30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

本の紹介

『気流の鳴る音』より~寝そべったまま、教室の床の模様を紙に写す子~

原康男さんという人は、十八歳の時から二十年間あまり、いくつかの共同体を放浪してきた」~『気流の鳴る音』真木悠介著より~

この方が厚木市につくったのが『ふりだし塾』という場所である。

どんな人でも、幾日でも幾年間でもそこに寝泊まりしていくことができる。
それぞれの力に応じた仕事を与えられながら、毎日の生活そのものの中で人間を形成していくという「塾」である。
一時は何十人もの若者たちがここに集い、独特の集団を形成していたという。

おもしろいのは、ここに集う者のうち、少し能力のあるものは、そのうちにペアをつくったり集団を別に作ったりし、結局は飛び出してしまうらしい。

それを聞いた人は、
「居心地がよくないからだろう。あそこは理想とは程遠いのだ」
ととらえる。

そうなのだ。
残るのは、別にだれにも好かれず、とりえもないような人物ばかりが残る。
これではコミューンとしては大失敗だ。

ところが、当の原さんは、その話を肯定する。
「能力の少しある人、魅力のある人はいいんです。なにも無い人がいられる場所が人間としての理想の居場所だからです」
どこにもいけない。そういう人物が生きていかれる場所をつくりたい、というのが原さんの野望である。

この話を聴くと、コミューンとか、村とか、居場所とか、およそ人の集まる場所についての理想というのは何か、と考えたくなる。

わたしは職業柄、いつも常に、学級集団のことを考える。
それは同時に学年の集団でもあり、学校の児童集団、そして教職員も含めた全員の集団をさす。

集団の魅力とはなにか、というのが、教師の永劫の「問い」である。

子どもたちは一人ひとりをみれば、必ずそこに魅力が宿り、ユニークさが宝のように見える。
教師はそれらを重ね合わせる学級集団という「組織」をつかさどっており、個が輝くと同時に、さらにお互いがその魅力を増すような仕組みがないものか、と常に妄想している。

良い集団と言うのは、いつまでもいたくなるような場所であるにちがいない、というのが通常の考えだ。しかし、原さんだけはちがう。
「能力のある人がそこから去ってしまう場所、しかし、能力のない人がそこに残っても良いような場所をつくりたい。それがおよそひとの居場所としては最高の場所だからです」というのだ。

果たして、そうだろうか。

能力のない人がそこに残って「居てよい」。
最後の、「居てよい」が、「居てはいけない」に変われば、それはファシズムであろう。

それゆえに、学級には床に寝そべる子がいても良いし、「先生、〇〇くんが寝ちゃってます」があっても良い。その子は、「そこに居ても良い存在」である。

ただし、それは本人の意思、おうちの人の意思にも支えられて、という条件のもとだ。
本人がその教室にいたいのであれば、それはもう1mmも、問題はない。
他の親や、他の大人がまゆをひそめようが、「彼のために」と親切心をはたらかせようが、本人がいたいのであれば、1mmも、問題は生じない。だれも困らない。

〇〇くんが寝そべったまま、教室の床の模様を紙に写している。
他の子はみんな算数をしているから、ときおり席を立って相談したり、歩いたりもする。
しかし、SちゃんもFちゃんも、みんな〇〇くんを上手によけながら歩いて、別に邪魔にも思わないのである。

下は、原さんの唯一の書物『ふるさとの本』。主婦と生活社から出版された。
生活を成り立たせる方法、仕事の仕方などについて、ていねいに綴っている。
ひとの生活とは何か、暮らしとは何か、それを支えるひとの所作とはどういうものか。
「だれも理想とは思わない場所こそがひとにとっての理想の場所だ」という、一見急進的でラディカルにすら見えるその思想は、こうしたひとの生きる様式を具体的に、つぶさに見ようとする視点から生まれた。都会でワーワーと人を扇動するような政治家には、こうした視点をもつことは不可能だろう。

ちなみに、この本の挿絵を担当した遠藤ケイ氏は、図鑑や民俗、山の暮らしのスケッチを描かせたら天下一とよばれる人物である。

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エーリッヒ・ケストナーの話

.
wikipediaによると、こうである。
エーリッヒ・ケストナーは、自由主義・民主主義を擁護し、ファシズムを非難していたため、ナチスが政権を取ると、政府によって詩・小説、ついで児童文学の執筆を禁じられた。
父方を通じてユダヤ人の血を引いていたが、「自分はドイツ人である」という誇りから、亡命を拒み続けて偽名で脚本などを書き続け、スイスの出版社から出版した。
ナチス政権によって自分の著作が焚書の対象となった際にはわざわざ自分の著書が焼かれるところを見物しにいったという大胆なエピソードがある。
ケストナー

今のように、日本も「集団的自衛権」を認めたり、ついには殺人兵器輸出による商売を認めたりする国になってきて、火薬の香りがしてくる時代は、ケストナーからまなぶことが多いだろう。

さて、ケストナーは小説や随筆を書いているが、詩集も書いている。

人生処方詩集 (岩波文庫)
エーリヒ・ケストナー
岩波書店
2014-11-15


ケストナーは、この本の前書きで、
〇自分の悩みを他人にいわせるのはいい気持ちのものである。
〇悩みを言葉に表すということは衛生的である。
〇たまには、自分の感じるのと、まったく反対の(他人の)気持ちを理解するのもなぐさめになる。
〇明確化、一般化、対照、こっけいな模倣、その他いろいろな尺度とヴァリエーション、これらはすべて試験済みの治療法である。
と、書いている。
こういう言い回しも、ケストナーの個性がとてもよく出てるよね。

------------

ところで、この詩集は、内容が濃い。
目次だけを見ても、この通り。

********************

年齢が悲しくなったら

貧乏にであったら

知ったかぶりをするやつがいたら

人生をながめたら

結婚が破綻したら

孤独にたえられなくなったら

教育が必要になったら

なまけたくなったら

進歩が話題になったら

他郷にこしかけていたら

春が近づいたら

感情が貧血したら

ふところがさびしかったら

幸福があまりにおそくきたら

大都会がたまらなくいやになったら

ホームシックにかかったら

秋になったら

青春時代を考えたら

子供を見たら

病気で苦しんだら

芸術に理解がたりなかったら

生きるのがいやになったら

恋愛が決裂したら

もしも若い娘だったら

母親を思いだしたら

白然を忘れたら

問題がおこったら

旅に出たら

自信がぐらついたら

睡眠によって慰められたかったら

夢を見たら

不正をおこなうか、こうむるかしたら

天気が悪かったら

冬が近づいたら

慈善が利子をもたらすと思ったら

同時代の人間に腹がたったら

********************

詩集には、これらの目次ごとに、数篇の詩が並んで掲載されていく。

ケストナーの詩は、ふとした時に手に取ると、ちょっとした気分転換になる。

「共感覚」とモルゲンレーテ

「ぼくが不登校になったとき、自分の口から出るのは「水色の声」だった。親は「赤い声」でガンガン攻めてきたので、ぼくはチックになった。ある時親が「緑色の声」に変わった。それから気分が良くなった。色々な夢を考えられるようになって、やりたいことが見つかった。学校に行くようになって友達とも遊べるようになった。 」


声の質や内容のことを、「色」で表現していますね。

これは、「叱らない子育て」で有名な、尾木ママさんの本の感想として、書かれたものの一部です。


声に、色を感じる人がいる、ということ。
これを知ると、なるほど、と思う。

<色>というのは、すごいツールだと思う。
世界に、いろいろと色がある、ということは、本当にとてもすごいことだ。

このことを子どもにしゃべっていたら、こんなことを言う子がいた。

「わたし、国語はピンク色で、算数は青って感じがする」


わたしは、びっくりした。
おお!この子も、なにか事柄やイメージを、色合いで理解する脳の持ち主なのか?

爆笑問題の田中さんは、文字を色で把握している、と告白していたことがある。
田中さんは、

「昭和と言う文字は朱色に見える」

と話していた。

物を食べると手に形を感じたり、痛みに色を感じるなど、いろんな感覚の混線を「共感覚」というらしい。

たとえば、音楽や文字に色を感じる。
こうした感覚を持つ人は、200人に1人と言われている。

音楽の、<調>に色が見える、という人もいる。
ハ長調は白、ニ長調はオレンジ、ホ長調は緑、などという。

脳科学の進歩により、次第に共感覚の正体が分かってきた。音楽を聴いている時、共感覚を持たない人の脳は、聴覚野しか働いていないが、共感覚を持つ人の脳は、聴覚野と同時に、色を知覚する領域も活動している。

ムンク、リスト、宮沢賢治も共感覚があったとされる。



さて、

「わたし、国語はピンク色で、算数は青って感じがする」

という子。



よく見てみると、その子の国語のノートは、表紙がピンク色で、算数ノートの表紙は、青でした。





・・・色って、そのことかよっ!!

・・・チャンチャン!!


結論:子どもは大人ほど知識に頼らずに世の中を把握しようとしているので、国語、という瞬間にさっとピンクをイメージし、算数、と聞いた瞬間にブルーをイメージする、というようなこともあるのだろう。そして、それは、本人にとっては、大変に重要なことで、そのものの本質を把握しようとした結果得られた、素晴らしい能力なのだろう。
子どもと大人が話をする時に、なにかズレが生じたとする。実は子どもの「本質のとらえ方」を大人が理解していないせいだ、ということはないだろうか?



わたしには、この山が赤く見える。共感覚か?
(いいえ、ただの、ふつうの感覚です)

モルゲンレーテ

そして、星の輝く夜がくる ~本の紹介~

.
新間です。
小学校の教師は、特殊だと思います。
理由は、小学生、という年代の子どもたちと、始終一緒にいること。
つまり、私はかなり、小学生から影響を受けています。
子どもからすると、教師は、大人としても特別ですね。親と同じくらい長い間、一緒に喋っているんですから。

一番の問題は、小学校の教師は、矛盾にぶち当たってばかりだということです。
現代の未完成な社会システムと常識に対して、子どもからすると疑問がたくさんあるわけです。
その疑問を、直接ぶつけられる。
自分自身が当然だと思う学級経営をすると、それは社会のシステムや常識とは、かけはなれているわけですから、子どもたちも、

「この教室の常識は、社会常識とは別なんだな」

ということを学んでしまいます。
例えば、文句を言う子のつらさをケアする、ということだったり、成績を良くする前に、機嫌を良くすることを重視したりすることです。
でも、その学級の常識に馴染んでいきますから、馴染めば馴染むほど、

「ねえ先生、なんで常識ではこうなの?」

というふうに、素直に疑問に思ってしまう・・・。





さて、夏休みです。
下記の作品をご存知でしょうか?

『そして、星の輝く夜がくる』(講談社)
真山仁・作


なかなかに味わい深い作品です。
阪神大震災で家族を亡くした教師が、3・11以後の東北で小学校に赴任する。

①被災地の子どもの感じる苦しさ。
②福島の原発に勤める父親を持つ転校生のいじめ。
③学校からの避難の最中に教え子を亡くした教師の苦悩。
④ボランティアと地元の人たちとの軋轢。
⑤震災の記憶をどうとどめるか。


どれも、大きなテーマです・・・。

著者が、この小説について書いた文の中から、こんな表現が見つかりました。

なぜ、小学校6年生が登場するのか、という問いに。

「みんなが打ちのめされている状況の中で、正論を一番通せるのは子どもだと思います。今回の作品は、子どもが大人を叱っているのです。登場する子どもたちを小学6年生にしたのは、大人の矛盾を指摘することができ、さらに大人が反論できない指摘ができる年代だからです。子どもだけど、他人を思いやることもできる歳でもあります。」


この、子どもが大人を叱っている、というの、いつも私自身が感じていることと同じですなあ。

6年生は、大人の都合や立場、というのも理解します。
だけど、やはり馬鹿はバカだ、と指摘できる。
素直に考えたら、戦争なんて、だれも欲していないのだから、やらない、と考える。
コネコネと理屈を言われ、他の国の人に殺されるかもしれないのだから、先に殺るんだ、という考えで大人から説得されても、まったくピンとこないし、納得できません。
それが、子どもです。
こんなへんてこりんな説明に納得するのは、大人だけや。

大人になるにつれて、病的になり、不幸になっていく。
「戦争」を仕方ないと考えるのは、すでに病的だし、不幸なのです。

この本を読むと、「幸福」を真正面から考えることになる。
成長と言う名の不幸について、じんわり考えさせられます。

幸福な子どもを、不幸な大人が叱りつける。
不幸になる指導をし、折檻をする場合もあります(体育会系部活の体罰とかね)。
部活動の体罰問題なんかは、幸福な子どもたちに向けて、不幸な大人が腹を立てているのです。
ともかく、すでに相手に対して腹を立てている時点で、不幸なのは大人の方ですよね・・・。


(写真は、目の前に現れた、巨大ナナフシ!)
ナナフシ

松本大洋の「竹光侍」 ~アウトローの自由~

松本大洋の「竹光侍」

松本大洋について書くのは、ひさしぶりだ。



松本大洋は異端児を描く。

異端児は、世間の価値感とはまったくちがうものを、自身の中に持っている。
異端児は、世間への迎合を、諦めている。
そこには、ある種の悲しみと同時に明るさがある。
そして、世間を尊重しないのではなく、むしろ、尊重する。


松本大洋の描く『異端児』は、いわゆる「世間の奴ら」への関心の無さばかりでない、「世間並」になりきれなかった自分の、世の人へ対する屈折した卑屈な感情もあれば、「うわべで生きやがって」という蔑視、いろいろなものが一気にあふれでる感じで、まあ、もの凄い・・・と思う。


一方で、

異端児だからこそ、自由なのだ

という気ままなものも感じる。

世間に迎合しなくていい(必要が無い)という自由さ。

「竹光侍」は、最後までなかなか剣を抜かない。
だが、抜いたら、彼の刀はぺらっぺらの竹の刀だ。
敵は、剣をぬく直前の、死神のような目と、動物的な凄味、空気が凍りつくほどの殺気で、退散してしまう。
読者はその姿勢に圧倒されるとともに、自由さにあこがれて、喝さいを贈る。



世間を捨てる覚悟があるなら、「真剣を持てばイイのに」と読者は思うけど、それが彼の生き方なのだ。


「竹光」を持つことは、侍の矜持であると同時に、世間様へのいわゆる一つの処世、である。
世間様へ向けて、自分なりに態度を改めている、ということが、彼流の、

「世間」への顔向けの仕方

なのであり、完全なアウトローではない、ということなんだろう。

完全なアウトローでは、幸福にはなれない、ということを、知っているのだ。


彼の姿勢は、自分の自由さを失わないための、武装姿勢である。

その姿勢が、涼しいくらいに定まって動かず、一本筋が通っているから、

彼の心は、「自由」でいられるのだ。





小学校の教師は、この「自由」を、全員に保障することかと思う。



ある意味、クラスの全員が、異端児であるように。

異端児になれるように。



道徳教育の、根本は、


「道徳を超えられる道徳律を身につけられるように」


ということだと思う。



それと、すべての子どもが異端児になれるように、という教師の配慮は、同一のにおいがする。


異端児が許容されるクラス。

異端児であることを誇りに思う児童。

異端児だからと特別視のない雰囲気。

自分が異端児だからこそ、なのか?
「通常」や「ふつう」や「世間」を大事にしようとする、その思い。




「竹光侍」を読むと、文科省の配布する「道徳」本の中身が、ほとんど、ふっとんでしまう。

「道徳」なんて、人をしばろうとする勝手な言いぐさなんだし。

しかし、同時に、(これが逆説だけど)

「竹光侍」を読むと、「文科省道徳」を、悲しいけれど、大事に読もうか、という気になる。



今の時代、

人間が、素になれない、なりきれない。

しかし、心の底の、その奥底では、やはり、

素でありたいのだ・・・と、熱く、願っている人、ばかりだと思う。



異端児

洟をたらした神




吉野せいを知ったのは、どの本を読んだからだったろう。

たまたま偶然目にした本に、吉野せいのことを書いているものがあった。

百姓、農民の文である、と。
それは、生きている、と。

そこで、さっそく本を取り寄せて読んでみたのが、もうかれこれ、十年ほど前か。

あひるかガチョウをひきつれて、畑のまわりを歩く「せい」さんの姿が記憶にある。

また、子どもたちに誘われて、ひさしぶりに東京の都心に出てきた「せい」さんが、都会の暮らしについて思うことを書いているエッセイがあった。

このふたつをなんとかもう一度読みたいものだ、と思いながら、本を紛失したまま、十年がすぎた。

再度読んでみたいと思っていても、なおかつ時が過ぎてしまったのは、作者の「吉野せい」さんの名前を忘れてしまっていたから。
志村ふくみさんと記憶がごっちゃになって、「吉野」が思いだせずにいた。

ところが、それが、インフルエンザで寝ていた日に、突如として、

「あっ、吉野だ!!!!」

とひらめいたのである。


吉野せい、で、検索してみた。

ヒット!!

洟をたらした神、と本の題名が画面に表示されたのを見たとき、

おお、これだったこれだった、と胸をなでおろしたい気持ちになった。
もう、十年も宿題にしてきたことが、ようやく果たせた、という感じだ。

今日、洟をたらした神、が届いた。

さて、これからが、至福の時間だ。



いつか、洟をたらした神、を一部、子どもたちに暗記させたいと思っている。




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