「野菜市場」で自然薯を買ってきた。
月に1度くらい、車で自宅から15分ほどの距離にある「野菜市場」へ行く。だいたい、そこで、近所の加納さん、という方が作っている、卵と牛乳と砂糖だけで作った激うま「プリン」を買う。ついでに季節に応じてさまざまな地元の野菜が売られているのを見物するのだ。
今日は自然薯を発見した。
自然薯は掘るのが大変。さぞかし高いだろうと思ったが、長さ20cmくらいのが430円で出ている。おお、と思い、その勢いで購入した。
考えてみると、山の土を掘り起こして収穫したものではなく、ちゃんと栽培をしているものだろう。シールをよく見てみると、「短形自然薯」とある。これは長いもと自然薯の交配種だそうだ。山の土の中で掘り起こした天然の自然薯なら、とても430円では買えまい。
わたしは学生時代に寮で暮らしていたために、へんてこな先輩方にたくさんお目にかかった。
まさに珍奇な人間博物館のような場所で、ここにはとても書けないような「へんてこりん」な先輩が大勢いて、当時はネットもスマホもないから、みんな暇で、やたらと用もなく長い廊下を行き来していた。(わたしは毎日お化け屋敷に寝泊まりしているような気分で過ごし、「今日はどんなお化けが出てくるかな」と、わくわくしていた)
ある日、Nという修行僧のような立ち居振る舞いをする大学院の先輩が、「おい新間、むかごごはんを食べよう」とドアをノックしてきた。
わたしは初めてきく「むかご」という単語が分からないので、「むかでを食べるんですか」と聞き返したのを覚えている。
修行僧の先輩は談話室で座禅を組んだり、海岸近くの岩場で何時間も太陽を拝んだりと過酷に自分を追い込むことが好きだったので、むかでを食べる、という妄想もあながち無理はなかったからである。
しかしそれは残念なことにムカデではなく、自然薯の一部の「むかご」のことだった。
先輩は裏の物置にあった古いシャベルを私に持たせて、自分は手ぶらで鼻歌をうたいながら寮の裏山を登っていく。あとで振り返ってみると、わたしはここで気が付いて戻るべきであったが、なんだか楽しそうでわたしもハイキング気分でそのあとを追った。
先輩は山道の途中でむかごを発見し、「これこれ」とポケットに無造作にむかごをぽいぽいと収穫すると、今日は米を炊くが、そこにこれを入れると山の幸を感じて幸福感が30分間は持続するのだ、と熱弁した。
わたしはそれが人生初の「むかご」との出会いであった。
先輩はすぐにその場でむかごをひとつ口に放り込み、わたしにも一つくれた。
少し拭いてから口の中に入れると、たしかにこれは芋である。
こんなものがごくありふれた山道の途中に存在するのか、ということ自体にも、わたしは軽い興奮を覚えた。
「おお、これは食える、食えるぞ・・・」
考えてみれば、その先輩は他の先輩とはちがってちっともアルバイトをせず、極貧生活を送っていた。しかし、こうやって謎の知識でもって山の幸をゲットし、意外に明るい学生ライフを満喫していたのだ。別の日には、野菜を煮て豚汁を食べていたが、その野菜は雑草であった。先輩は「食えるから雑草ではない」と言っていたが。
さて、そのむかごをいくつもポケットにしまうと、今度はシャベルでそのあたりの土をちょっとばかり掘ってみろ、と言う。
言われたとおりに掘ってみると、まだまだ深く掘れ、という。ただし決して根を傷つけるな、という。わたしはちょっと、めんどくさくなってきた。
おまけに、石ばかりでシャベルの先がすぐに石に突き当たる。
時間は経つものの、ちっとも深く掘れずにだんだんとくたびれてもきた。
先輩はにこにこしながら穴の奥を見ている。日曜日の朝に私を呼びに来たわけが、これでわかった。
しかし、掘り進むうちに夢中になってきてがんばって掘り続けると、たよりない小さな自然薯が出てきた。
「これは小さすぎるな。もっと地下には親分がいるだろう」
先輩の見立ては結局はまちがっていたのだが、わたしはそれを信じてそこからさらに60cm近く深く、へとへとになりながら掘った。
自然薯は寮で宝物のようにして扱われ、おろし金ですられると、ほかほかの炊き立てご飯の上を経由し、われわれの胃の中におさまった。
あとでこの話を他の先輩に言うと、その先輩も腹を減らしていたらしく、「むかご」という単語に異常に反応し、
「特別に細い作りのホンツキという道具を使えばもっと楽に掘れるはずだ」
と、後日かなりでかい自然薯を掘ってきていた。
自然薯はとろろにしても何に使っても味が良い。
畑でつくる芋で「長いも」があるが、これはのっぺりとして棒のようで皮がむきやすい。しかしとろろとしても、つなぎとしても、自然薯と比べたらなにか物足りない。
とは言え、長いもは色が白くてきれいであり、そのまま白さを生かして煮てみるとなかなかである。ちょっと焼き目をつけたりすれば、軽いつけあわせにもなる。味は淡泊で、これはこれで捨てがたい魅力がある。
「長いも」と同じように冬の野菜で、白くて長いといえば大根だが、大根を煮るときに米を少々、洗ってはじめからいっしょに煮るのが新間家の母のやり方であった。
なんで大根と米をいっしょに煮るのかというと、どうもそれが先祖から伝わるやり方だったらしく、母もよく分からないけれど、苦みがとれる、という話であった。
生の大根は、大根おろしがいい。冬の大根おろしはただそれだけで甘味があり、ちょうどよい汁気もあって、天下の美味である。
ところで大根の切り方に、「せんろっぽんに切る」という言い方がある。
この言い方がなんとも粋で、私は子どもの頃にこの言葉の言い回しを使いたくて使いたくてたまらなかった。
せんろっぽんに切る
SENーROPPONーNIーKIRU。
私は幼いために「せんろ」という言葉から電車を想像し、きれいに線路の枕木のように、きちんと間隔をあけて、細長く切っていくためだろう、と勝手な解釈をしていた。
大根も、線路の枕木のようにきれいに切られると、その白さがひときわ輝くようで、台所の重要な役者である。
コロナ禍で家にいることが多い子どもたちに、家で料理をつくってみたら、と提案しておいた。
後日、写真を撮ってきて、それをレポートしてくれる子が現れた。これはとても面白い。
食材と子どもとの出会いは、その後の長い「食生活」の楽しい思い出になっていくだろう。
月に1度くらい、車で自宅から15分ほどの距離にある「野菜市場」へ行く。だいたい、そこで、近所の加納さん、という方が作っている、卵と牛乳と砂糖だけで作った激うま「プリン」を買う。ついでに季節に応じてさまざまな地元の野菜が売られているのを見物するのだ。
今日は自然薯を発見した。
自然薯は掘るのが大変。さぞかし高いだろうと思ったが、長さ20cmくらいのが430円で出ている。おお、と思い、その勢いで購入した。
考えてみると、山の土を掘り起こして収穫したものではなく、ちゃんと栽培をしているものだろう。シールをよく見てみると、「短形自然薯」とある。これは長いもと自然薯の交配種だそうだ。山の土の中で掘り起こした天然の自然薯なら、とても430円では買えまい。
わたしは学生時代に寮で暮らしていたために、へんてこな先輩方にたくさんお目にかかった。
まさに珍奇な人間博物館のような場所で、ここにはとても書けないような「へんてこりん」な先輩が大勢いて、当時はネットもスマホもないから、みんな暇で、やたらと用もなく長い廊下を行き来していた。(わたしは毎日お化け屋敷に寝泊まりしているような気分で過ごし、「今日はどんなお化けが出てくるかな」と、わくわくしていた)
ある日、Nという修行僧のような立ち居振る舞いをする大学院の先輩が、「おい新間、むかごごはんを食べよう」とドアをノックしてきた。
わたしは初めてきく「むかご」という単語が分からないので、「むかでを食べるんですか」と聞き返したのを覚えている。
修行僧の先輩は談話室で座禅を組んだり、海岸近くの岩場で何時間も太陽を拝んだりと過酷に自分を追い込むことが好きだったので、むかでを食べる、という妄想もあながち無理はなかったからである。
しかしそれは残念なことにムカデではなく、自然薯の一部の「むかご」のことだった。
先輩は裏の物置にあった古いシャベルを私に持たせて、自分は手ぶらで鼻歌をうたいながら寮の裏山を登っていく。あとで振り返ってみると、わたしはここで気が付いて戻るべきであったが、なんだか楽しそうでわたしもハイキング気分でそのあとを追った。
先輩は山道の途中でむかごを発見し、「これこれ」とポケットに無造作にむかごをぽいぽいと収穫すると、今日は米を炊くが、そこにこれを入れると山の幸を感じて幸福感が30分間は持続するのだ、と熱弁した。
わたしはそれが人生初の「むかご」との出会いであった。
先輩はすぐにその場でむかごをひとつ口に放り込み、わたしにも一つくれた。
少し拭いてから口の中に入れると、たしかにこれは芋である。
こんなものがごくありふれた山道の途中に存在するのか、ということ自体にも、わたしは軽い興奮を覚えた。
「おお、これは食える、食えるぞ・・・」
考えてみれば、その先輩は他の先輩とはちがってちっともアルバイトをせず、極貧生活を送っていた。しかし、こうやって謎の知識でもって山の幸をゲットし、意外に明るい学生ライフを満喫していたのだ。別の日には、野菜を煮て豚汁を食べていたが、その野菜は雑草であった。先輩は「食えるから雑草ではない」と言っていたが。
さて、そのむかごをいくつもポケットにしまうと、今度はシャベルでそのあたりの土をちょっとばかり掘ってみろ、と言う。
言われたとおりに掘ってみると、まだまだ深く掘れ、という。ただし決して根を傷つけるな、という。わたしはちょっと、めんどくさくなってきた。
おまけに、石ばかりでシャベルの先がすぐに石に突き当たる。
時間は経つものの、ちっとも深く掘れずにだんだんとくたびれてもきた。
先輩はにこにこしながら穴の奥を見ている。日曜日の朝に私を呼びに来たわけが、これでわかった。
しかし、掘り進むうちに夢中になってきてがんばって掘り続けると、たよりない小さな自然薯が出てきた。
「これは小さすぎるな。もっと地下には親分がいるだろう」
先輩の見立ては結局はまちがっていたのだが、わたしはそれを信じてそこからさらに60cm近く深く、へとへとになりながら掘った。
自然薯は寮で宝物のようにして扱われ、おろし金ですられると、ほかほかの炊き立てご飯の上を経由し、われわれの胃の中におさまった。
あとでこの話を他の先輩に言うと、その先輩も腹を減らしていたらしく、「むかご」という単語に異常に反応し、
「特別に細い作りのホンツキという道具を使えばもっと楽に掘れるはずだ」
と、後日かなりでかい自然薯を掘ってきていた。
自然薯はとろろにしても何に使っても味が良い。
畑でつくる芋で「長いも」があるが、これはのっぺりとして棒のようで皮がむきやすい。しかしとろろとしても、つなぎとしても、自然薯と比べたらなにか物足りない。
とは言え、長いもは色が白くてきれいであり、そのまま白さを生かして煮てみるとなかなかである。ちょっと焼き目をつけたりすれば、軽いつけあわせにもなる。味は淡泊で、これはこれで捨てがたい魅力がある。
「長いも」と同じように冬の野菜で、白くて長いといえば大根だが、大根を煮るときに米を少々、洗ってはじめからいっしょに煮るのが新間家の母のやり方であった。
なんで大根と米をいっしょに煮るのかというと、どうもそれが先祖から伝わるやり方だったらしく、母もよく分からないけれど、苦みがとれる、という話であった。
生の大根は、大根おろしがいい。冬の大根おろしはただそれだけで甘味があり、ちょうどよい汁気もあって、天下の美味である。
ところで大根の切り方に、「せんろっぽんに切る」という言い方がある。
この言い方がなんとも粋で、私は子どもの頃にこの言葉の言い回しを使いたくて使いたくてたまらなかった。
せんろっぽんに切る
SENーROPPONーNIーKIRU。
私は幼いために「せんろ」という言葉から電車を想像し、きれいに線路の枕木のように、きちんと間隔をあけて、細長く切っていくためだろう、と勝手な解釈をしていた。
大根も、線路の枕木のようにきれいに切られると、その白さがひときわ輝くようで、台所の重要な役者である。
コロナ禍で家にいることが多い子どもたちに、家で料理をつくってみたら、と提案しておいた。
後日、写真を撮ってきて、それをレポートしてくれる子が現れた。これはとても面白い。
食材と子どもとの出会いは、その後の長い「食生活」の楽しい思い出になっていくだろう。