ったら、〇〇がもらえるなどのような、ご褒美形式の状況がある場合、勝たなければその目的のものが手に入らないわけで、負けたら残念に思うに違いない。

だから、勝つということには、価値が置かれているし、これは大人も子供も変わらず、勝つと言うことに対して社会的な意味が与えられているのだと思う。

ところが、人類がこのシステムを採用する場合、一部の人にしか良いことがないので、人類全体から見た場合には、マイナスが生じている。
子供時代の部活動において、トーナメント方式などが採用されていることが多い。これは土曜日か、日曜日などの限られた時間を使って、スタッフを含めて、関係者が試合のスケジュールを効率的に進めるには便利だからであります。

トーナメント方式を採用する場合には、本当に勝つのは、たったの1チームのみで、残りのチームはすべて負けを経験することになり、勝利にのみ価値を置く思考スタイルを採用すると、多くの場合、マイナス面が大きい。

だから、本当に子供の心理的な安全性を最優先に考えるのであれば、トーナメント方式は良い方法とは言えない。

そう考えると、プロ野球のようにシーズンを通してずっと試合があり続けると言うのは面白いシステムだと思う。
どんなに弱小チームでも、強豪チームに今日は勝つことがある、場合によっては、大量得点を奪うこともある。
チームとしての成績もあるが、個人としての成績も、様々な尺度でデータ化される。するとチームは必ずしも強くはなかったし、優勝はしなかったが、今の自分はこのチームに多大な貢献をしているし、チャンスの場面で活躍したことがあるとか、ピンチの場面でうまく切り抜けることができたなど、大きなストーリーの中で自己を捉えることができる。

ところが、高校野球はトーナメント方式で、最後まで、涙を流さないのは、たった1校だけ。残りの参加校はことごとく涙は流すのである。

おそらく、今後、子供の成長、発達や心理的な安全を考えるのであれば、トーナメント方式は採用されなくなっていくだろう。

それよりも、コーチや指導の立場にある人々の考えがうんと変わるので、勝つことに価値を置く指導者は減り、その指導を受ける子供たちも、勝つことに価値を置くと言うよりは、もっと違う面に価値を置くようになっていくと思う。

たとえば、次のように。

・サッカーが好きで楽しんで練習を行っている自分。

・もとは嫌いだったが真剣に取り組むようになった自分。

・自分なりに工夫することができているかどうか。

・うまくいかなくても、相手に負けてもイライラせずに、次に向けて気持ちを整理できる自分。

・まわりの人にアドバイスを聞きながら練習できる自分。

・コーチの話をしっかり聞き、感謝の気持ちを持てる自分。

などのように。

勝てたからよかった、
勝てたから、自分には価値がある
負けたから良くない
負けたので、自分には価値がない

たったこれだけの貧しい価値観で、自分のことを見つめる必要はなくなる。

どんな自分なのか、このスポーツに関わっていることで、自分はどんな成長を得ているのか。
そこに、価値を置けるようになったときに、部活動のあり方は、初めて変わる。

朝から晩まで、土曜日、日曜日も無くして、全てを犠牲にしてやらなければならないという苦しい部活動は、この世から消えていく。少なくとも、怒声や罵声はきかれなくなる。「叱らないでもいいですか」。このブログのタイトルが予言した世界が、近づいている。

FullSizeRender

教員採用試験を受ける人が少ない件

転職、転職、そして転職、さらに転職で教員になった私のような人間こそが、このことについていうべきことがあろうと思いまして。

文科省が、「教員のなり手がいない、採用試験の応募者も少ない、どうしよう」と悩んでいるようです。

それはもう若者自体の人数が減っているわけだし、日本人の総数が減っていくのですから、もう日本自体が昔のようにぜいたくはできないし、あるものを有効に利用しながら活かしていくという、省エネの暮らしに変えていくしかないわけで、教員になりたいという若者がいなくなるのは当然でして。

それがわかっているので、手を打たなければならないのですが、有効な手を打てていない。

文科省は、学校というシステムや装置自体を、縮小していくことに加えて、とりあえず今の危機をしのぐために教員になろうとする人間を増やさないといけない。しかし、なかなか難しいようです。

このことがだんだんと世間でも話題になっていまして、どうやら採用試験のルールや日付を変えたりなど、小手先のことしかまだやっていない様子。
あとできることは、「やりがい」がある仕事です、というのを世間にアピールすることくらいらしい。

やりがいのない仕事なんて、ないでしょう。
どんな仕事だって、やりがいはありますよ!

なぜ教員のやりがいを主張したら、世間の若者が応募してくると思っているのかわからない。
他の仕事にもたくさんやりがいがあるんで、・・・
やりがいがあるよ、と100万回、文科省が叫んだところで「あそう」で終わると思う・・・。
くれぐれも、どんな仕事にも、やりがいはありますから。

もしかしたら、教員のしごとは特別だとか、文科省さん、思い上がった気持ちでいるのでは・?
そんなことないっすよね。

わたし、19歳から35歳まで、他の仕事をしまくりましたので、これ言えるんです。
教員になる前に、たーくさんの職業をしたんで。
どの仕事もね、夢中になってやっている人がたくさんいて、みんな誇りをもっておりまして、世のために尽くしているのですね、それでやりがいがあるんです。教員のやりがいを主張されても、

だから、なに?

というしかない・・・
やりがいがあるから、教員になってくれ、といわれて、若者たち、じゃあ教員になろうかな、とはならない。
文科省は、なぜそれがわからないのか、と考えていたら気づいた。

それがわかるような文科省なら、もう10年以上前から働き方改革してるよ!
わからないからこそ、その体質だからこそ、今の困った現状があるのじゃないか。至極当然。

他の仕事、他の業種は昭和から平成にかけて、どの職業も、どの職種も、労働基準法で仕事が成り立つように、苦しいながらも現場で人が働けるように、それでも利益が出るように、と、ものすごく苦労してきた歴史があるわけですね。

でも、その努力を、すべて教員の個人的な良心と善意に、依存してきたわけで。
今、そのマイナス面が噴出してきちゃった。
だれも、教員になんて、なりたくないんですよ。お昼ご飯を5分以内で食べなきゃいけなくて、休憩時間というものがなく、ほぼ10時間くらい、立ち続けているような仕事。みんな少しは座りたいから。

先日来ていた教育実習生が、「本当に休憩ってないんですね」と言っていたのが印象的でした。
当たり前過ぎて麻痺している、担当の先生に「そだよ」と1秒で流されていましたが。

労働基準法が、例外視されてしまい、それがふつうとなってしまった教員の仕事。
労働基準法が、ないこととされている異常な空間。
若い人たちがやりたくないって。無理もない。

文科省の人たちも、本当は気づいている。
でも、予算がおりないんだって。
だからどうしようもないって。

いや、予算かけないでいいのですね。金は使わないでも。
子どもに関すること以外の余計な仕事が減れば、万事、うまく回転し始める。かんたんなこと。

IMG_6205

教師はますます 教えなくなるが、弊害はなくなっていく

教師の仕事は 一昔前とはもう大いに違ってきております。

早い人で、もう3、40年以上前から、いわゆる【上から下へ知識を流す】と言うような一方通行のイメージはなくなっていると思います。

教師の世界で批判されるのは、このタイプで、もう30年以上前の教師用の教育委員会の資料でも、いわゆる「鵜飼」型の指導は批判されています。

次に現れたのが、トライアングル型で、先生は、どこかの頂点にはいるのですが、他の2つの頂点は、どちらも子どもで、いわゆるこども同士を、お互いにつないでいると言うようなイメージが生まれます。

教師はそこに適切に介在し、子どもたちの討論が生まれるように、あるいはお互いに疑問点や意見を出し合いるように、場を整えていきます。

これは教室のあり方としては、非常に正しく今でもこれは間違っていません。

このことが土台になり、今の教室のイメージはさらに発展しております。
と申しますのは、実は教師子ども以外のものがそこに大きく登場してくるのです。

それが、「データベース(知恵の泉)」です。

子どもは様々な意見を瞬時に把握し、どこにどんな情報があるかを見抜いて、自分の意見のたしからしさを調べる作業に時間を使うのです。

・教科書に書いてあるが、本当だろうか?
・もっと細かなちがいはあるか?
・AとBの比較で、さらに共通と呼べる部分はあるか?

友達の体験に裏打ちされた意見を、電子黒板でサッと判断するのです。
ぜんぶ、いっしゅんで出ますからね。見てわかる。これが早いです。
電子黒板がなければ、一人ひとりに大きな画用紙に書いてパッと差し出してもらうか、あるいは一人ひとりが自分の意見をとうとうと話すことになるのでしょう。そんなことしてたら45分はあっという間に無くなります。

子どもたちはクラス全員が同じように【知識の泉】をとりまくようにして立ち、いっしょの目線でデータベースを眺めながら、意見を交換し合うのです。で、ふと気がつくと先生もいっしょに横に立っている、というような・・・

これが令和の教育における、教師の立ち位置なわけですね。
昭和とはかなりちがうことがおわかりいただけたでしょうか。

------------------------------

あと、もう一点、考えなければならないことがあります。
調べる際にインターネットを使う場合がありますね。
大切なのは、この、インターネットのデータベースは全て正しいわけではないと言うところが、現代の、本当に現代らしさを反映した部分だと言えましょう。

教室で子どもたちが出会う知識と言うのは、すべからく正しいものである、と言うのが、これまでの常識だったのではないでしょうか。

その最たるものが、昭和初期の教育で、教師の言う事は絶対である、と言うような雰囲気があったそうですね。祖父や父から聞いただけで、実際に体験したわけではないけれど。

ところが、今現在知識と言うのは正しいかどうかと言うことが非常に疑われる時代になってきました。
子どもが何かを知ろうと思ったときに、実はインターネットというものが存在しており、いつの間にか人間社会は、インターネットで検索してみた知識、と言うものを無視することができなくなってきています。

え? 教室でインターネット使うの?心配!インターネットは嘘ばっかりよ!?

と言う皆さん。ご心配なく。
そんなこと子どもだって知ってます。

インターネット初期の時代は、インターネットに書かれていることは、かなり真実なのだろうと考える人が多かったです。でももうすでにほぼ全国民が、インターネットは嘘ばかりと言うことを実は知っています。

なので、子どもも検索したあと、例えばこんな反応をします。

ここにこんなふうに書いてあって、そういうことになってるみたいだけど、ほんとかなぁ?

これが令和6年度の子どもたちの実際の姿です。

しかし、インターネットを無視できないものとして、教育をする事はもうすでにできなくなっています。
なぜなら、教室でありとあらゆることを討論する際に、必ず誰かがインターネットで調べてみたいと思うからです。大人の真似をして・・・。

全国民の大人たちが、インターネットで調べるのを、当然のようにやります。だからなのか、子どももインターネットで調べたい、と思うらしいのです。

嘘ばかり載っているんだから、教室では調べない、と言うことにすると、宿題では無いのに、勝手に家で調べてきたりします。インターネットで。
なので、どうしても教室で何かを考える際に、インターネットの存在を全員の頭の中から消すわけにはいかないのです。

時代は、ここまで進んでしまいました。

開き直ったのは、文科省です。

文科省は、1人1台、タブレットを配りました。そして、子どもたちの意見がまとまらないことを前提に、授業を組むようになったのです。

当然、人間は、一人一人意見が違って当たり前ですから、子どもたちは自分の端末に、自分の意見を書いて提出します。教員はそれを全員に見せます。子どもたちは自分と似たような子どもの意見を探したり、あるいは違う意見を見つけたりします。そして疑問点を直接その子どもにぶつけに行ったり、自分の意見と似たような友達にやっぱりそうだよねと確認をしに行ったりします。そして自分の意見を支える論拠となる部分をさらに練り直すのです。
これが最近の授業の様子です。教師が研修でお互いの授業を見合うことはありますが、どの授業もたいていこんな感じに仕上がっておりますね。


思い返せば、昭和の先生は、みんなありとあらゆることに造詣が深く、ご自身の知識をたくさん授けてくださいました。
それに比べて、令和の教員は、本当に存在感が薄いです。いや、逆に濃いのかもしれませんが。

教員と子どもの間には必ずデータベースの巨大な知識の泉がそこに存在しています。教員は、まっすぐ子どもにアプローチするのではなく、巨大な知識の泉を迂回するようにして、子どもの横側に、そっと現れて、知識の泉を指差して言うのです。

この辺にこんな知識が書いてあるけど、参考になるかなぁ?

どうですか?
これが令和の先生です。
威厳もへったくれもありません。

ですが、誤解がなくなって私はいいと思います。
だって先生だって知らないことたくさんあるんだもの。

昭和の子どものように、純粋な目でキラキラと先生を見つめて、
「先生は何でもご存知だ」
と憧れるような事はありません。
でも、そんな実態からかけ離れたようなポーズは取らなくて良いのです。
それはたくさん知ってたほうがいいかもしれないけど、知識を更新していなければ、価値は無いでしょう。

だから、もう教師はデータベースとは喧嘩しないのです。
データベースと張り合ったって負けるに決まっています。
なので、子どもがデータベースをじっくりと見て、自分の意見を醸成しようとして腕を組んで唸っている、その横にふっと現れるのです。

子どもはふと現れた先生を横に見て言うでしょう。

「あ、先生。何か用?」

すると先生は、もじもじしながら、おずおずしながら言うのです。

「あ、さっき提出されたカード見たんだけど、あれなかなか鋭い見方だよね。感心したよ。でさ、このクラスにもう1人、ちょっと違うけど、似たようなところを調べている子がいたから、話してみたらどうかなと思ってね。◯◯くんなんだけど・・・」

くれぐれも、これ大学の話じゃないですよ?小学生の話です。

先生はもう教室の真ん中にはいません。
これを知らないので、多くの保護者は、誤解をしていまして、授業参観に来ると、先生は何もしないじゃないか!とお怒りになる保護者もいるようです。無理もないけどネー。

変わりすぎだろ!

P7220880


校長先生へのタメ口についての考察

これはわたしの悪いところ、短所なのですが、校長先生に馴れ馴れしくしてしまいます。以前は時折、タメ口で話してしまったために、自己嫌悪に陥ることすらありました。

これは20代の過ごし方に問題がありまして・・・。

通常の人は、生活のほとんどを敬語か丁寧語で過ごしているのが普通だと思うのですが、わたしは20代の約10年ほどをまるっと、「無敬語」で過ごしました。おそらく、こんな人は人口の中では0.1%以下だと思います。

これでも中学・高校時代の部活はPL学園ほどではなくとも、一応縦型社会とも言われた体育会系でしたし、大学の寮は400人規模の破壊的なくらいの超縦型パワハラ社会でくらしました。先輩の無茶振りやパワハラにも耐えて過ごしましたね。実はめちゃくちゃ楽しかったのではありますが、若い頃のわたしは敬語をふつうに使えていました。

でも、やはり、20代の経験は大きいですね。

敬語を使わない暮らしを一度経験すると、これが楽でラクで・・・

どんな人も、肩書きで見ない、立場で見ない、性別や家柄や、能力や行動、影響の大きさなどては見ないというクセがついちゃった。誰に対してもタメ口。親戚のおじちゃんや、いとこのニイちゃんと話してる感じ。お母さんとか・・・、家族と話す雰囲気。ほら、そんな中なら、敬語じゃあ、逆に変でしょう?

こんな経験をすることはほぼ不可能なので、いくらわたしがこんなことを、ここて熱弁したとて意味はないんですが・・・

とにかく、ラク。

同時に、若い人が私に対してタメ口で話しても、弟・妹的な目線なのでまったく問題無いどころか、それが普通という気がする。

教室でも子どもが私には、タメ口です。
普通です。
わたしに敬語で話してくる子は、6年生の児童会の子くらいしかいません。これを批判する方もいます。もっと先生への言葉遣いはきちんと丁寧語でするように躾けたほうがよい、と。将来のためだ、と。わたしは教員になりたての頃に、そう注意されまして、教員という職業はまだ始めたばかりでわからないことだらけでしたから、そういうものか、と思いまして、かなり子どもたちにもいちいち注意したものです。 このブログでも、敬語については何回か書いたかなと思います。


今の私は、研鑽に研鑽を重ねまして、校長先生に敬語を使うことができるようになりました。今はまったく、敬語が普通になりましたね!見てください、この晴れ姿を!ここまで10年くらいかかりました。
つまり、敬語に染まるのは時間がかかるのですが、不要となれば、明日からでも敬語を手放すことはできるのです。10年間まるっと無敬語、という生活も、だれでもすぐにできる、というわけですネ、人間という生物は・・・。経験上、それが言えます。

ところで、前回の記事のように、人と人との間に、まったく「存在価値の差や違い」が無いとしたら、パワハラはなくなりそうに思いますが、なかなか無くなりそうにありません。こうしたらどうでしょう。「ノー敬語デー」をつくるのです。上司に対して、その日は敬語を使わない、という日。お互いに、ですから、だれかを特別扱いはしないのです。国家がそれを推進するのなら、どんな上司もぐっと耐えるでしょうからね。

「人はだれでも心から好きな人やモノがあり、愛することができるわけで、どんな人をも馬鹿にすることはできない」と、朝8時になったら日本人は全員これを唱和しまして、総理大臣がテレビ中継、インターネット中継で「本日はこれより、どんなオフィスでもノー敬語です」と宣言します。面白いと思いますがねえ。


今のわたしは、職場ではもうかなり年齢が上になってしまいまして、コピー機の前に立つと、若い子たちが「あ、すぐに終わります」とかいって、ゆずってくれようとしますし、みんな私に敬語を使います。今はもうその環境に慣れちまいましたが、自分はノー敬語でもまったく問題ありません。どんな若い先生も弟や妹の気分ですから。この感覚はどうしようもない。そういう人生を歩んできてしまったので。

パワハラの新聞記事を読むたびに、そんな想像をしています。パワハラがなくなればいいのに、と思います。DVとか。

ところで、ノー敬語デーのときに、なんでワシに対してみんな敬語を使ってくれないんや!と腹を立てる上司がいるんじゃないか、とみなさん思いますか?

わたしは、案外とそんなにいないのではないか、と思いますネ。

そうして、敬語じゃないと腹が立つ、という人がいなくなったとたんに、敬語は本来の輝きをとりもどし、正常に機能し始めると思います。そうなってはじめて、敬語の良さが際立ってきて、お互いに敬語で話し合えることの良さを、日本人全体が享受できるようになるのでしょう。まあそうなったらパワハラは日本から消えますが、パワハラが無くなれば、自分を誤解して卑下してしまう日本人は、居なくなり、日本全体の大きな国益に繋がると思いますナ。

IMG_6063
記事検索
メッセージ

名前
本文
月別アーカイブ
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 累計:

プロフィール

あらまそうかい

RSS
  • ライブドアブログ