30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

食について

地元の野菜市場で「自然薯」

「野菜市場」で自然薯を買ってきた。
月に1度くらい、車で自宅から15分ほどの距離にある「野菜市場」へ行く。だいたい、そこで、近所の加納さん、という方が作っている、卵と牛乳と砂糖だけで作った激うま「プリン」を買う。ついでに季節に応じてさまざまな地元の野菜が売られているのを見物するのだ。

今日は自然薯を発見した。
自然薯は掘るのが大変。さぞかし高いだろうと思ったが、長さ20cmくらいのが430円で出ている。おお、と思い、その勢いで購入した。
考えてみると、山の土を掘り起こして収穫したものではなく、ちゃんと栽培をしているものだろう。シールをよく見てみると、「短形自然薯」とある。これは長いもと自然薯の交配種だそうだ。山の土の中で掘り起こした天然の自然薯なら、とても430円では買えまい。

わたしは学生時代に寮で暮らしていたために、へんてこな先輩方にたくさんお目にかかった。
まさに珍奇な人間博物館のような場所で、ここにはとても書けないような「へんてこりん」な先輩が大勢いて、当時はネットもスマホもないから、みんな暇で、やたらと用もなく長い廊下を行き来していた。(わたしは毎日お化け屋敷に寝泊まりしているような気分で過ごし、「今日はどんなお化けが出てくるかな」と、わくわくしていた)

ある日、Nという修行僧のような立ち居振る舞いをする大学院の先輩が、「おい新間、むかごごはんを食べよう」とドアをノックしてきた。
わたしは初めてきく「むかご」という単語が分からないので、「むかでを食べるんですか」と聞き返したのを覚えている。
修行僧の先輩は談話室で座禅を組んだり、海岸近くの岩場で何時間も太陽を拝んだりと過酷に自分を追い込むことが好きだったので、むかでを食べる、という妄想もあながち無理はなかったからである。

しかしそれは残念なことにムカデではなく、自然薯の一部の「むかご」のことだった。

先輩は裏の物置にあった古いシャベルを私に持たせて、自分は手ぶらで鼻歌をうたいながら寮の裏山を登っていく。あとで振り返ってみると、わたしはここで気が付いて戻るべきであったが、なんだか楽しそうでわたしもハイキング気分でそのあとを追った。

先輩は山道の途中でむかごを発見し、「これこれ」とポケットに無造作にむかごをぽいぽいと収穫すると、今日は米を炊くが、そこにこれを入れると山の幸を感じて幸福感が30分間は持続するのだ、と熱弁した。

わたしはそれが人生初の「むかご」との出会いであった。

先輩はすぐにその場でむかごをひとつ口に放り込み、わたしにも一つくれた。
少し拭いてから口の中に入れると、たしかにこれは芋である。
こんなものがごくありふれた山道の途中に存在するのか、ということ自体にも、わたしは軽い興奮を覚えた。

「おお、これは食える、食えるぞ・・・」

考えてみれば、その先輩は他の先輩とはちがってちっともアルバイトをせず、極貧生活を送っていた。しかし、こうやって謎の知識でもって山の幸をゲットし、意外に明るい学生ライフを満喫していたのだ。別の日には、野菜を煮て豚汁を食べていたが、その野菜は雑草であった。先輩は「食えるから雑草ではない」と言っていたが。

さて、そのむかごをいくつもポケットにしまうと、今度はシャベルでそのあたりの土をちょっとばかり掘ってみろ、と言う。

言われたとおりに掘ってみると、まだまだ深く掘れ、という。ただし決して根を傷つけるな、という。わたしはちょっと、めんどくさくなってきた。
おまけに、石ばかりでシャベルの先がすぐに石に突き当たる。
時間は経つものの、ちっとも深く掘れずにだんだんとくたびれてもきた。
先輩はにこにこしながら穴の奥を見ている。日曜日の朝に私を呼びに来たわけが、これでわかった。
しかし、掘り進むうちに夢中になってきてがんばって掘り続けると、たよりない小さな自然薯が出てきた。

「これは小さすぎるな。もっと地下には親分がいるだろう」

先輩の見立ては結局はまちがっていたのだが、わたしはそれを信じてそこからさらに60cm近く深く、へとへとになりながら掘った。

自然薯は寮で宝物のようにして扱われ、おろし金ですられると、ほかほかの炊き立てご飯の上を経由し、われわれの胃の中におさまった。
あとでこの話を他の先輩に言うと、その先輩も腹を減らしていたらしく、「むかご」という単語に異常に反応し、

「特別に細い作りのホンツキという道具を使えばもっと楽に掘れるはずだ」

と、後日かなりでかい自然薯を掘ってきていた。

自然薯はとろろにしても何に使っても味が良い。
畑でつくる芋で「長いも」があるが、これはのっぺりとして棒のようで皮がむきやすい。しかしとろろとしても、つなぎとしても、自然薯と比べたらなにか物足りない。
とは言え、長いもは色が白くてきれいであり、そのまま白さを生かして煮てみるとなかなかである。ちょっと焼き目をつけたりすれば、軽いつけあわせにもなる。味は淡泊で、これはこれで捨てがたい魅力がある。

「長いも」と同じように冬の野菜で、白くて長いといえば大根だが、大根を煮るときに米を少々、洗ってはじめからいっしょに煮るのが新間家の母のやり方であった。
なんで大根と米をいっしょに煮るのかというと、どうもそれが先祖から伝わるやり方だったらしく、母もよく分からないけれど、苦みがとれる、という話であった。

生の大根は、大根おろしがいい。冬の大根おろしはただそれだけで甘味があり、ちょうどよい汁気もあって、天下の美味である。

ところで大根の切り方に、「せんろっぽんに切る」という言い方がある。
この言い方がなんとも粋で、私は子どもの頃にこの言葉の言い回しを使いたくて使いたくてたまらなかった。

せんろっぽんに切る
SENーROPPONーNIーKIRU。


私は幼いために「せんろ」という言葉から電車を想像し、きれいに線路の枕木のように、きちんと間隔をあけて、細長く切っていくためだろう、と勝手な解釈をしていた。

大根も、線路の枕木のようにきれいに切られると、その白さがひときわ輝くようで、台所の重要な役者である。

コロナ禍で家にいることが多い子どもたちに、家で料理をつくってみたら、と提案しておいた。
後日、写真を撮ってきて、それをレポートしてくれる子が現れた。これはとても面白い。
食材と子どもとの出会いは、その後の長い「食生活」の楽しい思い出になっていくだろう。

daikon

「結局一日2食か3食か」問題

20代の10年間は、はっきりとまじめに一日2食。
朝ごはんを食べず、11時ごろに昼食を食べ、夕食を夜8時ごろ食べていた。

計算すると、一日のうち、夜間から昼までの15時間は空腹である。
当時はよく考えもせず、みんながやっているから、というのが最大の理由であった。

20代にそのような食生活を送っていたため、30代になってシャバで働くようになると、周囲に朝食をとっている人もちらほら見受けられ、

「あれ?食べた方がいいのかいな」

という不思議な気分。

このころ、いっしょにシャバに出た仲間のHくんと会うと、やはりお互いに悩んでいるのは朝食を食うかどうか、という問題で、

「いやあ、あのあと、実は山小屋で働いたんだけど、朝4時に起こされていきなりすぐに『いただきます!』と山盛りのごはん。10年間朝食を食ってない身体には、あれは堪(こた)えたわ」

と、めげた顔をした。
わたしはその話をした時には、まだ朝食を食っていなかったので、ときどきHくんのその話を思い出すたび、「やはり朝食は危険なんや」と再確認していた。


ところが。
ほんの数か月であったが富士通のコールセンターで働いていたとき、ひょんなことから朝食を食べるようになった。
武蔵小杉駅の小さなマクドナルドで、かならず朝マックを食う同僚がいたためである。
あるときふと誘われて、朝、あのやわらかなマフィンだとか目玉焼き?を食うと、感動して涙がこぼれそうになったことを覚えている。

「朝食、ひさしぶりや~」

同僚は不思議そうな顔をするばかりであった。

それから朝食の研究を始め、結局はしばらく、ごはんと味噌汁となにか、という簡単な朝食を食べるようになった。朝食を始めると、体もなんだかそうなっていくようである。それまでは気にしたことがなかったのに、起きるや否や、
「なにか食べたいナ」
と思うようになった。見事な変わりぶりである。同時に、なにかようやく人並みになれた気がした。

「すごいな俺。ちゃんと朝食を食ってるwww」


その後しばらくエンジニアの仕事をしていると、やはりなにか口に入れてからでないと、どうもなにかやる気が起きないというか、頭が回らない気がする。
それで、エンジニア時代も朝食を家で食べた。間に合わないときもあったが、そんな時は仕事をしながら、なにかほおばって食べたこともあった。

当時を思い出すとある光景が思い浮かぶ。

エンジニア時代に隣の席にいたのが、わたしより4,5歳は年下であろうYくんで、彼は独身貴族であったためか、必ず朝、職場にくるとすぐにサンドイッチをほおばるのであった。
そして、必ずといっていいほど、彼がサンドイッチをほおばった瞬間に、顧客から電話が入るのであった。そんな時は彼が呑み込み終わるまで、わたしがしばらく応答し、時間を稼いだこともあったナ・・・。


その後わたしはなぜか小学校教員になったのだが、さて、朝食はどうなったか。
今度は、食えなくなったのでありました。
なぜかというと、単純な理由で、朝早く起きねばならなくなったためです。
駅前の便利の良いマンションに住んでいたが、ぎりぎりまで寝てしまい、間に合わない。
だんだんと朝食を食わなくなってしまった。

しかし、これは思いがけない変化をもたらした。
おどろいたことに、体調が良いのである。
わたしは子どもには
「早寝早起き、朝ごはん!」
と教えながらも、自分自身は一日に2食しか食わない生活をつづけた。

やがてまた時代がうつり、田舎に引っ越した。
すると、今度はまた通勤に余裕がでて、朝食を食べるようになった。
加齢もあったのか、ちょっとずつ体重が増えてきた。
それは私にとっては危険なことで、ちょっと増えるだけで、腰痛が出る。ほんの2キロくらい増えただけでも、なにか腰回りにおもりが増えたようになって、腰痛がピリピリと始まるのである。

わたしはまた、朝食を食わなくなった。
すると、とたんにまた体重が減る。
結局のところ、どっちが健康にいいんだか、悪いんだか、さっぱり分からない。
今はともかく、食べないで暮らしている。
夜8時以後は食べないで、昼は12時40分まで食べない。
なんと、16時間は空腹である。

小学校の教員は生活リズムがこのうえなく安定しており、きまった時間に起きて決まった時間に寝るし、おそらく細かく見ていけば、5分もちがわず、毎日おなじ行動をとっている。
教室で子どもたちが見ている前で間食する勇気はないので、やはり16時間の空腹時間がある。したがって、15時間以上の空腹でスイッチが入ると言われている、「ケトン体活動」は保障されているのである。

ケトン体というのは、小さな飢餓状態を感ずると始まるホルモン活動の一種だそうだ。
長時間の空腹があると、ケトン体が活動を開始する。
そして、人体の危機に対応するための様々な活動をするのだが、その活動の中の一つが、活動の結果として「やせる」効果を生むらしい。これを一部の人は「ケトンダイエット」もしくは「ケトン体ダイエット」とよぶ。(炭水化物を制限する、という人もいて、ケトン体ダイエットの一つの方法らしい。しかし私は炭水化物はがんがん食べているため、純粋にはケトン体ダイエットではない)

ケトン体を故意に活動させることには、賛否両論がある。
調べてみると、医学の世界ではケトン体ダイエットを推奨する学者もいるし、逆にケトン体ダイエットを危険視する学者もいるそうである。ただ、先に書いたように、わたしの実践方法はただ単に『空腹の時間帯がやけに長い』というだけのことである。したがって、おそらく私のは「ケトン体ダイエット」ではない。

朝食をぬいているだけ。
ただ、空腹を長時間にしているだけ。
ただの手抜き、なまくら、である。ナマケモノがやるダイエットなのだ。すなわち、#なまくらダイエットである。

朝食を抜いて、超ショック!
超ショックダイエット!

と呼ぶのが正しいであろう。

ともかく、お昼の給食は毎日子どもたちがごはんもおかずも大盛りにしてもってくるし、夕食も腹が空くので、いつも、嫁様が「よう食べるねえ」というほど、この上なくたくさん食べる。
これだけ食べてるのだから、ダイエットじゃないよな、と自分をなだめている。

木もれ陽の朝食

たまごは幸福の象徴~GWにめざめた玉子愛~

絵本「ぐりとぐら」の巨大カステラ?に興奮した子どもは多く存在する。
ぐりとぐらの巨大カステラ?を覚えている人なら、
「たまごは幸福の象徴」という言葉に
反対する人はほとんどいないはず。


さらに、映画「ひまわり」。
戦争で離ればなれになった夫婦が、一時(いっとき)の間、幸福に暮らせる時代がありました。
そのとき、画面に登場するのが巨大なオムレツでしたね。
それを見て、旦那さん役のマストロヤンニがうれしそうに食いつくシーン。
オレンジ色でまあるい、ちょいと焦げたオムレツは、ひまわりと似ていて、幸福の象徴でした。

もう一つ思い出したのが、田辺聖子さんの小説「ジョゼと虎と魚たち」です。
ジョゼが手料理をつくりますが、たしか「だし巻き卵」だったと思います。
恒夫があとでジョゼとの思い出をふと思い返すとき、卵料理を思い出している。

やっぱ、たまごは、幸福の象徴らしいぞ。
・・・と思いますよね。

あと、ジブリ映画の食事シーンでも、たまご料理がけっこう出ます。
それも、かなりうまそうに。
「天空の城ラピュタ」でバズーとシータが最初にいっしょに食べるパンに、目玉焼きがのってました。宮崎駿さんも、たまごが大好きなんだな、と思いましたネ。

映画でいえば、ロッキーがトレーニング中に飲み干すたまごの量は、はんぱなかったです。これは印象に残っている人が多いでしょう。

そして、監獄にとらわれている囚人の役で、ポール・ニューマンの映画がありました。
(ちょっと今、映画のタイトルを忘れました)
ゆでたまごを、めちゃくちゃいっぱいほおばるシーンがありました。

ついでに思い出した。
ジェームズ・ボンドもスクランブルエッグを食う場面(小説)を読んだことがあるな。腕利きの諜報員の栄養は、卵料理から摂ってるんだナー、と感心した。ジェームズボンドはほぼ毎日、朝食で卵を食べる、というのをそのとき知りました。なんというタイトルの作品だったか忘れたけど。
(そもそも007は、作品数が多すぎる)

こうやってまとめてみると、やはり人間とたまごの間柄(あいだがら)というのは、けっこう深い?

クレーマークレーマーの父親も、たしかフレンチトーストをつくるのが上手になってくシーンが、家族の復活を象徴的に扱う小道具として使われていたですね。

つまり、ひとと人との間柄(あいだがら)を、上手にコミュニケーションがとれるよう、
敵対しないように、角がたたないように、まあるく、まあるく、
親愛の情でむすびつけるのに、どうやら古来より人間は、かしこく「たまご」を活用してきたといえましょう。

GW中に、たまごのことばかり考えていて、卵料理のレシピを見すぎたせいだな。こんな記事になったのは・・・

写真は、映画「ひまわり」のマストロヤンニ氏(当時46歳)。
himawari

GWに『たまご』に目覚めるまでの記録

GWに仕事は山積み。
しかし「勤務しないでください」という教頭の必死の呼びかけに応え、まんじりともしない夜をすごした。

そんな状況で、どうしても家にいる時間が長くなる。腹も減ることだし、嫁様(このブログにちょいちょい登場する)が寝ている時間の早朝、急に思い立ってトーストを焼いたり、ゆでたまごをつくったりして、のんびりとブレークファーストを楽しむ時間があった。

そんときですわ。
突如、「たまごって、やっぱうめえ!」と思ったのです。

半熟ゆでたまごに岩塩をふって、厚いトーストといっしょに食ってるときもそうですが、
次の日、めんどうなので鉄のフライパンの上に溶き卵をぶわーっとながし、そのまま超簡単なスクランブルエッグを食ったときも。

やっぱ、たまごってうまいし、興奮する。

この「たまごで興奮」というのは、ちょいと説明が必要だ。(説明は省くけれども)
先日の記事でアルファベットのZ、という文字に異常に興奮する、と書いたのとよく似ているけれど、卵というのはどこか、心拍数をあげる魅力がありますわね。

というわけで、わたしは卵料理にめざめました。
嫁様が買った卵が、すでに冷蔵庫に並んでいるにもかかわらず、このGW中に卵をどんどんと買い足し、キッチンで料理し、ぱくぱく食べていた、と想像してください。

わたしの友人の何人かは自分で鶏を飼い、新鮮な卵を毎日GETしている。
本当にうらやましい。そのうちの一人、本間農園の本間昭久さんは、佐賀県でたまごの魅力にとりつかれた農業者だが、
彼とその家族が生み出す「ほんまの卵」というのが、また絶品である。

なんで彼を思い出したかというと、やはりGW中にたまごについてあれこれと考えていたからで、家の目の前の田んぼに、近所のじいさまが苗を植え始めているのを眺めながら、

「コメをつくって、その米を食った鶏が生んだ玉子を食べるのは、もとをたどれば米を食ってるようなもんだなー」

とばくぜんと考えたからでありました。

その本間さんは、生まれたばかりの鶏のひなを、餌である玄米の山の上に置くことで、
「この世の中って超しあわせー!!生まれた良かったー!」
と鶏(ひよこ)が思って生きるように、と願っているのでありました。
これはカステラの大好きなわたし(新間)を、カステラのふとんの上に寝かせるようなものだ。
考えただけで、幸福感がMAXになる。

さて、ここで話題にしたいのは、たまご、という言葉についてであります。(ようやく小学校教師らしい話題になった)

たまごは、「卵」とも書くし、「玉子」とも書きますね。
どう使い分けているのでしょうか。
嫁様にそれとなく尋ねますと、
「玉子という字は、料理の時に使うじゃない?」
と、ちょっと首をかしげながらそう言い、
高校生の息子も、「玉子は料理のレシピ用じゃないの」
と筋トレをしながら言うのです。

一般に、生のたまごは、「卵」を使い、
火を通して食の対象となった場合に、「玉子」を使うようである。
なんでこう使い分けるのでしょう。

日本では、牛は「ウシ」ですが、食材として呼ぶ場合は「ギュウ」と呼び方を変える。
対象が、食べ物か生き物か、で言葉を使い分けるのが、人間の癖なのでしょう。
これは世界中の人間の共通要素らしく、英語でもそうですね。
牛はCOWですが、牛肉になったとたん、BEEFになります。

本間さんの卵販売のWEBページを見ると、やはり「ほんまの卵」と書かれている。
これは、焼いてクレープのようにしたり、カステラのようになれば、「ほんまの玉子」と書くことになりましょう。調理されたあとの、食べ物ですからね。

ほんまの卵

もう一つ。
たまごやき、というのは、なんでそういうのでしょう。
ふつう、食べ物を焼いた場合、焼き芋』とか焼き魚』など「焼き」が単語の前にくる。
そして、単語の後に「焼き」がくるとしたら、たとえば『さかな焼き器』だとか、『串焼きだとかいうように、調理器具や調理方法を指すのですね。
しかし、たまご焼きだけは、なぜかその順番が、ちがうのです。なぜか、「焼き」が後なのですが・・・


本間農園の本間さんに、今度会ったら聞いてみたいと思います。
この答えは、プロにしか分からないと思う。

以上、GWになぜか卵料理にめざめた、という記録でした。
さて夏休みには何に目覚めるのだろうか?!乞うご期待!

教員の健康を考える

教員に限らず、人間は健康が大事だと思います。
基本となるのは、規則正しい食生活、十分な休養、適度な運動でしょうか。

わたしには持病があり、20代の初めから、かなり気を付けて暮らしてきた。
まずは椎間板ヘルニア。
椎間板の間のクッションのような役目をしているものが、つぶれて一つ消滅している。
そのため、わたしの腰椎は非常に硬い。あるところまでいくと、曲げられなくなる。
20代の初めに手術をしたんだけど、ずっと腰痛もちであります。

さらに、腎臓結石。
石ができやすいのは父親譲りで、そういう体質なんでしょう。
結石が尿管まで来てしまうと、突如としてのたうちまわるような背中や腰の痛み、腹部の痛みがはじまって、息ができなくなる。
これは近くで見ている人は嘘だと思うみたいですね。だって、その直前までなんともないから。
それと、痛み止めなど注射して、しばらくすると、痛みがすっと消えてしまう。
そうなると、もう見た目はなんともなくなるわけ。
私の嫁様は、わたしがのたうちまわる姿を目撃しているが、あとでケロリとなった姿を見て
「あれは嘘だったのだろう」
と本気で思ったらしい。

いや、本当なんすよ。その時は激痛なの。息ができないんだから・・・。
ふだんから、小芝居じみた言動を繰り返しているせいで、嫁様にも信頼されなくなっています。
反省しなければ。

わたしはこの2つを予防するため、若いころからあれこれと勉強をするはめになった。
20代の後半ごろから始めた(自発的な)節制の、まず一つ目が禁酒(ビール)である。
ビールは結石をつくりやすい。だから、飲まない。

まあ、結石で苦しむのは自分なので、そうならないために節制するのはまさに自分自身のためであります。

ビール以外にも実はあれこれと、食べ物や飲み物で結石につながるものがあり、これらすべてを防ぐのは難しい。
そのために工夫をして、できるだけ「酸」を体に入れた方がいいと思って、酢を飲んでおります。
酢は、酢酸ですね。クエン酸でもいいだろうと思われる。
つまり、酸で石を溶かせるのではないかと思うわけです。カルシウムが塩酸に溶けるでしょう。あんなイメージで。(注:エビデンスなし)

夜になると、毎晩、黒酢をうすめて飲んでおります。
また、給食の後にクエン酸飲料をひそかに飲んだり・・・
これがおいしい。わたしの体には、「酢」とか「酸」とかが、あっているように思う。
だって、すごくおいしいもの。

自分の体のことを一番よく知っているのは自分だろうと思います。
また、どのような生活習慣が自分の健康にどのような影響を与えるかを把握しているのも自分。
健康管理は自分で人生を管理するようなものだと思います。

さて、わたしが尊敬する方が東京の調布に住んでいて、わたしは彼からいろいろなことを学びました。
その方の職業は、鍼灸師。中国で実際に人間の体の隅々までを研究してこられた方です。
彼が時折、WEB上に情報を出しているのを見て学んでいるのですが、これが非常に含蓄に富んでいる。

ここでは、以前教えていただいた、雑誌の記事を紹介します。



どうも、人間というのは、腸が主人公らしい。
腸の内側が体内であり、腸管の外側は、体の外、ということ。
原始生物の環形動物、たとえばチューブワームなどをみていると、あれなどは、ほぼ腸だけで生きている生物ですね。人間(生物)の元の形はこれか、と納得できる気がします。
それだけ、腸が大事、ということ。わたしたちの本当の中身は、腸管である。
腸管が、その人の本体、ということになろうか。
進化の過程をていねいに見ると、腸以外は、あとから付いた付属品なわけね。脳でさえも。

まとめ。
腸には、食物繊維がよいようです。
今年の目標として、できるだけ多くの食物繊維をとれるように頑張ろうと思います。
まずは筑前煮かな。あれはこんにゃくも入るし、にんじんとかれんこんとか、なんだか繊維っぽいからね。
food_yasai_nimono



まだまだ、お餅余ってますか?

ありがたいことに、わが家は餅であふれている。

お友達からいただいた餅。
実家の母上からもらった餅。
正月の勢いで買ってしまったサトウの切り餅。

来る日も来る日も、餅を食べている。
飽きたら、餅を変身させ、おいしいスイーツ?にしてしまえ。

そこで、あられですよ!
☆材料
餅(もち米100%のもの) 100g
七味唐辛子 適量
青のり 適量
サラダ油 大さじ2
しょうゆ 大さじ2

☆つくり方
餅は7mm角に切り、3日程天日に干して、ひび割れが入るくらい、からからにする。
ビニール袋などに入れ、サラダ油を加えて全体にまぶしつける。クッキングシートを敷き、重ならないように並べる。
160~170℃に温めたオーブンで、丸くふくらんできつね色になるまで20~30分焼く。
しょうゆをはけでぬり、1~2分焼く。
取り出して返し、しょうゆをぬり、1分焼く。七味唐辛子と青のりをふって器に盛りつける。


もちを切っていると、
なんともいない
正月らしさが胸をうつ。

工夫して、餅を食おう!
★写真は、カラカラに乾かそうとして、たいらに並べて風を当てているところ。
P1060320

記事検索
メッセージ

名前
本文
月別アーカイブ
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 累計:

プロフィール

あらまそうかい

RSS
  • ライブドアブログ