30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

体育

前転を10回した後に後転ができるかどうか

1週間ほど前だろうか。
Tくんたちが、熱く討論をしているのを見た。

めったに議論などしたことがなさそうなTくんなので、なにごとならんと近寄ってみると、どうも「目が回るということ」について話しているようだ。

Tくんの周囲にいる数人も、まあどちらかというと論理的な感じの男子ではなかったので、こりゃおもしろそうだと思ってわたしも参加し、一緒になって「ふむふむ」と聞いてみる。

彼らが議論していたのは、
【前転を10回したあと、後転ができるかどうか】であった。
Tくんは家でふとんを2枚つなげ、行ったり来たりの前転を10回やって弟に自慢した。
すると、今度は後転ができるかどうか、という話になった。
弟はできないので、Tくんは自分が見本を見せようとして後転をしたところ、

ぐにゃぐにゃ

になったという。

からだが、たこのように、ぐっにゃぐにゃ になったそうだ。

Tくんが言うには、
それはつまり、直前まで前転をひっきりなしに繰り返したので、脳がエラーを起こしていたのだろう、ということであった。

「ほんとうだって。前転を10回繰り返したあとに、すぐ後転をしてみたら、ぜんぜん、できなかった。だれでもそうなるはずだ」
「えー、Tくん、もともと後転ができなかったとかじゃなくて?」
「そうそう。俺は後転はできるんだって。でも、前転10回のあとは、無理だった」

そこで、次回の体育の時に実験をしてみたい、という。




先日、体育館での体育の授業をやったときのこと。
彼らはその約束を覚えていて、

「先生、みんなで前転10回やろう」

という。

「そのあと、だれか後転ができるか、しらべてみようよ」


で、やってみましたよ。

すると、まず前転10回をやれた子がすくなかった。
途中の6,7回くらいで、目を回す子、方向を失う子もいる。
気持ちわりい、とやめてしまう子も。

しかし実験精神に富んだ数人の猛者もいて、もちろんTくん本人もまじめに10回前転をした。

Tくんと他の数名が、後転にチャレンジした。

みんな並んで、おもむろに、えへらえへら、と薄い笑みをうかべてマットに背を向けると、
そのまま後転をしたのですが・・・。

一応、最初の1回はできたのですが、

2回目に、ほんとうに

ぐにゃーーー

と、だれもが薄笑いをうかべたまま、床にへばってしまい、

チャレンジした全員が全員とも、

「か、か、からだがーーー、うご、うごかねええええ」

と言って、酔っぱらった感じになりました。

みんな大笑い。

危険なので、みんなマネしないように、と釘をさしておきました。

ふつうの人は、脳がエラーを起こすのではないでしょうか。
前転10回、すぐに後転をやると・・・。
体操選手の内村航平さんなら、大丈夫なんでしょうけど。

Tくんは来年の夏の自由研究で、

「人間はなぜ目がまわるのか」

を研究するそうです。めでたし、めでたし。

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SDGS持続可能な体育

持久走大会が開催される。
昨日、子どもたちにそのことを伝えた。

いろんな反応がある。
やる気十分の子、文句ばかりの子、と分かれる。

なんで文句が出るのか、ちっとも理解不能である。
だって、持久走って楽しいじゃないですか。
みんなフーフー言って走るし、へばりそうになっても足は動くし、人間の体って不思議だなあとすごく実感できる。
ところが文句をぶーたれている子に言わせると、

「だってわたし遅いんだもん」
という。
遅くたっていいじゃないか、と言うと、
「いいえ、遅いのはダメです」
という。

いつから遅いのがダメで、速いのが良いとなったのだろうか。
わたしはぴんときて、
「ははあ、みんな、運動会の徒競走と混線しているでしょう。誤解だよ、誤解」
と解説したが、子どもたちはなんとなく目つきが暗く、口元をひきしめている。

あなたたちは『だって、速い方がいいではないか』というけど、どうして速い方がいいのかをちゃんと説明できるの?

と問うが、

子どもたち、だれも説明できない。逆に、

じゃあ先生、なんのために持久走やるの?

と聞いてくるから、クラス会議をやった。

すると、一生懸命に走ることはいいことだ、という子がいる。
賛成も多数。
さっきまで、マラソンやだー、と文句を言っている子まで、「そこは賛成」と言うので驚いた。

なぜ一生懸命に走ることはいいことなんだろうか?

わたしは輪の真ん中で、しずかに、問いかけていく。
子どもたちは車座になって、とくに順番も決めずに思いついたなりに話す。
だれもがお互いの顔をみて、その話を聞いている。
多数決で決める、ということではないから、どこまで自分の考えが深まったかが大事だ。
しずかに、しずかに、みんなでお互いのちょっとしたセリフを聴きあう。
いいなあ、車座って。

子どもたちから、健康になる、自分の体のことがわかる、限界を知れる、走り方がわかる、など・・・いろいろ出る。

わたしは中央に座っているが、大きな輪のあらゆる方向から、意見が出てくるのが面白い。
たくさん意見が出されてから、最後にとっておきの質問をした。

ゆっくり、言葉を区切って、はっきりと。

持久走大会は、きらいなことですか。

子どもたち、きょとんとしている。

わたしは、中央に座っていたが、あらためて座りなおした。
で、しずかに、繰り返した。

持久走大会は、きらいなことですか。

すると、やはり女子のほとんどが、

「きらいです」

ときっぱり言う。
わたしは頭の中がまっしろになった。

おそらく、体育だって持久走大会だって、きらいだと思っている子はいるだろう。
今、世の中はSDGSだ。つまり、持続可能な社会をめざしている。
その、持続可能な社会を担う子どもらが、

「体育はきらい。二度とやりたくない」

と言ってしまえば、実はSDGSは破綻する。
だって、その子にとって『体育』は持続しないのですぞ。
学校は、教師は、「持続可能な体育」をやるしかない。
いったいなにが、持続可能な体育なのか。
その子にとっても、教師にとっても、学校にとっても、
ひとりの生涯にわたっての持続可能な体育であり、
社会全般が、「持続可能な体育」をその内部にふくんだ社会でなければ。

「順位が関係ないならいいけど」

女子のひとりが言った。

わたしはすぐさま
関係なし!
と叫んだが、

体育主任の先生の机の上には、ちゃんと賞状が印刷してあったのを見たから、

ちょっとうしろめたい気持ちになりました。

持久走

【11歳】大縄跳びがきらいなあなたへ

拝啓

あなたの担任になって、もうかれこれ半年以上が過ぎました。
春、見事に花を咲かせいていた校庭の桜はすっかり落ち葉になってしまいました。
そして、その落ち葉の掃除も、もう終わりました。
時の流れははやいものですね。

さて、大縄跳びがきらい、と断言したあなたは、その後大縄跳びの練習には入りません。
ずっとそばで見ているあなたを見ていて、先生はあなたが寒くて風邪をひかないようにとばかり、願っています。

他のクラスのことは知りませんし、前年度この学校の大縄跳びがどうだったかというこれまでの歴史も知りません。
しかし、先生は、大縄跳びは楽しいと思います。
だって、人間がジャンプするだけでも楽しいじゃないですか。
先生のうちの子は、トランポリン大好きですぜ。
ポンポンと跳ねながら歌うので、舌をかまないか、と心配しています。

さて、大縄跳びが嫌いだという子は、多いですね。
あなたに限らず。
先生が教師という職業をはじめてからだって、何人もそういう子に出会ってきました。

「だって、ひっかかったら、男子にすごい目でにらまれるんだよ。あれすごくいやなんだ」

まあ、そういうことがいやなんですよね。
だから、純粋に「大縄跳びがいやだ」というわけではない。
そこは分離して考えましょう。

大縄跳びがいやなのか、男子ににらまれるのがいやなのか。
もっと深堀りすると、
「そうやってひっかかることを失敗と規定し、その失敗をすると記録にならないから自分たちの失点だと考え、クラスとしての競争意識が満足できないから、だから足をひっかけた子のことを責める」
という文化そのものがいやなのでしょうかね?

まあ、その男子はかなりの勘違いをしています。
まず、ひっかかることで記録数が少なくなりますが、そもそも記録数を伸ばすことが大縄跳びの目的ではありません。まあ体育主任の先生が「よい記録を伸ばしましょう」と言うかもしれませんが、まああんなのは、先生の勝手な都合です。もしかしたら、体育主任の先生も、そんなことを言いたくないかもしれません。でも、ゲームにするとなんとなく盛り上がる雰囲気があるので、それをするのが癖になっているのでしょう。

それから、ひっかかって記録数が多くならないことが、クラスの名誉失墜に当たるかどうか、ということですが、だれかの足がひっかかることがクラスの名誉失墜にはならないと思いますし、クラスの価値が低下する、ということもないと思います。足がひっかからないと「スゴイ」かどうか・・・。「すげえ!足がひっかからなかった!」と鼻たかだか、になる?
そうなる人もいるけど、そうじゃない人もいるでしょう。

さらに、その足をひっかけた子を責めると、その子が次回は足をひっかけなくなるかどうか。
責められて、逆に緊張して足を引っかけるかもしれません。どうするのでしょうか。
責められて気を付けようと思う子が50%いるかわりに、逆に緊張してひっかけてしまう子も50%いるだろうと思いますが、その件についてはどうするのでしょう。

だから、責めるかどうするか、というところに、戦略もなにもないわけで、まああまり賢い方法ではありません。男子が声を荒げて、

「てめえ、ひっかけんじゃねーよ!」

と言ったことがあったなら、それが目的を達成するための行為なのかどうか、クラスで会議をした方がいいでしょうねえ。

つまり、去年までの大縄跳びで、あなたは相当、つらい目にあったのでしょう。
そして、それがトラウマになっているようです。
だから、「大縄跳びの目的は何か」を考えればいいのではないでしょうか。

競争?知りません。
わたし、この頃、「競争」という意味が、よく分からなくなっているので・・・。

競争するから頑張れる?
競争しないと頑張れない?え、その意識じゃないと、ぜったいに頑張れない・・・?
それはまずい。だって社会に出たら、ぜんぶがぜんぶ、競争ばかりじゃないもの。

あー、わかった。大縄跳びの真の目的は、跳んだ瞬間に、空が近くなるんで、みんな青空に親近感が増す、ということではないでしょうか。

え?ちがう? じゃ、何なのでしょう? みんなで地球を揺らすため? それもちがう?
えーなんだろ・・・
あー、わかった。できるだけ天の神さまに近づくためってか。
ちがうわねー

そうそう。そうやって、目的を考えるのがいちばん大事。

バベルの塔

体育の授業【幅跳び編】~3分前の自分を越える~

『自分を越えろ!』
というのが、走り幅跳びのテーマである。

前回の記録をわかりやすくしておく。
友達とペアで記録しあうようにする。
ところが、いちいちメジャーなどで測る時間がもったいない。
それで、砂場に何本もひもを敷いておく。それを目安にすればよい。

走り幅跳び


【具体的な指導】

班でゲームのようにする。
目標は次の2点。
〇片足でふみきる。
〇両足で着地する。つまり、両足でゴム紐を踏むと得点できる。

1.5mのゴム紐をふめば、15点。
2mのゴム紐をふめば、20点。
2.5mのゴム紐をふめば、25点。

班で合計得点を合わせて、点数を記録していく。

【運動会の組体操】無くならない理由

かなり、減ってきたらしい。
全国的には・・・。


しかしそれでも、まだ組体操は行われています。
巨大組体操が無くならない理由は、
それがショーだから、です。
先生たちは少なくとも、見に来られたお客様を満足させなければなりません。
先生たちは、大きなプレッシャーと共に、
そう思い込んでいます。

ショーである以上、運動会の演技種目は、お客様のご要望にかなうものかどうか、という点がもっとも重要なのです。

だから、そう簡単に、無くなりませんネ。

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高い塔、高いピラミッド。
完成した時に、思わず会場を包み込む、「オーッ!」というどよめき、歓声。
そして、鳴りやまない拍手!

そこに先生たちは、ようやく安堵のため息をもらすのです。
事故が無かったことの安心感と。
保護者から責められなかった、という安心感。
その2つの安心感によって、ため息が出る。


高さ、でなく、見事な演出によって、拍手がもらえたら一番良いのですが。

なかなか、保護者の目線も厳しいです。

「劇団四季くらいの演出が欲しい」

ズバリ、保護者の本音でありましょう。

小学校の教師にはその演出が無理なので・・・、思わず、手を出してしまう。
「高さ」に挑戦してしまいたくなる。
それが、人情です。


「昨年に比べたら、たいしたこと、なかった」

これが、一番、先生たちにぐさりと突き刺さる一言でしょうな。

麻薬じゃないけど、思わず、「高さ」に、手を出してしまいたくなります。

昨年を上回る、歓声を。拍手を。

保護者からの承認欲求!

それが、教師の心情ってもの・・・(いや、そんなもんではない、と信じよう。やはり、子どもたちの成長が一番の目的ですよね、うん)。

【体育】走り幅跳びの指導・まとめ

スモールステップで楽しくやっているうちに、実は上達している、というのがスマートだ。
いつの間にか、夢中で跳んでいるうちに、以前よりもものすごく遠くまで跳べるようになった。
「練習すると、すごく伸びました」
「わたしって、すごいかも」

となることを願う。

1)【教室の黒板を使って】助走・踏切り・空中姿勢の3つを工夫する、と伝える。

2)助走は、速い方が良い。(子どもに考えさせ、予想させる)
  踏切りは、勢いの良い方が良い。(同)
  空中姿勢は、よくわからん??(この時点ではたいてい、分からない)

3)【体育館で】
  ①1歩でふみきる ここで、右足がよいか、左足がよいか、自分で判断する。
  ②3歩でふみきる 勢いよく、思い切り遠くへ跳ぼうとして踏み切ること。
  ③5歩でふみきる 3歩のときと同じ足から走り始める。
  ④7歩でふみきる 3歩のときと同じ足から。
  タ、タ、タ、タ、タ、タターン(最後は歩幅がせまくなる)
  全力で走ってきて、ふみきることができたか。

4)【体育館で】
  空中姿勢を工夫することができたか。
  ①跳び箱6段からエバーマットに向けて、とびおりる(以下同じ条件)
  ②空中でひざをかかえ(体育座り)そのままおしりからマットに着地
  ③空中でえびぞりをしてから、ひざをかかえておしりから着地
  ※えびぞりは、足がそっていること  

  ステージ下にエバーマットを設置
  ④ステージから1歩踏み切り(タターンのリズム)で、マットに着地
  ⑤1歩踏み切り⇒空中ひざかかえ⇒おしりマット着地
  ⑥1歩踏み切り⇒えびぞり⇒空中ひざかかえ⇒おしりマット着地
  ⑦3歩踏み切り⇒えびぞり⇒空中ひざかかえ⇒おしりマット着地
  ⑧5歩踏み切り⇒えびぞり⇒空中ひざかかえ⇒おしりマット着地

5)【校庭の砂場で】
  班のお互いで見あいながら、空中姿勢を研究する。
  とびだす角度もお互いに知らせ合う。(腰・ベルトの位置でみる)
  ※角度は段ボール紙を15度の角度にしたものを使う。

6)記録会

夏木立

体育器具庫には入ってはいけない!

.
体育館での授業。
体育器具庫に、貼り紙がしてある。
「この中には入りません」

わたしが、
「この中には、入ってはいけないの?」
というと、子どもたちはみんな、うん、と頷く。

教室に戻ってきてから、再度、みんなに聞くと、

「入っちゃいけないんだよ。めっちゃ怒られるよ。高学年に!」

高学年の運動委員会の子たちが、休み時間にはボールを出したり、休み時間が終了する間際になると声をかけて、とくに低学年の子たちに教室へ帰るよう、うながしている。
委員会の仕事だから、高学年のお兄さんやお姉さんたちがしてくれているわけだ。

Rくんが、

「だめだよ、入ったら、叱られるよ」

と何度も繰り返す。

むかし、器具庫に入って遊ぼうと入ったら、めっちゃ叱られたらしい。

「去年のU先生も、だめだって言ってた」



わたしが、

「あの貼り紙がいけないんだなあ・・・。よし、あれを取っちゃおう!」

と提案すると、目をまるくして、

「ダメだよ!!」

の大合唱である。



「だって、先生は入りたいんだもの」

「え、先生はいいんだよ」

「あ、そう?でも、入っちゃいけないのでしょう」

「先生はいいんだよ、あれは子どもに言ってるんだし」


「なんで子どもだけダメなの?」

「えー」


ここで、ちょっと空白のできるのが、面白い。


ちょっと賢い子が、言い出す。

「子どもは怪我をするからだよ。マットがあるし、ほかにも金属の棒とかあるから」

みんな、そうだ、そうだ、と言う。

「なるほど、そうか。けがをするかもしれないんだね」

わたしは、黒板に
「この中には危険なものがあるので、ケガをしないように気をつけましょう」
と書く。

「あの貼り紙が、本当に言いたいのは、こういうことかなあ?」

「うん、まあ。そうかも」

それじゃ、そう書けばいいじゃない。
なんで、入ってはいけません、なのかしら。



すると、ある子が、

「ぼくたち(4年生)は、もう分かるからいいんだけど、1年生とか分からないからじゃない?」

なーるほど。
よく考えるなあ。
そこで、わたしが感じ入った様子で、

「なるほど。1年生の子は、そんなこと言われても、なにが危険かどうかも分からないからかもねー」

とつぶやくように言うと、みんなも同意する。



「じゃあさ、1年生は入ってはいけません、というのでいいのじゃないの?」

もう一度、わたしが意地悪く意見を追加すると、

「うん。そうかも。低学年はいけませんにしたらいい」

と同調する子も現れる。

「でも、それじゃあ、低学年だけに意地悪してるみたいになるよ」

難しいねえ。



では、一番いい貼り紙の仕方はなんだろうか。
わたしは、さきほど書いた文面の最後に追加した。

「〇この中には危険なものがあるので、ケガをしないように気をつけましょう。

〇低学年の子は、もしかしたら怪我をするかもしれないので、入らないようにしましょう」

こういうことね。


ところで、われわれ4年生は、どうする?

「入れるけど、それでもやっぱり、怪我をすることがあるかもしれないから、やっぱりまだ入らない方がいい」

じゃ、そうするか。



昨日、器具庫に内緒で入っていたSくんも、みんなと同じように、「入らない方がいい」 と真剣な顔で言うのが面白い。
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【水泳学習】鼻に水が入る件

クラスで水泳の授業をやってみると、背泳ぎはたいへんです。

実際に、鼻に水の入る子もいます。

そうすると、

「先生!!!!ハナにみず、入った!!!」

と叫ぶ子もいるし、

「もうだめだ!」

という子もいる。



たしかに、鼻から水が浸入してきたときの苦しさは、万人共通のもの。
あれは、くるしいですよ。
ゴホッ、ゴホッ、となるし。

それで、溺れそうになる。

つまり、一瞬だけども、身の危険を感じるのです。

そうすると、その恐怖にもうどうしようもなくなって、

「やっぱり、背泳ぎは無理だぁーーーー」


となるのです。



教室に帰ってきてから、いろいろと確認をしました。


もちろん、背泳ぎの呼吸のポイントは、再度復習しておきます。

「(右利きの人は)右手をあげる時に口から吸って、かくときに鼻から吐く」
「鼻から吐くのは水が入らないため」



そのうえで、さらに次のことをみんなで確認する。


〇溺れた人はいない、ということ。

「なんで、溺れなかったの?」

「すぐ、立ったから」


そうです。6年生なので、一番背の低い子であっても、楽に立てます。とくに、今日練習した場所は、いちばん床が浅く作られているエリア。ここなら、溺れる心配はまずないと思っていいでしょう。

〇鼻から水が入ったけど、それで呼吸がとまった人はいなかったこと。

「なんで呼吸がとまらなかったの」

「すぐに口で呼吸したから」


立ち上がって咳をしてそれから口で・・・と、くわしく教えてくれる役者級も、うちのクラスにはいます。

「ははあ、なるほど。ハナから水が入ることがあっても、それで本当に救急車で運ばれたりすることには、なかなかならない。可能性はゼロではないけど・・・ともかく、自分なら大丈夫、と思えるかい?」

「うーん。まあ。大丈夫かな」




つまり、鼻から水が入る、ということと、そのことからくる恐怖について、きちんと向き合って、考えておくのです。

なんで、自分はそのことについて、恐怖を感じるのだろうか。

さらには、なぜ、「背泳ぎはむずかしい。自分には出来そうもないとまで、発展した思いを持つのだろうか。



結局、まあ、命までは大丈夫だろう、ということと、教室で、

右手を空中に出す瞬間に短く吸って、左手が一番高く上がったとき(右手は水中をかいている)に、パッと急いで吐く、というような訓練

を繰り返し、プール学習の時間を熱心にとった結果、あっという間に、上達しました。



「先生、おれ、できるようなったわ」


これが、子ども。

つい先週まで、「ぜったい無理。だって鼻から水が・・・」と、つらい顔で訴えていたのが、まるで嘘のように・・・。


おもろいわー。


いるか

【水泳学習】きみは、背泳ぎができる!

.
背泳ぎをやる、と言うと、大勢のクラスの子どもたちがブーと言いました。

つまり、そんなむずかしい泳ぎをやるとは思わなんだ、ということです。

「せいぜい、平泳ぎかと思った」

背泳ぎは、高度な泳ぎだと思われているみたい。


なかに、背泳ぎを最大級に恐れている、という子がいました。

「ぜったいに、鼻から水が入る」

そう断言するのです。

彼は、6年生で背泳ぎをやるとは思わなかった、と残念そうに何度も言いました。

おまけにそれを聞いた次の日、自分の兄に確認までしてきて、

「先生、お兄ちゃんが6年の時は、背泳ぎはやらなかったらしいよ」

とまで言いました。

つまり、背泳ぎは新間先生の趣味だから、お願いだからやらないでくれ、というのです。

「6年でどうしてもやらないかんの?」




ところが、その子と順に話していくと、驚くほど素直にやる気になりました。

新間 「クロールを習ったときのこと、覚えている?」

Yくん 「うん」

新間 「最初は難しかったこと、覚えてない?今は、すごーく楽に、それもとても速く泳げているでしょう。そうなるまでに、だいぶ時間がかかったんだと思うけど」

Yくん 「うん。そうかな。そうだと思う」

新間 「何でも最初は、難しいものだよ。そのかわり、時間をかけて練習すれば、うまくできるようになる」

Yくん 「まあ、そう思うけど。でも、その練習がたいへんだと思うな」

新間 「でしょう。決定的なのは、きみは背泳ぎもできるってこと。たいへんかどうかはこれから」

Yくん 「まあ。・・・やれば、ね」

新間 「そう。もともと、きみが、できる人だってことだよ。他の人ができてるかどうかなんて、関係ないよ。あとは、練習の時間をきちんと積み重ねるだけだ。そうすれば、できるようになる」




みたいなことを言って。



「なら、がんばろー」

と、言っておりました。



半分、騙してるような気もしますが、男の子は単純ですなー。


背泳ぎ

各学年・体育の年間指導予定!


さて、体育の年間予定。

3年生は、リレーの練習。

*これから高学年になる。知っておくと役に立つ。
*お互いを責めない指導。励まし合う指導。
*バトンを渡すときの、お互いのタイミングの取り方は何度も練習する部分。「努力」「継続」の価値を知る。

4年生は、走り幅跳び。

*立ち幅跳びから始める。
*高学年では遅い。女子が真剣に取り組まなくなる。
*だから、4年の最初にやる。
*陸上選手(女子)のきれいなフォームをビデオで見せる。
*将来、メコン川を跳んでわたらないといけない日が来るかもヨ、と脅す(ワニ)。同時に、20代でアジアを旅しなさい、とアドバイスしておく。

5年生は、ハードル。

*身長がないと、むずかしいから。
*走り幅跳びでは力を抜きやすい高学年女子も、ハードルは倒したくないという心理がはたらき、わりとまともに取り組みやすい。
*テンポ、リズム、という要素を考えたり、身体をそれに順応させる、という高度なことが、5年だとやれる。
*準備や片づけのシステムを最初の時間に徹底させるため、道具の整理の仕方などを熟慮しておく。
*いきなりやらせないで、ショートステップで徐々に身体を慣らす。そのために、けんけんぱ、など、低学年でやっておくべき指導を念のためしておく。

6年生は、高跳び。

*これをするしないで、体育の印象が変わる。
*思ったよりも白熱する。
*高く跳びたい、という本能か?
*ただし、フォーム、ふみきり、というように細かく要素を分けて把握できるような指導がいる。説明をいくら繰り返しても分からないし、かといって、説明抜きではちっとも上達しない。最低限の要素をお互いに確認させる。




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