30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。

教室にぬいぐるみがあるかどうか

教室にぬいぐるみを置いています。
教室にぬいぐるみを置いていていいのかどうか?
コレ、ずっと実は悩んでるんですよ。

ほんとにこんなの置いていいのってね。
教室はロンパールームじゃないんだから!
・・・と、いつか、誰かの保護者に言われないかな!ってね。不安なんですよ。

実はこれ私の恩師の真似なんです。
私の小学校4年生の時の担任の先生。ずっと教室にくまのぬいぐるみがありました。そしてそれがなぜか多くの子供たちの心の拠り所だったんですよ。
何かあると熊に話しかけたりしてね。
誰かの誕生日になると、そのクマがちゃんと祝ってくれたり。先生の声でしたけどね。


でも、多分これ保護者には受けが悪いです。教室にそんなもの置いといていいわけがないと多くの保護者が思っていると思います。
子供の気持ちが、たるむんじゃないかと言うことで。

くまなんかと遊んでないで、さっさと算数をやるべきだ!

と、誰かのおじいちゃんに怒られそうな気がしています。

私はこれを文科省に手紙を出して、ぬいぐるみ教育はやって良いかどうか聞こうと思ったんですが、正式にダメですって言われたらやめなきゃいけないので手紙を出すのはやめました。

このぬいぐるみの導入には3時間かけてます。
単発で、ぬいぐるみがあるわけではなく、マインドフルネスと言う長い授業プランの中の1つの材料として存在しているのですね。最終的には、自分自身をマネージメントしていくと言う大きな総合発表につながると言う気の長いプランです。これをしないといわゆるキャリアパスポートも書けないですからね。

キャリアパスポートを本気でやろうと思うと、自己マネジメントと言う世界に踏み込まざるを得ず、そのためにぬいぐるみがその最初の段階で必要となるわけです。まぁ、ライナスの毛布、ということです。自分のことをじっと見つめる時に、ライナスは毛布を必要とするのですが、それを日本の小学生だって必要とするわけです。

今度の学習指導要領の改定に見られるように、子供自身が自分の学びを形成していくと言う流れは、この私の提唱する「自己マネジメントぬいぐるみ教育」を推進するものなので、私は非常に安心をしました。

そのうちに、発表する機会もあろうかと思いますが、実は前からこのブログにおいて、かなりその実態について詳細に書いてきました。
ただ、系統的になってないんです。このブログは、その日、その日思いついたことを書いただけなので。

自己マネジメントぬいぐるみ教育と言うのは何者か・・・!

また夏休み位にまとめてみたいと思います。

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ヒトラーの「わが闘争」の論理的破綻

私のブログを読んだ方が、我が闘争の論理的破綻ってなんですか?
と、質問してこられたので。

というか、質問してきた人は、とっても身近な人なのですが。

ヒトラーは、我が闘争で、なぜユダヤ人を差別すべきかについて書いております。


ヒトラーは『我が闘争』の中で、アーリア人とユダヤ人の結婚を避けるべきだと強く主張していますが、その説明は「論理的」というよりは、彼の人種主義的なイデオロギーに基づくものです。彼は科学的な根拠や客観的なデータを用いて説明するのではなく、感情的な訴え、疑似科学的な主張、そして歴史的な誤解を交えながら、ユダヤ人をドイツ社会にとっての脅威として描き出しました。

具体的には、彼は以下のような主張を展開しました。

 * アーリア人の人種的純粋性の維持

ヒトラーは、アーリア人が文化創造の担い手であり、人類の進歩の原動力であると信じていました。彼は、アーリア人の「高貴な」特質が、他民族、特に彼が「劣等」と見なしたユダヤ人との混血によって「汚染」されることを恐れました。彼は、人種の混淆が最終的にはアーリア人の文化的・精神的衰退につながると主張しました。

 * ユダヤ人の「劣等性」と「寄生性」

ヒトラーは、ユダヤ人を特定の国家や文化を持たない「寄生的な」民族であり、他国の文化や経済を蝕む存在だと描写しました。彼は、ユダヤ人がドイツ社会に溶け込もうとしているのは、ドイツ民族の「純粋性」を内部から破壊し、最終的にドイツを支配するための陰謀であると主張しました。この「寄生性」という概念は、彼がユダヤ人を社会にとっての「病原菌」や「癌」のように見なしていたことを示しています。

 * 遺伝の法則の誤用

ヒトラーは、ダーウィンの進化論やメンデルの遺伝学を都合よく解釈し、人種間の遺伝的差異が不可逆的であると主張しました。彼は、ユダヤ人との混血は、ユダヤ人の「負の遺伝的特質」がアーリア人に引き継がれることになり、それが子孫に悪影響を及ぼすと説きました。しかし、これは当時の遺伝学の理解を恣意的に歪めたものであり、科学的な根拠はありません。

 * 歴史の歪曲と陰謀論

ヒトラーは、歴史上の様々な出来事を、ユダヤ人が裏で操り、アーリア人(ドイツ人)を弱体化させようとしているという陰謀論の文脈で解釈しました。彼は、ユダヤ人がボルシェビズムや資本主義といった異なるイデオロギーを巧みに利用し、ドイツ国民を分断し、自らの支配を確立しようとしていると主張しました。


要するに、ヒトラーのユダヤ人とアーリア人の結婚を禁じる理由は、科学的な論理に基づいたものではなく、彼が抱いていた人種的な偏見、憎悪、そして妄想的な陰謀論に根ざしたものでした。

彼は、ユダヤ人を「悪」の根源と位置づけ、彼らとの接触、特に結婚がアーリア人の「純粋性」とドイツ国家の「健全性」を脅かすものだと扇動的に説いたのです。

こうしたこともそろそろ令和の子供たちは勉強すべきかもしれませんね。
何故かと言うと、そろそろヒトラーの反省を口にする人たちが少なくなってきており、実際に政治が人を殺すということについて、真剣に考える人たちが減ってきた時代だからです。

参議院選挙が近づきましたが、立候補者のスピーチを文字起こしして検証すべきだと思います。扇動的で人々の感情を熱狂的にさせるスピーチであればあるほど強く疑ってかかるべきだと思います。

それよりも、事務的で論理的で、どのような政治的プロセスを経て、法の改正を行ったり、必要な行政を進めていくか、淡々と面白みもなく、語る候補者の方が、何倍もマシだと思います。

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ノストラダムスの大予言と7月5日

朝、教室に行くと子どもが日本が滅亡すると騒いでいた。
最初は冗談かと思っていたが、何人かはかなり本気にしているようで、私に訴えてきた。
私が、

「あ、そうなの!へえ」

という、いつものお決まりの返事しかしないので、その子たちは苛立っているようだった。

「滅亡しちゃうんだよ!なんでそんなに平気なの!」

そのトーンと言い方が、

「もう学校行く時間だよ!なんでそんなにゆっくりしてんの!」

というママの言い方そっくりだなあ、子どもは親をよく見てるなぁ、と思ったので、ソレが表情に出てしまった。

「あー!先生笑ってる!ひどい!」

・・・ということで、私も今回の7月5日大予言騒ぎに、どうやら巻き込まれてしまったらしい。

昭和の時代をくぐり抜けてきた我々50代は、ノストラダムスの大予言やらオウム真理教やら口裂け女等を乗り越えてきている。

大人になって

「ああ、あれは金儲けだったのだな」

とみる視点が加わることで、一気に現実世界が覚めて見えてきてしまった経験を持っている。
不安を煽り→ものを買わせる。
これは、ほとんど商売の基本中の基本で鉄則でありましょう。もちろんやり方の汚なさにはレベルがありますが、ほとんどの広告には、そういった「脅し」が紛れ込んでいる。

ある彗星が地球に近づくと、その彗星によるガスの影響で地球の大気が汚染され、一時的に空気が吸えなくなるらしい。そのためにゴムのチューブを買い求める必要がある。いよいよとなったら、そのゴムのチューブを口に加えて、ゆっくり息をしながら彗星が過ぎ去るのを待つべきだ。

この話は有名です。気になる方は『空気のなくなる日』(岩倉政治・著)を参照してください。1910年にハレー彗星が地球に近づくことがわかり、デマが流れました。当時の騒ぎを実際に映画にしたものもありますね。
私はこの話を教材にして、人はなぜ騙されるのかを学習すべきだと思いますナ。

そして、大体騙すのは、論文で勝負するような本当のアカデミックな人たちではなくて、ちょっと賢いふりをした大人であることも、子どもたちは知るべきです。
ちゃんとした知識は、文字にしてきちんと検証を入れながら読解すべきで、安易な動画で学ぶものではないと言うことも。

大体、騙す人は、身振り手振りを大きくしながら、大声で早口で喋ります。
ヒトラーがそうでした。ヒトラーは、わが闘争を書きましたが、文章にした途端に、論理のほころびがあっという間に見えたので、それこそ信者たちも驚いたと言うエピソードがあります。
知識と言うのは、文字にした途端にはっきりしてくる。騙そう騙そうとする人の、電話口での早口を全て文字起こししてみると、ツッコミどころ満載なのがばれてしまいます。それに気づかれまいと、早口になってしまうのです。

私がそんなことをつらつら考えていると、7月5日に地球が滅亡すると言う噂を唱える子供たちが、二重にも三重にも私を取り囲みました。

多くの小学校の教員が、多分私と同じように、この7月5日のちょっとへんてこな予言をどう解釈するべきか悩んでいたと思います。もちろん3秒でそんなのは虚言だと断じることもできるのですが、私はどうも頼りなくていけません。

私は、
「ねえ!滅亡するよ!先生どうすんの?!」
と口々に言う子どもたちに対して、以下のように返答しました。

「えー、滅亡すんの?やだなあ(棒読み)」
「先生、来週、ひまわりの長さ測るって言ってたでしよ?どのくらい伸びたか気になってたから、あれを調べないで、死ぬのやだなあ(棒読み)」
「そういえば火曜日はプールだったよね、暑い日になりそうだからプール入りたかったんだけど」

そのうちに、子どもたちの質問はやみまして、

「先生、しゅんくんのひまわり、もう先生の背の高さより高くなったよ」
「火曜日のプールって、2組と合同なの?佐久間先生、また平泳ぎで泳ぐ?」

という質問に変わってきたので、ホッとしました。

全国の先生方、あなたはどのように今回の騒ぎに対応しましたか?
コメント欄で教えてね!

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学校は時代遅れ

学校に届くクレームの中には、
「学校は時代遅れでアップデートできていない」というのが多いです。

私はクレームと言う言い方は、あまり好きではない。その意見の中には、学校を、より良くしたいんだ。もっとみんなで幸せになりたいと言う根本の思いがあるはずです。

昔のことを否定するのは、案外と気持ちが良かったりします。
これは「逆張りの快感」とも通じる。
論破王とネット界隈で一時期もてはやされたことのあるひろゆき氏が、いよいよ逆張りをしよう、というときにうっすらと笑みを浮かべるのは、この「逆張りの快感」が働いているのでしょう。
これは100人以上人々が集まる集会場で、たった1人で逆張りをするときに、異常な位アドレナリンが出てくるのと同じ原理です。
つまり、昔から大切にされてきた習慣や、常識と呼ばれるものに対して、「実は違うんだ」と、コペルニクス的新発想を持ち込むのは、脳内物質の中にアドレナリンやドーパミンが大量に溢れる行為だと言うことです。まるでプロレスのリングにアントニオ猪木が颯爽と現れ、気分を盛り立てるバックミュージックと観客の大歓声の中で、大きな咆哮を響かせるのと同じだと思います。

なんせ、昔からあったものと言うのは、以前の世代の人たちがそれを大多数認め推進してきたということですから。

「実は太陽が動いてたんじゃなくて、僕たち地球の方が太陽の周りを回ってたんですよ」

とっくの昔のギリシャ人たちは知っていたけど、いつの間にか忘れ去られていた事実を再度このように蒸し返したとき、コペルニクスの脳内にも、とんでもない量のアドレナリンが分泌されたと思います。

学校に寄せられるこうしたコペルニクス的クレームのうちの1つが、

・和式トイレはもう古いから改築せよ

ですね。
実際にほとんど使われていませんから。お金があれば解決します。

さらに、槍玉に挙げられるのが、
・体育館の肋木(ろくぼく)

です。
この不思議な体操用具は、肌触りの良い木の棒がたくさん体育館の壁に沿って並べられているので、よく子どもがよじ登って遊んでいます。
これは、利権がらみでも何でもなく、スウェーデン体操と言う身体発達のための優れた運動用具でありまして、うまく使えば体のほとんどの筋肉を発達させることができます。ただそれをする時間は今の学校には残されていません。それをする時間は皆無だけど、一応道具だけ残ってますと言うのが、学校には割と多いです。私はこの話を聞いて癪に触ったので、体育館に行くとよくこれを使って子どもと遊んでいます。体育の授業の最初の5分とかで。

・黒板はもう古い、電子黒板でデータを残すべき

電子黒板って字が汚くなるんですよね。チョークだとあんなにきれいに書けるのに・・・。そう思っている先生たちが多いような気がします。でもこれもちょっとずつ変わっていってるように思います。

・プールはもう古い。

確かに、プールは命がけの授業で、今の若い先生たちは、プールの授業なんてできたらしたくないと思っていると思います。実際に教師志望でしたが諦めましたと言う若者の中に、もし自分がプールの授業中に子どもを死なせてしまったら取り返しがつかないと語った大学生がいました。教師にならなかった理由は、それだけ、彼はプールの不安だけが理由で教師になるのをやめたのです。


・防犯体制が古い

これもよく聞きますね。
狂った人間が刃物を持って入ってきたらどうするんだと。先生たちがうちの子を守ってくれるのかと。
これについては、教室に【さすまた】があります。
お金があれば解決できるのかなあ?
そうとも思えないですね。究極の対応としたら、時間がかかるけど、世の中の人々がみんな幸せになるしかないかな。

特に食べるのに困るとか、仕事に充実感がないとか、多くの人が幸せだと感じる要素をつぶしてしまうと、自殺率が増えたり、狂ったり自暴自棄になる人が増える気がします。社会全体のシステムの問題ですね。

・PTA活動のあり方

これはもう今、現在進行形で劇的に変わりつつあります。やりたい人が自分で手を挙げてできることだけをやっていこうとする現実的な路線に転換してます。いくら良いことでも、多くの人がそれによって苦しむのであればやらない方がマシということがたくさんあることがわかります。

・掃除のやり方が古い

つまり、電気を使え、ということです。電気掃除機でいいじゃないか、モップでいいじゃないか、なぜ雑巾がけなどさせるのだと言うことのようです。特におうちの方が日本出身でない保護者の場合、なんで子どもにこんな屈辱的なことをさせるのかとお怒りであると聞きました。つまり祖国では掃除と言うのは、身分の低い人がやることのようだったようです。

・宿題が古い

みんなが同じようなプリントを一斉にするというのが、一人ひとりの子どもにマッチしていないのではないかと感じる保護者がいるようです。

さて、クレームを列挙してきました。
いかがでしたか?
私は、どの意見を聞いても、なるほど、どれも一理はあるのだなぁと思えてなりません。やはりコペルニクス的発想と言うのは聞いていても気持ちが良いですね。歴史に対して人類に対して逆張りをしている、このことの【快感】は計り知れません。

こんな話を、とある先生たちとしていたら、かなり盛り上がりました。そこにいた5人の先生のうち、4人の先生は、大賛成。
いや、そりゃそうだよ。そのクレームは正しい。確かにその発想はなかったナ・・・。これまで間違っていたよね。もう今の時代にマッチしていないよ、学校は古いからね、もう古い事はやめなきゃいけないよ、と賛同していたのです。

ところが、たった1人、私と仲の良い若い男性の先生が、不気味に笑ってこういったのですヨ。

「いや、本当にそうなのかなぁ。そう思い込まされているだけかもしれないよ?」

それから、こうも言いました。

「あのう、それって、エビデンスがあるんすか?」

と、言ったのです!


私はそれを聞いて、まさかのアドレナリンが爆発しそうになりました。

な、なんと!
逆張りの逆張り!

これはさらなる過剰なエンドルフィン、アドレナリン、の分泌をもたらします。
逆張りの→逆張りの→逆張りの→逆張りの→・・・と、つづけば続くほど・・・

逆張りが、つながればつながるほど、アドレナリンの量は指数関数的に増えるようです。

・和式のトイレには、実は多数のメリットが存在する
・昔ながらの黒板には、電子黒板にはないメリットが存在する
・肋木は上手に使えば、子どもの身体的機能も超絶高める
・プールの授業は、子供たちの特権であり、最高のリラックスタイム

たったひとつ、その若い先生が、やはりこれは正解だ、と言ったものがありました。それがPTA活動の運営の仕方が改善されたと言う点です。

「やりたい気持ちの人がやりたいと言う気持ちで、やれる時間に集まって、やれることだけを現実的に運営できる方法で支障なく進めていく」

まぁおそらくこれが最も人間的な行為なんでしょうね。持続可能と言う4文字を大事にする、今の時代感に、「やりたい人がやろうとする気持ちでやれるだけやってみる」という考えはマッチしていると思います。




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ミトコンドリアについて

賢い友人のKさんが、

「結局ミトコンドリアだよね」

と話したことがきっかけで、ちょっとミトコンドリアについて調べる気になった。

以下は、Kさんに色々と教えてもらったのを忘れないうちにアウトプットしておくための記事です。

ミトコンドリアは、人体の中でエネルギーを生成する大きな働きを持っていて、それも持続性のある強く、大きな力を生み出している。
人間の体には生まれつき備わっているから、生涯にわたって力を発揮している存在。どちらかと言うと、特に若い時よりも中年以降に大きな力を発揮する。

このミトコンドリアは、うまく働くのに必要な条件がある。それは、酸素がたくさん供給されていて、かつ体温がしっかりと高く維持されている、という点だ。
体がよく冷えるタイプの人だったり、呼吸の浅い人は、このミトコンドリアの機能があまり発揮されていない。

さて、人間には、エネルギーを生み出す、もう一つのシステムがあり、それがいわゆる代謝と呼ばれる働きで、特に糖の分解によって小さくとも瞬発的な力が素早く生成される、

この糖分解・代謝によるエネルギーの生成システムは【解糖系】と呼ばれ、どちらかと言うと細胞分裂を促す際に多く使われる。つまり生まれてから猛烈に働いて20歳ごろまで体をとにかく作り上げるのに、大変重要な働きをする。

もちろん、糖の代謝は、生涯通じて行われる。人体の中では、小さく素早くくるくる回るような歯車であり、新しい細胞の生成だけではなく、後述するミトコンドリアのエネルギー源にもなる。

糖の代謝が小さな歯車で、高速回転するのに引き換えると、ミトコンドリアによるエネルギー、生成は、人体の中でも特に大きな歯車で、ゆっくり確実に回転し、長く長く働き続けるイメージだ。これはサイボー分裂を行うためではないから、人間の体を向上的に整えつつ、長く持続的に働かせるための大切なシステムだと言える。

特に50代以降だと、ミトコンドリアの活躍がとても重要な要素になってくるから、人間は特に自分の体内に潜むミトコンドリアたちを元気に賢く強く保護し育てていかなければならない。
そう、自分の体内にミトコンドリアと言う小さなスーパーマンをたくさん飼っていると言うイメージが近いかもしれない。このスーパーマンたちを活躍させるには、冷え性は大敵、体を温めることと、酸素呼吸をしっかりすると言う、この2点が重要になる。

逆に解糖系はミトコンドリアとは逆で、低体温、夜睡眠してる間にうまく働く。体温がそれほど高くなく(低く)、また酸素はそれほど必要としない。つまり睡眠時間に最も良く、細胞分裂を行う。これが身長を伸ばそうとする子どもたちに睡眠が必要なわけ。

ミトコンドリアについては、NHKの監修した、サイエンスZERO、という番組が詳しい。かなり詳しくミトコンドリアが人体でどのように働くのかを解説する番組がある。

私が今、非常に興味深く思っているのは、あたかもミトコンドリアには意思があるようにさえ思えることだ。
私と言う意識が生きているのか、それともミトコンドリアに意識があって、私の意識はそのミトコンドリアから思考内容を規定されて動いているだけなのかとすら思う。

もしかしたらミトコンドリアが私と言う主体性のある意識の本当の本当の正体なのかもしれない。

ちなみに、ミトコンドリアは、ミドリムシとは違うから気をつけてください。
私の嫁様は、私がミトコンドリアと口走った瞬間に、あぁ、あの光合成もできるけど、自分でも動くって言うよくわかんないやつでしょう。植物なのか動物なのかよくわかんないやつ、と言った。
それは、ミドリムシである。

ミトコンドリアは、体の中の「ちっちゃな工場」みたいなものです。

わたしたちの体は、食べ物からエネルギーをもらって動いていますよね。でも、食べたものはそのままでは使えません。

そこで活やくするのが、ミトコンドリア!


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🔧ミトコンドリアのしごと

  1. 食べ物の中の栄養をエネルギーにかえる
     → ごはんやパンをたべたら、それを体が使える力(エネルギー)に変えてくれます。

  2. 体を動かしたり、あたためたりするための力をつくる
     → たとえば、走ったり、考えたり、体温を保つのにもミトコンドリアの力が必要なんです。


🏭どこにあるの?

ミトコンドリアは、体の中のほとんどの細胞(さいぼう)の中にあります。細胞っていうのは、体を作っているとっても小さな部品のこと。ミトコンドリアは、その中にたくさんあるんですな。


実は、「糖を分解すること」と「ミトコンドリア」は、どちらもエネルギーを作るために必要な大事なステップなんです。それぞれの役わりを、わかりやすく説明しますね。


🍬【ステップ1】まずは糖(グルコース)を分解!

わたしたちがごはんやパンを食べると、体の中で「糖(グルコース)」になります。
この糖は、まず細胞の中(ミトコンドリアの外)で「分解」されて、小さなエネルギー(ATPという力のもと)を少しだけ作ります。
これを「解糖系(かいとうけい)」といいます。

🔹これはミトコンドリアを使わない段階です。
でも、これだけでは少しのエネルギーしか作れません。


🔥【ステップ2】ミトコンドリアで本気のエネルギー作り!

糖が分解されたあと、その材料がミトコンドリアに運ばれます。
ミトコンドリアの中では、それを使ってもっとたくさんのエネルギー(ATP)を作るのです。

これを「クエン酸回路」や「電子伝達系」といいますが、簡単に言うと:

🔹本当のパワー工場はミトコンドリア!


🧠たとえでまとめると…

  • 糖を分解するのは、「エネルギーの材料を作る工場」

  • ミトコンドリアは、「その材料を使って、本気のエネルギーをたくさん作る工場」

つまり、「糖の分解」も「ミトコンドリア」も、どちらもエネルギーを作る仲間です!
でも、一番多くのエネルギーを作っているのはミトコンドリアなんですよ😊


私はこれから酸素をしっかりと取り込める体に改造していくため、呼吸のトレーニングをしなければならない。


腹式呼吸をたくさんトレーニングして、横隔膜をもっと自由にのびのびと動かすために、クラリネットでも習おうか知らん。しかしこんな中年が今から楽器なんて始めたら、それこそ


パッケラマオ♪ パッケラマオ♪ パオパオパ!


だろうなぁ・・・


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困るんですけど!

自治会の集会に出ていたときのこと。
日曜日の夜の集会で、私は自治会の1つの役回りを担って役員をしていたので、その場にいました。

すると、会計のことで少し決まっていないところがあり、ルールをしっかり決めないといけないと言う話が出ました。

私はあぁそれならルールを決めたらいいんだなと言う程度にしか聞いていなかったんですが、少しテンションの上がったその人は、割と、はっきりと強い口調で「困るんですけど!」・・・と言ったのです。

その方は、その会計の細かな点について、はっきりと詳細を知らされていない。なので、私は困ると言いました。
全体のことを進めている委員長さんが、では、そこは今回はもう締め切りが過ぎていて、その活動自体が終わっているので、次の役員さん達に伝えておきますねと言いました。

私はそれで済むかと思ったんですが、その方は

「いやそれだと困るんですけど」

と再び言いました。
もし、新しい役員さんが、そのことをちゃんと理解していなくて、自分が疑われたらたまったものではない、と。

委員長さんは、大人の対応。
恵比寿さんのような柔和な笑顔で、

「わかりました。ご心配なんですね。大丈夫です。私がしっかりと伝えておきますから大丈夫ですよ。」

と、繰り返しました。

私が印象に残ったのは、それでもその方が、

「でも」

と、続けたことです。

「それでも、もし、その方がきちんと理解できなくて、私がしっかりやってないってなったら、どうするんですか?それだと困るんですけど!」

委員長さんの柔和な笑顔が少しずつこわばっていくのがわかりました。
それでも委員長さんは、やはり70年を生きた人生のベテランだったので、やはり仏さんのような笑顔で

「わかりました。心配なんですね。大丈夫ですよ。分りました。大丈夫です。もしそれでも何か疑われるようなことを言われたんだったらすぐに私に連絡してください。私がきっちり説明しましょう」

と、話を締めにかかりました。

私は連日の学校行事の準備などで疲れ果てていたために、ほとんど眠りそうだったのですが、実際のところほとんど眠りかけていたのですが、しっかりと目が覚めたのは次の言葉でした。

「いや、でも、疑われたらどうするんですか?困るんですけど!」

私は、困るんですけど、の中身ってなんだろうなぁと、とても哲学的に考え始めました。

困るって、一体なんだろうなぁ?

もし私が委員長さんの立場だったら、なんと返すだろうなぁ、と。

もし私が委員長さんの立場だったら、きっとこういうに違いありません。

ああ、そうですか。

と。

困るんですけど、という人に対して、申し訳ありませんが、私が出せる回答はたった一つしかありません。

ああ、そうなんですか。

私はそこで思考停止して、きっと穴の開くほど、その人の顔を見るしかありません。きっとその人の顔を見て凝視して、空中のただの一点を見つめるように、その人の顔を見て、ああ、そんなんですね、と言うだけです。たぶん。

たとえあなたが困っても、他のみんなは誰も困らないし、何の問題もないので、あなたも困らなくてもいいんじゃないですかね。別に困る事は何一つないので。

・・・という感じで。

それに比べて、委員長さんのなんと対応の素晴らしいこと。
人は70年生きていると、こういう対応ができるようになるのです。

委員長さんは立ち上がって、大きな身振り手振りを示しながら、もう本当に仏様と恵比寿様と大黒様が生まれたての赤ちゃんを抱くように、柔和な笑顔をさらに柔らかくした感じで、

「だあいじょうぶ、だあいじょうぶ、ちゃんと、ちゃーんと、私の方で、私の方で、私の方で、大丈夫です。大丈夫です、ちゃんと伝えますからね。心配されなくても大丈夫ですよ。決してあなたを責める事はありません」

と言いました。

すると、驚くべきことにその方は黙って座りました。

私はそれを見て、最後の言葉が効いたナ、と思いました。

あなたを責めません。

人はこれを言って欲しいのですね。
要するに、彼女は、誰かに責められることが不安だったんですよ。
誰もあなたを責めないよって言って欲しかったんですね。
大変に勉強になりました。

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気になる子ども

この記事は、3年以上前に書いた記事の原稿ですが、非常に具体的な事例なので、身近に気にされる方がいると困ると思い、あえて公表を避けてきました。

既に3年以上が経過し、既にその子は小学校を卒業、また私も勤務校が変わったために、長いこと下書き状態であったこの記事を改めて書き直し、新たに編集し直し、初めてアップすることにしました。


では、ここで言う気になる子とは?

実は、その該当児童は、「被害を訴える」ことにたけていたのです。

気になる点は、そのことだけです。
本当にとても良い子で、クラスのために何度も活躍したし、勉強も頑張るし、とても素直な良い子でした。友達もたくさんいて、その子が笑うとみんなもつられて笑うようなコミニケーション能力も高い子でした。

そんな子だったから、あえて気になったことなのかもしれませんが・・・

さて、その子は、被害を、オーバーに脚色してしまうのです。
例えば、

肩を触られた→ 叩かれた
ここに置かないでと言われた→なんでここに置くんだ!馬鹿野郎!と怒鳴られた
椅子の背をトントンとした→椅子の背を思いっきり引っ張られた

と言うふうに、他に言いふらしてしまうのです。
実際に私が見て、これは違うよな、何とかして被害を大きくして言おうとしているんだな、と全てを目の当たりにして思ったことが「何度も」ありました。

ここで私が問いたいのは、
その子がそのように被害を受けた、あるいは被害を大きくして言わなければならなくなる、そういう精神状態に追い詰められているのであれば、なぜそのように追い詰められているのか、という点。

友達とその直前まで仲良くしていたはずなのに、特に何かその子を怒らせるような要素が他にあるわけでもなさそうなのに、誰もその子を責めてはいないのに・・・。

それにもかかわらず、他の子を徹底的に責めようとする。
あるいは自分が被害者だ被害を受けたのだと言うことを切に訴えようとする。

これは、何だろうか?
と、当時、強く思いました。

そして、これは、防衛反応だろうなと直感しました。
責められ責められ、謝罪を要求され、これまでの人生のどこかで否定を受けてきたためでしょう。

誰もクラスの友達でその子自身を非難したり、蔑んだり、恥ずかしめを受けさせたり、責めたりする子どもなんていないのです。
それでも、そのように、振る舞わざるを得ない、彼の心の状態。

彼の人生の中で学んできたことの大きさを思います。

自分が被害者であり、決して自分は加害者ではないと、周囲に常に申し開きしなければならないと言う状態。
自分はシロです、というか、自分は被害を受けた側の被害者です!と、叫んで回らないと、自分の身に何か良くないことが起こると言う予感です。

この子の心が癒され安らぎ。安定してくるために、どんな関わり方をしていけば良いのかな、と考えました。

1番は、彼が【自分が被害者である】と叫ばないでも、周囲から決して責められないと言う安心感です。
2番目に、誰もあなたを責めてないよと言うメッセージを明確にすることです。
3番目は、あなたが被害者だから救うのではないよと言うことです。被害を受けていなくても加害者だとか被害者だとか、そういうお互いの関係以外のところでも十分にあなたの希望には協力するよと言う姿勢を示すこと。人間関係はもっと豊かで、単純な加害者と被害者、どちらかに偏ると言うものではないのです。
4番目は、実際にあなたの希望を教えてね。ぜひ協力させてねと言うことを常に常に伝え続けることです。

具体的には
「僕は、◯◯してほしいです」
「僕は、さっき、◯◯して欲しかったです」
と言う言い方で、あなたの気持ちを教えてね、と言い続けるようにしました。

別に、あなたがかわいそうな身の上で、かわいそうな被害を受けたから、保護するのではなく、あなたがどんな状態であれ、常にあなたを応援するのが周囲の大人ですよと伝えるのです、

あなたは何がして欲しいの?と、とにかくその子に聞いていくのです。
そしてきっちり言わせます。
日本語としてきっちり言わせていきます。
話型を、確実にその子にインプットさせるのです。「〇〇してほしい」

そして、それが言えたら褒めます。
はっきり教えてくれてありがとう。これで協力しやすくなったよ、と。

「ぼく、〇〇して欲しい」
が、使える子供に育つと、どんどんと子育ては優しくなります。簡単になります。僕は被害者なんだ!と言うことを言わなくても協力してくれる。そんな大人が周囲にいることがはっきりとわかるからですね。

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友だちを強く注意する、と言う問題

世の中から、パワハラ問題がなくならない。これは人々の意識の中に「〇〇しなければならない」と言う意識が濃厚なためで、なかなかそう簡単にはなくならない。

怒鳴りつける上司の方にも言い分があり、そうは言ったって得意先のあることだからそうは言ったって締め切りがあるのだからそうは言ったって。さらに上の上司から叱られるのだからそうは言ったって・・・、という部長なら、部長の課長なら課長の言い分があるのです。

そこで、脅し暴力と言うものが使われるようになります。安易に相手がひるみ恐れ言うことを聞き従うからです。
この方法は、あまりにも安易で簡単で、シンプルで効き目が強いために多くの人がこれに頼るようになります。しかし、長い目で見れば、組織は徐々に弱体化し、その組織はそれを続けている限り、長続きはせず、良い人材は離れ、求人にしても、人は集まらなくなり、噂が噂を呼んで、退職者が増え、組織は成り立たなくなっていくのです。

従って、本当の会社の存続を願う社長は、パワハラをする中間管理職の方をやめさせるか、その行動や意識を全て是正していかなければならないのです。

さて、小学校の教室にも、中間管理職が現れます。いわゆる、「学級の中間管理職問題」です。

これは先生のように教師のように強く何々してはいけません。何々しているのはダメだと思いますと言うふうに、同じ子供を、学級の友達を、非難し、なじるということです。

これを放置しておくと、学級が荒れて行きます。問題が地下に潜り込んで、教師の目に見えにくくなることもあります。表面上はおとなしくても、早くこのクラスが終わるといいなと子供たちが考えるようになるのです。

子供が子供に注意するのをそのまま放置しておく事は私は基本的にはありません。注意ではなく、きちんと言葉を使って、「◯◯してほしいです。△△だと⬜︎⬜︎になるので、それよりももっとこうして欲しいです」と言うように、指導します。

あるいは、「◯◯だと嫌な気持ちになってしまうので、そのことをわかって欲しいです」という言い方も教えます。

わかって欲しい、という言い方は、なかなか子どもはしませんね。知りません。

でも、言い方を教えると、便利に使うようになります。

◯◯してほしかった、と過去形で言う言い方も教えます。

これも、ずいぶん使うようになります。
つまり、こっちの心情を慮ってほしかった、というのを、言えるようにするわけ。

これが言えるようになった子で、すぐに手が出たり足が出たりする子が、暴力に依存しなくなったケースは山ほどあります。

◯◯するのは悪いのでダメ!
なんでそんなことするの!
△△しなきゃダメでしょ!

・・・という言い方を覚えた子は、その言い方に依存しているだけなので、依存しなくても良いんだよ。別の言い方があるよと伝えることで、中間管理職を辞めるようになっていくわけです。

これは権力の味と言うものを教えることにもつながっていきます。権力者の言うことだから従わなければならない、権力者の言うことに従わなければひどい目に遭う、権力者の言うことに従わなければ、このグループからつまはじきにされる・・・
いつの間にか、こんな間違った概念が、子供たちに浸透しているのです。
権力者などどこにもいないと言うことを、子供には骨の髄から教えていく必要があります。

「あー!いけないんだ!悪いことしてる!!〜しちゃいけないって校長先生が言ってたんだよ!」
「他の子もみんな、そう言ってたよ!なんでしないの?!」

こんな言い回しをしている子供を見つけたら、教師は本当に気をつけなければいけません。それはパワハラを教えることになり、差別主義を教えることになるからです。ファシズムやレイシズムにもつながる、危険思想です。

小学校の教員は、中間管理職を見つけたら、よほど気をつけなければならないのです。よっぽど気を入れて慎重に慎重に考えなければいけません。権力を笠にきた言葉を使うことで、相手を意のままに操作しようと言う子供を1人でも生み出してはならないのです。

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レオ・レオニ展へ

冬に備えてせっせと食べ物集めに勤しむ仲間を尻目に、働かずぼーっとしているフレデリック。「お日様や色やことばを集めているんだ」と言います。そんな彼に仲間はちょっと怒り気味です。冬になり蓄えた食べ物も尽きかけ皆の心が荒んできた頃、フレデリックは集めた「光」や「色」や「ことば」を語り始めます。目を閉じて聞く仲間たちの心はどんどん癒され満たされていくのです。“物質的な豊かさ”だけではなく“心の豊かさ”の大切さを考えさせてくれるお話です

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レオ・レオニが絵本の絵の登場人物は、横顔を描かねばならない、と言っているらしい。なんで正面ではないかというと、絵本の登場人物は常に横にいる何か、つまり第三の登場人物を見たり、それに話しかけたりするためで、登場人物が真正面を向いたらそれは読者を見据えることになってしまう。
そのためにレオレオニの絵本に出てくるねずみは全員が横を向いております。
小学校の教室では友達の横顔を見て成長するわけで、家でも兄弟の横顔を見ている時の方が、なんだかいろいろと学べる気がします。ひとの横顔を見ているときは、人生とか世間とかを、かなり客観視してるときですな。

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ドッジボール!勝ち負けにこだわらないルールのまとめ

小学校3年生くらいが、最もドッジボールを楽しめる年頃かもしれない。まだ力の差も少なくて、クラス全員が参加できる。
クラスの半数は、まだ投げる力が足りず、外野まで届かせることができない子も多い。だからこそ、外野まで投げられる子が非常に重宝されるし、憧れの存在になる。
力が足りない子はより、遠くへ投げたいと言う意欲が募ってくる。この憧れに似た気持ちと自信を鍛えたいと言う気持ちの相乗効果で身体能力が伸びる時期だ。

さて、通常のドッチボールだと、頭をあまり使わないので、体力、勝負になって単調になってしまう。
そこで、かなり色々と工夫をして、頭を使ってゲームを進めるように仕向けていく。勝ち負けにこだわらなくなるのがポイントだ。勝った負けたは、時の運も大いに作用する。買ったから、万歳をし、負けたから悔しがると言う、決まりきった態度をとるのが、だんだんと面倒になってくるのが非常に良い兆候だと思う。
勝ち負けに、非常にこだわるタイプの子どもも、時の運や頭の使い方で、どんどんと勝ち負けの状況が変わっていくのであれば、もう勝ち負けなんて、とんでもなくめんどくさいことに思えてくる。これは人生を長くやってくれば誰でも感じることで、同窓会に久しぶりに出てきた友達同士が、履いてきたハイヒールやハンドバック、服装や時計や髪型やらで、相手の持ち物を一瞬のうちに判断して、バチバチと勝った負けたを繰り返していると、疲弊するのと同じである。

さて、ここに一筋縄ではいかないドッジボールのルールをまとめておこう。
低学年にはオススメをしない。なぜなら、ルールが複雑だからだ。

まずは定期定番の、これら。

王様ドッジ、秘密王様ドッジ、コーンドッジ、火の玉ドッヂ、利き手じゃないドッヂ、転がしドッヂ。

コーンドッジは、自分の陣地の真ん中に小さなコーンを立てておき、ともかくも、それが倒れたら負けなのであります。人間に当てるよりも、はるかに多くの子供が、その小さなコーンをめがけてボールを投げますが、なかなか当たりません。人間が狙われにくいので、ドッジボールは嫌だと言う女の子が多い場合は、これで慣れさせていくのが良いでしょう。

火の玉ドッジは、途中で火の玉タイムがありまして、教員が「火の玉タイム!」と叫ぶと、火の玉タイムになります。やがて、火の玉タイムは終了!という合図があると、普通に戻ります。途中で約1分ほどそういう時間をつくります。火の玉をつかめる特別な子供しか、ボールを触れない状態です。中に小さな子が混じっている場合に有効です。その小さな子しか火の玉は触れないわけです。

1番複雑なのは、下記に記すドラクエドッジです。

ドラクエドッジボールは、最初に役職係を決めておきます。王様ドッチボールの亜流ですね。


まずは、👑王様(キング)が一名。

役割: チームの中心人物。
特徴: 当てられるとチームが敗北するため、守ることが重要。

🛡️ 戦士

特徴: 通常のボールでは当たってもアウトにならない。
弱点: 勇者や魔法使いのボールに当たるとアウトになる。

⚔️ 勇者

特徴: 戦士をアウトにできる唯一の存在。
特性: 戦士をアウトにした数だけ、自身が当たってもアウトにならない回数が増える。

🧙‍♂️ 魔法使い

特徴: バウンドや転がったボールでも、触れた相手をアウトにできる。
制限: 魔法使いのボールは、他の魔法使いしかキャッチできない。

※サンソンさんの「レクで学級をHappyに!」を参考に書かせていただいてます。感謝🥲

💧 スライム

特徴: 3人以上で肩を組むと「キングスライム」に変身し、その間は当たってもアウトにならない。
制限: キングスライムが当たると、30秒間合体できなくなる。

🔓盗賊

特徴: 最初に当てた相手の職業や能力を奪うことができる。

🧝‍♀️ 僧侶

特徴: 敵をアウトにすると、仲間を1人生き返らせることができる。

💃 踊り子

特徴: 当てた相手は10秒間コートの外で踊らなければならない。

👻 ゴースト

特徴: 敵の外野に入り、ボールを取って味方にパスできる。
制限: 敵の内野には入れない。当てられるとアウトになり、自陣外野にしかいられなくなる。

💣 ばくだん岩

特徴: 当てられると「爆発」し、周囲のプレイヤーを巻き込んでアウトにする。

どうだろうか。高学年向きだと言うことがわかっていただけたでしょうか?

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