30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

地元・岡崎のことあれこれ

愛知県の教員として幸福をかみしめる

今現在、このブログを書いている私(新間)は、愛知県内の小学校教員として勤務しております。
秋の行事が目白押しでありますが、幸福をかみしめるときがあります。
勤務校は10月の後半に運動会がありました。
やはり今の時期の運動会は、良いですね。空がきれいで秋晴れでした。

運動会も良いのですが、11月の最初にPTAの行事で、
「大人と子どもの答えのない教室」というのがあり、これがまた楽しい。
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ボランティアで来てくださった地域の大人(親もたくさんいます)が、子どもたちといっしょに小グループにわかれ、車座になり、こたえのない問いを考え合う、というもの。
大人だから正解を言う、というワケではないのです。
子どもでも、正解を言うのです。
その場では、正解しかないのです。だって答えがないから。誰の言うことにも一理あって、それぞれが正解なのです。

先生だけが、大人だけが、答えを知っている、というのではない。
みんなで考え合い、それぞれがさらに考えを深めた上で、解散するのです。面白いですよ。

体育館中に、小さな車座がここかしこにできております。
そして、小さな笑い声がたくさん響き合っている。

今回は、なぜ勉強をするの?という問いでした。
面白かったですね。
子どもたちは、「テストでいい点をとるため」とか「おとなになって困らないように」とか言っていました。ぜんぶそれでいいのです。なるほど、とうなづいていれば。

それはちがうのでは、というのは、ここではナシですよ。
そういう考えもあって当然ですからね。

しかし、それが唯一の正解ではないですから、じゃあまた別の解もあろう、ということで話し合いはどんどんと深まってまいります。
大人も最初は一つ言うのですけど、それで考えをとめない、さらに発展させる、というのがあるために、椅子に腰掛けたままでふんぞりかえっているわけにいきません。

「ではおとなになって困らないのか。どういうことか」
「テストでいい点をとりたくなるのはなぜか」
など、どんどんと話はつづきます。

これ、おそらく愛知県の私の市内ではふつうに行われていますが、以前、別の県、たとえば静岡とか長野とかの先生と交流したときはそんなことはしてないと言ってました。

愛知県だけでしょうかね。

参加することに意義がある~小学校・初夏の運動会が軒並み中止~

五輪は開催が濃厚だという話を聞いた。
ところが、勤務校で予定されていた運動会は中止。
5月のさわやかな時期に運動会をする予定だったが、中止となった。


当然、子どもたちからブーイングが起きた。
「先生、なんでオリンピックはやるというのに、運動会は中止なんですか?」

そこで、五輪は開催するが運動会は中止する、という件を例のベン図で考えた。
左の輪が、五輪。右の輪が、本校の運動会だ。
時間がなかったので、わたしが子どもたちと問答をしながら書いてみた。

ベン図



「見てみましょう。第一に、予算がちがいます。一兆円近くかけた大会と、本校の校庭で行う運動会。税金を潤沢に使えるかどうか。歴然ですね」

がっくりと首をうなだれる子どもたち。

ある子は、こうも言った。

「参加することに意義がある、とグーテンベルクが言ってたのは、五輪も小学校の運動会も、同じだって言ってたじゃないですか!」

実は、前年度の校長先生が、秋の運動会の折に開会式の挨拶で、

「来年はオリンピックもありますね。クーベルタンは参加することに意義があるといいました。これは先生は、小学校の運動会も同じだと思います」

というような話をした。
そのことを指摘して、五輪も小学校の運動会も同じなんだったら、小学校の運動会をやればいいじゃないか、というのが、その子の言い分なのだ。

「残念ですね。グーテンベルクじゃないですよ。クーベルタンです。」

同じ地球、同じ日本。参加することに意義があるんだったら、小学校の運動会もぜひやらせてやりたい。だって、同じ人間じゃないの。

レアを選べ!

ネコの体は面白い。
チーターやライオンなど、ネコ科の動物特有の筋肉の付き方をしている。
首を動かさないで、前足と後ろ足、全身を油断なく運ぶ。
ネコは歩いていても、目の高さが動かないそうだ。だから、猫の顔や目ばかりみていると、その分肩の筋肉などがずいぶんとやわらかく上下し、しなやかに動くのがよけいに分かる。

家の猫を見ていると、
「猫の体ってのは、ずいぶんとやわらかく、しなやかに動くのだなあ」
とあこがれに似たような気持ちが出てくる。

こちらは齢50となる中年オヤジである。体がかたくて、どうにもならない。
先日は運動会の練習のため、校庭で子どもらと共にラジオ体操をひさしぶりにやったが、気持ちと身体がまったく折り合わず、リズムに合わせて一生懸命に動かしてみても、ちっとも曲がらないどころかどんどんと子どもからテンポが遅れていく始末。

「・・・先生遅いよ」

冷静にクラスのおしゃま女子から指摘を受けると、恥ずかしさで舌をかみたくなる。

ネコが、自分の体の重心を自由にあやつりながら、身体を移動させたり動かしたりする元には、丈夫でしなやかな骨格がある。その骨格に筋肉がついており、それを伸ばしたり引っ張ったりしながら稼働させているわけだ。

なぜこんなふうに意識する癖がついたかというと、先日、ある大学の教授の研究室を訪ね、ちょっと話をしたからだ。
その教授は日本でも珍しい方で、骨格標本をつくることのできる教授らしかった。この教授は骨の専門家なのであった。
私はどういう風の吹き回しか、職員の研修でこの方と会うことになった。

この教授は骨を見て毎日暮らし、骨をつくって日がな一日過ごす。
「骨をつくる」というのは、なかなかふつうの人がやることではないが、要するに動物の死骸を引き取って、そこからあらゆる骨を取り出すのである。

「筋肉が邪魔でしてねえ」

その教授は本当にめんどくさそうに言うのである。

「わたしは骨しか要らんのですよ」

教授は長年の研究の結果、もっとも筋肉を溶かすのに向いているものを発見した。それは、入れ歯をきれいにするためのいわゆる『ポリデント』という商品だそうだ。
他の化学薬品では骨が傷みやすく、ダメだそうである。

「骨までもろくさせてしまうのでは、ダメなんです。骨は残したいが、筋肉は要らん。そのバランスですよね」

教授はいかにポリデントが優秀かを力説するのである。
たしかに、教授の机の横には、ポリデントが段ボールに詰まって大量に置かれており、

「このポリデントで、次はどの骨を取り出しましょうかね」

とにこにこした。

教授はもう毎日のように骨を取り出すためにポリデント溶液をつくり、動物の死骸があると聞けば、すぐに駆けつけてそれを貰い、ひそかに大学構内の自分の研究室まで運んで、たちまちにして骨を取り出すのである。

教授の目下の悩みは、その教授が担当するゼミに、学生が寄り付かないことらしい。

「がいこつ教授、なんてあだ名をつけられましてね。たしかに筋肉を溶かしているので研究室はかなり臭いし、わたしはもう慣れっこで、その異臭の中で弁当なんかも食いますが、ひとり減りふたり減り、とうとう今在籍している学生は、校内広しとは言え、たった1人なんです。この1人が将来、あとを継いでくれる保証はなし、頭の痛いところですよ」

わたしはなぜ、この教授が大学でこんな奇人めいたことをしているのか、分からなかった。
しかし、このときに教授がこの日本でたいへんに価値の高い人であることが、判明した。

警察から電話がくるのである。
ドラマのようだが、事実なのだ。
人骨か否か。
それを正確に判断できる人間が、この世にはなかなかいない。

警察から持ち込まれた骨。
それを教授は神妙な顔つきでみる。
判断は素早い。

「ハクビシンの足の骨ですね」

警察はホッとして、深々とお辞儀をして去る。

・・・そうである。

教授はもう自分がそういうレアな人種であることを自嘲気味にほのめかして、
「ハクビシンはもう、かれこれ五体以上はポリデント漬けにしてやりましたよ」
と、口元をゆるめて言うのでありました。

わたしはその研修というには中身の濃すぎる「研究室訪問」を終えて思うのには、
「後継者問題というのは、どこにでも存在しているのだなあ」
と、深く感じいったのでありました。

骨を研究する人が、日本にはいなければならない。
それが人骨かどうかを、即座に判断できる人も、この世にはいた方がいい。
しかし、そんなレアな職業をめざす若者が、いない。

レアな方が、よいのではないか?
これからの生き方として、レアな方が、生きていく場所ははっきりと固まる気がする。
若者よ、どう考える? 将来をえがいている最中のキミは、大勢が集う道を歩くのか、それとも人がめったに寄り付かない、道かどうかもあやしいような道を、レアな人材になるために歩くのか。

わたしは、レアな道がいいような気がする。
これからの時代は・・・。レアな方が。
たしかに、レアは、たしかに見えにくい。社会からも、見えにくい。
『パッと見』では、発見されない。世の中は、その他大勢が多すぎる。
しかし、一見わからないのだけれども、検索すればたしかにヒットするのが、レアな立ち位置だ。

若者よ、レアを選べ。

人の経験しない道を行き、人の経験しない場を見て、人の経験しない体験を積め。

その教授は、たった一人の研究ゼミ生のために、弁当を取り寄せ、論文も懇切丁寧にみてやり、院への推薦も保証し、ありとあらゆる親切をはたらいているそうである。

「しかし、彼は、ここでは弁当を食わんのですよ」

教授はタイガーのポットからお湯を汲み、お茶をいれて飲みながら、ため息をつくのでありました。

いやはや、人生は深いですナ。

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記憶の奥に、しまいこまれていること

幼いころの、まるでタイムスリップしたのか?と思うような体験について。

小学校の2年生でした。
ちょうど、季節は夏休み。
時間は、たっぷり、とてつもなく長く、あります。
その日、わたしは近所の友だちと申し合わせ、昼飯を済ませたあと、いっしょに探検を始めたのでした。

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わたしたちの小学校へは歩いて45分ほど。
毎日、かなりの長距離を歩いていた。
その途中、民家もないただの林がつづくような場所があった。

以前から、ここに道があるな、とは気づいていた。
しかし、どうみても林がつづくだけ。奥には人家も、なにもない。
林道の奥になにがあるかなんて、気にもしていなかった。

友達が、
「今日はこの道を行ってみようぜ」
とさそった。

そこを歩き始めたが、すぐに後悔した。
だれも通らない道らしく、草が伸び放題だった。
車が以前通ったらしい。軽トラが入れる程度の轍(わだち)があった。
そこを、左右の草むらから伸びた草をよけながら、ずんずんと前進した。

途中で勾配もあり、のぼったりくだったり、ずいぶん向こうの景色が見渡せるような崖沿いも歩いた。先頭を歩いていた、背の高い筒井くんが、

「あ、向こうに高速道路が見えるよ」

と手招きをした。
なるほど、そこには道の途中の、林の切れ目から、景色が見渡せる場所があった。
ずいぶん遠くだと思っていた高速道路が向こうのほうに、ジオラマの部品のように見えていた。
自分たちの町を立体的に見たような気がして興奮した。

さらに長い時間、歩いた。
探検、という感じがあって、わたしたちの気分は高揚していた。
途中、持ってきた水筒の中の麦茶を飲み、休憩しながら、大声でしゃべっては、足を進めた。
歩いてきたのは通学路からの一本道だったから、道に迷う気づかいはなかった。
帰りも迷わず、ひたすら戻ればよい。
そろそろ引き返すか、というころだ。

道が2つに分かれる場所が見えた。
「分かれ道だ!」
驚いたことに、ちょうど二股に分かれる真ん中に、平屋の建物があった。
さらにびっくりしたのは、こんな場所に、いるとは思わなかった人間がいた。

子どもだった。
まさか。
同じ小学校の子か?

こちらは全員で5人いたので、人数で勝(まさ)った気分になっていた。
そこで、めげずに近づいて行った。

するとその子たちはいったん隠れた。
わたしたちはちょっと驚いていた。
なぜかというと、その子たちは到底、同じ小学生とは思えないような身なりだったからだ。
まるで、日本昔話に出てくるような・・・古い着物を着ていた。

建物に近づくと、さらに驚いた。
木材を貼り合わせただけのような建物であったが、いろんなものが並べてあったからだ。
つまり、そこは店だったのだ。
しかし、値段はどこにも書いてなく、いったい何がいくらなのかも見当がつかなかった。

「お店なのかなぁ?」

われわれの仲間うちでは、一番年上の敬太郎くんが怪しんだ。
で、われわれ5人は、そこで前に進めなくなってしまった。
2人の子が、じっとこっちを見ていたからだ。
敬太郎くんが小声で言った。

「みんな気をつけろ。こっち見とんで」

われわれが頼るのは、敬太郎くんしかいなかった。
一番年上の3年生だったから。

全員、足をとめて、様子をうかがっていたが、そのとき事件が起きた。
日ごろからお調子者のたかしくんが、こともあろうに、その子たちに話しかけたのだ。

「ガム売ってるかなー。10円のガム」

おいおい!話すのかよ!
全員が、たかしくんを見た。

お調子者ですぐに怪我をしてしまうことで有名だったたかしくんだが、こういうときの突破力を持ち合わせていた。人間の力はなかなか通常時にははかれないものだ。なぜなら、非常時こそ、他の人間にはふるまえないようなふるまいができる人間も、なかにはいるからだ。
たかしくんは、こういう非常時に、役に立つ人間だった。
もう、他のメンバーはだれもが怖気づいてしまい、年下のけんちゃんはもうあとずさりをはじめたくらいだったのに、たかしくんだけは

ふだんの調子で

あるいは、

ふだんの調子に、さらに輪をかけたようなテンションで

ずかずかと、その建物に近づくことができた。

それは正解だった。
たかしくんがその『店』に入ると、おばあちゃんが出てきたのだ。
そして、ふつうに声をかけてくれた。

「おやまあ、どこから来なすった」

たかしくんは、カクダイの10円ガムオレンジ味を期待していたようだが、それはなかった。
私たちはふだんから、10円のガムをいくつか買う、というようなことしか仲間内ではしなかったから、それ以外を買うつもりはなかった。
よく見ると、食料らしいもの、野菜やなにかが並んでいるようで、お菓子のようなものはほぼ、そこには見当たらない。しかし、さまざまなものが手に取れるように陳列してあったり、奥にお金をしまうような場所もあったから、やはりお店であったのだろう。

たかしくんだけが、そのおばちゃんと話をした。
話をしていると、2人の子も、元気がついたらしく、やがて近づいてきた。
一緒に遊ぶか? というような話にもなった。

ところが、やはり髪型もちがうし、服装も違うし、なによりそのお店(建物)全体が醸し出す雰囲気がどうにも「現代風」ではなかったので、たかしくん以外はもうはやく帰りたかった。
とくに一番下のけんちゃんは、泣きそうになっていた。

で、帰ることにした。

すると、おばちゃんが恐ろしいことを言った。

「もう、ここには来ない方がいいでな」

2人の子どもも、同じことを追随して言った。

「こっちの道には、入ってきちゃいけんで」

たかしくんは元気に手を振って、2人の子にさよならを叫んだ。
帰り道は、敬太郎くんの足がぐんぐんと速くなっていたから、必死でついて歩いた。
藪の道がやけに長く感じた。
途中の景色がみえるところまでくると、敬太郎くんは、もう我慢ができなくなった、というように走り始めたので、全員で必死になって走った。
夕暮れだったし・・・みんな、沈黙していた。

なんだったのだろう。

帰宅して親に話すと、

「あそこは入っちゃいけん」

と言うだけであった。
翌日確認すると、敬太郎君の家でも、
「あそこは行ってはいかん」
とのことだったらしい。

だんだんと、この話題は下火になった。
その後も、登下校中に何度かその道が話題になった。
けんちゃんは、この道のことを、
「むかしに行く道」
と呼んでいた。
興味をもった友達も他にいるにはいたが、とても勇気が出ない。何度か入りかけた子もいたが、果たさなかった。
そのうちにその道は、入り口に材木が置かれるようになり、閉ざされてしまった。

今から40年以上前の話だ。

夏休み、ときおりふと、当時の情景が浮かぶことがある。
何十年と経っているのに。
あの強烈なひざしと、せみしぐれと、汗のにおい。
土の上を、草をよけながら、ぐんぐんと歩いたときの、あの感じ。

おばちゃんとあの子の「ここへ来ちゃいけんで」というのは、どんな思いだったのだろう。

子どものときに見た風景は、一生、思い出となって、自分の中にしまいこまれている。
今でも、せみしぐれを聞くと、ふと、よみがえる景色がある。

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愛知県の良さ

愛知県の小学校教員でよかった、といつも感じております。

わたくし新間草海の勤務校は、愛知県の小学校であります。
愛知はよいところです。

子どもたちと調べていくうちに分かったことがあります。
それは、愛知県には寺院がとても多いこと。
3年生で街の地図をつくってみたら、近所の寺院の多いこと、多いこと。
昔ながらの地形も地名も残っているし、落ち着いた雰囲気はこんなところから醸し出されるのかも。

夏休みの今、わたしも、
地元愛知のよさを、
味わっています。


あとは、ひつまぶし、ですね。
うまいですよ、ひつまぶし。
うなぎを食べましょう。
うなぎの茶漬けも美味で、おすすめです。
もう土用の丑は過ぎたけど。(夏以後もあるけど)

わたしは現在愛知県の小学校に勤めていて本当に良かったと
重ね重ね、感じております!

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おじさんだもの

今までさほど気にしていなかったが、コレステロール値が高くなっていた。

大きな病院での人間ドックを受けた。
さすが大病院で、廊下が長い。
待つ時間も長い。
説明も長い。

「〇〇の窓口でこれこれをし、次の曲がり角をまがってこのファイルを出し、その後ここへ戻ってきて〇〇をし、声がかかるまで〇〇をしてください」

これを超忙しそうな看護師さんから、たった一息で言われると、体が凍りそうになる。
もう一度聞きなおすのは、とても気の毒でできない。
看護師さんの目をみると、マスクの上で気の毒にもせつない大きな二重瞼が。
その下に、
「これ、一回で覚えてね。わたしとんでもなく忙しいので、一回で覚えてね」
という瞳がうるうるしている。

しかしやはりわからないので、大変失礼ですが、と前置きしてこちらも恐縮して尋ねる。

「えっと、これをしたあとにかどを曲がってこれを受けて?・・・」
「いえ、ファイルを出したら戻ってきて〇〇、です」

もうそれ以上聞くのは、かわいそうで無理だ。
お互いに絶望に近い表情になりつつ、お互いの安否を気遣いつつ、そこで別れることになる。

長い廊下を、必死で歩く。
行き交う白衣の方たち。
病院というのはなんでこんなに、『必死な空気』が充満しているのだろう。
ひとの命がかかっている、という感じがする。

長い廊下を歩いてたどり着くと、A棟ではなく、そこがB棟であったことに気づき、戻る。
行き過ぎたのだ。

肺活量を調べるところで、すんでのところで倒れそうになった。
死ぬほど吐いてください、とおっしゃった看護師さんが、わたしのすぐ横で、力士のようにふんばった格好で、

「はい!!そこで、フーーーーーーーッッツツっと!!!!」

とおっしゃる。
わたし以上の、必死の形相だ。

「はい、吐く! 吐く!! 吐き切る!!!」

病院のフロアの隅にまで、彼女の大音声が響いていく。

「もっともっと!!!吐けるだけ、いっきに吐くぅぅぅッ!!

わたしの横で励ましてくれるのは、中腰姿の看護師さん。
白鳳が四股(しこ)を踏むところかな、と一瞬、思う形だ。
土俵入りを思わせる。
わたしも思わず、看護師さんと同じような、土俵に入る格好をとってしまう。
そして、思い切り水色の筒を咥えて、首をふりながら息を吐く。

肺の空気がすべて、この水色の筒に吸引されたかと思ったとき、目の前がくらくらした。

すると看護師さんがパソコンの画面をチャッチャと操作して、急に事務的な声になり、

「はい。今の調子で。つぎ、本番です」

と言った。

こんなに頑張ったのだから、なにか欲しかった。
音楽が鳴り響いて、くす玉が割れてほしい、とまでは言わないが。
少なくとも、抱擁して「がんばったね!」くらいは、言ってほしかった。

こんな活動が、胃カメラ、エコー、眼底検査、聴力検査、さらにあれこれ。

ぜんぶ回ったところで、確信したのは、「病院は元気でないと来てはいけない」ということだ。

最後に医者が出てきて、総合的な診察をしてくださる。
わたしより若い医者で、ちょっと複雑な気持ちになる。
いや、若くてもいいんですけど、予想とちがったから・・・。

予想していたのは、白髪交じりのおじいさん。
ひげを生やした、ご年配の先生が貫禄たっぷりに、

「はい、あらまさん。えっと、コレステロールが高い、と。はい、これ。不摂生ですね。夜中になんか食べちゃう?はい、はい、そうですね、ま、ま、加齢もあるのでね。ちょっと我慢してもらって」(森繁久彌の声)

というのなら、わかる。
素直な気持ちで、「気を付けます」と言いたい。

ところが、出てきた医者が、まだ20代か30そこそこの若い彼。

めっちゃ、年下やん!
すげー違和感あるー、と思っていたら、やはり

「50代なのでね。これからが大事で、いろんな病気にもつながりますからねー」

とかなんとかいう。
いやあ、若い人に言われると、余計になんか、ちょっとがっくりくるものが・・・。

おじさんなんだからね。
夜中、食べたいからって食べてちゃ、いかんのよね。
我慢しなきゃネ。おじさんは、ガマン!

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なにを食うか、ということ。

給食がおいしい、ということ。
それが、もっとも基本かと思う。

「おいしかった」

という感覚が、子どもたちの脳裏の奥底、心の深奥に残っていくかどうか。

人生を肯定的に見るかどうか、
人生観の大事な部分を、教育することはできない。
教えて、なんとかなるものではない。
人生のことを、こう考えなさい、というので、子どもたちがみんな

「はい、わかりました」

といって、そうなるものではないからネ。


となると、もはや残された道は、「愛された実感と記憶」しか、たよるところがない。
いちばんは、メシだろうか、なあ・・・。

いつも腹いっぱい、うまい飯を食えたという実感。
手が込んでいてもいなくても、それはともかく、大人が忙しい中でも、食事だけはあたたかいものをと用意してくれたよなあ、とか。
たくさんよそってくれて、「おなかいっぱいになった?」と聞いてくれたっけ・・・とか。
これ、腹の底から実感があるのであれば、人生を肯定的にみなさい、とらえなさい、と100万回言われるより固い幸福が手に入るだろうと思う。


給食費がコストととらえられて、「削らなきゃ」と判断されることほど、つらいことはない。
たしかに民間企業であれば、もうけがなければならない。
しかし、コストを削ることに夢中になるあまり、子どもの大切な自尊感情を削っていいわけではない。給食を提供する民間企業は、多くが子どもたちへの愛情を元に、仕事を進めていらっしゃることだろう。しかし、それも「経営」が成り立っての話だ。厳しい経営事情のもとで、コストダウンを考えない経営者はいない。野菜の品質を落とし、コメの品質を落とし、コストの高い果物は減らし、量を減らし、冷蔵のコストを減らそうとするのが、当たり前だ。それが、常識なのだ。


子どもを育てる、ということに、コスト意識で向かわねばならないのが、つらい。
子どもに、食を用意する、食べさせる、ということについて、できるだけコストよりも先に、子どもたちの心からの満足を先に考えていきたいものだ。経営の厳しい今の時代、なによりもそれが難しいのだけれど・・・。

それにしても、なにを食べるかというのが、人生のなかでも、ひときわ大きな「こと」のように思える。あと一生のうちに、何度食事をするか分からない。
自分が自分に対して、

「なにをどれだけたべるか」

ということを、真剣に考えたくなる。
要らないものは、要らない。
自分にとって、「これを食べていたい」というものを、大事に、大事に、ひと口、ひと口、味わっていきたい。そして、その「食」に、できるかぎり、かかわっていたいと思う。

こういうことを考えるようになったのも、年をとった、ということだろうなあ。

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愛知県は暑い!急に暑くなりよった・・・【悲鳴】

わたしの勤務する学校は、愛知県にあります。

今週より夏休みに入っているため、子どもたちと会うことはほとんどありません。

ですが、学校のプールを少しの期間、開放しております。

で、学校で会います。

ご機嫌です。

みんな。



そして、おそろしいことに

「先生、宿題ぜんぶおわらせたったー」

と、ニヤッと笑います。



「なんで先生、体育二重丸やないの」

と文句を言う子もいます。



「アイス買って食べようっと。いいだろう」

と、財布をみせびらかす子もいます。

「職員室、クーラーないの」

あるわけないでしょう!!

足元に汗がたまるくらい、暑いっての。

汗で、びったびた、です。

なんにもしてなくても。

書類をつくってるだけで、汗が噴き出てくる。


したがいまして。

学校で、2回ほど着替えます。

びったびた。

職員室、30℃は超えてます。とっくに。

廊下の床が、冷たく思えるので、おもわずそこに寝そべりたくなります。

実は、クーラー、あるんですよ、職員室には・・・。

でも、使いません。

お金がないから、ダメ、と。

市から、指導があります。みんな、ちゃんと守っています。先生だもの。




びったびた!



涼しいところに、行きたいなあ。


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なぜ「きのこ」に執着するのか

雨が数日降り続いた後、近所の裏山(岡崎市内)に分け入っていく。
朝、こころの落ち着く、しずかな時間だ。
ひとりだけの、自分と向き合う、大切な時間。

すると、粘菌たちが、話しかけてくる。
「そろそろ」
「そろそろ、いいか」
「わたしはここに」
「おれはここにしようっと」

目に見えない、菌たちの世界が、豊かに展開している。
人間たちの喧騒をよそに、着実に、菌の世界を広げている。

わたしは、きのこが好きだ。
自分の小腸の中にも、菌はたくさん住んでいるが、森の中にも菌は住んでいる。
森は、菌たちの合唱会だ。森にこだまする、菌たちのコーラスを聞くがいい。

そして、その菌を人間は食べる。
菌は、小腸の中の菌たちと、呼応し、響き合い、人間の身体の中で、すてきな音楽を奏でようとする。

バターで炒めるのもいい。
オリーブオイルも合う。
軽く炒めてから、味噌汁へぶちこんでもかまわない。

いちばんいいのは、紅茶きのこ、だ。ご存知ですか、紅茶キノコ。
1970年代に大ブームとなりました。ご記憶のある方も多いでしょう。
当時は、芸能人ならほぼ全員が『紅茶キノコ』を飲んでいました。
テレビのワイドショーはもちろん、新聞雑誌の特集も、みんな『紅茶キノコ』でしたね。

しかし、時代はそこから3周くらい回りました。
1980年代には、「あの紅茶キノコブームはどうなった!?」と特集されていましたし、
1990年代には、「おっとどっこい、生きていた紅茶きのこ」と報道されていました。
2000年代と2010年代で、もう一度ブームになりかけていましたが、今ではほとんどの人が紅茶キノコなんて知りませんし、話題にしません。

わたしは両親が第一次『紅茶きのこブーム』の世代で、当時子どもでしたが両親のおこぼれにあずかって、飲んでいました。もう一度、あの紅茶きのこを、飲んでみたいものです。

ところが、そのきのこを探すのが至難のワザ。
今年も山に分け入ってみましたが、見つかりません。
紅茶キノコは、一体どこに生えているのでしょう。(注:紅茶キノコはキノコではありません |д゚))

(※白いキノコは猛毒注意)
食べてはいけない


わが地元・岡崎市、クーラーの設置!

やった!クーラーの設置だ!

わが地元、岡崎市の教育委員会は、英断を下した。

それが、クーラーの設置である。

「岡崎市教育委員会は31日、市内の小中学校67校のすべての普通教室にエアコンを設置すると発表した。2020年6月までに工事を完了させる。新たにエアコンを設置するのは、すでに設置済みのプレハブ校舎にある5教室と特別支援10教室を除く小学校47校、中学校20校の計1194教室。」


夏休みを延長する案が、文科省から出ていたけど、どうなるのかナ・・・。



参考まで。

公立学校施設の空調(冷房)設備設置状況調査の結果について(H29.6.9)

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/06/__icsFiles/afieldfile/2017/06/09/1386475_01.pdf


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わが地元・岡崎市の夏は、これで決まり!

フィッシュオン 岡崎、という施設をご存知でしょうか。

わが地元、岡崎市には「フィッシュオン!」という言葉があるのです。

魚に、ねらいをつけて、オン!

という意味か・・・と。

それが、フィッシュオン!

・・・



この夏は異常に暑いらしく、戸外で遊ぶにはちょっと勇気が要る。

そこで、屋内施設のあそべる施設が大人気だ。

なかでもすばらしいのが、このフィッシュオン。



大池、金魚池のチケットにはエサ、竿、タオルが含まれている。

だから、おでかけは、手ぶらでOKだ。

また、餌も、生餌ではないから、ゴカイや虫を針につけるのが苦手な人でもだいじょうぶ。

おすすめは、チョウザメだ。

みんなでサメに、フィッシュオン!

・・・



サメだけではない。

鯉も、おります。

めずらしい鯉もいるし、小さなものから、大きなものまで、たくさんの鯉がいる。

そう。あなたと鯉との、新しい出会いがある。



新しい鯉の予感がする!

・・・



わが故郷、わが地元、

わたしの勤務校がある岡崎市内

の、名物プレイパーク。

それが、『フィッシュオン、岡崎』だ。

地元っ子として、たいへんに自慢できる場所である。

ぜひ、今すぐ、日本全国から、遊びに来ていただきたい!



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子どもの名前を忘れる恐怖!

わたしは、人の帰属に関心が薄く、ひょんなところで同僚に会っても、

「〇〇小学校の〇〇先生」

というふうに思い出すことができない。

「あ、知ってる先生だ・・・。あれ?どこで会った人だっけ?」

となることが多くて恥ずかしい。

帰属による「つながり意識」よりも、「一宿一飯の義理」の方がしっくりくる。



地元・岡崎市内のスーパーで、ほんのちょっとカートを動かして道を譲ってくれた、見知らぬ人のほうに、妙な親近感を覚えたり、なつかしさのような親愛の情をおぼえて、話しかけたくなったりする。
そういうことの方が、どこそこのだれだれ、という帰属よりも、人間と人間のつながり、という点で、リアルに感じる性格なのでしょう。




夏休みでぼけたのでしょうか。

スーパーで、どこかでみたような子どもがいて、わたしを指さして

「あ!先生だ!」

と言われると、ドキッとして隠れたくなる。

わたしが、相手の名前を忘れているからであります。

今年、担任している子はまだ大丈夫だが、昨年、一昨年となると、すぐには名前が出てこないことが、たまーに、ある。

かつて、同じ教室で毎日のように顔をつきあわせて、共に過ごしていた子どもの方よりも、目の前の見知らぬおっさんの方に、ちょっとカートを動かしてくれた、ささいな心遣いを感じて、親身に感じるのは、いったいどういうわけだろう。

夏休みのスーパーは、不思議な空間です。

相手が私に感じているであろう距離感と、まったく異なる距離感を私は感じているのです。
向こうは、かつての帰属意識を元に、わたしとの距離を測ってきます。
ところが、わたしはその「かつての帰属」は、あまりリアルではないのです。

見知らぬおっさんにも、そしてかつて教え子だった、幾人かの子に対しても。


きっと、前世は、渡世人か、「流れの職人」だったのでしょう。

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浮く話し

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スタッドレスタイヤにしたのをいいことに、
雪のふる中を、ちょっと遠出して地元・愛知県の、
とある温泉へ行ってきました。

身体って、お湯に浮くのですね。

呼吸していると、ちょっと上下しますが、
お風呂の底よりも、わずかに上のところで、下半身がとまりました。
つまり、浮かびもせず、沈みもせず、というところ。
ちょうど、浮力とつりあったのでしょうか。

頭だけは岩風呂の岩にのせてあるのですが、
その一点をのぞけば、あとはすべて、ふしぎな感覚で
水中にとどまっています。
このとき、得も言われぬ、なにか不思議な浮揚感につつまれました。

力は完全に脱力。
背中、肩からうで、指の先までずっと脱力。
おしりも脱力。
あごがぎりぎり水面につくか、つかないか。
そのまま、フーっと浮いている。

人の入ってこない湯船の中で、ゆーらゆら、と
ほとんど20分ほど、浸かっていました。
湯気の消えていく東屋の天井をみあげて、ぽたり、ぽたりと
時折落ちてくる水滴を感じながら、ほとんど呆けたようでした。

まわりには、他に人もおらず、わたしが目を閉じると水の音だけ聞こえてくる。

すると、非常に集中するといいますか、
むずかしい数学の問題を解こうとして集中したときのような、
自分の思考だけが目に入る、そういう状態になりました。

不思議なことに、
わたしゃ、頭の中でゆーっくりと、授業をしているのです。
理科の授業でしたかな。

そして、子どもの顔が思い浮かびまして、
子どもがそれはそれは自由に、
なんやかんやといろいろと発言しました。
わたしはそれをずっとだまって聞いていました・・・。



ふと、こんな思いが湧いてきました。

この豊かなお湯が、なぜここまで潤沢に、あるのだろう。
なぜ、わたしはこの豊かさに、包まれていられるのだろうか、と。

わたしはもう、すっぽりと、
全身を、何か得体の知れぬ『豊潤さ』に、
背中も表も、上も下も、ぜーんぶ
おおわれて、つつまれて、浮いてる。

この、
「ほうら、人間さん、幸せやろ!?」
というの、
何だろうか。

この幸(さち)、この福(ふく)、
果たしてなぜ、あるの?

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愛知県って? 4年社会『私たちの県』

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『愛知県とはどんな県か』
愛知県の特徴がよくわかる弁当を考えて、描いてみよう。

愛知県をざっくりと、A) 尾張・犬山・小牧、それからB) 名古屋、さらにC) 三河・渥美、そしてD) 知多に分ける。

それぞれの特産品が、副読本に掲載されているから、イラストを見ながら
たくさん作られているもの、他の地域には無いレアなもの、と分類する。

4年生なら資料を開いて、
みつけて、
分類して、
書き写す。
ところが、これが難しい子もいる。

〇たくさんあるものはどれ?

このくらい、やさしい課題なら、誰でもできる。


1) 尾張でたくさん作られている農産物や工芸品はなにか
2) 尾張地方でしか作られていないような物はなにか

これを、名古屋、三河・渥美、知多でも行う。

子どもたちは一生懸命に資料を読み込んで、

「先生、ぶどうの絵が一番多い!」

とか、

「え、桃の絵の方が多いよ」

とか、

イラストの絵の数を数えて、どんな地域でどんなものがつくられているのかを調べていく。

平野部と山間部では、作られている作物がちがう。
また、半島や島では、産業そのものがちがう。

レアな産業、レアな農産物や工芸品があれば、どうしてそれがその地域で作られているのか、考えを発表し、交流する。

農産物は、気候風土に関係することがほとんどだから、
その土地で何がとれているかを調べていくと、結果として、その地域の気候風土が分かる。


最後に、愛知県のスペシャル弁当を作る。

愛知県ならではの、名産物を詰め込んだ、弁当だ。
しかし実際には弁当は作れないから、お弁当のイラストを描くようにする。
各地の名産品を、たっぷりと詰め込んだ弁当を、子どもたちが自由に考えていく。

箸にこだわったり、弁当箱の形にこだわったり、
デザートに凝ったり、メインのおかずにこだわったり、

愛知県ならではの、岡崎ならではの、郷土愛にあふれる弁当の図案が
どんどんと完成していく。
わたしのイチオシのおかず、を発表すると、盛り上がる。
友だちのアイデアをみて、いいな、と思うおかずを紹介したりもイイ。

最後に、弁当とともに、愛知県とはどんな県か、を作文してまとめ。


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しわだらけの手で搾る、オレンジジュース

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父が亡くなったのに、母が一人で店をやる、という。

第一、この夫婦、もともと商売などやったことがない。

二人とも定年で暇になり、ものはためし、とやってみただけの店。

儲けなど、度外視である。



名古屋圏ではほとんどの喫茶店が、

モーニングサービス

をする。

なのに、ここは、ただの珈琲だけ、だ。



なんでモーニングをしないの?と訊くと、

「だって、たいへんだもの」



父は、店のシステムをシンプルにした。

もちろん、老人である自分たちがやれるように、だ。

お会計は税込みで500円。

珈琲も紅茶も、コーヒーゼリーもお抹茶も、すべて500円。

なんでかと訊いたら、

「だって、間違えないでしょう。おつりだってわかりやすいし」

なるほど。老人が無理をしない設計だ。



オープンしてすぐに、コーヒーの専門業者が売り込みに来た。

1日100杯以上、対応できるというドリップの機械を買え、という。

「そんなに客が来たら、命に関わる」

と、父が即座に断った。





かと思えば、経営のコンサルタント業者から、電話もかかってくる。

「売り上げを伸ばす講習に来ませんか?」

母が、申し訳なさそうに、断っていた。

「庭の木が伸びすぎてるから、切らないといけないから行けない」

向こうは、この老婆はボケてると思ったらしく、捨て台詞を吐いて電話を切ったそうだ。

「伸びすぎるのもねえ・・・」

困惑した顔で母がつぶやくのを聞いていると、

この夫妻が喫茶店の経営に関わるのはどう見ても

間違ってると思いたくなる。




よく来てくれるお客さんが、オレンジジュースが好きだ、というのを聞いて、

メニューにオレンジジュースを加えた。

それも、ただのジュースじゃ面白くないから、生(なま)のオレンジの実を、搾ることにした。

母が、丸いオレンジをまな板の上で輪切りにし、それを半分ずつギュッと搾るのをみて、

カウンターに座ったお客さんが思わず、

「えっ、ママが搾るの?え、じゃ、いいよ、いいよ、搾んなくても・・・!!」

あわてて別の客が、

「俺が搾ってやろうか?」

とまで口走ったそうだ。



小柄な老婆が静脈の浮き出た細い腕で、ぎゅううう、とオレンジを搾ろうとしたから、

その場にいた若い者はみんな、驚いただろう。



客が口々に、

「いやあ、驚いた。もともとビンか何かに入ってるのをコップに入れて出すんだと思った。そしたら本当に搾るからびっくりした」

母が一生懸命、40キロしかない全体重をかけて、うーんしょ、と搾っているのを見て、

客全員が、

「やめて!」

と悲鳴をあげたんだから、手搾りオレンジジュースが、いかに恐ろしい企画だったかが分かる。



「うちのお客さんは、わたしがまだ生きているかどうか、たしかめに来てるみたいよ」

店の主人を心配して、やってくる客。

「ママさん、体調、大丈夫?」

老人が店をやると、こういうことになる。




わたしは息子として、きっと、客に感謝して回らなければならないだろう。

今度、お客さんにお菓子でも配ろうかしら。

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母の店

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父が死んだあと、喫茶店を閉めておりました。

ところが、母が突然、

「また、やろうと思って」

と、復活宣言。

店を改修し、老婆が一人で、喫茶店を再開することになりました。

「お客さんが来てくれるうちは、ねえ」

わたしは、もうこんだけ働いたんだから、ゆっくり過ごすのかと思ってたので驚きました。

「一人じゃ、大変じゃない?・・・本当にやるの?」

「あい」



ギャラリーも、復活するそうです。

絵画に限らず、洋裁、裁縫、布製品、革製品、陶芸、書、

世の中には、自分の作品を世に問う、という姿勢の作家さんがたくさんいるので、

こんな田舎の小さなギャラリーでも、けっこう希望される方がいるようです。


「作家さんたちと、作品を受け取ったり展示したり、大変だよ?

お父さんがいないんだから、もうギャラリーは無理じゃないの?」

「いいじゃない。こんなおばあさんだもの。だれも期待しないよ。作家さんが自分でちゃんと飾るよ」

「そう・・・?」





作家さんたちは、自分の作品をつくるのはプロ。

しかし、ごくたまに、作品を展示する仕方や、照明の当て方など、

けっこう悩む方もいる。

そこにアドバイスをして、父が場所や照明を工夫すると、

「この方がいい!」

と喜んでくださる。

「だいじょうぶ。作家さんたちに、好きなようにやってもらえばいいんだから・・・」



まあ、人生は一度きり。

母には、母の人生があります。

よくよく考えた末の結論、ということでしたから、

また再び、お店を楽しんでほしいと思います。

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落雷後の犬山城を見に行く

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「国宝・犬山城の鯱(しゃちほこ)に雷が落ち、半壊した!」

そんな、衝撃のニュースが飛び込んできたのは7月12日のことでありました。

愛知県人のわたくしは、もう本当にいてもたってもいられず、

その日のうちにも見に行きたかった。

ようやく行けるようになった夏休み、さっそく犬山城へ直行。

信奉するいわしの頭の神様に祈りをささげ、

温泉で身を清めてからの城入りとなりました。

風雲告げる城


駅近くの橋から眺めた犬山城は、嵐の直前。

まるで、泣いているようでした。

落雷でくだけちったシャチホコを補修するため、足場が組まれていました。

こうなったら一刻も早く、元の姿に戻ってくれることを祈るばかり。

作業をする方たちの安全を祈願し、橋の上から何度もいわしの神様に祈りを捧げました。

犬山城は現存する木造天守閣では日本最古といわれています。

木曽川が削った段丘の、いちばん高い、いい場所に、城がありますから、

市内からとてもよく城が見えて、かっこいいです。

犬山城の天守閣が、無事に元通りになるといいなと思います。





尾張徳川家のお殿様が、武士の時代が終わるとき、

犬山城に関しては、

「ひとつくらい、個人所有の城があってもよい」

とおっしゃったため、当時の城主であった成瀬家が、

個人で管理しつづけてきたそうです。

わたしが子どもの頃は、犬山城といえば、「なんだか珍妙なタイプのお城」って、イメージ。

だって、個人所有なんだもの。

「え?あれ、個人の家なの?」




しかし、最近になって、長年の悲願であった「譲渡」が可能となり、市が管理するようになりました。

成瀬家の方たちは、ずいぶんとホッとしたことだろうと思われます。

よかったですね~。


ふと、木曽川に目をやると、昔ながらの船頭さんたちが、川面をつーっと、

船で行き来されていました。地元の方にきくと、今夜、花火があがるのだ、ということでした。

木曽川の船頭たち2

教室、という平和の砦(とりで)

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ついに岡崎の夏が始まりました。

夏休みです!!

(まだ夏休みでない地域の小学校の先生たち、ホントにご苦労様です・・・)



さて、夏休み入ると、子どもたちが学校に来なくなるので、

わたしはずいぶんと、さみしい思いをもつ。

しかしまあ、そんなことはどうでもいい。



教室というのは、なんと平和で、あたたかくて、居心地がよくて、

面白くて、人が大好きになってくる場だろうか。



わたしは1学期のささいな子どもたちとのやりとり、

子どもたちどうしのおしゃべりや、どうでもよいような事柄を、あれこれと思い出す。



そして、なんども、それを反芻し、幸福な気分に浸るのであります。

人が好き、というのは、なんとも象徴的なことだ。

子どもは、どうしようもなく、仲の良いもの。

けんかもするし、いさかいもあるが、なんとも本気で、人が好きで、友達が大切でしかたのない人たちであります。



教室が、いかに人生のヨロコビに満ち溢れた場所か、

多くの大人がしかめつらで生きているのを見ると、

なんとも申し訳ないが・・・。






世の中の、さまざまな気にしなくてもよいことを気にせず、人がどうしてこうも人を大切に思うのだろうか、ということを、ありとあらゆる教室の中の事象でもって、確認していける日々は、もうこれ以上ないほどの幸福だ、と思います。


この、小学校の教室のもつ価値に、賢い大人の、だれも目を向けない。

(しかし、目を向けられると、不要な世話を焼いてくる可能性もあるから、このままでよいのかもネ)

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子育て応援フェア「つながる子育て in おかざき 2017」

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久しぶりに、わたしの住んでいる岡崎のことを。

いよいよ来週にせまってきました。

子育て応援フェア「つながる子育て in おかざき 2017」が開催されます。

市内で活動する子育て支援団体が集まります。

ワークショップやステージイベントなど様々。


なかなか、たのしい一日になりそうです。

こういう情報交換の場は、とてもいいと思います。

顔見知りが増えるのも、ちょっと楽しみですよね!

小さなお子さんをお持ちのお母さんお父さん、親子でぜひ遊びに行きましょう!




開催日時:平成29年6月3日(土) 午前10時~午後3時
 場 所:図書館交流プラザ りぶらホール・お堀通り


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フォークシンガー岡崎やすしが歌います

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愛知県岡崎市在住のフォークシンガー、岡崎やすしさん。

わたしのブログを見て、歌ってくれました。

私の住む、愛知県岡崎市のこと

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たまには、わたしの地元、岡崎のことを話そう。

わたしは岡崎で生まれ、ずっと地元で過ごしてきた。

(ま、ほんのちょっと、転職であちこち移動があったけど・・・)

ともかく今は、岡崎市の教員である。

岡崎の良い所は、なんだかいろんなものが、

ちょうどよい

ところだ。



特に都心というわけでもなく、

かといって

すごく田舎、ということもない。このくらいが、

ちょうど、よい。



おしゃれな店が立ち並ぶ、というわけではないが、
近隣にもちょいと足をのばせばよいだけで、
名古屋にも簡単に行けるし、
ちょっとしたドライブなら本当に見どころも多いし、退屈しない。

わたしは東岡崎駅から、乙川をわたり、岡崎城へ向かうルートは本当に好き。

食べるお店も、たっくさん、ある。

人気のあるところもあれば、人気(ひとけ)のない、幽玄な森の中、

平家の時代の八面石塔など、これまたわくわくするようなスポットもある。

まこと、岡崎はおすすめの『ふるさと』なんであります。
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岡崎市民で、良かった!!

愛知県はいいところです

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わたしが通っている勤務校は、愛知県の小学校である。

愛知県では、机を動かすときに、机をつる、という。

これは、他県の方には分からない意味不明の表現だ。

「机を釣る?」

とか、

「机を吊る?」

とか、妙な顔をされて、攻撃される。


そんな日本語は、ない、と。



しかし、今日も教室では相変わらず、子どもたちが

「つくえつって!」

と言い、

「そのつくえつって!!〇〇くん、つくえつりの係でしょ!」

と、会話している。

なんなのだ。
『机つり』とは・・・?




あと、えんぴつを削って、先の芯をとがらせるときに、

「このえんぴつ、トキントキンだー」

という。

トッキントッキン、とも言われる。意味が強まった場合だ。

「すげえ、〇〇くんのえんぴつ、ぜんぶトッキントッキンだー」

というように使われる。

なんなのだろうか、トキントキンって。





あと、これはもうかなり有名だが、自転車のことを、ケッタマシン、という。

なんなのだ、ケッタマシン、とは。





これもあれも含めて、ともかく味噌カツの美味い名古屋は、いいところだ。

なにもかもが、ちょうど良いからだ。

地下鉄の駅の間の距離感も、錦通り、都通り、桜通りの間の距離感も、テレビ塔の高さも、なにもかもがちょうど良い。
努力しても、決して、1番になりきれないところが、良い。



きみも、トッキトキの鉛筆を持って、机をつって、ケッタマシンで風に吹かれれば、愛知県人になれる。

ああ、愛知県!!ビバ、愛知県!!

味噌カツ

男風呂はなぜ静かなのか

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男風呂というのは、なぜこうも、静かなんだろうか。
若者も老人も、みんな自然と口を閉じて、静かに過ごしている。

わたしはあごまで湯につかりながら、洗い場に並んだ背中をぐるり、見渡してみた。

日帰り温泉の洗い場の、腰掛にすわった背中はどれも、生きて動いている。
どの身体も、筋肉がもりあがり、背中をこすったり、頭をぬらして洗ったりしている。

老人たちは、すべてに無駄がない。
所作ふるまいのすべてが、一直線のゆるぎないもの。

シャワーに手が伸び、顔にお湯を当てる。
ひげそりに手が伸び、しゃぼんを顔につける。
ひげをあたるスピードも角度も、決まりきったその道筋、終点までの力の入れ具合。
すべて、この人はずっとこれで、やってきたのだ。

ひげが済めば、流れるような所作で、頭を洗う。
数回濡らして、泡をつけ、指の腹で勢いよく、頭皮をこする。
ほとんど無くなりかけた頭髪の、微細な力のコントロールもまた、無意識に調整されたものであろう。
見ていると、身体から流れ落ちた泡が、隣へ流れていかないように、

サッ

とシャワーを一瞬だけ矢のように動かした。
シャワーから零点何コンマの短い間に湯が流れ、自分の出した泡をきちんと自らのエリアの排水口へと流していく。決して、泡を他へ向かわせない。

わたしはこの男の人から、なんとなく目が離せなくなっている。
手際のよい一連の動作に何とも言えないリズムがあり、見ていて心地よい。

寸分の狂いもなく、時間の無駄もなく。
最低限のスペースで、己の要求するすべての所作を、終えることができる。
さすがは、人生の先輩。
見事としかいいようがない。



すべては、無言のまま貫かれる。

日本人にとって、『湯浴み』とは、いったい何なのだろうか。



見ていると、先輩はもう一度、見せ場をつくった。
最後に、勢いよく、「パシャッ」と音を立てたのだ。
これは、「終わったよ」という合図であり、告知であり、自分自身が汚していた場所の、「清め」の「水流し」である。

そして・・・極めつけは・・・


カコーーンーー・・・


(桶をひっくり返して置く音)


ほうら・・・、エコーを響かせて、聞こえてくるでしょう?



ここまでくると、芸術だという気がする。
これが、日本中の銭湯で、老人たちが行っている、『銭湯の作法』なのだ。


無駄を省き、誤りを減らす、正確で効率的な動作の仕方。
それが、「作法」と呼ばれるものの本質であろう。

合理的で、リズミカル。
失敗を回避できる余裕をも内包し、なによりも精神を圧しない。
ストレスからもっとも遠い道、脳内の余白を保つ知恵・・・。

そう、まさにこれが、人間の知恵なのだ。

心地よい、マンネリズムに揺れながら、人間の内面を癒す所作こそが『作法』とよばれるもの。
人間と物との関係が、これほどまでに調和することがあろうとは。


今や、湯船につかった先輩紳士は、あまりにもぴったりする風景の中で、じっとまぶたを閉じている。
紳士の禿げあがった頭部の向こうに、白いもやのかかった雪山の頭頂がちらりと、姿をのぞかせていた。

絵になる男はいつでもどこでも、絵になるものである。
あるいは、絵の中に入り込める人であるのだろう。


「かっこええわあー・・・」

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岡崎の夏がはじまった!

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わたしが勤務している岡崎市の小学校は、とっくのとうに終業式をむかえて、
夏休みに突入している。


ところが、どこぞの都道府県の中には、まだ終業式になってません、という地域もあるらしく、本当にお疲れ様、と言ってあげたい。




さて、岡崎の夏は、夏の大花火大会があり、市内はたいへんに盛り上がる。

さらに、名古屋市内へ足を延ばせば、これはもう、夏休みのイベントだらけである。

わたしも、名古屋へ行く!!!

岡崎からすぐだし。



なんてったって、

わたしは岡崎市在住の人間である!!!



テレビ塔のあるセントラルパークで、エスプレッソを飲んだとき、この世にこんなうまいコーヒーがあるのか、と驚いたものだが、たしか、うんじゅうねん前で、420円であった。値段まで覚えている。

それを、飲みに行く!!!


ついでに、キノシタホールかシネマテークで、しっぶい映画でも見つつ、
ちくさの正文館(本店)で、雑誌『東京人』を買い、「ガロとCOMの時代」について
古田店長としばらく雑談をしてこよう。

これで、名古屋を堪能できるはずだ。


ビバ、夏休み!!


すがきや

【実体験】愛知に来たら花粉症が治った!

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愛知に引っ越して来てから、花粉症が治ってしまった。

どちらかというと、山や森が近くにあるから、不思議な気がしていた。
もちろん、杉やヒノキの木もある。

だから、もしかすると、引っ越したらもっと悪くなるかもな、という不安があった。
咳、鼻水、鼻づまり。
引越しする前は、飲み薬に点鼻薬、夜寝る時には鼻に貼るテープまで使っていた。

ところが、こっちに来たら、ほとんど苦しいことがない。
症状らしいものが出ることもあったが、それほどひどくならないうちに、終わっていく。

なぜかというのが、だんだんと整理できてきたので、今夜はそれを公開する。

1) 以前は大都会に住んでいた。
   交通量の多い国道が近く、おそらく花粉だけでない、PM2.5のような粉塵があった。
   それが私の呼吸器に影響していたのだろう。
   田舎に越してきたため、細かな微粒子、アスファルトの削れた粉塵などが舞ってないのではないか。

2) ビタミンDを摂取するようになった。
   これは、もう10年ほど前、職場で一緒だった年配の方が、
   「おれ、自分の体で実験してんだ」
   と言いながら、粘膜を強化するためにビタミンDを飲んでいたところ、
   花粉症の症状が軽くなった、と言ってたので、わたしもそれ以来、2月~4月に飲んでいる。

3) 同じく、5年ほど前からか、ヨーグルトが流行したため、花粉症の時期になるとせっせと食べる。
   自分に一番合っているのは何か、と人体実験を繰り返すこと5年間。
   ついに、「ガゼリ菌」というのが、おそらく自分には合っているらしい、と分かってきた。
   さまざまなヨーグルトの種類があるけど、高確率で、すばらしい結果が出る。(ホントによく出る)

4) 日光を浴びる。
   これは、無料でビタミンDを体内に生成するため。
   ビタミン剤を買うお金が節約できる。

5) いわしのみりん干しを食べる。
   これは鮭でもよい。卵黄にもある。
   理由は4)と同じで、ビタミンDを摂取するため。
  
6) 花粉防止メガネをかける。
   4月だけ、私はメガネをかける。
   名古屋眼鏡【http://花粉メガネ.com/variation/smart2.html】

7) 車の中に、ウェットティッシュを用意しておいて、ドアを開け閉めするたびに、指先を拭く。
   指についた花粉は意識しないと、無意識に目をこするときがあるからナ・・・。


まあ、こんな感じです。
さらに、ここには書いていないものもありますが、・・・ま、こんな感じ?


引っ越して来て、一番いいのは、実は「咳」がとまったことです。

毎月、呼吸器科で、恐ろしいほどの薬をもらって飲んでいたことを思い出すと、
本当に、愛知県に引っ越して来て、良かったなあ、と思うのです。



念のため、実体験だから、万人に効果がある!ということはないと思います。
いろいろ、自分の身体に聞くのが、大事。
わが身にきいて、合っていることを探すのが、一番の処方。

馬酔木

愛知県の教員としての私

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私が、愛知県の小学校教員となって嬉しいのは、

愛知県にはなかなか、美味いものが多いことだ。



私が子どもの頃、出し抜けに

「天むす」

というものが商品化された。

おむすびの中に、海老の天ぷらが入っていた。

おもしろいもので、瞬く間に市民権を得た。

その会社は初めはこじんまりとした商店だったが、売れに売れて今では有名な会社になった。





名古屋には美味いものがない、というのが、私の幼い頃の世の風潮であった。

タモリがバカにして、昼の番組で、これでもかとこき下ろしていた。

歩行者用の信号機からは、童謡が流れてくるし、語尾にはミャア、ミャアとつくし。

名古屋はアホっぽい。

それが、東京を中心とするマスコミのつくった、『電通的世論』であった。




そういった世論とは隔絶したところで、味噌カツを食い、寿がきやのラーメンを食い、味噌煮込みうどんを食べ、きしめんをすすって、心の中で

「あまり電通とかには受けてないけど、オレ的には、これでいいが」


と思って生きてきた。

おそらく、この尾張・三河の食文化は、他には理解されないままだろう、と思い定めて生きてきた。




ところが、つい最近、関東の友人と、五平餅と胡桃味噌、の話をしていて、

なんと、

今、名古屋は美味い

ということになってる、という話を聞いたのであります。



ビックリ!



尾張・三河の食文化が、じわじわ、来てるのか!?





電通も、心を改めたと見える。

そのうち、スタバはつぶれるよ。

コメダに代わる。

東京でも、「モーニング、まだ間に合うかな?」と会話するようになるぞ。



果ては、モーニングに天むすがついて、赤だしまで出るようになる。

コーヒー飲みにきたのに、赤だし飲んでるよ、と、

レジでお金を払いながら、自分に突っ込みを入れるようになる。




でも、そんな自分が好きなんだ。

私は、ナナちゃん人形で待ち合わせをすることに抵抗のない、生粋の愛知県人なのです。

しゃちほこ

真冬の2月にコンポストで堆肥をつくりたい!

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コンポストで悩んでいる。
極寒のこの時期に、なかなか温度が上がらない。
そりゃそうだ、とみんな言うけど、なんとかしてホクホクの湯気が出るくらい、コンポストが温かくならないものだろうか。

真冬のコンポストに、もし対策ができたとしたら、これはもうみんな助かっちゃう。
知恵を集めたい。みんなの知恵が集合したら、なんとかなるのではないかなあ・・・。。

そこで、わたくし新間が実験台として、いくつか試してみることにしました。


我が家のコンポストは、昨年の4月ごろよりほぼ毎日のように稼働していて、まあ愛知・岡崎の温暖な気候であれば、真冬でないかぎり大丈夫なのでしょう。春からクリスマス前くらいまでの間は、かなり活躍してくれていました。
ところが、年末くらいから調子が悪くなり、野菜がそのまま残っていることが多くなってきた。



「あちゃー、野菜の皮がそのままだなあ」

知り合いの農家、T氏に尋ねてみると、

「真冬はほとんど無理じゃない?」

とのこと。
畜産経験豊富で堆肥熱育雛など農業の先端を極めたT氏でさえ、無理だという。

「いや、そこをなんとか、微生物を励ましてやりたいンですヨ・・・」

ちょっと、あれこれと教えてもらいます。

〇堆肥は好気性の発酵と嫌気性の発酵とのブレンド。
〇しかし特に中期において発酵を進めるためには、やはり酸素が必要。
〇酸素を送り込んでやるといいかも。
〇とくに冬場は、南に面した日当たりの良い所にコンポストを置いたらよい。
〇コンポストの表面は透明なプラスチックかトタンで日光を通す。



T氏によれば、酸素を送り込む、というのがどうやらポイントであるようだ。

ならば、コンポストの入れ物の内部に、空気を通してやればいいのでは?

そこで、この図のような計画書をつくった。


コンポスト



Aは、コンポストの内側だ。空気の取入れ口が、内部の堆肥の中(下部)にある。
そのままでは、堆肥や中の土で穴が塞がってしまって空気が通らないだろうから、ここは金網をかぶせるとともに、小さな枝やバークなどで覆い、空気が通るようにしてやろう。

Bは、コンポストの横の地面の上である。
地面の上にあるから、空気が出入りするだろう。
これもネズミが忍び込んだりするとアレだから、金網かぶせたうえ、さらにT字管などで空気が通りやすいようにしてやりたい。

また、これは別の人から聞いたのだが、土と微生物を元気づけるために、湯たんぽを入れたらどうか、という。

なるほど、ということで、中の堆肥にステンレス管をさして、60度のお湯を入れたペットボトルを入れてみた。
ステンレス管はホームセンターで、直径10センチのものが入手できる。(600円くらい)
1.5Lのペットボトル(スプライトとかファンタとか)が、ちょうど入る。
塩ビの配管もあったけど、熱が伝わらないとダメだから、ステンレス管にした。
これがあると、土を掘ったりかぶせたり、という手間がかからない。
ペットボトルもほとんど汚れないままだから、台所でお湯をサッと入れやすい。
ま、別にそのまま土にさして、土を洗い流せばいいだけなんで、こんなのどうでもいいけどネ。


もう一つは、米ぬかである。
米ぬかは油分があり、微生物にとっては大きな援軍になる。
土の間に、サンドイッチ(ミルフィーユ?)のようにして差し込んで混ぜ、元気になれ、と励ましてみた。


さて、ホームセンターから買い込んだ温度計が、どのように変化するだろうか。

これで、温度が安定して上がっていれば、作戦成功だ。
真冬、零下になる戸外で、山からの冷風にさらされたコンポストが、きちんと発酵を続けていたなら、これはもう日本全国のコンポストファンに知らせてあげたいくらいの快挙だと思う。

結果は・・・


乞う、ご期待!!!(来週には情報をアップできるかな・・・)

愛知県人なのでまだ夏休み

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驚くべし、先日たまたま長野の知人と電話で話したら、
その人の言うのには、

「いやー、長野県の夏休みは短いのよ。もう2学期、始まったわよ」

という。

うっそー!


愛知県人で本当にラッキーだ。
まだ、31日まで夏休みだもの。
2学期は、9月からだもの。

多少、研究授業の検討会議で職員は学校に缶詰になることもあるけど、それにしたって、2学期は9月から。
長野の先生は大変だねえ。

他にも調べてみたら、北海道や岩手県なども短いらしい。


さて、夏休みの自由研究ですが、おそらく苦しんでいる子がたくさんいるだろう。

わたしがかつて担任した子で、こんな自由研究を持ってきた子がいた。
「サイコロの目は一番何がでやすいか」

この子はなんと、その夏休み中、ずっとサイコロを振っており、
家族で行った先のキャンプでも、テントの中でサイコロを振っては
その目の記録をノートに記していたそうだ。
学校のプールに来ると、更衣室でサイコロを振り、
ラジオ体操でも、待ち時間に滑り台の頂上でサイコロを振っていて、
ついに1万回以上、サイコロを振って記録を取った。

そしてその研究の結果、サイコロにもよるが、

なんと、

300回までは、あきらかに

「5」

が出やすい。

しかし、300回を超えるとその差が縮まり、600回でほぼ同じになった、とのこと。



その自由研究は賞はもらえませんでしたが、多くの児童がそのことを自分でも試してみようと思ったようで、しばらく話題になっていましたね。

他にも、

「ラーメンはどのくらいのびるのか」

とか、

「妹(1歳)と私の会話記録」

とか、

面白いことを考える子って、いますねー。



(写真は、モウセンゴケ)

もうせんごけ3

地元名古屋のビールがうまい

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わたしは、岡崎市民です。

さて、6年生の担任は、いよいよ興奮度がMAXに近づきますね。

歴史の授業に、徳川家康が登場するから!

岡崎市の教員(6年担任)は、すべて、この時期に大興奮です。



地元の英雄、家康公が、晴れて教科書に登場する!

名古屋、岡崎、三河、などという言葉、単語が、教科書にこれほどまで輝かしく現れることは、かつて無かった。

大宰府も出雲も吹き飛び、鎌倉も、奈良や京都でさえも、戦国時代以後の

「尾張、三河、愛知」

という特別な地域の名称を前に、すべてかすんでしまう。

戦国三傑、
織田がつき、羽柴がこねし天下もち、座りしままに、食うは徳川

織田、羽柴、徳川。

この3人とも、この地域の出身なんだもの。




わたしは岡崎市の教員をやっていますが、

徳川家康の授業を地元で行うことができて

最高に幸せ。




ビールがうまい!!地元名古屋のビール、冷えてます!
IMG_0150

「会話力」が抜群な80歳の女性に会う

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「会話力」が抜群な女性に会いました。

『会話力』←とっさに、頭に思い浮かべたフレーズなんだけど・・・、

今朝会った人が、会話の力(ちから)がある人だったの。

力(ちから)と言うか、癒しというか・・・。


しゃべっているだけで、ふんわりと、しっとりとした時間が流れていくような。






御年、80歳なんだそうだ。

場所は、地域の「ごみ集積所」

私の住んでいる地域は、ごみの集積を工夫していて、

半年に一度くらいの当番で、2人ずつ、交代で見張りに立つのです。

町会がかなり広い範囲なので、たーくさん、朝になるとゴミが集まってくるわけ。

近所の人たちが、車や自転車で勇んで運んでくる。
かなり、手間だろうと思うね。

都会のマンションなんかだと、ごみを集めるシステムが進んでいるから、家の前とかでスポン、と投げ入れたらシューっと集積所に集まるなんていうマンションとかあるそうだ。


そういうのに比べると、わざわざ家から遠く離れた集積所まで、ゴミ袋をもって運ばなきゃいけないんだから、大変だよねえ。

しかし!!
そういう仕組みにしたおかげで、カラスが激減。


ごみが散らかることもなく、観光客が歩いていても、そもそもごみを集める場所が一つしかないから、ゴミそのものを、ふだん目にすることがない。

町全体が、きれいなイメージで、保たれているわけ。


集積所にね、朝行ってみました。当番だったから。

見張りと言うとなんだかアレだけど、要するに、その場をきれいに保つだとか、分別がうまくいっていない場合にちょっと手伝うとか、当番の仕事とは、そういうこと。


当番は二人制。

もう一人は、私より先に来ていらした。

おばあさんが、よっこらしょ、という感じで座っていらしたから、

「おはようございます」


とあいさつしたら、お婆さんもこちらを初めて見るのに、深々と挨拶された。

ちょっと恐縮しましたね。



さて、時間になると、地域の人がごみを捨てに来るので、いろいろとゴミ袋が倒れないようにしたり、記名を確認したりするんだけど・・・。


それでも、間に5分ずつくらい、だれも来ない間があきますわね。

自然とその方と会話が始まるわけ。



「まだまだ、寒いのが続きますねえ」


なんていう季節の話から、数年前の大雪の話、山がきれいに見える話、いろいろとしゃべっていた。



山本さんとおっしゃっる、お婆さま。
とても、ボキャブラリーが豊富な方だった。

会話の中で、なにか、常にこちらを慮るような、配慮を感じる。

とりわけ、相槌が、上手だ。

「そう、そう、ね」

というのが、山本さんの口癖だった。


山がきれいだ、というと、

「そう、そう、ね」

と言いつつ、

「冬の朝なんかはね、山の方が太陽で照らされるでしょう。とても素敵よね」

ほんの少し、こちらの話を、盛り上げようとしてくれる。

でも、饒舌ではないから、

自然とこちらが話をリードする展開になる。


私の息子が小学校に行っているというと、

こちらの話の呼吸を見ながら、

「今は、なんだか、図書袋だとか、上履きを入れる袋だとか、色々と要るのですねえ。

私等の頃には、教科書と筆筒だけあればネ、それでよかったんだと思うんだけどねえ」


もう70年も前の話で、と笑いながら、おっしゃる。


なんだろうか。

会話のテンポが、すこぶる心地よい。


山本さんは、中学校の頃、雨の中をずいぶんと歩いて岡崎の山を遠足で歩いた、ということをお話された。

「いやあ、途中で雨が降ってねえ・・・、あの当時、先生たちも気の毒だったろうねえ。

駅までみんな、黙ーって歩いてねえ、ほほほ・・・。

散々な思い出なんだけど、それでも遠足にみんなで行ったんだ、というのを思い出すだけで、なんだかいい思い出だわ」



家もビルも工場もない、当時の岡崎の村の様子が白黒の写真のようにわたしには見えるような気がした。

「健脚(けんきゃく)という言葉がありますでしょう、ねえ?当時は何にも歩くよか、ほかにしょうがなかったから・・・。

だからみんな、何も言わないけど、足はずいぶん鍛えられたんだと思うんですよ。」


決して早口にはならない、明るいが、ていねいなテンポで話をされる。

「苦労もしましたけど、足が強かったから、平気でしたねえ。

買い物もなんでも、平気で歩いてしましたよ。若いうちですよねえ、あなたも、登山など、どんどんされたら・・・」



話題は、たくさんあった。
私が都会から越してきたんだ、というと、

「都会は都会で、いいところがたくさんあるのでしょうねぇ・・・憧れるところもありますよ」

なんていう。

80歳のおばあさんが、都会に憧れるって・・・。


他にも、山本さんは、時折、話の中に、ドキッとするような言葉をちりばめた。

「健脚」(けんきゃく)
「滋養」(じよう)
「斟酌」(しんしゃく)

わたしは、なんだかこういう言葉を使われるおばあさんに、ふと吸い寄せられるような感じを受ける。

昔なつかしい、というのとはちがう、

なんだか、とても健全な、健康な、力のある言葉を感じ取る。

言葉に、力がある、ということ。




80歳のお婆さんと話をして、いいことは、もっとたくさんある。

当番の仕事が終わり、別れ際、山本さんは安堵の笑顔になって、

「あらまあ、楽しい話をしていたら、あっと言う間に終わったわ。あなたみたいな若い人から、元気がもらえて本当によかった」

と言ったのである。


若い人、ですよ?!


ひさしぶりに言われた!!!!!(うれしい)


つまり、ふだん子ども相手に過ごしていて、なんだか自分がずいぶん年上のような気がしていた私のような職業の者は、

おそらく、三か月に一度くらいは、

80以上の年齢の方と、リハビリをかねて、会話を楽しんだ方がいいのであろう。


そうして、人間の平衡を取り戻すというか、バランスをとった方が、なにかと精神衛生的にも、良いのではあるまいか。

自分が、年下になって、若い気分を存分に味わえる機会は、めったにないもんな。
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