30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

社会

なぜ歴史の学習がきらいになるのか(小学生編)

坂上田村麻呂が戦った相手は、地域で愛されていたはずで、大和朝廷という別部族が襲ってきたのであれば、徹底的にふるさとを守るために、一致団結して戦ったことでありましょう。
外敵である坂上田村麻呂。いきなり土足でふるさとを汚しにやってきて、「遠い京の都におられる天皇が君臨する大和朝廷にひれふせ」と訳の分からないことを言って、攻めてきたのですからナ。
ところが勝てば官軍。大和朝廷は、勝った勢いで、「ここにはおそろしい鬼がいたので、田村麻呂が退治した」と言って、歴史書にそう書いてしまう。

昔はそれでもよかったのです。勝つのは強いからで、強いのは正義であろう、というのが昭和から続いた考えでした。
ところが、コロナを経て、今の時代はなぜか、『強い正義』は人気がありません。正義ぶって、厚かましく自分の考えを押し付けてくるような勢力を、どうも世の中の、とくに若い層は嫌っているようです。

その証拠に、パワハラは、不人気です。
ブラック企業も、不人気です。
「24時間たたかえますか」も、不人気です。
ハラスメント全般が、不人気なのです。

だから、坂上田村麻呂が、どうも人気がありません。
授業をしていても、大和朝廷が日本を制覇しました!という部分で、なにか盛り上がらない。
「ひどいなあ」というため息が、教室にもれてしまうのです。
歴史の学習が、とくに若い子どもたちに不人気なのは、こうやってハラスメントで地方を無理やりに傘下に収めようとしたり、武器を持って人を脅し、なびかせようとするようないやらしい政治に対して、吐き気のするくらいに「嫌悪感」を抱くからではないかと思います。
でも、仕方がないのです。当時は、それが当然のことでしたからね。ただ、今の時代の感性には、まったく合わない、というだけで。

わたしは歴史キライの子がでないよう、坂上田村麻呂に焦点をあてるのでなく、むしろ退治された鬼の側に焦点をあてて、授業を行いました。
鬼といっても、当時はその場所にちゃんと住んでいた人間です。実在の人間が、大和朝廷が征服しようとしたときに「いやだ」と反対したために、「鬼ということにされてしまった」わけですね。

坂上田村麻呂の最大の事業といえばやはり東北地方に居住していた蝦夷の討伐だったでしょう。
蝦夷というのは奈良時代後期から平安時代前期にかけて東北地方で朝廷勢力と抵抗した人々のことを指します。
朝廷側はこの蝦夷という勢力を抑えて東北地方にも勢力を築き上げたいと考えていました。
それで、「蝦夷」という人たちは、野蛮でいやしくて獣同然だ、鬼のようなものだ、という風説を流布させて、都の人たちには「東北に鬼が住んでいる」というようなイメージをもたせました。
今でも「北東」の方角は、鬼門だ、ということになってますね、日本は。

坂上田村麻呂は、鬼を征伐する正義の味方だ、ということになっているのですが、子どもたちからは、ただのパワハラ野郎だと思われてしまっています。若い人たち、とくに小中学生には。そのために歴史はパワハラの変態野郎が人を殺すおそろしくてアホな学問だというイメージをもたれ、そのあげくに大量の「歴史なんてキライ」という子どもが量産されてしまうわけです。

坂上田村麻呂は当時としては立派な行いをしたわけですが、時代の趨勢にはさからえないようです。
したがって、わたしとしては、大和朝廷の勉強はあまりしたくありません。子どものテンションが下がり、以後の学習が非常にやりにくくなるからですね。

でもまあ、奈良の大仏をつくるころには、女子もまじめに勉強するようになりますし、天変地異の多かった平安時代の学習は、女性がひらがなを書くようになったり、日本らしさが出てきたりしますから、また好きになってくれるんですが。

今思えば、大和朝廷の方たちは、蝦夷とか他の地域コミュニティについて、ゆるい「連邦制」をとった方がよかったかと思いますね。「制圧」とか「征服」とかでなしに。だって、あまりにもパワハラのイメージが強すぎるので・・・。

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ガソリン価格から社会の厳しさを学ぶ5年生

「おやつなし ガソリン代を うらみます」

ある子が日記に、「お母さんが今日のおやつは抜きだ、と言ったのでなんでかときいたら、ガソリン代が高かったからでした」と書いた。

令和の世に生きる今の小学生たちは、これからかなり難しい時代を生き抜いていかなければならないことは予想できますね。日銀の黒田さんはすでにボケ始めているという噂もあり、あきらかにインタビューの映像を見ても、「認知がはっきりしていない」感じ。記者の質問に反応するのも力がなく、これで重責を背負わせるのは酷じゃないのか、と気遣う識者も居るくらい。

日本だけ金利を上げずにいて国を亡ぼす方向に向いているわけですが、どうやら日銀の黒田総裁は
「日本だけは特別な事情があるから、だいじょうぶ」
と、まったく周囲の状況を見ることができない。
これは残念ですが太平洋戦争突入時の大本営と同じ症状です。

5年生の児童に、「ガソリン代がなぜ高いか」を問うと、調べてきた子もいる。
なかなか偉いと思うし、今年の夏休みの自由研究にすごい向いている課題だと思う。
5年生としたら死活問題です。毎日のおやつもなし、大好きなガリガリ君も買ってもらえず泣いているのですから。
これはいけない、と兄弟で戦線を組んで協力し、車の中で懸命に交渉した結果、パピコを弟と分けて食べることができたが、

「このままガソリン代が高いままだったら、今年の夏休みは1週間にパピコが1つ(弟と半分こ)、ということもありえます。わたしの心は今、ゆれ動いています」

ということであり、小学生にも安倍内閣の負の遺産は容赦なく襲い掛かる。

さて、日銀の黒田さんが認知のゆがみを呈しはじめた、というのは歴史を勉強していれば明らかであります。
いつも、日本は追い込まれると「周囲がみえなくなり、認知のゆがみが生じた結果、『日本は特殊だから大丈夫』という自尊心肥大を増幅させるだけで、効果的な手が打てずに崩壊した」のであります。

大日本帝国以前からつづく日本の国家的なお家芸ともいえますが、「日本は神の国」と言い出すタイミングはいつも、日本が追い込まれている時代でした。

一番古いのは、日本という国の名前を決めた頃、白村江の戦いのあたりでしょう。
新羅はもともと唐がこわく、日本を味方につけたいので、下手に出る作戦をとっており、倭に対して「貢ぐ」国でした。「唐がこわいんだよね。だから、倭くんだけはうちらを攻めないでね」というわけです。倭の方が、立場が上だったのですね。

ところが白村江の戦いで倭が敗れた際、新羅が「もうあんたのとこには貢がないけど」と言ってきても、「いや倭(日本)は神の国で強いんだから貢ぐべきだ」と言い張ったそうですな。
当時の倭は、はじめて新羅と唐の連合軍に敗れ去って国の形を問い直さねばならないくらいに追い込まれており、賢い人たちを中心に律令国家をはじめるべく奔走せねばならなかったのです。しかしこのとき、担当の大臣が『認知を狂わせており』まして、『日本は神の国』であり、『日本は特殊なのだからぜったい大丈夫』と周囲を説き伏せる(無視)しまして、新羅に向かって『貢ぐんだ。俺は偉いのだから』と言ったらしい。現代のように『日本はもっとも世界で人気がある』的な感じでしょうか。

これが、どうやら日本の宿命らしいです。
日本は、同じことを現代まで延々と繰り返しているわけで。
歴史を学ぶと、すごくよくわかる。
おそらく日銀はこれからもずっと金融緩和をしつづけるでしょうし、円安は止まらないでしょうし、ガソリン代はまだまだ上がるでしょう。
しかたがない。日本はそういう歴史と宿命を背負った国なのでした。

日本は、外部の脅威を感じると、「うちらは特殊だから大丈夫。神の国だ」というのですごしてきたのですが、そのうちに外部の脅威がなくても、外部の脅威とは無関係の状態であっても、そういう具合になっていきます。病気がますます進行したわけですね。つねに政治家にとって、

「うちらは特殊で大丈夫」

は便利な合言葉となります。

平安時代の末期は末法思想が流行し、阿弥陀仏にすがる宗教が流行します。
世界の終わりが近いぞ、という感覚が日本人全体に強まりまして、浄土信仰が大流行するのですが、このとき、浄土信仰にすがろうとする人が多くなる一方、残りの人は「日本は特殊で神の国だから大丈夫」と、自尊心肥大にすがることになったようです。つまり神国思想、です。
同じことが太平洋戦争時にも起こるわけで、構造とパターンはおどろくほど一致します。

平安時代は結局、貴族社会がくずれ、律令体制の崩壊、という形で武士の政権へと根本から大改革されます。貴族たちには結局、1)浄土信仰 2)神国思想 この2つしか道がなかったのです。どちらも、こわいものから目をそらす、という点では変わらず、「認知をゆがませ、目をそらせる」ことでしかなかった、という点が泣けるところです。

このあたりの詳細は、実は以下の本に述べてあります。
わたしの上記の解説はつたないものですから、ぜひ皆様におかれましては以下の本をご覧ください。もっとよくわかります。



常に、他のことが見えなくなり、むしろ自分たちの方が特別な存在であり、自分たちの方が正しいのだ、という節回しを口にすることは、日本のお家芸だと言える、というのが結論でありました。
それが、やっかいなのは、「日本が立場的に厳しくなると必ずそうなる」というところです。

今、ガソリン代だけでなく、円安もそうだし、物価高もそうだし、コロナもそうだし、日本はかなり負のフレーズばかりがニュースに出てきます。オリンピックの予算も嘘ばかりで使途不明金だらけでしたから、おそらく平安末期のように、これは今の日本は「末法の世」に近いのかもしれません。

歴史の流れからすると、こういう時代はいずれ「日本は神の国で特殊だから自分たちだけは大丈夫」と言う政治家がどんどん増えるでしょうし、人気を博すでしょう。
それが日本の国の在り方であり、昔からそういう国だったのですから、あきらめるよりほかないのかもしれません。

おやつは弟とパピコを分ける夏休みになりそうです。
令和の日本は、そこから脱却できるでしょうか。

やっぱ、島国だからね。「自分たちは特殊ですごいのだ」という『井の中の蛙』のような精神性をどこかで持っているのかも。一方で、外国からは常にすごい文化がもたらされるから、劣等感もあるし。むずかしいね。

ところで黒田さん、もういい加減、金融緩和、やめましょうよ。
日本だけ特殊で大丈夫なはず、というのは、おそらく「認知のゆがみ」ですぜ。

日銀日本はすごい

5年生の社会がたいへんなことに【この時期北方領土を教える】

ロシアのプーチンさんの評判が悪い。
小学校5年生にとっては、これまでプーチンなんて人、まったく知らない人でした。
だれそれ?という存在だったわけですね。
そこに今回の戦争だから、プーチン=悪い人、という感じ。

ところが5年生はこの時期に北方領土を教わるから、
「さてはプーチンが択捉島をとったのか!」
と早合点をしてしまう。

いやいや、プーチンはまだ生まれてないんだよ、というと不思議な顔。
「え?プーチンが択捉島にきたんじゃないの?」
択捉島がロシア(ソビエト)占拠、となったのは1945(昭和20年)。
ウラジーミルが生まれたのは1952年だ。
まだ歴史もまったく知らないから、なんで択捉島に日本人が住んでいないのか、すごく困るみたい。

え?なんで日本人が住んでないの? という疑問からすぐに

さてはプーチンか!(怒)

となるまでに3秒もかからない。
それほど、今回の戦争の影響は大きい。

というか、第二次世界大戦を本当に知らない。
クラスの半数が、え?日本って戦争したことあるの?、です。
戦争のことを聞いたことがある、という人数は、年々、減っている。
全国の教師にアンケートをとったら、この数がどんどん減っていることが実感されると思う。

それに、「聞いたことがある」という子にどんなことを知っているかを聞いても、答えられない。
「うーん」とか「えーと」という感じ。
さらには、ひいおじいちゃんが戦争に行った、ということを聞いた子もほとんどいない。
「だって、ひいおじいちゃん、知らないもん」が当然ですから、本当に戦争は遠い話です。

今回は、あえてここでの説明をせず、
「自分で学習するチャンスですから、なんで択捉島にロシアの人がいるのかをゴールデンウイークに調べてみよう」
ということにした。

もう、おうちの人へ丸投げである。

良いのだ。6年生で習うから。
5年生では、「ロシアと日本との間に北方領土という領土問題が存在します」というだけを習うことに文科省で決められている。歴史は来年まで持ち越しだ。

ちなみに択捉島でロシアの方がクリスマスを楽しんでいる写真を見せると、
「楽しそう。いいね」
というのが小学校5年生である。

クリル


さて、択捉島はもちろんアイヌのふるさとであり、和人とアイヌとの間には複雑な歴史がある。
5年生は当然、アイヌも知らない。

「アイヌってなに?」
それもまた、ゴールデンウイークに調べてみてもらうことにした。
いいのだ。5年生だから。

文科省は本気なので、ちょっと前から全国の教員に強い調子のお触れを出しております。
「5年生でぜったいに尖閣諸島と竹島と北方領土、きっちり教えろ」
ということであります。ずっと昔、安倍政権だったころ、ですね。

で、この竹島なんですが、写真をみると切り立った崖がうつっておりまして、まあほとんど食糧の自給は無理だと思われる土地です。野菜なら少々とれるのだろうか?よくわかりません。
ここは、隠岐の島からさほど離れておりません。韓国(朝鮮半島)よりかは、隠岐の島からの方がよほど近いです。
しかし、本州と比較すると、韓国(朝鮮半島)の方がよほど近い。
なかなか微妙な位置にあるのが竹島ですね。

教科書にも、最近はデカデカと竹島の写真が載るようになりました。
嵐の時などには、ふきんで漁をしていた漁師さんが避難しました。船をここに着けて、嵐がすぎるのを待つ、というふうに使われてきたみたいですね。

日本の漁師さんも逃れてここで一晩泊まる、ということをしてきたし、なかには物好きな人もいて、ここにしばらく住んでいた日本人もいたそうです。
しかし韓国の漁師さんもここに船をつけて嵐を避けていたらしく、まあ日本の漁師さんも韓国の漁師さんも、嵐の時に命が助かると思えば、同じような行動をとったのですな。

で、韓国の人も「あそこに便利な島があるし、嵐の時はあそこに逃げればいいぞ」と思っていたし、日本人も当然、そう思っていて、隠岐の島の日本人も朝鮮半島の韓国人も、思考は一緒、ということです。

こういう学習をしてくると、5年生は単純です。

「じゃ、もうずっとそれでいいじゃん」
「べつに問題ないじゃん」
「問題解決じゃん」

と、じゃんじゃんじゃん、の3連発。


北方領土についていえば、ロシアは日本に対し、「GHQが一度日本をつぶしただろう。国際社会が日本の領土をぜんぶ取り上げただろうが。日本はそこで一度消滅している。だから択捉島はロシアがとったんだ」と気を吐いている。
日本も同じく、「たしかに国は一度その時点で滅びているが、土地を領有する権利まではく奪されてはいないぞ」と言い返す。

この、双方がファイティングポーズをとりつづける、そして水面下ではしなやかに交流し、経済を交わし、物流をさかんにし、人的な交流も分厚くし、相互に助け合うという実際の相互扶助を行う。
それが、20世紀後半の国際社会の在り方でした。

楽観的な人たちは、そうして人的物的交流がつみかさなれば、政治的解決はその下地の上にだんだんと促進されるはずだ、と信じていましたし、ベルリンの壁が崩壊したときなどは、その楽観論がもっとも信じられた時代だったでしょう。

しかしいまはちがいます。
どれだけ民間が努力しても、政治が下手をうつと、あっという間に民間の努力が瓦解するのを見てしまいました。

目のくるくるした女の子が、まるで休み時間にバレーボールをしているような声で
「竹島は、地球の人はだれもが、嵐の時に使っていいいエリア、ということにしたらいいじゃない?」と言いました。
すると東大をめざしている秀才のFくんが

「エリアは3つつくればいい。韓国の人がいるエリア、両方が入れるエリア、日本人のいるエリア。この3つをつくれば、うまくいくかもしれんよ」

わたしは感心してしまいました。
なにがって?
子どもたちの「問題解決的な思考の質の高さ」にですよ。
どうにかして、なんとかして、問題は解決したい、という意欲にです。

たしかに軍事専門家からすれば、一笑に付す意見でしょう。
しかし、この意欲はどうです?
それがなければ、こんなアイデアも出てこないでしょう。

本当に解決したい

と思えば、もしかしたらわれわれ大人だって、前に進むことができるのかもしれませんナ。

竹島

【6年・社会】国際連合の働き~パワポDL可能~

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この切手、なにを示しているのだろう?

ユニセフの切手


ユニセフと書いてある。
子どもと母親だと思う。
なにか英語の書いた荷物を持ってる。
喜んでいる?
なにかもらってうれしい。


そうだね。
これはユニセフという国連の組織について描かれた切手だ。
ユニセフは、戦争などで食糧の貧しくなった国の人々や子どもたちを救うためにさまざまな支援を行っている。

さて、1996年に、「ユニセフ50周年」という切手が発行された。
ということは、ユニセフがスタートしたのは?

1946年!

そうだ。あれ、1946年というとどんな年なのだっけ?

戦争が終わったすぐ。

世界を巻き込んだ世界大戦が終了した。日本も太平洋戦争での終戦を1945年に迎えている。
その直後、世界中はどんな様子だっただろう。

このとき、日本は貧しく、食べるものがなくて日本の国民のほとんどが飢えているような状況だった。ユニセフは、日本を支援しただろうか?

支援したと思う人? 多数
思わない人? 数人

ユニセフは日本を支援した。
具体的にはアメリカから脱脂粉乳や小麦粉、トウモロコシの粉などが送られ、そのおかげで都会の子どもたちは学校で食事することができた。(ユニセフ給食と呼ばれた)
1949

学校給食はこの時、パンと牛乳、というセットを初めてスタートさせたんだ。この影響が今まで続いている。

さて、あらためてこれまでの学習を振り返りたい。
先ほど、ユニセフが日本を支援したのは 1946年ごろ、ユニセフがはじまってすぐ、ということだったね。(はい)

しかし、以前の学習では、日本が国連に加盟したのは・・・いつだったかな?

あれ。もっと遅いはず?
GHQの占領で、憲法ができて、サンフランシスコ平和条約を結んでからだから・・・


そうだね。サンフランシスコ平和条約の締結が1951年9月。
そして加盟を許されたのが1956年だ。

つまり、ユニセフは、国連にまだ加盟も許されていない時期に、すでに日本に対してたくさんの援助をしてきたことになる。

さて、国連の組織にはまだまだたくさんのチームがあり、それぞれたくさんの仕事を進めている。
他にはどんな組織があり、はたらきがあるんだろうか。

国際連合加盟切手


この切手から気づくことは?

マーク。
国連の旗。


そうだね。国連の旗だ。北極が真ん中で、どの国が中心になる、ということにはなっていない。
その地図のまわりに、平和をあらわすオリーブの木がデザインされている。つまり、国連がめざすのは、「世界の平等と平和」ということ。

このために、さまざまな働きをするけれど、たとえば最近ずっと続いている「コロナウイルス」についてはどうだろうか。

国と国をまたいで、大きな世界的な問題になっている。
これについて、国連はどう対応していくか。
聞いたことがあるかな? WHO。世界保健機構だ。

では、世界遺産を決めているのは?
そう。ユネスコ、という。

世界の多くの国を巻き込んでいるような課題というとどんなのがあるかな?

ウクライナとロシアの戦争!

そうだね。まさについ最近のニュースだ。
ウクライナの街が爆撃を受けたり、攻撃されている。
すると、そこでは住めないから、国から逃げ出す人もいる。無理もないよね。
国連はそういうとき、人の命を救うのが使命なのだから、特別にこの人たちを「難民」と呼んで、国の境をこえて、助けるようにする。それが国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)だ。

ウクライナから隣のポーランドという国をめざして逃げていく人たちが大勢いる。
国境を超えるのにはふつうはいくつも手続きが要るんだけど、国連が間にはいって、この人たちの安全を確保するために、さまざまに活動し、支援している。

UNHCRは人道的見地から、紛争や迫害によって故郷を追われた世界の難民の保護、難民問題の解決へ向けた国際的な活動を先導、調整する任務を負っている。

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これからの時代、みんなが国連に「こんな活動をしてほしい」ということはあるだろうか。
ノートにたくさん書いてみよう。

【6年・社会】サウジアラビアを知ろう~パワポDL可能~

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統的な服装を見よう

どうして頭からすっぽり覆うのだろうか

気候をみてみよう

どんな特徴がある?

砂漠の気候に対応するための工夫がたくさんある服なんだね

すばらしいお天気ですね、というのは日本ではどんな天気の時?
サウジアラビアではどういうときだと思う?

雨のときでした。

サウジ料理1


どうして外出するとき、女性は顔まで覆うのだろう?

イスラム教が関係していた

こんな厳しい教えがあるらしいけど、みんなだったらどう?

でも、今のサウジアラビアの人たちにきいてみると、どうやら良いこともあるようだ。

さて、イスラム教の人口は世界でも2番目に多い。

メッカはどこにあるか、地図帳でしらべよう

ここに向けて、みんな祈っている

さて、サウジアラビアはこんな国だ。

日本じゃ考えられないほどに豊かだ。

なぜだろう?

年間13兆円が儲かる。まさに石油は天の恵みだね。

日本はどんな国から石油を買うのだろう。

サウジアラビアが一位。

他にも、ほとんどが中東とよばれる地域から買っている。

場所を確認しよう。地図帳では何ページ?

大陸と大陸の間だね。
アフリカ大陸とユーラシア大陸の中間にあるよ。

ここを中東という。
そして、ほとんどが産油国だ。

タンカーで日本に運ぶけど、日本に向けて何隻あれば運べるかな?

1日に1隻以上が入港している。

全部で数百のタンカーが、ほぼ毎日、日本に着く。

この道をオイルロードというよ。

しかし盗賊がでるときがあり、日本はこの地域の政府と相談しながら、気を付けて運航している。

【6年・社会】朝鮮と韓国を知ろう~パワポ資料DL可能~

今回の資料です。
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となりの・・・

つづきは、なんだと思う?

トトロじゃないよ

そう、となりの国って?

アメリカ?
中国?


けっこうあるよ。

・ロシア
・朝鮮
・韓国
・台湾

海を隔てた向こうも数えると、太平洋の向こうにはたくさん。
近所だと、こんな感じ。

この国、わかる?
オリンピックでの入場行進だ。

地図帳でしらべよう。
わかった?

そう。朝鮮半島だね。
こたえは、
北朝鮮民主主義人民共和国と
大韓民国だ。

もともとは一つの国だった。
かつて、日本が占領し、統治していたこともあるよ。
植民地にして、日本語をむりやり話させたんだったね。

太平洋戦争の後、2つの国に分かれて独立した。
朝鮮戦争もあったから、ややこしいことになった。
この写真は、国境を示している。

しかし、写真にあるように、実はお互いに親戚だった人もいる。
国は分かれても、統一を願っている国民は多いんだ。

さて、日本とくらべてみると、どんな違いがあるだろう。
たとえば、白菜。どうやって食べている?

韓国では、キムチにする。いろんな味付けを加えるようだ。
日本では、ぬか漬けにするけどその後洗って食べる。ずいぶんシンプルな味つけだね。

似ているけどちょっと違う。
それが「ご近所らしさ」なのかもしれない。

韓国の伝統的なくらしを見てみよう。
有名なのが、オンドル。
建物の床が、とても暖かくなっている。
だから、床に直接寝た方があったかい、ということもあるそうだよ。

この服装は見たことがある?

そうだね。チマ・チョゴリ。

timachogori


文字は?

ハングル文字は、日本で言うとかなのようなものだ。
漢字も使うけど、一部のようだ。

おもしろいのは、似ている言葉がたくさんあること。
たとえば、日本語の感謝。
韓国だと「カムサ」と発音する。かんしゃ、と似ているね。

日本と半島はずいぶん関係が深い。

もともと半島から日本に渡ってきた人はとても多いから、百済とか高麗とか、日本に地名がたくさん残っている。埼玉県には、高麗神社もあるよ。西日本には巨摩(こま)郡があり、東日本にも高麗(こま)郡がある。
『続日本紀』には、駿河甲斐など東国に高麗人一千七百九十九人が移住し高麗郡を設置した、とあるようだ。われわれのご先祖には大勢、半島からやってきた人がいたみたい。

朝鮮や韓国について、しらべてみたいことがあれば、ノートに書いてみよう。

【6年・社会】中国を知ろう その2~パワポDL可能~

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これを知っていますか?

百力磁

なんのことだろうね?

これは?

小熊餅

わかりますか?
もともとは日本のものです。


百力磁は プリッツ。
小熊餅は コアラのマーチ。

日本のお菓子を、中国の人たちもたくさん食べているんだね。

さて、日本のものをたくさん買っている国はどこだろう。
アメリカ?それとも中国?

最近の統計。2020年のデータだよ。
一位は中華人民共和国。
中国がもっとも日本のものをたくさん買ってくれる国だ。

逆に、日本がいちばんたくさんモノを買う相手の国はどこだろう?
アメリカ?それとも中国?

これも中国だ。

では日本は中国からいったい何を買っているのだろう。

スーパーなどで買い物をするとき、どんなものが中国産だろう?
また、テレビで中国産として紹介されているものを見たことがあるかな?

・スマホ
・洗濯機
・テレビ
・魚
・うなぎ
・野菜
・お漬物
・冷凍食品
などたくさん。

資料集には、

・大豆
・とうもろこし

も載っている。

これらは、アメリカからも買うし、中国からもたくさん買う。
日本人は、どうやら「大豆」をたくさん使うみたいだ。何に使うのだろう?

そうだね。大豆は日本人の食卓にたくさん出てくる。
・豆腐
・味噌汁
・納豆

とうもろこしも、お菓子をはじめ、人間が食べる場合もあるし、
飼料として、つまり家畜に食べさせるためにもたくさん買っているよ。

中国は昔から輸出が盛んだったのかな。

これを見ると、どうやらここ最近の10年間で日本を追い抜き、トップに出てきた。
(日本はこの10年間で逆に、どんどんと順位を下げたよ。ざんねん!!)

今、中国ですごく工業が盛んになっている都市がある。

1つめの有名な場所は「上海」しゃんはい。
2つめは「深セン」だ。シェンチェン、と読むよ。

この2つ以外にも、どんどんとたくさんの都市が、新しい工業都市として誕生している。

ただし問題もある。
大気汚染だ。

とくに冬はみんなが石炭で建物を暖める。
それで、大気汚染がひどくなっている。

中国のことで、しらべてみたいことはあるだろうか。
自分でも「自主学習ノート」にしらべてみたことを書いてみても良いね。

【6年・社会】中国を知ろう~パワポDL可能~

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中国の人口と広さを確認しよう。

⇒地図帳で枠取りをする。マーカーや赤鉛筆でふちどる。

いろんな国と、国境が接している。
国境をめぐるさまざまな問題を抱えているんだ。
日本も領土問題があるけれど、日本と比べても、もっと大変そうだね。


人口は?

13億を超える。世界第一位の人口だ。

昔、人口が多すぎるということから、
今はもうなくなったけど、ちょっと意外な法律ができた。
知っている人?

ひとりっこ政策。

しかしこれは問題がたくさん。
どんな問題が発生したと思う?

そうだよね。隠すよね。
世間からかくして育てる人が出た。
そうなると普通に暮らしていくことができない。
学校にもナイショ、通えない。

やがてこの法律はなくなりました。
でも、人数が多すぎる、というのは国にとってはいい面だけでなく、
ちょっと厄介な面もあったようです。

さて、お札を見てみよう。
気になるところはある?

この人は?

毛沢東(もうたくとう)。
今の中華人民共和国をつくるときに、中心となって活動したメンバーだ。

壱圓とは?
いちげん、と読むよ。
18円くらい。今のレートで。

裏を見てみよう。
なにか気づくことがある?

そうだね、たくさんの種類の字がある。
これは、言語がたくさんある、ということと関係があるよ。
実は中国は、一つの民族ではない。多民族国家だ。

中国漢字もあるが、モンゴル語やチベット語などもきちんとお札には書かれている。

多民族国家だと、どんな問題が起きるかな。
そうだね。政治がうまくみんなにいいような政策をとっていかないと、一部の人だけを優遇していたらぜったいに不満が生まれ、うまくいかない。
多民族国家は、どの民族にとってもいいように、うまく政治を進めていかなければならない。

アメリカの農業も見たけど、中国の農業も見てみよう。

餃子


その前に、中国で一番食べられているのはなんだろう?
①米 ②小麦 ③大豆

これはきちんと調べられていないから、実はわからないんだ。ごめんね。
でも、どれもたくさん食べられているのは間違いない。

中国の北部では小麦を使っためんやマントウ(中国の蒸むしパン)、南部ではお米が主食。中国のお米は日本のお米に似にた品種で、たき方も味も似にている。中国ではお米をおかゆにして食べることも多い。

さて、ここでクイズ。
料理名、材料、地域をすべて答えられるかな?


【6年・社会】アメリカの農業をしらべてみよう

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アメリカの畑に、こんな形の畑があるよ。どうしてだろう。

なにを栽培しているのだろう?
どうして丸いのだろう?
理由を予想をしてみよう。

ロッキー山脈のふもと、カンザス州。
もともと雨が降らない土地だけど、地下水はある。
ここで農業をするには・・・スプリンクラー!

【動画視聴】160087289204187400



アメリカから日本へ輸入されるものは何だろう?
どちらのグラフが、そうだと思うか。

アメリカから日本には、資源(ガス)や石油などに加えて、食料になる穀物や肉類が多く輸入されている。総額は、年間1兆円近くにもなる。これは世界でもとびぬけている金額。
日本人は「食べること」には、お金をかけるんだね。
 ⇒一方で、フードロスの問題も日本がもっとも深刻。


逆に、アメリカが日本から買うものは?

自動車、機械製品、化学製品など。
精密機械の部品などは、逆に日本がアメリカから買っているものもある。

日本がアメリカから影響を受けた文化やモノって?

セブンイレブンなど、コンビニエンスストアが24時間OPENしているのも、アメリカが始めた。
日本にそのやり方を持ってきたんだね。日本の酒屋さんや米屋さんが、コンビニエンスストアに切り替わっていったのが、1980年代だ。

ディズニーランド、スタバ、ジーンズなどもアメリカの発祥だね。

あとは?

スポーツ。
スポーツの多くはアメリカやイギリスが発祥だ。オリンピックの競技種目のほとんどは、アメリカやイギリスがはじめたスポーツだね。

左がベーブルース。100年前のプレーヤーだ。
大谷選手は、ベーブルースと比較されているね。

【6年生・国際社会と日本】アメリカと日本

★アメリカ合衆国について調べよう

※今回のパワーポイント資料です。
右クリック⇒【名前を付けてリンクの保存】 でダウンロードできます。

アメリカの土地はどこ?
地図帳でしらべよう

アラスカとハワイもアメリカだ

面積と人口は?

軍事力は?

広くて、人数も多くて、他の国へまで影響を及ぼす国


どんな人たちが住んでいるのだろう?

アジア系(もっとも多い)
ヨーロッパ系
メキシコ系
アフリカ系

多民族国家とよばれているよ

なぜそうなったのだろう?

移民がたくさんきた国。
もともと住んでいたのは、先住民族

どんどんと国を広げ、州を増やしていった。

国旗の星の数が増えていった。



アメリカの小学校のランチをみてみよう。
感想は?


汁ものがない。
あたたかい汁はなさそう。

ランチは全員というわけでなく、食生活が一人ひとりちがうから
何を持ってきても良い。お弁当でもよいしカフェテリアでランチでもよい

日本との違いは?

日本人が知らない良さ、気が付いていない良さもたくさんあるかも。
逆も言えるね。

お互いのことをわかりあおうとすることを、「異文化理解」というよ。

【小6社会】国旗を通して世界を知ろう

国旗を通して、世界の国々を知ろう

似ている国旗がたくさんある。
それぞれどんなところが似ているだろうか。

気づいたことをノートに書こう。

気づいたことを隣の人と相談してみよう。

地図帳をみて、なんていう国か、見つけよう。

どんな場所にあるのか、どんな人達が暮らしているのか、
どんな生活を送っているのかなど、想像してみよう。

気づいたことをたくさん発表してみよう。

どこか、この国にぜひ行きたい、という国をひとつ、発表しあおう。


【6年歴史】戦後の米ソ冷戦と沖縄

発問と流れ

ゴジラ水爆沖縄


1 恐怖におののく人々。なにを見ているのだろう?

2 写真をみて気づくことを。

3 水爆の説明

4 アメリカの実験と考え

5 米ソの冷戦とは

6 平和条約はソ連とは結ばなかった

7 沖縄県はどうだったか

8 写真をみて気づくことを。

9 日本語を守る取り組みについて

10 米軍基地は残された

11 ふたたび、なにか気づくことは?

12 なぜ戦闘機?なぜ日の丸?

13 自衛隊がつくられた背景にある「朝鮮戦争」

14 人間は戦ってばかり。ゴジラはどう思うだろう?

15 人間は戦う歴史と戦わない歴史とどちらが長い?

16 縄文時代の平和はもう戻らない?

【6年歴史】太平洋戦争学習の記録

前回までに太平洋戦争の入り口までを学習したので、その次。
(YOUTUBEにてパワーポイント資料を公開しました)
学習問題
【戦争が始まって、町や村はどんなふうに変化したのだろう】


東京大空襲
  ↓
沖縄戦
  ↓
日露戦争との死者数の比較
  ↓
原爆(ひろしま・ながさき)
  ↓
終戦後の長崎で撮影された 1枚の写真(ジョー・オダネル)

長崎では、まだ次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。死体が荷車に無造作に放り上げられ、側面から腕や足がだらりとぶら下がっている光景に、わたしはたびたびぶつかった。人々の表情は暗い。

焼き場となっている川岸には、浅い穴だけが掘られている。水がひたひたと押し寄せていた。灰や木片、石灰が散らばっている。燃え残りの木片が、風をうけると赤く輝いて、熱を感じる。白いマスクをつけた係員がもくもくと、荷車の先から、うでや足の先をつかんで、引きずりおろす。そして、そのままの勢いで、火の中に放り込んだ。死体ははげしく炎をあげて、燃え尽きる。
(中略)

焼き場に、10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせていて、ぼろを着ていた。足は、はだしだった。少年の背中に、2歳にもならないような幼い子がくくりつけられていた。その子は眠っているようだった。体にも、まったく傷がなく、やけどのあとらしいものも、みえなかった。

少年は焼き場のふちに進み、そこで直立不動になった。
わきあがる熱風を感じていたのだろうが、動じず、そのまま動かず立っているままであった。
係員がようやく、その幼子を背中からおろし、足元の燃えさかる火の上に、のせた。

炎が勢いをまし、おさな子の体を燃やし始めた。立ち尽くす少年は、そのままの姿勢で立ち続け、その顔は炎によって赤く染まった。気落ちしたように少年の肩がまるくなり、背が低くなったようだった。しかしまた、すぐに背筋をのばして、まっすぐになった。わたしはずっと、この少年から目をそらすことができなくなっていた。

少年は、まっすぐを見続けた。足元の弟に、目をやることなく。ただひたすらに、まっすぐ前を。
軍人にも、これほどの姿勢を要求することはできまい。

わたしはカメラのファインダー越しに、涙ももう枯れ果てた、深い悲しみに打ちひしがれた顔を見守っていた。わたしは思わず、彼の肩を抱いてやりたくなった。しかし、声をかけることができず、そのままもう一度だけ、シャッターを切った。

すると少年は急に向きをかえ、回れ右をすると、背筋をぴんとはり、まっすぐ前をみて歩み去った。あくまでも、まっすぐ。一度もふりかえることなく。

【すごろく授業】ためしにとことんキレてみる

そろそろ歴史の授業も佳境を迎え、明治から大正、昭和、と至近距離まで来ております。
昭和、という年号を聴くと、もうブワーッとあれやこれやと思い出が蘇ってきて、教科書に載っていることなどほんの一部だ、という気がしてしまいます。

で、今日は「太平洋戦争突入!」というたいへんに勇ましい授業をやる予定だったのですが、
冷静な女子の一言から、わたしが予定していた講談師か?宝井馬琴なのか?と、みまごうばかりの歴史講談【いざゆけや真珠湾と悲運のガダルカナル】は、おじゃんになってしまいました。

つまり、なんで太平洋戦争になるのか、ちょっと何言ってるのかよく分からない、というのです。
その子にとっては、日清戦争もよく分からないし、日露戦争もよく分からないと。

ただ、「なんで戦争したのか」ということが、いまいち意味不明寮だ、というのです。

クラスには歴史ファンもいるし、歴史読本「戦艦武蔵のすべて」を読破した男子もいるので、そのあたりの女子の疑問については、そんなことは簡単だぜニヤニヤ、と余裕を見せており、そのうちの一人であるGくんは、

「そりゃあ、ロシアだ。コリアをロシアに、そう、コリアをぶんどられてたまるかってことさね」

と質問した女子の頭上ナナメ上、3m先の回答。

おまけにGくんは早口で、コリアをこりゃあ、という感じでいうので、

「そりゃあ、こりゃあ」と聞こえたらしく、女子はぶ然とした表情のまま「まったくわかりません」と動じない。

そこで、クラス全員の総意でもって、本日は日清戦争から太平洋戦争までの復習をすることになってしまった。こんなふうに歴史の授業は遅々として進まないために、卒業間際まで焦ることになってしまう。

わたしは閃いて、もう10分で説明を終わらせようという良くない作戦を思いついた。

それが、「すごろく型歴史授業の進め方」であります。

正月遊びのすごろくのように、でっかい四角いマスを描き、まずその中に、「列強に攻められる不安」と書いた。すべてはここから始まるよ、とおごそかに宣言した。

「いいでしょうか。すべての良くない物語(ストーリー)は、不安から始まるんだね」

みんなノートに記入。1マス目「不安」です。

そして、日清戦争、とつぎのマスを。
「国境を接してるから、韓国を取られたらまずい、と思ったんだね」
当該児童の女の子は、「そこは、はい。納得できます」と言ってくれた。

日本は韓国を自国の強い影響下に置きたい、とねがった。もちろんロシアを牽制するためだ。
しかし、そこに思わぬ伏兵がいて、清の国が難癖をつけてくる。もちろん清からすれば、朝鮮というのは古来からの属国でありますから、みすみす取られるわけにはいかない。で、日本と衝突。

さらに、その流れで今度は親玉のロシアと対決。つぎのマスに、「日露戦争」と書く。
ここにも女子が「まあしかたがない」という表情で納得してくれて進んだ。

そして次が「韓国併合」。日露戦争に勝った後の流れだ。

続きます。清の国が滅び、中国が新しい国の建設にごたごたしている隙につけこんだ形での「満州国建設」。

これはもう、日本という国家を一人の人間に例えると、「強迫神経症」という感じであります。ロシアだって、目の前の土地をとられたら不安ですよね。日本が満州を支配したら、その隣国のロシアは烈火のごとく怒ると思うのだが、日本はもうとめどない欲の塊のようになっており、列強に対抗するためにも、生糸の輸出量を増やすためにも、植民地を欲したわけね。

地図をみると、子どもたちも「えー、こんなとことっちゃうの」「ロシア、目の前じゃん」「ひでえ」というつぶやき。

案の定、その次が「列強及び中華民国の抵抗」

ここでこんな発問をした。
「世界の主要国から、手を引け、と通告され、地元の国や周囲の国もそれを認めない、というなかなか厳しい情勢です。自分が日本の将来を決める立場だとしたら、手を引きますか?」

すると大半は手を引く、と答えたが、なかに一人、場の空気を読む子がいて

「いえ。ぼくはもうこうなったら、いったんとことんキレてみます!」

じゃあ、キレたことにして進もう。

アメリカを中心にした経済制裁で、鉄も石炭も石油も手に入らなくなった日本は、満州を守ると同時に南進します。インドネシア、マレーなどに進出し、資源をねらいます。

「南進⇒さらなる反対を生む」と板書。子どもたちもノートに記述。
南進の結果、もともとそこらへんを植民地にしていたフランスも日本に対して激怒します。
最初に質問した女子が、

「ばかなの?」

と冷静につぶやいていたのが印象的でした。
Gくんが「石油がないから仕方がない」と、震えるような小声で言いました。

そこで、ある写真を見せて、これ誰かわかる?というと、たぶん10年前ならクラスの半分は手を挙げたと思われるが、おどろいたことに3人しか知らなかった。

ヒトラーであります。

シンドラーのリストもアンネの日記も、もうあまり話題にならないし、世間的には忘れ去られているのだろうか。あるいは、ネットの一部で「ホロコーストはなかった」と信じる人たちもいるように、ないことになってしまったのかもしれないが、ヒトラーは実在の人物であります。どんどんと無名になっていってますが、少し前までは有名でした。

ヒトラーが最大領土を広げた地図をテレビに映すと、クラス中が「おおお」とどよめく。
ハーケンクロイツがフランスの領土の半分以上をとってしまっているし、スカンジナビア半島にも領土をひろげた形になっている。イギリスなんて周りをとりかこまれた雰囲気で、小さくなって見えるから。

次のマスは、「日独伊三国軍事同盟」

当時のポスターを映して見せます。
なかよし三国ポスター

こんなに強い国とタッグを組んだら、アメリカもフランスも日本に文句を言わなくなるかもね。

次が「ハルノート」

満州撤退・日独伊三国同盟の破棄などをアメリカが日本に要求します。

再度、
「自分が日本の将来を決める立場だとしたら、ここで手を引きますか?」


というと、さきほどと同じ展開で、一人を除いて全員が「撤収する」という意見。Tくんだけが

「ぼくは一度だけ、ためしにとことんキレてみたいです」

そこで最後のコマが

「太平洋戦争」

なるほど、とうなずいてくれました。

最初に「よくわからない」と相談してくれた女子が、次の日の日記に書いてくれました。
「今日の歴史はすごろくで書きました。すごく分かり良かったので、次もすごろくで教えてください」。

子どもにとっては、AしたらB、BしたらC、・・・というように、納得して進みたいのだろう。
ことに、「戦争」というような、得体のしれない、なんでか理由もちっともわからん行為には。
素直に納得できるものでもないのでしょう。歴史が好きで、テストも100点連発している子も、実はこのあたりの戦争から、「?」が増えてきます。心理的に納得できない気持ちがあるんでしょう。奈良時代の聖武天皇のように、天災で民が困っているから鎮護国家をねがって大仏建立、というのなら非常に納得できるし、よくわかる感じがする。国家の統率者に対して共感する気持ちも湧いてくる。

でも、戦争の時代、とくに昭和初期は、児童心理的に難しさのある時代なんでしょうね。こころが納得しようとしないのだから。Tくんの一言で、それが納得できたんですね。

「ためしにとことん、キレてみた」

とね。人間が正常じゃなかったんだね。それがぎりぎりの線で、全員の「納得」を引き出した。

どこかの出版社の方がもしこのブログをみてくださっていたら、教師用の本を書きますのでご依頼ください。タイトルは

「小学校歴史授業は「すごろく」でよく分かる!」

【6年・歴史】そしていよいよ豊臣秀吉

秀吉の学習に入る。

これまでの天下人、という人を列挙してみる。
1 蘇我馬子 大臣   天皇の爺となって大威張り⇒乙巳の変で自害
2 藤原道長 【関白】太政大臣 天皇の爺となって大威張り⇒武士の時代になってフェードアウト
3 平清盛  太政大臣 天皇の爺となって大威張り⇒源氏にやられた
4 源頼朝  征夷大将軍 貴族にならなかった⇒土地配分に失敗して建武の新政へ
5 足利義満 太政大臣 天皇の母の夫となって摂関家以上をねらう⇒応仁の乱へ
6 織田信長 関白・太政大臣・征夷大将軍が選べたがならず⇒本能寺で自害

どうでしょう。
ここまでみると、1番から5番までの人たちが、いかに官位にあこがれていたかがわかりますね。
2 藤原道長は関白になっています。しかし、3~5の人はだれも関白にはなれませんでした。
なぜなら、「関白」というのは、非常に特別な位で、藤原家の人以外はなれないのです。
関白とは、いっさいすべてを天皇に代わる、という位でしたから。
それで、古い時代に天智天皇(中大兄皇子)から特別に名前をいただいた、という中臣鎌足さん以後、「藤原家」の人には与えられますが、それ以外の血筋の方が「関白」につくことが許されなかったのです。

5の足利義満は、ぎりぎりのところまで行きました。
権力が頂点に達していたために、当時の中国「明」に対しては、「日本国王」と名乗りましたが、天皇を含め、世の中のだれも文句を言いませんでした。義満の権力がいかにすさまじかったか、わかるというものです。
義満さんは「関白」ではないけれど、なにかもっと特別な位がないか、自分にもらえないか、と思って待っていたようでしたが、あいにく待ちくたびれて病死します。

そうなると、やはり6 の織田信長は、特別でしょう。
なんせ、藤原家でもないのに、「関白をやろう」と天皇(朝廷)が言い出してますから。
なんでこんなに大盤振る舞いかというと、天皇はこの破天荒な新しい勢力をどう扱ってよいのか、途方に暮れていたかららしい。朝廷からすると、本来守ってくれるはずの「幕府」はまったく頼りにならず、どんどんとおいつめられていく。当の将軍である足利義昭は西国の大名を頼って右往左往しているばかりだし、京都は実質的には織田信長が仕切っている。朝廷はつぶされるかもしれなかったのであります。実際に、京都の御所はもう織田勢の支配下にあり、朝廷が信長のご機嫌をとるためには、もう「官位をあげよう」というくらいしか手がない。

このときの朝廷のサービスぶりはすごくて、正三位・内大臣をあげる、従二位がほしいか、正二位は、右近衛大将はどうか、右大臣をあげる、今度は左大臣をあげる、といった狼狽ぶり。
信長としては、もう天下を取ったも同然、ということであったでしょう。

さて、信長は本能寺で討たれ、その後の秀吉はどうだったのか。

結果ですが、ご存じの通り、

パンパカパーン!
関白太政大臣に無事になりました~!!


え、摂関家(藤原家)じゃないのに?

大丈夫です。

豊臣、という別のすごい姓を、天皇からいただいたのです。
つまり、奈良時代の藤原家の祖、あの「中臣鎌足」のマネですね。
あのときは中臣に対して「藤原」、というのをあげたんだから、ぼくには別のをくれ、というわけ。
そこで、「豊臣」をもらった。

で、藤原と同じくらい偉い、ということにしたので、その初代として

関白に

なれたのでありました。
秀吉は、頭がいいね。足利義満には、そういう発想がなかったみたい。
日本には藤原家しかない、という固定観念にとらわれていたから、関白は無理だ、と思ったのかな。
でも秀吉は、「藤原だって最初は天皇にもらったんだよな。じゃ、俺もくれよ。そうだなあ、中臣鎌足ってのがいたから、えーと、中臣ってのは中途半端だし、ようし、俺は豊臣で!」とアイデアが湧く人だった。


7 豊臣秀吉 関白太政大臣 武家も公家も両方合わせて組織しようとしてあえて将軍にならず ⇒死去

ということでありますね。

こう振り返ってみてみると、日本の歴史って、

1 蘇我馬子 大臣   天皇の爺となって大威張り⇒乙巳の変で自害
2 藤原道長 【関白】太政大臣 天皇の爺となって大威張り⇒武士の時代になってフェードアウト
3 平清盛  太政大臣 天皇の爺となって大威張り⇒源氏にやられた。藤原家でないために関白にはなれず。
4 源頼朝  征夷大将軍 貴族にならなかった⇒土地配分に失敗して建武の新政へ
5 足利義満 太政大臣 天皇の母の夫となって摂関家以上をねらうが失敗⇒応仁の乱へ
6 織田信長 関白・太政大臣・征夷大将軍が選べたがならず⇒本能寺で自害


だいたい、1の蘇我馬子のマネなんだなー。天皇の親戚になって関白になりたい、というのが、ずーっと続いてきたというわけだ。

hideyosi

【6年・歴史】いよいよ織田信長、その前に・・・

さて、いよいよ織田信長、とその前に、もう一つ学習しておく人がいる。
それが、「フランシスコ・ザビエル」さんであります。

この人が日本にもたらした革命が、実は日本をつき動かしております。
ザビエルさんのやってきたころ、つまり戦国時代に日本が南蛮と貿易を行うためには、ある条件がありました。それは、スペインやポルトガルからの宣教師たちの布教活動を認めて交流することです。これが前提条件となっていました。

ザビエルさんたちは、主眼である布教をさせてくれるんだったら、という条件つきで、さまざまなおみやげを見せたり、贈ったり、話をしたり、という「文化交流」も行ったわけです。
そういうわけで、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なザビエルさん。結果として、キリスト教だけではなく、織田信長が長篠の戦いで実戦使用した鉄砲や眼鏡なども伝えています。

織田信長とザビエルさん、実は直接の面会はしてはおりません。
その代わり、ザビエルとの関係をもつイエズス会のルイス・フロイスが、1569年に信長と直接面会しています。

さて、時代は進み、
信長は混乱した室町幕府の終末期において、どんどんと頭角をあらわして他の守護大名を圧倒、実際の天下人にあと一歩、というところまでたどりつきます。

朝廷も信長という人物におそれおののいておりまして、なんと3つの官位を信長にさずけようとしますよ。

天皇「これ、信長よ」
信長「はい」
天皇「お前の欲しい官位をやろうぞ。関白、太政大臣、そして征夷大将軍。どれがほしいのじゃ」
信長「そうですねえ・・・」

というところまで来ました。
足利将軍もいるにはいたのですが、足利将軍はもうすでに官位としては信長以下になりさがっておりましたので、信長にとって、なにも障害になるものはない。
足利義昭は征夷大将軍ではありましたが、朝廷が与える官位としての上下関係でいくと、信長はすでに征夷大将軍より上だったのですね。(信長は朝廷より従三位・権大納言・右近衛大将に任じられ、従三位・権大納言・左近衛中将の義昭よりも上位の存在となった)

ところが、事件が起きてしまいます。

天皇「さ、どんな官位がほしいのじゃ?なんでもやるぞ」
信長「そうですねえ。・・・もう少ししたら、お返事するので、まってちょーよ」

と言いつつ、一月後に本能寺で死んでしまう。


残念ですねえ、信長。
天下統一に近くまでたどりついたというのに・・・。

ところで信長は西洋の知識が大好きだったようです。
地球儀を見せてもらうと、地球が丸いことや他の天体についても理解したそうですし、
フロイスがプレゼントしようとした時計をみて興味を持ち、くれるのはありがたいが、日本では修理ができないのが惜しい、と言って、そのままフロイスに返却したそうですね。

もう関白にもなれるし、征夷大将軍にもなれる、というところまできたんだから、いっそのこと日本を超えてヨーロッパに行ってみたい・・・と思ったかもしれません。

(※ヨーロッパの各地で王侯貴族の先生をしていたGiordan Buruno という人物がODA NOBUNAGAと顔がそっくりで、もしかしたら信長がヨーロッパに移動してそう名乗ったのではないか、という説がありますが、まあこれは冗談でしょうけど、おもしろいことを考える人もいるものですね。このブルーノという人物は主流派だったカトリック教会の天動説チームに反して、地動説を堂々と唱えた変人だったらしいです⇒結果、火あぶり)

さて、信長の死後は、いよいよ秀吉さんですね。どうなるやら。
左がブルーノ。似てますか?
織田信長とブルーの

【6年・歴史】いよいよ戦国時代~信玄と佐渡の金山~

室町幕府まででいったん、テスト。
室町時代は義満や義政などの政治のあと、文化の勉強が一段落。前回、雪舟の「秋冬山水図」を美術の鑑賞風に学んで終わりとした。
いよいよ戦国時代に入ります。

戦国時代の最初は、武田信玄と上杉謙信。
この2名を学ぶ意義は、戦国の雰囲気を知ってもらうためともう一つ、武田信玄が土木の天才であったことを知るためだ。

武田信玄が率いる甲斐の武士は、実は農業土木の天才である。川の流れまで変えてしまう。入り組んだ丘陵地帯や小さな谷、盆地など、くまなく水田にしたのは、この農業土木の天才たちがいたからでありましょう。なにせ、平野と違って水をひくのに手間がかかる。水をせき止めること、小さな流れをいくつもつくること、意図的にあふれさせることなど、水のコントロールをしたいのであれば、石や岩や材木を駆使して、いわゆる土木工事をせねばならない。平野でも工事はしただろうが、なにせ難易度がちがう。彼らは急流を制したのである。

このあたりが、広大な平野で豊かな川にめぐまれた愛知や静岡の農業者とはちがうところ。
東海地方では発展しなかった農業土木が、山梨や長野では発達したのには、わけがある。

こうした「山の国ならではの知恵」は、信玄に多大な恩恵をもたらした。
なぜなら、このころ、日本中の山から「金」や「銀」が見つかったからであります。
全国の山を制した「山師」たちは、甲斐の人間たちであった。山の中でトンネルを掘れる甲斐の人間が、全国の金山をみつけていったのです。トンネルを掘ると、黒四(くろよん)ダムのように水が出るときもある。だから、そもそも土木工事ができないと、鉱山採掘のトンネルは掘れないのですね。甲斐の人間はそれができた。

信玄は長生きすればよかったのにねえ。豊臣秀吉や家康は、そうして信玄たちが見つけた金山を、あとになってぶんどっていっただけのことですね。

のちに徳川幕府の巨大な財源となる佐渡金山も、すでにこのころから「とれる」場所だと発見はされていた。ただしまだ深くは掘られていなかった。いよいよその莫大な埋蔵量が知られるのは、天下分け目の関ヶ原の合戦のころだ。当時全世界にあった金の、その半分ほどの埋蔵量があると見込まれた。ここを徳川家が押さえた、というのだ。関ヶ原までにその情報を知ることのできた武将は、だれしも徳川側についた。
石田三成は、それを知らなかった。西軍方に味方した大名のほとんどが、知らなかったと思われる。

ただ、関が原に集結したときに、その噂を知らされた武将もいる。
動揺しただろうねえ。それだけの金があれば、天下が取れるのはわかりすぎるくらい簡単なことだからだ。こりゃ、次は家康の時代だな、と確信したはず。

さて、子どもたちはこれらを学んだあと、いよいよ織田信長の学習に入る。

佐渡金山

義民たちの尊い犠牲の上に今の生活がある

平和は、願ったり叫んだりしてもやってはこない。
どうすれば次の世代につなぐことができるのか。
夏は、その重みを痛感する季節だ。
とくに、昨日は8月15日。いろいろと考えることがあった。

特攻隊という人の命を無駄にする、悪魔の所業があった。
その作戦を立て、命令する、ということがあった。
想像すらできない世界だが、実際のこと。
それから、まだ100年も経っていない。

特攻隊経験者は語る。
「特攻隊が【無駄死に】するなどのの犠牲があって、その犠牲を強いた犯罪に対する深い反省と悔恨があって、今があることを忘れてはいけない」。

深い反省と悔恨、二度と繰り返さない、という覚悟が今の時代の繁栄を支える基本。
それは、人類が学んだ、貴重な「学び」だ。
人は悪魔にもなれる。
これは現実だ。
目をそむけるわけにはいかない。

わたしの姉はフランスにしばらく住んでいた。
姉は、よく日本の市民の意識と、フランス人の意識の違いを評して、こんな話をした。
フランスの市民は王政を実力で撤廃した。
だから、今でも政治が気に入らなければ声をあげる。
自分が認めた政治の仕組みでなければ、おおいに意見を言うのが伝統であり、市民としてのアイデンティティを支える根幹なのだ。

日本もそうだ。
王政ではないが、「天皇は現人神」という理念を撤廃した。
そして、やはり自分たちが納得できる政治をつくろうとする。
人間はおろかになりがちだ。権力を持つと、その蜜の味を知り、私利私欲に走る。そして、市民の生活を顧みない政治家が出現する。フランスのように日本もかつては声をあげてきた。

日本の市民革命ともいうべき動きは、たくさんあるが、なかでも有名なのが【加助騒動】だろう。
長野県安曇野市にある貞享義民記念館のサイトにはこう紹介してある。
貞享騒動は貞享3(1686)年、松本藩で起こった百姓一揆【ひゃくしょういっき】。この年、松本藩では、米が不作だったのに、1俵あたり年貢米を3斗(1斗=約18リットル)から3斗4、5升(10升=1斗)に引き上げる決定をしました。周辺の藩は1俵あたり2斗5升だったため、加助らが立ち上がり、年貢米の軽減を求め、訴状を提出、各地から多くの農民が結集して、騒動になりました。訴えはいったん聞き入れられました(後略)。

わたしはもっとも気の毒なのは、王、であると思う。
権力を持つことを強いられ、本心では願わないでも、大勢の取り巻きに囲まれ、いいように利用される。これは結局、精神的に支配されているのと同じだ。王はなにも意のままにできないのである。なぜなら、その立場を利用する者がいるからだ。

はだかの王様、という泣ける童話がある。こんな童話があること。それ自体が証明している。
王、という立場である人間こそ、もっとも意志を曲げられ、なにも知らされず、ただ周囲に利用されるだけの存在なのだ。

上述の安曇野の義民たちは、訴状を出して政治を動かしました。
しかし分を超えたふるまいであると処罰されます。一揆を扇動した首謀者であることから、加助は処刑されるのですが、ともかくも自分たちの意思で、政治を動かして見せるという尊い行動でありました。処刑され、いのちは奪われたのですが、この尊い命の犠牲の上に、今のわたしたちの生活があるといってもよいでしょう。

今は亡き義民たちの存在を胸に刻み、「彼らの犠牲を忘れないでほしい」と願う。過去を正しく知り、未来に継承することが、今を生きる人の責務だと考えるからだ。

政治にものを申せる社会。
納得のいく政治をみずからがつくっていく社会。
けっして、はだかの王様を世に生み出さないと知恵を働かせ、一握りの者に権力を独占させたり、にぎらせたりすることのない社会。

「義民たちの犠牲があって、今があることを忘れてはいけない」。

この夏、義民記念館を訪問し、あらためて考えたことでした。

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上の写真は、東京朝日新聞に連載された「義民嘉助」。
この連載物の作者は、樋口一葉と恋人関係にあったと噂された、半井桃水(なからい・とうすい)。

作者の半井桃水は、この連載の最後に、このように記しています。
「昔時領主の暴政にたえず、百姓の疾苦を見かねて、奮然犠牲となった義民が、めいめいの裡(内面の意味)に教訓を与えて、永く郷党(郷土の意味)を益する事は、言うまでもない遺徳である」
今の世にも通ずる、考えさせられる一文だと思います。

【6年・歴史】あなたは大王です。墓をつくりますか

古墳というのがわからない。
なんでそんなに大きなお墓を作る気になったのか。

そこで、一人ひとりに、スピーチを考えてもらいました。
自分が大王(おおきみ)になったとして、古墳をつくる命令をどうやって出すか。
民衆の前で、大声でスピーチをしなければならない。
つまり、教師としては、
〇古墳は当時の大王がどのような理由でつくったのだろうか
ということを考えさせたかった。

教科書での答えは「力を誇示するため」だ。
(くに)としてのパワーを示し、自分たちの力と知恵と結集力を見せつける。
それで他からの侵略を防ぐとともに、すきあらば周辺の弱小国を支配下におき、勢力の拡大をはかる。大王の墓は、そのくにの力の象徴なのだ。

ところが、子どもたちの原稿は拍子抜けもいいところ。
ほとんどの子が、

「わたしはお墓を作りません」
という宣言で始まるスピーチをつくった。

おいおい!!話にならんぞ!!

教師としては、授業の失敗を悔やまなければならない。
いったいどうなっているんだ、今の子たちは!!

わたしはお墓をつくりません。
みんなでお墓を作るのも楽しいですが、要りません。
その代わり、家族ですごす時間を大切にしてください。

わたしは大王ですが、特別ではありません。お墓は要りません

わたしの目指す「くに」は、みんなが本音で話し合える、安心して暮らせる、圧政のない「くに」です。パートナーシップを大切に。

飢えていませんか?栗の木などを植えてみてください。お墓をつくるのでなく、栗の畑をつくりましょう。かまどで栗の実をつぶしてつくったクッキーを焼いてみてください。

これでは古墳時代がわからないし、古墳の意味も、だれも理解できない。
一応教科書を読んだが、「古墳ってすげえ」という子はほとんどおらず、
「古墳?・・・不要じゃん」という冷笑の雰囲気があって、教師としては忸怩たる思いです。

「圧政」を嫌うような子に育ったのは、もしかしたら、
SDGsの学習を進めているせいかもしれない。
地球全体、だとか、持続的な開発、とか、私利私欲から公利公欲へ、とか
そんな学習を進めていくうちに、歴史の学習がすすめにくくなった。

OIP

【6年社会】日本国憲法の3つの原則を学ぶことが困難すぎる

政治の基本である憲法を学ぶのに、なかなか子どもたちも苦労します。
第一、国民主権が当たり前、という子どもたちに、その価値を教えるのが難しい。
1946年まで、「大日本帝国」だったこと。
天皇主権だったこと。
国民の基本的人権が保障されていなかったことなど、
今の子どもたちからしたら、本当に理解できないことだらけですよね。

軍部が政治をつかさどるようになり、武官がいわゆる閣僚になりました。
閣僚はもちろん軍の利益を追求しますし、くにの政治は特定の立場にとってやりたい放題です。
【私利私欲】で動く政治でした。
その結果がインパール作戦の餓死、
また、シベリア抑留、ガダルカナルの玉砕にまで
つながりました。

国民は政治家の手足となり、自らが選んだのではない武官による勝手な政治のせいで
命をいいように扱われてしまったのです。
最終的には、「天皇の命令だから」で、押し通されました。
天皇主権の国でした。

そこから、戦後、国民主権に舵を切りました。
どうして国民主権にしたかを説明せずに、いきなり、
「はい、国民主権です。覚えましょう」では、子どもたちもぽかん、です。

そこで、授業の最初に昭和天皇が馬に乗っているカッコイイ写真を見せます。

昭和天皇


発問【写真を見て気づいたことを出し合おう】

かっこいい。
馬に乗っている。
ひとりだけ、白馬だ。
おつきのものを、従えている感じがする。

すぐに写真を切り替える。

天皇の行幸2


発問【さきほどの写真と比較し、ちがう点を見つけよう】

ふつうの住宅街を歩いている。
みんなといっしょに並んで歩いてる。
わざわざ帽子をとって、会釈をしている。
なんか、えらそうじゃなくなった。

これはだれか、と問うと、わからない子が7割。
残りの3割が、「天皇?」という。

1946年、という年を、黒板に板書する。
今から何年前?

75年前だ。

この年をきっかけに、天皇が馬から降りてみんなといっしょに歩くようになった。
天皇は、主権者でなくなった。では、何になったか。

子どもたちが教科書で調べると、「象徴」と書いてある。

では、だれが主権者になったのか。

子どもたちがつづいて教科書で調べる。「国民だ!」

ここで、2つの意見が出た。
1)国民の代表者
2)国民

国民の代表者に政治を行わせ、そのことによって得られる福利や幸福は、国民が得る、とある。

この文をみて、再度考えたら、2)国民 ということになる。

大切な日本国憲法の柱だ。
このことを4字熟語でなんというか。
国民主権。

さて、国民は主権者になったが、その主権者は基本的人権を大切にされるかどうか。

教科書をめくりながら、子どもたちが見つける。
「基本的人権は保障される!」

憲法には、そのことがかなりくわしく説明されている。
全部で28の条文が、国民の基本的人権を守る、と書いている。

さて、もう一つ柱がある。
これは他の国には、ない。

教科書に書いてあるのを見つけ、子どもたちがいう。
「平和主義!」

戦力を持たない、とある。
国々の間で争いが起こっても、決して戦争をしないこと。
この目的を達成するために陸軍・海軍・空軍などの戦力をもたないこと。
実際にはとうにこの理想は放棄して久しいのだが、いまだ条文は生きている。

大人にもこのことの価値づけ、解釈が困難であるのだが、
子どもたちは6年生なりに、これをとらえようとする。

自主学習でコスタリカの平和憲法を調べた子がいて、

第12条 常設的機関としての軍隊は廃止する。公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する。
 大陸間協定により又は国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。いずれの場合も文民権力に常に従属し、単独又は共同して、審議することも声明又は宣言を出すこともできない。


これをノートに書いてきた。
いずれの場合も文民権力に常に従属し、というところの意味を、さらにお父さんたちに聞いて、自分なりに解釈していた。

「安倍元総理が軍服を着ることがないように願っています」とのこと。

市長さんに言えば?(請願権の学習)6年社会

6年生の社会を教えるというと、たいていの人は「ははあ、歴史でしょう」という。
ところが教科書が変わり、なんと日本国憲法から学習することになった。昨年度からである。

でも、残念なことに、くいつきは悪い。
なんといっても法律とか憲法とか、むずかしい言葉の羅列でおもしろくもない。

そこで、市長を活用する授業プランをとる。
この際、岡崎市全市の6年生を救うために、岡崎市長の中根氏に協力を願うしかあるまい。おそらく市長も、6年生を救うためだと知れば協力してくださると信じたい。

実は、6年生は、自分たちが政治を動かせると思ってはいない。そこが目の付け所である。
【請願権】
憲法16条には、こうある。
「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

小学生が自分たちの心からの願いを、きちんと市長に提案(請願)することは、なににもかえがたく尊い「政治参加」であり、日本国を愛する愛国者ならもろ手を挙げて賛美するであろう取り組みである。

そこで、具体的にこんな法律やルールは撤廃してほしい、という請願を市長あてに出すのである。

「団地の公園の壁が汚れてしまって治安が悪いです。きれいにしてほしい」
「学校の砂場の予算がないために砂場で遊べません。砂を購入してほしいです」
「学校のトイレは昭和にできたままで便器にも床にも壁にもひびが入っている状態です。また冬は暖房がトイレにはないためにお尻がちぢこまり、出るものも出ません。ぜひトイレに暖房を入れてほしいです」
などだ。

市長にはあらかじめ手紙を書いておいてもよいかもしれない。
「ぜひお返事をいただければ幸いです(お忙しければ結構です)」とでも。

このようなことは憲法で保障されている行為であり、このことで一切、差別や不当な不利な扱いを受けることはけっしてない、と強調しておきたい。

さて、このあとに、

「小学生」と「憲法」との間に、距離があるか、と問う。

すると、「関係があるし、距離も近い」と回答する子が増える。

最後にダメ押しで、この条文も教える。

【教育権】
憲法26条
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


再度、問う。
小学生と日本国憲法って、距離がある?と。

みんな「とっても関係が深く、距離はない」という。

さて、ここからが、日本国憲法の学習だ(次時につづく)。

kenpou

【社会科の宿命】5年生の社会はえぐい

5年生の社会科に、もっと世間の目が集まるとよいと思う。
この中身はどうか、ということを、マスコミが報じたり、テレビでタレントが討論したり、それについての関連本が売れたりするといいなあ、と思う。

なぜかというと、5年生の社会とは、今の日本を学ぶ、ということだからです。

先日、新卒24歳の先生と話をしました。
社会科の教科書をみながら、お互いに授業案のアイデア出しです。
こうやってブレインストーミング的になんでも出し合いながら、少し予定が先の単元を話題にし、授業の骨の部分を考えておくわけです。

印象的だったのは、

「日本は世界でもトップクラスの経済力でしたからね」

という、若い彼の発言。
完全に、過去形でした。

これが、わたしよりもさらに年配の先生の耳に、意外に聞こえたらしい。
定年間近の先生が近くの席に座っていらっしゃるのですが、
「経済力、うーん過去形だよなあ」
と感に堪えたように言った。

十年以上前まで、定年間近の先生は
「日本の経済力はすばらしい。世界の模範になるレベル」
というテイストで、社会科の授業をつくっていた、とのこと。
定年間近の先生にとっては、「つい最近までは・・・」という感じ。

ところが、若い20代の彼にとっては、日本の経済力が強かった、という事実は、完全な過去、です。

ちなみに、ニッポンの1人当たりの国内生産(GDP)は、2018年にイタリアと韓国に抜かれて世界23位になり、最低賃金の低さはOECD(経済協力開発機構)諸国の平均とくらべて

平均の、さらに3分の2。

程度です。
かなり、低い。

この10年で、すごく順位を下げました。
以前はこのGDPが、輸出入の額や量を反映した国のだいたいの経済規模や経済力を示すものだったのですが、GPDが下がり続けたいま、

GDPはあまりいい指標ではない

ということになり、あんまり日本では重要視されなくなりました。
重要視されなくても、学校ではやはり常識として学ばなければならないので、今の子どもたちは

「日本はイタリヤや韓国よりも下」

というところから、学び始めるわけです。
まあ、くやしいけどしかたがない。
教室で学んでいる子どもたちは、生まれた時からちょうど10年くらいですからね。
うまれたときから、日本という国は、それほど経済力がなかったわけだ。

そういう話をしていると、年配の先生が

「むかしはGNPが世界2位だとかいって、浮かれていたからなあ」

とおっしゃる。

若い先生が

「え、2位だったんですか?」

と驚く。

GNPは世界経済がグローバル化するとともに使われなくなり、その後はGDPが指標となる。
GDPは、2010年に中国に抜かれて世界第3位となった。
そこからの凋落ぶりは目を覆うばかり。

5年生の小学生は、これからこういった日本の実態をまなんでいく。
子どもは未来に向けて自分が生きていく国を良くしていく意欲にあふれている。
だから、言葉が明るい。
アイデアなんてどんどん出せばいい、良くなるはずだ、という楽観がある。

英語の授業で、ハロウィンの祭りをしらべた。
すると、家からかぼちゃをたくさん持ってきた子がいた。
おうちの人の協力で、20個近くの大きなカボチャが教室に集まった。

「すごいよねえ、でっかいかぼちゃだよなー」

と、子どもたちはみんな笑顔だ。

これが、子どもたちの生きるパワーだろう。
自分たちが生きていく先には、豊かな土壌がある。
かぼちゃだってとれる、いもだってとれる、がんばればもっともっと野菜やコメもとれるだろう。
そういう明るさ、気分がある。

これが、いつの間にか、大人社会の閉そく感におしつぶされたり、「努力しても豊かになれないというむくわれなさ」にとってかわったりすることが怖い。

日本の自殺者数は世界で8番目。アメリカとくらべて、2倍いる。
逆に、人口はアメリカの3分の1にすぎないのに、だ。
比率としては、10代の若者が増えている。「むくわれなさ」を予感するのか。ため息が出る。
しかし、これも、社会で学ぶ、日本の実情だ。
5年生の社会は、えぐい。

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【5年社会】漁港はどこに多いのか

【指示】魚を食べたことがありますか。
食べたことのある魚の名前をノートに書きましょう。


グループで、出した意見の数を発表。

寿司を表示。

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【指示】全部、言える人、挑戦してみましょう。
⇒クラスで数人に挑戦してもらう。⇒板書。

これらをすべて、水産物、といいます。
水産物を育てたり獲ったりするのを、漁業、といいます。
また、加工して売る仕事を、水産業、といいます。

【発問】では、日本の水産物の取れ高は、世界何位でしょうか。

2018年の統計で、世界10位です。
一位は中国、二位はインドネシア。

【発問】アメリカと日本では、どちらが多いでしょうか。

答えは、アメリカ。
アメリカが5000万トンの漁獲生産量。
日本は、4240万トン。
少し、アメリカの方が多いですね。
実は、以前はだんぜん、日本が多かったのですが、ここ数年でアメリカに追い越されました。アメリカの人たちも、たくさんお魚を食べるようになり、食生活が変化してきています。でも、一人当たりにすると、まだ日本人の方が3倍も多く、お魚を食べています。


さて、日本人はアメリカ人の3倍もお魚を食べますが、そもそもどのようにして魚をとっているのでしょうか。

日本の漁港の数は、全部で3000ほど。
地図上では、とくに大きな漁港にしか記号がしるされていないが、数えてみよう。

【指示】地図帳16ページをみて、漁港の印(⚓)をみつけたら全部、〇をつけてみよう。

【発問】漁港はどんなところにあるといえるでしょうか。

・北海道の右側(東)。
・東北の右側(東)。
・九州にも多い。

【発問】漁港はなぜそこに多いのだろうか。

・たくさん魚がいる?
・でこぼこしているから、港がつくりやすいから?

【指示】海流図をみて、気が付くことを発表しよう。

・親潮が魚をつれてくる。
・黒潮もある。
・九州は、対馬海流もあるよ。

【発問】なぜ地図では、海流のしるしが赤かったり青かったりして、色がちがっているのだろう?

・温度のちがい。

黒潮は幅が200キロメートルある。
深さが約、500mもある。
そこを、だいたい、人が歩くより少し速いくらいのスピードで海水が一定方向に、常に流れている。黒潮は、3年から5年すると、地球をひとまわりまわって、元の場所にもどってくる。

【発問】なぜ日本人は昔から、魚をたくさん食べてきたのだろう。

・海流が日本列島の付近をたくさん流れていて、昔からいろいろな種類の魚が豊富にとれたから。

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【DNA】コロナウイルスと先祖の関係は?

コロナウイルスのような感染症は、人間にとっての脅威だ。
このような感染症と人類の戦いは、過去にもあった。
一番古いのは、現生人類ホモサピエンスが、気候の安定とともに、アフリカを出て、各地へ進出しはじめたとき。

これは大冒険だった。
それまでには経験しなかった脅威が、ホモサピエンスを襲ったのだ。
それが、

ウイルス感染!

ホモサピエンスがひょっこりアフリカから外で出てみたら、おそろしいウイルスが、別の土地にはふつうに存在していたわけだ。これで、ホモサピエンスはかなり数を減らします。

ところが、ホモサピエンスの中に、生き残ったのがいる。
それは、実はすでにかなり前に、アフリカを出てヨーロッパや中近東のあたりに住み始めていた、ネアンデルタール人が関係している。

アフリカを遅れて出てきたホモサピエンスは、一部、死に絶えました。
病原菌に冒されて。ヨーロッパやアジアに存在していたウイルスに勝てなかったのです。
ところが、ネアンデルタール人は、そのウイルスの耐性を持っていた。なんとなれば、彼らネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスより数十万年も先に、アフリカを出てヨーロッパやアジアに広まっていたわけ。その間に、ウィルスへの耐性を獲得していった。

我々の先祖は、みんな大急ぎでネアンデルタール人と結婚し、あわててDNAにその耐性を取り入れた。その結果、生き残ることができたらしい。

つまり、今の時代に生きている日本人も、ホモサピエンスである以上、DNAの一部にどの人も、ネアンデルタール人のDNAをかすかに持っているのだ。

もしかしたら、今のコロナウイルスの騒ぎにも、このDNAレベルでのなにかが関連しているのではないか?と研究している科学者もいるそうである。

まだ何もわからないらしいけど・・・。


ネアンデルタール


さて、ついでに。
現在の日本民族には6つの源流が考えられる。

時代的に古くから言うと、
1番めは、まず、アイヌ系と南島人で、古モンゴロイド系の縄文人の末裔。
2番めは倭人で、彼らの多くは稲作農耕民と海の近くで舟運に従事し、漁をして暮らす海民。
3番めは南方系海洋民で、その主力は黒潮に乗って北上したマレー系海民とみられる人たち。
今日のフィリピン人、インドネシア人の源流に連なる人びとだ。
4番めは、朝鮮三国からの渡来人ですが、その主力は倭人系。
5番めは、中国の江北地方から朝鮮半島を経て北九州に渡ってきた新モンゴロイド系で、大陸の北方に住む漢人系の人びと。
6番めが北方系騎馬民族(新モンゴロイド系・ツングース族)で、ヤマト王朝を建国した天孫族にもこの流れが入っている。
したがって、もっとも古くから日本に住んでいる現在の民族は、縄文人の血を引くアイヌ民族であります。

ヤマト王朝を建国した人々は、ずいぶんとこの1番目の人たちに、遠慮した方がいいかもしれない。
少なくとも、中元歳暮の礼くらいは尽くさないといけない。あとから来たものが、大きな顔をすべきではないからだ。

で、結局、1番目から6番目までがどんどんと混血して現在の日本人ができあがっている。

今の日本人は、このすべてが祖先にあたる。
少しずつ、その遺伝子を、多かれ少なかれ、持っている。
ちょっとずつ、体の細胞の中に、分け合っている。
現代日本の、どの日本人も全員が、一人残らず、祖先のDNAを受け継いでいる。

やはりお盆には、祖先を招き入れて、接待をせねばなるまい。
すべての祖先を引き入れるとなると、部屋がちと狭いが、相手はミクロの遺伝子なので、んまあ広さはどうってことない。

縄文系のご先祖には、縄目の器でお茶を。
海の民のご先祖には、カタクチイワシのおつまみを。
大陸からのご先祖には、馬刺しを。
そして元騎馬民族には、馬頭琴の音楽を聞かせてあげたい。

ともかく、現代人はご先祖をお招きするのに、最低6種類のおもてなし法をマスターすることが肝要うだ。そのうち、100円ショップに、6種類のかんたんなおもてなしグッズが並ぶでしょう。

しかし、今日近所のDAISOへ行ってみたら、なんだかもうオレンジ色のパンプキンのお化けが飾られていたぞ。
ちょっと早くない?あれ、10月だよな・・・外国のお祭りの、外国の先祖が里帰りするやつ。
なんていったっけ?あのイベント・・・。たしか、子どもがお菓子をねだるやつ。
弘法様じゃなくて・・・思い出せんな。

harowin

【5年社会】あたたかい土地のくらし・沖縄ジュゴン

社会の授業。
子どもたちの意見が面白すぎて、毎回マスクごしに笑いをこらえている。

1つめは、シーサーの写真。
シーサーの部分だけを隠して表示すると、屋根の上になにかがある、と見える。
発問:ここに何があるでしょうか。
どうしてそう思ったのかも、理由を言ってください。

この理由が大事で、これまでの学習がその子なりに生きていることがわかる。

一人の賢い女子が、

「ハイビスカスの花だと思います」

と言ったのは印象的で、クラスの仲間から多くの拍手をもらっていた。

理由がまた秀逸で、

「沖縄は観光業がさかんです。そのため観光客に喜んでもらうために、南国の風景をみせようとしてハイビスカスの花束か、花壇を屋根の上につくっているのだと思います」

沖縄の産業が観光業を軸に成り立っていることを学習しているから、このような意見が出る。
もちろん、大きく褒める。

他にも色々出たが、台風が多いことから、風量計、雨量計というのも出た。
災害に備えるために、個人の家の屋根の上にもそういう計器類を設置するのだと考えたらしい。
これも理由に納得する、という子が多く出て、拍手をもらう。
同じように、屋根の一部がガラスになっていて透けて天気が見える、とか。
「スコールがくるから、ぱっと天気がわかるように」
だそうだ。
どうだろうか。子どもというのは直前の学習をこんなにも生かそうとするものなのである。われわれ大人も見習うべきだろう。

ところで正解はシーサーだ。
屋根の上に、ちょこん、とかっこよく乗っている。
子どもの中にはそれを知っていて、シーサーだと思います、と言う子もいる。
ところがわたしはもちろんそれを聞き受けいれたあとでも、さらに子どもたちの発言を促す。
正解が出ればおしまい、というのでは、上記のようなハイビスカスやら雨量計やらの珍解答はみんなで共有できないからだ。珍解答であったとしても、「社会的な見地からの情報をできる限り生かそうとして考えて、自分なりの答えを予想してみる」ことの価値は高い。

さて、その後にこのような写真を見せた。

ジュゴン隠れ


ジュゴンだということが分かる子がいる。
「名古屋港水族館におった!」
ちょっと岡崎から離れてはいるが、愛知県民なので、子どもたちもよく知っている。

しかし、3のつぎに描いてある記号が読めない。
「あれ、なんて書いてるあるの?」と質問が出る。

どこの国の切手だと思いますか?
「外国ー!」
みんな、外国だ、という。

ところが、上の部分のマスクを外すと、日本語が描いてある。
「?なんで日本語なのに、円じゃないの?」

わけがわからない。
徐々にマスクをはずす。
すると、左側に、1966 という数字が見える。
西暦だということがわかる。めっちゃ古い!と声が出る(笑)。
たしかに。君たちのお父さんお母さんたちが生まれるよりも、だいぶ昔ですね。

最後に「琉球郵便」という字をみせると、これもまたわけがわからない。
日本郵便、という言葉ならわかるが、これはいったいなんだろう?

ジュゴンそのまま


「実は、今でもジュゴンは沖縄に住んでいるそうです。」

というと、子どもたちはいっせいにおどろく。
ちなみに見せるのは、
今年の沖縄タイムスの記事(4月)だ。

ジュゴンの生息域を地図帳を使ってしらべてみると、基地工事の近くである。
そこから地図上で、基地がどれだけの面積にわたっているか、マーカーで色をつけてみる。
子どもたちはその広さに驚き、1966年の意味をだんだんと知る。
むろん、当時は日本ではなく、琉球政府、の土地であったのだ。

子どもたちの感想をノートで見ると、「知らなかった」のオンパレードである。
やはり、5年生では知らないのだ。アメリカと戦争していたことも知らない子がほとんどだ。
学ばなければ、なにも知らないまま、この子たちは大人になっていく。

『龍の子太郎』を教科書に

たしか私は小学生の2年生ころだったかな・・・昭和のこと。
もう本当におぼろな記憶。

先生たちにうながされて、体育館に入っていくと、見知らぬ人たちがいる。
彼らは演劇をしてくれるお兄さんやお姉さんたちだった。みんなで迎えてくれた。
一人のお兄さんはなんだかジャンプして両足の先に手でタッチをするという曲芸らしきことをし、ぼくらは歓声をあげた。それだけで、ぼくたちはうれしくなった。
このあと、この人たちがぼくたちのために、とんでもなく楽しいことをして見せてくれるんだ、という気がしたからだ。

それが、劇団なんとか(覚えてません)の人形劇「龍の子太郎」でした。
大きい龍も小さい龍も出てきて、幻燈のような仕掛けをつかったりと工夫されている舞台で、悲しいけど見た後には元気が出てくるような、子どもの心をわしづかみにするのに十分な劇でした。酔いしれましたね。見終わった後、泣いてる子もいたし、劇団員の方たちが体育館から出る際には握手をしてくれたのは今でも覚えている。

その方たち、当時はまだ20代、30代の方たちだったろうから、今はもう70代から80代になっているだろうか・・・。
わたしのこの頭の中の、記憶の映像に映っているこのお兄さん、お姉さんたちは、今はどうされているのだろう。


ところで、どうしてこれを思い出したかと言うと、教室で子どもが読んでいたからですな。
それも、松谷みよ子さんの、ハードカバーを。
昭和のにおいがぷんぷんするような、挿し絵の芸術的な本を。

お、と思って少し借りて読んでみたら、思い出してきて・・・
思わず教室で「龍の子太郎」の話をしてしまいました。
ちなみに母龍が自分の目玉を太郎にしゃぶらせて育てたエピソードはずいぶんと面白い。
わたしは、目というのはさまざまなものを見ているから、知恵の意味があるのではないか?と考えています。龍になったお母さんは、自分の知恵を太郎に授けたいと願って目玉をしゃぶらせた、ということになるんじゃないかと。
このあたりは、なんだかゲゲゲの鬼太郎にも通じていくような気がします。
鬼太郎の父親も、実はかなりの知恵者です。わたしが以前見た回では、お父さんは閻魔様とタメで話をしていた。地獄の閻魔様と「やあ」「ひさしぶり」的な会話ができるあの人、霊界ではなかなかのポジションを占めて居るんじゃないか。

ともあれなぜ5年生でこの物語が重要になってくるかというと、5年生は社会で日本の国土を学ぶからですね。火山とか湖とか川とか平野とか山地とか。そうした土地の様子を学ぶ際に、古くから伝わる伝承はそのイメージを大いにふくらませてくれます。

太郎の話も、古くから伝わる民話伝承が元になっています。実際に信州の松本・安曇平はいまは田園風景が広がっていますが、かつてはそうではなく、ただの荒れ地だったらしい。そこに治水を施して水を得て、いくつもの水の流れをつくったことが、こうした物語の背景にあったのではないかと言われています。

物語の最後に、母親龍が見えない目でもって太郎を背中にのせ、大きな岩に何度も体当たりするシーンは涙をさそう。傷ついたからだでも惜しまず体当たりを続けていると、ついに岩がうごき、たまった川の水がついに村の方へと流れていく。龍は傷ついたまま倒れ、ついに動かなくなるのですが、太郎の涙がふれるとあらまあ。最後はハッピーエンドです。

文科省は、なぜこれを教科書に載せんのだ!!怒!!


tatunoko

おそらく教科書に載る~トイレットペーパーの買い占め転売~

このたびのトイレットペーパー騒動、すごかったです。
おそらく将来、このことが、教科書に載るでしょう。

そう考えるのは、すでにそういう事例があったからです。
実は、1970年代にオイルショックがありました。当時の騒動の様子が今の教科書に載せられていて、なぜそのような集団行動が起きたのか、考えることになっています。当時も紙が不足したわけではなく、国内の生産量はオイルショックとは無関係でかえって増産されていた、というのも、今日の騒ぎとまったく同じであります。
「集団心理」という言葉、教科書には載っていないけれど、授業をしていたらふつうに教室の中で話し合われるキーワードです。つまり、ふつうの小学生が、『集団心理』について、学習をするのが、今の日本の教育です。

買い占め

今の大人、ほとんどの方は知っているわけです。
1970年代のオイルショック、そしてペーパー買い占め騒動について。頭の中に知識としては「ある」でしょう。ところが、それが「学んだこと」になっていない。だから、教訓が生かされないのです。

これが、「死んだ学び」というものでしょう。

この反対は、「生きた学び」です。

学ぶのは楽しいはず。
もっともっと、掘り下げて、なぜか、なぜか、と考える教室にしていかないと、いつまでも日本人は死んだ学びから脱却できないのではないかと思います。

さて、
なぜ集団心理が起きるかというと、人は不安を持つ動物だからでしょうか。
不安を避けようとする、というのは、人が生きていく際の基本的な戦略です。
そうしないと、危険を回避できない可能性(率)が高くなるから。
安全確保のために、不安を避けようとするのは人にそなわった基本的な知恵のようです。

ところが、その「不安」には度合いがあり、人によって異なる。

「なあに、大丈夫」(なんとなく気分で豪語)

という人もいれば、

「トイレットペーパーは国内生産が90%だし資源も国産。だとしたら中国からの輸入がとだえて買えなくなる、というのはデマだろう」(おそらく)

と、合理的に分析する人もいます。

もともと不安をあまり抱えることのない人で、

「まあ、なくてもそう困らん」

という人もいます。

「むかしは、新聞紙を手でもんで(しわくちゃにして)な、それでケツをふいとったぞなもし」(自慢)

だそうです。(実話)
不安な人は、そこまで考えることはないでしょうが、この方のように、不安をもたなければ、泰然自若としてスーパーのがらんとしたペーパーのコーナーを素通りできますね。

わたしの実家には、オイルショックのあと、かなり長い間、サランラップがありました。
幼いわたしが
「なんでこんなに、サランラップばっかり、うちにはあるんだろう?」
と疑問を抱いたところ、母がため息をつきながら、
これは、長身だった父が腕(リーチ)の長さを生かし、懸命に腕を伸ばしてつかみとり、スーパーでの争奪戦をしのいで買って帰ったサランラップなのだ。
と解説してくれました。

母は、山のように積まれたサランラップを返品する勇気もなく、10年以上の間、親戚に配っても減らず、見るたびに買ったことを後悔したそうであります。(実家の母の談話より)

たしかに、わたしも、かつての台所の戸棚が大量のサランラップで占拠されていたのを、記憶のかなたにおぼろげに覚えております。(そのころのサランラップは、黄色に赤と緑のデザインだったナ)

こう考えると、小学校で習うべきなのは、

国語、算数、理科、社会、道徳、家庭科、体育、音楽、図工 の9教科ではなく、

不安心理、集団心理、国語、算数、料理、遊び、合理的な思考 の8教科にすべきではないでしょうか。

そして、そんなに急いで中学へ行かず、小学校を10年間に延ばすというのはどうでしょう。
中学校で部活・スポーツに血道をあげるのも、もちろん楽しいことには違いないのですが、小学校時代にもっと遊ばねばなりません。多くの子どもは歓声をあげて、この意見に賛同してくれると思います。

わたしは栄えある日本国民の一人として、光彩輝く未来の教育を思い描きながら、上記のように、さよう、進言します。

【6年・歴史学習】大日本帝国万歳!

2学期の学習のまとめをするために、歴史新聞をつくった。
各自で、もっとも書きやすいテーマを選んだ。
いくつか、書く方法がある。

1)当時の新聞風に(きっと、当時、こういう新聞が発行されただろう的な)

2)偉人のホンネ(世の中的な評価はともあれ、実際はこんな気持ちだったんだけど・・・、という、歴史上の偉人になりきっての暴露話風に)

3)2050年からの手紙(あと30年後に、こんなふうに評価されているだろう、という未来を予見しての新聞づくり)

4)偉人大百科(HP、MP、瞬発力、頭脳、運、分析力など、適当な指標を勝手につくって、それで偉人をレベル評価し、その解説を勝手に書く)

などだ。


驚いたのは、東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊をやぶったことを当時の新聞風に書いた子。
英雄である東郷の横顔を鉛筆画でていねいに書いて、いかにバルチック艦隊をやぶったのか、その作戦から分析して、詳細に書いた。源義経の作戦をまねたことも、きちんと書いている。すごい。本格派だ。
大見出しが、
【バルチック艦隊撃破!わが国が勝利!】

次に、不平等条約の撤廃に活躍した、小村寿太郎のホンネを書いた新聞。
賠償金がとれず、国民から非難轟々であった寿太郎の悩みを、せつなく書いた。
大見出しは、
【本当のことはだれも知らない】

総じて、日清戦争に勝ったことや、日露戦争に勝ったことを新聞にする子が多く、見出しがほとんど、勇ましい。

【日本大勝利!】
【もはや敵なし】
【これで日本も強国に】
【わが国、実は強かった】
【韓国併合で領土が倍増】

3学期には、日本がロシアとの戦争で破格の借金をした後、突入した日中戦争、太平洋戦争のことを新聞にする予定。

そして、今回の新聞との見出しをみんなで比較し、くらべてみながら総合的に学習を進めていく。
日本がどこで道を踏み外したのか、それぞれの意見を比べてみるのが楽しみだ。

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「神話」教育、その後。

今の6年生は、1年生で入学したときにすでに「神話」教育を受けた子どもたちです。
だから、いちおう、日本の神話を知っている。
いなばの白うさぎも知っているし、大黒様も知ってる。
大国主命(おおくにぬしのみこと)も知ってる。
教科書に載っているため、みんないちおう、平等に知っている。

で、6年生で科学的に今度は歴史を学んだわけだ。
実は、6年生の2学期でほぼ歴史学習を終える今の時期、もう一度、歴史学習をおさらいする。
「縄文時代」からずーっと、日本の国の歴史を見通してみる学習をする。

その際、日本のいちばん古い状態はどういう状態だったかというのを出し合うと、急に思い出したかのように、「なんか、神さまがぐるぐるかき回して、ぼとっと落ちた土からくにができた」ということを言う子がいる。

これは、学習の成果がきちんと出てきているので、いわゆる日本はイザナギとイザナミの2人の神が天の橋に立ち、矛で混沌をかき混ぜて島を造る。『古事記』などでは、その後、さらに多くの島を産むことになっている。

「よく覚えているねえ」

もう忘れている子もほとんどいるなかで、何人かの子は、きちんとこういう大事なことを覚えている。
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「この漂っている国を修めよ」と命じられた、イザナギ・イザナミの命は天空に架かっている天の浮橋に立って、矛を下ろして、海をかき混ぜてから引き上げました。すると、矛の先から海水がしたたり落ち、島ができました。最初にできたのが淡路島。続けて伊予・讃岐・阿波・土左の四つの顔を持った四国。次に、隠岐。筑紫・豊国・肥国・熊曾の四つの顔を持った九州。壱岐。対馬。佐渡。近畿の大八島。次いで児島半島。小豆島。周防大島。女島。五島列島。男女群島の男島・女島の六島をお生みになりました。これで日本の国土が完成しました。

神武天皇が紀元前700年くらいの人。
それから5代前が、天照大神。
当時の平均年齢は20歳前後と言われているから、おそらくアマテラスの女神は、紀元前800年ごろだろうと推測される。
さらに、その父母である、イザナギ、イザナミのそれぞれの神に関しては、紀元前850年~900年ごろに生きた人物だろうと予想されている。

世界に目を向けると、アーリア人がガンジス川流域に移動し、バラモン教が成立するのが、ちょうどこのころだ。中国では、周、という王朝が幅をきかせていた。
日本では、イザナギ、イザナミのふたりが、いっしょうけんめいにかき混ぜ、かきまわして国をつくっていたが、それより先に実は縄文人が1万年近くも、日本に住んでいたのだから、縄文人は驚いただろうと思う。いきなり社会の共通的な資本である「公益の土地」を、勝手にだれかがかき回し始めたのだから。
縄文人たちも、おちおちクリなど拾っている場合ではなかったろう。

「おおおおお、!地面がゆれる、ゆれるぞォォォ!!気を付けろーー」

縄文人の文化や黒曜石の交易のはなし、あるいはクリなどの栽培痕跡や、大規模集落での祭りのあと、手厚い埋葬のすがた、そして春秋の暦をみわけるための砦や石の塔。
科学的にも進んでいた縄文人の学習をしてきた6年生は、頭の中で、この「神話」との整合性に、どうにも無理を感じてきてしまう。

わたしが、
「いちおう、このころ縄文人が暮らしていたけど、イザナギとイザナミのおふたりの神さまもちょうどこのころ、土地や山なんかをぐーるぐる、かき回しになられたということになるね」
と、解説を入れた。

縄文人たちがお互いの共通的な社会資本である土や水、森、山、空気などとともに暮らしていたところへ、イザナギとイザナミが現れ、土地をかきまわしはじめられた、ということをクラス全体で確認したところ、くすくす、笑いが起きた。

なにごとならんと思っていると、

「いきなりすぎやん。急(きゅう)だって」
「イザナギ、勝手やなぁ」
「やっちゃった感が」
「最初に、かきまぜますよ、がほしい」

と、子どもたちはイザナギとイザナミへ非難の目を向けだしたのだ。

わたしは慌てて神をフォロー。
「でも、やっぱり、神だということになってるわけだし・・・」

・・・ちゅうことになっておる。
どんな話も、この「・・・ちゅうことになっておる」というのをつけて、聞いたほうが良い。

・・・

その先は、もう、宗教の世界。
「信じる」ということだけだ。

事実はなくとも、そう、信じる、ということ。
無神論者の多い日本人にとってみると、かなり難易度が高い取り組みだが・・・。

司馬遼太郎さんの講演で、日本人の苦手な思考として、「信じる」を挙げていた。
「日本人にとっては、神というのは、糸巻のようなものなんです」と、説明していた。

『糸巻のなかの芯は、空洞です。その空洞に、信じるための論理付けとして、神々の説明という糸をずんずんと巻いていく。神というのはこうだ、こんなことをしたんだと、ぐるぐると巻き付けていくと、形ができてくる。中身がなくても、外側からみると、形があるような感じにはなるんです。しかし、肝心の中身はからっぽです。事実ではないのですから』

というようなことで、説明していた。
善悪を離れたうまい説明だな、と当時、感心したことを思い出す。

【6年社会歴史授業】焼き場に立つ少年 再び

またこの時期がやってきた。
6年生。
社会、歴史の授業。

『太平洋戦争』について。


授業の最初に、この写真を見せました。
しーん。

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日本は、アメリカ・中国などと戦争をしました。
この写真は、その戦争が終わったすぐ後に、長崎で撮影されました。

撮ったのは、アメリカ軍のカメラマンであるオダネルという人です。

この写真に、なにが見えますか?

「男の子」
「男の子が、小さな赤ちゃんをおぶっている」


まだ、なにか分かることや気づいたことはありますか。

「男の子の足は、はだしです」
「背中の赤ちゃんは、寝てる」


なんではだしなんでしょう。

「戦争で、なくなってしまった」
「どこかにいってしまった」
「急いで逃げてきたのかもしれない」


読み取った情報や、自分がそこから考えていけること、類推すること、背景として想像できることなどを、ノートに書かせた。

時間を十分にとったあと、ノートに書かせたものを元に、意見をだしあう。

おうちの人はどうしたのだろう

「お母さんも、長崎だから原子爆弾で被害を受けて亡くなったのかもしれない」
「原子爆弾じゃなくても、戦争中だから、死ぬことがあったかも」


長崎にも、外国人が攻めてきた、ということ?

「元寇のときは、外国人が上陸したけど、長崎にも上陸したのかも。」
「空襲があったのだと思う」


空襲ってなに?

「飛行機から、爆弾がたくさん落とされた」


日本の各地で、どれほどの空襲があったのか、資料集をみて、そこから情報を読み取る。
日本中、あちこちで空襲があり、大きな都市はほとんどが空襲を受けて被害をうけたことがわかる。

「長崎は原爆だけでなく、何度も空襲があった」
「きっと、この子は、アメリカや中国を憎んでいると思う。だから、兵隊になりたかったのかもしれない」
「だから姿勢がいいのかも」


子どもたちは、あれこれと自分自身におきかえながら、この子の心の内にまで想像をふくらませていく。

「歯を食いしばって、立っているようだから、きっとなにかとても我慢をしていると思う」
「お母さんが亡くなったから、我慢をしているのだろうと思う」
「背中の赤ちゃんが元気がないのは、食糧が不足していたのだと思う」
「栄養不足だったのだろう」
「たぶん、お母さんもいなくて、自分が赤ちゃんの世話をしないといけないということは、二人兄弟か」
「お父さんもお母さんもいないということは、学校には行けていないと思う」



あれこれと討論が終わって、この子をとりまく状況が分かってきたような感じのところで、

「この写真につけられたタイトルを教えます」

といって、
「焼き場に立つ少年」

と黒板に書いた。

しばらく、しーん。



背中の赤ちゃんは、もう亡くなっていたそうです。この子は、この赤ちゃんを火葬してもらうために、順番を待っていたのです。これを撮影したカメラマンが、この写真について書いています。この少年は、ずっと順番を待つ間、まっすぐに前を向いて、気を付けの姿勢をくずさなかったそうです
当時は、軍国教育でした。
どんな教育だったのでしょう。なぜ、ずっと気を付けをしていたのでしょうか。

「死んだ人が前にたくさんいるから、気を付けをしていたと思う」
「そうしないと、殴られたりしたのかも」
「気を付けをしていないと、叱られるからか」
「まわりに兵隊さんがたくさんいて、気を付けをしていたから、大人と同じように気を付けをしたのでは」


この赤ちゃんはなぜなくなったのでしょう。食糧が不足していたというけど、なぜそうなってしまったのでしょう。

「戦争で戦っている兵隊さんのために食糧を出していた」
「食べるものはほとんどが、軍隊のためにもっていかれたのでは」
「戦争で空襲があって、つくっているひまがなかったと思う」



用意していた、いちばん大事な発問をした。
少年はなにを見ているのでしょう。

「死んだ人の山を見ていると思う」
「焼けた自分の街をながめているのだと思う」
「なにも見ていない」


なにも見ていない、といった子に、どういうこと?

と尋ねると、

「たぶん、気を付けをしなきゃと思って立っているけど、立っているだけでやっとなんだと思う。だから、そのまま、もう何も心には入っていないと思う。目はあいているけど、なにも見えていないんだと思う」



最後に、この写真を撮ったカメラマンの手紙を読んだ。

長崎では、まだ次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。死体が荷車に無造作に放り上げられ、側面から腕や足がだらりとぶら下がっている光景に、わたしはたびたびぶつかった。人々の表情は暗い。

焼き場となっている川岸には、浅い穴だけが掘られている。水がひたひたと押し寄せていた。灰や木片、石灰が散らばっている。燃え残りの木片が、風をうけると赤く輝いて、熱を感じる。白いマスクをつけた係員がもくもくと、荷車の先から、うでや足の先をつかんで、引きずりおろす。そして、そのままの勢いで、火の中に放り込んだ。死体ははげしく炎をあげて、燃え尽きる。
(中略)

焼き場に、10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせていて、ぼろを着ていた。足は、はだしだった。少年の背中に、2歳にもならないような幼い子がくくりつけられていた。その子は眠っているようだった。体にも、まったく傷がなく、やけどのあとらしいものも、みえなかった。

少年は焼き場のふちに進み、そこで直立不動になった。
わきあがる熱風を感じていたのだろうが、動じず、そのまま動かず立っているままであった。
係員がようやく、その幼子を背中からおろし、足元の燃えさかる火の上に、のせた。

炎が勢いをまし、おさな子の体を燃やし始めた。立ち尽くす少年は、そのままの姿勢で立ち続け、その顔は炎によって赤く染まった。気落ちしたように少年の肩がまるくなり、背が低くなったようだった。しかしまた、すぐに背筋をのばして、まっすぐになった。わたしはずっと、この少年から目をそらすことができなくなっていた。

少年は、まっすぐを見続けた。足元の弟に、目をやることなく。ただひたすらに、まっすぐ前を。
軍人にも、これほどの姿勢を要求することはできまい。

わたしはカメラのファインダー越しに、涙ももう枯れ果てた、深い悲しみに打ちひしがれた顔を見守っていた。わたしは思わず、彼の肩を抱いてやりたくなった。しかし、声をかけることができず、そのままもう一度だけ、シャッターを切った。

すると少年は急に向きをかえ、回れ右をすると、背筋をぴんとはり、まっすぐ前をみて歩み去った。あくまでも、まっすぐ。一度もふりかえることなく。

〇この子はこのあと、どこへ行くだろうか。
〇大人になって、何をしているだろう。

最後に、感想を書かせた。
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