ニュースを聞いて、また一つ、時代が終わったという感じがして、椅子に座り込んだ。
枝雀さんが亡くなり、米朝師匠も亡くなった。
東京では志ん朝さんが亡くなり、小さん師匠に柳昇さん、文治、柳橋、円楽さんも亡くなった。
忘れちゃいけない、立川談志さんもだ。
米朝師匠の訃報を聞いたとき、呆然としていたら、その後すぐに入船亭扇橋師匠も亡くなって、くやしくて泣けてきた。もう一度、見たい、そのうち見れる、会える、と浅はかにも思っていた。
それから、春団治師匠も可朝さんも、歌丸さんも亡くなった。
寄席(よせ)というのは、一番ホッとできる空間だ。
演者は精一杯の配慮をする。
お客さんは素直に楽しむ。
そこでは、一対一の関係だ。
演者と客は、一対一なのだ。真正面からの、「お互い」なのだ。
噺が終わると、こちらも不思議とお辞儀をしたくなる。そのお互いの関係が、仁鶴さんとはもう結べない。
高校生の頃に名古屋の「なごやか寄席」に出てくれた。ラジオ番組の収録だ。
前から3列目で仁鶴さんを見ていると、この人は顔と声のトーン(質)で、ものすごく得をしているな、と気づいた。もちろんお顔はご本人のおっしゃる通りで四角くて大きく、口が横にも縦にもよく開いて動く。しかしながら声はしっとりとしていて、聞いている人を落ち着かせる。
最大の特徴は眉で、これは各方面からも指摘がある通りだ。仁鶴さんの評にはたくさんの識者がこのことについて書いているが、眉が上がっても目つきがするどくならず、逆に小さな目が一生懸命にまっすぐを見つめるためにこの人の素朴さや正直さが強調されてくる。
ボンカレーのCMやモルツのCMでも、目を一生懸命に見開こうと眉をあげればあげるほど、他の人にはないくらいの「努力」を感じさせる。最大に見開いたとしても、その小さな瞳は小さなままだからだ。だから、多くの人が、この人の顔やしゃべりに、圧迫感を感じない。
圧迫感を出さない、逆に素直で純なものを感じさせる。
それが、この「眉」なのだ。このことは、芸人の最大の長所であったろう。
人は、「どうだ、すごいだろう」を見たいわけではない。
そこが、芸だ。
テープで一番聞いたのは「道具屋」「初天神」「青菜」だったか。
近所の図書館で借りたのを、ダビングして自分で何度も聞いた。
噺が短いから、覚えようと思ったのだ。
でも覚えられなかった。やはり言葉のイントネーションが違う。関西の落語は名古屋の高校生にはまねができなかった。仁鶴さんは、あの「眉」で、あの「声」だからこそ、面白かったのだ。
とぼけた感じや、やさしい話し方が好きだった。
今、日本中が訃報に接して暗くなっている。
エンゼルス・大谷選手の40号のホームランで一瞬だけ明るくなったが、一時しのぎだった。
仁鶴さんの訃報を聞いて、喪に服す人は多いだろう。
仁鶴さん、浄土よりこちらの世界をどうか優しく見守ってくださいね。
合掌。